薬草学院の御庭番 門を開く者
みちふむ
第1話 門を開く(1)
薬草。
それは中世ヨーロッパの教会の庭には貧しい人を癒すために植えられていたという。古代エジプトのケシ栽培。シルクロードを通った漢方薬。それらには全て人類の叡智と歴史が存在している。
西暦三千年世。地球温暖化により環境が著しく変化し冷涼な環境が減った世界。これらに育つ薬草や海藻は大きく激減した。それでも北限に近い土地や山岳地帯などではまだ野生の薬草が見受けられたが、地球全体を揺るがす大地震が勃発した。
津波、火山の噴火、川の洪水、地形の変化。さらに南極の氷が溶け海面が急上昇した。日本においては関東平野が水没。北関東が港となった。日本海側の海抜の高い地域は現存したが、地形は一変してしまった。
さらに追い討ちをかけるように新ウィルスの出没によるパンデミック。発生の事実を隠滅しようとした第三国に対し、諸外国はこれに反発。以来、冷戦となる。
日本国では土地が隆起し、川で寸断されたため、時の政権は感染対策のためエリアを五つに分け人々の行き来を禁じる「往来禁止法」を発令する。
薬草地帯が残った日本海側のエリアは真緑国。火山地域は火の国。湖は水延。平野が広がる土の国。金の産出がある金の国。これらは物流以外の往来は基本禁止となった。
新ウィルスの突然変異に対し冷戦の影響によりワクチン生産が追いつかないため、この往来禁止法は百年間も続けられた。
西暦三千年の幕開けは、この法律の終わりを告げることから始まった。
王立薬草学院。本校の優秀者は薬草大学に進み多くが医療省薬草部に配属となり薬草師となっている。薬草師は薬草を用い薬を作るだけではない。新たな薬草の発見や苗の育成も重要な国家任務である。
学びにおいては古き悪しき伝統が遵守され、いまだに真緑国出身者しか入学を許されていない。さらに両親のデータも留意される。が、これは特権階級の権力濫用ではない。
薬草学は門外不出。薬学は人々の病を治し、さらには戦争に使用される武器となる。命に関わるこの知識。先人達はこの学びを大いに恐れた結果である。
この学院に入学を許された者。それは真緑国の光と称される。
その光には常に、静かな影が存在している。
1
「ほら、早く」
「いやだ。行きたくない」
入学式、正門前。桜が誘う並木道。制服がぎこちない生徒達や保護者が立ち止まり記念撮影をしている。時間前、まだ少ない参加者の中、正門を潜った新入生の男子は付き添いの女性に袖を引かれていた。
母親にしては若い女はスーツ姿。新入生の彼は長身だがまだあどけなさが残る面立ち。彼は不貞腐れるようにベンチに座った。彼女は腕を組んで彼を呆れて見ていた。
「わがまま言わないのよ」
「姉さんは本当にそれでいいのかい」
「このスーツ。そんなにおかしい?」
「違うよ!本気でここで働く気かよ」
彼は姉を睨んでいた。姉はというとけろりとした顔で長い髪を春風にかき上げていた。細いウエストを意識した紺色のスーツは地味だった。目立った化粧はしていないようだが、透明感のある娘。美人というよりも綺麗、というの印象。弟の方というと、亜麻色の髪に優しい面立ち。投げ出した長い足。薬草学院の黒の制服がよく似合っていた。
「ええ、そうよ。一緒に通えるからよかったじゃないの」
「一緒じゃないだろう!姉さんだってやっぱり」
「征志郎、落ち着きなさい」
彼女はそっと彼の隣に座った。足元にはピンクの花びらがヒラヒラと待っていた。
「これは私が望んだことよ。だって、私も通えるんですもの」
「でも仕事だよ。姉さん。俺、やっぱり悔しくて」
俯く征志郎に彼女は優しく肩に手を添えた。彼はここからグスグスが長いことは彼女はよく知っていた。
「もういいって言ったでしょう?それにね、姉さんの代わりにたくさん勉強してくるって約束でしょ?忘れたの?」
「忘れてない」
「はい。よくできました」
嬉しそうに背を叩く姉に弟は深いため息をついた。
「またそうやって騙そうとしている……」
「そんなことないわ。本当に期待しているんだから」
「何を期待しているんだよ。姉さんみたいにできないよ」
ふんぞり返った征志郎の手を彼女はギュと握った。
「できるわ。だってあなたは私の弟でしょう?なんだってできますよ」
「……まあ、そうだけど。あ!」
彼はここで同じ中学出身の友人を見つけた。彼女は行って来いと彼を送り出した。
