第3話

    ◇ ◇ ◇


 おかしな夢を見た、としか言いようがない。

 あの侑希が『どうか、今度こそあの子と両想いになれますように』ですって?

 クラス中の女子──というのは言い過ぎだとしても、これまで多くの女子の心を鷲摑みにしてきた侑希が?


(ない、ない。絶対にあり得ない!)


 私は教室の端っこで友人の男子生徒とふざけ合っている侑希を窺い見た。

 机に座ってスマホを見ながら何かに盛り上がっているから、ゲームでもしているのかな、と思う。


(しかも、『今度こそ』ってことは、何回か告白して振られているってこと?)


 侑希は一般的に見て、目立つ容姿をしている。

 髪の毛は明るい茶色だし、瞳も薄い茶色。小さな顔についているのは大きな目と高い鼻梁。

 この日本人離れした見た目は侑希の母さんはイギリス人と日本人のハーフだからだ。おまけに勉強もできるし、バスケも上手い。性格も悪くない。


 だから、侑希は小さい頃からとてもモテた。

 小学校のとき、バレンタインにはたくさんチョコレートを貰っていたし、時々机の中にラブレターを仕込まれていたことも知っている。


 なんでそんなことを知っているかというと、なぜか私が巻き込まれて被害をこうむることが度々あったからだ。


 携帯の連絡先をこっそり教えろとか、自分がいかにいい子かを侑希に伝えてくれとか、休日に侑希を呼び出す協力をしろとか……。


 はっきり言わせてもらうと、そんなの、なんで私が協力しなきゃいけないのか意味不明。

 だって、クラスにふたり侑希を好きな子がいると、どっちに協力したとかで色々と面倒なことが起こるのだ。


 だから断ると「雫ちゃん酷い!」と泣かれ、いつもこっちが悪者にされた。

 中でも、『家が隣だからっていい気にならないで』と女子生徒に囲まれたことは一番の黒歴史。調子に乗ったことなんて、一度だってないと断言する。


 それがなくなったのはいつ頃だっただろう。


 あれは確か……侑希が今の彼女と付き合いだしたころだ。他校に通う、美少女と噂の彼女さん。たまたまショッピングモールに行ったときに知り合ったとか。


 昔の侑希は、ことあるごとに彼女とのラブラブアピールをした。映画に行ったとか、花火見に行ったとか、人気のテーマパークに行ったとか。

 学校の女子達も、どこの学校かわからない、見たこともない彼女が相手では勝負のしようがなかったらしい。


 そこまで考えて、私はハッとした。


(っていうか、侑希って彼女いるよね? 昨日も彼女とデートに行くから金欠だって言っていたよね? それなのに、『両想いになれますように』?) 


 おかしい。おかしすぎる。やっぱりあれは夢だったのかも。


「雫ちゃん、さっきから百面相してどうしたの? なんか今日、ずっと変だよ?」


 訝しむような声がして顔を上げると、目の前に座る夏帆ちゃんがこてんと首を傾げている。黒目が大きなその瞳は、不思議なものでも見るような表情をしていた。


「あ、ごめん。なんか変な夢をみてさ」

「夢?」

「うん。なんでもないから気にしないで」


 私は取り繕ったような笑みを浮かべると、あははっと笑ってやり過ごす。


 そう。今日は朝からずっと落ち着かなかった。

 だって、あんなおかしな夢を見るなんて。


(あの侑希が──?)


 そうして思考は再び無限ループへと導かれる。チラリと侑希の方を見るとなぜかバッチリと目が合い、慌てて視線を逸らした。


    ◇ ◇ ◇


 そんな私の朝からの心の葛藤は、侑希本人によってあっさりと終わらされた。


 放課後、今週のごみ当番だった私ごみ捨てをしようとごみ袋を抱えていた。

 美術の授業で新聞紙をたくさん使ったことあり、ごみ袋二つがパンパンだ。ついていないことに、もうひとりいるはずのごみ当番の生徒が風邪でお休みなので、今日は私ひとりで捨てないといけない。


