親父の形見が無骨で巨大な剣~キセキのありふれた世界で~

穴沢メェ~

第1話 キセキがありふれた剣

 キセキはありふれた。

 人間がはじめて魔族に対抗する術を得たのは今から二千年ほど前だ。

 原始の時代、弓や剣で魔族の攻撃をなんとか凌いでいた人間は、いつしか神に祈る"キセキ"と呼ばれる技術を使うようになった。

 伝承によると、杖を持った老婆が孫を守ろうと神に祈ったときの、杖先が発光したその瞬間が最古のキセキだと言われているが、そこから人間はキセキを体系化し、学問として人々に共有した。

 二千年の時がすぎ、かつては種火をつける程度だったキセキはいつしか岩山を一瞬で崩す爆発へと変化した。

 居住区の近郊から魔族をキセキの力で追い出すことに成功した人間は、食糧を冷凍保存する(これもキセキの力による)技術などで人口を増やし、都市の範囲は広がり続けた。


 シラサトの街の中央広場にそびえる白亜の転移門は、キセキによる革新の最たる例といえた。この転移門の出現で都市と都市の移動は極めて安全にそして迅速に行えるようになった。

 定められた時間に開かれる転移門の周りは朝の時間帯ということもあって、街の各地へ向かう人々と転移門の開放を待つ人々とでごったがえしている。

 その人だかりの中、広場の泉のそばにひときわ目立つ格好をした青年がいた。

 その格好というのも、上は鎧を着こんでいるのだが、下は普段着のズボンというチグハグ姿で、鎧にしてもそれは不格好で、まるで鉄の塊をそのまま着こんでいるかの様に平坦な出来栄えなのである。

 さらに目を引くのは背負った大剣、いやこれも鉄の塊というべきだろうか、剣というにはあまりに横幅が大きく鉄板のようにも思える。


(俺は街中の前衛芸術……俺は街中の前衛芸術)


 彼の名前はという。

 一応この不格好な姿に羞恥を覚える常識は持ち合わせており、兜をかぶってなるべく広場を行きかう人々と目線を合わさないようにしている最中だった。


「あっ、先輩おはようございます」


 そこへ杖を持った少女がやってきてイタルに頭を下げた。


「おはよう、兜かぶってたのによく気付いたなスズ」


 スズと呼ばれた少女はイタルとは対照的に落ち着きのある端正な格好である。

 黒いローブに黒いとんがり帽子、中に着こんだ白いシャツと茶色いスカートは折り目正しく整っていた。

 それを見て兜の面をゆっくりと外し安堵の表情をうかべるイタル。知り合いがいればこのヘンテコな格好も何か意味があるものとして見られるからだ。


「変な格好してる人見ませんでした? って聞いたんすよ。一発でああ……泉のそばの……って答えが帰ってきたんで」

「ぐっ、そんなに変な格好か? まあ、変な格好か……」


 自分の服装をまじまじと見ながらため息をつくイタル。本人にとってはこれからの戦闘に役立つものを選んだつもりなのだが、その事情を知らない人間からすればただの変態としか見られない。


「まあ、時間はまだあるし先に飯でも買っておくか?」

「今日はお弁当持ってきたんで、先輩一人でどうぞ」

「マジで? 流石にこの服装で一人で店に入るのは気が引けるな……」

「自業自得っすよ」


 そこをなんとか、ついてきてくれと手を合わせてお願いするイタルであったが、「絶っっっっ対いやです」と頑なに首を振らないスズに根負けして人混みの中を目当ての店に向かって歩き出した。


「そこまで酷い装備かねぇ」


 イタルは店の鏡に反射する自分の姿を見て、「まあ、そうか……」と恥ずかしくなって再度兜を被るのであった。

 広場は一番人気である帝都カバラン方面への転移開放の時間を過ぎ、少しずつ閑散となっていった。





 広場の店でパンを買ったイタルは再度スズと合流し、転移門で帝都とは真逆の方向へ転移した。

 二人は「」と呼ばれる傭兵集団の一員であり、依頼のあった「ホムラガエル」と呼ばれる魔族の討伐に向かっているのだった。

 依頼主は辺境の村役場であり、そこへは転移した後馬車に揺られ移動する必要があった。

 シラサトの街は歴史はあるものの、この国の中心であるカバランからすれば辺境と呼ばれる地域である。そしてそこからさらに辺境になると転移門を敷くことのできない土地が広がっていく。

