カミ様の物語

ユラセツコ

第1話

―Royal theater of Miglance―


 ミグランス王国・国立劇場。

 例によって冒険の途中に立ち寄ったアルドは、目の前の光景にふと立ち止まる。

 活気を取り戻しつつある劇場内、ロビーの中央に一人の老人が佇んでいた。

 眩しそうに目を細め、開場前の独特な喧騒に身を委ねるその姿は、普段なら気に留めることもない日常の一コマ。それなのに、不思議と惹き込まれてしまう自分がいる。

 まるでそこだけ異世界であるかのような、現実味のない実体。

 昔を懐かしむような、今を慈しむような、あたたかな眼差し。

 空間も時間さえ飛び越えたその瞳には、一体何が映っているのだろう。

 それはある意味、この場所には最も相応しい感想かもしれない。

 ここは、劇場という空間であることを忘れ、日々の殺伐とした時間を忘れ、人々に束の間の非現実を感じて楽しんでもらう。そういうところだ。

 ―オレたちが出演する舞台より、よほど舞台らしいな。

 アルドは初めてこの劇場を訪れた時のことを思い出した。

 建物が広く華やかなだけに、しんと静まった劇場内は酷く寒々しく、虚しさだけが巣食っていた。そんな記憶がある。

 今となっては見る影もないが、活気に満ち溢れていた時代のこの場所は、さぞや美しい光景だっただろう。

 多少なりとも全盛期を知る人間からすると、未だここは復興の道半ばに違いない。

 それでも―。

 ここには再生を願う人々がたくさんいる。

 こんなにも楽しみにしてくれる笑顔がある。

 一人でも多くの人に楽しんで欲しいと励む誰かがいる。

 たとえ今は小さな灯火でも、いつか必ず大きな熱になる。

 それは復興への情熱であり、関わる全ての人の熱望でもある。

 まだ終わっていない。

 まだ終わらせない。

 アルドは再び、老人へと視線を戻した。

 変わってしまった景色と、変わらぬ想い―。

 寂しさと悔しさと、そしてほんの少しの希望の光―。

 想像でしかないけれど、そんな複雑な感情が瞳の中で揺れ動いているようだった。


 その日の公演はまあまあの出来だった。

 自由すぎる面々に囲まれて、劇として成立していたのかどうかは甚だ怪しい。

 とはいえ、自分たちはプロの役者ではない。

 全てを完璧にこなすことは難しく、劇場としてもそれを承知で舞台に立たせているはずだった。

 ロビーに出ると、劇場支配人がご機嫌な様子で待っている。

「やあやあやあ、今日も良かったよ!」

「そ、そうか? ところどころ台詞が噛み合ってなかった気がするけど」

「なに、気にすることはない。そこが君たちの人気の理由でもあるんだからね」

 そう言って支配人はアルドの肩を叩いた。

 しかし、その表情は僅かに翳り、どこか寂しげに見える。

 いつも図々しく時に強引で、けれどもどこか憎めない。それはきっと、彼の持つ劇場への強い想いが伝わって来るからだ。

 そんな彼にとって、役者も観客もいない劇場というのは何より耐え難いのだろう。

 だからこそ、演劇に関してはド素人のアルドたちを頼ってでも、こうして日々奮闘しているのだ。

 少しでも楽しんでもらう為に。

 少しでもこの劇場を知ってもらう為に。

 それでもやはり、彼の最終的な願いはプロの役者が舞台の上で輝く瞬間であり、観客に最高の時間を提供することだろう。

 しかし、残念ながら、役者が役者として生きていけるだけの余裕がこの時代の人々にはまだない。

 劇場支配人の気持ちがわかるだけに、アルドはいたたまれなくなってしまう。

 だからこそ、たとえお人好しと言われようとも、自分にできることは何でもしたいと思う。

 それが冒険者としてのアルドの生き方でもあるのだから―。

「ところで君たち、さっきはああ言ったが、やはりこのままではいけないと思うのだ!」

「なっ、いきなりどうしたんだ⁉︎」

「確かに君たちの演技は個性があって素晴らしい。しかしだね、脚本と同じようにマンネリして来ているのが現状だ! 最初は物珍しくても、見慣れてしまえばその個性も直に埋もれしてまう! お客様により楽しんでいただく為に、どうにかして打破してみたいとは思わないかね⁉︎」

