君は怒れるブラックサンタ

マクセ

短編

 

 1ミリ降り積もった粉雪。

 サンタのコスプレをしたコンビニの店員。

 稼ぎ時とばかりに出張ってくる大道芸人。

 街のスピーカーから流れ出す山下達郎。


 そう、世間はクリスマスムード一色だ。


 今日は12月24日……世間の常識で言うところのクリスマス・イブである。またの名を聖夜とも言う。恋人たちが1年で一番元気になるアノ日である。


 そして、俺のような冴えない男にとってはただただイルミネーションがうざったいだけの日だ。そう負け惜しみを心の中で呟きながら、俺はコンビニで買ったホットチキンをついばむようにして食べていた。


 あーあ……無理して外出なんかするんじゃなかった。俺は今、勢いで家を出てきたことを後悔していた。

 というのも、『クリスマスイブなのに誰とも会わないの?』と母親からキッツい一言を貰い、『んなわけねーだろ! 行ってきます!』と啖呵を切って寒空の下に飛び出してきたのだ。


 当然恋人などいるわけもない。

 実は友達も少ない。

 結果、ひとり喧騒から逃れるようにコンビニの駐車場でホットスナックなんか食べているわけだ。実にみすぼらしい。


「タクぅ〜、待ったぁ〜?」

「いや、ヤベー待ったわ、クソ寒いんですけど」

「ちょっ、も〜どこ触ってるしぃ〜?」


 ……まあ、いくら喧騒から逃れようとしてもこういったあま〜い光景からは逃れられない。何故なら今日が12月24日だからだ。今日だけは彼らは何をしても許される。寂しげな男子高校生の隣で公然とイチャついていても許される。


「クソだな……クリスマスって」


 ヤンキー風の陽キャカップルの来襲に気まずくなった俺は、高速でチキンを食べるとその場を離れた。

 とはいえ他に行くあてもない。

 時計をチラリと確認すると、まだ午後6時過ぎだ。友達と会うにしろ恋人と会うにしろ解散するには早すぎる。つまりまだ家には帰れない。どうしたものかな……と冷え切った耳たぶを触りながら街を浮浪したのだった。


 こんなとき、友達が多い奴ならすれ違いに『新藤じゃん、何してんだ? 一緒にパーティーにでも行くか?』と誘ってくる友人がいるのかもしれない。

 しかし行けども行けども他人ばかりだ。それもほとんど彼女か子連れ。

 ああ、なんだってこんな惨めな思いしなきゃなんないんだよ。

 俺を触発した母さんを逆恨みしながら歩いた。

 あとで気づいたのだが、この時の俺は無意識に強い光に吸い寄せられるように歩いていた。人間も虫も脳みその構造は大して変わらないのかもしれない。


 でもそのおかげで、


 いや、むしろそのせいで、


「頭空っぽのバカどもへ……地獄に落ちろ……っと」


 俺は彼女に出会った。


「く、黒木くろき……?」


 俺が吸い寄せられていた強い光の正体は、街の中央に鎮座する巨大なクリスマスツリーだった。ツリーといっても本物の木ではなく、人工のモニュメントである。毎年この時期になると煌びやかな電飾が付き、クリスマスツリーとしての役割を担うのだ。


 その幹の部分に、マジックペンの太い方を使って落書きをしている女の子を発見した。


 電飾の放つカラフルな光とは対照的に、全身を包む美しい黒。黒は美人を引き立たせる、を体現したような存在。


 そんな彼女は、何やら呪詛めいたことを呟きながらマジックを持つ手を動かしている。見た目の端麗さとのギャップが凄まじく、まるで愉快な夢のような光景だ。

 

