第5話 人形を斬れない剣 ①
「先輩、これ。ありがとうございました」
朝方、ハルドナリの事務所に出勤してきたスズは小さい紙袋をイタルに渡した。
「ん?」
「パンのお返しですよ」
「ああ、あったなそんなん……でも、にしては少し豪華じゃないか?」
以前馬車の中でパンを一つ与えた記憶はあったが、渡された紙袋の中にはよりどりみどりのパンが詰まっている。
「賭けで少し勝ったので」
親指と人差し指を丸めて小さい円を作ったスズは満足げな表情で席に座った。
「まさしく、運がついたってヤツやなあ」
足を組みながら新聞を眺めていたフキノが何気ない茶々を入れた。昨日のアガタザル討伐の一件があってすぐである。三番隊の机の上には少しの間緊張が走った。
「あっ、私も服を返さなきゃ。ありがとうね」
意図してか、それとも単純に気づいていないだけか、それを無視したカスミは鞄の中から丁寧に折り畳まれたシャツを取り出してイタルに渡す。
「えーコホン、じゃあ全員そろったし次の依頼について説明するで」
不発に終わった洒落を我関せずといった素振りで言葉を発した隊長は、一枚の紙を机に滑らせた。
「ツクマ、ですか」
紙を覗き込んだイタルは確認するように呟く。ツクマは人間生活の発展に伴い出現した、家具の魔族である。
居住地を明確にしない点が魔族の特徴の一つであることはこの世界の常識となっている。しかし、昨日のアガタザルのような特筆すべき例外も少数ながら存在し、ツクマもその少ない例外の一つである。
「人のよりつかなくなった家の家具に魔族が憑りつく……でしたっけ」
スズが言うように、何らかの理由で放置された家に家具が存在すると、時が経ちひとりでに動き始める現象がしばしば起きる。ツクマは、魔が憑くという名前の通り、道具に憑りつく魔族の総称である。
「でも珍しいですね、あまりプレイヤーズに依頼が届く印象はないんですが」
ツクマはたとえ人の行き交う街中であっても、人の住みつかなくなった家があれば出現する厄介な魔族である。そのため、普段であれば街に常駐する軍事組織「王遣隊」が警備の過程で対処する場合が多い。
プレイヤーズは生活圏の外側を、王遣隊は生活圏の内側を。そういう分担があると、ツクマ討伐の依頼は中々民間の組織には回ってこないのである。
「私も不思議に思ってたんやけど、どうやら王遣隊がヘマしたらしくてな」
声を潜めてフキノは喋る。国家組織に対する批判なので少し後ろめたい部分があるのだろうか。
「隊員の一人が大怪我して逃げ帰ったらしいんやけど、その後大分日にちを開けてしまったんや。ツクマは日が経てば経つほど強力になっていく魔族だからいつの間にか手に負えない状況になっていたと」
「お粗末っすねえ~」
スズは特に配慮もなくズケズケとした物言いである。
イタルはなるほど、と紙面の「タマナリ」という地名を見て合点がいく。タマナリという街はシラサトの南東にある中核都市である。豊かな平原と大河川をまだく形で作られたタマナリは、帝都カバランにも近く歴史に溢れる都市である。街の外から四方へ伸びる道路は、転移門の影響で使われなくなったものの、古代からこの街の発展を支えていた証拠として輝きを放っている。
さらにこのタマナリは見晴らしのいい平原に居を構えているため魔族の脅威を受けにくい。地図で見れば少し先の四方にまるでタマナリを守るように大きな都市が存在しているため「世界一安全な都市」と言われることもある。
しかし、平和であるということは反面戦いに疎くなるということでもある。王遣隊は基本的に異動の少ない組織である。その土地に住み着きその土地を守り続ける。
地元の人間も数多く存在し、故郷を守るという信仰心を原動力としているのだ。だからこそ、平和な土地の王遣隊は、だんだんと剣を鈍らせていく。キセキのありふれた世界が産んだ皮肉な結果の一つである。
「言い方は悪いけど尻ぬぐいって感じですね」
「まあ、そうなるな」
