君が鬼でも僕は猫だから

鵠矢一臣

第1話



「……アルド。……アルド!」



 名前を呼ばれた気がして黒猫は目を覚ました。

 そこはどこか見覚えのある室内であった。

(ここは……?)

 まだ少しぼんやりしたまま、フカフカの敷布の上で仰向けに伸びをする。

(いい気持ちだな)

 窓から差し込む柔らかい光に思わずウトウトしてしまう。

聞こえてくるのは人間の母親が食事を作る音、父親がコップに飲み物を注ぐ音、そしてあどけない少年の呼びかける声。

「起きてよアルド。ナデナデしてあげる」

 少年は黒猫を覗き込むようにしながら屈託ない笑顔を見せている。

黒猫は返事の代わりに目を細めながら、どうしてこんなにも幸せな気持ちで満たされているのか考えていた。

(そうか、ここはクロノス博士の……)

「ねぇ、アルドったらぁ」

 猫の反応の薄さに業を煮やしたのか、少年は黒猫に手を伸ばそうとした。それをキッチンから母親の声が優しく諭す。

「だめよエデン。気持ちよく寝てるんだから邪魔しちゃ」

「はーい」

(エデン……。そうだ、エデン!)

 黒猫は何かに突き動かされるような衝動を感じて起き上がった。

「あ! アルド起きたよ!」

 そして猫は、少年の小さな膝に何度も顔を擦り付けて鳴き声を上げる。

(会いたかった、エデン!)

 しかし、少年は黒猫を撫でようとはしない。どういうわけか表情が消え、声に怒りを滲ませた。

「ボクハ、チガウ」

(エデン?)

「オマエ、サエ……、オ、オ、オオオオオオ!」

 突如として空間が歪みだし、少年の体が巨大な異形へと変貌していく。

 飛び退いて距離を取った黒猫は全身の毛を逆立てた。

(お前は……、クロノス・メナス!?)

 それはかつてアルド達が討ち果たした仇敵の名であった。

「オマエサエ、コナケレバァアアアア!」

 人間など平気で丸呑みにしてしまうほどの大きな口から、風圧とともに叫びが吹き出す。

(僕を、恨んでいる……?)

 狼狽する黒猫を目掛けて、異形は巨大な手を振り下ろした。

「おおおーーーんんッ!!」

(ぐあぁぁ!!)

 一瞬の動揺が黒猫の動きを鈍らせた。回避を試みたものの、敢え無く巨大な手の下敷きになってしまう。

(う、嘘だ。エデンが、僕を……。嘘だ!)

「お、おお、おーーーッ!」

 苦しげな声を発した異形の口内に光が満ちていく。光線のような攻撃を放つつもりらしい。

(まずいぞ、動けない!)

 黒猫はどうにか逃げ出そうともがくが、体は少しも動いてくれない。

 光が輝きを増し急速に膨らむ。やがて風船が割れるように弾け、幾筋も放たれた光条は束となって黒猫を飲み込んだ。

(うわああああぁぁぁぁ!!)

 全身が灼かれていく。白く覆われた視界の中に黒い身体がみるみる溶けていくのを、アルドはただ見ているだけしか出来なかった――



 ◇



「…………」

 ベッドの中でハッと目を覚ましたアルドは、まだ瞼をパチクリさせている。

 視界には梁と漆喰壁。そこに王都ユニガンでよく見られる室内装飾用の赤いタペストリーが並んでいる。

(そうだ。オレは宿屋に……。なら今のは夢か)

 ホッとして小さくため息をつく。

 一応、猫ではなく人間の姿をしているかどうか、体を動かして確かめてみようとしたのだがどうも違和感を覚えた。

(ん? 変な夢のせいか。妙に体が重いぞ)

