第2話

 ◇ ◇ ◇


 毎日のように通い慣れたさくら坂。


 いつもはまっすぐに道を進むけれど、今日は記憶を頼りに角を曲がる。右手に持ったコンビニのレジ袋が制服のスカートに当たってカサリと鳴る。

 もう一度角を曲がり、目的の場所を見つけた私はまっすぐにそこに歩み寄った。


「さーくーらーさーまー!」


 赤い鳥居をくぐると、小さな祠に向かって呼びかける。不意に空気がふわりと揺れた気がした。


「なにか用かのう?」


 さっきまでなにもなかった参道に忽然と現れたのは赤い着物を着た綺麗な女の子だ。黒く艶やかな髪の毛は腰までのストレートロング。

 初めて会った日にとても綺麗だと感じた瞳は、今日も虹色にきらめいて見えた。


 今日、私はさくらに会えると確信をもってここへ来たわけではなかった。だから、呼びかけてこうして現れてくれたことにホッとした。


「うん。さくら様が言うとおり、侑くんの恋愛成就のお手伝いをしようと思うんだけど、友達から聞いた『お互いのことをもっと知る』くらいしかアドバイスができないの。こんなので平気かな?」

「ほう?」

「なんかね、付き合ったときに上手くいくようにって仮の彼女役をすることになったんだけど、上手くできている気が全くしないよ」

「よきかな、よきかな」


 さくらは十歳にも満たないようにしか見えない見た目に反し、まるで昔話に出てくるおばあちゃんのような話し方で頷く。

 その見た目とのギャップに、思わず笑みを漏らした。


「本当はもっと協力できたらいいのだけど」

「人の縁など、なるようになるものじゃ」


 なるようになる、その方向性を変えたくて皆がさくらのところに来るんだと思うんだけど? という言葉はすんでのところで呑み込んだ。


「困ったときは、誰かに相談するとよい。ひとりで悩むと、行き詰まる」


 さくらは付け加えるように、そう言った。


「誰かに……」


 誰かに相談、と聞いて最初に思い浮かんだのは親友の夏帆ちゃんの顔だ。

 でも、夏帆ちゃんは侑希のことを知っているので、万が一にもその相談している当事者が侑希だとばれたら? と思うと、なかなか相談しにくい。


「よいか雫。人生とは偶然が積み重なっているように見えても、多くはその者の行動に裏打ちされた結果から成り立っている。多くの偶然は、その者がそれを引き寄せるように行動するから起こるのじゃ。それを引き寄せる努力をやめた者には、どんなに願っても縁は結ばれない」


 私は首を傾げる。

 哲学じみた言葉は、わかるようでわからない。


 さくらはそれ以上話すつもりはないようで、すっくと立ち上がるとこちらへと歩み寄った。そして私の持つレジ袋をまじまじと眺めた。


「以後のお供え物は、田中精肉店のメンチカツ希望じゃ」

「田中精肉店のメンチカツ?」


 きょとんとして聞き返す。

 田中精肉店とは、さくら坂駅前商店街にある昔ながらの小さな精肉店だ。生肉と共に、ミートボールやコロッケ、メンチカツもバラで売っている。

 頼めばお店で揚げてくれるので、その場で揚げたてが食べられるのだ。ジューシーで美味しいと評判で、学校帰りのさくら坂高校の生徒もよく利用している。


「……おいなりさんじゃないの?」

「いなり寿司もよいが、メンチカツはなおよし」


 今持っているレジ袋にはコンビニで買ったいなり寿司が入っている。なぜか、神様といえばいなり寿司が好きなのかと安易に思って買ってしまった。つまり、稲荷神社と勘違いした。


