第2話
おかしな夢を見たのはその日の晩のことだった。
誰かに名前を呼ばれた気がしてふと目を覚ますと、目の前に赤い着物を着た小学校の低学年位の年頃の女の子がいた。ベッドの足元に立ち、こちらをじっと見つめている。
「お主、性懲りもなくまた我に願い事をしたな?」
「は?」
見間違えかと思い、パチパチと目を瞬く。けれど、その幻覚は消えなかった。
(なんで? なんでこんなところに、知らない女の子が!? しかも、日本人形みたいな着物を着ているし!)
あり得ない状況に唖然とする俺の元に、女の子はストンと歩み寄る。
拳一個分くらいしか離れていないような近距離で目が合った。近くで見ると、その女の子の瞳は虹色の、見たこともないような不思議な色をしていた。
「お主ほどできの悪いやつはそうそうおらん。何回繰り返せば気が済むのじゃ?」
そう言われて、すぐに自分の中のおかしな記憶のことを言われているのだとわかった。
「なんで……」
「なんで? 何回も願いに来ておいて、よく言う」
女の子ははあっと溜息をつく。
「まあ、よい。今回は完全に縁が切れる前に来ただけ上出来じゃ。願いを叶えたくば、思いを寄せる娘ともっと近づくことじゃな」
「近づく?」
「さようじゃ。さすれば、お主の願いは叶えられる可能性が高まるじゃろう」
女の子は満足げに頷くと、体を引いて一歩後ろへと下がる。
「よいか? これが三回目。最後じゃ。次はない」
「ちょっと、待てよ!」
すぐに呼びかけたものの、その子は忽然と姿を消した。
「嘘だろ?」
状況が理解できず、咄嗟に起き上がる。
(次は、ない?)
直感的に、俺の不思議なループはこれで最後だと悟った。
俺は必死に周囲を探す。
けれど、とうとうあの子を探し出すことはできなかった。
──ピピッ、ピピッ。
目覚まし時計の音に、目を覚ます。
真っ白な天井に丸い蛍光灯の照明器具がひとつ、壁沿いに学習机と本棚。目覚めると、いつもと変わらない景色が広がっていた。
俺は額に手を当てた。
おかしな夢を見た。
予想外のお告げだ。
もっと近づけ?
(そんなことは言われなくてもわかってるし。全然アドバイスになってねえ!)
小学校の頃はよく、雫と遊んでいた。けれど、中学生の思春期に入ると自然と男女で距離ができ、過去二回の人生では、いつの間にかそれは決定的な溝になった。
ただの夢なのか、本当のお告げなのか。
判断がつかないまま、学校へ行く。雫のことを気にしてみて見たけれど、特に変わった様子はなかった。頻繁にチラチラと見てしまったので、何度か目が合った。おかしいと思われていなければいいけれど。
この日は前日の小テストの返却があった。返却された答案用紙を見ると、十点満点。いつもと変わらない。
「原田」
数学の伊藤先生が雫の名前を呼ぶ。ぼんやりと雫の様子を眺めていたら、答案を受け取った直後、その表情が曇ったのがわかった。
(あんまりできなかったのかな?)
そんなことを思う。
話すタイミングを探してお昼休みにさりげなく雫の方を見ていたら、突然顔を上げてこちらを向いた雫とバッチリと目が合った。
ヤバい、今日は目が合い過ぎだ。
さりげなく見ていたことがバレたかもしれない。
慌てて顔を逸らすと、俺は平静を装って友達と会話を始めた。
そのまま雫に話しかけるタイミングを見つけることができずに放課後になってしまった。帰りの清掃の後、ゴミ当番の雫がひとりでごみを抱えて廊下を歩いてゆくのが見えて、慌てて追いかけた。
「雫、手伝うよ」
少し声を張って叫ぶと、雫はごみ袋を抱えたまま振り返る。胸にごみ袋をひとつ抱き、もうひとつは右手にぶら下げている。重いのか、普段なら白い頬が少し紅潮していた。
俺は雫の持っていたごみ袋のうち、大きい方をひょいと取った。雫は不意打ちに驚いたように、こちらを見上げる。
「大丈夫だよ。かさ張っているけど中身は丸めた新聞紙だから、そんなに重くないし。持てるよ?」
「いいんだよ。俺、女子がごみ袋を必死に運んで顔を赤くしているのに素通りするような鬼畜じゃないし」
「赤くしてないし!」
「してたよ」
からかうようにそう言うと、雫がふて腐れたように頬を膨らませる。その姿がなんだかリスみたいに可愛くて、思わず顔がにやけそうになる。
そのときだった。
ぼんやり見ていた前方に赤色のものが映った。ちょこんと通路の端に立ってこちらを見ているのは昨日の女の子だ。
びっくりしてすぐに雫を見ると、特に驚く様子もない。そうこうするうちに女の子はくるりと姿を消した。
(よかった、雫は気付いていなさそうだ。)
──願いを叶えたくば、もっと近づくことじゃ。
不思議な女の子の言葉が脳裏に蘇る。
(わかってるんだよ、そんなこと! でも、どうやって?)