「にゃー」

仰向けに寝ているアルドの腹の上で黒猫が鳴いた。アルドと一緒に旅をしているヴァルヲだ。

「……なあヴァルヲ。ずっとそこに乗ってたのか?」

「にゃうん」

 アルドの疑うような問いかけに、肯定とも否定ともとれるような鳴き声を返してからヴァルヲは床へ飛び降りた。

「どうりで身動きできないはずだ……」

 ようやく体の自由を取り戻したアルドは、やれやれと上半身を起こしながらこぼす。

 ふと、通りに面した窓に目がいった。外は明るいようだ。

「エデン……」

 アルドは現在、エデンを救う方法を探すため時空の旅を続けている。だが、いまだ糸口は見つかっていなかった。

「にゃーあ」

 声の方に向き直ると、鳴き声の主はベッドの縁につかまり立ちをしながらアルドの方へ前足を伸ばしている。

「ん? お腹が減ったのか?」

「にゃ」

「ははは」

 目をランランと輝かせながら、まるで返事でもしているようなタイミングで鳴いた猫の姿にアルドは思わず相好を崩した。

「こうしてても何も始まらないしな」

 ベッドを抜け出し大きく伸びをすると、傍らに立て掛けておいた魔剣オーガベインを佩いた。

「よし。まずは腹ごしらえだな」

「にゃーん」

 こうして一人と一匹は、意気揚々と自室を後にするのだった。


 アルドがロビーに足を踏み入れると、待合スペースには既に仲間たちが集っていた。エイミ、サイラス、リィカ。アルドの旅が始まって間もない頃からの面々だ。

「ええー! 嘘でしょー!」

(なんだ!?)

 突然のエイミの大声に思わず仰け反ってしまった。

「申し訳ありません。お客様の安全のためですので」

 どうやら皆は従業員の女性と話をしているようだった。

「楽しみにしてたのにー」

 エイミは力なくテーブルに突っ伏す。

「申し訳ありません……」

「いやいや、そちらに非のある事ではないでござる」

 エイミのあまりに素直すぎる反応が従業員を萎縮させてしまったのを察したようでサイラスがフォローを入れた。

 それを聞いて自分もとでも思ったのか、リィカが口を挟む。

「エイミはいつでも野蛮ですノデ」

「ちょっとリィカ……」

 怒気をはらんだエイミの声を聞いて、アルドは慌てて会話に加わりにいく。

「ど、どうかしたのか?」

「おおアルド。どうやら井戸に下剤を入れた不届き者がおったそうでござる」

「下剤?」

「そうなんです。街のあちこちでお腹をくだす人が続出しているそうで。今朝、王国騎士団から井戸水を使用しないよう通達があったんです……。それで、朝食もお弁当もお出しできない状況でして」

「そうか。それじゃ仕方ないな」

 腕組みをして話を聞いているアルドの足に、ヴァルヲは慌てたように掴まり立ちをした。

「ん? プリズマから出る水は使えないのか?」

「そうよ、この時代にはプリズマがあるじゃない!」

 アルドの疑問に、ガバっと起き上がってエイミが続く。なぜかヴァルヲもテーブルに飛び乗って、一緒になって従業員を見つめだす。

「それが、『水が変わっちまったら違う料理だ!』とシェフが申しておりまして」

「はぁ。さすが伝統あるユニガンの宿ね……」

 エイミは再びテーブルに突っ伏してしまう。ヴァルヲもテーブルから降りて丸まってしまった。

「あ、あの、なんとかシェフを説得してきましょうか?」

「できるのか?」

「一か八か、私のクビと引き換えにやってみせます!」

「クビ!? いや、そこまでしなくていいって!」

「そういうわけには! 私、伝統あるこの宿で働けることに誇りを持ってるんです。お客様をがっかりさせたまま帰してしまう屈辱に比べたら、路上で野垂れ死にするぐらい!」

「でもほら、飯なら別の街で食べればいいんだし。な、みんな?」

「そ、そうでござる。武士は食わねど高楊枝でござるよ」

「ワタシはもともと、生物を分解して取り込む機能はありませんノデ」

 のっそりと起き上がり仏頂面をしているエイミに皆と一匹の視線が集まる。

「な、なによ。私だって別物の王国風スープなんて興味ないし」

「というわけだから、どうか無理はしないでくれ」

「そうおっしゃるのでしたら……」

 埒外に置かれた一匹だけがヨロヨロと数歩進んでから地面に倒れ込んだ。

「ではアルド様、宿賃をお返しいたしますので受付の方へ」

「いや、気にし過ぎだって。オレたちは清潔なベッドで眠れただけで充分だよ」

「しかしそれでは私共の宿の名に傷が……、あ!」

「どうした?」

「倉庫の保存食! あれならお渡しできます! これがまた当宿のシェフがこだわり抜いて仕込んだものでして、保存食にしては美味しいと常連のお客様の一部では幻のメニューと呼ばれ――」

