15.Happy Song

 睡蓮は日が昇ると花が開き、日が沈むと花を閉じる。

 昨夜話し合ったとおりに、今日は久しぶりのライブ配信の日。

 朝早く、蒼と一緒に、いつものポイントへ向かう。


「睡蓮の花が開いてきたな。いいねえ、大沼のこの夏の朝の感じ、俺、大好きだな」


 昨夜から緊張すると言っていた蒼も、ひとまず穏やかに落ち着いて微笑んでいる。

 既にカメラを向けて、水面に揺れる白い睡蓮たちを撮影している。


「睡蓮を撮りながらの配信にしようか」


 花を開き始めた睡蓮の輝きが、あんまりにも綺麗なので、葉子はカメラを持っている蒼に問う。


「いいね。では、いまから配信スタートにする?」

「うん。準備するね」


 ライブで配信ができるよう、いつも持ってきている機材をセッティングする。


 蒼が葉子へとカメラを向ける。

 今日も葉子はジョギングウェア。最近は蒼も一緒に走るようになって、彼もお気に入りのウェアを揃えたばかり。

 今日の葉子は黒いスカート付きのスパッツパンツに、綺麗に咲いた桃色の睡蓮のような色のTシャツを着ている。そして動画配信の時には、いまもサングラスをかけている。


「準備はいいかな、ハコちゃん」

「はい、OKです。ダラシーノさん」


 写真集が発売されてから二ヶ月ほど。睡蓮が咲く夏になった。

 蒼が『キュー』の手合図を送ってきたので、葉子も息を整える。


「お久しぶりです、ハコです。本日は北星さんが撮影していた場所、そして、三年前に私が唄い始めたいつものポイントへと向かっています。撮影はダラシーノさんです。いま、ふたりで向かうところだったのですけれど、睡蓮があんまりにも綺麗なので、散策しながらのライブ配信をすることにしました」

「おはようございます。撮影しているダラシーノです。ハコちゃんと一緒に大沼の水辺を歩いているところです」


 スマートフォンで自分のライブ配信を確認しながら、葉子と蒼は黙ってしばらく歩く。その間に、蒼が睡蓮が浮かぶ水辺を撮りながらゆっくり歩いている。


「いま、陽射しがでてきて、花が開き始めたところですね。このあたりは、ピンク色の睡蓮の群生になっています」


*すごい、きらきらしてるね!

*夜は閉じちゃうんだっけ。それで夕方の睡蓮の時は、小さく見えていたんだね。朝はこんなに大きいんだ!


 コメントがちらちらを入り始めてきた。


*すっごい久しぶりのライブ配信だね。ということは、今日は唄ってくれるのかな。

*最近はレストラン関係が多かったから、楽しみ~。

*写真集みました! そしてレストランに予約を入れたんだけど、三ヶ月先までいっぱいでした😢 でも、秋の連休に行きます!! ちょうど紅葉の季節らしいので、楽しみです。予約の連絡、電話でしたんだけれど、どうやらダラシーノさん、篠田給仕長が直々に受けてくれました。すごく素敵な声で、いつものダラシーノさんじゃなかったのでドキドキしちゃいましたー

*俺も六月にご馳走になりました。十和田シェフの料理、すっごくうまかったし、店の雰囲気、景観抜群でした。こちらからの声かけにも、『ハコです』、『ダラシーノです』と笑顔で対応してくれて、ありがとうございました。でも動画配信と違って、ふたりともお仕事中だから、お邪魔にならないようにと思って……、いや、葉子さんも、篠田さんも、綺麗な佇まいのお仕事をしていたので、それに魅せられちゃって、客の自分も動画視聴者モードではなく、フレンチレストランにやってきたゲストモードにしかなれませんでした。でも、ゆったり静かな素敵な時間を妻と過ごせて、彼女も大喜びでした。また行きます!!



 コメントのとおり。最近は、視聴者だったり、写真集を購入してくれた人々がレストランに訪れるようになった。

 父自らの企画『写真集をお持ちくださった方、ご購入特典として、お好きなドリンクをお一人様にお一つサービスします』という告知をしてから、さらに予約が入るようになった。


 最初は視聴者経由でこられたゲストも『あなたがハコちゃん!? 北星さんが撮影したお写真のころより大人っぽい』とか『あなたがダラシーノ!? 声のイメージと違うけれど、クレープフランベの時に感じたとおり、かっこいい』と、対面できた喜びで賑やかになる。だが食事のサービスが始まると、不思議とお客様のほうから、厳かに受け止める様子へと変わっていくのだった。