駆けていく弟に彼女はほっと胸を撫で下ろしていた。
まだ時間が早いか。
保護者が参列する式であるが、彼女はその前に用事があった。彼女は時間潰しに学院内の庭を歩いていた。
◇◇◇
正門を左に進むと校舎や体育館が並ぶ。それを超えると広々とした農園が広がっていた。蔦が這う老舗の学院の外見は古いがその中身は近代的に整備されている。屋根の上の太陽光パネル。構内を流れる川。この流れを利用した水力発電。他にもどこからか動物の鳴き声がしてきた。賑やかな玄関を他所にここだけは別世界のように静かだった。彼女はこれに誘われてガラスでできた小さな温室に足を踏み入れた。
いい空気。酸素が濃いな。
胸の高さの棚にはびっしりと緑の苗が並んでいた。その若草に彼女は微笑んでいた。
「誰だ」
「すいません。勝手に入ってしまいました」
声はするが人の姿は見えなった。彼女が辺りを見渡すとこっちと手を振るのが見えた。彼女は近く付くとそこにいたのは男性だった。白衣姿の大きなタイヤの車椅子。この彼の低さのために彼女は彼が発見できなかったと気がついた。
「保護者の方?」
「そうでもありますが。私は今日からお世話になる職員です」
彼の胸の名札には橘とあった。白髪まじりであるが顔は若い。まだ二十歳くらいであろうか。彼女はすっと背筋を伸ばした。
「
「ああ。そういえば、今日から一人増えるとか言ってましたね」
橘は結月に構わず苗を確認し始めた。彼女もこれを見つめた。
「これは『王の花』ですか」
「そうです。よくわかりましたね」
「実家の庭にもありましたので」
結月は懐かしそうに室内を見渡した。橘は手を停めた。彼の顔は結月の胸にあたる。彼はすっと彼女を見上げた。王の花。これは大変珍しい物である。それを育てていたと話す彼女に橘はやっと関心を持った。
この学校で教える薬草学とは、調合や薬の生成の他に、薬草を発見し育てる、という課題がある。調合や生成は決まられた手法でやればいいので、覚えてしまえば難しくない。それよりも薬草の発見や育成が難しい。それにはまず薬草を覚えなくてならない。何百種類の草花。これらを覚えるのにまずは数年かかるとされる。
薬草学院の入学テストでこれらがあるため生徒達は知識はあるが、経験には敵わうはずもない。この学院には橘のように育成している職員は多数存在する。
「柊、そうか。君は柊博士のお孫さんの」
顎に手を当てた橘に結月はうなづいた。
「はい。それにしても、凄い種類ですね」
「ここは薬草学院だからね。これでも足りないくらいだよ」
生徒が実験に使用すればまた育てなければならない。薬草の管理に終わりはないのだ。肩を竦める橘に結月は珍しく笑った。
「そうですね。やりがいがありそうです」
橘は車椅子を押し、結月を案内しようとした。が、ここでチャイムが鳴った。
「いけない?私、もう行かないと」
気がつけばギリギリの時刻。彼女は慌てて出口へ向かった。弟の入学式。さらには自分就任初日。遅刻するわけには行かない。
「職員室はこっちの出口が早いよ」
「はい!ありがとうございます」
風のように駆け抜けた結月。橘はその背をじっと見ていた。
◇◇◇
迷わず職員室に出向いた結月は職員玄関にいた男性に捕まった。
「おい。どこに行っていたんだ」
「まだ遅刻じゃないですよ」
男性は結月を顎で呼ぶと一緒に職員室まで歩き出した。大柄の筋肉隆々の男性は彼女に歩みを合わせることなく進んでいった。彼の背後を歩く結月を廊下にいた在校生は繁々と見ていた。その目は結月という女性を入学式の保護者なのか。転校生なのか、という好奇心の目だった。
自分と歳がそう変わらない女子生徒達の目線を浴びながら結月は彼の背について行った。
すると広い背がボソと低くつぶやいた。
「俺は入学式に出るからお前の面倒は見れないから」
「不要です。どうぞご自分の任務を遂行ください」
「可愛くないな……。まあ、お前なら平気か」
少し顎髭が見える彼はそう言って職員室の扉を開けた。挨拶してから入ったが、職員達はこれから始まる式に気忙しくしていた。ある教師は胸に花の印をつけていた。新一年の担任。緊張気味の教師に結月は素知らぬふりをした。やがて彼は結月を紹介した。
「教頭。今日から入った柊ですが」
「おはようございます、お世話になります」
「ああ。柊さんですか。こちらにどうぞ」