 だたっぴろい緑の平原を走る馬車に揺られながら、イタルは遠くの山脈をぼうっと眺めていた。

 先ほど痛いほど浴びた視線から解放され、きわめてリラックスした状態で、あの山の向こうは何があるんだっけと思いをはせる。

 ――――帝都カバランから楕円状に広がる人間の居住区域が東西の海洋に到達したのは百年前。

 二千年の歴史を考えればまだまだ最近のことだが、円形上に広がっているであろうとされる大地には、南北にまだまだ人間が根を張ることの出来る地域が存在する。

 しかし、ここ百年で人間の住む地域は、地図の上で殆ど変化しておらず、むしろ今から向かうような辺境の村では人離れが深刻な問題として昨今の新聞で取り沙汰されている。


「人間は憶病になりすぎだ」


 そう、まさしくそれだった。キセキがありふれてからというもの、人は痛みに敏感になりすぎている。


「いずれ来る苦難から目を背けていたら、目覚めた時にはもう死ぬしかないような朝が突然やってきてるかも知れないだろ?」


 流石にそのような状況は想像しがたいが、平和で人道の広まる今の時代にも依然として魔族の脅威は存在するということを、人々は忘れつつある気がしてならないのだ。


「だから俺はこの大剣を振り続けるのさ……」

「おい、なんでわざわざ声に出して読むんだよ」


 一冊の漫画を開きながら、スズは熱のこもった演技で朗読を行っている。


「名作は大多数の人々に共有されるべきだと思うからです」


 そう答えたものの、車内にはスズとイタルの二人しかいない。


「いいっすよね~、エメラルドソード、読んだことあります?」

「10巻くらいまでは」

「……先輩、エメソは13巻から山場なんすから、大分損してますよそれ」

「そうか」

「今度続き貸しますよ、今の展開メチャクチャアツいんで速めに読んどかなきゃ損です」

「ありがとよ」


 遠出するとあって、大分早くに起きたイタルは一つ深いあくびをした。


「飯でも食うか」


 袋をガサガサとあさり、先ほど広場で買ったパンを取り出す。

 このパン一つにしてもキセキによる革新を感じることは出来た。もともとシラサトを始めとした西側の地域は米食文化が根付いていたが、転移門の出現で交易が盛んになった影響で、その地方の人々が手軽にパンを手に入れることが出来るようになったし、抵抗なく常食するようにもなった。いまスズが齧りつくように眺めている漫画にしても、キセキによる印刷技術の革新で一般人全て話題を共有出来る段階まで普及するようになったのだ。

 そんなことを考えながらチーズをのせたパンをかじると、漫画の淵からそれをうらめしそうに眺める視線を感じた。


「今月も負けたのか」

「え?」


 動揺したように漫画で顔を隠すスズ。

 仕事ぶりに関しては基本に忠実で淡々と任務をこなす彼女だが、整った容姿とは裏腹に賭け事にのめり込む破天荒な一面もあるのだった。

 月末になると大体賭けに負けて食費を切り詰めて生活していることを一年ほど共に仕事をする中でイタルは知っていた。


「いやー、手堅い賭けを狙う予定だったんですけど、月末だから日和ってるんじゃないかと私の中の悪魔が囁いたので……」


 漫画を閉じて苦い顔をするスズ。彼女の賭け事に対する世界観はさておきお金に困っていることは確かなようだった。

 先月もお弁当を持ってきたといって野菜をただ詰め込んだだけの質素な箱を目撃していたイタルは、軽い溜息をついて袋の中を漁り始める。


「ほらよ」


 中にクリームの入ったパンを選んでスズの方に差し出す。


「博徒たるもの人からの施しは最大限の屈辱と心得よ……」


 よく分からない台詞を吐きながらも頭を下げたスズは「絶対来月返しますんで」と有難そうにクリームパンに齧りついた。

 人間は簡単に飢え死ぬことはなくなった。富は溢れ、賭け事に興じる余裕も生まれた。

 

