【SFショートショート集】

松井宙岳

午前零時の祭囃子(抄)

二時の砂嵐


 自分のいびきで、良平は目が覚めた。

 おや。

 居間のソファに寝そべっていた。

 ああ。

 まどろみながら思い出す。

 夜九時からの、日曜映画を観ていて……

 ついうとうとして、眠ってしまったらしい。

 居間の壁掛け時計を見る。もう、午前二時近い。

 しまった。

 良平は飛び起きた。

 明日は学校だ。急いで二階に登って、部屋に布団を敷いて、眠らなくては。

 テレビは、ザアーッと音を立てている。

 灰色の、砂嵐のノイズ画面だ。

 二階では、両親が寝ている。テレビをつけっぱなしにしていたのに、よく起きてこなかったものだ。そうか。今夜は、じっとり雨が降っているのだ。

 良平は、リモコンを手に取り、テレビを消そうとした。

 そのとき。

 ノイズの砂嵐の、ちょうど中央に、ぼやっとした、人の顔のようなものが浮かび上がったのだ。

 なんだ?

 顔は、ピンボケのような状態から、徐々に焦点が合っていって……じきに、色の白い、ひっつめ髪の、若い女性の顔になった。

 そして。

 「バーカ!」

 顔は、大口を開けて言った。そうして、また、ぼおっと消えていった。

 ふたたび、砂嵐だけが残った。

 いまのは……。

 いまのはなんだ? なんだったのだ?

 良平は、あわてて、リモコンをテレビにかざした。気味が悪くなったのだ。

 テレビは消えた。居間は真っ暗になった。壁掛け時計の針の音が、いやに大きく聞こえる。

 きっと、テレビ局のスタッフが、誤って映ってしまったとか……ドラマか映画のワンシーンが、砂嵐と二重写しになってしまっただけなのだ。深夜の、放映休止の時間帯ということもあって、気がゆるんで起きたアクシデントに過ぎないのだ。

 良平は、階段を上がりながら――そうだ、きょう、クラスの連中に、あの変な顔を観たやつがいないか聞いてみよう。夜更かしをしては、深夜番組の話題を得意になって話すやつもいるし……。きっと、だれか観ただろう。きっと。



 予想に反して、良平の話は、失笑を買うだけに終わった。

 その顔を観た人間は、ひとりもいなかったのだ。

 考えてみれば、いくら夜更かしするといっても、わざわざ砂嵐の画面を見続ける者はいないだろう。

 そして、あるいはそうなっても仕方あるまいと思ってはいたが、案の定、どうせ寝ぼけていたんだろうと、みな口をそろえるのである。

「それ、良平の母ちゃんでねえの?」

 友だちのひとりが言った。

「夜更かしなんかしてるからさ」

 別の友だちが言った。

「実はそのとき、おまえの後ろに母ちゃんがいてよ。バーカ! と怒って、すぐにいなくなったんだよ」

 むろん、腹が立った。

 腹が立ったが――しかし、あのときの自分の状況では、まともにとりあってもらえないのは、むしろ当たり前なのである。はじめは、自分では絶対にそんなことはないと思っていたものの、夢だのまぼろしだの寝ぼけただのと言われれば、まあ、たしかにそうだったのかもしれないと、だんだん思えてくるのだった。

 その日、良平は、夕飯のあと、風呂に入ってすぐに寝た。

 ふだんは、風呂のあとにちょっと予習をして、漫画雑誌を読んで、それでようやく床につくのだが、予習だけ手短にすませて、さっさと就寝したのである。

 そして、夜の二時前。

 布団でぐるぐる巻きにしていた目覚まし時計が、たった一度、小さなベルを鳴らした。良平はあわててベルを止めた。よし。これから、両親に気づかれないよう下へ降りて、テレビの砂嵐を確認するのだ。

