第2話 名前 そして旅の始まり
暴虐の魔法リクアデュリス様。(自称)
人口が少ない町といえどこれだけ大きな声を出せば周囲の注目を浴びるのは当然のことで、魔王(自称)と剣聖の少女、二人の周りには見物客がわらわらと集まってきていた。
「我が偉大さに民衆が集まってきおったか。では、改めて名乗ってやろう。余こそが暴虐の魔王リクアデュリス様だ! わはははは!!」
自らを様付けして呼ぶ魔王(仮)の少女は、腰に手を当てて豊かな胸を強調するように尊大に胸を張ると、豪快に笑った。
五百年前とはまるで違う態度に、剣聖の少女は困惑を隠せない。
(なんか違う)
ここでは剣を抜けないと判断した剣聖の少女は、饅頭屋の店主に国王から貰ったお金を適当に何枚か取り出し渡すと、魔王(仮)の手を取り走り出した。
お金を渡された店主が「こ、こんなに貰えないよお嬢ちゃんー!」と叫んでいたがそれを無視して少女は魔王(仮)を連れ出す。
そして一度町を離れ、荒野の中央へと向かう。
もの凄い速度で走る剣聖についていけず、魔王(仮)は引きずられるようにして移動していた。
「ひぃ……。ま、待たんか。このままでは死んでしまうぞ」
魔王(仮)が、いつの間にか剣聖とはかなり離れた位置をよろよろと歩いていた。途中で手がすっぽ抜けたらしい。
「も、もう無理じゃ。余はここから一歩も動けん」
地面にだらしなくへたりこんだ魔王(仮)が、大の字になって空を仰いだ。
その姿はなんとも情けなく、魔王という称号からは掛け離れていた。
昔の魔王だったらありえない姿である。
「ねぇ。あなた本当に魔王なの?」
なので、この少女が本当に魔王なのかもう一度問いかけた。
間違いで人を斬る訳にはいかない。
「何を言うか。お主の事を知っていただろう。それが余が魔王であるという、何よりの証拠じゃ」
彼女は起き上がると懐から、先程の街で売っていた団子を取り出すと、パクパクと食べだした。
やはり、魔王の威厳の欠片もない。
「一本食うか?」
あまつさえ、それを差し出してきた。
(油断させて私を殺す気なのかな……だったら)
目にも止まらぬ速さで剣を抜き、団子の串を根元から切断した。
「ぬぁ! 食べ物を粗末にするとは何事か!」
彼女は三秒ルールと訳の分からない事を呟きながら落ちた団子を拾い上げ、ふーふーと息を吹きかけた後、口の中に放り込んだ。
その後、取り切れなかった砂を噛むじゃりじゃりという音が聞こえ、魔王(仮)は顔をしかめるが、食べ物を粗末にするなという言葉の通り、涙目になりながらも喉を鳴らし、飲み込んだ。
(やっぱりなんか違う。こんなの魔王じゃない)
どこの世界に、落ちた団子を三秒ルールと言い訳して食べる魔王がいると言うのか。
毒気を抜かれて、剣を一度鞘に収める。
「んー。この場合はどうすれば……命令通りに殺せばいいのかな……いやでもさすがにこれは」
真剣に悩んでいる剣聖の少女を無視するかのように魔王(仮)のペースで話は進められていく。
「そうそう、余の名はリクアデュリスであるが、長いのでな。お主には特別に、縮めてリリスと呼ぶ事を許そう」
「はあ」
「お主の事はなんと呼べばいい? 五百年前は聞きそびれてしまったからのう。――余が喋り終わる前にお主が斬り掛かってくるからじゃぞ」
改めて魔王――リクアデュリスは『
「私? 私の名前は剣聖だよ」
それに対し、剣聖の少女はどこまでも義務的に答える。
「それは名前ではない、ただの称号じゃ。余はお主自身の名前を聞いているのじゃ」
うーん、と、顎に手を当てて考え込む愛らしい素振りをしながらも、真剣に悩む剣聖を見たら、男性でも女性でも保護欲が掻き立てられる事だろう。
風に遊ばれてなびく、白く美しい白銀の髪。
肩で切り揃えられた雪のような純白の髪は、藍色の瞳の暗さを引き立て、まだ幼さの残る少女の魅力を余すことなく引き出していた。
対面にいる魔王リクアデュリス改め、リリスも、剣聖に負けず劣らずの端麗な顔立ちをしていた。
こちらは剣聖より大人っぽい容貌をしているが、その言動はいささか幼い。
艶やかな黒髪は腰に届くほどに長く、美しい。少しなだらかな身体をしている剣聖とは違い、リリスの体を描く曲線は豊かの一語に尽きるものだった。
そして魔族の象徴である深紅の瞳。流されたばかりの血のような赤が、彼女の凛々しさと意志の強さを象徴しているようだ。
