第6話 人形を斬れない剣 ②


 フキノとカスミが人形と戦う少し前、二人は暗闇の中、積み重なるように落下していた。


「いてて……先輩、大丈夫ですか」

「ああ、落下耐性がいかんなく発揮されてるみたいだ」


 着ていた服の効果でピンピンしているイタルは腰をおこそうとするが何か重いものが乗っかっていてうまく立ち上がれない。「ちょっ」と声をあげたスズの反応を聞いて、上にスズがのしかかっていることを理解する。


「すいません、今どきますね」


 重りが外れたイタルは暗闇の中足元を確認しながら立ち上がった。


「貧乳の利点がいかんなく発揮されましたね、気づきましたか?」

「ん?」

「落下してもみくちゃになっても貧乳であれば何の感情も産まれずに済むってことです」


 なるほど、先ほど顔に押し付けられていた硬い感触はスズの……と、それを口に出そうとしたイタルは理性でそれを制御する。


「しかし、落下した先に何かなくてよかったな。槍でも置かれてたら即死だったぞ」


 イタルは地面を撫でる。指にほこりがまとわりつくのを感じる。


「……怖いこと言わないでくださいよ」


 実際、侵入者を効率よく倒そうとするのであれば、全員をまとめて落とし穴にはめた方が圧倒的に楽なのだ。

 イタルは以前読んだ魔族の自己中心性というタイトルの本を思い出す。魔族のおおよそ殆どは、自分の体で人間を殺すために行動し、他の要因による死を望まない。今回もそういった法則が働いたのだろうか。足元に突如として穴が空いた瞬間は大けがを覚悟したが、無事に済んだのは幸いだった。


「しかし、これだけ暗いと何も見えませんね火をつけましょうか?」

「いや、いい。ちょっと待ってろ」


 イタルは何か考えがあるのか、大剣に祈りを込めて能力を調整している。


「おっ」


 少ししてから、暗闇の中に青白い光が浮かび出る。大剣を中心に広がった光で、周りの状況がいくらか分かるようになった。どうやらここは地下室のようだ。役場で見せてもらった地図に記載があった。


「なんですかコレ」


 突然光を目にしたせいか、眩しそうに手で光を遮るスズ。


「前に七色に光る鎧があっただろ。あれの能力だ」

「あー、あの悪趣味な鎧ですね」


 たしか光に敏感な魔族と戦った時に着ていた服だと、記憶に残る先輩の残念な見てくれが脳裏に浮かんだ。


「にしてもその色が変わるのはなんとかならないんですか」


 先ほどは青白い光だったが、大剣は定期的に色を変えている。現在はどこか助平な印象を受ける桃色だ。


「うーん、自動でこうなるのかな」


 今まで全くと言っていいほど使用していなかった能力のため、まだ使い勝手が分からないのか、曖昧な答えを返すイタル。光自体も部屋全体を覆うほどの光ではなく、大剣を向けた方向しかよく見えない。

 それならば私が火をつけたほうがマシなのではないかと、スズは口を開こうとしたが、ふと大剣を動かしたイタルの「うおおおおおおおお!?」という叫び声に遮られる。


「な、なんですかいきなり!? って、なにアレ!?」


 つられてそちらを見たスズも同様に驚愕する。

 視線の先、桃色の光に照らされて現れたのは、人間――――――


「いや、人形だ!!」


 イタルが叫ぶのと同時に、人形の体は突如動いて暗闇の中に紛れた。ガタンガタンという音が室内に響き渡っている。またがっている何かが動いているのだろうか。イタルは暗闇の中状況を理解しようと、音のする方へ大剣を向けるが、どうやら人形と何かはひっきりなしに動いているらしく、中々その姿を捉えることが出来ない。


パァァァン

「きゃあああああ!!?」


 突然、破裂音と同時にスズの悲鳴が響き渡る。


「大丈夫か!?」


 イタルが声をかけるが「うぅ……」という呻き声しか返ってこない。


ビュオッ!!


 次いで、耳元で風を鈍く切り裂く音が聞こえる。


パァン!!


 今度は強く、地面をたたいたような音。


(鞭か!?)


 どうやら人形はこの暗闇の中鞭を手にして手当たり次第に振り回しているようだ。


ガシャァン!!


