7.シェフズテーブル〈スープ〉
もともと内輪だけの食事会なので、シェフがもてなすといっても、ざっくばらんに、アミューズ、オードブルと和やかに料理が進んでいく。
狭い厨房のテーブルなので、よくある対面式の席ではなく、横並びに近い形になっている。中央に蒼と葉子が座り、双方の家族とコミュニケーションが取れる形になっていた。
母の深雪と蒼の席は隣り合わせで、葉子の隣は篠田の克実義父になり、それぞれ新しくなる家族との会話を交わして親睦を深める。午後の光が白樺の梢から差し込んできて、少し開けている窓から入ってくる風は、森と湖畔の匂いがしている。
「北海道 十勝産 メイクイーンのビシソワーズです」
スープの順にきて、スーツ姿の蒼と一緒に、それぞれの席にガラス皿で涼しげに盛り付けられた白いスープを、葉子も置いていく。
揃ったところで、葉子と父も席に着く。蒼だけが立って料理の紹介をしていく。
「北海道のジャガイモといえば秋が収穫というイメージですが、こちらは『よくねかせた』ものとなっております。秋の収穫後、春まで低温貯蔵で寝かすことで糖分と旨みが増します。また本州とは収穫時期が異なるため、五月の新ジャガイモの季節まで、なにか繋げる商品はないかということで生まれたといわれています。低温貯蔵の間にじっくりと糖度が増していきます。メイクイーンと言えば『煮崩れない』ことで知られていますが、煮物のためのだけの品種ではないことを、この甘みから感じとっていただければと思います。アクセントに、北海道産の『山わさびクリーム』をトッピングしています」
いつもの蒼の料理の意図と特長をきちんとアピールする説明に、篠田のご両親も真由子姉さんも、スープを眺めながら『へえ、そうなんだ』と興味を示してくれている。
ギャルソン、とくにメートル・ドテルは、シェフが最大限に食材の味をひきだしたものを、さらにゲストに興味を持って味わってもらうように仕掛けていくのも仕事でもあると、葉子は常々感じている。
秀星も生産者の顔と志、食材への敬意を忘れずに、最大限に味わってもらうための説明は怠っていなかった。
いま葉子は、それを蒼から学んでいる。
メートル・ドテルの説明が終わると、さっそくスープスプーンを手に取って、家族揃ってひとくち。
まず篠田の父が驚いた顔を見せる。次には真由子義姉が目を丸くした。
「ほんまや、甘いなあ」
「ほんと、甘い!」
最後は昴もふたくち目を味わって驚きを見せる。
「知っていたけど、こんなにおいしいんだ」
向かい席に座った父も自分がつくった料理に感心してくれる息子を見て、いつになく嬉しそう。
「だろ。北見地方も農産物が豊富だ。そうして自治体からアピールしていけ」
「簡単に作れる方法知りたいな」
「おう、まかせておけ」
もしかして息子のことも気にしていたのかなと、葉子は思ってしまった。
「ねかせる、の意味がよくわかっていなかったから、蒼さんの説明もわかりやすかった。メートル・ドテルって、食材の勉強をしていないと務まらないんだね。今度、オホーツクにも来てくださいよ。食材のこといろいろ知ってほしいし、教えてほしいな」
「もっちろん! は~、北見といえばハッカだよね。ハーブも豊富だし、玉ねぎもいいよなあ。あ、流氷も――」
そこで葉子と昴は、少し前に姉弟で『ぜったい、こうやって騒ぐよ、ダラシーノ』、『わかる、わかる。きゃーってなる』と面白がっていたので、ドキッとした顔を揃える。
「ぜーったいに行く!! 生きているうちに、もしかして流氷を見られちゃう!? わーーー、いまから興奮しちゃうな、お兄ちゃん!!」
あ、やっぱり、めちゃくちゃうるさい――と、弟と顔を見合わせてしまった。
「ちょっと、蒼。ほんっとに、うるさいからやめなよ、もう」
お姉さんも『私のこと言えるかっ』と呆れているのに、蒼はまだまだ昴に向けてダラシーノモード全開でかかってくる。
「流氷っていったら、ガリンコ号だよね!! それに乗ってさ、氷の海をガリガリ進んでさ、クリオネを葉子ちゃんと見てさ、『かわいいね』ってロマンチック~!!」
女性ではない若くもないおじさんが『ロマンチック~』とほんわりした顔になったので、昴ではなく、そばでスープを味わっていた父が吹き出しそうになっていた。
「おいおい、葉子が言うならまだしも。男の蒼君から言うってなんだよ、もう」
「おやおや? お父様わかってないですね。気がついてませんか。そちらのお嬢様『ロマンチック~』ってやつに、まっっっったくもって! 憧れがないんですよぅ。婚約指輪だって、どんなものがほしいって全然なかったみたいで、だから俺が勝手に選んじゃったんですけれど、それでも『嬉し~素敵~』って気に入ってくれて、ほっとしていたんです。ですからっ、これからも、お兄ちゃんの俺が『ロマンチック要素』もリードしてですね、素敵な思い出をふたりで作ろうって思ってのことなんですよっ!」