 それも全て神に祈りが通じたからである。キセキはありふれたのだ。





 一時間ほど馬車に揺られると、車窓の景色は緑の平原から黄金色の田園に姿を変えていた。

 そこからもう少しすると木造の家がポツポツと現れ、集落の真ん中の小さな交差点で馬車が止まった。

 道の脇には背の一つ高い家があり、「カカリ村役場」という看板が立てかけられていた。御者に一礼した二人はうんと背伸びをして長旅の疲れをとる。


「いてっ!」


 しかしイタルは着ている鎧の可動域があまりに狭すぎるせいで肩を少し痛める。


「大丈夫ですか?」

「いや、少し痛めた程度」

「じゃなくて、その服装で役場に入って大丈夫ですか?」

「……仕事だし理解してくれるだろ」

「だといいですけどねえ」


 少し不安そうにするスズをよそにイタルは役場の扉を開く。

 入ってすぐのところに受付があったが、そこにいた女性は「ひっ」と小さな悲鳴を上げたのを二人は聞き逃さなかった。


「プレイヤーハルドナリのものですけど……」

「……あっすいません、証明書はお持ちですか?」


 腰に付けた鞄から証明書を出し受付に差し出す。受付嬢はイノリを捧げ小さな鉄のカードに手をかざし、何度もイタルの顔と証明書を見比べ、少し信じられないといった表情で「お通り下さい。一階の森林一課で詳細を……」と右手で案内する。


 受付の先は一階と二階が吹き抜けで繋がる事務スペースがあった。

 小さい役場なので扉を開く音で多くの人がイタルに一瞥をくれ、半数は目をそらすように机に向かい、半数は奇妙なものを見る目で視線を釘付けにしていた。

 案内された森林一課は入口のすぐそばにあった。


「ホムラガエルの件で伺ったプレイヤーハルドナリのものですけど……」


 ざわざわとした空気の中イタルが声をあげると、少し遠くの方から「はいっ!」と張り詰めた高い声が聞こえる。

 まるで面接が行われるかのように慎重に緊張した足取りでやってきた事務員は眼鏡をかけた若い女性だった。


「担当のコザトと言います、こちらへどうぞ」


 やけに角ばった所作はイタルの服装を警戒していることもあるだろうが、それ以上に経験のなさから来ることが大きいように見えた。ホムラガエルを始めとするいわゆる単級と呼ばれる魔族は勿論人間に害を及ぼすことはあるが、その上の難易度である迩級や散級と比べると圧倒的に弱く、場合によっては暴れた馬より安全であると評されることもある。

 魔族がどの森のどの地域に生息していて、数はどのくらいなのかとか、特筆すべき地形の状況だとか、そういった情報の伝達はプレイヤーと役場の人間の間で重要な事柄ではあるが、単級の魔族に対してはそこに多少の齟齬があってもなんなく任務遂行に至ることが多い。

 役場に入所した彼女は単級の気楽な任務から経験を積んで、ゆくゆくは迩級散級の重要な仕事にあてられるようになるのだろう。

 そういった矢先に突如として現れた、歪な鎧を着こんだプレイヤーは果たしてどのように映るのだろうか……ぎこちない事務員を見て肩身の狭くなったイタルはここで初めて自分の服装が失敗であると後悔しはじめたのである。


「ホムラガエルの討伐は初めてですか?」

「いえ、何度か」

「……良かったです」


 そういいながらもまだ不安を残す顔はちらちらとイタルの鎧に向けられている。


「えっと……このあたりの洞窟に生息していたとされるホムラガエルが近頃森の方で確認されています。林業が主要な村なので被害が出る前にプレイヤーの皆さんに片付けてほしいというのが今回の依頼です。生息している洞窟はこのあたり、広さは十分で落石の心配はありません」


 地図を広げ洞窟の場所を指し示しながら、台本をざっと読むように抑揚のない声で喋った事務員は「何か質問はありますか?」と尋ねてくる。


「まあ、特には……」


 気まずい雰囲気のまま地図を眺めていたイタルとスズはそう答える。先ほども言った通りホムラガエルは何度か討伐した経験があり、単級の魔族に対してあれやこれやと注文をつけるのはプレイヤーの面子にも関わることだった。


