6.北国の薫り、瀬戸内の風〈アミューズ〉


 店のドアが開いて、蒼とご家族がレストランへと入ってくる。


「ほんとうに、ほんとうに、うちらのために貸し切りなん! しかもシェフ直々のコース料理なんでしょう。こんなの初めて、素敵!」

「ええ雰囲気の店じゃのう。すぐそこが湖とでっかい火山が見えとったわ! えーやんか、えーやんか!!」

「もう、お父さんも、真由子も静かにせんといかんよ」


「だから、もう。静かにしてっ。あ、」


 賑やかな家族に目をつり上げていた蒼が、ホールの入り口で葉子と昴が待っていることに気がついた。


「いらっしゃいませ。遠いところから、ありがとうございます」

「いらっしゃいませ。初めまして、葉子の弟の昴です」


 紺のプリーツドレスにエプロンをしている葉子と、黒のスーツ姿の弟を見つけた篠田家が一気に静かになった。


「給仕長、いまウェルカムドリンクをお渡しするので、先にホールでお休みいただいたらいかがでしょう」

「いや、葉子ちゃん。今日は給仕長はやめてって」

「あ、そうでした。蒼さん……」


 うっかり職場用の言葉遣いになっていて、蒼のことをそう呼んでしまっていた。

 横で昴が『くすっ』と笑む声をこぼしたのも聞こえてきた。


「ウェルカムドリンクをご用意しております。アルコールは大丈夫ですか? お好みを教えていただければ、ソフドリンクもございます」


 葉子の案内に、また蒼が顔をしかめている。


「だから、葉子ちゃん。今日はサービスの仕事をする日じゃないから」

「あ、つい」

「昴君も、昨夜から手伝いありがとうね」

「いいえ、父が厨房でするなんて言い出すもんだから、蒼さんも手間が増えたでしょう」

「いやいや、もう! シェフズテーブルなんて日本でも滅多にないことを家族のためにやってくれるなんて、もう~おじさんも張り切っちゃっていたから大丈夫! それより昴君、ちゃんと休めたかな? 帰省してすぐにお手伝いさせちゃって。オホーツクから来てくれたのに、おじさん、もう、それだけ気になっちゃって!!」


 自覚があるのか、昴の前ではいつも以上に『おじさん、おじさん』と言うので、弟も苦笑いをこぼしている。なのに義弟になるからなのか、義兄になる蒼に平然と返す。


「いや、俺、若いんで大丈夫です。そこのところは、これからも兄ちゃんを助けていくから、遠慮しないで」


 砕けた言い方で返してもらえたからなのか、また蒼の顔がきらきらっとこの上ない笑顔になったので、葉子は『あ、耳塞ごう』と手をあてた。


「ちょっと!! 昴君、俺のこと、いまいまいま、兄ちゃんって言ってくれたよね!!」

「いや、だって、俺の兄ちゃんになるんでしょ」


 昴としては『おじさんなんて言わなくていいよ』という気遣いのつもりだったはずなのに、想像以上の反応が返ってきて戸惑っている。


「俺! 兄ちゃんって呼ばれるのめっちゃ憧れだったのね! えー、俺ってば、ついに兄ちゃんデビュー!? ね、ね、聞いてくれた?? 末っ子の俺が『兄ちゃん』!!」

「うるさいのおまえのほうやんけ! 昴さんがびっくりしとるやろが」

「蒼もうるさいやん!! 興奮しすぎ!!」

 父と姉から逆に窘められても、久しぶりに対面した昴から『これから兄弟』として初めて接してもらえた感激で、蒼はもうひとりでキャッキャしている。


「いやー、なるほど。ダラシーノで間違いないな。姉ちゃん、毎日、あんな感じで一緒なんだ」

「慣れちゃったけどね。最初はうるさかったんだけど、いまはこのお店の元気の素だから」


 最後に母親に『蒼、騒いでいないで、しっかりしなさい。お兄さんなんでしょ』と注意をされて、やっと我に返ったのか、大人しくなった。


「葉子ちゃん、俺も手伝うからボトルを開けてもらえるかな」

「はい」

「あ、そうだ。昴君、うちの父と母、それから姉です。今後もよろしくお願いいたしますね」


 蒼の紹介に、昴も一度緩めた姿勢をきりっと正して『こちらこそ、よろしくお願いいたします』とお辞儀をしている。


「蒼の父です。落ち着きがなくてやかましい歳が離れた兄貴になると思いますが、困ったことはなんでも相談してやってください。こちらこそ、よろしくお願いいたします」


 方言全開で騒々しく入ってきたのに、そこはもう、すっとした佇まいで品良くご挨拶をしてくれる篠田の義父。

 こんなとき、葉子は『あ、やっぱり蒼のお父さんだ』と感じる。

 広島でもそうだったからだ。出迎えてくれた時のひび割れんばかりの歓喜の声に葉子は飛び上がり、なのに葉子と目が合うと『いらっしゃい。蒼の父です』と静かに挨拶をしてくれた時に、蒼との血の繋がりを感じたのだ。