教頭が則した職員室の客間。そこには今日から着任する他の教師が座っていた。落ち着きなく若い男性と女性は下を向いて座っていた。結月も一緒にこの席に座って時間まで待つことにした。教頭は忙しく席を外し新人三人だけになった。結月の対面に座る彼女は自己紹介をはじめた。
「私、
「柊結月です」
「自分は
真面目そうな二人の挨拶。薬草学院の教師ともなると有能な人材のはず。結月は柏原の振る舞いを見ていた。色白。少しふくよかな雰囲気に人の良さが滲み出ている。恐らく彼女は良い所のお嬢様なのだろう、とは思った。椎名に至っては磨かれた革靴。身なりの良いスーツ。彼もまたエリートなのだろう。しかし膝の上で握られた拳。この拳は緊張なのか。先に柏に挨拶をされたことによる苛立ちか。そっと顔を見るとそこは汗だくだ。これにより結月は椎名は単純にいっぱいいっぱいなのだと推察した。
「ところで。椎名さん。私達、これからどうなるんですかね」
「さっきの教頭先生の話では学校の職員紹介の時に、名前を呼ばれるって話でしたよね」
「そ、そうでしたっけ?」
大丈夫なのか?あまりの緊張の二人に結月の方が心配になってきた。しかし、自分には関係ないことだった。やがて部屋に教頭が呼びにきた。
「さあ。いきましょか。柏原さん、椎名くん」
「はい。でも、あの柊さんは?」
「……彼女は正職員ではありませんので」
戸惑う柏原に結月は申し訳なくなった。そして急かす教頭に立ち上がった。
「教頭先生。私は保護者として参加してもよろしいですか」
「そ、そうでしたね。これはすいません」
汗拭く教頭。悪意はなく単に忘れていたようだ。ここで許可を得た結月は彼らや転任してきた教師とともに入学式の会場に入った。しかし。結月は1組と書かれた椅子の最後尾に座った。あまりにも若い保護者の自分。今はここが一番座り心地よかった。
◇◇◇
式の最中。気分を悪くした女子生徒が倒れてしまったが式は続行された。入学トップの成績の女子生徒の挨拶を結月は聞いていた。それは素晴らしい文面であったが、結月にはどこか空々しい内容に響いていた。
結月にとって薬草は優しいものでは無い。その効能も育成もハードであり毒であると捉えている。女子生徒の優等生の答辞ではそれらに触れられたものではなかった。これから学ぶものはそんなものか、と結月は学院長の挨拶に顔をあげた。
「皆さん。ようこそ我が王立薬草学院へ。私が学院長の
学生にすれば祖母の年齢であろうか。壇上の彼女は静かに微笑み話を続けた。
「我が真緑国は六芒国で唯一、自給自足が可能なエリアです。さらに我々には薬草があります」
標高が高いこの地域には高山植物も登山をしなくても見かけることができる。これを利用に栽培に成功させたのは薬草学院の初代学長だ。新入生もさることながら保護者も息を飲んで話を聞いていた。結月はそんな人達を最後尾から眺めていた。すると学長と目が合った気がした。
「本校での学び。それは許された者だけの特権です。選ばれた皆さんは、このチャンスをどうぞ生かして下さい」
選ばれた皆さん、か。壇上からの威圧的な目つき。結月は目を逸らさず学院長を見ていた。
赤い衣の老齢の彼女。結月は集中して見つめた。
挨拶を終えた椚は静かに壇を降りた。やがて校歌を歌い入学式はスケジュール通りに終了となった。ここで司会の教頭がマイクの前に立った。
「それでは。本校の職員をご紹介します。学院長の椚香代、そして教頭の私、杉下です」
呼ばれた教職員は立ち上がり会釈をした。彼らは横一列に並び座っていたはずだが、生徒指導のために立っている教師もいた。多くはベテラン教師で年配者が多く見受けられた。
「……新規採用の柏琴、同じく新規の椎名仁志」
はい!と起立する初々しい二人。結月は保護者の目線で座っていた。
「以上、職員の紹介は終了です。これより記念撮影になりますので、皆様はそのままお待ちください」
呼ばれるわけがない、か。
この待遇。この学校が自分をどう思っているか答えをもらったようなものだ。
生徒でもなく、正式な教員ではない。ただの庭師。
やれやれと肩を落とした結月であるが、会場の設定のため教師達は一斉にバタバタ動き出した。柏原と椎名は座ったままで待機。長い間じっと座っていた結月は最後尾をいい事に人目を気にせずうーんと背伸びをした。
◇◇◇
「姉さんはどうして呼ばれなかったの」
