1-05 『悪魔の子』
最初にこの女を送り込んできた時点からずっと思ってはいるのだ。その教会とやら、絶対に何かがおかしいだろう、と。
軍処女とかいうのも、その名称からして女しかいないのだろうし、それも多くは身寄りのいない孤児出身だというなら、ありていに言えば逃げ場のない女たちを囲っていいように使っているというわけだ。
そしてやらされていることと言えば理由のわからない人殺し。問えば、それは天使のためだという。
まるで意味がわからないが、当の軍処女たちは疑問を持つ余地すら与えられていない。
その挙句に殺人を強いられている本人が、自ら悪魔の子などと言い出す始末だ。
つまりは自らの境遇に納得してはいないのだろう。客観的に見てできるわけがない状況だとはいえ、それが意味するのはつまり、教会側が彼女に対してろくな説明をしていないという事実。
(ま、俺には関係ねえこった。……って言いたいとこだが)
完全にそう言い切れるようになるには、まずアトレーゼにヴィルを狙うのをやめさせなければ。
問題はその方法がまだ思いつかないことと、なぜか彼女の顔を見ると冷たい態度をとりにくくなってしまうことだ。
特別女に優しいつもりはない。
傭兵だったころは仕事であれば男も女もなく、なんなら老人や子どもだろうと躊躇いなく斬ってきたのだ。
もちろんその都度何も感じないわけではなかったが、呑み込むすべは知っている。
だがとにかくアトレーゼだけは今まで会ったどんな相手とも違うのだ。
誰に似ているのかも思い出せないのに、その瞳や面立ちや髪を見るたびにふと、どうしようもなく懐かしくなる。
胸の奥に残っている、いつか山の中で置き去りにされて泣いていた少年――まだヴィルダンドがそう名乗る前の憐れな捨て子が、彼女に眠る誰かの面影を求めて、弱弱しく叫ぶのだ。
――……さん。
ね……さん。姉さん……――。
ヴィルはそこで、はっとして顔を上げた。
長い髪を少し邪魔そうに耳の上にかき上げて、床を磨いているその横顔。鼻の形、ふっくらとしたくちびるの稜線、そこから続く顎のなだらかな甘い輪郭。
黒目がちな瞳の上に、重たげに並んだぶあついまつ毛。
そこに、おぼろげな記憶が重なる気がする。
断言できないのはもう何年も、いや、……これでもう二十年以上も前になるからだ。彼女と別れたとき、ヴィルはまだ十歳ほどだった。
だけれど忘れはしない。顔かたちのことは薄れはしても、思い出は決して褪せることなくここに……ヴィルの胸の中にある。
「……アトレーゼ、ひとつ聞くが、おまえ孤児だっつってたよな。親とはいつ別れたんだ」
「え?」
いきなり話しかけたものだから、アトレーゼは少し驚いたふうにこちらを見た。そしてヴィルはというと、自分でも気づかないうちに立ち上がって、また彼女に向かってゆっくりと歩いていた。
さっきの今でアトレーゼが怯えたように後ずさるが、今度は追い詰めたりはしない。少し距離を保ちながら、もう一度、言葉を少し変えて同じ問いを繰り返す。
「両親について憶えてるか。できれば名前か、せめて職業……」
「何ですか、急に……」
「いいから答えろ。……ていうかおまえ歳幾つだ」
「に……二十一になります……両親のことは……わかりません、ほとんど何も……。母が誰かはまったく知りませんし、父……私の、父は……」
アトレーゼが、そこで目を逸らした。もともと白かった頬がさらに青ざめて、喉がひきつったのが目にも見えたほどだった。
雑巾を握りしめた手がわなわなと震えている。そこから落ちた黒ずんだ水滴が、ぼたぼたと彼女の靴の先を汚した。
それすらも構わないで、アトレーゼは、かすかながら歯音が鳴るほどに震えていた。
どうした、とその異常な姿に思わずヴィルは手を伸ばしかけた。
その指先が届く前に、アトレーゼの眼からまた、透明な雫がひとすじ流れ落ちる。
「あ……悪魔の……子だと、……さきほども……申し上げました……。
何も、今のこの、軍処女の使命を儚んでそう言ったのではないのです……私以外の軍処女に、罪などありません……でも、私は、私だけは、……私の父は……人殺しの、悪魔の下僕でした……」
――だから私は罪の子です。だからすべて罰なのです。
アトレーゼはそんなようなことを口走って、その場に崩れ落ちた。その双眸から眼が融けそうなほどに涙を溢れさせながら。
そしてなぜかヴィルはそれを見て咄嗟に自分も屈んでいた。もともと伸ばしかけていた手でそのまま彼女を引き寄せる。
そうして掻き抱いた身体は見た目よりずっと細かった。
自分でもどうしてそんなことをしたのかわからない。しいて言うなら、きっと彼女に重ねた面影の名前を思い出してしまったせいだ。
姉さん――かつてヴィルがそう呼び慕った、今でもこの世でもっとも愛する人。
泣きじゃくるこの女の顔は、彼女と似ているのだ。
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