魂を運ぶものたち

篠岡遼佳

魂を運ぶものたち


 ――吹きっさらしのバス停で、もうどのくらい待ち続けただろう。

 俺は、もうしょうがねえな、と諦めることにする。


 まだ昼間だというのに、分厚いグレーの空を見る。何でもいいけど、これじゃ飛べない。

 背中の翼をびったり閉じ(ほんとは空気を入れるとあったかいが、今は無理である)、一緒に持ってきた段ボールから、まず大きめの白いセーターを着る。次に、紺のダッフルコートを着込んで、最後にふかふかな手袋をし、マフラーを巻く。


 さっきから、目の前の防波堤への波しぶきの音が激しい。それに粒の大きい雪も横殴りだ。今日は風がめちゃくちゃ強いのだ。

 さっきたたんだ翼は光に直して、背中にしまう。これで、どこから見ても俺を天使だと思うやつはいないだろう。



 今回の目的は、「魂を回収してくること」だ。

 よくわからず、指令を出した副校長に再度尋ねると、「何でもいいから、一つ持っておいで」と言われた。笑顔は良いんですけど……その圧、ちょっとこわいデスよ。

「安全第一だから、場所は指定させてもらうね。はい、そこの魔法陣」

 乗ってしまったのが運の尽き。

 俺は見知らぬ荒波の浜辺で、制服のまま立ち尽くしていた。


 さて、着込んだ結果、とりあえず、くっそ寒い、から、寒い、くらいまでレベルが上がった。くしゃみが3発、良い感じで出た。風邪引くかも。

 

 天使――俺のことだが――の役目は、大抵が「魂」に関わるものだ。

 天使というものは、魂を見れば、なんとかしなくちゃと思うものだ。さまよっている雨に濡れてべしゃんこの仔犬や仔猫、つまり庇護するべきものを見たときに近い感覚かもしれない。

 そんなわけで、「魂を回収する」のは、役目というより第二の本能というか、別にこんなに遠くに来てまでやる必要はない。


 なにしろ、魂はそこら中にある。目に見えてないだけで。

 大抵死んだら、魂はどこか一点を目指して空へと進む。

 俺が見たことのない、かみさまとやらに会いに行くのかもしれない。

 が、時々空を目指さず、彷徨うやつもいる。

 特に、心残りが大きいやつな。

 それを回収し、ちゃんと送り出してやるのは、俺ら天使の仕事だ。

 だから、「回収だけ」を命じられるのは、なかなかめずらしいというか、何のためにそんなことをするのか、ちょっとよくわからない。



 さて、俺は安直に大きめの病院へ向かう。

 話としては「一個回収」ということだから、まあ、その辺に浮いてる魂はあるだろう。人間の感覚としては不謹慎この上ないだろうが、俺、人間じゃないしな。


 てくてくと歩いているうちに、風は向きを変え、少しおとなしくなった。ときおり鋭く吹くが、さっきほどではない。雪も、ちらほらと降る程度になってきた。よかった。

 山の上に総合病院があるのはさっきちらっと見た。スマホで確認すると、救急にも対応しているらしい。好都合である。

 

 ――だが、予想に反して、その病院はすっかり綺麗であった。


 中庭に出ると、清浄な空気さえ漂っている。どうも、ここはだれかそれなりの「能力」を持つものが、定期的に魂を「上げている」ようだ。うーむ、参ったな……。


「おにいさんおにいさん」 


 気配なく、いきなり後ろから声がかかった。思わずばっと振り向く。

 にこにこと微笑む、背の小さい娘がそこにいた。

 背は小さいが、多分高校生くらい。温かそうな格好をして、けれど頬は寒さで赤らんでいる。

 マジか、俺そんなにぼーっとしてた? 魂だってわかるのに、生身の人間もわからないようでは天使失格である(まあ、失格でもいいんだけど)


