結節点

西野 夏葉

第1話 帰る

 空港から列車に揺られて、40分弱。疲れたのか、忍び寄る現実の足音を耳に入れたくなかったからか、列車のシートに座ってからの記憶が、きれいさっぱり抜け落ちていた。およそ3日ぶりに帰ってきたこの街は、ほんの数時間前までいた土地よりも、気温が7~8度も低い。気持ち的にも温度が下がり始めているのに、身体まで冷やしてしまっては、これは風邪をひいてしまいかねない。


 列車から吐き出され、スーツケースを引っ張りながら、人の波に乗ってホームを進み、階段をえっちらおっちらと下りていく。だるいな、と口の中で呟いてはみるものの、どうせホームが駅のコンコースよりも下の場所にあったって、自分は(だるいな)と思うのだろう。それはただ単にアップダウンが面倒だということより、さっきまで違う誰かと一緒にいたのに、今は一人ぼっちだから……という理由の方が大きいに違いなかった。



 遠距離恋愛中の彼女とは、数ヶ月に一度、会っている。

 彼女と僕の物理的な距離は、飛行機に乗らなければ辿り着けないくらいに、離れている。

 それでも僕は、彼女の手を絶対に離したくないと思う。そのためには、多少、財布の中におさまっているプラスチックの板には、血を流してもらわないといけない。心配するなって、ちゃんと来月に払うし、飛行機代。


 いつもだったら、僕が「行く側」のときは、たいてい彼女の家に転がり込むのだけど、今回は敢えてホテルに泊まった。非日常的な雰囲気も味わってみたかったし、なにより今回は彼女の誕生日だったから。

 うまく、なんでもない風を装いながら過ごして、その中で突然プレゼントを渡すこともできた。泣かしてしまうとは思わなかったけど、その涙は落胆や悲嘆ではなく、感動によるものであったようだから、悪くない感じ。いや、むしろかなりいい感じに過ごした3日間だった。



 だけど、その時はどれだけ楽しくても、さようならをした後って、どうしてこんなに胸がひんやりとしてしまうのだろう。それはこの街の冷えた空気のせいではない気がした。一因であっても、主な原因ではないと思う。

 やっぱりいずれは、こんな大移動をせずとも、彼女と一緒にいられるような生活をしたいんだよな……と改めて感じた。



 改札口のところまで来ると、改札機がずらりと並ぶ端の場所に、見慣れた顔がいた。そいつは、今はしっかりとネクタイを締め、制帽をかぶって、早押しクイズみたいに改札機へカードをタッチして、次々と通過していく乗客に目を光らせている。そこだけを切り取ると、学生の頃には髪を緑色に染めたりしていたやつと同一人物とは思えない。

 静かに近づいて、声をかけた。

 


「おい」

「はい、お客さm……ってなんだ、おまえかよ」



 そう言って笑っている、どこからどう見ても「しっかりした駅員」のそいつは、僕の学生時代の友人だ。乗り物好きが興じて仕事にまでしてしまうのだから、ある意味で自分を通した生き方をしているのが羨ましかったりもする。


 さっきの僕と同じように、僕の頭からつま先までを一瞥した友人は言った。



「今日はどうした。旅行か?」

「んー、まあ」

「なんだよ、奥歯にはさまったような言い方して。……もしかして、彼女のとこか」

「まあ、そうだけど」

「カーッ。蚊も殺せないような顔して、おまえも隅に置けないねえ」


 

 客に呼び止められなければヒマなのかどうかは知らないが、完全にただの井戸端会議状態だ。

 僕はわざとらしくむすっとした顔をつくりながら、言い返す。



「うるさいな。おまえはどうなんだよ」

「最近はリアルで探すの諦めたから、マッチングアプリとか使ってるよ」

「へえ。ちゃんと会えるの、ああいうところ」

「実は、今日もうすぐ仕事終わるんだけどさ。……待ち合わせしてんのよ。クシシシッ」



 はいはい。

 どうでもいいけど、実際に女と会った時にその笑い方をするのはやめた方がいいぞ。



「ほら、あそこでリーマンがピンポン鳴らしてるぞ」



 そう言いつつ僕の指差す先には、残高が足りないのかちゃんとタッチしてないのか、とにかくそんな感じで改札を通過できない様子のスーツ姿が首を傾げていた。自分のせいっていう可能性も否定できないのに、いかにも(この機械、壊れてるんじゃないか)とか言いたげな顔が、妙に可笑しかった。



 って言うか、いつもそういうこと言ってるわ。

 よく見たらウチの職場の上司だしな、あのスーツの男。



 友人は一瞬だけ(チッ)という感情を滲ませていた。それをすぐに引っ込められるのは、やはり仕事上身につけたスキルによるものなのだろうか。



「あ、あーあ、そうだな。……したら悪い、行くわ」

「おう。仕事頑張れよ」

「おまえもな」



 ひょいと片手を上げて振り返ると、お待たせいたしました、と声をかけながら駆けていく後姿は、完全に「しっかりした駅員」だった。



 僕は、今も改札で立ち往生する上司に気づかれぬよう、遠くの改札機から外へ出た。

 そして陽が沈みかけた空の下のタクシープールへ向かいながら、スマホを取り出し、彼女へ「ちゃんと帰ってきたよ」のメッセージを打ちはじめる。

 


 いや、まあ。

 今はこういう形でも、つながれているということが大事なんだと思って。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る