「わっ、ち、近い!」

 前言撤回。

「思わないかね⁉︎」

「あぁ、まぁ、そうかもしれないけど……」

 相変わらず支配人の熱意には頭が下がるが、事はそう簡単でもない。

 知識のないアルドには脚本を探すことさえままならないのに、この上、形のない演技力を身につけろと言われても無理がある。

 何か考えでもあるのだろうか。何でもしようと誓った手前、聞くだけは聞いてみよう。

 半ば諦めモードのアルドを尻目に、支配人は得意げに口を開いた。

「そこでだ。君たちにはマンネリ解消の良い案を見つけて来て欲しい」

 ―いや、そこから⁉︎

 アルドは叫び出したい気持ちをぐっと堪えた。

 「……ず、ずいぶん漠然としてるな」

 いつも以上に、という言葉は当然飲み込む。

 確かに事実マンネリ感は否めないのだ。

 アルドは支配人の次の言葉を待った。

 当の彼はというと、口元に手を当てて真剣に考え込んでしまっている。

 心なしかうんうんと唸る声まで聞こえて来るようだ。

 沈黙に我慢ができなくなり、アルドは声をかけた。

「あのさ、とりあえずいつも通り脚本探して来ようか?」

「ほう、脚本探しか。心当たりはあるのかのう?」

「いや、ないけどさ。旅の道中に……って、ん?」

 アルドは声のしたほうを振り向いた。

 そこには、一人の好々爺が佇んでいる。

「じ、爺さん誰だ⁉︎」

「うん? どうしたんだ、アルドくん……って、はっ⁉︎」

「支配人、この人のこと知ってるのか?」

「こっこっこっこのお方は、こっこっこの劇場で、カミ様と呼ばれておられるお方だ!」

「か、神様⁉︎」

 まるで声も首もニワトリのようになってしまった支配人は、衝撃と歓喜のあまりか、そのままカミへと近づき、徐に彼の手を握り締めた。

「ほっほっほっ」

 遠慮がちながら、無言で揺さぶり続ける支配人に、好々爺は穏やかに笑っている。

 ―な、なんだこれ? どういうことだ?

 アルドが困惑していると、ようやく興奮がおさまったらしい支配人が手を離した。

 目の端をそっと拭うと、気を取り直したように姿勢を正す。

「アルドくん。改めてご紹介しよう。この方は、カミュー様といってね。この劇場で上演される舞台の脚本を、長年務めて来られたのだ」

「そうなのか。すごい人なんだな!」

 うんうんと頷く支配人と、相変わらず仏の笑みを浮かべる老人。

 ―それで、カミ様なのか。

 アルドは妙なところで納得するも、ふと気になったので訊ねてみることにした。

「けど、そういう人がいるなら、わざわざ脚本を探すことなかったんじゃないか?」

「…………それには、色々と事情があってね」

 途端に支配人の表情が昏くなる。対して老人は微笑んだままだ。しかし、陽気な雰囲気は鳴りを潜めた。

「事情?」

「実は、今日はそのことで来たんじゃ」

 老人は細めた目を伏せ、静かに言った。

 その横顔に、アルドのぼんやりとした記憶が蘇る。

 会場前、ロビーに一人佇む老人。どこかに想いを馳せる遠い目。

 こんなに強く印象に残っているのに、今の今まで気がつかなかった。

 あの時とはまるで別人のようだ。

 演劇に精通した脚本家の為せる技なのか、それとも冒険者のアルドでさえ及ばない経験の数々が物言わず語らせているのか。

「はっ……ということはつまり……⁉︎」

「まあ、待ちなさい。拙速に物事を進めようとするでない。良い結果は生まれんぞ」

「はっ、私の悪い癖で……ゴホン。ぜひ、お話をお聞かせ下さい」

「うむ。しばらく君の誘いを断って来たが、ようやくワシは最期の作品を書く決心がついた」

 ―最期の?

 アルドは首を傾げる。しかし、自分が口を挟むことでもない。

 支配人の様子を窺うと、眉間に皺を寄せている。

 口を開きかけた彼を制するように、老人は続けた。

「ただし、それには一つ条件があるのじゃ」

「条件、ですか?」

「そうじゃ。まあ、第一関門は既に突破したも同然じゃがな」

 老人の笑い皺に隠れた瞳が、真っ直ぐにアルドを射抜いている。気圧されるほどの力強い眼光。

「どういう意味だ?」

「決心はついたものの、最期の作品を書くにはまだ足りないものがあってのう。それは、ワシ独りで補えるものでは到底ないのじゃ。今日は支配人に手伝ってくれる人間を探してもらおうとここに来たのじゃが、図らずも適任を見つけたのでな」

