第10話

「翼ちゃん。お疲れ様」

 

 朝美がコーヒーを淹れてくれた。


「ありがとう」


 俺はそれを受け取って陽彩の前に座った。


「どうだった? おとうのパウンドケーキは?」

 

 聞かなくても分かりきっていることを俺は聞いた。


「すっごく美味しかった! こんな美味しいパウンドケーキを食べたのは初めて!」

「それはよかった。てか、口に生クリームついてるぞ」


 俺はテーブルに備え付けられてる紙ナプキンを一枚とって、陽彩の口の端についてた生クリームを拭き取った。


「あ、ありがと」


 なぜか陽彩は顔を赤くしていた。


「つーばーさーちゃん。彼女のこと私にも紹介してよ」

「か、かのじょじゃないです」

「あらそうなの? 残念」

「さっきも違うって言っただろ」


 いつの間にか、朝美が俺たちのテーブルの近くにやってきていた。

 どうやら、お店のスイーツが全部売り切れたらしい。店の中には俺たち以外、誰もいなかった。



「お、朝美が言ってたのはその子か。初めまして、私は翼の父親の獅戸蓮夜というものです」

「あ、初めまして、私は翼……じゃなかった。翼君と同じクラスの神宮司陽彩です」

「陽彩ちゃんって名前なんだ~。可愛い名前だね」


 そう言って朝美は陽彩に抱き着いた。 陽彩が嫌がってないからいいものの。この誰にでもすぐに抱き着く癖を何とかしてほしい。と息子の俺は思っている。


「あの、パウンドケーキ最高に美味しかったです」

「そうかい。お褒めいただき光栄です。またいつでも食べにいらしてください」


 蓮夜は英国紳士だ。英国に長くいたせいか、そっちの挨拶が体に染みついているらしい。コック帽を右手で外して、深いお辞儀をしていた。


「はい。また来ます」

「陽彩ちゃん、またね~!」


 二人はお店の後片付けをするために戻っていった。


「なんかごめんな。騒がしい親で」

「ううん。いい親御さんだね」


 陽彩の顔が一瞬だけ曇ったような気がしたが気のせいだろうか。俺は人の心に土足で踏み入れる勇気はないので、見なかったことにすることにした。


「じゃあ、私もそろそろ帰るね」

「ああ、途中まで送っていくよ」

「大丈夫だよ」

「ダメだ。こんな時間に女の子が一人で歩くのは危険だ」


 俺がそう言うと陽彩はなぜか顔を赤くしていた。

 そして、遠慮がちに言った。


「じゃあ、お願いします」

「おう。ちょっと着替えてくるから待ってろ」


 俺は陽彩にそう言い残して、着替えをするために二階の自宅に戻った。


 

「お待たせ」


 着替えをして、陽彩の座ってるテーブル席に戻ってきた。陽彩はスマホをいじって待っていた。


「じゃあ、行くか」

「うん・・・・・・」


 俺たちは並んで陽彩の使っている最寄り駅まで一緒に歩いた。


「いつも電車で学校まで通ってるんだな」

「そうだね。ちょっと、家遠いからね」

「一人なのか?」

「え? ああ、うん。いつも一人だよ」

「そうなのか」


 陽彩がいつも使ってる最寄り駅学校とは反対側にあったが、意外と俺の家から近くてすぐに到着した。


「じゃあ、ここで」

「うん。ありがと」

「気をつけてな」

「ねぇ、また、食べに行ってもいい?」

「もちろん。いつでも待ってるよ。ところで、朝はいつも何時にここに到着するんだ?」

「え・・・・・・どうして?」

「なんとなく、気になって」

「ふーん。気になるのかー。そんなに私のことが気になるのかー」

 

 陽彩はさっきまでの緊張気味の態度から一変して、俺をからかうモードに入った。

 しまった。変なスイッチを入れてしまったな。


「教えてほしいの?」


 陽彩が顔を近づけてくる。甘いいい匂いが漂ってきた。


「いや、やめとく」

「もー。素直じゃないなー。特別だからね?」


そう言って、陽彩は俺に耳打ちをした。


「七時五十分に到着する電車だよ」


 陽彩は逃げるように改札を通った。

 俺はその背中を見えなくなるまで見つめていた。

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