 彼女の名前は黒木くろきれい


 俺のクラスで一番の美少女だ。



◆◇◆



 喧騒の街並みは、落書きに勤しむ黒木のことなんか気にもしていない様子だった。いや、目には入っていても『ヤベー奴』として見ないフリをしているだけかもしれないが。


 とにかく、そんな彼女に声をかけたのは俺だけだったということだ。


「お、おい黒木?」


「……なに、なんか文句あるの?」


「うっ」


 振り向き様にギロリと睨み付けられた俺は情けなく萎縮した。目が、目が怖いよ黒木……なんだってそんな怒ってるんだ。


 しかし、彼女は俺がクラスメイトの新藤しんどう誠也せいやだと認識し、「なんだ、新藤くんか」と安堵のため息を吐いた。


「ていうか、新藤くんで合ってるっけ? ちょっとあやふやかも」


 君って影薄いからなー、と興味なさげに言われてしまった。それって凄い失礼じゃないか。悪意が無さそうなのが逆に傷つくぞ。


 クラス一の美少女、黒木怜。

 その名の通り、綺麗な黒のロングヘアが特徴的な彼女は、謎のベールに包まれた人だった。

 部活もやっておらず、放課後になるとすぐに帰ってしまう。どうやらいろいろバイトを掛け持ちしているらしく、その身上は長らく謎のままだった。


 それがまさか、蓋を開けてみればクリスマスツリーに落書きをするような女だったとは。こりゃ前代未聞の発見だろう。


「黒木、なに落書きなんかしてんだよ、怒られるぞ」


 俺はごく一般的な常識で彼女を諌めようとした。

 落書きと言っても立派な迷惑行為だ。

 通報でもされたら面倒なことになるだろう。


「あのさ、怒りたいのはこっちの方なわけ」


「え?」


「クリスマスに」


「え」


「クリスマスイブとかいうやつに!」


「ええっ」


 彼女はもはや苛立ちを隠そうともせずに、再度ツリーに落書きをし始める。今度は小学生がノートの端に描くようなウンコのイラストを描いていた。


「聖夜だかキリスト降誕だか知らないけど、どいつもこいつも浮かれすぎなのよ……! 日本人は無宗教じゃなかったのかしら……? ほんっとに、しょうもない……!」


 す、

 

 すごい怒ってる……。

 すごい怒りながら、ウンコ描いてる……。

 もう6重くらいトグロ巻いてる……。

 アングリー・ウンコだ……。


 その怨嗟めいた気迫に俺は気圧されてしまった。


「く、黒木はクリスマスが嫌いなのか」


「見りゃわかるでしょ!」


「まあ確かに今更だ……」


 どうやら彼女はクリスマスに恨みがあるようだ。

 何故かは知らないが、ツリーにウンコを描くくらいだからその恨みは相当なもんだろう。


「でもツリーに罪はないだろ。そりゃ何かの記念で作られたアート作品だぞ」


「新藤くん、私は今日限りブラックサンタよ」


「ぶ、ブラックサンタ……?」


「このクリスマスとかいうふざけた行事をぶっ壊す、破壊者になるのよ!」


「く、クリスマスを破壊する……だと」


「今からこの街の至る所に落書きをしに行くから! クリスマスなんかクソくらえ!」


 その言葉を聞いて、俺は電撃に撃たれたような気分になった。


 す、


 すげえ……。

 この人すげえ……。

 間違いなくヤベー奴だけど、すげえ……。

 

 よく分かんないけど、少なくとも見栄を張って孤独に街を徘徊する俺よりは矜恃のある人間と言える。

 

