早朝野球


 おや。

 散歩中のカズミ氏は、河川敷のグラウンドで、野球の試合がおこなわれているのに気がついた。

 日曜の、早い時間である。

 いわゆる「早朝野球」というものだろう。

 カズミ氏は、スタスタと土手を降りていき、グラウンドの金網のそばまできた。

 バックネット裏の、スコアボードを見る。

 七回ウラ。スコアは三対二。なかなかの好ゲームである。

 若者もちらほらいるが、中高年が多い。こういった早朝野球は、健康維持とか、健康増進の目的でおこなわれることも多いのだろう。

 ところどころ笑い声も混じって――

 一種の、レクリエーションの雰囲気なのだ。

「バッターアウト! チェンジ!」

 じきに、七回ウラが終わった。リードしているチームが後攻なのだ。

 すごいものだなあ。

 嘆息せずにはいられなかった。

 カズミ氏も、そろそろ、中年と呼ばれる年齢である。

 実は先月、会社の健康診断で、尿酸値が高いと言われてしまったのだ。

 食事を減らしてたくさん歩けと医師からは言われたが、平日は帰りが遅いし、休日は家族との時間もあるしで、こうして、休日の朝だけ歩いているのである。

 昔に比べて、体はなまりきっている。

 すぐに疲れるし、息は上がるし、バイタリティというものがないのだ。

 そんなカズミ氏にとっては、打って、投げて、走ってという動作をこなしている人たちは、いかにレクリエーションといえども、まぶしく見えるのだった。

「チェンジ!」

 アンパイアの声が、早朝の空気に、きりりと響く。

 熱中しすぎてしまった。

 あっという間に、九回オモテだ。

 ここまで、両チームのスコアに動きはなかった。

 つまり、この回に得点を許さなければ、後攻チームの勝利である。

 後攻チームの監督が、アンパイアに、選手の交代を告げにいった。

 じきに、ベンチから二人の男が出てきた。

 いずれも、当たり前だが、どこにでもいる中年男性である。見た感じ、健康のためにやっています、といった雰囲気である。

 ひとりが、マウンドへ向かった。

 もうひとりはショートに回った。

 はて。

 カズミ氏は、小首をかしげた。

 こういった試合状況での交代だ。

 となると、野手は守備固めだろうし、投手ならクローザーだろう。ということは、わりと野球のうまい人たちが現れるはずではないか?

 しかし、二人にそんな雰囲気はない。

 グラウンドへ向かう足取りもノロノロしていたし、これまで試合に出ていた人たちのほうが年齢も若そうで、溌剌としていたのだ。

 案の定。

 投球練習をはじめた投手のほうは、コントロールは悪いし、スピードもない。ショートはショートで、ポロポロお手玉、トンネルにズッコケで……

 ああ。

 なるほど。

 チーム全員を試合に出すのが目的なのだろう。勝ち負けには、そこまでこだわっていないのだ。

 所詮、レクリエーションだものな。

 見物人の立場で生意気だが、カズミ氏は、ちょっと興ざめしてしまった。

 九回オモテがはじまった。

 例の投手が、投球モーションに入った。

 なに。

 カズミ氏は、のけぞった。

 投手が、異様に巨大なのだ。

 身長が、三メートル近くあるのではないか?

 いつの間に? 

 巨人は、長い腕を振り下ろし、猛烈な速球を投げ込んだ。

 ばかな。

 ボールが手から離れたと思ったら、もうキャッチャーミットの中にあるのだ。

 文句なし。ど真ん中へのストレート。

 カズミ氏は、何度か、野球場でプロの投球を観たことがある。だが、あんなものではなかった。まるで、大砲かなにかで打ちこんでいるようなのだ。

 あっという間に、見逃し三振である。

 次も、見逃し三振。

 六球で、アウトを二つとったのだ。

 次の打者は、しかし、かろうじてバットに当てた。

 振り遅れのバットが、ボールの上っ面を叩いたので、どん詰まって、ショート方向へ転がった。

 転がったと思ったら、もう、ショートのグラブに収まっていた。

 ミートした時点で、すでに、ショートはバッターの目の前まで進出していたのだ。

 あの冴えないショートは、その場でわざわざ前方宙返りをし、空中にいながら、下手投げで、ファーストへ送球をおこなった。そのボールも、身長三メートルのピッチャーに劣らぬ、流星のごとき見事なスピードだった。

「ゲームセット!」

 両チームの選手は、入り乱れ、わきあいあいと歓談をはじめた。

 もう、ピッチャーもショートも、あの冴えないようすに戻っていた。

 カズミ氏には、なにがなんだか、わけがわからなかった。

 幻覚か?

 それとも、彼らは化け物なのか?

 わからない。

 わからないけれども――

 もしも、じぶんが、彼らをあまりにまぶしく見たせいで生じた、幻覚だったとしたら。

 散歩を再開して――

 早期に、動ける体を作らなければ。

 カズミ氏は、気が重いのだった。



 了

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