第三章
第1話
金曜日の夜の図書館は、思いのほか人が多かった。
六人掛けの自習用机が八つほど置かれた自習室は、大体半分近くが埋まっている。どこかの高校の制服を着ている人もいれば、私服の大学生らしき人や会社帰りの社会人らしき人もいる。資格の勉強でもしているのかもしれない。
テーブルの片側三席が空いている場所を見つけ、そこに鞄を置く。侑希は私のすぐとなりの椅子を引いた。
「何からやる?」
「私、数学苦手だから数学にする」
「了解」
鞄から教科書とノートを取り出す。今やっているのは、少し複雑な二次方程式だ。
「雫はさ、文系と理系、どっちに進むの?」
「え? 決めてないよ」
それを聞いた侑希は少し驚いたように私を見返す。
さくら坂高校では、高校二年生の四月から理系コースと文系コースに分かれて授業が別々になる。その希望は高校一年生の二月頃に提出するのだ。
まだ半年近くあるから決めなくていいと思っていたけど、侑希の表情に私は不安を覚えた。
「侑くんは決まっているの?」
「決めているよ。俺は理系コース。医学部に行きたい」
「医学部? お医者さんになりたいの?」
初めて聞く話に驚いて、私は目を見開いた。
「うん。昔さ、俺が手首を骨折したの憶えている?」
「憶えているよ。中三の、部活で怪我したやつでしょ?」
「うん、そう。あのとき、『大丈夫ですよ』って言いながらてきぱき処置してくれて、医者って凄いなって思ってさ。医学部だと金銭的に国立じゃないと無理だから、結構厳しいけど」
侑希は苦笑する。
中学三年生のとき、侑希は部活中に足を滑らせて手をついたタイミングで手首の骨を痛めた。家が隣だったから、通学鞄を持ってあげたりと色々してあげたのでよく憶えている。
けど、医学部? 医者?
そんなことを考えていたなんて、全く知らなかった。
「侑くん、すごい!」
「すごくないよ。受けるだけなら誰にでもできるって。受かってから褒めて」
侑希は照れたようにはにかむと目を逸らし、鞄から参考書と問題集を取り出した。角が折れ曲がり、たくさんの付箋が飛び出したそれは、チラッと見ただけでかなりやりこんでいることがわかる。
やっぱり、あの成績をとるのは並大抵の努力じゃ無理だよね、と思い知らされた。
受かっても受からなくても、目標に向かってこうして努力できる侑希はやっぱりすごいと思った。
なんだか、何も考えずに毎日をのうのうと過ごしている自分が少し恥ずかしい。
なんか、また侑希が自分の一歩先に行ってしまった。もう、リレーで言ったらトラック半周位の差がついている気がする。
「ここさ、これをこうやって因数分解してから(a+b)をXに置き換えるんだよ。そうするとよく見る二次方程式になって解けるだろ?」
早速行き詰ってペンが進まなくなると、侑希がすかさず手助けしてくれた。
(おお、そうか。そうやって解くのか。)
授業でやった気もするけれど、よく憶えていない。
「やった! できた!」
手取り足取り教えてもらいながら、なんとか解き終える。満足感に浸っていると、今書いたばかりのノートを
「では雫先生。この問題の解き方を僕に教えてください」
「雫先生? 僕?」
らしくない言い方に怪訝な表情を浮かべると、侑希はニヤッと笑う。
すぐにピンときた。
勉強を教えてくれると言ってくれた日に、侑希は『人に教える過程でわからないところがクリアになる』と言った。それを実地でやらせようとしているに違いない。
「よろしい。任せなさい。えっと、まずここを──」
今やったばかりだから余裕でしょ、と思った。
先ほど侑希がしてくれたのと同じように説明してゆく。
しかし、すぐ私は言葉を詰まらせる。
「あれ……?」
おかしい。さっきは上手くできたのに。
眉を寄せていると、侑希がヒントを出すようにトントンとノートの式の一部を叩く。
「あ、そっか」
すぐに自分の間違いに気が付いて、最初から説明をしなおす。今度は最後まで説明できた。
「正解。できるようになったじゃん」
侑希がにかっと歯を見せて笑い、親指を立てる。
「うん、ありがとう」
嬉しくなって、私も笑顔を返す。たった一問できたなのだけど、こうして褒めてもらえると、なんだかとても嬉しい。
「よし。じゃあ、次は……」
侑希は私のノートをパラパラと捲り、苦手な問題を確認する。
「侑くんの恋愛相談に乗るはずが、私が教えてもらってばっかりだね。ごめんね」
これって、自分ばっかりが恩恵を受けている気がして侑希に謝罪する。侑希はきょとんとした表情を見せた後、屈託なく笑う。
「いいよ、別に。気にすんな」
おでこをコツンと小突かれる。
侑希先生のおかげか、翌週の数学の小テストは十点満点中七点を取ることができた。
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