 良平は、足音を立てぬよう、靴下をはいた。ほとんど音を立てずに、居間にたどりつくことができた。

 テレビのリモコンをかざして、昨日と同じチャンネルを映した。

 ――出た。

 砂嵐である。今日も、この時間は放送がないので――あの、じゃみじゃみとした、ノイズ画面なのだ。

 ザー。

 砂嵐。

 ザー。

 ザー。

 まだ砂嵐。

 そして。

 ぼうっ……。

 ――出た! 影だ。人間の、顔の形をした影だ。ぼやけた画面の焦点が合っていき……それはやがて、一人の、いかめしい顔つきをした、中年女性の顔になったのである。

 良平は、身を乗り出した。

 その女性は、良平の通う中学校の、音楽の若月先生なのだ。

「この」

 先生は、眉間にしわを寄せて、吐き出すように言った。

「このわからずや! はげじじい!」



「おい、とうとう今日は、砂嵐に若月先生が現れたぜ」

 良平は、ごくごく親しい友だちにだけ、夜中の一件について話すことにした。

「またはじまったぞ」

「また夜更かしかい?」

「違うよ」

 良平は手を横にふった。

「絶対に、夢なんかじゃない。若月先生が出たんだよ」

「若月先生ねえ」

 友だちの一人が、なにか思い出したようだ。里中というやつだ。

「なんだ?」

「いや、あのな。若月先生が、きのうの夕方、職員室で、えらく校長にどやされていたのを見たぜ。なにがあったかわからないが、はげ校長のやつ、ものすごい剣幕で怒っていたぞ」

「若月先生はどうだった?」

 良平は、さらに重ねて、

「怒っていたか? はげ頭だとか、ジジイだとか……」

「そんなわけあるか」

 里中は笑った。

「耐えがたきを耐え忍んでいるといった、弱弱しい、気の毒なようすだったさ」

「……」

「ちぢこまっちゃってさ。あれは、内心だいぶためこんだね」



 そうだ。

 昨日の美しい女性といい、今日の若月先生といい、現れた顔は、どちらも不満を口にして――口にしてというよりは、吐き出して、また消えていったのだ。

 今日、明日と調査を重ねていけば、この現象に、なにか、ちゃんとした説明をつけることができるのではあるまいか。

 その日も、良平は早めに寝て、また午前二時より少し前に、行動を開始した。

 ザーという砂嵐のあと……

 出た。

 今日は、初老の、おじさんの顔だ。

 知らない顔だ。

 いや。

 知っている。見たことがある。

 思い出した。この人は、いつも朝、学校の前の横断歩道に立っている、交通指導員のおじさんなのだ。

 やさしくあいさつをする、柔和な、腰の低いおじさんなのだが――

 今日は違う。

 おじさんは、ひんまがった口で、こうまくしたてたのだ。

「ガキどもめ! ろくにあいさつも返さないで、オッサンオッサンと呼びくさって!」

 ――それだけ言うと、おじさんの顔は、すうっと消えた。

 あとにはまた、砂嵐。

 また不満だ。不満。悪口。つまり、腹の底にすえかねているものを、砂嵐に浮かび上がった顔は、今日も吐き出して――消えていったのだ。

 これで、三人続けてそうだ。

 なにか、おおやけにはされていない、素人が不満をぶつける番組があるのだろうか? ばかな。そんな番組、あるわけがない。万が一、そんな深夜番組があるとしても、たとえば若月先生が、同じ勤め先の校長をののしるためにテレビ出演するなどとは、とても考えられない。

 となると、あれはなんだ?


 

 翌朝。

 眠い目をこすって、良平は学校へ向かった。

 学校の、すぐ目の前の横断歩道には、あのおじさんが今朝も立っていた。交通誘導の旗を振りながら――おはよう、おはようと、いかにも人のよさそうな笑顔を振りまいているのだ。

「おはよう」

 おじさんは、良平の目を見すえて、にこやかにあいさつをした。

「おはようございます」

 だが、内心では、あのガキどもなどと思っているのだろうか? 