「では、外で馬車を用意してますので、森の入口あたりまで案内いたします」


 トントン拍子に進んだと見える議論だが、実際は得体のしれないプレイヤーに怯える事務員と、それを申し訳なく思う男一人の逃げ出したいという思いが、客観的にそう映し出しているだけなのだった。






 再度馬車に揺られることになった二人だが、車内は先ほどとは違い気まずい雰囲気が流れている。


「えっとコザトさんでしたっけ? コザトさんはカカリの村出身なんですか?」


 暗い沈黙を嫌ったスズは隣の席に座るコザトに親しげな口調で話しかける。


「あっ、はいずっとこの村で」

「凄く若いですよね、もしかして私と歳近いかも」

「えっと二十歳ちょうどで」

「あっやっぱりそうだ! 私も二十なんですよ」


 同い年であることが判明し少し打ち解けた様子の二人は、互いの仕事について語り始める。


「魔族討伐のお仕事は今までいつも先輩についてもらってたんだけど、今日の仕事から単級の依頼は一人で任されるようになったの」

「じゃあめちゃくちゃ緊張してる?」

「やっぱ分かるよね……凄いなあスズちゃんは、私と同い年なのに色んな所で色んな魔族を倒してるんだもの」

「まだまだ、私なんてプレイヤーズに入って一年も経ってないし大したことないって」


 実際、スズは今年の春にプレイヤーズ・ハルドナリの三番隊に加入した新人だった。当時は借りてきた犬のように大人しかったが、二か月もするとまるで長年勤めてきた職場のように肩の力を抜いて任務を行っている。

 人と打ち解けるのが得意な人間なのだ、とイタルは和み始めた車内の空気の維持を、後輩であるスズに一任し自分はそれを壊さぬよう努めて無言を貫いていた。


「この前なんて私のせいで森に火がつきかけちゃって、慌ててたところを先輩が助けてくれたの、ね、先輩?」

「え?」


 今朝の広場と同じようになるべく気配を消していたイタルは、後輩の突然の投げかけに「ま、まあな」と曖昧な答えを返すことしか出来ない。

 その答えに再び車内の空気は不協和音をともし始めた。スズが少し侮蔑の表情を見せるも、コザトの方を向きなおしてなんとか会話を続けようとしたが、イタルの曖昧な返事を機嫌が悪いと勘違いしのか、彼女は一層緊張の面持ちで手元の書類をぺらぺらとめくり始めた。

 しばらくすると、馬車は田園を横切りうっそうと茂る森の手前で止まった。


「で、ではここから先は使い魔に同行させますので、もし不明点があれば戻ってきてもらうということで」


 軽い詠唱を行ったコザトの右手から彼女にそっくりな使い魔が出現する。役場の人間はプレイヤーズの任務遂行を監視する権限があるものの、魔族の蔓延る危険地帯に武力を持たない状態で踏み入ることは出来ないため、小さい使い魔を召喚しプレイヤーに同行させるのが一般的である。

 使い魔はぽてぽてと歩き出し二人を誘う。森の中では使い魔に案内役を命じる場合も多い。


「じゃあ、行ってきます」


 イタルは礼をして落ち葉の積もる森に足を踏み入れた。


「ちょっと先輩、私の用意した最大の好機をふいにするなんて!」


 しばらく森を進んだところでスズが憤慨している。


「いやほんっっっとうに申し訳ない、あとできちんと、別に機嫌が悪かったわけではないって説明しないとな」

「ほんとですよ、めちゃくちゃ気まずかったあ……で、そのいたいけな少女を怯えさせる謎の鎧を選んだ理由は何なんですか」


 それを聞いてイタルは待ってましたという目をスズに向ける。普通の感性でこの歪な鎧を選んだわけではなく、仕事上の都合でこれを着ているという事実をイタルは速く知らしめたかったのだ。


「よくぞ聞いてくれた、この鎧はな炎の耐性が著しく高い。ただし、炎を受けた瞬間装備者に灼熱の呪いを与えるように設計されている」

「?? それじゃあ駄目じゃないですか」

「いや、鎧が単純に熱を伝えるわけではないというところがみそだ」


 そういってイタルは自分のズボンを指さす。


「実は下に着こんでいるのは冷却パンツでな、それも開発段階の」

「あの夏場に体を冷やすとかいって広告を新聞にはさんでるやつですか」

「それだ。開発段階といっても大昔の技術だから冷却するという代物ではなくて人間を凍死させるほど粗末な出来栄えなんだ」


 イタルがその冷却パンツを下に着こんでいるのは、この世界に外気接触の法則と呼ばれるものがあるからだ。――――イノリの込められた特殊な装備は、外に露出していなければ能力が発動しない。それはなぜかというと、神に祈りをささげるならば、見える形で行わなければならないという決まりがあるからであった。