渋い顔で頷いたフキノは「誰が悪いって訳じゃあないだろうけど」と小声で付け足した。その後鞄の中から数冊の本を取り出し、机の上に並べようとする。物が散らばっていたので、邪魔なものを隅っこに押しやった。
「何ですかこれ?」
「はじめて対応する魔族やから図書館でツクマ関係の本を借りてきた」
机の上に並んだ本は「ツクマ入門」「これ一冊で分かるツクマの全て」「ツクマの進化」などと言った題名が並ぶ。
「とりあえず明日までに軽く勉強しておこうか」
鉛筆と大きめの手帳を取り出したフキノは、ツクマ入門と書かれた本を手に取って頁をめくり始めた。三人もそれにならってそれぞれ思い思いの本を手に取った。
【ツクマの進化】
イタルが手に取った本は、ツクマが放置され続けるとどういう変化を起こすのか、つぶさに観察した本であった。
小さな包丁にとりついたツクマはそのまま刃を伸ばしていき切れ味するどい刀のような形に変化していく。場合によっては刃に毒が付着するような進化を遂げる場合もあるという。
様々な例が取り上げられているが、どれも一様に人間を苦しめる方向で進化するのは共通しているらしい。
「核が別のものに付随している場合もみられるってどういうことだろう?」
カスミは難しそうに頭を捻っている。
「多分、見たまんまの物を壊しても活動を停止しないってことだと思うで。皿に憑りついたツクマがいて、仮にその皿を粉々に砕いたとしても、破片になったまま襲い掛かってくるという」
「次の頁には憑りついたものと縁の深い物体を壊せば停止するってありますね」
「ほー、なら皿だったら食器棚とかか? もしその状態になってたら大分しんどいな」
軽い口調のフキノの隣でスズがぼそっと「……なんか嫌な予感がしますね」と呟く。
「……あんま余計なこと喋らんほうがええか」
頁をめくる手を止めたフキノは虚空を見つめる。一同はそれに同意し、口数を少なくして黙々と本を読み進めた。
◇
タマナリの役場は清潔感に溢れた大理石で作られている。光を反射しキラキラと輝く床や壁は、訪れる者の背筋を自然とよくする効果があるのだろうか、行き交う人々の動作一つ一つが整っているように思える。
一方、ハルドナリ三番隊の若干一名はこの場に相応しくない服装をしていた。
「装備を間違えたかもしれないな」
「大間違いですよ先輩」
後輩に指摘されたイタルは自分の服装を観察する。彼が今日着てきた装備は寝巻のような、というよりも完全にそれと断言できる格好である。水色を基調とし、ふわふわとした綿が詰め込まれた装備は、どう考えても戦闘向きとは思えなかった。
「イタルはやることが大胆だよね」
カスミは笑いながら綿の質感を手で触って楽しんでいる。
彼が今日着てきた装備は老人介護を目的に利用される部屋着であった。比較的高価だが、老人の転落を想定し、家の中に限り落下の耐性などがつく高性能な装備である。基本野外での活動が多いプレイヤーズには無用の長物だった装備だが、今回その好機がついにやってきたと息を巻いてイタルは装着してきたのである。
「お~い、受付通ったで~」
代表として受付であれやこれやとやり取りをかわしていたフキノは、手で階段を示しついてこいと合図を送っている。三人はそれに従い階段へと向かった。
タマナリの役場の職員は、イシダテと違い余裕を持って仕事をしているように思えた。見える範囲でではあるが、机の上の書類はきちんと整えられていたし、椅子に座る職員にあわただしい様子は見て取れない。
三番隊に対応した職員も礼儀正しく落ち着いた様子で目の前に現れた。
「ようこそタマナリへ」
ピシッと畏まったお辞儀をしたのは、見た目30歳ぐらいの男性職員である。
「今日はよろしくお願いします」
フキノは礼を返す。こういった場所では訛りが消える彼女である。
「今回はツクマの討伐依頼ということで、詳細は事務所の方にお知らせしていますが、もう一度簡単に状況の説明をいたします」