「雫、手伝うよ」


 聞き覚えのある声が聞こえて振り返ると、侑希がパタパタとこちらに走って来るところだった。

 おかしな夢のこともあり、咄嗟に目を逸らしてしまう。侑希はそんな私の態度に気付くことなく、持っていたごみ袋のうち、大きい方をひょいと取った。


「大丈夫だよ。かさ張っているけど中身は丸めた新聞紙だから、そんなに重くないし。持てるよ?」

「いいんだよ。俺、女子がごみ袋を必死に運んで顔を赤くしているのに素通りするような鬼畜じゃないし」

「赤くしてないし」

「していたよ」


 むきになって言い返すと、侑希はからかうようにケラケラと笑う。

 こんなふうにお喋りするの、いつ以来だろう。私はごみ袋を取り返すのを諦め、大人しく手伝って貰うことにした。


 並んで歩きながら、ちらりと横を窺い見る。さらりとした茶色い髪が歩く度に揺れている。相変わらず、綺麗な顔立ちをしているなぁと思う。

 その表情は、いつもと変わらないように見えた。


(うーん。やっぱり、夢?)


 わからない。うん、とにかくわからない。


 校舎の裏手まで辿り着いたとき、視界の端に赤色のものが蠢く姿が映った。ぱっとそちらを見た私はギョッとした。


(昨日の!)


 真っ赤な生地に桜の染め物がされた着物を着た、綺麗な女の子──さくらだ。

 さくらは遠くからこちらを見ていたが、私と目が合うと口の端をにんまりと上げる。そして、くるりと向きを変えると姿を消した。

 侑希がさくらを見たのではないかとドキドキしながら横を向いたが、侑希はいつもと変わらない表情をしている。


(よかった。見られてないよね……。)


 そう言えば、願いを叶えたかったら、侑希の恋の成就のお手伝いをしろって言っていたなと思い出す。


(でも、どうやって?)


 そもそも、彼女がいるのだから既に恋は成就しているはずだ。


(あの神様、可愛い顔をしていながら、とんでもない難問を突き付けてきてない?)


 どう話を切り出せばいいものかと思案していると、沈黙を破るように侑希が声を発した。


「なあ、雫。お前昨日の数学の小テストでさ──」

「へ!? 待って! お願い、言わないで!」


 突然始まった想定外の話題にぎょっとする。思わず立ち止まって大きな声を上げてしまった。


 頭ひとつ分も背の高い侑希の口を慌て押さえる。


 今日のお昼に返却された昨日受けた数学の小テスト、なんと十点満点中四点しか取れていなかった。数学は苦手なのだ。


(なんで侑希はそれを知っているの!)


 まさか、先生が返すときにチラ見えした!? 


(恥ずかしすぎるっ!)


 多分、真っ赤になったであろう私の顔につられるように、侑希の顔まで赤くなる。


「数学、苦手なんだよ」


 羞恥心を隠すように口を尖らせると、私は赤くなった顔を隠すようにくるりと向きを変える。

 背後から、侑希の視線を感じたけれど、構わずにごみ捨て場へとすたすたと歩き始めた。


 学校のごみ捨て場は校舎の裏にある。屋根付きの小屋のようなところには山積みになったゴミ袋。その上に、侑希は器用に更に二つの袋を積んだ。そして、パンパンっと手をはたいてこちらを振り返る。


「手伝ってくれてありがとう」

「別にいいよ。──俺さ、今度から勉強教えてやろうか? 放課後に」

「え?」


 思わぬ提案に、私は目をしばたたかせた。


 侑希はとても勉強ができる。さくら坂高校は県内でもそこそこ有名な進学校だけれども、侑希はそのなかでも学年トップテンに入るの成績を入学早々の実力診断テストで取っていた。


 勉強を教えて貰えるのは正直とても助かる。けど──。


「駄目でしょ」

「なんで?」

「だって、私、こんなんでも一応女だもん。幼なじみとはいえ、女の子に放課後に勉強を教えていると彼女さんが知ったら、きっと嫌な気持ちになると思う」

「大丈夫」

「大丈夫じゃないよ。それが原因で喧嘩になったら困るでしょ?」


 彼氏なんていたことがないから想像でしかないけれど、きっと彼氏が自分以外の女の子に定期的に勉強を教えていたら嫌だと思う。たとえそれが、恋愛感情のない幼なじみだったとしてもだ。


 私が諭すようにそう言うと、侑希は薄茶色の目を反らして、首の後ろに片手を当てた。


「……いない」

「え?」

「いない。彼女なんか、いない」

「ええ!?」


 昨日から、驚くことばかり。


「わ、別れたの? いつ!?」

「…………」

「昨日の昼間はデートに行くって言っていたよね!?」


 矢継ぎ早に追及すると、侑希はフイっと顔を背けた。


「俺、そんなこと言ってないし。健太が勝手に言っているだけだろ」


(健太が言っているだけ? そうだっけ?)


