はじまりの種

大橋 知誉

はじまりの種

 精肉工場の休憩所でパートタイムの女性たちが、ヒソヒソ声で噂話に花を咲かせていた。


「だから、私、聞いちゃったのよ。もちろん、聞こうと思って聞いたんじゃないわよ、聞こえちゃったのよ。トイレから出ようとしたら、ちょうど生産部長と工場長が廊下で話しててさ。なんかヤバそうな話だったから、見つかったらマズイと思って隠れたんだけど…」


「田辺さん、前置きはいいから!一体何を聞いたって言うのよ!」


「ごめんごめん…。部長がさ、ドラキュラがどうのこうのって言っててね。」


「え?ドラキュラ??」


「そうなのよ。私もまさか聞き間違えだろうと思って、よく聞いたら、ドラキュラシートの準備が、とか、血液が足りないとか…そんなようなことを言ってたのよ…。」


「えー…何それ…気味悪いわね…。」


「でしょ?」


「血液で思い出しんだけど、近頃、輸血用の血液が盗まれる事件が多発してるらしいわよ。」


「あ、そのニュース私も見た!」


「やだ、その部長が言ってたドラキュラ何とかと関係があったりしてっ!」


「えー!まさか!」


「やめてよ、私たち毎日生肉切ってるのよっ!」


「で、一体何なのよ、そのドラキュラシートって?」


 ここで、社員の増岡留美子が休憩所に入って来たので、みんなは一瞬沈黙した。


「あら?みなさん、どうしたの?心配そうな顔して。何か問題が起きちゃった?」


 留美子がいつもの愛想の良い調子で話しかけて来た。パートの女性たちは顔を見合わせ頷きあうと、思い切って彼女に質問してみた。


「ちょっと小耳に挟んだんですけど、増岡さん、ドラキュラシートって知ってます?」


「え?ドラキュラシート?」


 留美子は怪訝な顔をしたものの、すぐに何か思い当たったようで、こう答えた。


「それは、おそらく生肉の汁や血液を吸い取るためにパッケージの下に敷くドリップシートのことじゃないかしら?年配の社員であれをドラキュラって呼んでる人がまだいるのよね。」