会議机に通された三番隊は配られた紙を眺めながら説明を受けた。王遣隊が屋敷に入り食堂の食器類に手ひどくやられ撤退している。それが約二週間前。既に事務所の方で聞いていた話から大きな変更はなかったが、一枚だけ見覚えのない屋敷の家具を羅列した紙があった。
食器類、衣類、寝具といった生活必需品、それと――――――
「人形?」
職員が大方説明し終えたところで、間を縫ってフキノが尋ねる。
「ええ、それなんですが……前家主の親族をお呼びしていますので」
職員は少々お待ちくださいといって席を外した。その後しばらくして妙齢の女性を連れてきて、席に着かせる。少し警戒の色を見せている女性は軽い会釈をして三番隊と相対した。
「前家主の姪に当たる女性です」
そう紹介された女性は少し高飛車な口調で「シトネ・ネコヤナギです」と名乗った。
「ツクマの性質上、関係者の話から何か手掛かりになることがあるかと思いまして」
そう説明する職員を見て、何故私がこんなところにといった表情の女性は苛立ちを露に「で、何が聞きたいんですか?」と、三番隊を一瞥した。
「ああ、えーっとこの人形というのは?」
挨拶もままならないまま話を切り出されたフキノは、家具一覧の一番下に書かれた文字を指さす。
「それねぇ……不気味ったらありゃしないのよ。叔父さん優秀ではあったんでしょうけど少し浮世離れしたところがあって、屋敷にこもって人形を作って、本当に人間そっくりなのよ? 大きさも見た目も、それに名前までつけて……」
思うところがあるのか、女性は堰を切ったように話し始めた。
「名前ですか?」
「ええそう……確か、なんだったかしら……思い出せないわね、でも日記とか書いてたはずよ。風邪を引いたって連絡があったから様子を見に行った時があって、そしたら布団にくるまりながら日記をとってくれ日記をとってくれって……私、悪いとは思ったけどちらっとその中を覗いてみたら、叔父さん人形に名前や性格をつけて、ありもしない日常をひたすら書き込んでたの」
まとまりのない話ではあるが、屋敷の前主人は相当人形に入れ込んでいた様子である。日記に自分の妄想を書き留めて生活していた男が親族から距離を置かれてたということは、女性の話し方からなんとなく察することが出来た。
「人形の数は覚えていますか?」
「数? どうだったかしら……あ! その日記は我が愛しの十人娘って題名だったわ、だから十体じゃないかしら」
「十体……ですね」と確認するようにつぶやいたフキノは紙に数を控える。
その後も女性は叔父の不気味な行動をつらつらと語り、最後に「みんな私に面倒を押し付けるんだから」と言って席を立った。
「以上で説明は終わりますが、何か質問はありますか?」
職員は三番隊の顔を覗き込む。愚痴愚痴とした話を充分すぎるほど聞いた四人は、疲労を顔に浮かべながら「いえ、特には」と答えた。
「やられたなあ」
外にでたフキノは髪を掻きむしりながら紙面を眺めている。
「人形なんて話には一つもなかったですよね」
事務所に届いてきた依頼は単純にツクマの討伐という体裁だったが、蓋を開けてみれば何やら複雑な事情が潜んでいそうな一件である。
「ツクマに色んな種類があるとしても、あくまで一つの魔族という括りで依頼が飛んでくる訳やから……その中身の対処はプレイヤーに丸投げっちゅう話か。勉強になるわ~」
「人形っていやな予感しかしないですよね」
憂鬱そうなスズは杖の先をいじくりながらつぶやく。
「貧乏くじは引きたくないで」
そういったフキノはハッとして自分の口を手でふさぐ。
「あんま、余計なことは言わんほうがええか」
「時すでに遅し……ではないことを祈りましょう」
既に予感が実感に変わっている雰囲気を四人はひしひしと感じていた。
◇
街中を歩き目的の屋敷へたどり着いた三番隊は、入口の鉄柵についた錠を外して、慎重に足を踏み入れた。二階建ての屋敷は煉瓦造りで横長の佇まいである。街の通りからみても他の家々より一際大きく、異彩を放っていた。既に家主を失った屋敷の庭はほうぼうにまとまりなく雑草が生え散らかっている。周りを背の高い樹が囲んでいるためか、敷地はひどく薄暗い。