「じゃ、じゃあ、それを」

「少々お待ちを!」

 熱量に気圧されるようにしてアルドが承諾すると、その返事も聞き終わらないうちに従業員はバックヤードへと走り去ってしまった。

 一同の妙な視線がアルドに集まる。

「な、なんだ?」

「まあ、仕方ないわね、アルドだし」

「そうでござるな。アルドはアルドでござる」

「ん? どういう意味だ?」

 本当にわからないという顔をして独り言ちたアルドに、リィカが髪型を模した長いツインテール型のアンテナをぐるりと一回転させてから答えた。

「ワタシノ深層言語推論シミュレーションにヨレバ。98.86パーセントの確率デ、呆れるぐらいのお人好しという意味デス」

「それは……、褒めてるのか?」

 サイラスとエイミが思わず笑みをこぼす。

「おい二人とも」

「うむ。褒めてるでござるよ」

「本当か?」

「当然でしょ。で、朝食なんだけどリンデで魚料理なんてどうかしら?」

「いいでござるな」

「アルドは?」

「あ、ああ。それは構わないんだけど……」

「なによ?」

「なにって、街の人が困ってるんだろ? それにもし、魔獣の陰謀だったりしたら」

 エイミがこころなしか不機嫌そうに息を吐いた。それを制するようにサイラスが口を開く。

「アルド、井戸水の件は既に騎士団が調査を始めてござる。ひとまず任せておくのが筋では?」

「んー。それもそうか」

「まったく、もう」

 気勢を殺がれたエイミが苛立たしげにこぼした。

「ソレニ、早くエイミに食事を与えないと、魔獣よりも凶暴になりますノデ」

「リィカあんたねぇ」

「お待たせしましたーーー!」

 エイミのこめかみに青筋が立ったのとほぼ同時に従業員が駆け込んで来た。どういうわけか、行商にでも行くのかというような大きな袋を背負っている。

 女が勢いそのままに袋を床に降ろすと、ハンマーでも叩きつけたかのようなドンという大きな音がロビーに拡がった。その衝撃でアルドたちがわずかに空中に浮いてしまったほどだ。

「はぁ、はぁ。どうぞ、遠慮なく、お受取りください」

「あ、ああ。ありがとう……」

 なんとも言えない空気が漂う中、ヴァルヲだけが置かれた袋に嬉しそうに擦り寄るのだった。


 一行は港町リンデへ向かうべく、ユニガンの東門方面へと歩みを進めていた。

「こんなにもらっちゃって、どうするのよ」

 乾燥した薄い短冊状の肉を噛み千切りながらエイミが愚痴る。

「ざっと二週間は食いつなげそうでござるな」

 サイラスは片手に持った小袋へ手を突っ込むと、掌いっぱいに掴んだ干しブドウを空中に投げ上げた。大きな口を開けて、落下してきた粒を漏らさず受け止める。

(しっかり食べてるじゃないか……)