「じゃあ、次回はメンチカツにするよ」


 そこまで言って、私は言葉を切る。


「さくら様はいつもここにいるの? 時々出歩いているよね?」


 初めてここに来た翌日、学校でさくらを見かけた。ちょうど侑希が近くにいるときだったので、見られたのではないかと心臓が縮こまる思いだった。

 すとんと座って澄まし顔のさくらは、虹色の瞳でこちらを見ると、わずかに目を細めた。


「時折出かけるが、呼べば聞こえる。──祭りの夜は宴会じゃ」

「祭り?」

「夜空の花を愛でながら、友人の神々と酒を酌み交わす」


 『夜空の花』ということは、花火だろうか。

 この辺りでは八月の頭に、約五千発の花火を打ち上げる比較的大きな花火大会がある。当日は河川敷を中心にずらりと出店が並び、多くの人が訪れる。


「我も機嫌が上がるから、たくさんの縁が結ばれる」

「へえ……」


 縁結びって、神様の機嫌のよさで決まっちゃうの? と、ちょっとした衝撃。

 でも、今日さくらと話して、とりあえず自分のやっている方向性が大きく間違ってはいないようだとわかってホッとした。


「また来ますね」

「辛口の日本酒もいいのう」


 さくらが誰に言うでもなく呟くのが聞こえたけれど、聞こえないふりをしてやり過ごす。


 残念ながら、未成年の私にお酒は買えないのだ。それに、さくらはこんな子供の姿しているのに、お酒なんか飲んでいたら警察に補導されちゃいますよ。


    ◇ ◇ ◇


 夏休み前最後の週末となる金曜日、私は侑希とすみれ台図書館の自習室にいた。


「英語はさ、単語を全部覚えていると大変だから、一緒に派生語も覚えるといいよ。例えば、今出てきたcompeteが『競争する』っていう意味の動詞だって覚えていれば、competitiveやcompetitionっていう単語を知らなくても、語尾にtive、tionが付いているからcompeteの形容詞と名詞だってなんとなく想像がつくだろ?」

「あ、なるほど」


 説明する侑希の前髪が、さらりと額にかかる。


 これまで、私は英単語を一つひとつ単語帳に書き写し、丸暗記していた。だから、とても効率が悪くてなかなか覚えられなかった。

 こういうふうに覚え方をすればいいのかと目から鱗。まだ二回目だけれど、侑希の教え方はとてもうまい気がする。


 夜八時の五分間になると、自習室に閉館を知らせる音楽が鳴る。オルゴールを鳴らしたような優しい音楽が聞こえ、私達は机に広がっていたノートや教科書を片付け始めた。


 帰り際、図書館の出入口にある市や地域からの情報が掲載された掲示板がふと目に入る。

 私はそこに、来月上旬に開催される花火大会のお知らせが掲載されているのを見つけた。


「もうすぐ花火だね」

「そうだな」

「侑くんは行くの?」

「まだ決めてない」


 侑希は私の横に立ち、掲示板のお知らせに見入る。日程は、例年通り八月の第一土曜日だ。


「雫は?」

「私もまだ決めてないよ」


 去年の夏は、中学三年生で中学最後の夏だった。

 だから、中学校の同級生たちと十人くらいで待ち合わせしてみんなで花火を見に行った。


 すごい人混みで、途中ではぐれたりしたこともあり、結局花火が始まったときに一緒いたのは四人くらいだった気がする。

 たしか、侑希も一緒だった。彼女と行かないのかなぁと不思議に思ったから、よく憶えている。


(今年は誰と行こうかな)


 夏帆ちゃんは彼氏である松本くんと一緒に行く気がするから駄目だろう。仲良しの美紀みきちゃんか、クッキング部も一緒の優衣ゆいちゃんを誘ってみようか。


 そんなことを考えていると、ふと名案を閃いた。


 縁結びの神様であるさくらは、花火の夜は機嫌がいいから多くの縁が結ばれると言った。だから、これを利用しない手はないのでは?


「ねえ、侑くん。今度の花火大会、好きな子を誘ってみれば?」

「え?」


 私の提案に、侑希は驚いたような顔をした。


「一緒に花火見るなんて、ロマンチックじゃん。誘ってみたら?」


 侑希が好きな人が誰なのかは知らない。

 けれど、未だに侑希が他校の彼女と別れたことを、学校で殆ど誰にも言っていないところをみると、さくら坂高校の人ではない気がした。


 となると、相手は同じ塾の女の子とかだろうか。

 とにかく、あまり会う機会のないその子と親しくなる絶好のチャンスだと思ったのだ。それに、侑希みたいな男の子に誘われて嫌だと感じる子はそんなにいないと思う。


「花火大会? ──うん、誘ってみようかな」

「うん、頑張れ!」


 肘を折って両手を顔の横に持ってくると、拳を握って頑張れのポーズをした。笑顔で見上げると、侑希が釣られるようにくすりと笑う。


(よし! 頑張れ!)


 心の中で精一杯のエールを送った。

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