ビデオを通じて呪いを振りまく悪霊がVHS絶滅によりもう死んでるのに命脈を断たれたので時代に合わせて幽Tuberとしてデビューした件
英 慈尊
その名はてい子さん
その日の私は、酔っていた。
兄に頼まれて実家の押し入れ整理を手伝い、結局、一日仕事となったそれの疲れを癒すべく痛飲していたのだ。
肴は、柿の種と――古びたビデオテープの数々である。
亡き父が秘蔵していたのだろう……押し入れから出てきたビデオデッキとビデオテープ群を、私は引き取り自宅に持ち帰っていた。
お笑い番組愛好家であった父の遺したそれはやはり、当時のお笑い特番を録画したものであり、私はビール片手に当時流行したネタの数々を楽しんでいたのである。
「テープの荒い画質も、今となってはなかなか味があるな……」
かような独り言を言いながら、私はデッキから吐き出されたテープを抜き取り、また新たなテープを探す。
「これは……ラベルがないな?」
目に留まったのは、何のラベルも貼られていないテープであった。
故人は几帳面な人物であり、このようなことは珍しい。
「まさかとは思うが……スケベな内容か?」
こうなると、好奇心がむくむくと顔をもたげてくる。
厳格な父の恥部を拝めるものかと思い、私はそれをデッキに差し込んだ。
「ん……妙だな?」
ザーッという音声と共にテレビ画面へ映ったのは、砂嵐のような音声のみである。
「まあ、古い物だしな……」
保存状態こそ良かったものの、そもそもこのビデオデッキ自体ノーメンテで動いているのが奇跡という代物だ。
経年劣化によりテープが駄目になったのだろうと考えた私は、他のと取り換えるべく椅子から立ち上がった。
――異変が生じたのは、その時だ。
「……井戸?」
まるで私のテープ交換を拒むかのように切り替わった画面が映し出されたのは、どこぞ森の中に存在する古びた井戸である。
何の変哲もない……。
けれど、ロケーションのおどろおどろしさもあり何か目を惹きつける……。
その映像に釘付けとなり、私は動きを止めてしまう。
十秒か、一分か……どの程度、そうしていたのかは把握できなかった。
ともあれそうしている内に、次なる変化が起こった。
「人の手……?」
古井戸の中から、人の手が飛び出してきたのである。
手が井戸のふちを掴み力を込めると、次第に残りの部位も這い出して来る。
「女……か?」
そうして、ついに全身を這い出させた人物を見て、私が疑問形を使ってしまったのはやむなきことだろう。
白一色のワンピースは、どこか薄汚れており……まるで何年も着続けているように思える。
長い黒髪が顔はおろか胸元に至るまでを覆ってしまっており、その目鼻立ちをうかがい知ることはできなかった。
ごぼうのように痩せ細った素足で井戸から地面へと降り立ったその女は、こちらに……画面に向かって一歩、二歩と歩み寄ってくる。
まるで、画面の向こう――私のいる所へと向かってくるかのように。
否――かのように、ではない。
ついに画面へと肉薄した女の手が……おお……画面の中から、飛び出したのだ!
