オルムスカの迷子

字尾 享

プロローグ・第1話

 窓から差し込む朝日の眩しさに目を覚ました。

 すっきりとした心地良い目覚めだ。

 これがもし目覚ましのアラームによるものだったとしたらこうはならない。目覚ましなど人の安眠を容赦なく妨害し一日の始まりを最悪なものへと変貌させる呪いのアイテムだ。

 俺の枕元にはそんな余計なものは存在しない。代わりに種々のゴミやら抜け毛やら、いつからそこに落ちているのかすら覚えのない書き損じた履歴書やらが散乱していた。履歴書の名前欄には安住祐と書かれている。俺の名前だ。自分でも忘れそうになるほど出番のない不憫な名前である。

 耳を澄ませば朝からせわしなく道を行き交う人々の声や足音が聞こえてくる。道路に面したボロアパートの一階ともなれば、その音はよりクリアに耳に届いてくる。

 彼らは一日の始まりを告げるアラームで強制的に目を覚まし、脳の覚醒もままならないまま通学ないし出勤しているのだろう。ご苦労なことだ。いや、今日も一日お疲れ様です。

 彼らのたゆまぬ労働に感謝しつつ、俺は二度目の安眠をむさぼった。

 

*


「は? はああああああ!?」

 思わずモニターに向かって大声を出してしまった。しかしこれにはそれほどの理由がある。とても切実な、悲鳴なのだ。

 この部屋に住み始めてからおよそ、4年? いや6年だっただろうか。ともかく入居と共に設置されて以来、この部屋の角に鎮座し続ける24インチモニターに映っているのは今、つい今しがたまでプレイしていたオンラインゲームのリザルト画面である。床をなめる自キャラ、死亡を告げるダイアログ…操作できる領域は、リスポーンするかゲームを終了するかの無慈悲な二択だった。

 状況を今一度整理する。

 俺は確かにRMT相場で10万円は固いエネミーを数時間探し回って確かに捕まえた。このゲームにおけるRMTは非公式だがそんなことはどうでもいい。

 あとはこれを持ち帰るだけだと意気揚々と運搬していたのだ。そしたら、突然死んだ。

 なぜ? おかしいだろう!?

 サバイバルゲームだからエネミーが出てくることは分かる。そいつに攻撃されることも。しかしあれは無いだろう。俺は敵の存在すら知る間もなくやられたのだ。そして犯人である理不尽エネミーは、俺が死んだ後でとことこ現れ、俺の死体を漁り、去っていった。PKならともかくエネミーがやっていいことではない。本当にこのゲームのバランスはどうなっているのだ!

 しかしそんなことに腹を立てるのも時間の無駄だということは分かっている。今更なのだ。

 このゲームにあるのはバグ、ラグ、ストレス。ないものは修正、バランス、そして慈悲である。耐えがたいラグ、数々のバグ、操作性などの無数のストレス要因、一向に改善されることのないそれらを乗り越えた先で、止めを刺すべく突然現れる理不尽な敵。一瞬にしてすべてを失う瞬間である。

 いや、クソゲーすぎるだろ。ばかばかしい。やめやめ。もう二度とやるものか! また明日な。

 もうとっくに俺のキャラは死んでいるというのに画面上ではいまだに派手なエフェクトが明滅している。いくら何でも過剰すぎないだろうか。鬱陶しいことこの上ない。

 しかしいくら鬱陶しくとも、このゲーム唯一にして最大の取柄であり謎でもある、RMTの相場がべらぼうに高いという事実が変わらない限りは、このゲームを本当にやめることは無いだろう。

 視線を外して気持ちを切り替えると同時に腹が鳴った。ちょうどいい、食料を買いあさりに外に繰り出すとしよう。カップ麺の一つすら切らしていたのだ。今日はどうせ外に出なければならなかった。

「痛っ!?」

 立ち上がろうとした瞬間、頬に痛みを感じて思わず手を当てた。その手には血がついている。座りっぱなしでゲームをやっていたのにいつ切ったのだろうか。乾燥で指が切れるというのはあるかもしれないが、顔が切れることなどあるのだろうか。疑問に思ったが大したことはなさそうだ。すぐに空腹による食への欲求に、意識は流れていった。


*


 一日のほとんどを自室で過ごす俺にとって、食事というものが唯一の外出の動機になる。日によってはそれすら出前や買いだめた保存食を消費することでよしとすることもあるが、今日に限っては気晴らしという意味も兼ねていた。

 あの後よくよく考えた結果、自室という狭い閉鎖空間で長時間の苦行を行った結果、肌に多大なストレスを与えてしまっていたという結論に至った。頬の傷は、きっとそれが原因だ。

 とにかくストレスを解消、心身のリフレッシュを行うためにコンビニとの往路を歩行している。思えば一週間以上引きこもっていた気がする。人の体は少しは日光を浴びる必要があると聞いたことがあるが、もしかしたらそれも要因の一つかもしれない。今のうちに目いっぱい浴びておこう。