 そして絶対に近付いてはいけないタイプの人間だ。


 よし、見なかったことにしよう。


「新藤くん、ちょうどいいからあなたも協力しなさい」


「え」


「あなたも私と一緒にクリスマスを破壊するのよ。ほら予備のマジックペン」


 うそ〜ん。



◆◇◆



 12月24日に街を歩く男女2人。


 周りから見ればカップルにしか見えないだろう。


 だがその実情は、全身黒の服装に身を包んだブラックサンタと、その部下Aなのだった。


 どうやら黒木は俺を逃してくれそうにない。でもやっと見つけた知り合いだし、女の子だし、美少女だし……多少の言動のおかしさには目を瞑ることにした。


「それにしても、見栄を張って家を出てくるなんてバカなことね。12月24日は戦場よ? あなたみたいな非モテの地味男が生きていられる場所じゃないのよここは」


「もう少し言い方を選んでくれ……つーかお前だって一緒じゃねーか」


「いいえ、私には使命があるもの」


「ウンコ描きにいくだけだろ」


「もうちょっと言い方選びなさいよ。私はこのクリスマスムードをぶち壊しにしたいだけ。落書きはその手段のひとつに過ぎないわ」


「なあ黒木、なんでお前はそんなにクリスマスが憎いんだよ」


 一番気になっていることを訊いてみた。

 俺みたいな冴えない非モテが冗談半分に『リア充爆発しろ!』なんて言うのは理解できる。

 だが、目の前にいる黒木がクリスマスを憎む理由が分からない。彼女ほどの美人なら聖夜を乗り切るのも簡単だろうに。


「そんなの私の勝手でしょ」


 彼女はあくまで突っぱねた態度で俺の質問を一蹴した。

 まあ……言いたくないならいいけど。


「それにしても腹が減った」


「家に帰ってお母さんに夕飯を作って貰えばいいのにね」


「そんな恥ずかしいことできるか……30人くらいの友達と夜通しでパーリナイしてくるって言ってきたんだぞ」


「なんでそんな大きく出たのよ……」


「どっかで飯でも食べようぜ。黒木も腹減ってるだろ」


「ふん! 仕方ないわね! ファミレスにしましょう!」


 とまあこんな感じで、意外とノリがいい黒木と一緒にファミレスに向かうことになったのだった。



◆◇◆



 黒木はしかめっ面でチーズハンバーグの300グラムを頬張っていた。小顔の彼女だから、見た目以上にハンバーグが大きく見える。


「なに見てんのよ」


「いや、それは……」


「なに? このチーズハンバーグを奪おうったってそうはいかないわよ」


「そういういやしい意味で見てたわけじゃない」


「君みたいな影薄人間にはこのまっずいアスパラがお似合いよ、そりゃ」


 アスパラを押しつけられた俺は、訝しげな目で黒木を見つつそれを食べる。


 というのも、店内に入りコートを脱いだ彼女の服装に違和感を覚えたからだ。


「黒木……なんで学校の制服着てるんだ?」


 彼女は黒のセーラー服を着用していた。

 女子高校生の彼女が制服を着ていること自体はなんらおかしいことじゃない。


 だが、


「今は冬休みだろ」


 冬季休暇に制服を着る必要性はない。


 そう告げると、彼女はなんてことない風に答えた。


「なに、休みの日に制服着てたらいけないわけ」


「変ではある」


「ふん……これはまあ、正装みたいなもんよ」


「ブラックサンタのか?」


「そんなところ」


 確かに、ブラックサンタを名乗るなら黒一色のセーラー服は正しい格好と言える。思った以上に気合が入ってるな、このウンコバンクシー。


「ブラックサンタって実在するのよ」


「え、そうなのか」


「ドイツには、悪い子の元にはブラックサンタが来るって言い伝えがあるらしいわ」


 日本で言うところのナマハゲみたいなものだろうか。へ〜、って感じだ。


「ブラックサンタは嫌がらせのプロでね……石炭やジャガイモをプレゼントしてくれるの」


「なんだそのチョイス」


「絶妙に子どもがガッカリするようなプレゼントでしょう。分かってるわよね」


 まあ確かに……見るからにいらないモノを渡されるより、妙に実用性のあるモノを渡される方がガッカリ感は強いかもしれないな。恐るべしブラックサンタ。


「嫌がらせのプロってのはそういうことか」


「だから、だったら私はウンコでも描こうかなと」


 クソ真面目な顔でクソみたいなことを言う黒木。

 むしろ子どもはウンコが大好きだと思うが、とりあえず言わないでおくことにした。


「それにしても新藤くん」


「ん」


「周りが鬱陶しくなってきたわね」


 辺りを見回すと、いつのまにかカップルや子連れが続々と来店していたようだ。


「はあ〜、どいつもこいつも右にならえで幸せそうにしちゃって……マジうぜえわね」


 黒木はいっそう顔をしかめさせると、乱暴な口調でそう言う。ここまで一貫して幸せを憎んでいる彼女には畏敬の念すら覚える。


「ねえ、ムカつくからぶっ壊しましょうよ」


 そんな彼女はこんな怖いことまで言っちゃう。すげえな、漫画の敵キャラみたいな台詞だ。


「お前、カップルまで破壊するつもりか」


「やるからには徹底的にやるわ。見てなさい新藤くん」


 とはいえ、暴力は看過できない。俺は黒木が凶行に走ろうもんなら体を張って止める準備が出来ていた。


 そして黒木はガタッと音を立てて立ち上がった。


「嘘でしょ新藤くん……許せない!!!」


 彼女は怒りに打ち震えた表情でそう叫んだ。


 ……は?