 この回答に、パートの女性たちはすぐさま納得した。


「ああ!あの下に敷いてるやつね!」


「びっくりしたわー。ホラーかと思ったわよ。」


 その様子を見て、留美子はにっこり微笑んで休憩所を出ると、足早に生産部長の元へと向かった。


「塚本さん!」


 留美子は事務所へ入りながら部長の名を呼んだ。素早く他の人間がいないことを確認し、ドアを閉める。


「塚本さん。そこら辺でアレの話したんですか!?パートのおばちゃんたちが変な噂話をしてたわよ!彼女たち、どこでも話を聞いてるんだから気をつけてくださいよ。」


 塚本部長はふぬけた表情で薄くなった頭をボリボリかいた。


「私のせいじゃないですよ。工場長が所構わず話しかけてくるんだもの…。文句は工場長に言ってくださいよ。」


 塚本はそのまま目を伏せて二度と顔を上げないつもりの様子だった。留美子はため息をついて事務所を出ると、工場長のオフィスへ足を運んだ。


 コンコンとノックすると、中から「はい?」というくぐもった声が聞こえた。


「増岡です。お話があります。入りますよ。」


 かろうじて聞き取れるような小さな声で、どうぞ、と聞こえた。ドアを押し開けて入ると、工場長の敷島雄三が中央のデスクでボリボリボリと何かを食べているところだった。


「いやね、小腹が空いてしまってね…」


 敷島は聞いてもいないのに言い訳じみたことをブツブツ言った。留美子は嫌悪感を隠さず表情に出しながら、敷島の言い訳は無視して話を始めた。


「パートのおばちゃんたちが変な噂話をしてましたよ。あの人たちに感づかれたら一気に噂が広まります。気をつけてくださいよ。」


「ハイハイ、気をつけますよ。あなたのことだ、上手く誤魔化してくれたんだろう?」


 ボリボリ ボリボリ


「ドリップシートのことだと思わせておきましたよ。ドラキュラシートとか言ってたので。」


 それを聞くと、敷島はぶわははははと下品に笑い始めた。


「ドラキュラシートだと?こりゃあ傑作だなあ、ぶふぉほほほほ!」


 敷島が笑うと、ナッツのようなものの食べカスが口から飛び出した。留美子は眉間に皺を寄せながら一歩後ずさった。


「とにかく、公共の場でアレの名称を口にしないでください。どうしても話したいなら、不信感を持たれない他の単語を使ってください。」


「コードネームか…なんかスパイ映画みたいでかっこいなあ。ぐへへへぇ〜」


 留美子はこれ以上付き合っていると馬鹿がうつると思い、足早に工場長の事務所を後にした。


 最初の実験体にするには打って付けの人材だが、あそこまで無自覚で無能だとヘマをやらかすのは時間の問題な気がしてきた。その気はなくても、ついうっかり、ポロッと極秘情報を洩らしてしまう可能性は否定できない。しっかり監視しておかないと…。


 留美子は従業員もめったに使わない東側の階段を足早に進み、地下へと降りていった。地下三階のドアはセキュリティーロックがされており、留美子と工場長、そして生産部長のみがカードキーを持っている。


 ガチャリと音がして重厚な扉が開いた。その奥にもう一枚の扉。こちらには鍵はかかっていない。後ろの扉がしっかり閉まったことを確認し、留美子は第二の扉を開けて中に入った。


 薄暗い部屋の中央に、緑色に光る水槽がひとつ。小学生が教室でメダカを飼うほどのサイズだ。


 留美子は水槽に近づき中を覗き込んだ。水槽の中は液体で満たされており、その液体自体が緑色に発光している。彼女たちはこの光をコラトゥラライトと呼んでいた。


 そう、そして、この水槽の真ん中に浮かんでいるヤシの実とそっくりな物体。これがコラトゥラシードである。


 パートの女性たちが「ドラキュラシート」と聞き間違えたのはこれのことだったのだ。


 留美子はうっとりと緑の光に魅入った。この光には不思議な作用がある。見ているだけで無限の多幸感に包まれるのだ。


 この素晴らしきものをもたらした主は遥か彼方の宇宙からやって来た。


 あれは数ヶ月前のある晩のこと。寝苦しさに目を覚ますと、留美子の寝室に異形の何かが立っていた。それはいくつもの触手を持った見たこともない生き物だったが、留美子は美しいと思った。


 その生き物は緑色の光を放ち、スルスルと一本の触手を留美子の股の間に伸ばしてきた。留美子は一瞬抵抗したが、緑の光に照らされると思考が停止してしまい、身体にはまるで力が入らなかった。

 よくよく考えると、この世のものとは思えないおぞましい体験だったが、何故か留美子は自分が選ばれたことを名誉な事だと感じていた。


 やがて、留美子は自分が妊娠していることに気がついた。それは腹の中から留美子に語りかけて来た。


 その声は、彼らの共同意識のようなものらしかった。腹の中のモノが受信機のような役割をしているようだった。


 彼らは自分たちのことを、コラトゥラだと名乗った。留美子にはそう聞こえたのだが、実際は少し違っているかもしれない。人間には発音できない音だった。


 彼らは語り始めた。なぜここにやって来たのか。


 コラトゥラたちは広大な宇宙の宣教師だった。彼らが築いた高度な文明の末にたどり着いた究極の幸福。それは不老不死だった。

 その能力をこの銀河中の文明へと伝授するために彼らは果てのない旅を続けている。


 その慈悲の心に留美子は心打たれた。腹に宿った未知なる存在のためなら何でもしようと誓ったのだった。


 コラトゥラたちは、留美子に的確な指示を与えた。彼女を通して人類の特徴を即座に把握し、どうしたら人類を幸福の極地へと誘うことができるのか彼らは既に知っていた。


 留美子はこんなに素晴らしいことなら、すぐにでも公の前に出るべきだと考えたが、コラトゥラたちはそうは考えていないようだった。このような、価値観がひっくり返るような事態をよろしく思わない連中はたくさんいる。