「少しでもズボンがずれたら危ないからきつくベルトでとめてるんだがな」

「まあ、何となく予想はつきますけど……すごい馬鹿らしいというか何というか」

「つまり灼熱の鎧と寒冷のパンツ、この二つで釣り合いがとれるんじゃないかと考えたわけだな俺は」


 自慢気に理論を語るイタルをよそに、スズはため息をつく。


「でもぶっつけ本番だと危なくないですか?」

「いや、家で暖炉に体を突っ込んで検証済みだ」


「まあ、それなら……」と、納得はしたものの少し残念な顔でイタルを見つめるスズ。


「というわけで今日は俺がホムラガエルの火を受け続ける作戦で行こうと思う」


 ホムラガエルは単級の中でもさらに単純な魔族であり、大きな刺激を与えると自らの体力が尽きるまで炎を吐き続ける。基本は洞窟のようなジメジメとした環境を好むものの、森に出た場合は延焼が怖いため事前に数を減らしてほしいというのが今回の依頼だった。


「で、背中の大剣は今日はお休みですか」

「その予定だ」

「上手く行きますかねえ」

「恥ずかしい思いしてきたんだ、上手く行かなきゃ大損だぜ」


 二人は少し濡れた落ち葉を踏みしめ歩みを進めた。しばらくして、先頭を行く使い魔がきいきいと可愛らしい鳴き声をあげる。


「どうやらここみたいだな」


 怪しく口を開けた洞窟の入口は説明を受けた通り数人が楽に入れる大きさだった。

 用意してきた松明をつけたイタルは足場を確かめながら洞窟に入る。じめじめとした空気に蒸し暑さが加わっているのはホムラガエルがいる証拠だろうか、額に少し汗をかきながら慎重に進む。


「お」


 イタルは洞窟の行き止まりで、人間のすねぐらいまでの大きさのホムラガエルを発見する。松明の灯りだけで分かりにくいが、黒い体と緑の丸い瞳がかなりの数ひしめいているのが分かった。

 向こうも外敵の侵入に気づいたらしく、緑の丸い瞳でこちらをけん制している。イタルは息をひそめながら合図を送りスズに刺激を与える程度の攻撃を命じた。うなずいたスズは目を閉じ杖を掲げて詠唱を始める。


「ゲコ!?」


 直後洞窟の地面から石柱がせり上がり、ホムラガエルの群れは動揺する。

 侵入者を確実な敵だと認識したのか、ホムラガエルの黒い体皮が赤く染まっていく。


「下がってろ!」


 スズを後ろに下げ待ってましたといわんばかりにズボンを脱いで寒冷のパンツを露出させたたイタルがホムラガエルの大軍の前に躍り出ると、匍匐する格好になった彼へと大量の火炎放射が浴びせられる。

 一転明るくなった洞窟の中では上体を逸らし鎧でホムラガエルの炎を吸収し続けるイタルが、「いいぞいいぞ!」と歓喜の声をあげている。


「大丈夫そうですか!?」


 見た目では完全に一方的に燃やし尽くされてるようにしか見えなかったが「おう!」と応える声には余裕がありそうだった。

 単純なホムラガエルは、目の前の珍奇な戦士を燃やそうと精一杯努力しているがそれも叶わず、炎の勢いは弱まりやがて完全に鎮火した。炎を吐き終えたホムラガエルはやがて力尽きたように動かなくなる。

 それを確認したスズは氷のキセキを発動しホムラガエルを冷凍した。洞窟に多数の氷の彫像が並ぶ。


「よしよし、行けそうだな」


 いそいそとズボンを履くイタルは、氷漬けになったホムラガエルを見て満足そうにうなずく。

 洞窟内にはまだホムラガエルの巣があるらしく、眼鏡の使い魔はこっちこっちと逆を指さしている。冷凍されているホムラガエルは後々役場の人間が別の業者に依頼して回収する。ホムラガエルの肉は珍味だが高く売れるのだ。