 蒼の父も背が高くすらっとしている。顔も蒼に似ていた。なのにその細身から、どうやってあのパワフルな大声が出るのかと思ったりする。お母様は小柄で品がある。

 蒼の男としての佇まいも、その気になったときの品格も、ご両親から受け継いでいるなと感じられる。

 お姉様も蒼同様に、あっけらかんと育ててもらってきたのか、元気いっぱい、情が厚い人情味のある姉御肌。歳が離れた弟がかわいいというのも伝わってくる。時にあまりにも子供扱いをされるので、余計に蒼が『俺はもう子供やないんじゃけん』とムキになるのも、なんとなく、葉子の父との掛け合いに似ているな、というのも発見してしまった広島訪問であった。


 弟との挨拶も落ち着き、いつもはゲストを案内しているテーブルに座ってもらう。


 お客様のいないホールは広く静か。上から下までガラス張りになっている窓の向こうは、白樺木立と新緑が息吹く森林に湖畔と、青空に駒ヶ岳。今日は湖沼の水面も青くキラキラ輝いていた。


「わあ、素敵やね! ええねえ、蒼、毎日、こんなええところで働いているんやね。そりゃあ、帰ってこんわ」


 義姉の真由子が座ったまま見える景観に、すぐに感嘆の声をあげてくれた。

 葉子もウェルカムドリンクのシャンパンを、蒼と昴と一緒に準備をして、テーブルへと持って行く。

 広島のご家族がテーブルにて落ち着いたところを見計らって、昴が両親を呼びに行ってくれた。


「ほんとね。秀星さんが送ってくれた年賀状そのものやねえ」


 ほっとひと息ついた義母も、外の景色に目を細めていた。


 年賀状――送っていたんだと、葉子は初めて知る。

 しかも大沼の写真をハガキにしていたようだった。


 そこにエプロンをしたままの父とスーツ姿の母が、昴に呼ばれてやってきた。


「いらっしゃいませ。お待ちしておりました。初めまして、葉子の父、十和田政則です」

「いらっしゃいませ。葉子の母、深雪です。遠いところから、こちらまで来てくださって、ありがとうございます」


 両親の挨拶に、テーブルに落ち着いたばかりの広島のご家族も席を立ってくれる。


「蒼の父、篠田克実かつみです。本日は私どものために、大事なお店で、特別なおもてなしをご準備くださいまして、ありがとうございます。たのしみしてまいりました」

「蒼の母、珠代たまよです。お父様とお母様、そして遠いお勤め先から駆けつけてくださった昴さん、本日は息子の蒼とわたくしたちのために、ありがとうございます。素敵なところで感激しております」

「蒼の姉、真由子です。こんな素晴らしいおもてなしをご準備くださって、ありがとうございます。歳は離れていますが、今後も葉子さんの力になれる姉になりたいと思っております。よろしくお願いいたします」


 丁寧で礼儀正しいご挨拶に、父と母も恐縮している。


「こちらこそ、まだまだ未熟でふつつかな娘ですが、蒼君だからこそ安心して任せられると思っております。この店にもなくてはならない存在です。蒼君と娘、そしてわたくしと妻が日々暮らしている場所と店です。本日はどうか、これからご親族となります篠田の皆様に、この場所と私たちの日頃の暮らしを感じていただければと思ってご準備しました」


 父の本日のもてなしの意図を知り、篠田のご家族も嬉しそうな笑みを見せてくれている。


「あと十五分ほどお待ちいただけますか。スタートできるようになりましたら、妻がテーブルに案内してくれます。それまでお休みくださいませ。申し訳ありません、いま、準備中ですので、厨房へ失礼いたします」


 一礼すると父はさっと厨房へと下がっていった。

 落ち着きないシェフ父のフォローを母がしてくれる。


「本日は主人の意向で、本人自ら調理をする食事会になりまして慌ただしくなって申し訳ありません。お夕食は函館の寿司店を予約しておりますので、その時にまた両家でゆっくりお話できたらと思います」


 真由子義姉が『きゃ、函館のお寿司だって』とさっそく嬉しそうに反応してくれたが、蒼が『姉ちゃん、喜びすぎ』と睨むと肩をすくめておどけている。こういうところも、蒼の明るさは遺伝なんだなあと葉子は感じている。


「シェフズテーブルなんて初めて聞きました。息子がギャルソンを長く勤めてきたので、それまでの勤め先でも食事をしてきましたが、フレンチレストランに行くのはそれぐらいでした。ですが、お嫁さんになる葉子さんのご実家がフレンチレストランでお父様がシェフということで、この度は、ほんとうに私どものために特別なお席を準備くださってお礼申し上げます」