「こんぺいとうを食べませんか」

「えーと、君は?」

「食べる、オア、食べない」

「……食べます」

「ありがとう! じゃ、これあげるね」


 ばん、と袋ごと手渡された。

 小さな色とりどりのこんぺいとうが、割とずっしりと入っている。

 甘いものは好きだ。素直に礼を言う。


「ありがと。で、君は?」

「患者だよ。おにいさんは?」

「天使かな」

「自分で言うの!?」

「いや、事実だから……」

 彼女は、ふう~ん、と、俺を上から下まで見た。

「金髪碧眼だけど、なんか、うさんくさい」

「ひどいな」

「人のことたぶらかす方の天使っぽい!」

「そんなことはー……」

 自分の享楽的な性格をぼんやり思い返して、

「……そうかもしれない」

「ノリが軽いよね。重々しさがないよ。終末のラッパは吹けそうにないね」

「俺、ぼろくそに言われてない?」

「いやいや、人に触れる天使は、接客業みたいに笑顔と曖昧さが大事だよ」


 そう言って、彼女は手を差し出した。


「こんぺいとうあげたから、翼を見せてよ」

「え、寒いからやだよ?」

「いいじゃん! 翼は光だって知ってるんだからね! 頭のわっかも別にいらないことも知ってるんだからね!」

「むぅ」

 どうも、世の中には、そういう言説が流布されているらしい。

 そのとおりだから俺は、仕方なく、手指を胸の前で組んで、

「――――」

 簡単な呪文で、両方の翼を、コートの上から出す。

 友人は、猛禽類の翼に近いといっていた。まあ、人型のものを飛ばすのだから、大きさもそれなり、性能もそれなりであるのだろう。

 真っ白で、厚くて、雪が触れるとそこだけきらきらと光る。

「わあ……」

 彼女は本当にうれしそうな様子で、俺のことを見上げた。なんだかくすぐったい。

「おにいさん、きれいだね、どこから来たの?」

「どこからって……東京の方から……」

「そうじゃなくてさ、ほんとはどこにいたの?」

 ずばり、その台詞は俺の胸を刺した。

 俺は少々動揺しながら、

「……いやそれは……」

「当ててあげようか?」

「いや、その方がしんどい」

「ふうん? まあいいや、細かいことは聞かないよ。言いたくないことはたくさんあるものさ」

 彼女はちょっと目線を下げて微笑んだ。

 大人の仕草だな、と俺は思った。


 いい加減立ち話もなんだから、と、庭にあるベンチに二人で座った。彼女のためにハンカチを出すマジックをやったら、割と好評であった。やったぜ。

 足をぶらぶらさせながら、彼女が小首をかしげる。

「さて、天使のお兄さん?」  

「なにかな」

「ほんと、何しに来たの?」

「実は……ちょっとよくわからない」

「おかしいな?」

 彼女は腕組みをする。

「そろそろだと思ってるんだけど?」

「ん? どういうこと?」

 俺も小首をかしげると、彼女はぽん、と自分の心臓の上に手を置いて、


「あたしさ、もうほとんど死んでるんだけど」


 ……?

「い、いや、君はどう見ても……」

「魂が濃いって? 肉体もあるように見えるって?」

「そう、そう」

「それは、私の「能力」だね」

 いたずらがうまくいった、というように彼女は笑った。

「えーっと、3階の、はじっこに個室があるでしょ。そこ、見える?」

 見えるもなにも、そこは他の病室と違っていた。

 何らかの機械がいくつもある。人がたくさんいる。看護師も医師も複数いる。

 泣いている人がいる。か細い手を抱きしめて、何かを呼んでいる人もいる。


「……そうか」

「はい、おわかりでしょうか」

 彼女は、俺の翼にそっと触れた。

「私は、『瀕死の時に、「魂」を操ることができる』のです」

 何人送ったかな。瀕死って定義が曖昧だったから、結構頑張った方なんだけど。

 そう言って彼女は笑った。

 満足げな笑顔だった。

 いま、死のうとしているのに。


「天使のおにいさんは、いろんな魂を見てきてるよね」

「うん、たくさん」

「こういう、なんかややこしい能力って、よくあるの?」

「特性だからね。ひとひとりずつが違うように、能力も人の数だけある。

 魂がはみ出てるやつとか、友達にもいるよ」

「ねえ、おにいさん、その人は、きっと、すごく苦しいね」

 眉を寄せて、心臓を抑えながら、彼女はホッと息を吐く。

「私は、ちゃんとケアしてもらってるから、もう体の痛みはないけど、ただ魂が出ようとしてるのって、苦しいんだ」

 それは実感を伴った言葉だった。

 眉を寄せて、しかし、彼女は笑う。

「優しくしてあげてね」

「君はどうなのさ。――家族泣いてるぞ」

「そりゃ、私だって悲しいよ。

 でもね、急に来たじゃないから。お別れは、たくさん済ませたから。

 いまは私のことより、他のことの方が大事なの」

 そう言って、彼女の透き通る片手が、俺の頬に触れる。


「これからもたくさん、いろいろあると思うけど、どうか、おにいさんはすこやかに」

「ありがとう。魂に直接言われたのは、初めてだ」



 そうして、彼女はふっと、何も残さず、俺の胸へと消えてていった――。



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魂を運ぶものたち 篠岡遼佳 @haruyoshi_shinooka

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