「中々不格好でしたけどね」

「こんな鎧着てるんだ、今更だろ」

「ごもっともです」


 作戦の成功で幾分肩の力が抜けた二人は次なる巣へと向かった。分かれ道をいくつか進むと行き止まりでホムラガエルと遭遇する。

 先ほどより数は少ないように見えたが特に不都合はないだろうと、同じように挑発し炎を枯らす作戦を手際よく実行する。しかし、今度は炎に包まれるイタルが少ししたところで「寒い……」と狼狽する声をあげる。

 次第にイタルの体では最初は違和感でしかなかった悪寒が、明らかな震えとして形に現れ始めた。


「やばいやばい!」


先ほどと同じように事を見守っていたスズは炎の中で慌てふためく先輩の言葉が聞き取れなかったが、「寒い寒い!」という言葉を何とか聞き取ることに成功した。


「大丈夫っすか!?」

「大丈夫じゃなさそう!」


 焦りの伝わる速さで返答が投げ返された。

 先ほどは十分な数のホムラガエルがいたため、暖炉で検証したような炎の中に丸ごと突っ込む状況が出来ていたが、今回は数が少なく、前面部分でしか熱を吸収出来ていないようだった。


「ど、どうすれば!?」

「炎を足してくれ炎を!!」

「いや、人間に対してはムリですよ」


 この世界で攻撃的なキセキを人に向けることは重大な禁忌とされており、何より"人に向ける"という詠唱の方法は全く存在しない。

 大きな常識を失うほど自分が切羽詰まっていることに気づいたイタルはいったん冷静になる。


「じゃ、じゃあ、油を敷いてくれ、そこに炎を放てばいい!!」

「なるほど!」


 それならと合点がいったスズは、記憶を探り油のキセキを展開する。イタルのそばに油だまりを創り出したスズは、間髪入れずに炎の球体をそこにめがけて投げつけた。

 一瞬にして立ち上る火柱にイタルは餌を求める魚のように飛びつく。

 それを追ってホムラガエルも油に炎を加えたため、洞窟の中はまるで一つの太陽が生まれたかのように明るくなった。


「ありがとう、助かった!!」


 九死に一生を得たイタルは炎の中で安堵する。

スズは煌々と立ち上る火柱に顔を照らされながら「何だこの絵面……」とつぶやくのだった。





 以降は先ほどと同様、炎を吐きつくしたホムラガエルを氷漬けにして任務完了となった。


「これは少し問題アリだな」


 炎が静まった後、兜を外して汗を拭うイタルに、信じられないという視線を投げかけるスズ。


「大アリですよ先輩」

「でもほぼ傷をつけず任務達成できたのは中々よかっただろ」


 イタルが指さした先には精巧につくられた銅像のような冷凍ホムラガエルがいくつも並んでいる。

 これだけを見れば確かに相当な成果と言えた。

 使い魔はその周りをグルグルと品定めするように観察する。しばらくするとうなずいて、二人に小さな小さな親指を立てて合図を送ると、そのまま煙のように消えていった。使い魔の消失は依頼主の設定した任務の遂行を意味する。


「じゃあ戻るか」

「コザトちゃんに謝るの忘れてないっすよね?」

「ああ、それと……今日は流石に俺の計画が見切り発車すぎたな……すまん」

「いいですよ別に」


 項垂れるイタルを見て、スズは少し安心した表情を見せる。

 プレイヤーの大義は、魔族を討伐することでもなく、大きな成果を上げることでもなく、無事に生きて帰る事なのだと、この世界の戦士は胸に刻んでいる。神に与えられた体を無闇に痛めつけることは、非常に恥ずべきことだ。先輩はそれを忘れているわけではなかった。