 今度は何かの家具に当たったのだろうか。派手な音をたてて、何かの割れる音が聞こえる。


「なるべく肌を守れ!」

「は……はい……!」


 今度はちゃんと答えが返ってくる。ひとまず無事ではあるようだ。イタルは顔の前に大剣をかかげて、鞭の襲来に備える。

 しかし、このままではジリ貧である。室内をひたすらに駆け回り、メチャクチャに鞭を振り回しているだけだが、この暗闇の中では効果は絶大だ。

 プレイヤーは暗闇に弱い。基本日中での活動が主となるのにはそれなりの理由があった。それはキセキが、からだ。詠唱の前半部分にはどこにどのようにといった、空間を指定する区間があるが、それは、情報の少ない暗闇ではキセキの発動が大きく制限されることを意味する。今の状況はまさしくそれであった。


「いっってえ!」


 腹部に鞭が飛んでくる。幸い衣の厚い部分だったためさほどの痛みではなかったが、これが地肌に襲い掛かってくると思うとゾッとする。痛みをこらえながら頭を回転させるイタルだったがなかなかいい策は思い浮かばない。


「先輩……大剣に炎を宿しましょう」

「どういうことだ……? そうか!」


 なお苦しそうにしているスズだったが、提案は鋭い。今暗闇の中ではっきり見えているのは七色に光を放つ大剣のみだった。

 隣でスズが詠唱を始める。イタルはその詠唱が鞭の攻撃によって中断しないように、大剣を掲げながらスズをかばうように覆いかぶさった。


「っ……」


 一瞬止まった詠唱だったが、すぐに取り直して淡々と進んでいく。イタルは背中に度々飛び込む鞭の衝撃に歯を食いしばりながら耐えて、詠唱の完了を待つ。


「Oil」


大剣に軽い衝撃が伝わる。なるほど、ホムラガエルと戦った時のような作戦か。


「Fire」


 詠唱が終わった瞬間、大剣が燃え盛る炎に包まれた。同時に、あたりに強い光が広がり、部屋の全容が分かるようになった。壁にかけられた手錠や縄、鎖の数々。悪趣味な調教器具があちらこちらに散らばっている。屋敷の主人の趣味だろうか、地下室にはとんでもない秘密が隠されていたのだ。


「であれば……」


 イタルは先ほどまで苦しめられていた人形を視界にとらえる。人形は三角木馬に跨っていたのだ。乱暴に動き回る三角木馬に体を揺らされながら、狂ったように鞭を振り回している。


「あぶねっ」


 今度は鞭の動きがある程度見えていたため、避ける事が出来た。イタルはそのまま慎重に、飛び交う鞭の軌道を読みながら、人形との間をつめていく。


「ここだ!」


 意を決して大剣を横に振る。大剣は人形の腹部に直撃し、三角木馬から引き摺り下ろすことに成功した。主を失った木馬は勢いを残して壁に突っ込みバラバラにくだけ散る。重さをなくし、剣としての力を失っていた大剣だが、目的は斬る事ではなく、炎をぶつけることだった。

 腹部に燃え移った炎はやがて体全体に広がり人形を包み込んでいく。しかし、火だるまになった人形は、それを気にする素振りも見せずムクリと立ち上がった。


「マジか」


 そのままゆっくりとぎこちない動きでこちらに迫ってくる。その姿はまるで助けを求めているようにも思える。


「先輩、こっち!」


 スズが手招きする方には鉄の扉がある。ひとまずこの部屋を脱出して体勢を整えるべきか。イタルは燃え盛る剣を慎重に運びながら、扉へと近づいた。

 幸い扉は簡単に開いた。太陽の光が暗闇に差し込み、二人は安堵する。外に出ると、すぐさまスズが土のキセキを発動させ、扉を塞ぐ。このあたりの手際や抜かりのなさは流石だ。近くの狭い小さな階段を駆け上がると屋敷の庭に辿り着いた。


「はあ……はあ……」


 二人は陽の光を浴びながら呼吸を整える。燃える大剣を自ら発動した水のキセキで鎮火させたイタルは「怪我はないか?」とスズに尋ねる。

 一番最初に響いた破裂音は肌に直接あたった強烈なものだった。鞭の傷は治療のキセキでは処置できないほど重症化するおそれもある。


「別に、大丈夫です」

「大丈夫ってお前……」


 少し恥ずかしそうに答えたスズはスカートの上に怯えるように手を当て、しきりにお尻のあたりを気にしている。


「ああ……後でフキノさんにちゃんと診て貰えよ」


 フキノは治療のキセキに精通している。三番隊の治療役はだいたいフキノが担っているのだった。


「……それより先輩、なんか気持ち悪くないですか」

「え?」

「いや、そのなんていうか、燃える人形を見て」


 イタルはその言葉を聞いて、自分の胸にあった違和感に気が付く。あの人形は燃え盛る炎に包まれて声こそあげなかったが、その姿は人間そのものが燃やし尽くされているのと一緒だった。その姿を実際に見たことがあるわけではないが、自分たちの手で人間を燃やしたかのような感覚がイタルの胸には残っているのだった。