「う……おお……」
本当に心底から恐怖した時、人間という生き物は悲鳴を上げることすらままならぬ。
私はただ、その場に突っ立っていることしかできなかった。
飛び出した腕はテレビのふちを掴むと、井戸から出てきたように全身を引きずり出そうとし、そして……。
――女の重量に負け、テレビが床に向かってぶっ倒れた。
しん……とした静寂が訪れる。
異常な事態に極限まで高まっていた我が心拍は、急激に平時の状態へ戻りつつあった。
……奮発して購入した我が家のテレビは、薄型超軽量であることが自慢である。
「あの……大丈夫ですか?」
こんなよく分からない存在に尋ねるのもどうかと思うが……。
ともかく私は、テレビの下敷きとなり枯れ木のような右腕のみをこちらに伸ばした女性へ問いかける。
「テレビって……こんなに軽かったっけ?」
「いやあ、最近のはどれもこんなもんだと思いますよ?」
テレビの下から響く、思いのほか若々しくて透明な声に、私はそう答えた。
「そうなんだ? ずっとこの中にいたから、わたし知らなくて……。
あの……テレビ持ち上げてもらっていい?」
「あ、はい」
テレビを持ち上げてあげると、画面からところてんを押し出すように先の女が床へ落ちていく。
「うう……ひどい目にあった……」
女はべしゃりと床に突っ伏していたが……。
やがてがばりと上体を起こし、長い黒髪を振り乱した。
そうすることで、ついに彼女の顔を見ることがかなう。
果たして、それは――私がこれまで見て来た中でも、抜群の美女……いや、美少女と呼ぶべきものであった。
少しばかり血色は悪いが、それすらも一種の魅力として感じられる。
少女はしばらく、ほうけたように私を見つめていたが……。
「本当に……ひどい目にあったよおおおおおっ!」
両目から涙を溢れさせながら、私に抱き着いてきたのである。
「ま、まあまあ……落ち着いて」
すっかり酔いもさめた私は、赤子をあやすように少女の頭を撫でてやった。
「わた……わたし……ビデオに憑りついた怨霊なんだけど……」
「ああ、うん、そういう類の存在なんですね……」
その割に、特に問題なく触れたりしているが……。
そもそも、幽霊に出会うなど初の経験なのだ。そういうものなのだと考える他にないのだろう。
「でも、最後に再生されてからもう長いこと放置されていて……!
一体、何があったの……!?」
「ああ、ビデオテープを見かけなくなって久しいですから。今ではもうDVDやBD……何ならば、ネットを介しての映像配信が主体なんですよ」
「それが何なのかは分からないけど、とにかく時代が変わったのね? チョベリバ!」
「その一言で、あなたがずいぶん昔の人間であるとよく分かりました」
彼女は私のワイシャツで涙をぬぐうと、テレビに接続されているビデオデッキへ歩み寄る。
そして、そこからさっきのビデオテープを取り出すと……やおらそれを踏み始めた!
「くぬ……っ! くぬ……っ! こんなものに入ってたばかりに! 二度と戻るもんか……っ! このクソテープ!」
「はあ、何やら大変だったんですねえ……。
ところで、あなたお名前は?」
踏みにじるだけでは満足できなかったのか……。
少女は、テープそのものを容器から引きずり出してぐしゃぐしゃにしながら、私の方に向き直った。
「わたしはてい子……このビデオに憑りついていた怨霊で、映像を見た者の金運を奪うわ!」
「そうですか、てい子さんですか……。
それで、映像を見た者の金運を奪うと……」
少女――てい子さんの言葉を聞いて、私はにっこりと笑いながらこう言い放ったのである。
「――お引き取り下さい」
それがおよそ、一ヶ月前の出来事であった。
--
「ただいま」
帰って来た時、帰宅の挨拶をするようになったのはここ一ヶ月ほどで私に根付いた習慣だ。
何しろ、それまでは気楽な一人暮らしであり、挨拶したところでそれを聞く者など存在しなかった。
そんな私がただいまを言うようになったということは、すなわち我が家に同居人が生まれたことを意味する。
いや、生まれたという表現で正しいのか、どうか……。
何しろ彼女――てい子さんは幽霊であるのだから。
「ばっ!?」
我が家はワンルームマンションであり、ドアを開ければすぐさまリビング兼寝室兼仕事部屋兼書斎と呼ぶべき空間をうかがうことができる。
そこで何やら私のパソコンに向かっていたてい子さんは、こちらを見やりながら死人らしからぬ元気な声を上げた。
うむ、どうやら生まれたという表現で違和感はないようだ。
「ちょっと! こんな時間に帰ってくるなんて聞いてないわよ!?」
「ああ、今日は仕事が早めに切り上げられたもので……」
文句を言いつつも、てい子さんはパソコンの前から動こうとしない。
ははあ……どうやら彼女は、アレをやっていたようである。
パソコンの前……正確に言うとそこに仕掛けられたカメラの視界に入らないよう注意しながら、モニターの画面を遠目にうかがった。
そこに映っていたのは、テレビゲームの映像を出力したウィンドウ、カメラで移したてい子さんが映っているウィンドウ、そしてチャット画面のようにコメントが表示されているウィンドウである。
私が特に注目したのはコメントが表示されているウィンドウだが、そこには、
『親フラ』
『親フラきた』
『結構なイケボ』
『というか娘に敬語使っててウケる』
等といったコメントが新たに表示されていた。
「娘じゃない! 親じゃないから!」
幽霊なのに血流が存在するのか、とにかく顔を真っ赤にしながら抗議するてい子さんだが……それは悪手じゃないだろうか?