 変なところもある人間だが、自分に不徳があれば後輩に対しても頭を下げるその生真面目さが、スズは好きだった。


「次はなしですからね」

「肝に銘じておくよ。ただ、火炎系の魔物に対する光明は今回で見えたかもしれないな」

「見えましたかねえ」


 仕事を終えた二人は軽口をたたきながら洞窟を抜けた。

 そのまま森を抜けて、馬車の近くに戻ってきたイタルとスズは、心配そうに佇むコザトを見つける。


「すいませんでした!!」


 馬車のそばで、二人の声が共鳴する。


「え?」


 深々と頭を下げたコザトはイタルの謝罪が予想外だったのか、眼鏡の奥の丸い瞳をしばたかせる。


「いや……この鎧で怖がらせてしまったなと思って」

「いえ、怖いだなんてそんな……少し、変だなとは思いましたけど」


 その言葉を聞いてやっぱりそうか、と落ち込むイタルを見て、あせあせと両手を振りながらコザトも謝罪の理由を説明する。


「私、イタルさんの格好を見て少し不安になって、でも仕事だから理由も気かずに見た目だけで判断するのは良くないと思って、ただそれをずっと馬車の中でも聞けなくて……不安が態度に出てたら申し訳ないなと思って」


 本当にすみませんでしたともう一度謝罪を付け加える。思ったより直球な言葉が多く若干傷ついたイタルだが、包み隠した言葉で言われるよりかは誠意が伝わってくる。


「俺も機嫌が悪いわけじゃなかったんだ……その、さすがに恥ずかしくてな」

「でも、凄いです。ホムラガエルをまったく傷つけずに無効化するなんて」


 使い魔を通して結果を知り得ていたコザトは感心したように言う。


「まあ、紆余曲折あったんですけどね」

「おい、それはいいだろ」


 洞窟での危機を嬉々として語ろうとするスズとそれを制止するイタル。その様子を見ていたコザトは微笑んで「仲がいいんですね」とつぶやく。


「そう?」

「ええ、プレイヤーの皆さんはもっとピリピリしてる人が多くて、今までそれを見ていたから緊張も強かったのかもしれません」


 自由な配置転換を制限されているプレイヤーズにとって隊員の仲が悪いことは死活問題である。部隊に緊張が走ればその分行動も鈍る。その点でいえばハルドナリの三番隊は順調であると言えた。


「まあ、仲が悪いよりは全然いいと思うけど……先輩がちょっと変人なだけだよウチに関しては」


 仲が良いと言われて少し恥ずかしそうにするスズは突き放すような言葉を付け足す。


「後輩からも忌憚のない意見が飛ぶ風通しのいい職場だなあ」


 イタルは頭を抱えながら冗談めかして言った。


「うふふ」


 完全に緊張の解けたコザトは二人のやりとりを見つめておかしそうに笑った。


「それでは今日はお疲れさまでした任務完了の書類は役場で渡しますので、どうぞ馬車に」


 かくして、プレイヤーハルドナリ三番隊のありふれた日常と、新人事務員コザトの初仕事はきわめて順調な終わりを迎えたのだった。






「今度からでっかい鞄を持ってそこに鎧を詰めることにする」


 帰りの馬車の中カカリ村の役場で受け取った書類を眺めながら、今日の反省点を振り返るイタル。


「それがいいですね、出来ればその大剣もしまっておいてほしいですけど」

「これは大事なもんだからな」


 今日は全くと言っていいほど出番のなかった大剣を愛おしそうになでるイタル。

 馬車の座席三人分を占拠する大剣は彼の父親の形見だった。イタルが大剣にイノリを捧げると青白い光が空中に投影される。そこには様々な言葉が並んでいるが、中央には「大剣を振るう、答えを教えてくれ」という言葉が目立つように浮かんでいる。


「相変わらずの謎技術ですね」

「ああ、最近いい感じに、


 何かを確認したのか、軽くうなずいたイタルは大剣の青白い光を閉じた。


「明後日でしたっけフキノさんが帰ってくるの」

「ああ、明日はカスミも戻ってくるし、迩級の仕事が入ってる」

「そうでしたね、給料日までしんどいなあ。あ~あ、プレイヤーは辛いよ」


 頭の中で日程を反芻しながら窓の外を眺めるスズ。車窓には夕日に照らされた金色の稲穂が、さわさわと風に吹かれている。


 プレイヤーの語源は、神々の言葉である詠語で「祈るもの」を意味する。

 キセキはありふれた。しかし未だ魔族の脅威は人間の足元を脅かし続けている。夕日に照らされた大剣の切っ先が煌めく。健やかなる未来を願って、プレイヤーイタルは大剣を振り続けるのであった。

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