この恋は、きっと叶わない。そう思っているけれど。

野菜ばたけ『転生令嬢アリス~』2巻発売中

第1話 いつもと同じ、そんな私を裏切る声は


「――あぁ、そっか」


 口の端から、そんな言葉が唐突に溢れた。



 好きだけど、好きだからこそ分かってしまう。

 この恋は、きっと叶わない。



***



 定時後のオフィス。

 誰かの会話や電話の呼び出し音、そんなものが一切消えて、今このフロアに聞こえるのは私が叩くキーボードの音だけだ。


 みんなが居る時間帯よりもこういう時の方が仕事が進むのは、周りからの茶々が入らないからか、それとも自身の集中力の問題か。

 どちらにしても捗るので、どうしたってこの時間まで残ってしまう。


 ……いや、半分嘘だ。

 確かに捗るからと言う理由もあるけど、それだけじゃない。


「お、きょうもやってんな、相変わらず」


 そんな声と共に、机の端にコトリと缶コーヒーが置かれる。

 そんないつも通りの出来事に、私はパソコンのディスプレイから視線を外さずに答えた。


「何? また『社畜だ』って言いたいの?」

「だって間違ってないだろ」


 私の声に笑いながらそう答えるのは、私の同期。

 そして、好きな人。


 入社からかれこれ5年もの付き合いの男だ。


「今日はどこの?」

「K電子」

「あぁあそこか。あそこの担当細かいからなぁ」


 そんなやりとりの端で、カシュっという軽い音が聞こえた。

 ちょうどキリのいいところまで打ち終わったのでその音の方へと視線をやれば、缶を上から掴み、人差し指にはちょうど引き上げた直後なのだろうプルタブが立っている。


「――カッコつけ」

「はぁ? 何が」

「片手でコーヒーを開けるやつ」


 そう指摘してやれば、彼が「あぁ」なんていう納得声を上げた。


「これは癖だよ癖」

「アホか、アンタが一生懸命練習してたの、隣でずっと見てたでしょうが」


 入社して少しした頃、なんかのドラマで見たとかで「これを身につけて俺もカッコよくなるぜ!」なんて、非常に頭の悪い事を言っていた。

 

 覚えてるぞ。

 そう言いながら机に置かれた差し入れの缶を手に取り、私は普通に封を切る。

 そして座ったままで彼の方に視線を向けると、彼は「残念」と言って、全く残念じゃなさそうにニカッと笑った。



 背広姿の彼は、定時内のパリッとした姿はどこへやら。

 ネクタイを緩め、首元のボタンを開け、背広の前ボタンも全開にして、課長の机に腰をかけている。


 アホで、カッコつけで、お調子者で。

 そんなこの男が、私は好きだ。



 いつからかとか、そんな事は覚えていないし、もしかしたらそんな明確な線引きなんて最初(はな)から無かったのかもしれない。

 

 気がついたら好きになってた。

 まぁ多分、叶わぬ恋なんだろうけど。



 残業をする私のところに、誰も居なくなった頃に決まっていつも缶コーヒーの差し入れを持ってやってくる。


 これが私と彼の日課だ。



 最近は、職場でも段々と中堅になりつつある。

 仕事も増えて忙しくなり、同期の集まりも減った。

 別のプロジェクトだから、最近では彼と話をするのなんてこの時間くらいしか無い。


 彼はいつもこんな風に様子を見にやってきて、私と15分くらい話をしてから帰途につく。

 前に「暇なの?」と聞いたら「寂しい独身者だからな」と言ってからイーッていう顔をしてきた。


 彼女が家で待ってる癖に。

 そう思ったけど、指摘はしなかった。



 彼に『最愛』が出来たのは、かれこれもう3年も前の事だ。


 その日は唐突にやってきた。

 いつもと違ってソワソワとしながら仕切りに時計を確認する彼に、別の同期がこう言った。


「お前なぁ、彼女が家で待ってるのは分かったからちょっと落ち着けよ」

「えっ、何で分かったの?!」

「え、マジなの?」


 どうやら同期は彼にカマをかけてみただけだったらしい。

 いいなぁとぼやく同期に、彼ははにかみながらこう言った。


「可愛いんだよ、これが」


 その表情は、それまで一度も見たことのない彼の一面だった。

 だから唐突に分かってしまったのだ。


 ――あぁ。

 私の恋はもう叶わない、と。

 



 それから少し時間を置いて、私は「まぁ仕方がないか」と思えるようになった。


 そもそも私は、外見が良い訳でもなければ、性格だってそう良くはない。


 人の顔色を見て、取り繕って。

 頑張ってるつもりだけど、要領が悪くて結局定時後もこうして仕事をしているのだ。

 みんなが帰った後で。


 そんな私だ、「所詮私は彼には釣り合わなかった」と思って諦めるのは、そんなに難しい事ではなかった。

 まぁ、そうは言っても彼だって別に、そんなに顔が良い訳でも無ければ性格が良いばかりでも無いんだけど。



 しかしそれでも、彼とのこの時間は密かな私の宝物だ。

 叶わない恋だと分かっていても尚、この時間を楽しみに思い、大切に思ってる。

 諦めた癖にホント矛盾してると思うけど、きっと人の心なんてそんなものだ。



「なぁ、まだ仕事やってくの?」


 15分の休憩時間の終わり、彼はいつものようにそんな風に尋ねてくる。

 私はそれに、やはりいつものように「うん、もうちょっとだけね」と答えた。


 すると彼は「ふぅーん」と言って、それから課長の机から腰を上げる。


 きっとこの後は、いつもの様に「じゃ、俺は帰るわ」とか言って――。


「じゃ、ちょっと待ってるわ」

「……え」

「だから、終わるまで待ってる」


 いつもと違う事を言う彼に、私は思わず怪訝な顔になってしまった。

 

「どうして」


 一体どういう風の吹き回しだ。

 そんな言葉を心の内に抱きながらそう問えば、彼はぶっきらぼうな口調でこう言った。


「だってお前、いつまで経っても『一緒に帰る』って言わないし」


 何を言っているんだコイツは。

 それじゃぁ私と一緒に帰りたいから毎日こんな時間に差し入れに来てるのだと聞こえてしまう。


 いや、きっと思い過ごしなんだろうけど。


(この男、カッコつけ属性と気遣い屋属性に加え、ついに天然タラシ属性まで……)


 なんて、気遣いの象徴である空の缶の丸さを親指でなぞって確認していると、隣からドサッという音がする。


「一緒に帰らないと『じゃぁついでに晩飯どっかで食ってくか』って言えないじゃん」


 そんな風に、彼が言った。


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