四人は不気味さを肌で感じ取りつつ、埋もれかけている石畳を辿り玄関口へ向かった。
「ちょっと待った」
玄関の扉を弓柄でコンコンと叩くフキノ。ツクマは場合によっては扉にも憑りつく可能性があるということを、四人は昨日知識として得ていた。
「大丈夫そうやな」
反応がないことを確認してから扉の鍵を開く。ギィという錆びついた音を建てながら扉はゆっくりと開いていった。
「カビくさいっすね」
静かでひんやりとした屋敷の中は物寂びた臭いで充満していた。窓から差し込む光には白いほこりが浮かんで見える。誰かの息をのむ音が聞こえた。
「気になるし、まずは人形部屋に行ってみようか」
話では一階の食堂でツクマが出現していたとのことだが、役場でのこともあり三番隊の頭の中には人形の二文字しか浮かんでいなかった。人形部屋は二階の奥にあるという。四人はミシィと音を立てる廊下を静かに進んだ。
「お邪魔しま~す」
誰がいるわけでもないが、カスミは挨拶をしながら人形部屋に足を踏み入れた。
部屋は薄暗い。たった一つ高いところに細長い窓があるのみで、それは光源としてはとても心細い。
「ひっ」
スズが怯えた声をあげた。つられてそちらを見たイタルも思わず「うおっ」という声を発する。視線の先にはガラス戸を隔てて、精巧に寸分狂わず、実際の人間で型をとったような人形が安置されていた。
紫髪の人形は召使のような装いで、手をお腹のあたりで重ねている。
「よく……出来すぎてるな」
ゴクリと息をのみ、イタルは人形をまじまじと観察する。足腰の長さに違和感は全く感じられず、指にいたるまでの細部の輪郭、肌の質感まで完璧に表現されている。
「顔だけは少し変な感じがするけど」
カスミも同じように感心していたが、人形のガラス玉のような目を見つめながら呟いた。イタルも同感だった。人形の顔は容姿端麗に作られてはいるものの、どこか計算して作った痕跡が残っているように思えた。
「…………」
「どうした、スズ」
イタルの横では、スズがぷるぷると肩を震わせている。よっぽど驚いたのだろうか。イタルは「大丈夫か?」と肩に手をかけようとしたが、その手は凄まじい速さで振り払われる。
「どうしてどいつもこいつも乳がデカいんだ……!」
どうやら、怯えでいるのではなく酷く憤慨しているようだった。
「我が愛しの十人娘が聞いてあきれますね、ここにいるのは巨乳に個性を吸われた無個性の集合体です」
スズの言う通り、人形部屋に安置されている人形は全て豊かな胸を携えている。胸元が空いている服装の為よけいにそれは強調されていた。
「まあ、遺伝子ってのがあるからな。娘が全員一様に胸が大きいのは理にかなってるとも言える」
「はあ?」
「や、すまん」
剣幕に押されてイタルは思わず頭を下げる。
「はあ……どうしてこう男ってヤツは」
なお怒りのおさまらないスズは杖をブンブンと振り回している。
「アカンなあ、どうやら貧乏くじを引いてしまったみたいやで」
薄暗闇の中フキノが呟く。ぴたっとスズの腕が止まる。
「七人娘……ですね」
カスミは指で丁寧に人形の数を数えあげている。イタルもそれに倣って人形の数を確認してみる。部屋の入口から左右の側に、ガラス戸で縦長の木箱が設置されているが、右側には5体、そして左側には……
「本当だ」
左側には二体しか人形がいない。この部屋でガラス戸の木箱に入っている人形は7体だけしかいない。話では十人娘と聞いていたが。
「別の部屋に保管されてる可能性は低いですよね」
冷静になったスズも事態の重大さに気づく。
「どうして左側だけ?」
疑問に感じたイタルは左側の木箱を観察する。入口から見て中央の三つは本棚になっており、キチンと整頓された状態で本が並んでいる。パッと見では違和感を感じないが、人形が十体いるという情報を得た後では何かの作為を感じる。
「下、見てみ」
他の木箱を観察していたフキノは木箱の下の部分を指さす。そこには人形の名前を刻んだであろう金色の銘板が打ち付けられている。「タカセ」と刻まれていた。