 違和感の正体はそれか……しかし、魔族は魔族だ。そこは割り切らないとプレイヤーとしてやっていけない。イタルは一つ深呼吸を置いて「様子を見に行こう」と立ち上がった。人形は流石に燃え尽きて行動を停止しているはずだ。


 扉の前に戻り、土のキセキを解除した二人は慎重に扉を開ける。白い煙が充満した室内から一斉に焦げ臭いにおいが襲い掛かり鼻腔を刺激する。


「コホッコホッ」


口と鼻を覆いながら室内に入ったイタルは不審な点に気が付く。


「人形が……いない?」


 部屋の中は白い煙と強烈な匂いだけを残して、燃えていたはずの人形の姿はどこにもなかった。






「無事か!?」


 玄関から屋敷に入ったところで、廊下の向こうからフキノが走り寄ってくる。

二人の無事を確認出来て安堵してる様子だった。


「良かった良かった、いきなり消えた時はほんまに焦った」


 後ろから元気のないカスミがついてきてイタルは不思議に思ったが、とりあえず地下で人形と遭遇したこと、そして戦闘に発展したこと、またその結果をフキノに説明した。


「だけど、もう一度見に行ったら忽然と部屋から消えていたんです……迂闊でした」


 せっかくツクマを倒せる好機だったのに……とイタルは肩を落とした。


「燃えてたのに、消えた……か」


 真剣な表情で顎に手を当てたフキノは「核が別の物に付随してる――――」とため息交じりに呟いた。


「や、こっちも人形と戦ったんやけど途中で逃げられてな……まだ、確定したわけではないけど、相当厄介そうや」


 隊員は互いの表情を見くらべる。フキノの視線は「ここで一旦退くか?」と問うているように見えた。


 イタルは考える。一番最初に王遣隊がこの屋敷に足を踏み入れた時は食堂の食器だけがツクマに憑りつかれていたという報告だった。しかし、そのツクマはものの数週間で人形が自在に動き回るまで進化を遂げている。まだ動いていない七体の人形もいつ動き出すか分からない。この状況で逃げ出せば後々さらに厄介なツクマへと進化するのは容易に想像できた。


「銘板……剥ぎ取られた銘板はどうでしょうか」


 イタルは任務続行の表明を、前向きな提案で示す。


「日記もありますね、おばさんが言ってた」


スズもつづいた。


「フキノさん、私はもう大丈夫です、次は必ず」


 沈んだ表情だったカスミも少し無理をしているようだがきりっとした目つきで決意をあらわにする。うん、と頷いて口元をゆるやかにほころばせるフキノ。


「よし、一つ一つ部屋を調べていこうか、銘板と日記。ひとまずはこれを探そう」


 そこから三番隊は消えた人形はとりあえず後回しに、屋敷の探索をはじめた。



「ここが書斎ですね」


 杖で扉を確認したスズは慎重に扉を開く。先ほどの食堂でのこともあったため、四人はとりあえず廊下から中を覗いて、罠のようなものがないかを確認する。外から確認できるのは左右の本棚と、それに入りきらずにうずたかく積まれた書物だけだ。


「特に何もなさそうやな」


 フキノが先導して書斎に入る。イタル達もそれに続いた。


「カビ臭いですね」


 湿気た空気が体中を包む。書斎は薄暗く息苦しい雰囲気を醸し出している。


「あれ……この部屋」


 カスミが不思議そうに部屋を眺めている。


「人形部屋に似てるな」


 おそらくカスミも同じことを思っているだろう。イタルは強い既視感に肩を震わす。両手側に設置されたガラス戸の本棚と、細長い窓一つだけの光源。見た目も部屋の大きさも殆ど一緒だった。