 まずは秘密裏にことを進め、みんなが気がついた時はすでに準備が完了している状態にする計画となった。


 まず、彼女は指示通り、自分の働く工場の管理職を取り込んだ。利己的な彼らを洗脳するのはそう難しいことではなかった。彼らはこの異星人の技術で大儲けをできると思い込んでいた。実は自分たちが計画を発動させる前の人体実験にされるとは知らずに。


 留美子たちは工場の一角を、コラトゥラたちの指示通りに改造し、その時を待った。そして、五日前に留美子はヤシの実のような塊を出産した。


 それをここに収めたのだ。


 彼らの話によれば、あと数日で人類用に変異させたコラトゥラの子が産声をあげる。そう、まさにこれはコラトゥラシード、コラトゥラの種なのだ。


 留美子は愛おしそうに水槽に頬擦りすると、秘密の部屋を後にした。


 コラトゥラシードを育てるためには大量の人間の血液が必要だ。この工場には牛の血液はあるが、自由にできる人間の血液はない。


 これまでは知り合いの医師を騙して何とか手に入れていたが、バレてニュースになってしまった。あの医師は留美子に惚れていたので口は割らないだろうが、もう協力は頼めない。別の方法で入手しなければならないだろう。


「どうしたらいいの?」


 留美子が呟くと、フラッシュバックのように、はっきりした映像が頭の中に一瞬閃いた。これまでもそうだったが、コラトゥラたちからの指示は、ほとんど言語を介さずイメージで送られてくる。


 今回、留美子が受け取ったイメージは、汚らしい男の姿だった。それは駅前にいつも座っているホームレスの男だった。留美子はコラトゥラたちの意図することを理解し身震いした。


「あの人を連れて来いってこと?」


 何でもすると誓ったものの、こればっかりは気が引けてしまった。工場長か生産部長にこの仕事を任せようと思ったが、すぐに思い直した。あいつらに任せて失敗されたらそれこそ終わりだ。


 留美子は心を鬼にしてこの仕事をやり遂げることに決めた。


 夜になるのを待って、留美子は駅へと向かった。例の男がいつもの場所にうずくまっているのが見えた。留美子は、ヨシっとばかりに頬を両手で軽く叩くと、男の元へと向かった。


 男に近寄るとひどい悪臭がした。留美子はグッと我慢して男に話しかけた。


「あの、すみません。今夜は随分冷え込みそうですが、こちらで寝る予定ですか?」


 男はチラッと留美子を見たが、ブツブツ言いながらまた目を逸らしてしまった。


「慈悲深いうちの工場長が、今晩あなた方のために寝床をご用意しました。よかったら来ませんか?」


 その申し出に、男は無反応だった。モゴモゴ何か言っている。言葉が通じないのだろうか…?どうやって工場に誘い出したらいい?留美子が途方に暮れていると、男がのっそりと立ち上がった。


 よかった!通じた!


 留美子はホッとして、工場へとゆっくりと歩き出した。男はノソノソと留美子の後から歩いて来た。


 工場に到着すると、裏口から男を工場へ招き入れた。勤務時間外なので従業員は残っていないはずだが、一時間ごとに警備が巡回している。鉢合わせにならないように気をつけねばならない。


 こんな不潔な男を食品を扱う工場へ入れるなんてご法度だ。今更何を気にしてるのか、と言う気にもなったが、なるべく作業場と離れたところを通って、例の地下室までやって来た。