本棚になっている方には勿論それはない……が、
「何かが付いてた後はありますね」
しゃがんでよく目を凝らしたイタルは、小さな丸いくぼみを確認する。どうやら侵入者に他の人形がいることを悟らせないような工夫をしているようだ。わざわざ木箱に本を敷き詰めて、あたかも最初からそこに本棚があったかのような細工をしている。何も知らないまま部屋に入れば人形7体と本棚という見た目に違和感を覚えるのは非常に難しい。十人娘という情報がなければその答えにはたどり着けなかっただろう。
「また適度に賢い魔族か、ツキがないなぁ」
ため息をついたフキノは背にかけた弓を触って「気を引き締めていこう」と隊員に目配せをした。
四人は消えた人形に警戒を強めながら、依頼の話に合った食堂を目指す。一階の食堂の扉は他と違う両開きの扉だった。来客に対応している食堂なのだろうか、一人暮らしというには少し大仰な扉に思える。先ほどと同様ツクモであるかの確認を終えたフキノは慎重に扉を開いた。
「うっ」
ゆっくりと開けた扉の先からはすえた臭いが漂う。腐った肉類の匂いだ。
「なんですかコレ」
思わず鼻を腕で覆ったスズは匂いの元へ歩み寄る。長い机にいくつかの食器が並び、そこに盛り付けられているどす黒い塊が発生源であることは一目瞭然だった
。
「おい、なんかヤバイ気がするぞ」
先ほどと同様明らかな作為を感じる配置である。イタルはスズを止めようと近づいた。
「ん!?」
「きゃっ!!」
その瞬間、二人の立っている床に正方形の形で穴が空き、イタルとスズは一瞬にして奈落の底へと消えていく。ドシンという重たい音が聞こえた直後、穴はふさがり元の食堂の床に戻った。
「おい!? 大丈夫か!?」
あまりに一瞬の出来事だったため呆気にとられていたフキノは、二人の消えた床にすぐさま近づく。落とし穴のような仕掛けが作られていたのか。フキノがもう一度乗っかっても作動しないあたり手の込んだ細工である。
先ほど聞こえた衝撃音を聞く限り、さほど高いところから落ちた感じではない。楽観的観測かもしれないが二人がまだ無事であることを祈るフキノは、資料でもらった屋敷の地図に、地下室があったことを思い出す。位置的に二人はそこへ落下したのだろう。
「分断する作戦か」
「隊長!!」
キィンという金属と金属が火花を散らす音が聞こえる。地面を調べていたフキノはその音で反射的に立ち上がる。
「おでましか……!」
厨房の方から姿を現したのは細長い刀剣のような武器を持ち、水色の髪を腰のあたりまで伸ばした人形だった。異様なことにその人形の周りには陶器や調理器具がふわふわと浮いている。
即座に弓を引き絞り矢を放つフキノだったが、空中に浮いている皿の一つが生きているかのように動いて矢をはじく。それと同時に鋭利なナイフが自動的に飛びかかってきた。フキノはすんでのところでそれを避けたが、頬をかすり血が流れる。
「めちゃくちゃや」
飛んできたナイフはまた元に戻り、警護するかのように人形周りを浮かんでいる。
「はっ!」
間髪入れずにカスミが近づき刀を抜くが、陶器が集まり盾のようになって刀を弾く。次いで人形自身が手に持った刀を振り下ろした。カスミはよろけるような姿勢でなんとかその攻撃をかわす。
「カスミ! ちょっとだけ持ちこたえてくれるか」
手帳を取り出したフキノは何かの策があるのか詠唱を始めている。無言でうなずいたカスミはフキノへ攻撃の対象がうつらないように、人形へ息をつかせない熾烈な攻撃を始めた。
カキンカキンと鉄と陶器の交わる音が響く。カスミは敵の刀による攻撃を自らの刀で受けることはない。刀で受ければ攻め手が緩む、高速で行われる攻防のさなかで驚異的な判断力を見せていた。
しかし、手数の差は埋めきれず、カスミの攻撃が鈍ってくる。浮遊する食器の塊に余裕が生まれつつあり、このままでは詠唱を行うフキノへ攻撃が飛んでいってしまう。
(間に合わない……!)