「この棚は空ですね、というよりただの木箱みたいです」

「これ、人形部屋で本棚になってた場所と一緒じゃないか?」

「……そうですね」


 たしか人形部屋の左手側の真ん中三つが本棚になっていたはずだ。一方の書斎ではただの木箱が置かれている。


「この部屋からわざわざ入れ替えたのか……? 銘板はどうだ?」


 イタルは木箱の下を確認する。そこには二階の人形部屋と同様、何かが打ち付けられていた跡がある。


「いや……おかしいで、人形が入っていた木箱に銘板がついてるならわかるけど、なんでさっきの人形部屋にあった本棚の下にも銘板の跡があったんや」


 その理由はすぐに判明した。


「本棚の下にも……」


 カスミが少しかがんで銘板を指さす。イタルも近くの本棚を確認する。そこには"タカセ”と書かれた金色の名板が打ち付けられている。人形部屋で見た名前と同じだ。


「一体何の意味が……」


 意図が全く読み解けない。人形に名前をつける、管理するために木箱に銘板を打つ、そこまでは分かる。ただ、本棚にも人形と同じ名前をつける? イタルは本棚とタカセという名前を見比べながら頭を混乱させている。

 三番隊はまるで霧につつまれたかのような錯覚に陥っている。明らかにこの屋敷はおかしいと痛感した瞬間だった。


「……とりあえず、銘板はここにもない、と。じゃあ、次に行こうか」


 喋り出したフキノの声は少しかすれているように聞こえた。その声に意識を取り戻した三人は黙ってうなずく。本棚に背を向けるのすら強烈な不安感が襲い、まるで熊と遭遇した時のように本棚と目を合わせながら後ずさる。


「待ってください、足音です」


 廊下に出ようとしたその瞬間だった。カスミが小声で忠告する。他の三人にはしばらく聞こえなかった足音だが、しばらくしてコツンコツンという機械的な足音が等間隔に響いている。

 人形だ、と四人は直感で理解する。反射的に書斎の壁に背中を合わせて息を潜める。


「日記があるなら私室よな」


 フキノは小声でつぶやいた。二階の階段近くにある、前家主の私室。大事にしていた日記があるならばそこに保管されている可能性は高いだろう。


「私が囮になる。お前らは急いで私室を捜してこい」

「そんな一人で大丈夫なんですか」

「いや、一人じゃないで」


 にやりとしたフキノは、小声でそして迅速に詠唱を開始する。足音はどんどん近づいている。おそらく二体の人形が並び立って一直線にこちらへ近づいている。


「triad」


 聞きなれない詠語が口から零れると、突如としてフキノの体全体が振動をはじめる。輪郭が波打つようにぼやけていくと、次第にそれは左右に並行に広がっていった。


「!!!!????」


 数秒もすると目の前にはフキノが三人いた。


「成功やな/成功ですね/首尾は上々」


 足音の近づく手前大きな声を出せない三人は口をあんぐりと開いている。三人組になったフキノは言葉遣いこそ違いがあるが、背格好は全く一緒で頭が混乱しそうになる。


「説明してる暇はないけどこれでなんとか時間を稼ぐ。お前らは私室に行って日記があれば燃やせ、なければ一旦退却や」


 要点だけ喋ったフキノは廊下へ躍り出る。


「かかってこいやあ!/かかってきなさい!/いざ参ろう!」


 廊下の向こうで威勢よく人形を挑発しているフキノの声が聞こえる。残された三人は書斎で息を潜めて脱出の隙を伺う。

「なんちゅうおぞましい見た目や」という声と、窓ガラスの割れる音が聞こえる。フキノは庭へ人形をおびき出す作戦らしい。足音は書斎を通りすぎ窓の外へと消えていった。

 おぞましい見た目という言葉が気にはなったがそれを確認している暇はない。三人は急いで二階へと向かった。



「私室はここだな」


 二階へとたどり着いた三人は私室の前に立つ。扉の確認もそのままにして、イタルは勢いよく扉を開いた。

 その瞬間イタルは違和感を覚える。他の部屋で感じたカビ臭さ、ほこり臭さといった匂いが全くと言っていいほど感じられない。日当たりの良さが原因だろうか、この私室は他と違って明るい。両開きの大きな窓が開放されているのも清潔感の理由だろうか。