 鍵を開けて部屋へと入る。


 男はここまで何の疑いもせずについて来たが、さすがに少し変だと思ったのか、扉の向こうで足を止めてしまった。


 ここで逃がしては計画が全て破綻するかもしれない。留美子は焦る気持ちを抑えて、できるだけ優しい声で言った。


「心配入りませんよ。この先に職員用のシャワーがあります。使っていただきたくて。」


 その言葉を信じたのか、男はゆっくり部屋へ入ってきた。


 水槽の部屋を覗くと、コラトゥラシードから触手が伸びているのが見えた。触手は水槽から飛び出して、獲物を待ち構えているかのように、ユラ、ユラと左右に揺れていた。


 留美子は恐ろしくなって、男の腕を引っ張ると、強引に水槽の部屋へ向かって突き飛ばし、バタンと扉を閉めた。


 中から男の悲鳴が聞こえて来た。この世のものとは思えない悲鳴だった。留美子は耳を塞ぎ、その場にうずくまって事が済むのを待った。


 やがて静かになったので、恐る恐る部屋を覗いてみると、床にボロ雑巾のようになった男が横たわっていた。男はかつて生きていた時の姿は見る影もなく、まるで抜け殻のように全ての体液が吸い取られ、干物かミイラのようなものに成り果てていた。


 それにしてもひどい臭いだ。もともと悪臭を放っていた男だったが、それ以上にひどい臭いがした。


 留美子は吐き気をぐっとこらえると、急いで、廃棄物を捨てるための専用袋を取って来た。幸いここは精肉工場だ。廃棄処分となった動物の部位を捨てる設備が整っている。


 留美子は廃棄処理用の手袋と防護服を身につけると、手際良く男の遺体を袋に詰め、持ってきた台車に乗せた。遺体は異様に軽かった。


 そして、足早に廃棄物保管所へと遺体を運び、牛の臓物や脊柱の入った袋の山に紛れ込ませた。これで早朝には業者が持っていってくれるだろう。


 それで急に申し訳ない気持ちになって、留美子は遺体に向かって手を合わせた。


 留美子は防護服を指定の場所へ捨てると、ホッとした気持ちになり水槽の部屋へと戻った。


 コラトゥラシードはいつもの姿に戻っていた。


 ホームレスの男は気の毒だったが、人類の未来のために重要な役割を果たしたのだ。そう考えると留美子はとても良いことをした気持ちになった。


 たっぷり一人分の体液を吸ったのだ。これでコラトゥラの子が産まれるまで、また誰かを誘拐しないといけない羽目にはならないだろう。


 あと数日…。数日の辛抱だ。


・・・


 ちょうどその頃、工場の外では一人の若者が、留美子とホームレスの男が消えて行った裏口を見つめていた。


 彼の名は皆本冬馬(みなもと とうま)。この工場でバイトをしている高校生だ。


 彼はたまたま駅前で、社員の増岡留美子がホームレスの男に声をかけているのを目撃し、不審に思ってついて来たのだった。


 まさか、彼女にこんな趣味があったとは…。少し憧れていた上司だっただけに、冬馬はとてもショックを受けていた。


 最近、増岡が何やらコソコソやっている雰囲気を感じ取ってはいたのだが、まさかホームレスを工場に連れ込んでいたとは…。


 中で何をしてるかまでは、とてもじゃないけど知りたくなかった。


 冬馬は留美子たちが出てくる前にその場を立ち去ろうと決めていたのが、その気持ちと裏腹に、彼はいつまでもグズグズして工場の裏口を見張っていた。


 やがて、増岡留美子が工場から出て来たが、ホームレスの男は一緒ではなかった。別の出入口から帰ったのだろうか?


 しかし、その翌日から例のホームレスを駅の定位置でみかけなくなり、冬馬は不安に思い始めた。


 いやまさか。何のために?彼女に猟奇的な趣味でもあるのだろうか?牛肉に人肉を混ぜるとか…。


 おえ。


 いやいや、ありえない、あの増岡さんに限って、そんなことするわけない。あれはきっと何かのボランティアか何かだったのでは?今ごろあのホームレスはシェルター的なところにいるのかもしれない。


 そうやって冬馬は自分の見たものと現実とで折り合いをつけようと試みたが、やはり不信感は拭いきれなかった。


 それから冬馬は密かに増岡留美子を観察することにした。


 すると、しばし彼女は地下のロックがかかった部屋に出入りしているらしいことがわかった。


 あの部屋にいったい何があるのだろうか?冬馬は好奇心で頭がおかしくなりそうだった。


 どうしてもあの先に何があるのか見てみたい。しかし、正面から入るのは不可能だろう。ではどうやって入る?