 思い返せば、そうだった気もする。


「ちょっと……、色々事情があるっていうか……」

「高校に入学してから別れたの?」

「……違うけど」


 侑希は歯切れ悪く、ぼそぼそと要領を得ない説明をする。ただ、随分前から彼女がいないということは確かなようだ。


(なんと、ずっと前に彼女と別れていたなんて!) 


 そんな話は初耳だった。だから、今日は健太から彼女の話題を振られて嫌そうな顔をしてはぐらかそうとしていたのか。


(でも、なんでさくら坂高校に入学したての頃に侑希に彼女がいるって噂になったのに、否定しなかっんだろう?)


 侑希にそのことを尋ねると、やはり歯切れ悪くはぐらかされた。

 だから、これは聞かれたくないことなのかなと思って、私もこれ以上聞くのはやめた。


「じゃあ、お願いしようかな……」


 その瞬間、侑希はホッとしたように、一転して表情を明るくする。


「ん。先生に任せなさい」


 軽口を叩くと、にかっと笑い両手を組んだまま上に挙げて、ぐっと伸びをする。

 それをぼんやりと見ていたら、今度は別のことに気が付いてしまった。


 昨日、縁結びのさくら坂神社に侑希はひとりで来ていた。


 ということは……。


「侑くん、もしかして、もう好きな人がいるの?」

「え? なんで?」


 色白な侑希の顔が狼狽えたようにほんのりと赤くなる。

 その表情を見てピンときた。きっと、既に好きな人がいるんだ。脳裏に昨日の侑希の言葉が蘇る。


 ──どうか、今度こそあの子と両想いになれますように。


 確かにそう言っていた。


 侑希は付き合いの長い私から見ても、なかなか素敵な男の子だと思う。

 それに、あの女の子の神様によると、私の願い事を叶えるためには侑希の恋が成就する必要がある。


(これはなんとしても成就させなきゃなんじゃない?)


「昨日ね、侑くんが縁結びの神社から出てきたのを見たの」

「え、まじで?」


 目に見えて、目の前の侑希が狼狽える。私はそんな侑希を勇気づけるように、ぐっと拳を握った。


「私、応援するし、協力もするから頑張って!」


 これが侑希以外だったら、こんな無責任なことは言えない。けれど、侑希に限っては大丈夫。

 だって、格好いいし、頭いいし、親切だし。大抵の女の子は悪い気はしないはずだ。


「……協力?」


 侑希は毒気を抜かれたような表情でこちらを見下ろした。


「協力してくれるの? 雫が?」

「うん」

「──えっと、……わかった。じゃあ、協力して」


 侑希はぽりぽりと頭を掻く。


「まかせて!」


 とは言ったものの、協力って何をすればいいんだろう?


 同じ学校の子かな。人気ひとけのない場所に呼び出す? 連絡先を聞き出す? 


 何をお願いされるのかとドキドキしていると、こちらを見下ろす侑希がゆっくりと口を開く。


「付き合ったときに上手くいくように、雫が仮の彼女役になって」

「よし、任せて!」


 条件反射のようにバシンと手で胸を叩いて答えてから、はたと我に返った。


「え?」


 それっておかしくない?

 仮の彼女役って何?


 眉根を寄せた私を見下ろし、侑希は言葉を重ねる。


「俺が好きな子、雫とタイプが似てるから。アドバイスくれたら嬉しい」

「アドバイス……」


 侑希は二年も付き合った彼女がいたけれど、私は彼氏がいたことはない。アドバイスはできないかもしれない。


「私、そういうの、詳しくない。侑くんのほうが詳しいよ。彼氏いたことないもん」

「大丈夫だよ。その子も、彼氏いたことない」


 侑希があっけらかんと答える。


「雫がアドバイスしてくれたら、それだけでいい。雫にしか、頼めない」


 薄茶色の瞳がまっすぐにこちらを見つめている。


 確かに、こんな突拍子もないことは私以外の子には相談しにくいのかもしれない。ってうか、私もびっくりなんだけどね。


「うーん、わかった。お役に立てるように頑張る」

「うん。よろしく」


 侑希は屈託なく笑うと、ポンっと私の頭に片手を置いた。

 そうして私と侑希の不思議な関係が始まったのだった。

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