「アルドさん。コレならヴァルヲにあげていいデスカ?」

 干し芋を片手にリィカが尋ねた。というのも、もらった干し肉は塩が強く効いていて、猫に与えられるものではなかったのだ。

 当のヴァルヲは俯き加減でトボトボと一行に付いて歩いている。散々鳴いてねだったのに何もらえなかったのが余程ショックだったらしい。

「うーん。いいけど、食べないと思うぞ」

「そうなんデスカ?」

 リィカが干し芋をヴァルヲの顔の前にちらつかせてみる。猫は顔を上げて数回鼻をひくつかせたが、やはりまたしょんぼりといった様子に戻ってしまった。

「カラーリングがカワイクないからデショウカ?」

「そういうわけじゃないと思うぞ」

「ではコチラは、ヴァルヲにもワタシにも不要デスネ」と言うと、回れ右をしてから放り投げてしまう。

 すると干し芋は、サイラスが干しブドウを受け止めようと拡げていた口に、吸い込まれるように入っていった。

「見事でござるな、リィカ」

「弾道計算は得意分野ですノデ」

 干したブドウと芋をモゴモゴやりながら笑うカエル侍と、自慢気にツインテールをぐるぐる回すアンドロイド。

 二人の和気藹々とした雰囲気に触発されたのか、ヴァルヲが物欲しげに鳴いた。

「にゃあうん」

「ごめんなヴァルヲ。もう少しの辛抱だからな……、ん?」

 先頭を歩いていたアルドは、道の先に木の棒で体を支えながら歩く男がいるのに気がついた。男はよたりよたりと覚束ない足取りで、一歩踏み出すごとに顔をしかめている。

 様子をうかがっていると、やおら膝をつきうずくまってしまった。

「大変だ!」

 全員が倒れた男に駆け寄る。一番にたどり着いたアルドは男に話しかけようとまず袋を降ろした。途端に男が声を上げる。

「うほおぉぉ!」

「だ、大丈夫か!?」

 屈んで男に呼びかけるアルドの傍らで、リィカが各種センサーを使い男の健康状態を調べ始めた。

「は、話しかけないで……」

 か細い声で言うと、男は再び立ち上がろうと杖代わりの棒に力を込める。

「ぐ、ぐぅ」

「無理するなって!」

「あぅはあぁぁ!」

 男は立ち上がる途中で腰砕けになり、再び頽れてしまう。

「も、もう限界……。やっと、ここまで……」

「なあ、なにか問題が」

「ふぅあ!」

 身を捩って悶える。どうやらアルドの声に反応しているようだ。

「この方ハ、下剤入り井戸水の被害者と推定されマス」

「なるほど。少しの振動でも我慢が緩みそうになるでござるな」

 少し離れたところで二人が言う。

「そんな状態で出歩いちゃ」

「ぐひぃいい!」

「あ、悪い!」

 アルドは慌てて距離を取った。

 男は小刻みに震えながらも歯を食いしばって耐えている。衆人の前で尊厳を失わないよう必死のようだ。

「なあ。家でおとなしくしてたほうがいいんじゃないか?」

「息子、家出……、探さ、ないと」

「なんだって!?」

「おっほぅ!!」

 アルドが声を荒げたせいで男はエビ反るような姿で固まってしまった。もはや普通の体勢で我慢するのが難しいようだ。

「す、すまない……」

「ちょっと、遊んでる場合?」

「そんなつもりじゃ」

「ねえ、おじさん。私たち冒険者なの。代わりに探してあげるから詳しく話して」

「ほ、本当か? 本当に、助けてくれのはあぁぁ!」

 にわかに目を輝かせた男だったが、すぐにまたエビ反りに戻って苦悶の表情を浮かべてしまう。

「どうした?」

「うぅ、ホッとしたら、緩みそうに……」

 アルドたちは急に疲労感に襲われて肩を落とした。皆が先行きは大丈夫だろうかという表情をしている。

「それで、息子さんの特徴は?」

「み、みど、うーー。か、髪、は、あーー。はち、はっ、ふぅ、ふぅ」

「……誰か聞き取れたか?」

 アルドの問いにその場の全員が無言で首を振ってみせる。

「しん、ちょーうーうー、あーくぅ~~」

 そろそろ限界が近いのか、呻き声ばかりで何を言っているのかわからなくなってきている。

「まいったな。これじゃ探しようがないぞ」

「うーー。い、い、いえ、うーー」

「ん? いえ?」

 男は小さく小刻みに頷いた後、とても慎重にゆっくりと立ち上がった。呼吸は浅く早い。きっと横隔膜の膨らみすら刺激になってしまうのだろう。

 やがて臀部に力を込めた不格好な姿で直立した。目の焦点はほとんど定まっていない。

「だ、大丈夫か?」

「ぐううぅぅ、うーー!」

 歯を食いしばって呻きながら、男は一気に、走りださんばかりの勢いで歩きだした。とても素早い小股だ。

「あ、おい!」

 呼び止めるアルドには脇目も振らず、ちょこちょこと歩いて行ってしまう。

「もしや自分の家に戻ろうとしてるのでは?」

「追いかけましょう!」

「ああ!」

 そうして一同が走り出そうとした矢先だった。そこから五十歩も進んでいない場所の一軒家に男の姿は消え、バタンと乱暴な音を立てて玄関が閉まった。

「って、すぐそこじゃないか!」


 その家はユニガンでよく見かける庶民的な造りで、玄関を開けた先の広間には家具や竈、ベッドなどが置かれている。

