第36話 VSオメガの使徒 惜別 そして死別

「来い、剣聖ッ!」


「んっ!」


 イルゼが走り出すのと同時に、彼もイルゼに向かって走り出す。イルゼに対し、真っ向勝負を挑むようだ。


 そして、その後ろからキリキリと、弓を引く音が聞こえる。


 彼が正面きってイルゼと戦えるのは、後ろで弓を引く、アルファという最高の相棒がいるからであろう。


 優秀な援護がなければ、いくら彼でもイルゼと正面から殺り合う事など出来ない。


 だがイルゼには、これ以上、彼とまともに斬り合う気はなかった。


「うおおおおおお!!」

「…………今」


 イルゼの目はアルファしか捉えていない。


 だからイルゼは最小限の動作で、飛んだ。イルゼの下を彼が猛然と走り抜けていくのが映る。


「なっ!?」


 彼を飛び超え、着地すると、イルゼはあと少しの距離にいるアルファに向かって走る。


 もう少し近づけば、彼女の間合いだ。


 アルファが近接戦闘が得意ではないのをイルゼは見抜いていた。だから近づけば、勝負は一瞬でつく。


「くそっ!!」


 アルファが紅の矢を放つが、大して魔力も篭っておらず準備不足である事がうかがえた。


「ん」


 剣で跳ね除けるまでも、避けるまでもないというように、イルゼは放たれる矢を片手で掴んでいく。


「な、素手で……あの速さの矢を掴んで……」


 焦ったアルファが何度も矢を放つが、結果は変わらない。


「もうちょっと……」


 その間にも、イルゼとアルファの距離はどんどん近くなっていく。長剣と短剣の使徒達はイルゼのスピードに追いつけない。


「アルファ様! 後退してください。我々が時間を……」


 アルファの周りにいた部下がここが限界だと言い終える前に「ねぎょ?」と声を漏らし、喉笛から血を噴き出した。


 ぼたぼたとその刀身から血を流す少女の周りには、先程までアルファの周りを守っていた者達が、全員地面に倒れ伏していた。


 血がじわじわと広がり、大きな血溜まりを作り出す。

 悲鳴はなかった。


 彼等は声を上げるまもなく、全員斬り伏せられたのだ。


「終わり」

「あ、あぁ魔王様申し訳……」


 イルゼが無慈悲にもアルファに向かって剣を振り下ろした時、イルゼの後方にいた彼がようやく追いつき、アルファに振り下ろされた剣をすんでのところで防ぐ。


  

「む、じゃましないで!」

「くっ、アルファ様。お逃げ下さい。我々は役目を十分果たしました」


 カタカタ、カタカタと互いの剣が音を立て、彼は強引に弾き飛ばす。イルゼは後ろへと後退する。


「だが、私だけが逃げるわけには……」


「ねえ、二人とも何言ってるの? 今、逃したからまた襲ってくるんでしょう? だったら逃すわけないじゃん」


 酷く据わった、何の感情も見せない目をイルゼは二人に向ける。


 イルゼを見て、彼は覚悟した。


 全員は生きて還れないと。


「アルファ……逃げろ。ここでお別れだ」


「いや、そんなの嫌よ。私たちは幼……」


「彼女を連れて行ってくれ」


 彼から無慈悲に告げられた言葉に彼女は色を失う。

 そして別の使徒が、嫌がるアルファを無理矢理連れて行く。


「いや、嫌よ! 離して! 離しなさい!! 私を誰だと思ってるの」


 尚も暴れるアルファに、彼は今日一番の声を上げた。


「アルファ! 己の役目をまっとうしろ! 俺は生きて帰る。俺が一度でも約束を破った事があったか?」


「それは……ないわ」


「なら、安心して待っとけよ――エディタ」


 彼はアルファの事をエディタと呼んだ。

 それは彼女が使徒になる時、捨てた名前であった。


 そして彼女は新たにマスターから、アルファという名前を授かった。


「デューク……」


 彼女の本名はエディタ・ブリュン。彼の幼馴染であり、ウォフロス村で生まれ、農村で生涯を終える筈だった普通の村娘。


 久しぶりに自分の名前を呼ばれたアルファは、彼の名前を呼んで微笑み「待っているわ」とだけ告げ、自分の足でその場を去って行った。


 彼女が見えなくなると彼――デュークはイルゼに視線を戻した。愛剣をぶらぶらさせて、こてっと可愛らしくこちらに顔を向ける。


 話が終わるのを待っていてくれたらしい。


(ははっ……天使のような笑みなのに、やっている事は悪魔そのものだ。見た目と中身が違うのは、こういう事をいうんだな)


「終わった?」

「ああ」


「じゃあ殺すね」


 イルゼが剣を構える。


「……行かせてよかったのか?」


「ん。私がアルファの方に行ったら、お前、死ぬ気で私を止めにくる気がした。その方が厄介」


「そうか……他の者は下がれ、俺が相手する」


 イルゼ相手に、他の使徒達は戦力にならないと彼は短剣の使徒達を下がらせる。


 自分が死ねば、彼女に会いに行くことも出来ず、部下も全員殺される事になる。


 だから負けるわけにはいかなかった。


 しかし、アルファの援護がなくなった今、結果は明白だった。


 頭では理解していた。


 しかしもう二度と彼女に会う事が出来ないと考えると、彼の心はそれを拒んだ。


 残された道は剣聖を殺すしかない。


「……こい、剣聖ッ! 決着をつけよう」

「ん。私の名前はイルゼだよ!」


 イルゼは名乗りを上げ、剣を振るう。予備動作なく放たれた剣の切先がデュークの頬を掠る。


「くっ!」


 デュークは火事場の馬鹿力とでもいうように、一撃、一撃に力を込めた猛攻を繰り出す。


 イルゼは表情を変える事なく、それを全て躱していく。まるで「どれだけやっても当たらないよ」と、言われているようなものだった。


 剣の腕にはそこそこ自信があった。だからこそ悔しかった。


 目の前の相手に涼しい顔をして躱され続けているからだ。


「やっぱりアルファがいないと大したことない」


「くそっ!」


 全て見切っているとでも言いたげな視線に、デュークはつい冷静さを失ってしまった。


 そして誘われるがまま大振りをし、決定的な隙を生んでしまう。


(しまったッ!)


 自分は誘われたのだと気付いた時には遅かった。


 イルゼはその隙を見逃さず、すかさず剣を振るった。


 ザシュッ!!


 ぼとりと何かが地面に落ちた。それはデュークの腕だった。


「ぐあああああああああぁ!!」


 デュークは絶叫を上げ、地面に転がる。


 そんなデュークをイルゼが足で踏みつけ、動きを止める。


「ん。今、楽にする」


「くっ、くそ……」


 彼は、ぽとりと雫を一つこぼした。


「?」


 イルゼは、デュークが何故涙を流すのか分からなかった。

 先程の会話でアルファとのお別れは済んだものと思っていたので――イルゼはやるせない気持ちになる。


(この人達は悪い人達。だって私を襲ってリリスを連れ去ったから。だから何も間違っていない……はず)


 イルゼが大きく剣を振りかぶる。


 デュークは大きく目を見開いてそれを見ていた。


(すまんなエディタ。どうやら俺はここまでのようだ……お前は生きろよ)


 自分に向かって振り下ろされる純白の剣が、スローモーションのように映る。


「さようなら」


 透き通るような少女の声を最後に、彼の意識は暗闇へと落ちていった。

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