第9話
俺たちはお店の正面から入った。
夕方ということもあって、主婦や学校帰りの高校生でお店の中はあふれかえっていた。
「おー。翼、帰ってきたのか! ちょっと手伝ってくれー!」
「ということだ。少し待っててもらえないか?」
「うん。私は大丈夫」
「すぐに席が空くと思うから、空いたらその席に座ってて」
俺は陽彩にそう言うと、着替えを済ませて、ホールに入った。
今日は週末ということもあって、人の波は切れる気配がなかった。
蓮夜と入れ替わりで
「あら、翼ちゃん。おかえり」
「ただいま、かあさん」
「手伝ってくれてるのね。ありがと」
「今日も忙しそうだな」
「そうなのよ。そろそろ、人を雇った方がいいかしらね」
「それがいいかもな。二人に体壊されても困るし。俺もできる限り手伝うけど」
「もう、この子ったら。いい子になっちゃって」
朝美は俺を抱き寄せた。
年齢よりもかなり若く見える母はよく俺と姉弟と間違われる。艶のある肌と子供のような無邪気な笑顔、それにモデルみたいなスタイル。大学生と言れても納得してしまうほど、若々しかった。
「そんなことしてる暇ないだろ」
「そうだった。翼ちゃんはこれ運んで」
「はいよ」
俺は、朝美から受け取ったパウンドケーキを常連のマダムのところに運んだ。
「あら、翼ちゃん。今日はお店を手伝ってるのね」
「はい。ご無沙汰してます。いつもありがとうございます」
「ここのパウンドケーキは何度でも食べたくなるわ!」
「その言葉は父に言ってあげてください」
俺はマダムに頭を下げて、空いた席にちょこんと座っていた陽彩のもとに向かった。
「何か食べるか?」
「そうする」
「はい。これがメニューな」
「ありがと」
陽彩はさっきからそわそわとしていた。
もしかして、居心地悪かったか?
「どうしたんだ?」
「え……」
「なんか、さっきから落ち着きないように見えるけど」
「そうかな? ワクワクしてるのかも。ここでスイーツを食べてるお客さんの顔がみんな幸せそうだから。早く、私もそのスイーツを食べたくて」
「そうか」
俺は、イートインスペースにいるお客さんの顔を見渡した。陽彩の言う通り、みんな幸せそうな顔をして、蓮夜の作ったスイーツを食べていた。
それは、俺が憧れている景色だった。いつか、俺も自分のお店を持った時に、こんな風に俺の作ったスイーツを食べて幸せそうな顔になってもらうのが今の夢だ。
「オススメはどれなの?」
「オススメか。おとうのスイーツはどれも同じくらい美味しいからな。オススメのしようがない」
「そっか~。じゃあ、このメニューの中で翼の一番好きなスイーツは?」
「俺の一番好きなスイーツ……」
俺はこれまでに食べた蓮夜のスイーツのは数々を頭の中で思い浮かべていった。
簡単に選べるもんじゃないんだよな。どのスイーツにも思い出がある。そもそも、蓮夜のスイーツはどれも最高級に美味しいのだ。
だから、俺はメニューにある中から一つ選ぶことにした。陽彩が好きそうなスイーツを。
「じゃあ、パウンドケーキでどうだ?」
「それにする!」
「了解」
俺はキッチンに向かって蓮夜にパウンドケーキの注文を告げた。
ホールに戻ると朝美が歩み寄ってきた。
「ねぇ、ねぇ、あの子はもしかして、翼の……」
「違うから」
さっきの陽彩と俺のやり取りを見ていたのだろう。朝美はニヤニヤと笑っていた。
「そうなんだ~。可愛い子だね」
「まあ、それは認める」
「満更でもないのね」
「だから、違うって!」
朝美は、はいはいと聞く耳を持たずにレジ待ちのお客さんのところに行った。
やっぱり、連れてくるんじゃなかったかな。
こうなることはなんとなく想像ができた。朝美は可愛いものと美味しいものが好きだから。
「翼。これ頼む」
「はいよ」
俺は蓮夜から出来立てのパウンドケーキの乗った皿を受け取って、陽彩の座っているテーブルに運んだ。
「お待たせいたしました。パウンドケーキです」
「うわぁ~。美味しそう!」
生クリームたっぷりのシンプルなパウンドケーキを見て、陽彩の目は一気に輝きだした。
陽彩が食べる様子は遠くから見守ることにした。
まだまだ、お客さんの波は切れる気配なかった。
それから、一時間近く動き回って、ようやく落ち着くことができた。
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