 突然の絶叫に、客の視線が一斉に集まる。それまでのワイワイムードは一変し、急な静寂が店内を襲う。


「おい黒木……? 突然どうし」


「話しかけないでよ!!! この浮気者!!! 他の女と遊んでるところみたんだから!!!」


 おいおい、なんだこいつ。遂に気が狂ったか。俺はお前と付き合った覚えも浮気をした覚えもないぞ。むしろそんなシチュエーション羨ましいくらいなんだけど。


「散々私のこと弄んで……ぐすっ……ひどいよ新藤くん……っ!!! もう帰るから!!! じゃーね!!!」


 黒木はそう言うとチーズハンバーグを一気にかき込み、パンと手を鳴らして一礼した後に駆け足で店を出て行った。


 客と店員は、突然の発狂に呆然とするしかなかった。先ほどまでの幸せムードはかけらほども残っちゃいない。


 隣の席に座っているカップルのひそひそ話が始まる。


「やーねこんな日に」

「なんだか空気悪いな」

「あんなかわいい子を泣かせるなんて」

「女も女だろ」

「なに? 浮気はされた方が悪いってわけ?」

「そんなこと言ってない」

「あんたも浮気してんじゃないの? そう言うってことは」

「ふざけたことを言うな」

「ふざけてない!」

「ふざけてんだろ!」


 こっちでも喧嘩が始まった。


 ……なるほど、これがあのブラックサンタの狙いか。


 黒木の目的に気付いた俺は足早に退店した。よく考えたら奢らされてるじゃないか、ちくしょう。



◆◇◆



 店を出ると、外で黒木が待っていた。彼女は制服の上に一枚コートを羽織っているだけで、マフラーも手袋も着けていない。


 ベンチの縁に落書きをしている彼女に、俺は声をかける。


「おい黒木」


「あ、どうだった? うまい具合に破壊できたと思うんだけど?」


 鼻を赤くしつつもドヤ顔を崩さない黒木。


「あのなあ……お前が出て行った後の空気は最悪だったぞ。楽しそうにしてた隣のカップルまで喧嘩し始めたし、可哀想だった」


「ふん、あれくらいのことで壊れる関係性ならもともと大したことなかったんでしょ」


「それにしたって、なんだか悪いことをしたみたいで気分が悪い」


「めちゃくちゃ気分いいでしょ。バカップル共に現実見せつけてやったんだから」


「お前なあ」


 どうやらこの黒木という女は中々にタチが悪い。

 そして本気で、この幸せなクリスマスムードを憎んでいる。

 何故かは未だに分かっていないが……。


「さあ次よ。今度はどうしてくれようかしら?」


「おい黒木」


「なに? またお説教?」


「いやそうじゃなくて……ひとつ気になるんだが」


「ん」


「お前ってたくさんバイトを掛け持ちしてるんじゃなかったか?」


 黒木がバイトを掛け持ちしているのは有名な話だ。

 だからクリスマスの今夜、自由な時間を取れていることが不思議だった。普通はシフトに穴が空き、大忙しだと思うのだが。


「別に、今日はバイトは1日休みになったってだけ」


「まあそう言われたらそうなんだけどさ」


「……それに、もうすぐ全部辞めるしね」


「え、なんで?」


「やる必要が無くなったからよ。好きで働いてたわけじゃないし」


「は、はあ」


 それ以上突っ込むのは野暮かと思って、俺は再び黒木の後ろを付いて歩いて行った。


 黒木は煌びやかな光の群れを指差して首を傾げた。


「なにこの祭りは」


 それは、電飾を多用して行う光の祭典だ。いわゆる“イルミ”と呼ばれる類のもので、屋台なども出張っている。普段は人気のない大公園でもこの期間だけはカップルたちに大人気だ。


