第101話 二人だけの時間 そして朝

 脱いだ寝衣を左手に持ちながら、少女はくりくりした目を向けてくる。


 自分に対して何か期待しているものだと分かったが、それ以上にイルゼの小ぶりな胸に目がいってしまい、リリスは慌てて視界を手で覆った。


「ぬああっ! イルゼ、なんの前触れもなくいきなり脱ぐではないっ!」

「ちゃんと言った。薬を塗って欲しいって」


「だとしてもじゃ! ノーモーションで脱がれたら驚くに決まっておろう。せめて余の返答を聞いてからに――」


 彼女とはもうキス経験済みだというのに、両目を押さえながら、赤面してノーノーと繰り返すピュアな魔王。


(むりむりむり無理なのじゃー! なんとか落ち着かなければ、イルゼに裸を見て欲情していると思われてしまう)


 相手がイルゼでなければ、魔王もここまでてんてこ舞いにならなかったであろう。


 魔王であった頃、彼女には身の回りの世話をするメイドがいた。


 同性、それも他人の裸を見てもせいぜい顔が少し赤くなり目を逸らす程度だ。魔王であった頃は威厳を保つために堂々と振る舞っていたが。


 だが今回は違う。自分の意中の相手が目の前で服を脱ぎ、あまつさえ触れて欲しいと迫ってきている。


 この状況で欲情するなという方が無理な相談である。


(ううっーだめじゃだめじゃ。意識すると余計に見れなくなる)


 少女の裸体など、寝食を共にするリリスにとって見慣れている筈なのだが、どうやら事前に心の準備をしていないと難しいらしい。


 指の隙間からちらっと覗こうとして、それはいけないことだと目を閉じる。でもやっぱり見たい――魔王はめちゃめちゃ葛藤していた。


――『イルゼの事をえっちな目で見てはいけない』

 

「ぐううっ……」


「リリス? なに唸ってるの?」

「お主の性格が羨ましいわいっ」


 二人がキス以上の関係に発展出来ないのは、リリスの消極的(ヘタレ)な性格に問題があった。


「嫌なの? 嫌なら自分でやるけど、背中はやって欲しい」


 上半身を晒した彼女は、そんなリリスにはお構いなしに背中を向ける。


 だがこれは助かったとばかりに、リリスが手のガードを崩した。


「お主というやつは……む?」


 傷の具合を確認すると昼間受けた投石の跡は殆ど消えかけており、腫れも引いていた。


 彼女特有の自然治癒力だ。異常なまでの治癒力を前にリリスは薬を塗る必要性を感じられなかった。


「イルゼよ……」


 本当にこの希少な塗り薬を今使っていいものか、彼女に再び問おうとしたが魔王はイルゼほど鈍感ではない。


(もしかしてイルゼは余に触れて欲しいのか? だからこんなに回りくどい事を……理由がなければ余が触れないとでも思っているのか)


 自分にだって欲はある。好きな人に触れたいとは常日頃から思っている。残念なことにその欲を叶えようとする度胸は待ち合わせていなかったが。


 イルゼの美しい肌がリリスの目に止まる。魔王はごくりと喉を鳴らし、薬の瓶を受け取って中身を確認した後、指先でひとすくい、掌にそれをぺたぺたと塗り合わせる。


「別に嫌ではないが、むしろ嬉しい……こほんっ。しかし前は自分でやるのじゃぞ」

「リリスならいいのに」


「っ、余の理性が持たぬのじゃ! この馬鹿者め!!」


「むっ。私馬鹿じゃない。馬鹿なのはリリスの方! この世間知らず!!」


「それはお互い様じゃ! ほれ塗るぞ」

「――んひゃあ! 冷たい。リリス、塗る時は塗るって言って」


「ちゃんと言ったではないか! お主は理不尽過ぎるのじゃ!!」


 ぎゃあぎゃあと騒ぐ二人の部屋に、張り付いたような笑みを浮かべたシスターがぬっと顔を出す。


「もう消灯時間ですよ〜? 子供達が起きてしまいます。大人しく寝てくださいね?」


「「あ」」


 威圧の込められた笑顔に、二人はすごすごと引き下がった。


「……ごめん」

「……すまなかった」


「分かればいいんですよ。夜の睦み合いもほどほどにお願いしますね。お休みなさい」


 ピシャリと戸を閉められる。流石の二人もそこまで言われてこれ以上続ける気はなかった。


「……久々に手を繋いで寝るか?」

「うん。サチはシノと同じ部屋で寝てる。だから今夜は大丈夫」


「うむ」


 少し恥ずかしかったが、リリスは薬を塗る代わりに今夜は手を握って眠る事にした。


 彼女の手を握ると、少女はえへへっと短く笑う。妖精のように可愛いらしい無邪気な笑顔だ。


 リリスも思わずつられてくすっと笑ってしまう。


 三人で旅を始めてから、二人きりになれる時間が意外に少ないという事実が判明した。


 もちろんサチの事が嫌なわけではないが、その日の1時間だけでもいいから二人きりになりたいとリリスは思っていた。


「……むにゃ」


「すーすー……」


 互いに寄り添う形で二人は静かに眠りに落ちた。



「う、うーん……ぐるじい」



 一方その頃。隣の部屋ではシノがサチに抱き枕のように抱えられ、苦しそうにしているのであった。


◇◆◇◆◇


「皆さん気をつけてくださいね。危険と感じたらすぐに逃げてください」

「イルゼさん達にはほんとにご迷惑をおかけします……」


「ん。頑張ってくる」

「パッと行って、速攻で片付けてくる! こんな依頼、屁でもないわ!!」


「む」

「あいたっ! イルゼ、脇腹をつねらんでくれ〜」


「サチさん。孤児院のみんながあなたの帰りを待っています。私が一緒に寝て、他の子達もサチさんが怖い人じゃないって分かりましたから」


「それはなにより。他の子達にもよろしく言っておいて欲しいでござる。では行って参る!」


 翌朝早く、三人はシスター、ゼット、シノに見送られて害獣退治に向け孤児院を出発した。


 

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