4週目 クズと頑張りすぎる人々

第1話 体育の祭に脳筋はお呼びでない


 梅雨つゆの停滞前線も早めに過ぎ去り、めくったカレンダーをメモ用紙へと変貌させる月一の作業をしたその翌日。蕗谷ふきのやつぼみは朝から感じていた何かがおかしいという感覚を抱えたまま昼食の待ち合わせ場所へと急いでいた。


 夏休みまでひと月を切った時分ではあるが、降り注ぐ太陽の熱に初夏の爽やかさなどなく、日向に一歩踏み出せばコンクリートに熱せられた上昇気流も相まって熱中症へのカウントダウンを余儀なくされる暑さである。


 学園の周囲は森であるため建物の反射熱こそ少ない。校舎の年季とは相反して、各教室には高性能の冷房が完備されている。だがそれだけで猛暑の到来を足止めできるものではなかった。


 ゆえに、今までは適当なところで済ませていた昼食会場も、よく考えねば午後のやる気に直結するダメージ元となる。やはり混んでいようと学食を利用すべきではと少女が思案している間に、彼女の先輩はどうやったのか空き教室を押さえていた。


 たどり着くまででさらに重量を増した紙袋を片手で抱えなおし、引き戸を開ける。


 広々と殺風景な空き教室に、ポツンと向かい合わせに組まれた机が二つ。椅子が三つそれを囲むように置かれている。


 そのうちの一つに、紙パックのジュースをくわえてふんぞり返る少年の姿がった。


 総じて粗雑な印象の男子だ。力強い弧を描く眉に呼応するような涼やかな鼻梁に、微笑を乗せた薄い唇。顔の造形そのものは整っていると言えるが、相手の弱みを虎視眈々と狙っているような下卑げびた目つきがすべてを台無しにしていた。


 目つきだけでなくその性格も外道よりな、学園に名高い葛和くずわ兄弟のクズのほうこと、葛和くずわ十瑪岐とめきである。


「おうつぼみ、珍しく遅かったなあ。なにカツアゲにでもあったあ? 特別にオレ自ら加害者のしぼりたて後悔の涙茶でも用意してきてやろうかあ」


「いりませんそんな色々と苦々しい報復汁。ていうかこの学園でそんなの遭ったことありませんよ。大多数の生徒が裕福なんですから。うちの中学と一緒にしたら駄目です」


「えっ、お前の中学って廊下歩いてるだけでカツアゲに遭うのお? 報復汁で池が作れそうな環境で羨ましいなあ」


「その池たぶんとめき先輩のべそ泣き汁でできてますよ。とにかくおまたせしました」


 声をかけて扉を閉める。十瑪岐とめきは片手をぶらりと上げ、歓迎の意を示した。


「おいおいなんだあ大荷物じゃねえかあ。菓子類多いな。バレンタインには早すぎるぜえ? よもやオレの知らねえ新たな商業戦略か」


「違います。なぜか分かりませんが、朝からいろんな人から食べ物や小物を頂くんです。あまり話さない先輩方なんかからも。誕生日でもないのにどうして……」


 荷物を置いて対面に座ると、少年がああ、と納得したようにあくびをする。


「午後一の授業で体育祭の団決めが発表されるからなあ。そのせいだろお」


「そっか、三週間後くらいに予定されてましたね。なんでもニ日がかりだとか」


「二日目は午前までだけどなあ」


「でもなんの関係があるんですか?」


 広げたお弁当から貰ったお菓子たちへ視線を落とす。運動時の効率的なたんぱく源摂取、糧食りょうしょくとしては向かないものばかり。むしろ脂肪として蓄えられそうなラインナップだ。糖質制限のある運動部への差し入れだったら顧問に弾かれてしまうだろう。


 と筋肉視点での評価をするつぼみ十瑪岐とめきは苦い顔をしている。何やら方向性が違うらしい。


「あー……、そおいやお前一年生だから兎二得とにえ学園の体育祭は初めてか。いいぜえ、どうせ授業で説明受けるだろうが、特別だあ。泥沼にはまる前にオレがレクチャーしてやろお」


