日本三大幽霊と勘違い新生活(ルームシェア)

菅原 双

勘違いからはじまる新生活


 東京のある町の一角。

 木造の、一人暮らしにはあまりに広い古めかしい家。


 祖父が趣味で買ったというその屋敷は核家族化が進んでいた我が家では今の今まで存在を忘れられていたものだったが、俺こと日野ひの 皐月さつきの進学する学校の位置が東京の方になったからという何の変哲もない理由で存在意義を取り戻した。

 両親は一緒にこの家には住まない。仕事の都合で、というのがまず一つ目の理由。二つ目は――父も母も口には出さなかったが――本当は、両親が祖父を苦手としていたから。何故かは子供の時分じぶんは解らなかったが、家族というのは得てしてそんなものなんだろう。実際、俺と彼らだって、一緒には住まないのだから。


 俺に祖父の記憶は殆どない。父も母も努めて我が家で実家の、それも祖父の話はしなかった。ひるがえって考えてみると、そもそも俺は祖父という存在に気づいていなかったのだから父と母が我が家では祖父の存在を封印しようとしていることにすら気づいていなかったのだ。

 俺に物心がついて少し経った時、初めて祖父という存在が俺の中に浮上した。父と母が揃っている時に聞くと観念したかのように祖父のことを喋り始めたことを覚えている。まるで溜まっていたものを吐き出すように滔々とうとうと話す父と母の姿。それはとても祖父を苦手としている様子には見えなかった。もちろん全面的な好意を持っているわけではなくて、言うなれば愛憎見え隠れ、といった感じ。

 忘れていた、と言っていたこの家のことも、彼らは本当は忘れていなかったのかもしれない。喉にささった小骨を無理くり飲み込むように、苦手な祖父のことも家も忘れようとして。でも引っ掛かっていたままで……。

 悲しくはない。といえば少し嘘になる。でも、大丈夫。

 この家には素敵な同居人がいた。


「ただいま~……あれ、菊さん?」 

『八枚……九枚……』

「おーい?」


『……足りない』

『一枚……足りない……!!』


 その同居人というのがこの、菊さんである。


 俺はやはり引っ越した当初から、屋敷といっても過言ではないこの家で一人というのは寂しいというか、勿体無いと思っていた。この大都会東京では人が所狭しとひしめいているというのに、その敷地をデン! と一人占めするというのは小心者で田舎者の俺には、どうも居心地が悪い。そこで近辺の地理を確認するとともに、誰かルームシェアのできる相手は居ないかと寂しさ、もとい家の広さを埋めてくれる存在を探した。

 すると、いたのだ。

 そう、菊さん……正式名称『お菊さん』である。本人談。


―――

――


 彼女とは入り組んだ小路を抜けて少し開けたところで出会った。


 慣れない土地で歩き疲れた俺は、どこか腰を下ろしたいなと思いつつ進んだ先に、現代には似つかわしくない古井戸を見つけていた。この東京に一つポツンと佇む姿に親近感が湧いた俺はそれを背にして地面に腰を下ろした。

 そよぐ心地よい風に目を細めながら、そのまま何分か経った。そこで俺はふと視線を感じた。当然、振り返る。


 すると艶々とした黒髪で長身の女の人がいた。

 何故か全身がびしょびしょの彼女は、素晴らしいスタイルを確信させるラインが浮き上がっておりひどく美しかった……が、とても穏やかな昼下がりには似合わない恰好をしていた。水も滴るなんとやらとはよく言うが、あれでは滴りすぎである。

 とは言うものの、きっとこの人が美人だという予感はしていた。前髪が顔を覆っていてはっきりとした表情は掴めないが、立ち姿でなんとなくわかる。

 とにかく挨拶をしなければ。そう思い立ち上がった。


 あの時の俺たちはお互いにポカンと、見つめ合っている状態だった。


「あの、こんにちは」

「……こんにち、は?」


 少したどたどしくなってしまった俺の挨拶に彼女は首を傾げながらも返してくれた。

 声まで綺麗だな、この人。そう思っていたら、彼女は目に見えて取り乱しはじめた。

 

「……えっ、えっ!? もしかして見えているの……?」

「……?」


 彼女は何かをぶつぶつと呟いていた。

『もしかして見えているの?』だったか。

 ……彼女の肌のことだろうか。そうだとしたら、申し訳なく思う。今でも覚えているが、ばっちり見えておりました。彼女が着ているのは白く薄い襦袢じゅばん(和服用の下着)だけで、それを濡らしているものだから、普通に素肌まで透けていたのである。