「いる……!」


 カスミが刀に手をかける。私室の奥の方、小さな机の前に銀色の髪の人形がいた。消えた最後の三体目だ。


「そう簡単にはいかないか!」


 イタルも素早く大剣に手をかけようとする……が、その手は途中で止まる。


「……動かない?」


 臨戦態勢に入った三人は少し緊張を解く。侵入者を敵とみなし攻撃してきた他の人形とは違い、目の前の人形はお腹のあたりに両手を重ねて微動だにしない。ただ、翡翠の目はこちらを確実に追っている。三人の行動に合わせて微かに動いているのが、視線の合う感覚で分かった。


「日記があるならあきらかにあの机の中ですよね」


 人形から目を切らずにスズが呟く。イタルもそれに同意して「俺が近づいてみる」と慎重に机に近づいて行った。その間人形は微動だにしなかったが、イタルが机を覗き込もうとすると突然動き出して、両手を広げる。


「見るなってことなのか」


 突然の行動に少し驚いたイタルだが、人形は特にこれといって攻撃はしてこない。

不気味だった。視線が合うという感覚はそもそも、生物と生物でしか起こりえないはずだが、自分はいま明らかにこの人形と目線でやり取りをかわしている。そして、魔族とも違い攻撃をしてこない。沈黙が部屋を包んだ。何か罠があるのか、疑念を晴らすことが出来ないまま、恐る恐るもう一歩イタルが近づくと、人形は机にしがみつく格好になった。

 明らかにそこに何かあるという確信を持った三人だが、けなげにも思える人形の行動に中々決断することが出来ない。


「いいよ、やろう」


 カスミは震える声を発して刀を握る。


「お前、さっきからなんか変だぞ。何かあったのか?」

「……別に、何もないよ」


 そういいながら刀を抜いたカスミは大きく振りかぶる。

 鋭い切っ先を見てもなお無抵抗に机にしがみついている人形と、刀を構えるカスミが対峙する。

 開け放たれた窓から風が入り込み、カスミの髪を揺らした。彼女らしからぬゆとりのない表情に、何があったかを悟ったイタルは「待て」と彼女の腕をつかんだ。燃え盛る人形を見た自分もそうだ。無抵抗の人形を一方的に痛めつけることはどうしても出来ない。

 それは果たして、一流のプレイヤーから見れば甘いと切り捨てられる行動だろうか。追い詰められた局面で仮に人間そっくりな魔族が現れた場合、彼らはその魔族を躊躇なく殺せるのだろうか。


「ごめん……まだまだだね……私は」

「そんなことはないさ、人間を斬る感覚に戸惑いを持っていた方がいいに決まっている」


 自分に言い聞かせるような言葉だった。魔族を倒すことは人間を守ることだ。人間を斬る感覚に慣れたプレイヤーなんて、本末転倒である、と。


「でも、どうするの?」

「原始的な方法ではあるけどな」


 イタルは大剣に祈りを捧げて能力を変更する。今までに集めた筋力を強化する系統のキセキをなるべく選択し、人形の腰に手をかけた。


「ちょっとどいてもらうぞ……うおおおおおおおお!!!!!」


 人形を机から引きはがそうと全力で引っ張るイタル。足を目いっぱいふんばり、歯を食いしばる。


「なかなかしぶといな!」


 華奢な出来栄えの人形だが、指先で机の端と端をガッチリと掴んで離さない。


「どいてくれええええええ!!!!」


 なかば中腰の状態でかかとを立てながら、自分の中でもう一段階力を強めるイタル。


「あっ」


 我慢の限界がきたのか、人形の指が机から離れた。当然後ろに力をかけていたイタルはバランスを崩して、後ろによろめく。その先には両開きの大きい窓が口を開けて待っていた。


「!? なんか窓枠が大きくなってる!?」


 ツクマの仕業か、両開きの窓はまるで腹をすかせたワニの口のように拡大していた。人形の腰を掴んだままのイタルは、後ろの異常に気付かぬまま窓に近づき、開いた窓から真っ逆さまに、頭から落下していく。


「先輩!?」


 イタルは本日二度目の落下だったが、その間(部屋着の装備って、屋外に落下しても効き目あるのか?)という疑問が妙に冴え渡る脳内に広がる。

 落下の刹那、引っ張った余韻かそれとも……人形がまるでかばうかの様にイタルと位置を入れ替わった。少なくとも、結果として、人形はイタルの下敷きになって庭に落下した。


「くっ!!」


 硬い衝撃がイタルを襲う。地下室に落下した時とさほど変わらない痛み。どうやら、この装備は屋外でも敷地内であれば効果は発揮されるようだ。


「先輩、大丈夫ですか!?」


 二階の窓から心配そうにスズが覗いている。


「なんとか大丈夫だ! 日記を探せ!」


 痛みはあったが、体は満足に動いた。飛び起きたイタルは仰向けに寝転がる人形を注目する。無機質に思えた顔がわずかではあるが人間味を帯びているように見えた。



「はあ……よかった」


 イタルの無事を確認した二人は、安堵も束の間、日記を探すべく机に向かう。あるかどうかは分からないが、先ほどの人形の仕草を見るに、何か重要なものがあることは確実だろう。