 十瑪岐とめきは偉そうに胸を反らし、これみよがしに長い足を組む。つぼみはほっぺたいっぱいに詰め込んだささみの照り焼きを飲み込んだ。


「うちの体育祭はちょいと特殊でなあ。他校みてえにクラスごとで団を分けるわけじゃねえんだわ。五月に体力測定あったろお? その数値を基準に、赤・青・黄・黒の四つの団に戦力が均等になるよう全生徒が割り振られるんだあ」


「え、四つ目って黒団なんだ……。戦隊ものの追加戦士みたい……。全校生徒を四つに分けるなら、えっと一団が五百人弱くらい? 公平だけど、なんだか大変そうな仕組みですね。種目決めとかどうするんです? わたしシンプルな短距離がいいんですけど」


 なにも体育祭に積極的な生徒ばかりではない。どの種目にも出たくないと願う者もいる。そのため出場種目はクラス内で無理やり穴埋め形式で決めてしまうイメージがある。そうしないといつまで経っても決まらないからだ。


 と、印象を語ると十瑪岐とめきがかぶりを振る。


「参加種目は自分で決めれねえよお。そこは団長たちに決定権がある」


「そんな強権が許されるんですか」


「むしろ全権利と全責任を負うぜ奴らは。うちの体育祭には応援団がいない。その代わり、団長を筆頭にした司令本部がいるんだなあ。そいつらが自軍の戦力を分析して、勝つために布陣を敷くってわけえ。総合戦力はだいたいどこも同じだから、指令本部の分析力、情報収集能力、指揮能力が試される。あとは生徒のやる気を引き出すカリスマ性な。飯開はんがいを追ってたころ、誰を指令本部に推薦するかってアンケートがあったろお?」


「あ、そういえば……」


 そんなものがあった気がする。なんの人気投票かと思っていたが、体育祭に関するものだったとは。


「よく分からなかったので幸滉ゆきひろ先輩の名前書いておきました」


「そこはオレじゃねえのかよお」


「むしろなぜ選ばれると? と言いますか、それとこの紙袋の中身になんの関係が?」


「名家の子息が集まる兎二得とにえ学園の体育祭は、他校と違って部下を率いる資質を問う頭脳戦だからなあ。言うなれば勝利のためならなんでもアリだ。つっても学外にまで影響の及ぶこと──例えば直接間接問わず相手に危害を加えるとか、親の職場に脅しかけるとかはなしだ。そこは生徒会と執行部が厳しぃく監査する。とはいえ正面対決なんざ阿呆あほうのすることだあ。他団を出し抜くためなら欺瞞ぎまん情報の流布に間者かんじゃの利用、過激なプロパガンダとあらゆる調略ちょうりゃく跋扈ばっこする! ここまで言えばそのお菓子共の意味も推察できるよなあ?」


 試すような視線に嫌な予感が盛り上がる。つぼみは再び紙袋へ視線を落とした。


「まさか、これ…………そでの下?」


 包装に描かれた舌を出したボーイから、さっきは感じなかった禍々しいオーラが心なしか透けて見える気がした。


 十瑪岐とめきがあっけらかんと笑う。両手を合わせて肩をすくめた。


「そ、十中八九そりゃ賄賂ワイロだろお。全力出してくださあい、もしくは手を抜いてくださあいってなあ」


買収ばいしゅうとかありなんですか!?」


「ありもありの有難え慣例だあ。おかげで動きやすいったらありゃしねえ。これを見越して体力測定で手を抜いてる奴だっている。そういう奴らにいかに本気を出していただくかが、勝利の鍵ってわけえ」