突然、『今度二人で遊びに行こうぜ』って言ったら、絶対に不審がられるに違いない。
どう切り出すべきかと悩んでいたら、今日の昼間に見た雫の表情がふと蘇った。
(そうだ!)
ひとつの名案が頭に浮かぶ。
「なあ、雫。お前昨日の数学の小テストでさ──」
「へ!? 待って! お願い、言わないで!」
慌てたように雫が片手をこちらに伸ばし、俺の口を手で塞いだ。
唇に雫の手のひらが当たり、まるで手のひらにキスをしたみたいだ。顔に熱が集まる。
「数学、苦手なの」
ぶっきらぼうにそう言った雫は、すたすたと前を歩いて行ってしまった。髪の毛の合間から見える耳が、ほんのりと赤く色付いている。
その後ろ姿を慌てて追いかけながら考える。
数学が苦手と聞き出したんだから、この流れで勉強を教えてあげるという絶好のチャンスだ。それなら二人会うのも不自然じゃない。
小柄な後ろ姿を見つめながら、切り出すタイミングを窺っているうちにゴミ捨て場についてしまった。
ようやく本題を切り出せたのはゴミ捨てが終わってから。
けれど、返ってきた返事は予想外だった。
「駄目でしょ」
一瞬、頭が真っ白になる。
(なんで? なんでだ? 俺に教えられるのが嫌だから?)
ブリザード状態の感情を落ち着かせてなんとか理由を聞き出したときは、頭が痛くなる思いだった。
雫は俺の彼女──もちろん、そんな人はいない──に気を使っていたのだ。身から出た錆とは言え、本当に二年前の自分の軽い思い付きを恨めしく感じた。
なんとか誤解を解いて勉強を教える約束を取り付けたときは、ホッとした。
あの女の子のご利益がどれくらいかはわからないけれど、願いを叶えたければ……の必要条件の約束は取り付けたわけだ。安堵から、両手を組んだまま上に挙げて、ぐっと伸びをする。
その様子を眺めていた雫が、おもむろに口を開いた。
「侑くん、もしかして好きな人がいるの?」
「え? なんで?」
突然の雫の質問に、心臓が飛び上がるほど驚いた。
(もしかして、俺の気持ちはすでに雫にバレている?)
けれど、返ってきたのは予想外の答え。
「昨日ね、侑くんが縁結びの神社から出てきたのを見たの」
一瞬、何を言われているのかわからなかった。
(見られていた? あそこに行ったのを? うわっ、恥ずかしすぎる。)
しかも、雫が続けた言葉は完全に斜め上をいっていた。
「私、応援するし、協力もするから頑張って!」
「協力……?」
(なんだこれ? 予想外過ぎるだろ。だって、俺が好きなのは……。)
しばらく呆気に取られてしまった。けれど、すぐに思案を巡らせてこれはチャンスなのでは? と思い直す。
なぜなら、これで大手を振って雫に好きなタイプとか、憧れのデートとか、プレゼント選びの相談ができるからだ。
「──えっと、……わかった。じゃあ、協力して」
「うん」
雫は屈託なく笑う。その笑顔が可愛らしくて、こちらまで笑みが漏れる。
(覚悟しとけよ、雫。今度こそ、絶対に好きにさせてやる!)
俺はそんな思いを込めて、ポンっと雫の頭に片手を置いた。
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