その会話に、母の深雪も割って入ってきた。
「蒼君、よくわかったわね。そうなのよ。葉子はそういう『女の子の憧れ』みたいなものに対して希薄なのよ。そういうの、どんどん連れ回してあげて」
「了解っすよ。ママさん!! 篠田蒼、葉子ちゃんを連れ回す許可をいただいちゃいましたっ!!」
また調子よく敬礼なんてするもんだから、母と昴が、父でさえも揃って笑い出していた。
それでも蒼が少し神妙になって、静かな微笑みで付け加えた。
「女の子としての憧れがなかったというのは、葉子ちゃんは、それよりももっと好きなことがあったからだと思ってます。唄うことへ、すべての憧れと夢と希望を向けていたからだと――。そのエネルギーが、秀星さんの名もなき写真に命を吹き込んだ。そういうところ、ひっぱられてしまったのは俺のほうなんですけどね。シェフの料理もそうです。遠い北国で家族同様に過ごしていた人を亡くしても、淡々と、でもひと皿に誠心誠意を込めて料理を続けていた。そんなお二人の姿が、『どうして、なんで』と痛くてたまらなかった俺の心を奮い立たせてくれていたんです。そのうちに、一緒に働きたいと思うようになっていて――」
賑やかだった席が急にしんみりとしていた。
蒼がはっと我に返った顔になった。
「わーははっ! 俺ってば、ちょーーーっとばかり真面目になっちゃいましたね。わーははっ!!」
わざと大声で笑い飛ばす、そういうところ。滑稽におどけて自分がおかしく見られても、この場を元気よくするためならピエロぽくなるのも厭わない。そういう優しさだと葉子は思っている。
なのに、スープが終わった皿を父がじっと見つめて、真顔で呟いた。
「いや……、蒼君はよくやってくれた。葉子が掴もうとしているものを掴めたのは『ダラシーノ』がいたからだ。俺もだ。秀星がいなくなったホールの空虚感を、柔らかに温かく戻してくれた。そんな十和田を支えてくれた蒼君には感謝している。これからもこの店も娘も頼むな。次の料理、行ってくるわ」
いつもは漫才コンビみたいにぽんぽん言い合っている相棒に、滅多に語らない本心を伝えて照れくさかったのか。父はすっと調理に消えていく。
そこで母もふっとため息をついていた。
「ほんとのことよ。蒼君がいてくれなかったらと思うと……。葉子の動画配信もハラハラしていたけれど、私も……秀星君が、毎日毎日、あそこで写真を撮っていたこと……見ていたから……。意味が残せるなら、そうしてあげたいって。でも、私はなにもできなくて……」
「なにいってんすか。深雪ママも、葉子ちゃんがすることをどーんと受け止めて後方支援していたじゃないですか。おなじ動画に出演するということが、俺にはできたからサポートしていただけで……。俺も、先輩の写真に毎朝『いいね』をしていたもんだから、それが世に出るならとおなじ思いでしたよ」
「秀星君は、ここまでしなくて良かったといいそうなんだけれど――」
いつも気丈な母が涙ぐんだので、隣にいる昴が母の肩を包んで背をさすってなだめている。
十和田と息子のやりとりを静かに見守っていた篠田家も、しんみりしてしまっていた。
そこへ真由子義姉が言い出す。
「父さん、もうええんやないかな。ここで出してあげたらええと思うんよ」
なんのことだろうかと、隣り合って座っている蒼と葉子は顔を見合わせる。
「ほうやな。めでたい席じゃけん、哀しくなる話は後にしようと思うてたもんがあるんだわ」
「なに、父ちゃん……、姉ちゃんまで……」
蒼が怪訝そうにして、広島の家族がなにかを準備してきたことに構えている。
「母さん、あれ、出してくれんかね」
「そうやね」
「私も持ってきたけん、出すね」
珠代義母と真由子義姉が、ハンドバッグから綺麗にハンカチーフに包まれているものを揃って出した。
それを真由子義姉が揃えて席を立ち、蒼と葉子が並んでいる席へと来てくれる。
まだスープの皿が残っているそこへ、二組の包みを置いてくれた。
「秀星さんが、うちと実家に毎年送ってくれていた年賀状」
真由子義姉が告げたことに、葉子は息を止めた。
珠代母が『秀星さんが送ってくれた年賀状そのものやねえ』と、ホールから見えていた景色を見て微笑んでいた時に『送っていたんだ。律儀な秀星さんらしい』と葉子が思ったものが、そこに現れた。
「大沼のこと、書いてあるから。そのことを、蒼にも葉子さんにも、十和田の皆さんにも知っておいてもらったほうがいいね――と、父さんと母さんと決めて持ってきたんよ」
蒼も戸惑っているのか、表情が強ばっている。
葉子もだった。急に心臓の脈拍が早くなっている。
そこにまた、死去した男の声があるからだ。
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