第94話 信頼の証

「ネリアの奴、残念じゃのう。こんな楽しい催しに参加出来なくて」


「しょうがない。ネリアはお姫様だから」


 カウンター席に座る銀髪の少女と黒髪の少女が、お互いのグラスをコツンと合わせて祝杯をあげていた。


「みんな来てくれてよかった」


「うむ。余とイルゼが呼びかけたのじゃ。来ないわけがあるまい」


 宿の一階に併設する酒場を貸し切りにしたイルゼ達は、そこにレーナやサチ、アデナやネルといった面々を招待していた。


 ネリアも来たそうにしていたが、流石に一般人が多く混じる中に、他国の王族が入るわけにはいかない。


 先程、やだやだーと駄々をこねるネリアを近衛兵に取り押さえてもらった所だった。


『いつか、いつか私もお姉様のお隣に行きますからねー!』


 という言葉を残して、ネリアはアーク達の元に連れ戻されていった。


 イルゼもネリアが隣に来たら楽しそうだとは思ったが、リリスとネリアが仲良くできる未来は想像出来なかった。


――絶対喧嘩する。


 そんな予感があった。


「リリス」


「うむ」


 二人のグラスから、まとまわり付くような甘い香りが漂う。


 もう一度グラスを交わすと、二人は残っていた分をごくりと飲み干した。


「甘いのう」


「ん。甘い」


 イルゼがぺろりと下唇を舐める。グラスの中身は蒸留酒のラム酒だった。


◇◆◇◆◇


 宴開始から時間が経ち、お酒がいい感じに回ってきた頃、イルゼは瞼を擦りながら、うとうとしていた。


 お酒に強いイルゼだが、この数日間の疲れもあってか今にも眠ってしまいそうだった。


「ちょっと疲れた。肩貸して」


「よかろうっ!?」


 言うが早いか、イルゼが自分の肩の上にぽすんと頭を乗せる。


「んー……」


 そのまま身を寄せ、自分に寄りかかる形で、すーすーと寝息を立て始める。


 そのあまりの無防備さと天使のような愛らしい寝顔に、リリスは思わず語尾が跳ね上がってしまった。


(暫くこのままにしておいてやるか……)


 自分の肩に乗る手触りの良い髪を触りたいリリスだったが、それをぐっと堪えて、カウンター席に立つ、白い髭の生えた男性に声を掛ける。


「マスター。おかわりじゃ!」


「私はアルバイトです」


 男性はにっこりと微笑み、アルバイトと書かれた名札を指差した。


「こ、これはすまぬ」


「よく勘違いされるので結構ですよ」


「う、うむ」


 男性からグラスを受け取ったリリスは、それから暫く世間話に花を咲かせた。


「ふむ。2年前からここで働いておるのか」


「ええ、友人の勧めで」


 リリスは酔わないように、氷でお酒を調節しながら、グラスの中身を減らしていく。


 元よりこのラム酒もかなり薄めてあった。


 そうでもしなければ、お酒に弱いリリスは少量ですぐに酔ってしまう。


 イルゼとゆっくり呑み交わす事が出来ないのだ。


「……それにしてもこやつ、穏やかな顔で寝ておるのー」


 自分に寄りかかって眠るイルゼは、あどけない寝顔を晒しながら、どこか安心しているようだった。


(余の隣は、そんなに落ち着くのか。嬉しいことじゃな)


 リリスは口元を緩めながら、自分もイルゼの頭に寄りかかるのだった。


◇◇◇


「う、うぅん……」

「イルゼ、お開きの挨拶をしなくては。起きるのじゃ」


 この場にはネルやアデナもいる。お開きには丁度いい時間だった。


 そう思って主催者のもう片方を担っている少女に声をかける。


 本当はこの寝顔をずっと間近で見ていたかった魔王は、内心起こしたくはないものの、ある理由から起こすしかなかった。


(余も酔いが回ってきたか)