 女性の前では紳士を気取りたいのが男の性、目を背けつつ、見えていたと正直に告げて自衛してもらうべきだろうとそう思い、俺は正直に告げた。


「ええ、見えています……」

「や、やっぱり!! すごい! 怖くないの!?」

「(怖いの!? 肌色が!?)」


 "饅頭まんじゅうこわい"的なフリだろうか。むしろ全然怖くはなく、目の保養にしかならなかった。しかしあえて『怖い』と言って『ならば露出を増やそう』みたいな落語的展開に持っていった方が良かったかもしれない、が結局これは言わない方が良いと判断。そこは紳士を気取る俺、彼女を褒めつつフォローしたのだ。


「怖くなんかありませんよ……? むしろ綺麗で、俺は好みでした」

「あっ、えっ? き、綺麗……?」


 そこで何故か嬉しそうに頬を染めた彼女。

 とにかく肌を見てしまった俺に対して嫌悪感は抱いていない様子だった。露出の追加もなかった。


「はいとっても。でも、流石に隠した方が良いかと」

「隠す……? 何のこと……あっ」


 彼女も流石に気付いたのか、恥ずかしそうに前髪に隠れた顔をさらに手でおおってしまった。いや、隠すのはそこじゃないというのに。そうツッコミそうになったがぐっと堪えた。


「やっぱり私の顔なんて、怖い、わよね……」

「顔? 何言ってるんです?」


 初めから会話が噛み合わないと思っていたが、それが決定的になった瞬間だった。俺はその後、とにかく彼女の手を取り、少しでも肌を隠すようにと焦っていておざなりな説得をしたのを覚えている。


 彼女を説得した後、俺の羽織はおっていた上着を上から着させ、我が家で彼女の服を乾かしてやることになっていた。

 それから俺は家への帰路を歩きながら、彼女……菊さんがなぜあんなにびしょ濡れだったのか聞こうと思った。だがそれは躊躇ためらわれて、ついに聞かずに終わった。彼女が言い出さないということはそういうことなのだろう、と。それから彼女が自己紹介をすませた後、俺に対してマシンガンのように質問を浴びせてきたことでそれはいつしか俺の頭から完全に抜け落ちていた。


「皐月さんのご両親は?」

「あーっと、今は離ればなれに住んでるよ」

「そうなの……少し悲しいわね……」

「今の家族はこんなものだよ、菊さん」

「そうなのかしら」


 時代は変わるのね……なんて大人っぽい台詞を彼女は呟いた。未だに彼女が何歳なのか、俺には計りかねる。親御さんにご挨拶……とも呟いていた。


―――

――


 そして、現在に至る。

 結局彼女に行く宛がないことが分かり「そのまま一緒に住みませんか?」と俺が誘って、こう相成あいなったわけだ。彼女も喜んでいたから良いことをしたと思う。

 彼女には家賃を払ってもらうつもりも元々ないし自由にくつろいでくれていいと伝えたが、それでは彼女の気が済まないということで、家事をやってもらっている。正直に言えばこれは助かった。自分ではきっと適当に済ませてしまうだろうし、彼女はとてもしっかりしていて頼りになる大人の女性だった。

 今は何故かひどく取り乱しているが。


「ああっ、一枚お皿が足りないわ……どうしよう、無くしてしまったのかしら……っ!」

「菊さん? お皿無くなっちゃった?」

「さ、皐月さん……! ご免なさい、そうみたいなの……」

「いいよ、菊さん。大丈夫だから。ね?」

「ご免なさい……ご免なさい……!」


 今では俺にとって居なくてはならない家族のような存在の彼女が困っている。これは家主として解決の手立てを見つけねばなるまい。


「いいっていいって。一緒に探そうよ」

「はい、でも」

「そっか。家中探してくれたんだね」

「う、はい」

「それは大変だったね」


 ありがとう、そう言って彼女を落ち着かせるように頭を優しく撫でた。


「あっ」


 その時、何となく懐かしい気分がした。

 不確かで朧気おぼろげな記憶をくすぐられて、かつては自分もこの場所で同じように祖父に撫でてもらっていたのかもしれない、などと妙な考えまで浮かんだ。俺はそれをただ巡らせたまま、彼女を眺めて微笑んだ。


「次の休日にでも、一緒にお皿買いに行こっか」

「すみません、私のせいで」

「いいよ。そのお陰で菊さんとお出かけできるんだし」

「皐月さん……!」


 この日はやたらと甘えてしなだれかかってくる菊さんに緊張しながら、いちゃいちゃしていたら一日が終わっていた。

 まだまだ春休み。まずはこの新生活ルームシェアに慣れていかなければ。彼女のお陰で寂しくはない。しかし、……何故か彼女は俺に対して、無防備がすぎる。果たして俺の心臓はこの新生活に耐えられるだろうか。

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