 静かに優雅に父の料理を味わって、大沼湖畔にあるフレンチレストランの時間に空気に溶け込んでくれる。楽しんでくれる。

 またそこには、流麗なサービスでもてなす上品なメートル・ドテルの蒼と、セルヴーズの葉子の慣れた対応にも、お客様として、優しい笑顔を見せてくれる人々たち。


 そんな日々を送っていた。


 動画配信も、レストラン関係のものが主流になりつつあるが、たまに休憩時間に葉子がギターを手習い程度に弾いて適当に唄っている動画を、いまも続いている『休憩タイム・ハコ』で配信したりもしている。


 肩の力を抜いてまったりとした配信を続けていた。

 予測していたとおり、写真集の発売も落ち着き、不定期配信となったことで視聴者の数も閲覧数もがくっと減った。いまここに来てくれるのは、ほんとうの根強いファンで、心から応援してくれる方々だと葉子は思っている。


 そんな方たちに、今日は伝えたいことがある。


 そんなコメントもちらっとひと目だけ確認して、葉子と蒼は水辺を歩き続ける。もうすぐ、いつものポイントへ辿り着く。

 蒼のカメラアングルは、いつも秀星がカメラをセットしていた方向へと固定される。


*あ、いつものポイントだ!

*あんなふうな散策道を通ってきていたんだね。

*今日も駒ヶ岳が綺麗だね。


 馴染みの風景となったここ、そして、三年前に唄い始めた位置へと葉子は立つ。


 蒼のカメラが、いつもの風景と葉子を映している。


「到着です。三年前、北星さんが亡くなったここで唄い始めました。睡蓮が咲く少し前ですね。今日はですね。北星さんに報告があってここに来ました。そして、それはいつも応援してくださる皆様へのご報告ともなります」


 葉子の背後には、大沼の湖、青い空に駒ヶ岳。夏の朝のそよ風に、水辺の優しい音が聞こえている。

 そこで葉子はサングラスをとりはらい、素顔でカメラへ向かう。

 構えている蒼が非常に緊張しているのがわかった。葉子もドキドキしている。


*なんだろ。報告って

*まさか。このチャンネル、とうとう閉じちゃうの?

*なに。ハコちゃん……、今日は顔出しして、すごい真剣な顔……


 視聴者にも不穏な空気が漂い始めているその時に――。


「あの、」


 蒼ほど緊張なんてしていないと思っていた葉子だったが、いざとなったら心臓がバクバクしはじめて自分でも驚いている。


*やっぱり、やめちゃうの!?

*俺、唄も楽しみだったけど、いまは『フレンチ十和田』の大ファンだから、それだけでも続けて!! ハコちゃんもう閲覧数とか関係ないんでしょ。残っている俺たちだけでも楽しめるよ!

*なんで今日はダラシーノ静かなの!? いつも変な邪魔な声、入っているところじゃん!?


 確認しいてるスマートフォンから、そんなコメントが見えてきて、葉子は慌てるように叫ぶ。


「先日、ダラシーノさんと入籍をいたしました! 今後は夫妻での活動になりますが、よろしくお願いいたします!!」


*え!? いま、なんて言ったの!?

*うわーー!! やっぱり、そうだったじゃんか!! やっぱりつきあっていたんだ、ふたりとも!!

*このまえ、レストランでふたりを見た時はぜんぜんそんな感じしなかったけど、動画ではきっとそうだって思っていたら、やっぱり!!

*おめでとう! そうだと思っていた!!

*よかったね!! そうなったらいいと思っていた!! そっか……、それで北星さんに報告に来たんだね……。きっと喜んでいるよ。後輩と最後の教え子が結婚するなんて……。

*なるほど。北星さんがご縁だったってわけか!


 わーーとコメントが入ってきている。蒼がそわそわしているのがわかった。


「みなさま、ありがとうございます。ダラシーノさんは、北星さんが亡くなった後に、神戸の矢嶋社長が大沼のレストランを助けるために派遣してくださった給仕長でした。ダラシーノさんも、先輩の北星さんが北国移住で選んだレストランということで、そこで働いてみたくなったということで、大沼に移住してくださったんです。北星が亡くなったあと、まだ途中だったセルヴーズの指導を引き継いでくださいました。ハコチャンネルのお手伝いも、手助けもたくさんしてくださったことは皆様もご存じのとおりです」


*ハコちゃん! ダラシーノのどんなところが好きになったの!?

*声が出なかった時に必死に支えていたじゃん。それだよね、そこら辺から愛だったよね!?