 足元がおぼつかない。寝室は二階にある。お互い支え合わなければ、階段を登る事はきっとできないだろう。


「イルゼ、イルゼ!」


「んぅんぅ」


 せっせと揺するも、寝ぼけた返事が返ってくるだけで起きる気配はまるでなかった。


「……リリスがやって……」


「まったく、仕方のない奴じゃな」


 ようやく返ってきたまともな返事は全て自分に任せるというものだった。


 イルゼの意識は半分夢の中にいるのだろう。こうなってしまえば、もはや完全に覚醒する事はない。


 リリスは仕方なくイルゼの代わりに、お開きの挨拶をして場を解散させる。


 彼女は魔王だった頃、このような宴会をよく開いていた為、かなり手慣れていた。


 テキパキと的確な指示を出して、宴会を収束させていく。


「――マスター。水を一つ貰えんか?」


「アルバイトです。どうぞ」


「イルゼ。少し水を飲め」


「いらない――」


「ほれほれほれっ!!」


「んん!? かぶがぶがぶ――」


 渡された水を無理やり飲ませ、なんとか意識を取り戻してもらう。


「少しは目が覚めたか?」


「……ん、少し。宴会はもう終わったの?」


「余が大体の後片付けはしといたぞ〜」


 自慢げに自分の功績を語る彼女の顔は赤い。酔いが回ってきており、滑舌も怪しくなってきていた。


 そんな彼女達の横をレーナが通り抜けようとする。


「そっか、ありがと。あ、レーナ――」


「いるじぇ〜。余はもう眠たい。早く寝床に連れていくのじゃー」


「むっ」


 急に抱きついてきたリリスを支えきれず、イルゼは床に倒れ込む。


「リリス、ちょっとどいて。レーナの所に……」


 宴が始まった時から、どこか浮かない顔をしていたレーナが気になっていたため、思い切って声を掛けようとしたが、酔ったリリスは離してくれそうになかった。


「嫌じゃ嫌じゃ。今夜は余のそばを離れないでくれ」


「離れたりしない。だから今は離してっ!!」


 二人が床の上で、引っ付いたり離れたりしている間に、レーナが店を出て行こうとする。


「レーナ、待って!」


「え、イルゼ?」


 少女の呼び掛けに、レーナは今気付いたとばかりに応じる。


 そしてリリスが絡みついて解けない為、レーナの方からやって来てくれた。


「イルゼ。今日は宴に招待して頂きありがとうございました。とても楽しかったです」


「ん。それは良かった。でもほんと?」


 ベタベタ引っ付いて来ようとする魔王の顔をぐぐぐっと押し返しながら、聞く。


「え、はい……もしかして顔に出てましたか?」


「うん。レーナ、ずっと浮かない顔してた」


「そうですか……顔に出てましたか」


「陛下と何を話したの?」


 彼女の様子がおかしくなったのは、閉幕式後にアークと何か話をした後からだ。だから彼女が浮かない顔をする原因はそこにあるとイルゼは踏んでいた。


「……明日にはイルゼも知ることですし、今話してしまってもいいかもしれませんね。実は――」


 「いるじぇー」としつこい魔王を素早く椅子に縛り上げ、レーナを空いている席に促し、自らも向かいの席に座って彼女の話に耳を傾ける。


 彼女の話によると、レーナ・アスラレインという少女はあの武闘会で目立ち過ぎた為、これからアスラレイン家の古代魔法を戦争目的で欲しがる輩が増えてくるだろうとアークに伝えられたのだという。


「それでもしよければ、エリアス王国に亡命しないかと言われたんです。あの大国に守って頂ければ安心は安心なのですが……」


 レーナは不安そうな顔を浮かべる。


 彼女が危惧しているのは、アークが体の良い言葉を並べて本当は古代魔法について知りたいだけではないかという事だ。


 実際そういった思惑もあるのだろうが、彼がレーナを保護するのは完全な善意によるものだ。それは彼の人となりを見ていれば明白だ。


「それに生まれ育った国を出ていくというのも……」


 生まれ故郷を出て行く事がどれほど辛いのか、故郷を覚えていないイルゼには分からなかった。


「答えは決めたの?」


「明日には返事をする予定です」


「そっか。レーナも大変だね」


「ええ、イルゼもこれからが大変なんじゃないですか?」


 自分に引っ付く魔王を見て、レーナがくすりと笑う。


「ん、大変。リリスはすぐ酔うから」


「イルゼ。ここは私に任せて先に部屋に戻って下さい」


「え、でも……」


「拙者達に任せるでござる。片付けは幼い頃から得意でござった」


 お皿の回収をしていたサチが会話に入ってくる。器用に片手で皿の山をバランスよく乗せ、もう片方の手でテーブルを拭いていた。


「分かった。二人ともありがと」


 二人に説得されて、イルゼはリリスを支えながら寝室へと向かう。


「二人ともおやすみ」


「お休みなさい」


「よき夢を」


「のじゃー」


 寝室へと繋がる階段を一段ずつゆっくり上がっていく。


(今日も二人っきり。でも怖い)


 決勝が終わった時点で殆どの人が宿を出て行ったので、サチも空いた別の部屋へと移っていた。


 なので今夜もイルゼとリリスの二人っきりの夜だった。


 部屋に入ってすぐイルゼはリリスに注意事項を説明する。


「リリス。酔った勢いで変な事したら、私怒るから」


「しない、そんな事はしないぞぅー。安心しておくれー」


「むー、信用できない」


 説得力に欠けるリリスをベッドに寝かせると、自分は隣のベッドへと潜り込む。


「おやすみリリス」


「イルゼ。おやすみなの……じゃ……」


 その夜、イルゼは酔ったリリスに夜這いをかけられ、服を脱がされながら押し倒されるのだが、それはまた別の話である。

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