 足を踏み入れて一瞥した宅内に男の姿は見当たらず、代わりにテーブルに力なく突っ伏している女性と目が合った。

「なにか、御用、ですか……」

 魂が抜けてしまったような声で女性が尋ねる。テーブルから上半身を起こすことも出来ないほど憔悴しているようだ。

「あ、ああ。今、男の人が駆け込んでこなかったか?」

「ええ。夫がなにかご迷惑を?」

「いや、そうじゃなくて。おれたち冒険者なんだ。旦那さんから家出の話を聞いて手伝おうと思って」

 すると女性は身動きひとつしないまま、涙だけ流して弱々しく言葉を紡いだ。

「ああ、神様……。騎士団に捜索を依頼しようにも、そこまでたどり着くことが出来ず、困り果てていたんです。なんと、なんとお礼を申し上げたら……」

「相当つらそうだな?」

「申し訳ありません。出来ればちゃんと起き上がってお話したいのですが……」

「いや、事情はわかってるから気にしないでくれ。ちなみにオレはアルド。こっちが、サイラス、リィカ、エイミだ」

「ギリーの母です。皆様、どうか宜しくお願いします」

「息子さんはギリーっていうのか」

「は、はい」

 女性の少しばかり訝しんだような返事を聞いて、アルドは弁解をするように説明を付け加えた。

「あ、いや。実は旦那さん途中で限界が来ちゃったみたいで、詳しく話を聞けてないんだ」

「そうでしたか……。ギリーは八歳です。短髪で、今朝は緑の服を着ていたはずです」

「どこかギリーが向かいそうな場所に心当たりはないか? もしくは家出の原因とか」

「母の葬儀の後から少し元気がないなとは思ってたんですが……。今日の朝食の後、気づいたら手紙が」

 ギリーの母がどうにか力を振り絞って動かした右肘の下に紙切れが隠れていた。

「読んでもいいか?」

「はい」

 アルドは女の肘の下から紙切れを静かに引き抜き読み上げる。

「ぼくは、にんげんじゃない」

「明らかに子供の字ね。どういう意味かしら?」

「きっと、私のせいです」

「なにかあったのか?」

「ギリーに、家庭教師を……。貴族と同じ教育を受けさせてあげたくて」

「それの何が悪いんだ?」

「ご覧の通り、私どもは決して裕福ではありません。ですから面倒を私の母に任せて、夫と共働きで、うう、働いてお金を工面して……。あの子は優しい子なんです。ううぅー。母の死をきっかけに、ずっと我慢していた寂しい想いが爆発したに、違いありません、うーー……」

 女はテーブルに額を押し付けるようにすると、小さく震えだした。

「おい。あまり自分を責めちゃダメだぞ」

「ち、ちがいま、くぅ~~、ごめんなさい!」

 弾けるように立ち上がった女は、鬼のような形相で家の奥へと走り去ってしまった。

 木の扉を高速連打する忙しない音が広間にまで響いてくる。

「ソレにしても、人間ではないというコトハ、ギリーさんもアンドロイドということでショウカ?」

「そんなワケないでしょ。きっと、いじめか何かよ」

「いじめ?」

「そうね。例えば魔獣王とさすらいの剣士ごっこで、魔獣王役ばっかりやらされたとか」

「ん? そしたら家出の元凶はオレってことか?」

「馬鹿ね。例えよ、例え」

「だったらもっといい例えを――ん?」

 アルドは少しむくれながら抗議をしようとするが、急に足元に気配を感じて口をつぐんだ。視線を向けると、亡者のように床に這いつくばった何者かがアルドの足首を掴もうとしているところだった。

「うわぁ!」

 ほぼ同時に気づいた一同が反射的に飛び退く。しかしそれはよく見ればギリーの父親であった。

「あなたが、あの英雄アルドさんだったんですね」

「い、一応そうだけど。何で床に?」

「すみません。もう、立ち上がる力が……」

「そ、そうか。大変だな」

「先程は失礼しました。いや、いまも大分失礼な格好ですが」

「構わないよ。それより、この手紙について教えてくれないか?」

「ああ、それは……。きっと私のせいなんです」

「ん?」

「日頃から言って聞かせていたんです。人間にとって最も大事なのは約束を守ることだ、って」

「それで?」

「あの子が三歳の時でした。オバケが怖いってあんまり泣くものだから、約束をしたんです。どんなときでも父ちゃんが守ってやるって。それなのに私は……、人間失格だ!」

「なにがあったんだ?」

「つい先日の事です。私のすぐ目の前で、ギリーが、ギリーが……、転んで膝を擦りむいたんです!」

 男はボロボロと涙をこぼしながら嗚咽を漏らしている。

 一同は腑に落ちない感覚を抱えたまま、とりあえず男が少し落ち着くのを待った。

「それと手紙とどう関係があるのよ?」

 エイミはどういうわけか怒りをこらえているような口ぶりだ。

「ですから、約束ひとつ守れないこの人間失格の父親に絶望して、血の繋がっている自分自身を否定したに違いないんです」

「それで人間でないと。なるほどでござる」

 サイラスが腕組みをして、妙に納得したように頷いている。

(サイラスが言うと謎の違和感があるな)