刀を振るう腕が、相手の攻撃をかわすために出遅れてしまった。その瞬間、陶器の塊がフキノの方向へ飛んでいく。
「Gravity」
飛んでくる塊に対して、詠唱を終えたフキノは右手で手帳を前にかかげている。すると、手帳の手前あたりで塊がピタッと静止する。そして、人形の方に残っていた食器や調理器具もどんどんと引きはがされ塊に集合していく。
重力・引力のキセキは発動すること自体は初歩的なキセキの一つだが、素のままではありとあらゆるものまで引き寄せてしまうし力の制御も難しい。かといってこのように物体を一つ一つ指定してある一定の場所に集めるには相当複雑な条件の指定が必要だった。短時間でそれを成し遂げるのには相当な知識と修練が必要なのだ。
塊になった物体は音をたてて床に落ちる。
「今や!」
発動に成功してすこし自慢げな顔をするフキノは命令を下す。
裸同然になった人形へ刀を向けるカスミ。それに対応しようと刀を繰り出す人形。しかし、カスミの一振り目は牽制だった。するりと握りの変わったカスミの刀は、一直線に人形の首元へと向かう。精巧に作られた、人間によく似た、人形の、首元へ。
(…………!!)
カスミの中に一握りの戸惑いが生まれた。勢いの落ちた刀は首元へ向かわず人形の腕を切り落とした。人形の腕が音を立てて床に落ちる。当然、人間のように血潮は吹き出なかったが、カスミは床に落ちたそのあまりに良くできた腕を直視することが出来なかった。
「アカン!」
狼狽える一瞬の隙をついて、腕をなくした人形は厨房の奥へと逃げていく。逃がしてはいけないと矢を放ったフキノだが、突然厨房近くの食器棚が入口をふさぐように移動して矢をはじいた。
「なにがいな! なんか最近矢が全然当たらんけど?」
愚痴ったフキノはうらめしそうに、通せんぼをする食器棚を睨んだ。一瞬動いた食器棚だが、厨房への入口を塞いだその後はまるで巨石のように微動だにしない。
「攻撃はしない、か……完全に人形中心やな」
昨日図書館から借りてきた本によれば、ツクマは食器や皿一つ一つに憑りつく魔族というよりも、家屋そのものという解釈が正しいと書いてあった。だからこそ流動的に憑りつくものが変わるし、変化もする、そしてある特定の道具に執着もする。
今回の人形を中心に浮遊する食器類を見ても、この家に潜んだツクマは人形に焦点を当てそれを最大限活かそうとしているのではないか。フキノは、動かない食器棚をペシペシと叩きながらぼんやり考えていた。
「すみません」
人形を取り逃したのは自分のせいだと項垂れているカスミはいつもと違い元気がない。顔色も少し悪いように見える。
フキノは床に落ちた腕を見て、剣士の中に起こった葛藤を察知する。この世界の戦士は魔族と常に戦っているため、同族である人間と争うことはまったくといっていいほどない。人の形に限りなく近い何かを切り刻むことはあっても、人間そのものを斬る感触は殆どのプレイヤーが知らないだろう。
よくできた腕はその感触までも再現することはないだろうが、結果だけみるとそれに近いことをしたという実感は湧いてくるのだろう。
刀の鞘を不安そうに触るカスミに「ええよ、一回深呼吸して息を整えようか」と、フキノは優しく声をかける。あまり落ちた腕を見つめていると自分も気分が悪くなると視線を外したフキノは、
「あ、イタルとスズは大丈夫か!? 探しに行かな!」
と、落下した二人の事をようやく思い出した。
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