「それがオレってことか?」

「うむ。君は見たところ旅人のようじゃが、どうじゃ? やってみる気はあるかね?」

「……爺さんが困ってるなら、手伝うよ」

「はっはっはっ。ワシも困っておるので間違ってはおらんがね、むしろワシは君たちの手伝いをしたいのじゃよ」

「…………?」

 相変わらず目の前の好々爺は、にこにこと笑っている。なんだか掴みどころのない人物だ。

 アルドがじっと老人を観察していると、しばらく沈黙していた支配人が不意に顔を跳ね上げた。

「アルドくん!」

「わっ! な、なんだ?」

 ロビー中に響く大声に、思わず飛び上がってしまった。

「これはチャンスかもしれない!」

「は?」

「アルドくんが知らないのも無理はないが、カミュー様は本当にすごい脚本家なんだ。最期……いや、次の作品を書いてくださるだけでも十分すぎるくらいなのだが、もしもこのチャンスを君がものにしたら、必ずこの劇場はもっともっと大きくなる。私は今、そう確信した! だから、私からもどうかお願いするよ!」

 ―いや、勝手に確信されても困る!

 確かに彼の言う通り、自分たちの演技がマンネリだと言うのなら、いい機会なのかもしれない。

「わ、わかったよ。できる限りのことはやってみるから」

「うむ。良い返事じゃ」

「ありがとう、アルドくん! この劇場の眩い未来の為にもよろしく頼むよ!」

 支配人は今にも泣き出しそうな顔で、アルドの手を強く握る。

 うまくいけば、カミューと劇場(ついでに支配人)、そしてアルドたち自身にとっても光明になるのだ。

 ここまで言われてしまっては、アルドとしても断るわけにはいかない。

 それに、いくつか気になることもある。

 アルドは意を決した。

 踏み出す一歩は力強く、歩き出す道はかくも明るく。

 ―さあ、この劇場の未来を救けに行こう。


「それで、爺さ……あ、いや、カミ様だったか……?」

「ほっほっ。爺さんで良い良い。ワシは物語の主人公ではない。脇役も脇役、物語には関係しない裏方の存在じゃ」

「そんなカミ様、ご謙遜を……」

「……ふう。立ち話はやはり疲れるの。すまないが、続きはユニガンの宿屋で腰を落ち着けながらしたいのじゃが、構わんかの?」

「あ、ああ。もちろん」

 支配人の言葉を遮るようなカミューに、アルドはぎこちなく頷いた。

 支配人はといえば、気分を害したというよりもどことなく哀しそうな表情で、行き場のない視線を彷徨わせている。

「では、ワシは先に行っておるでの」

 カミューはそう言い残して、劇場を後にした。

 その背中を目で追いながら、アルドは気になっていることを支配人に訊ねてみる。

「……なあ、爺さんの言ってた最期ってどういう意味だ?」

「あぁ、どうやらご自分の死期を悟っているらしくてね。そう長くないそうなんだ。私としてはまだまだご活躍いただけるものと思っていたから、無念でならないよ」

「そうだったのか……ようやく書く気になったって言ってたけど」

「私が再三お願いしても新作はまだ書きたくないの一点張りでね。カミ様といえど、やはり心中複雑なのかもしれないね」

「そりゃ、そうだよな」

 自分がもう長くないとわかっていて作品を書くということは、すなわち書き上げたら自分の死を否応なく認識してしまうということに他ならない。

「アルドくん。改めてお願いするよ。彼を救けてあげてくれ。せめて心残りなく、脚本家人生を終えて欲しいんだ」

「ああ、わかってる」

 仕事が残っていると嘆く支配人はここで泣く泣く別れ、アルドは単身ユニガンへと向かった。


―The Royal City of Unigan―


 アルドが宿屋に到着すると、いつもの受付の娘と騎士の彼しか見当たらず、カミューの姿はなかった。

 部屋で休んででもいるのだろうか。

「なあ、さっきここに爺さんが来なかったか?」

「いいえ、来ていないわよ」

 アルドは顎に手を当てた。

 カミューはアルドより先に劇場を出た。とっくに着いていておかしくない。

 そもそも、ここユニガンと劇場を往復している馬車にアルドは乗って来たのだ。既にカミューを送り届けて一往復したものとばかり思っていたが……。

「おやおや、ワシが待つつもりが待たせてしまったようじゃな」

「わっ!」

 音もなく颯爽と現れたカミューに、アルドは飛び退いた。

 背後でドアが閉まる振動だけが響く。目を疑うほどのスピードで入って来た気がするが、目の錯覚か何かだろうか。

「ほっほっ。そんなに驚かんでも良いじゃろう」