『じゃあ彼氏?』
『配信者なのに彼氏持ちとか』
ほらほら……。
案の定、食いついてきましたよ?
「彼氏でもない! こいつはそう! 呪い殺さない代わりにわたしへ機材を提供してくれている……そう、例えるなら――」
そこでてい子さんは、数秒考え込む。
相当にテンパっているのだろう……その先に彼女は、とんでもない爆弾発言を投下したのである。
「――後援者よ!」
『パパwww』
『堂々たるパパ活宣言www』
おお、リアルに草が生えている瞬間を初めて目にしてしまった。
「だから、パパじゃないって言ってるでしょうがー!」
画面越しに存在する人々も含めたこの場で唯一、ジェネレーションギャップにより言葉の意味を解していないてい子さんが絶叫する。
それにより、ますますコメント画面は盛り上がってしまったのであった。
おお、リアルに炎上している瞬間をも初めて目にしてしまったな……。
--
「もおー! 何でこうなるのよ!?」
数分間、カメラとマイクに向かって奮闘した後、諸々のウィンドウを閉じたてい子さんが虚空に向かってそう嘆いた。
「いやはや、帰ってくることを伝えておくべきでしたね」
てい子さんには、機種変更した後に処分が面倒でそのままにしていた旧機種のスマホを渡してある。
電話として使用することはできないが、アプリを利用してメッセージを送れば事前に防げた災禍であった。
共同生活をする上で、互いの予定をすり合わせることは極めて重要だ。今後は気をつけねば。
「それにしても、増えましたね――閲覧者数」
駆けつけ三杯というわけではないが……。
冷蔵庫から発泡酒を取り出しながら、私はそう告げた。
いかに炎上材料を注ごうとも、種火がなければそれが燃え上がることはない……。
さっきの炎上騒動こそ、ここ一ヶ月間てい子さんが努力してきた結晶であると言えるだろう。
「それもこれも、誰かさんのせいでおじゃんになるかもしれないけどね!」
ぷりぷりと怒るてい子さんは、テレビから出てきて――その下敷きとなっていたあの時の格好ではない。
フリマアプリを使って購入した衣服は、いかにも現代の女子といったコーディネイトであり、長い黒髪は媚び媚びのツインテールにまとめられている。
ごぼうのごとく痩せ細っていた体もすっかり血色が良くなっており、こうして見ているととても死人には見えなかった。
変化があったのは、彼女の姿だけではない。
我が愛すべきワンルームの内装そのものもである。
壁には、びっしりと吸音材が貼られ……。
窓は大きめの防音カーテンで覆われていた。
カメラに映らないよう部屋の隅へ移動させられたベッドがなければ、ちょっとしたレコーディングルームのようである。
全て、彼女の要望により購入し二人で設置したものだ。
パソコンに接続されたカメラやマイクも含めるとなかなかの出費であり、見た者の金運を奪うというのは伊達ではなかったらしい。
見た目のイメージチェンジ……。
ワンルームマンションの防音DIY……。
収録用機材の購入……。
これらは全て、ある目的のためにおこなわれたものだ。
そう……、
――動画配信。
……である。
「どうするのよ!? これで炎上騒動になったりしたら、わたしの『てい子ちゃんチャンネル』はお先真っ暗よ!?」
――『てい子ちゃんチャンネル』。
その名の通り、てい子さんが開設した動画チャンネルだ。
投稿する動画の内容は、いわゆるゲームプレイの実況配信である。
特筆すべきは、死人であることを活かした圧倒的な投稿速度だ。
何しろ、日中私が部屋にいない時間のほぼ全てを動画制作に捧げ、私が帰宅してからも有名投稿者の動画視聴及び研究に余念がないのである。
投稿する動画の本数も、クオリティの向上ぶりも、一般的な動画投稿者の及ぶところではなかった。