その反面、復活したばかりで現世の常識には疎いようで、大人からすれば剣聖と同じく庇護欲をそそられる対象と映る事だろう。
「私、自分の名前知らない。――そもそも私に名前なんてあったの?」
その様子にリリスは、顔いっぱいに疑問を浮かべた。
「名前を知らない? ……まさかお主、母親の事も忘れてしまったのか?」
剣聖の少女がこくんと頷く。その反応から、彼女本当に記憶を無くしているのだと分かると、リリスは拳を強く握りしめた。
「ぬぅぅぅ……! 人間め、許さんぞ!! 母親の記憶を消してまで、こやつを五百年前から今まで、保存しておったのか!?」
今にも王宮に乗り込みに行きそうなリリスを、剣聖は必死に抑える。
「待って、話が変わってる。私は貴方を殺しにきた。――これ以上、話をするつもりはない」
素早く白い鞘から、白く透き通るような美しい剣を抜き放ち、その鋭利な切っ先をリリスの首元に突きつける。
リリスは慌てる事なく、それを手で制す。
「まぁ待て。余を殺すのは、自分の名前を知ってからでも遅くはないと思うぞ」
「私の名前は知らないはずじゃ……」
リリスはふふんと胸を張る。
「余は暴虐の魔王であるぞ? 今の余でも、記憶を覗く事くらいは出来る」
「でも私の記憶は消えて……」
「おそらく封印されているだけじゃ……流石に完全に人の記憶を消す事は出来ないものだからのう」
少しの沈黙の後、『
それを肯定と取ったリリスは、少女の額と自分の額をくっつける。
「ひゃっ!」
突然の事に、剣聖にあるまじき声を上げてしまった。
なにせ、リリスの顔がまつげとまつげが触れ合うほどに間近に迫り、深紅の瞳が自分の瞳を見つめていたからだ。
「落ち着け。危害を加える事はせぬ」
そして、魔王が深紅の瞳を閉じると、剣聖も藍色の瞳を閉じた。
暫くしてリリスが頷くと、額が離された。
剣聖の少女が目を開けると、リリスはもう目を開けていた。
「うむ、分かったぞい。まずお主の名前はイルゼという」
「イルゼ……」
剣聖が呟く。
「私はイルゼ……イルゼ? ――うん。イルゼって、なんだかしっくりくる」
剣聖改めイルゼは、自分の名前を何度も口に出して呼んだ。
「当然じゃ。それはお主が母に貰った名前なのだから。母親も、たいそうお主の事を可愛がっておったぞ。イルゼと呼んでいたのは母親しかおらんかったようだが」
リリスは赤ん坊だった頃のイルゼの事を語る。
まだ、彼女が本格的に兵器として育てられる前の事だ。
そして母親がいなくなると、彼女の事をイルゼと呼ぶ者はこの世から一人も居なくなった。
「へえ、そんな事があったんだ。魔王は私の知らない事なんでも知ってるんだね」
「余の事はリリスと呼べ。どうだ。お主の母親の事を、もっと知りたいとは思わんか?」
「うん、知りたい。でもリリスは魔王だから、殺さなきゃいけない」
どうしようと悩んでいるとリリス自ら提案をしてきた。
「こういう場合はお主に命令した者に相談すればいいと思うぞ。剣聖であるお主が余を無害だと判断したと言えばよい」
「お主に命令した者? ……ああ、陛下の事か。そうする。……でも、殺せって言われたら?」
「お主が年端もいかぬ無力な少女を、魔王を自称しているから殺したいと言うなら、止めはせぬわ。剣聖たるお主になら、この暴虐の魔王リクアデュリスの首をやろうぞ」
イルゼは国王から地図と一緒に押しつけられていた通信器具を取り出す。
「なんじゃそれは?」
「通信機だって。遠い所と話が出来るって言ってた。魔王を倒したら連絡しろって渡されたの」
「ほう」
「時代が進んだなぁ」
と、イルゼは年寄りくさい発言をした。
「そうじゃのう」
リリスもこれまた年寄りくさい発言を返す。
(今は、こんなに離れていてもすぐに連絡を取れるんだ)
自分が封印されている間に、技術はこんなにも進歩していたのだと思うと、五百年という時間の長さが身に染みた。
「……もしもし」
リリスと説明書を読みながら使い方を学び、手順通りにすると無事、国王へと繋がった。
「私です」
「『剣聖』か? ……そうだよな?」
「はい。……イルゼです」
「イルゼ? 名前が……記憶が戻ったのか!」
耳に近づけすぎていたため、あまりの声量に咄嗟に通信機を耳から離す。
「記憶は戻っていませんが、魔王が教えてくれました」
