エピローグ

特別の意味



 渦中にあっても楠間田くすまだはしっかり新聞部としての責務を全うしたらしく、月曜日の壁新聞には飯開はんがい元教諭についての記事が載っていた。


 お弁当箱を横に置いたつぼみは、お小遣いで買った新聞を広げた。


 見出しはこうだ。


『飯開先生の真実 葛和くずわ幸滉ゆきひろ氏 孤独な奮闘』


「いいんですか、これ」


「ああ、オレの名前より幸滉ゆきひろの名前出てたほうが売り上げいいらしいぞお」


「そういうんじゃなくて。せっかく土下座までしたのに」


「残念だがなあつぼみ、オレに土下座ごときで削れるプライドがあるわけねえだろお。あんな見せかけの反省で騙されてくれるならいくらでもやるっつうのお。なんなら靴だって舐めますけどお?」


「さすがいさぎよいですね。いっそ気持ちいいです」


 記事は実状とは違う視点から書かれていた。飯開が女生徒に手をだしていた部分についてはぼやかされ、とにかく幸滉ゆきひろが手を回し、飯開教諭を反省させ元妻とのすれ違いを解決した、という内容になっていた。


 文字通り駆けずり回ったつぼみだけではなく、主導していた十瑪岐とめきの活躍も書かれていない。ただ土下座したことだけ強調されている。


 十瑪岐とめきが実質悪役のままなのは、被害女生徒たちへの配慮だろうということはすぐ思い至る。頑張りが評価されないのは理不尽に感じたが、当の十瑪岐とめきが気にしていないのだ。つぼみは不満を飲み込んで新聞を折り畳んだ。


 昼休みなのに鳴乍なりさは生徒会の仕事でいない。だから日陰のベンチに二人で座っていた。思えばここで十瑪岐とめきに脅しかけられてから、ずいぶん時間が経ったような気がしてくる。


 ほんの一月ひとつき余り前のことを懐かしく感じながら、つぼみはそういえば、と話題を変えた。


「先輩が同性愛を認める人とは思いませんでした。非生産的だーとか思ってる側かと」


 なんとなくのイメージで言ってみる。すると十瑪岐とめきは思い切り顔をしかめてしまった。


「はあ? なに言ってんだお前。好きなものを好きと言える世間のほうが、生産性上がるに決まってんだろお阿呆あほう


 コンと頭を小突かれる。その暖かな感触に、つぼみの心が揺れた。


「好きなものは好きと……。そうですね。──わたし、先輩のこと嫌いみたいです」


「…………は?」


 意を決して最近思っていたことを伝えると、十瑪岐とめきが変な顔になった。いったいどんな感情であんな顔になるのか。部活バッグからクラッカーを取り出し、握りしめた。


「今まで“みんな好き”と“なんか苦手”はあっても嫌いって気持ちは知りませんでした。とめき先輩といると楽だけど、ざわざわするし、モヤモヤする。今までこんな気持ちになったことないんです。これは、好きとも苦手とも違う。だから」


 何日もかけてやっと出した仮説。これが今の自分の精一杯だ。


「わたし、とめき先輩のことがたぶん特別嫌いなんですよ」


「なんでええ??」


 景気づけに紐を引く。破裂音にびっくりして目を見開く少年に、一番かわいい笑顔で告げた。


「そういうことで、これからもよろしくお願いしますね、とめき先輩」




 蕗谷ふきのやつぼみの初恋を知るための物語はまだ終わらないだろう。

 つぼみにはまだ恋する気持ちが分らない。

 だってこのクズ男は誰の初恋でもない。


 はずなのだから。



       ◇   ◆   ◇



「──という顛末てんまつなのでした」


 部活へ向かう前、教室に一人残ったつぼみはどこかへ電話をかけていた。


「そんなに言うなら、ご自身で直接訊けばいいのに。仕事の合間にでも様子見に来たり」


 やりとりはやけに楽し気な様子だった。電話の向こうから届く心配の声に、つぼみはほほ笑む。


「はい、だから大丈夫ですよ


 窓の外へ目を向ける。そこには、鈍重な灰色の雲が空一面を覆っていた。


「とめきせんぱ──……とめき君は、ちゃんと葛和くずわをぶっ壊してくれるでしょうから」



       ◆   ◇   ◆



 ──お前はただあの家を破滅させる毒であればいい。


 身内から浴びせられたそんな言葉が、いまだに人生を縛ってやまない。




 ──お前は毒だ。させる、埋伏の毒なのだ。


 だから待つ。その時を待つ。

 この偽証と罪咎にまみれた身を現さねばならない、裏切りの時を。




   初恋トレッドミル(仮説) フィニッシュ

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