「鍵がかかってる……机の鍵なんて貰ってたっけ」


 机の引き出しの一つ一つには念入りに鍵がつけられていた。役場で家の鍵のあれこれを渡されていたが、それらは全てフキノが持っている。


「ああ、かったるい! カスミさんちょっと離れててください」


 スズは岩のキセキの詠唱を始める。すぐに人間大の岩が机の上に現れ勢いよく叩きつけられた。


「わっ、大胆だねスズちゃん、なるべく家具は壊さないようにって言われてなかったっけ?」

「……とりあえず日記を探しましょう!」


 一瞬だけ動きの固まったスズだったが、すぐに取り直して机の残骸を漁り始める。

カスミも続いて木の欠片をかきわけながら日記をさがした。


「……あ」


 あった。スズは「我が愛しの十人娘」と書かれた分厚い装丁の日記帳を見つけた。


(中は……?)


 急ぐべきではあったが、どうしても気になったスズは表紙をめくって中を覗いた。


―――――――神に祈ること。私の注ぐ愛情は一方通行だ。抜け殻と書架に命を宿す。だが、これがもし双方に行き交うものとなれば、禁忌とみなされることもないだろう。ツクマという魔族がこの世には存在する。静謐で安穏な生活を彼女たちが送ることを願う。


微塵も残さず シラカ

お仕着せ白く ミサワ

煮炊き鮮やか ミトヤ

堅耐久しく アカナ

夜の帳 ウシオ

博学にして多才 タカセ

簿記乱れず ジンザイ

病床の天使 クマノ

花卉咲き匂う マキ

普請手際よく ダイサイ


「スズちゃん?」


 思わず次の頁もめくろうとしていたスズは、カスミの声に意識を取り戻す。


「すみません、これみたいです、燃やしましょう」


 慌てて日記を閉じたスズは、急いで炎のキセキの準備をする。火が燃え移らないようにキセキで本を空中に浮遊させ、さらに小さな種火を本の端に宿す。しばらくして、ゆっくりと炎が日記を侵食していく。


「これで終わるかな?」

「どうでしょう……先輩まだ人形は動いていますか?」


 本は大部分が炎に包まれている。窓から落ちたイタルに確認をとるスズだが「まだ動いてる!」と答えが返ってくる。その後もどんどんと炎は広がり、灰となった紙がポロポロと地面に落ちるまで待ったが、


「まだですか!?」

「まだ動いてるぞ!」


 落下した人形はまだ動きを止めていないようだ。階下の出来事なので分からないが、イタルは今なお動こうとする人形を必死に食い止めているのだろうか。


「スズちゃん、戻ろう」


 作戦失敗か……燃え尽きた日記は完全に灰となった。二体の人形を引き受けているフキノのことも心配だった。早く戻らなければならない。早く戻らなければならないが―――――


「カスミさん、ちょっと待ってください。人形部屋に行ってみましょう」

「?」

「少し気になることがあるんです。時間はそんなにかからないはずです」


 そういってスズは駆けだす。


「カスミさん達が遭遇した人形ってどんな人形でした?」

「えっと……調理器具とかを使って……」

(……煮炊き鮮やかミトヤ)


 スズは日記に書かれていた名前と文章を思い出す十人娘にはそれぞれ設定がつけられていた。掃除、炊事、洗濯、家事の役割を十体の人形に与えていたのだろう。

 地下室で出会った人形はおそらく夜の帳ウシオと名付けられた人形で、私室にいた人形は病床の天使クマノだろうか。しかし、何故人形達はその設定に倣った行動をしているのか。