 そんなことばかり考えていたある日、たまたま用事で入った生産部長の部屋で、デスクの上に出しっぱなしになっているカードキーを見つけた。


 まさかとは思うが、これであそこに入れたりして。


 冬馬はカードをさっとくすねるとポケットにしまった。


・・・


「なんですって!」


 留美子は思わず大きな声を出してしまった。怒りを通り越して呆れかえってしまう。


「いやー…確かにここに入れていたんどけどなぁ…」


 生産部長の塚本が机の引き出しをゴソゴソ漁っていた。なんと彼はあの部屋に入るためのカードキーを無くしたらしい。


 まったく、どこまで間抜けなの!?


 留美子は苛立ちを抑えられずに思った。先程、ついにコラトゥラシードが目覚め、その姿を完成させたところだった。


 コラトゥラシードが変身した姿は、留美子が最初に寝室で遭遇した異形の生き物と同じものだった。


 ああ、なんと美しい!

 コラトゥラの完全体だ。


 留美子が感動に打ち震えていると、産まれたばかりのコラトゥラから、工場長と生産部長を連れてくるよう指令が飛んできた。


 それで、まず部長の所に来たらこのザマだ。


「もういいですよ。あとでキーを変えましょう。急いでください。急展開ですよ。」


 塚本はブツブツいいながら、キーの捜索を諦めてついて来た。それから工場長も連れ立って地下室へと向かう。


 コラトゥラの部屋に入ると、工場長と生産部長は驚いて固まってしまった。


「何だね、これは…」


「これがコラトゥラの成体です。」


「気味悪いな…」


「何言ってるんですか、これ以上に美しいものはこの世にはありませんよ。」


「そうか?俺にはグチャグチャのドロドロにしか見えないけど…なあ、塚本。」


 名前を呼ばれた生産部長は、かろうじて聞こえる声で返事をした。彼は完全にビビってしまったようだ。


「それで、こいつからどうやって不老不死の能力を授かれるんだい?金をとって施術する仕組みを考えないといけないよな。」


「それはこれからお見せしますよ。」


 留美子はにっこり微笑むと、一歩後ずさった。それを合図に、コラトゥラから触手が伸びて、工場長の頭や腹に突き刺さった。


 あっという間の出来事で、工場長には恐れたり避けたりする時間は無かった。コラトゥラの触手が刺さったままの工場長の体はゆっくりと床に横たえられ、眼球がグルグルと回り始めた。


 コラトゥラの夢が始まったのだ。これまでに、何度かこの状態のイメージを留美子は受け取って来ていたが、実際に見ると少々不気味だった。


 こうして人間はコラトゥラと一体化し永遠の夢の中で不老不死の身体を手に入れるのだ。


 コラトゥラの成体は夢を栄養分として繁殖する生命体だ。彼らによって見せらせる夢は、宿主の体内で収集した情報と、シード状態の間に血液から採取した遺伝情報などから生成される。


 コラトゥラが伝えるには、この上なく幸福な夢だと言う。


 留美子は感動していた。

 とうとうやったのだ。


 工場長の様子からして、対応は成功したようだ。時々失敗して両者命を落とすこともあると聞かされていたので、内心ハラハラしてたのだ。


 留美子は生産部長の方へと向き直り、やさしく話しかけた。


「塚本さん。大丈夫ですよ。我々は成功したんです!永遠の幸福をもたらす不老不死を手に入れたんですよっ!さあ!あなたもぜひ!」


 塚本は失禁しながら首を左右に振って、その場にうずくまってしまった。


「恐れることはないですよ。私もやるべき対応が終わったら夢に入りますから。この先、抵抗する人々と激しい戦いになるかも知れません。それでもいいんですか?現実世界に残ります?」


 塚本は泣き喚きながらブンブン首を振った。コラトゥラから触手が伸びて、塚本に襲いかかった。

 塚本が悲鳴を上げて頭を抱えた瞬間、何やら赤い塊が飛んできて、コラトゥラの触手に命中し、塚本の頭からその爪がそれた。


 飛んできた赤い物体から白い泡が吹き出した。消火器だ。


 いったいどこから飛んできたのだろう?留美子が扉の方を見ると、若い男の姿が見えた。


 どこかで見たことがある。あれは、バイトの高校生か?