*それでダラシーノ、静かなのかよ! いつものやかましさはどうした(笑)


 葉子が手招きをすると、蒼がため息をつきながらやってくる。

 カメラマンをバトンタッチして、今度は葉子が蒼へとカメラを向ける。

 蒼も今日は堂々と『初顔出し』だった。彼の姿を知っているのは、これまではレストランに来てくれた人だけ。画面越しの方々とは初対面になる。


「えー、カメラマンのダラシーノこと篠田です。給仕長をしております」


*え、ダラシーノ!?

*ダラシーノも顔出しOKになったの!? ってか、めっちゃ男前じゃん。あの声から想像できない!!

*レストランで会ったことあるから、俺は驚かないけど、結婚とかは驚いた!!


「ハコさんと入籍をいたしまして、夫となりましたダラシーノです。これからも彼女を支えるオヤジとして生きていきます」


 ちょっと緊張しているからって『生きていきます』とか、なんか大袈裟な言い方になっていると、葉子はカメラを構えながら笑いを堪えていた。


「ちょっとどころか、彼女とはけっこうな年の差なんですけれど、仕事は僕がこれからも指導して、動画配信は彼女の感性を大事にして支えていきます。ハコのことも、フレンチ十和田のこともよろしくお願いいたします」


*ダラシーノじゃない!

*ダラシーノらしくない!

*そんな男前はダラシーノじゃない!

*そんな素敵な声はダラシーノじゃない!!


 すごい反動がコメント欄に一気に並んでいく。

 蒼もスマートフォンを確認したようで、ギョッとしている。


「いやいや、いつもの俺ですってば! ちょーーーっと緊張しちゃっていたんですよ!!!」


 いつものごとく、音声がビリッと割れたのが葉子にもわかった。


*それそれ! それがダラシーノでしょ。

*男前の佇まいとのギャップがすげえやかましさ!!

*やっと、いつものダラシーノと一致した~。なにそのギャップ……、まだ慣れないよ!!

*なに、しおらしくしていたんだよ。そんなの仕事だけにしておけよ!!


「だってだってだって、みんなのハコちゃんと結婚しちゃったもんですから。怒られるかなーーって、もう、一週間前から胃が痛いのなんの~。こんなオヤジがですよ、若い彼女をですよっ」


*のろけか

*若い彼女と結婚って、のろけか

*のろけるな

*ハコちゃんを大事にしろよ!!

*胃が痛いってタマかよ。意外と繊細だな


 いつもの手厳しいつっこみがまた並んでいたが、ここまできたら蒼もなんのその。


「えーえー、のろけですよ!! これからも、のろけちゃいますからね!! 幸せいっぱいハコチャンネルって名前に変えちゃおうかな!」


*やめろ、いままでどおりでいい!!

*のろけ禁止!!


「わかってますよ!! 今日はそんなご報告だけ! えー、レストランでは僕は篠田、彼女は旧姓の十和田を通称名にしておりますので、あしからず。では、皆様、大沼のレストランで妻と、シェフの舅とともにお待ちしております」


*わー、ハコパパが舅になるのか!

*よく認めたなシェフ。でも婿が給仕長って心強いのかもしれないな。

*大沼のレストランが安泰ってかんじで安心したー。また行くー。ほんっとにハコパパシェフの料理うまかったし、店の雰囲気もすんごく良いんだよー。ダラシーノあんなだけど、仕事をしている姿はかっこよくて一流だよ。ハコちゃんもすげえクール美人さんだし、綺麗な仕事姿だったよ。ここの皆も是非行って!

*本気で行きたくなってきた。

*行く。

*予約する。


 そんな温かなコメントに包まれるチャンネルへと落ち着いてきていた。

 これからは、こうして応援してくれる人々だけが残って、このチャンネルは細々と続いていくだろう。


 カメラを蒼と交代して、ふたたび葉子はいつもの位置に立つ。


「私も夫と父と従業員と共にお待ちしております」


 そして葉子は湖面へと向かう。蒼が撮影する位置を変え、葉子の顔が写る傍らへと水辺に跪いてレンズを向けてくる。


 秀星さん、今日も唄うよ。

 ギターを肩にかけ、ピックを手に。今日も名もなき朝のこの時間と場所で。


「北星さん、ありがとうございました」


 一礼をしてから、葉子は胸いっぱいに呼吸をする。


「今日は、西野カナ『Happy Song』――」


 幸せに生きていることに拍手をしたいから。

 その音があなたに届きますように!




後日談 シェフズテーブルで祝福を (終)

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