「うわぁ。どうしようこれ、ぜんぶ普通に受け取っちゃった……」


「さっすがあ学園唯一のスポーツ特待生。モテモテじゃねえかあ。ご活躍が期待されてますねえ」


「やめてくださいお腹が痛くなっちゃう。ていうかさっきから気になってましたが、先輩もなんかいろいろ貰ってませんか、それ」


 実は教室に入ったときから視界に入ってはいたのだ。少年の背後には袋やらプレゼントボックスやらが積み上がっている。つぼみのものより数が多く、手が込んでいるものが多い。クリスマスツリーの足元みたいになってる。


 十瑪岐とめきがそれらを一瞥いちべつしてあっさりうなずく。


「うん、賄賂ワイロだなあ」


「やっぱり。でも、んー? 先輩って短距離と反復以外は平均だったはずですよね。まさかあのとき実は手を抜いて──」


「や、違う違う。かわいい後輩の前で手え抜いて無様ぶざまな姿さらすとかさすがにしねえって。これはねえ、『お願いですから余計なことはしないでください』っていうおそなえぇ」


荒魂あらみたま的扱い……」


 よく見たら包装紙の上から『悪霊退散』と書かれた札が貼ってあったりする。どうやらこの贈り物の数々、好意からではないらしい。葛和くずわ兄弟のクズのほうがどれだけ生徒から嫌われ警戒されているかが体積値で可視化されたかのようだ。


「理解していて受け取ってるということは、じゃあ、体育祭は大人しくしてるつもりですか?」


「あはっ、んなわけねえじゃあん」


賄賂ワイロ受け取ってるくせに」


「ああ無駄な砕身、余すとこなく美味しくいただきまあす☆ てか受け取ったのはつぼみもだろお? なあに、みんなの期待に応えようってえ? やれとやるなを両立なんてえ、身が裂けるぜえ?」


「いえ、これは返して回ります。……くれた相手の顔あんまり覚えてないけど」


「ゲエ真面目え。どうせ相手もちょっとした心付こころづけ程度にしか思ってねえって。貰えるもんはありがたく貰っとけ。まだ敵味方も分かってねえ時点の戦略なんてそんなもん」


 しっしっと払う動作をされる。なるほどあげたお菓子を返されるのは逆に迷惑になるかもしれない。


 つぼみは箸を動かしつつ、話を聞きながら蓄積していた疑問を口にする。


「どうして皆さん、たかだか体育祭にそこまで全力になれるんでしょう」


 公立中学時代の感覚でそう考えてしまう。だがそれは大きな間違いだったようで、十瑪岐とめきは信じられないものを見る目でつぼみを射抜いた。


「ここは、未来の金づる──こほん、紳士淑女が集まる天下の兎二得とにえ学園だぜえ? 団を勝利に導きゃ一気に頭脳派だねと名声を得る。一人でも多くの生徒に名前を覚えられるってことは名誉だけでなく実益と結びつくわば一世一元の大勝負だあ。勝って開かれる将来は数多あまたにのぼる。その逆もしかり。そおいう戦場だよ、こっから始まるのは。お前も、誰がどこの団に所属するかくらいは注視しとけ」


 低い声で釘を刺され、つぼみは息を呑んだ。


 お遊びではないのだ。これは自身の有益性を示す大規模なプレゼンのようなもの。自身の商品価値を大いに高めるための広告戦略。指揮を執る生徒の肩には最悪、自社所属の全社員の命運すら乗っている。


 そのなかで、スポーツ特待生である自分は有用性の高い駒として注目されているのだ。つぼみの働きが誰かの評価に直結しかねない。それは良いほうにも、悪いほうにも転ぶ。


 自分の行動が、誰かに影響を与えることの恐怖。それによって集中する非難の視線を思い出す。


「…………」


 プレッシャーに箸が進まなくなる。


 つぼみの心中を知ってか知らずか、十瑪岐とめきは首を鳴らして空席へ視線を向けた。


「まあ、いま一番、地獄見てんのは生徒会うらかただろうがなあ」


 用意だけはしてある椅子が一つ。

 ここ数日、それが埋まったことはない。


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