私の少ない人生経験でもそれなりに人と接する機会はあったが、そこで導き出された結論として、一部の天才を除き人間にはそれほど能力の優劣は存在しない。
あるとすればそれは、必死になれるかどうかの差であろう。
てい子さんは文字通り死に物狂いだ。
難点があるとすれば、狂うも何も、もう死んでいるということくらいである。
この情熱とひたむきさは、我が研究室の教え子諸君にも見習っていただきたいところであった。
「まあまあ、SNSを見てみましたが、案外、好意的に受け止められてるようですよ」
片手に発泡酒の缶、もう片方の手にスマホという現代のくつろぎスタイルとなった私は、怒りに震えるてい子さんにそう告げる。
それに、そもそもの問題としててい子さんには失念している事実があるのだ。
「――そもそもこのチャンネル、増えたと言っても登録者数は十人に満たないですし」
……このことである。
てい子さんが類まれなる努力と情熱を注ぎ込んできたのは、紛れもない事実だ。
しかし、それらを惜しみなく注いだところで必ず報われるとは限らないのが、この世の真実なのである。
「たったひと月で八人も登録してくれたのよ!?
見られもしないビデオの中で延々と待ち続けた二十年に比べりゃ、雲泥の差よ!」
「それはまあ、仰る通りですが……」
さすがはもう死んでしまっている女だ。ポジティブシンキングぶりが違う。
まあ、あらゆる意味でこれ以上に下はないという状況なのだから、そりゃポジティブにもなるというものだ。
「ほどほどのところで、諦めてもらえませんかね?
SNSにしろ動画サイトにしろ名義として登録してるのは私なんで、ちょっと不安を覚えますし」
「シャラップ! わたしは決して諦めないわ!」
てい子さんは部屋をうろうろと歩き回り、私が教え子たちへ講義する時のようにもったいぶって語り出す。
「ビデオテープのダビングを通じ、ネズミ算式に呪いを広げていく……。
この計画は、ビデオそのものが廃れてしまうという予想外のアクシデントにより頓挫したわ!」
「そんなこと考えてたんですか……」
「ええ、本来ならテープ映像の最後にその旨をメッセージとして入れておいたの……。
さておき、ビデオは廃れたものの、それは現代において映像メディアそのものも廃れたことを意味するかと言えば、答えはノーよ!」
そこでてい子さんは、びしりとパソコンを指さし、次いで私の手にあるスマホも指さした。
「むしろ、ネットを介してますます映像メディアはわたしたちの生活に強く根付いている!
雌伏の時こそ過ごしたけど……まさに今、時代がわたしを選んだのよ!」
「まあ、順調にいけばそうなりますねえ……」
実際の所、ひと月かけて登録者数は八人であるが。
「それで、どうするんです? 仮に登録者数が千人くらいに達したとして、その皆さんを呪うんですか?」
「何をバカなこと言ってるの!?」
動画配信で得た癖なのだろう……てい子さんは、ややオーバーリアクション気味に両手を大きく広げてみせる。
「せっかくわたしの動画を見に来てくれてる人たちに、そんなことするわけないじゃない!?」
「……さようでございますか」
――あんたこそ何バカなこと言ってるの?
その言葉を発泡酒と共に飲み込み、私は苦笑いを浮かべた。
どうやら、この間抜けな怨霊との共同生活はまだまだ続いていくことになりそうだ……。
ビデオを通じて呪いを振りまく悪霊がVHS絶滅によりもう死んでるのに命脈を断たれたので時代に合わせて幽Tuberとしてデビューした件 英 慈尊 @normalfreeter01
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