 良平は、おじさんの前を通り過ぎるとき、あらためて、ちらっとおじさんの顔を見てみた。いいか、だれにも言うなよ、などとこわい顔をしているでもなく、おや、なんだね、というふうに視線を向けるだけだった。



「なんだか、あの話を思い出すなあ」

 その日の昼休みに、里中が言った。

 教室の中は、がやがやしている――その中で、良平と里中が、向かい合って話しこんでいる。良平の「寝ぼけ」ばなしにつきあってくれるのは、四日目ともなると、もう、里中ひとりしかいないのだった。

「あの話?」

 良平は首をかしげた。

「あれさ。王様の耳はロバの耳って寓話さ」

「ああ」

 良平はうなずいた。

「知ってるよ」

「あれは、王様の秘密を知った床屋の男が、どうしても秘密をだれかに話したくなって、木のウロだかに向かって、その秘密を叫んじまうわけだろう。似てるんだよ」

「似てる?」

「似ていないか? つまり、床屋は、君のいう若い女の人で、若月先生で、交通指導員のおっさんさ。不平や不満を、深夜放送で、おもいきりぶちまける。そして、次の日には――本人はけろっとしているわけだろ。そのおじさんも。若月先生も。そら、昨日も今日も、うんと機嫌がいいぜ、あの先生。つまり、発散されたんだな」

「たしかにな……」

 良平は、心底なるほどと思った。

「似ているな」

 だが。

 砂嵐への映り込みは、本人の意志によるものなのだろうか? であるなら、どうやったら、あそこに映り込めるのだ? だれに頼む? どこに行けばいい? 

 その疑問を話すと、里中は言うのだった。

「おそらく、無意識的なものじゃないかと思うぜ」

 里中はつづけた。

「なにか、人の不平や不満をキャッチして、流してくれるのかもしれないな」

 にわかには信じがたい。

 だが。

 そう説明されると、荒唐無稽な話ではあるが、一応は、説明がつくような気もするのである。

「深夜だろう。当人は寝ているだろう。その間に、木のウロに、不平や不満が発散されるんだ。すると、目がさめたときには、スッキリ。まあいいか、となるわけさ」

「たしかに」

 良平はうなずいた。

「眠る前のイライラなんて、朝起きれば、たいていは忘れちまっているものな」

「そういうことさ」

 そう言って、里中は、慎重にあたりを見回した。

 そして。

「――おい、良平。ぼくも、なんだか君の話を聞いていたら、真相をつきとめたくなってきたんだ。実は、今晩は両親とも、親戚の法事で田舎に行って、留守にするんだ。おれんち、テレビのある部屋に両親が寝ているもんだから……」

 そこまで言って、里中はにやりと笑った。

「今日ならいけるぜ。午前二時だよな。よし、おれもテレビをつけてみる。チャンネルは、あれだったな」

 なんと。

 心強い味方だ。 

 良平は思わず立ち上がって、

「ありがとう!」

 オーバーにも、頭を下げた。

 よせよせと、あわてて里中は良平を制した。




 午前二時、数分前である。


 里中は、緊張に身を固くしながら、テレビの砂嵐を前にしている。

 ザー。

 ザー。

 ふしぎとこころが落ち着くような、波の音のような、砂嵐の音。

 ザー。

 ザー。

 良平のやつ、こんな不気味なことを、今日で四日も続けているわけだ。たいしたやつだ。

 ザー。

 ――ふいに、ぼわっと、人影が浮かび上がってきた。

「ひい」

 話には聞いていたが、人影をはじめて見る里中は、やはり身震いした。

 だが、見なければならない。

 見なければならないのだ。

 ぼやぼやとした人影は、やがて、焦点が合っていき……

 ――顔だ。顔なのだ。

 しかし。

「!」

 里中は、思わずのけぞった。

 画面に映ったのは……良平だったのである!

 それも、頭からだらだらと血を流して……。うらみのこもった目つきで、青白い顔を、砂嵐の真ん中に浮かべているのである。

「おおい……」

 うめき声だった。

「まったく……夜道で……あんな狭い道を……あんなスピードで走るやつがあるか……くそ……まだ、ろくに生きたともいえずに、死んじまった……」

 里中は悲鳴を上げた。

 あわててテレビを消し、もんどりうって、その場から遠ざかった。

 ハアハア。

 ハアハア。

 荒い息が、おさまらない。

 そのとき。

 部屋がまた、パッと明るくなった。

 あの砂嵐が――ふたたび、映し出されたのだ。




 了



 


 

 

 

  

  

 

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