記憶の改ざん

綿麻きぬ

アンバランス

 日が落ちて何時間、経っただろうか。空には星も月もない。街の光によって星はかき消され、月は隠れてしまった。天は何もなく、地には光に溢れている。そのアンバランスをどこかで見たことあるような気がして、思い出そうとするが僕は思い出せない。


 それを思い出すために僕は窓を開けてベランダに出る。そこで僕は過去の記憶の引き出しを一個、一個、丁寧に開けていく。


 少し話は逸れるが、僕はこの引き出しを一切信用していない。いくら大事に引き出しの中に中身をしまっていても劣化する。その上、勝手に改ざんされるからだ。


 誰かがこんな言葉を残した。真実は記憶によって葬られ、事実は記憶によって捏造される。


 記憶なんてものはすぐに劣化し、改ざんされる。それを僕はよく分かっている。よく分かっているからこそ、僕は今引き出しを開けている。


 開けていくうちに一つの引き出しが目の前に現れた。それは見るからに厳重に閉ざされて、開けてはいけないと警告している。だけど僕はあのアンバランスの答えを見つけるためにそっと鎖を外していく。外し終わった引き出しの中には一言、


「ずっと夢を見ていたい」


 この言葉だけが入っていた。僕は茫然とした。あれだけ巻いてあったのに、中身にはたった一言しか入っていなかった。


 しかしその一言がアンバランスの答えになっていることを示している。そして僕に一つのことを思い出させた。


 さぁ、すこし昔話をしようか。


 僕は遠い昔にとある女の子の家庭教師をしていた。彼女は成績優秀で周りからも頼られていて、皆の輪の中心にいるような子だ。傍から見れば完璧な子だと思われていたのだろう。


 だが、僕はその子が永遠に綱渡りをしているように感じた。終わりが見えない、底が見えない綱渡りだ。それを彼女は自分でも分かっていたのだろう。だからこそ怯えていた。


 そんな彼女は僕に一つだけ伝えてくれたことがあった。きっとこの考えを誰にも言えず、そして受け継いで欲しかったのだろう。


「ずっと夢をみていたい」


 これを彼女から言われたときは驚いた。そんな僕を察してか、彼女は補足を入れた。


「夢って二つの意味があります。寝るときに見るもの、それと願うもの。私は永遠に現実から目を背けることを永遠に願いたいです。何故そう思うのか、疑問にお思いでしょう」


 僕は頷いた。


「私はこんな現実を受け止められるほど強くありません。だからこそ夢の中に閉じこもりたいのです。そして夢をみていられるのは子供のうちだけ。大人になりたくない私は夢をみることで子供のままでいるのです」


 だけどいつか僕らは大人にならなければいけない、そう僕は伝えたような気がする。


「えぇ、そうです。だから私はちょっとずつ準備しているのです」


 何をどう準備しているのかは僕からは怖くて聞けなかった。


「大人になるための準備を。ゆっくりですがしっかりしています。やり方は簡単ですよ。過去の記憶を引き出しにしまう前に変えてしまうのです」


 そんなことを意図的にしていいのか。僕は抵抗感を覚えた。それでも彼女は続ける。


「そうすれば夢をみていたことも夢をみたいと思っていたことも全て消せるのですから」


 少し「だけ」寂しそうな顔をした彼女の記憶はきっともう変わっているのだろう。


「そうですね。真実は記憶によって葬られ、事実は記憶によって捏造される、こんな言葉を知っていますか? 私はこの言葉を真理だと思っています。まっ、どうせ引き出しを開けるころには変えてしまったことすら忘れてしまっていますから」


 そこで昔話は幕を閉じた。


 僕は僕より大人な彼女の話を聞いて、何を思ったのだろうか。それ以降もそれ以前の記憶もあやふやだ。


 この話は捏造だろうか。真実か事実か、なんてもう分からない。


 ただこの景色のアンバランスはあの日、彼女と見た世界だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

記憶の改ざん 綿麻きぬ @wataasa_kinu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