ハイパワーV


 帰宅の途である。

 私は、立ち寄ったドラッグストアで、「ハイパワーV」という栄養ドリンクを見つけた。

 黄色い、よく目立つデザインだ。

 小さなスチール缶に、カフェインやビタミンなどの含有量が表示されている。

 他の製品よりも、少し量が多い。その割に、大手メーカーの商品に較べて、半額くらいの値段である。

 ちょうど喉も渇いていたし、帰ってからやりたい仕事もあったので、私は「ハイパワーV」を二つ三つ手にとり、かごに入れた。

 帰宅すると、早速ひとつ開けてみた。

 味は、まあ、普通の栄養ドリンクだった。

 酸っぱくて、ほどよく炭酸が効いていた。

 それから、持ち帰った仕事に取り掛かった。「ハイパワーV」のことは、それきり忘れてしまった。



 翌朝。

 冷蔵庫の中に「ハイパワーV」が入っているのを見つけた。

 ああ、昨日買ったものだと思いだし、会社へ持っていくことにした。

 私は、夜の七時や八時くらいまでは毎日働いているので……夕方に一本飲んでおくと、調子が出るのではないかと思ったのだ。

 その日の夕方。

 私は席を立ち、冷蔵庫に冷やしていた「ハイパワーV」を飲んだ。

 まあ、うまくもないし、まずくもない。いかにも栄養ドリンクです、という味だ。

 味なんか、しかしどうでもいい。

 「ハイパワーV」の効能か、飲んですぐに、頭がしゃっきりと冴えたのである。夕方から、私は原稿を何枚も作った。異例のハイペースである。量産といってもいい。おまけに、良さそうな商品コピーもするする思い浮かび、今日は自分でも満足のいく仕事ぶりだったと、意気揚々と帰路につくことができたのだ。

 おっと。

 私は、慌ててドラッグストアに立ち寄った。

 そこで、さらに五本ほど「ハイパワーV」を買い足し、家に帰ったのであった。 



 「ハイパワーV」を飲むようになり、二週間が経った。

 明らかに、体も粘り強くなった。

 もちろん、まったく疲れないということはないが、次の日に残るような疲れかたはしないし、朝はしっかり目覚めることができる。仕事の量も、質も、「ハイパワーV」を飲みはじめる前から、だいぶ向上したのだ。

 だから、ここ最近は「ハイパワーV」を箱で購入し、絶対に切らさぬよう、家にも会社にも常備するようになっていた。

 一度、出先にいたために、うっかり飲み忘れたことがあった。そのときに、自分でも驚くほど体も頭も動かないということがあったのだ。

 その日、ドラッグストアに立ち寄ると、いつもの売り場に「ハイパワーV」がない。

「あれ、あれ」

 慌てたのは事実である。

 いつも、棚に大量に並んでいたというのに。

 その代わり、赤いラベルの「ハイパワーEX」が陳列されているではないか。

「なんだこりゃ」

 近くで、店員が品出しをしていた。

「すみません」

「はい」 

「ハイパワーVはないんですか」

「ハイパワー?」

「ついこの間まで、ここにハイパワーVという、黄色い缶の商品があったはずですが」

「はあ」

 しかし、店員は要領を得ないことを言った。

「えっと、いま棚にあるだけですね。ハイパワー、EXですか。これだけです」

 見ると、メーカーは「ハイパワーV」と同じである。まるで聞いたこともない名前だ。

 含有量も、Vから一割ほど増えているだけだが、価格が倍ほどもする。

 これでは、大手メーカーから販売されている類似商品と較べて、価格的なメリットはほとんどない。

 といって、どうせ高いものではないからと、私は「ハイパワーEX」の箱をいくつかかごに入れて、レジへ向かったのであった。



 「ハイパワーEX」は、「ハイパワーV」と遜色ない効果を上げた。

 栄養の含有量が一割増しだから、仕事ぶりも一割増しに良くなったかと聞かれるとうまく答えられないが、少なくともVからEXに切り替えたことに、何の問題もないようだった。

 問題があるとしたらやはり価格だけだが、それだって、大きな出費になるわけではない。

 ところが、それからしばらくして薬局に行ってみると、今度は「ハイパワーEX」が見当たらない。

 その代わり、「ハイパワー・ハイエンド」なる、黒い缶飲料が並べてあるのだ。

 ハイエンドというのは、これ以上ない、ということだろう。

 見れば、含有量は、EXの五割増しである。類似品と比較すると、きわめて優秀な数値であることがわかった。

 驚いたのが、価格である。

 EXの、三倍の価格なのだ。

 となると、Vの六倍の価格である。

 大盛りラーメン一杯分より、まだ高い。大盛りラーメンに餃子とライスをつけて、やっとこのくらいの価格ではないだろうか。これを毎日飲むとなると、かなりの出費になる。

 といって、他の大手メーカーの商品で同じくらいの含有量をと思うと、さらに二倍、三倍の価格になる。

 これと同じものを求めるとなると、栄養ドリンクとしては極めて高額の、よく、イチローが試合前に必ず飲むだとか、いざというときに一本飲めば風邪なんかすぐに治るとかいう、あのクラスになってくるのだ。

「すみません」

 たまたま近くにいた店長に声をかけた。

「はいはい」

「あの、ハイパワーVもハイパワーEXも、もう売ってないんですかね」

「ああ」

 店長はハイエンドの棚を見て、

「そうですね。いまここにあるだけなんですよ」

「生産はしてるんですかね」

「なにがです」

「ハイパワーVや、ハイパワーEXです」

 私としては、いまのEXで満足しているのだから、生産しているのなら、通販でEXを買い続ければいいと思っていた。

「少々おまちください」

 店長はバックヤードへ向かった。

 それから、少し速足で戻ってきて、

「お待たせしました。どうやら、メーカーのほうで生産をやめたみたいですね」

「もうないんですか」

「ええ。調べてみましたら、いま販売しているものは、このハイエンドだけのようです」

 おそらく、あんな破格で売り出したせいで、採算がとれなかったのではないか?

 といって、このハイエンドだって一般的な栄養ドリンクに較べれば高めではあるが、そういうことなら、買って帰るほかない。

 私は、とりあえずハイエンドを一○本ばかり買って、帰宅したのであった。



 それから、私はもう半年近く、「ハイパワー・ハイエンド」を飲み続けている。

 仕事は絶好調である。

 言うといやらしくなるから言いたくないが、一応、昇進もした。

 ハイエンドの名のとおり、後発商品は、もう出てこない。

 すっかり「ハイパワー・ハイエンド」に定着したのだ。

 ハイエンドの出費は、馬鹿にならない。なんせ、Vなら半年分買える額が、毎月かかってくるのだ。

 残業手当のうちの何割かは、ごっそりハイエンドに持っていかれるのだ。

 これでは働き損だと、いわばいえる。

 だからといって、ハイエンドを飲まなければ、体がへばってしまう。

 絶好調の私に対する会社側の期待は、このところ急上昇しているのだ。それに応えるためには、どうしてもハイエンドの力が必要なのである。期待外れとなれば、配置換えとか、場合によっては再び降格となる可能性だってあるのではないか?

 あのとき、出来心で「ハイパワーV」に手を出さなければと思うこともあるが、いまさら言っても詮ないことだ。

「エンド」という言葉に、なにか不吉な響きを感じるのも事実だが……

 私は頑張っている。

 頑張るしかないじゃないか。

 今日も夕方に一本飲んで……

 なんだ。

 頑張ろうという人の邪魔はよしてくれ。






 了

 

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