もうすっかり日は傾いて強い西日が体の片側だけを熱心に温めてくるが、同じ日の光だ。構わないだろう。

 食料を満載したポリ袋を携えてアパートの自室へと向かっていると、通路の先から変わった服装をした女性が歩いて来た。どんな服かと言われれば、なんとなく宗教っぽい服装だと答える、そんな服。一階の住人にこんな服装をする人はいないはず。そもそもこの先にはもう俺の部屋しかない。

 つまりこの女性は、宗教勧誘とか、そういった系のなにかしらだろう。改めて見てみると立ち止まって明らかにこちらを凝視している。思わず見とれてしまうほどきれいな顔も、勧誘の成功率を上げるためのいわば男性特攻のようなものだ。絡まれないためにも、できるだけ刺激しないようにすれ違うしかない。この突発的ストリートファイト、負けるわけにはいかない。

 などと勝手に一人で盛り上がっていた割に暫定シスターとはあっさりとすれ違うことに成功した。成功したというか、ただすれ違っただけだった。彼女は俺が通り過ぎる間もなぜか立ち止まったままで、さりとて声をかけてくることも無かった。そもそも変わった服装というだけで宗教勧誘だというのは考えすぎだったのかもしれない。

 ではなぜ俺の部屋しかない方向から歩いてきたのか。

 それは……おそらく道を間違えたのだ。違うかもしれないが、いづれにせよ俺には関係ない。だからこれ以上考えても無駄だろう。

 

*


 アパートの部屋の扉をくぐったとき初めに感じたのは違和感だった。初めは部屋を間違えたのかと思ったが、この混沌と散らかった廊下は間違いなく俺の部屋である。違っていたらそもそも部屋に入ることはできない。カギは……そういえば開けた覚えはないが、締めなかっただろうか。盗まれて困るものもないのでそこは重要じゃない。

 違和感の正体は、匂いだった。香り、と言い換えた方がいいかもしれない。明らかに男の一人部屋から漂うことのない香りがする。端的に言えば、いい香りがする。

 さらにはこの廊下、もともと汚れているのでわかりずらいが、足跡に見える。

 そして何よりおかしいのが、数年間開かれることのなかった押入れが開いている。

 これは俺がいない間に何かあったのは言うまでもない。一番最初に浮かび上がるのは空き巣が入ったという線だ。しかしこの部屋で価値があるものといえば部屋の一角を占有するpcしかないだろう。しかしそこに関しては真っ先に問題ないことを確認済みだ。

では一体この状況は何なのか。食料の入ったポリ袋を足元に置いて考えた。まずは自分の臭いしかしないはずの部屋で嗅ぎなれない香りだ。匂いのもとをたどった結果、たどり着いたのはトイレだった。扉が開けっ放しだったために芳香剤の香りがトイレの外まで漂ってしまっていたらしい。

 次に廊下の足跡だが、実は部屋に入るために通ったとき、チラシやらポリ袋やらを踏んでそれらが複雑に絡み合って動いた結果、足跡に見えた汚れは消息を絶ち、見つかることはなかった。

 さきほどもそうだったが、一人でいる時間が長いせいか益体もない茶番というか、一人遊びをする変な癖がついてしまっているのかもしれない。一人でいると独り言が多くなると言うが、似たようなものだろうか。

 しかし最後の問題、押入れが開いている。これについては本当に謎だった。数々の不用品を詰め込みに詰め込んだことでここはすでに満員であり、新たな住人を受け入れることは無いのだ。だからこそ締め切ったまま、この部屋における実質的な壁という扱いだった。それが開いている。いくら何でもこれはおかしいのだ。

 いつの間にか日は沈み、部屋の中も暗闇に包まれていく。電気をつけようとスイッチに手を伸ばしたが、明かりはつかなかった。そういえば部屋のシーリングライトは先日壊れたのだった。

 光源を確保すべく今度はpcの電源に手を伸ばしかけたところで、いまだに開きっぱなしの押入れがどうも気になった。いつも閉まっている押入れが開いているのが気になるというか気にくわない。気になってしょうがないので先にこちらを閉めることにした。もしこれが空き巣の仕業だったとしたらさぞがっかりしたことだろう。無駄足だったな、ざまあみろ。いもしない空き巣へ思いを馳せながら押入れに手を伸ばした。

 あ、そういえばこの辺踏んで大丈夫だったかな。暗くてよく見えないが、確かこのあたりの床は今後使われることのない古紙の類が散乱していたはずだ。足を滑らせたら大変だ。

 そんな考えがよぎったときには既に体はバランスを崩して勢いよく押入れに放り出されていた。

 何の衝撃も感じないまま、なぜか意識だけが遠のいていった。

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