「魔王に会ったのか? ――それで倒したのか?」
「はい。――いいえ。今、私の横にいます」
そこで、リリスがイルゼから通信機を奪い取る。
「そうじゃ。我こそが暴虐の魔王リクアデュリス様じゃ! ――へぶっ!!」
高らかに自己紹介をしている最中、イルゼに吹っ飛ばされたリリスは地面に軽く埋まる。
そこに手加減というものは存在しなかった。
「代わりました」
「イルゼ。魔王の声が随分とその……可愛らしく聞こえたんだが」
「はい、可愛い人間の女の子になっています」
「――それは本当か!?」
「はい、この場合はどうすればいいのでしょうか?」
リリスがそわそわとイルゼの周りをうろついて、イルゼから鬱陶しいと手で追い払われる。
「イルゼはどう思うんだい?」
「私はその……」
「いいよ、怒らないから言ってごらん」
イルゼが息を整えて、想いを伝える。
「……監視する必要はあるけど、殺す必要はないと思います」
それはイルゼが生まれて初めて口にした自分の意見だった。
国王が問う。
「そうするべきだと、思うんだね?」
「お母さんの事も知りたいし、魔王としての力はありませんから。今の彼女は、ただの魔王を自称する女の子です」
国王が苦笑するのが分かり、リリスは口こそ挟まなかったが、自称魔王呼ばわりされてむくれている。
「……それでも、彼女が魔王としての力を取り戻したら? そして、人間に敵対する事を選んだら……?」
イルゼは国王に、『剣聖』として答えた。
「――彼女が魔王に戻るようなら、私が殺します」
通信機の向こうでは国王が妹の成長を祝うかのような満足そうな表情をしている事だろう。
「君がそう思うならそうすればいい。宰相達にもそう伝えておくよ。一度戻ってくるのかい?」
「それは……」
イルゼがチラッとリリスを見る。
するとリリスがイルゼの耳元でボソボソとささやいた。
「うん……分かった。――陛下。私は、『魔王』と一緒に、自分の故郷に行ってみます」
「そうか……場所は分かるのか?」
「はい、彼女が私の記憶を読みましたし、私もなんとなく分かるので大丈夫だと思います」
「なんとなく……」
電話の向こうでは国王が呆れた声を出した。
イルゼ本人も自分が言っている事に明確な根拠が無い事ぐらい分かっているのだが、気にしない事にした。
暴虐の魔王リクアデュリス――リリスは、自分がなんとなくいると思った場所に、いたのだから。
「そうか。では、気をつけるんだよ。――特に『オメガの使徒』には」
「オメガの使徒?」
聞き慣れない名前だった。
「魔王を崇拝し、その復活を企む連中だ」
イルゼが知らないはずだった。
それは、魔王が倒された後の事。『剣聖』である彼女がその復活に備えて封印され、眠っていた五百年の間の出来事だ。
「魔王が目覚めたと分かれば、奴らは彼女を全力で奪い取りにくるぞ。……生き残りの魔族達もいる事だしな」
「大丈夫です。私がついていますから」
「それは頼もしいのう! 昨日の敵は今日の友じゃな」
横でリリスが騒ぎ立てイルゼは迷惑そうな顔をする。
リリスは、昔の仲間に会おうとは思っていないらしい。
今のリリスは人間なのだから当然と言えば当然なのではあるが……。
イルゼは、彼女がただ遊びたいからだけなのではと疑っていた。
魔王を失い急速に勢力を失った魔族達は北の地へと逃れ、土地を開拓し、そこで新体制を整えようと試みた。
人間側がそれを許す筈もなく追撃を試みたが、魔族の中でも有数の実力者達が強固な結界を張り、それは敵わなかった。
イルゼが――人類の最終兵器たる『剣聖』が眠りについてしまった事もあり、魔族との抗争はなし崩しに終結した。
しかし、今でも北の地では結界が張り続けられており、そこは人間が立ち入る事の出来ない領域となっている。
国王との通話を終えると、イルゼはリリスに向き直り、呼びかけた。
「じゃあ、行こっか。――リリス」
「うむ。――イルゼ」
リリスも、偉そうに返す。
イルゼとリリスは肩を並べて故郷へと歩き出した。
五百年前に殺し合った剣聖と魔王が、二人並んで。
魔王は何故かクソザコナメクジの、ただの女の子になっているけれど。
今はもう、殺し合わなくていい。
イルゼの足取りは、自然と軽くなっていた。
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