 スズは人形部屋の扉を開いて、一目散に本棚に駆け寄る。

 左の棚から、料理にまつわる本、介護にまつわる本、右側は……ちょっと言いにくいタイトルの本が並んでいる。


「やっぱりそうだ……とりあえず、ここにある本を全部棚から出してみましょう!」

「……う、うん!」


 まだ事態の呑み込めていないカスミだったが、鬼気迫るスズの表情におされて、本棚に手をかけた。







 それより少し前、庭へと飛び出たフキノは、二体の人形の猛攻を、分身達と連携して上手くしのぎながら、時間を稼いでいた。

 食堂で遭遇した刀を扱う人形は、斬り落としたはずの腕が再生している。そして、おそらくイタル達が地下で出会ったであろう鞭を扱う人形は、焼け焦げたどす黒い肌の上に、まるで応急処置を施すかのように白い肌が張り付いている。

 精巧に作られた人形の面影はもう殆どないと断言できるおぞましい見た目の人形を、フキノは直視することが出来ない。


「くっ……!」


 そして、分身の行動は、追加の詠唱で制御しなければならない。それをしなければ、分身たちは自我が抜けたように明後日の方向へフラフラと進んでいってしまうのだ。


「コラ、いう事を聞けぇ!」


 何故かは分からないが古風な言葉使いをしていた自分の分身が、戦闘を離脱して草むしり勤しんでいることに気が付いたフキノは、頭をフル回転させながら素早く詠唱を行い戦闘へ復帰させる。


(こりゃ効率が悪い)


 上手く分身を機能させる手間を省けば、他にもっと使い道のあるキセキを発動出来たかもしれない。試す機会のなかった分身のキセキゆえに、練度の低い状態での一発勝負だった。少し見切り発車すぎたかと自分の失策を嘆くフキノは、鞭と刀の織り成す連携に疲弊しつつあった。


「おい、それはアカン!」


 またも制御の行き届かなくなった人形は、白昼堂々唐突に服をぬぎだそうとしている。


「つっ……!」


 動揺のせいか、刀の軌道をうまくかわせずに、右腕に傷を作ってしまった。刀を持った人形はさらなる一手を繰り出そうとしている。


「うおおおお!!」


 すると突如威勢のいい掛け声で、後方から現れた影が人形に突撃し、体ごと吹っ飛ばした。


「イタルか……! 助かったわ、日記はどうだった?」


 颯爽と現れたのは戦場に似つかわしくない、水色の寝巻をまとったイタルだった。

いいところに現れたイタルだったが、日記を探しにいかせた彼が戻ってきたということは、日記がなかったか、あるいは燃やしたが効果が出なかったか、どちらにしろあまりいい報告はなさそうだ。


「ああ、日記はスズとカスミにまかせて……」


 説明する間もなく、鞭の攻撃が飛んでくる。イタルはそれをギリギリでかわす。


「うっ!」


 その攻撃の主を見止めたイタルは思わず呻き声を漏らす。これは、自分が燃やした人形なのか……心の中に気持ちの悪い闇がなだれこんでくる。


「大剣はどうしたんや?」


 よく見ると彼のトレードマークである大剣が背中から消えている。イタルは落下したのち、それでもなお動こうとする人形に、おもしとして自らの大剣を乗せたのであった。

 普段は軽量化に次ぐ軽量化でなんとかイタルが扱える重さになっている大剣だが、素の状態の重さは相当なものである。加えて重量化の特性も追加して、動こうとする人形を完全に封じ込めることに成功していた。


「日記はどうなったか分からんか?」

「いえ……日記はどうやら燃やしても効果がなかったみたいです」


 庭から聞いていた二人の反応から、日記はツクマの核ではなかったということをイタルは知っていた。


「なら……やるしかないってことか」


 フキノは覚悟を決めたように表情を引き締めた。糸のような目が少し開く。


「なあ、イタル、人間によくにた人形を、躊躇なく傷つけることが出来る隊長を……どう思う?」

「え……?」


 突然雰囲気の変わったフキノに、少し当惑したイタルは返答に窮する。

躊躇なく、それは文字通り、何の感情も抱かず、一思いに人形を戦闘不能にさせることが出来る、そういう意味なのだろうか。

しかし、言葉にしている時点でその行為になにか後ろめたい部分があるのは確実で、隊長はその躊躇いすら自分はないのだ、ということを言いたいようにも見えた。


「ん……?」


 答えあぐねているイタルだったが、対峙していた人形の動きが突如としてぎこちないものに変わる。


「なんや?」


 少し開いた目から、元の糸目に戻ったフキノも驚きの声を上げる。はじめは妙にカクカクした動作だったが、そこから、自分がどのように右手を振り下ろしていたか、どのように足を動かしていたか、それすらも分からなくなったように、支離滅裂な動きになっていく。