「お願いしますアルドさん。まだそう遠くへは行ってないはずなんです」

「どうしてわかるんだ?」

「朝食を一緒に食べてるんです。今頃あの子も苦しんでいるに違い有りません」

「それもそうか。じゃあまず街中を中心に探してみるよ」

「ああ、ありがとうございます。これで、これで……」

 言い終わらないうち、男は全身の力が抜けたように床にへばりついてしまった。

「ん? おい、大丈夫か?」

 リィカが男の傍らに片膝を付いて様子を確認する。

「眠っているだけのヨウデス」

「よほど頑張ったんだな」

「しかし、手がかりらしい手がかりは得られなかったでござるな」

「仕方ないわ。こうなったら足を使いましょう。アルドは西門方面、サイラスは街の南側で情報を集めて」

「ではワタシは、北側ヲ」

「リィカは私と一緒に行動」

「どうしてでショウカ? 朝一番のジョークが気に入りませんデシタカ?」

「あんたはすぐ迷子になるでしょ」

「そうデシタ」

「なんか、エイミ張り切ってるな」

「なに。思うところがあるのでござろう」

「何言ってるのアンタたち? いい? 絶対にお昼ごはんまでには解決するわよ。そのつもりで取り組むこと!」

 思わず「お、おお」と、アルドとサイラスの声が揃ってしまう。

「程よいところで武器屋の前に集合。わかったわね? 解散!」

 勢いに押し出されるようにして、アルド、サイラス、ヴァルヲは慌ただしく街へと駆け出していくのだった。


(それらしい話は聞けなかったな……)

 道すがら聞き込みをしながら、アルドとヴァルヲはユニガンの西門へとたどり着いた。

 門を塞ぐ大きな落とし格子の傍らには門番の兵士が立っていて、退屈そうに欠伸をしている。

「なぁ、ちょっといいか?」

「ふぁああ。ん? 今忙しいのだ、日を改めてくれ」

「実はいま、家出した子供を探してるんだけど、見掛けなかったか?」

「ああ、うるさいな。居眠りせずに番をするのも楽じゃないんだ。ほら、あっちいけ」

(大丈夫か、この門番……?)