「塚本さん!」


 バイトは塚本に駆け寄ると、彼を助け起こした。すかさずコラトゥラの触手が飛んでくる。

 が、バイトは思いがけない俊敏な動きで触手を避けると、腕でそれを払い落とした。


「塚本さん、立てますか?」


「君は!冬馬くんか!?」


 冬馬と呼ばれたバイトは、塚本の腕を肩にかけると、半分彼を引きずりながら部屋から出て行ってしまった。

 留美子はあわてて後を追おうとしたが、散乱する消火液に足を取られて尻餅をついてしまった。

 それにコラトゥラの様子がおかしい。苦しんでいるようだ。


 まさか、この消火液が原因か!?


 偶然にも冬馬が咄嗟に投げあ消火器に入っていた液体の成分が、コラトゥラにとっては猛毒なのであった。


 苦しみのイメージが留美子の中へと入ってきた。今すぐ助けなければ!

 この毒を中和する成分があるはずだ。


 留美子はコラトゥラから送られてきたイメージを頼りに、すぐ上の階の清掃用具室へと駆け込んだ。


 掃除のおばちゃんが数名、ギョッとした顔でこちらを見ていた。留美子は彼女らに構わずに、棚の奥にあるアルコールの入ったビンを数本つかむと、すぐさま地下へと向かった。


 消火液の散乱した部屋にアルコールをぶちまける。


 人間にとっては何の変化も感じられないが、コラトゥラはずいぶん楽になったようだ。留美子はホッとして、計画の練り直しが必要なことを悟った。


 さきほどの冬馬とか言う小僧が塚本を連れて行ってしまったので秘密はバレるだろう。あんなところを見られてしまったら、冬馬は絶対にこれが幸福への入口だとは受け入れられずに、デタラメの情報を世間に流すかもしれない。


 向こうが抵抗する準備を整える前に出来るだけ多くのドリーマーを増やしたい。せっかくここまで努力して来たのだ。


 コラトゥラたちの目的は人類全てを救うことだ。半端なことでは意味がない。


 留美子は歯軋りをしながら、負傷したコラトゥラが完全に回復するまでにできることを考えるのであった。


・・・


 一方の冬馬は、塚本を連れて、まずは自分の家へと逃げ帰って来た。塚本から今までの経緯を聞き、これは宇宙人の侵略だと解釈し、とにかく逃げることにした。


 塚本も、不老不死の状態が思っていたのとだいぶ違っていたようで、冬馬に協力する立場となった。


 その後、冬馬は自分の家族と、塚本の家族、そして彼の話を信じてくれた人たちを連れて東京を脱出し、茨城県北部に身を潜めた。


 コラトゥラは数週間で急激に触手を伸ばし、あっと言う間に東京はほぼ壊滅状態となった。

 冬馬たちの呼びかけに耳を傾けなかった国の対応は後手後手に回り、かろうじて東京周辺で何とか侵食を抑えている状態だ。


 海外からも遠征部隊が到着し、人類とコラトゥラの長い長い戦いが始まった。


 冬馬は、できる限りの情報収集に努め、政府と協力しながら、生存者救出作戦の主要メンバーとなっている。

 生存者救出部隊は、自らをイーバスレイヤー(宇宙人殺し)と名乗り、今日も最前線で戦っている。


 でもそのお話はまた今度。

 別の機会に。


(おわり)

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はじまりの種 大橋 知誉 @chiyo_bb

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