 そのままドシンと倒れた人形は、微かに動きを見せるも、しばらくしてピクリとも動かなくなった。


「……」


 二人は顔を見合わせる。スズとカスミが核の破壊に成功したのだろうか。まだ、人形は動き出しそうに思えたが、倒れた二体に背を向けて、イタルとフキノは屋敷の中へと向かった。



「とりあえず、全部出したけど……ここからどうするの?」


 人形部屋の二人は、急いで本棚から本を取り除き「はあはあ」と言いながら、足元に散らばった書物を眺める。


「これだけ多いと……燃やすのにも時間がかかりそうですね」


 スズはとりあえずこの本を処分すればツクマは消え去ると考えていた。とりあえず外に出してまとめて消し飛ばすか……どうやって外に出せば効率がいいか……と考えを巡らせる。


「ここにおったか」

「あっ、フキノさん?」


 と、人形部屋にフキノとイタルがやってくる。


「人形はどうしたんですか?」

「ああ、それならもう終わったみたいや」

「えっ?」


 スズは思わず足元に散らばった書物を見やる。


「本棚から抜くだけでよかったんだ……」


 初めからことは単純だったのだ、と肩の力が抜けたスズだが、同時にただ本棚に本を入れていただけであそこまで行動が本格化する恐ろしさにも気づく。


「これが、ツクマの核だったってわけか」


 地面に散らばった本を手に取って眺めるイタル。偶然手に取ったものが「貞淑妻の秘密」というタイトルだったため、即座にそれをはたき落とす。


「こんなオチ誰にも分からんわなあ、どうして気づいたんや?」

「日記の中に抜け殻と書架に命を宿すという一文があったんです。それでハッとしました」

「なるほどなあ、その日記はもう燃やしたんやろ?」

「はい」


 スズは少し残念そうに答えた。自分は最初、ここにいるのは無個性の塊だと言っていたがけしてそうではなかった。私の注ぐ愛情は一方通行だ。その通りではあったが、ここまで入れ込んだ情熱は相当なものだろう。ツクマという魔族がこの世には存在する。しかし、その強い愛情が仇となって、後年無作為に侵入者を襲うツクマになった。ツクマは家の人間が生前気に入っていたものに憑りつく可能性が高いという。大事にされていたものが、突如としてその器に愛情を注がれなくなる。ツクマはその余分になった器の領域に入り込むのだ。


「静謐で安穏な生活を彼女たちが送ることを願う」


 日記の一文はそう締めくくられていた。残念ながら、そうはならなかった。


「静謐で安穏ねえ……」


 フキノがそう呟きながら見つけたのは、右手と、衣服と、全身の肌を無残にも破り取られ、小箱に無造作に押し込まれた、人形の残骸だった。







「ふぅ~、疲れた疲れた」


 昼間少し打ち付けた腰をさすりながらイタルは家に還った。イタルの実家は麦畑の広がるシラサト郊外にある。

 かつては父と母そして妹と四人で暮らしていたが、現在この家はイタルのみで生活しており、家の大部分を持て余すほど広々としている。

 また、昔の名残でそのままだった穀倉は、もう無用であろうと大量の防具を収納する倉庫として改造していた。イタルはその穀倉もとい武器庫の大きな扉を開いた。

 ツクマは主が生前大事に使っていたものに憑りつく可能性が高い……。それを聞いてイタルはいてもいられなくなってこの武器庫に陳列された防具たちの様子を見に来たのである。


(俺が死ねばこいつらは……)


 灼熱の呪いの装備、毒色のシャツ、清掃服……他にも様々な防具が並んでいる。いずれも、いつか使う機会が来るかもしれないと、丁寧に手入れをしている装備たちばかりだ。


「はは、今から死んだときのことを考えててもしょうがないよな」


 まだ二十そこらの人間が心配することではない。イタルは少し笑って自分が集めた防具を眺めた。


「こいつらをツクマにする予定は当分ないからな」


 自分がいなくなるのを今かと待ち望んでいるツクマがいるのなら、そうはさせない。その怯えこそが魔族に付け入る隙を与えているのだとイタルは考えていた。


「いざとなれば誰かに譲ればいいだけの話だけどな……」


 急に現実的なことを呟いたイタルだったが、勿論この防具たちをどこかへやる予定も当面のところ、なかった。

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