 蒼の父の言葉に、義母も義姉も笑顔でうんうんと頷いている。


「嬉しいわあ、フレンチレストラン貸し切りのうえに、シェフが目の前で調理してくれるシェフズテーブルに招かれるだなんて、もう~楽しみすぎて、ご近所さんにもママ友にも自慢しまくってきちゃったんですよ」


 やっぱり感情が溢れ出てしまう真由子義姉が空気を賑やかにしてくれる。


「ちょっと姉ちゃん、厨房できゃあきゃあ騒がないでくれよ」

「なんで。どうせ普段は蒼が騒々しくしちょるんでしょ」


 正解なので、葉子は思わず笑っていた。母もだった。

 それを見た真由子義姉が『ほうら、葉子さんもお母様も、そのとおりって笑ってるじゃん』と勝ち誇っている。


「ああ、もうっ。函館空港からここに到着するまでの父と姉の興奮状態ったらもう。はあ~、めっちゃ気力吸い取られたわ」


 げんなりしている蒼にも葉子は笑わずにいられない。

 いつも元気いっぱいのダラシーノも、家族の中では元気レベルはまだまだお父さんとお姉さんには敵わないようで『いちばん年若い蒼くん』になってしまうようだった。

 そのぶん、お母様の珠代は、そばにいて『うふふ』とひっそりと控えていて、ほっこりした雰囲気を作り出していた。


 厨房の準備が整い、母の深雪が篠田家をテーブルへとご案内する。

 黒いパンツスーツ姿の母のほうが、今日はディレクトールに見えてしまうほどだった。


 厨房には窓がないことが多いが、フレンチ十和田の厨房はホールとおなじ景観が見える窓がある。それでも厨房の窓は小さなもので、給仕長室と同じく、白樺木立の向こうに、湖と駒ヶ岳が透けて見える角度だった。そこから白樺の木漏れ日がキッチンの床を明るく照らしている。

 その窓辺に蒼とセッティングしたテーブルがある。


「わあ、素敵」


 真由子義姉が、うっとりした微笑みを見せてくれた。


 そこではもう、エプロン姿の父と、いつものコックコート姿のスーシェフとパティシエが忙しそうに動き回っていた。


 給仕は蒼と葉子で行うが、料理が揃ったら、そこで座って全員で食事をする流れになっている。


「蒼君、アミューズを頼む」

「はい、シェフ」


 今日は父の料理を運ぶのも、普段そうしている蒼と葉子が担当する。

 その間、テーブルは母と昴がお相手をしてくれている。


 いつものように、蒼と一緒に父のひと皿を手にテーブルへと向かう。

 それぞれの席に白いスクエア皿を置いてから、家族が集うテーブルの真ん中に二人で立つ。


 今日は蒼も葉子も紺色で揃えていた。

 紺スーツに爽やかな水色の小紋ネクタイをしている蒼と、紺のプリーツドレスに一粒パールのネックレスをしている葉子が並ぶ。


「アミューズです。ワンスプーンでひとくちのお楽しみとなっております」


 義母と真由子義姉が『きれい』と目を輝かせてくれている。

 蒼がいつものメートル・ドテルの姿で家族に向かう。

 普段は賑やかでお喋りな息子が、すっとした佇まいで仕事の姿を見せたからなのか、篠田の義父も義母も、真由子義姉も神妙な顔つきになって、こちらを見ている。


「旬になったばかりの北海道噴火湾のホタテと、広島産のレモンのジュレのワンスプーン。もうひとつは、同じく噴火湾であがった牡丹海老と瀬戸内産の清美オレンジのジュレのワンスプーンとなっております」


 それを知った篠田の家族がはっと気がつき、顔を見合わせていた。


 父もおなじだった。北海道産と瀬戸内産のものを併せたメニューを考案していた。『当日のメニューだ』と三日前に父から知らされた時、舅になる男もおなじ事を考えていたと知った蒼が感激していたのを、葉子も思い出す。


 想いはひとつだった。


 そして蒼は、ともに寄り添っている葉子をそばに、テーブルにいる家族へと告げる。


「これからも両家で末永く家族でいられるよう、葉子とともに歩んでいく覚悟です」

「蒼さんと共に、支え合っていきます」


 まずこの挨拶をしようと二人で決めていたから、食事が始まる前に二人揃ってお辞儀をした。


 すると、葉子のそばにエプロンをしている父も並んでくれる。


「食材も土地ものに大きな違いはありますが、ひとつの味にできるように、私も広島のご家族と、ひとつになれるようにしていきたと思っております。婿と娘の夫妻を見守っていきます。蒼君も大事にいたします。娘ともども、よろしくお願いいたします」


 これから家族になる者たちのテーブル。

 そこには、北国北海の潮の薫り、瀬戸内の柑橘の風が吹いていた。

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