 兵士にはあからさまにやる気が見えない。とはいえ、ギリーが門の外へ出たかどうかは確認しておきたかった。

 アルドはどうにか話が聞けないかと考えを巡らす。

「そうだ! もしよかったら干し肉食べないか? 噛んでると目が冴えると思うぞ」

 そう言って袋の中から何枚か適当に取って干し肉を見せてみる。

 兵士はわずかな間、怪訝な表情を浮かべていたが、急に目を剥いて身を乗り出した。

「こっ、この深みのある色は! もしやあの宿屋の!?」

「え、ああ。そうだけど」

「幻の干し肉がこんなに……」

 宿屋の従業員が言っていた事は本当だったらしい。兵士ははっきり聞こえるぐらいの音で生唾を飲み込んだ。

「く、くれるのか?」

「あ、ああ。それで子供の件なんだけど」

 兵士はアルドの手から干し肉をひったくると、気持ち悪いぐらいのえびす顔でしげしげと眺めだした。しかしアルドの視線の気づくと、後ろ手に干し肉を隠して話しはじめた。

「おほん。早朝から番をしているが、子供は見てない」

「目を盗んで出てったってことは?」

「馬鹿を言うな。蟻の子一匹、無許可では通さん」

「そ、そうか……」

「あー、ちなみに子供じゃないが、怪しい薬売りは見たぞ」

「怪しいって?」

「ローブ姿でフードを目深に被って、やたら偉そうな喋り方でな。俺の見立てでは、奴が下剤事件の犯人に違いないな」

「わかった。情報ありがとうな」

「あ、あの……。本当にこれ、もらっていいのか?」

「もちろんだよ。じゃあな!」

 ほくほく顔になった兵士に別れを告げ歩き出す。

 二人のやり取りを物言いたげにじっと見ていたヴァルヲには気づかないまま、アルドは集合場所へと急ぐのだった。


 ユニガンには露天の並んでいる通りがある。その一角の武器屋の前には、すでにエイミとリィカの姿があった。

「エイミ、そっちはどうだった?」

「それが不思議なのよ。みんな、お腹を壊してる子供なんて見てないって」

「こっちと変わらないな……」

「シカシ、下剤男については正体がわかりましたノデ!」

「本当か!?」

「ハイ。正体は、下剤で苦しむ人の顔を見るのが好きな古代のサディスティックな魔術師デス」

「さでぃす……? どういうことだ?」

「他人に苦痛を与えて喜ぶ奴のこと。どうやらフードを被った変な男が人様の家を覗き見して回ってたらしいのよ」

「苦しんでる人を見て楽しんでたってことか?」

「ええ。しかもただの下剤じゃなかったわ。井戸水をリィカが分析したら――」

「何らかの魔法薬だと思われマス」

「魔法薬?」

「ハイ。一般的な下剤の成分は検出サレズ、代わりに古代から棲息している植物の成分が多く見つかりマシタ」

「どう思う?」

「うーん。古代の誰かが時空の穴を通ってきたってことかな?」

「可能性は高いわよね」

「ところでサイラスは?」

「そういえば遅いわね」

「ウッカリ下剤の水に浸かっテ、苦しんでいるノデハ?」

 お互いの反応を確かめ合うかのように、アルドとエイミが顔を見合わせる。

「まさかね?」

「ああ、いくらなんでもそんなわけ」

 アルドの脳裏に、いつかのサイラスの言葉が浮かんだ。

『拙者ときどき無性に……、沼に飛び込んで思う存分泳ぎたい気持ちに駆られるでござるよ』

 思わず固まってしまうアルド。その様子を見ていたエイミまで不安な表情になっていく。

「アルド……?」

「すごく嫌な予感がする……。サイラスを探そう!」

 こうして三人と一匹は再び街を駆け回るはめになってしまった。


 当のサイラスは街の南側にある枯れ井戸の底に居た。思いの外広い井戸底の真ん中辺りで座禅を組んで、上空にぽっかり開いた井戸の口を眺めている。

「うーむ。やはり良いでござるな、井戸は。己の小ささを実感できる。貴殿もそう思わんでござるか?」

 サイラスが問いかけた先には一人の兵士が立っていた。

 井戸壁が一部崩落して出来た穴の向こうには古い地下迷宮が広がっている。内部には魔物が棲息しているため、この井戸の底には兵士が立って警戒にあたっているのだ。

 しかし兵士は余程仕事熱心なのか、サイラスがこの場所へ降りてきたときからずっと直立不動のまま身じろぎ一つせず、問いかけにも無言を貫き続けている。

「まあ欲を言えば、冷えた地下水で満ちていた方が、頭もスッキリ冴えたでござるが……。まったく、井戸水に下剤とは酷い事をする輩がいるものでござるな。気づかずに飛び込んでいたら、拙者どうなっていたことやら」

「…………」

「寡黙な御仁でござるな。しかし実際、目ぼしい情報が無くて息詰まっておった。拙者の息抜きを黙って認めてくれて感謝でござる」

 それでも兵士は鼻息一つ返さない。

 さすがに不審に思ったサイラスは立ち上がって兵士に近づいていく。

「それにしても貴殿、なかなか肝が座ってござるな。拙者の姿を見ていっさい驚かぬとは」

 自らの現在の姿を思い起こして、おかしなことだと訝った。魔物が現れるかもしれない井戸の底に、二足歩行の巨大なカエルがやってきて話しかけてきている。だというのに無反応なのだ。

 サイラス自身、自らの姿へのこだわりが薄い為、うっかり気づくのが遅くなってしまった。

 いくら歩み寄っても反応を示さない兵士の様子に更に疑念を深めたサイラスは、ずいと近寄って兜の向こうの表情を窺う。

「む、これは――」

 見れば兵士の目の焦点は定まっておらず、まるで立ったまま気を失っているようだった。眼前で手を振ってみても反応はない。

「魔術でござろうか? 一体誰が……」

 ふと、地下迷宮の側から吹き込んでくる風の音に、人の声が混じっているような気がした。

 打ち捨てられた迷宮からの黴臭い空気が井戸の底に渦巻いて悪寒が走る。

「もしや何者かがギリー殿を……。アルドたちと合流すべきか? ――いや。迷ってる時間がもったいないでござるな」

 干しぶどう入りの小袋を取り出したサイラスは、意を決して横穴の向こうへ飛び込んでいった。


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