「イルミって奴だろ。そんなことも知らないのか」


「知ってるに決まってんでしょ。これのどこが楽しいのかって訊いてんの。電気代のムダでしかないじゃない」


「芸術が理解できないんだな……だからウンコなんか描いてるんだ」


「は? 殺すわよ」


「すいません」


 何かと文句を付ける黒木だが、結局はイルミネーションに引き寄せられていく。人間は虫と同じなのだ。


 屋台が立ち並ぶエリアまで来た。屋台の外装は夏祭りのものを流用しており、あまりクリスマス感はない。でもまあ、光っていればなんでもいいのだろう。


「鬱陶しい音楽」


 この辺りのエリアには英語のクリスマスソングが流れている。ひとつのスピーカーから流れているだけなので、音質は悪い。


「今度は音楽にまでケチをつけるつもりか」


「だって私、英語苦手だもん。何言ってんのかさっぱりだわ」


 黒木はその辺で買ったタコ焼きを頬張りながら言う。


「きっとこの会場の9割の人間は歌詞の意味なんて分かってないでしょうね。意味の分からないものをありがたがるなんて馬鹿みたい」


「なんとなく分かればいいんじゃねーの。クリスマスソングなんて9割がラブソングなんだから」


「ラブソング……ムカつく響きね」


「なんでもムカつくんだなお前は」


「そりゃ、私は愛ってやつが1番嫌いなんだもの」


 彼女は相変わらず本気だった。

 ウンコを描いていた時からそうだ。

 黒木はずっと何かに怒っているのだ。


「タコ焼き持ってて、ちょっとお手洗いに行ってくるわ。つまみ食いしたらしっぺよ」


「しっぺて」


 黒木がトイレに行ってまもなく、異変は起きた。


 BGMが途絶えたのだ。

 

 バツンッ、という雑音が混じったかと思えば、スピーカーからは何の音もしなくなった。


 それなりに不快な音だったため、場内は一瞬ざわついた。反射的に耳を抑えている人も多い。


 黒木が帰ってくる。

 そして俺の手を掴んだ。


「新藤くん、逃げるわよ」


「おい……お前まさか」


「ムカつくからプラグ引っこ抜いてきてやったわ。あはは、ざまーみろ」


 ……そんなんで今日1番の笑顔を見せられても困る。黒木は俺の手を引き、人混みをかき分けて歩いていく。


 電飾の残像。

 フライドチキン。

 サンタの格好をした屋台のおじさんたち。

 カップル、子連れ、女子の群れ。

 この大公園は陳腐なほどにクリスマスが溢れている。



 なのに、たなびいた黒木の後ろ髪からは線香のような香りがした。



 それはきっと、この聖夜にはもっとも似つかわしくない香りだった。



◆◇◆



 俺たちは屋台エリアから離れた場所にある広場までやってきた。ここまで逃げれば安心だろう。


 俺は黒木が残して冷め切ったタコ焼きを食べている。大道芸人がジャグリングなどをしているのを見ていると、黒木が「んんー」と大きく伸びをした。


「あーあ、せいせいしたわ。悪いことをするのって案外気持ちいいのね」


「……こんな子どものイタズラ、いつまで続けるつもりだよ」


 落書き、演技、プラグ抜き……黒木の所業はまさにイタズラと呼ぶにふさわしいものだ。


「これ以上の迷惑行為には賛成できないぞ」


「別にいいでしょ少しくらい」


「あくまで常識的見解だ」


「だからモテないのよ新藤くんは。もっとおおらかになりなさいよ」


 そうなのか。

 だから俺はモテないのか。

 それもそうかもしれない。

 鈍感で狭量な男ほどモテないものはない。

 

「だいたい、何にも考えずに幸せな顔して生きてる方が悪いのよ」


「どういう意味だ」


「私にはそいつらに嫌がらせする権利があるって意味」


「……その言い方だと、黒木は不幸せなやつなのか?」


 自分から誘導したようなものなのに、黒木は何も答えない。


 代わりに、ベンチを立つと小走りでピエロ風の男の元へ駆け寄って行った。ピエロは片手にひとつ風船を持っている。


 黒木はそれを受け取って戻ってきた。


 もうこいつの行動の理由くらいは分かるようになってきた。つまり、それは最後の一個だったのだ。


 黒木が横取りしたことで、小さな子どもが風船を貰えずに泣き始めた。その子の両親は「仕方ないでしょう」と諌めようとするが、子どもは泣き続ける。


「これで、あの子にとってクリスマスは嫌な思い出になるわ。またひとつ幸せを破壊してやった。気分が良いわね」


 全然、気分が良さそうには見えなかった。

 それは多分寒いからだ。

 粉雪が降る中そんな薄着じゃあ、凍えて仕方ないだろう。


「俺の上着、貸すか?」


「いい、別に寒くないし」


「……結構、勇気出して言ったんだが」


「それはご愁傷さまね」


「なあ黒木」


「なに」






「お前のそれは、もしかして喪服か」






 ずっと気になっていた。

 黒木の言うところの、ブラックサンタの正装とやらが。

 冬休みなのに制服を着ている理由は、雪が降る中で帽子もマフラーも着けていない理由は、これほどまでに他人の不幸を望む理由は、


「もしかして、葬式の帰りか何かだからか」


 黒木は目を逸らすと、特に意外でもないと言った風に答えた。


「……まあ、半分くらいは正解ね」


「違うのか」


「正解は、葬儀を抜け出してきた、よ」


 抜け出してきたのか。

 だからそんな寒そうな格好をしているんだな。

 だが、なんでまたそんなことを。


 黒木は俺の思考を先読みし、疑問に答えてくれた。


「ムカついたからよ」


「ムカついた?」


「うん」


 どこか遠くを見つめながら語り出す。


「……私の家、父親が穀潰しで、毎日酒飲んで寝るだけ。そいつを支えるために私とお母さんは頑張って働いてた。だから死んだって聞いたときは嬉しかったな。アルコール中毒だって、ざまーみろでしょ」