「い、いや……だって爺さん。あんたどこから来たんだ?」

「劇場に決まっておる。生憎、お前さんが乗る馬車には追い越されてしまったがの。ワシも歳をとったもんじゃ」

「……ま、まさか歩いて来たのか⁉︎」

「そうじゃ。劇場が最盛期じゃった頃は、馬車をも凌ぐ速さだったんじゃがのう」

「えっ⁉︎」

 劇場からここまで、普通は馬車を使うくらいだからそれなりに距離があるはずだ。

 老人にしか見えないカミューにそんな脚力があるとも思えないし、若かりし日の話にしても劇場が最盛期だった頃って……。

 ―あんた、いくつだよ⁉︎

 アルドの慄きをものともせず、カミューは話を切り出した。

「それはそうと、アルド。先ほどの続きじゃが」

「あ、ああ。最期の作品に足りないものがどうとかって」

「うむ。実を言うとここから先は支配人には聞かれなくない話での。だから、わざわざ場所を移したんじゃが」

「あぁ、それで……」

 立ち話が疲れる、っていうのはただの口実だったのか。

 カミューは咳払いをして、アルドを正面から見つめた。

「単刀直入に言うが、君にはワシの記憶の中に入って欲しいのじゃ」

「…………は?」

 意味がわからない。

「ワシは他人の記憶に入り込める特技を持っておるのじゃよ」

 それは特技なのか?

 まぁ、世の中には実現する物語を書けたり、夢に入り込めたりする人間もいる。同じようなものだと無理やり解釈することにした。

「ほっほっ。これには驚かんのじゃな?」

「いや、まあ驚いてはいるけど……オレにはいろんな仲間がいるから」

「ほお。良い仲間を持って幸せ者じゃな」

「ああ、オレもそう思うよ。それで、記憶の中に入ってどうすればいいんだ?」

「そうじゃな。好きに行動してくれれば良い」

「……はぁ?」

「ワシは記憶の中に入ることはできるのじゃが、自分自身で記憶を操作することはできんのじゃ」

「う、ううん?」

 さっぱりわからない。

「良いか? 記憶とはすなわちその人の過去じゃ。その人の心そのものじゃ。他人にも自分にも過去を変えることはできん。人間というのは、いつも選択を迫られておる。物事の大小に関係なく、人生全てにおいてじゃ。それができるのは、今その時の本人だけじゃ。ワシは既に過去となってしまったその時の選択を見守ることしかできんのじゃよ」

「……それがあんた自身であってもか?」

「言ったはずじゃ。ワシは主人公ではないからのう。選択を迫られている今に戻れるわけではないのじゃ。たとえ自分自身であっても、ワシ自身が過去となってしまった選択を変えて、未来を決めることはできんということじゃ」

「……悪いけど、余計にわからなくなった気がするよ」

 仲間から教わった言葉で表現するなら、『まるで禅問答のようだ』。

「ともかく、オレがやるのは爺さんの記憶の中に入って自由に行動する。それだけか?」

「うむ、それだけじゃ」

 とはいえ、初めての体験でわからないことだらけだ。

 むしろ、わからないことがわからない。

「まぁ、百聞は一見に如かずと言うしのう。実際にやってみたほうが早いかもしれん」

「……わかった。やってみたら、わかるんだな?」

「そうじゃ。それと、最後にもう一つ」

「へっ? ……ま、まだあるのか?」

 アルドが意を決した直後、カミューは悪びれもせず言葉を続けた。

 出鼻をくじかれ拍子抜けしてしまったアルドだったが、カミューは意にも介さない。

「これと同じものを集めて欲しいのじゃ」

 そう言って、提げていた鞄から徐に彼が取り出したのは―。

「紙?」

「うむ。誰かの記憶の中には必ずこれが落ちておる。記憶の中で最も重要な部分を解放するのに必要じゃからの、できるだけ多く集めておくと良い」

 解放? つまり夢意識なんかで使う光と同じで、これが交通証みたいなものということか?

「わかった。これと同じものを集めればいいんだな?」

「そうじゃ。……それと、これは忠告なんじゃが。人の記憶というのは、存外曖昧なものじゃ。どれほど大事な記憶であっても朧げになってしまうこともあれば、取り留めのないどうでも良いことをはっきりと覚えていることもある。それらが混沌としている世界では、何が起こるかわからんからの。心も体も準備は万端にしておいたほうが身のためじゃぞ」

「…………?」

「準備が整ったら、声をかけておくれ」


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