1-03 略奪未遂②

「……えっ……」


 そこにいるのはこの村の長の孫娘であった。

 ほぼ日課と言って差し支えない頻度で食事のおすそ分け等に現れるという習性を持ち、村長から「歳は離れとるが嫁にどうかね?」などと言われている、まあそんなような人物である。さすがに歳下すぎるし村長も言いながら笑っているので、冗談として流してはいるが。


 手に提げた籠からして今日も日課を果たしにきたらしい孫娘は、ヴィルたちの状況を見た瞬間それを床に落とした。

 そこから溢れ出た田舎風パイが無残に砕ける。美味そうなのにもったいない。

 未だヴィルが名前すら覚えていない娘は、わなわなと震えながら涙目になり、仔猫のようなか細い声で叫ぶようにして言った。


「お……お邪魔しました!!!」


 そして床の籠を拾うこともなく、村長の孫娘は泣きながら飛び出していったのだった。


「おい誤解だぞー ……っても聞こえねえか」


 これはもう、たぶん今後二度とここには寄りつかないことだろう。

 それ自体に困りはしないが、おすそ分けがなくなるのは少々惜しく、ついでにあらぬ噂が村じゅうに広がるのは必至だ。


 しかしこの状況ではたしかに色ごとの最中にしか見えない。百人が見たら百人とも誤解してしかるべき体勢だ。


「……あの、は、離して……ください……」


 思わぬ妨害が入ってしまったせいで、アトレーゼも多少は冷静さを取り戻したらしい。

 掴まれていないほうの手でそっとヴィルの胸板を押しながら、聞き取れるぎりぎりの小さな声で、というかなりささやかな変化ではあったが。


 それで抵抗してるつもりかよ、と内心で笑ってしまったヴィルはひどい男だ。

 だが傭兵なんてそんなもの。それこそ全体を見渡せば、これでも上品な部類に入るくらいだろう。

 ヴィルが属していたアフシャラッド傭兵団は、戦場以外での戦闘や破壊、略奪行為の禁止を明文化していた、珍しいほど行儀のいい集団だった。


 ――けれどそこに籍を置いていたのも昔の話、今のヴィルにこの『略奪行為』を咎める者はいない。

 犯したところで誰も罰さないのなら、もうそれは罪とは呼ばない――。


 顔を近づける。互いの息が触れ合ったのを鼻先で感じる。

 紅墨色の瞳がまた潤んだのを見つめながら、どこか懐かしさを覚えるその色に、まるで吸い込まれそうだった。


 ……だが、目論見が果たされることは結局なかった。


 あと少しで重なり合うという寸前、不意にヴィルの顔面を鋭い痛みが襲ったのだ。

 反射的に身を逸らすしかなかった。そうして少し身を引いたヴィルの目の前には、あのおぞましいほど巨大な剣の切っ先がある。

 鮮血にぬらぬらと輝くそれは、涙を溢れさせるアトレーゼの双眸の間から突き出ていた。


 尋常ならざる光景だが、今さら驚くまい。

 彼女の身体に剣が潜んでいることを忘れたわけではない。顔からも出せるとは知らなかったが。

 他に抵抗の手段がなければそうするに決まっている。


「……ダメ、です……っ」


 アトレーゼはぽろぽろと涙をこぼしながら言った。それを見た途端ヴィルも、己のしようとしていたことに驚いてしまった。

 ――俺は何をやってんだ?


 今さら降ってきた疑問と後悔が、雪のように積もってヴィルの頭を冷やしていく。

 思わず額に当てた手にべったりと血がついて、とりあえずこれの手当てをしなければと、ヴィルは無言でアトレーゼに背を向けた。

 このまま斬りかかられても文句は言うまい。


 ふたりとも無言のまま、恐ろしく気まずい空気が流れていた。

 アトレーゼが耐えかねて出て行くことをヴィルはひそかに期待したが、彼女が動く気配はなかった。



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