 自分の父親が死んだ話を、半笑いでする黒木。

 俺はと言えば、なんだかヘビーな話に首を突っ込んでしまったことを後悔していた。

 そんな漫画みたいな家庭が本当にあるんだ、とふざけた感想を抱いてもいた。


「でも葬式って面倒くさくて、知らない親戚に挨拶したり、それで嫌な顔されたり、坊主の意味分かんないお経何時間も聞いて、そのために高いお金払って……だんだん腹が立ってきて」


 黒木の声は段々小さくなってきた。


「それで横見たら、お母さんは泣いてた」


 怒りに打ち震えているというよりは、涙を流すまいと抵抗しているように見えた。


「あんな男のために泣かないでほしかったのに、やっぱり夫婦の愛ってやつ? ムカつく、ほんとムカつくことだらけ」


「それで抜け出してきたのか」


「そしたら、外はクリスマス一色なんだもんね。日本人は無宗教じゃなかったのかしら。どいつもこいつも何も考えてないバカばっかり」


 だから少しイタズラしたくなっただけ、と最後に呟いた。


 沈黙が訪れる。


 何を言えばいい。


 慰めるべきか?


 はたまた、何も言わずに抱きしめるべきか?


 何も考えずに生きてるただの非モテが、彼女に何をしてあげるべきなんだ。





 考えた挙句、俺は黒木から渡された手付かずのマジックペンを取り出した。


「その風船、貸してくれ」


 俺は彼女の右手から風船を奪い取ると、表面にマジックを走らせる。


 そして、未だに泣いている子どもの元へと歩み寄り、それを握らせた。子どもはすんなり泣き止んだ。


 そのままベンチまで戻ったが、その両親は律儀に俺たちにお礼を言いに来た。だが黒木は俯いたままだ。


「ありがとうございます、うちの子のために譲ってくださったんですね」

「ほら、けんちゃんもお礼言って」

「ありがと、おにいちゃんおねえちゃん」


 なんとも気のいい家族だ。俺はお礼を言われたことに気分を良くして笑顔で彼らを見送った。


 黒木は顔を俯かせたまま文句を言ってくる。


「……何するのよ、せっかく奪い取ったのに」


「見ろ、あれを」


「……え?」


 子どもが持っている風船の表面には、小さくウンコの落書きを書いておいた。それもスペシャルな6段ウンコだ。


「ははは、最高じゃないか。奴らはクソ付きの風船をありがたがってお礼まで言っていったのだ」


「新藤くん」


「ん」


「何くだらないイタズラしてるのよ。今すごいシリアスな流れだったじゃない」


「くだらないとはなんだ。これは立派なブラックサンタの活動のひとつだ」


 俺は彼女から授かったマジックペンをひと回しし、言う。


「俺もあんまりクリスマスは好きじゃない。それは単にモテないからであって、お前とは違う」


 だが、と俺は付け足す。


「クリスマスなんざクソくらえ、って一緒に言ってやることくらいはできる」


 ちょっとカッコつけすぎたか。

 自分で言ってて恥ずかしい。

 でも、これくらいだ、俺に言えることなんか。


「……新藤くん、カッコつけすぎ」


「うっ」


 やっぱりですか。


「カッコつけすぎて寒いわよ、ガクブルよ」


「そんな言わなくてもいいじゃないか」


「寒いから買いに行かない?」


「何を」


「マフラーとか手袋とか」


「寒くないんじゃなかったのか」


「君のせいで寒くなったのよ」


 いいから行こう、と彼女は俺の手を取って歩き出す。


 手を繋いで歩いている俺たちは、周りから見れば恋人にしか見えないだろう。


 だがその実情は、全身黒の正装に身を包んだブラックサンタと、その部下Aなのだった。

 

 



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君は怒れるブラックサンタ マクセ @maku-se

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