「直接生徒に関係ないからじゃないの」
「でも、ひどいよ」
写真を撮り終えた一組。生徒は教室に行く流れだった。保護者は退場というアナウンスに結月は職員室に行くと征志郎に声をかけた。外で待つという弟に先に帰るように笑みを渡し彼女は廊下を進んだ。
職員室には無事に式を終え、ホッとした雰囲気が漂っていた。担任を持つ教師はまだ教室で職務中、新人の柏原と椎名は慣れない己のデスクに座っていた。後から入ってきた結月はコーヒーを飲んでいた教頭に挨拶を済ませた。
「ご配慮ありがとうございました。弟の式に参加させていただいて」
「もちろんですよ。それにしても惜しかったですな」
成績重視の世界。征志郎は次席の成績であったことを教頭は残念そうに語った。これに教務主任が食いついてきた。
「しかし、征志郎君は男子ではトップですので。これから期待していますよ」
「ありがとうございます。ところで」
今日のこの後の流れを結月は確認したかった。仕事はなく、明日からが本番だったはず。せっかちなのは否定できないが、どこかのんびりしている教師達に心ではイラとしていた。すると職員室内の学院長室のドアが開いた。
「皆さん。お疲れ様でした」
お疲れ様でした、と一同は首を垂れた。椚は職員会議の前に、自室に来るようにと三人を招き入れた。
薬草学院の学院長の部屋。古い蔵本。壁には校舎を象った押し花の作品が飾られていた。生けられたハーブはタイム。白い地味な小花は豪華なこの部屋には不向き。緊張している柏原と椎名をよそに結月は花言葉を思い出していた。確か、勇気だったと思う。目の前の猛女には似合わない言葉だった。
自分のデスク前に三人を立たせた椚は、指を目の前にクロスさせながら話し出した。
「どう、柏原さん緊張した?」
「は、はい」
「椎名君も?感想を聞かせて」
「はい。まだ感想まで申せません。」
声が上ずる二人。彼らにふと笑みをこぼした椚は結月を無視して話し出した。
「いいですか。生徒達は大切な未来の宝です。年が近いお二人は、誠心誠意、彼らに尽くしてくださいね」
はいと律する柏原と椎名。これに結月も従った。窓の外からは生徒達の楽しそうな話声が聞こえてきた。
「ではお戻りなさい」
失礼しました、と出て行く三人。ここで椚は結月だけを呼び止めた。
「二人は戻りなさい……。柊さんでしたね」
「はい」
二人きり。あまりの静けさに生徒達の声がやけに響いていた。椚は先ほどの面を変えて冷たい顔をした。
「お前の事は理解していますが、納得はしていません」
「はい」
冷たい声。これが彼女の本心だ。そういう結月も猫かぶるつもりはない。この態度が椚には気に入らないとしても。
鋭い眼力。真っ赤な衣を身に纏った老齢の彼女は元薬草師である。彼女の時代、女で薬草師を志すのは大変な事だ。女薬草師の先駆者。結婚せずその身を薬草師に捧げた彼女の強い信念。この思いが圧となり結月にぶつけられているようだった。
「薬草師でもない若いお前が本校の職員になるとは。本校発足依頼、前例のないことです。まさか私の代でこんなことが起こるとは」
嘆く椚。こういう相手は文句を言いたいだけ。結月は何も言わずに耐える体裁を選んだ。
「……しかし。これは命令です。お前も私も、これに従わねばなりません」
椚がそう言うと立ち上がった。苦しそうな歩み。体が痛むのか、それとも身体か。もがくような椚は結月に背を向けた。
「はい。胸に刻み、仕事に邁進します」
「弟は確かに預かりますが、お前の仕事は庭仕事。決してそこを忘れるるでない」
「はい」
結月は頭を下げて退室した。椚はこれに背を向けたままだった。
◇◇◇
「姉さん。こっち」
「征志郎、帰ってなさいって言ったでしょう」
「だって、今終わったんだよ」
まるで子犬のような弟に結月は呆れて靴を履き替えた。ホームルームを終えて出てきたばかりという征志郎の背後には中学から一緒の男友人達の顔が見えた。
「あ。結月だ」
「元気だった?」
征志郎の友人。
「良かった……って。ねえ、時長って背が伸びたのし。蓮ってそんな声だっけ?」
「はっはっは。そろそろ結月を越せそうだし」
小柄だった時長の高身長に驚く結月。この時、蓮はふざけて耳元でささやいた。
「結月こそ。綺麗になったじゃん」
「キャ?くすぐったい!?」
「お前ら!姉さんから今すぐ離れろ!」
慌てて間に入り怒り出す征志郎。冗談だと二人は笑った。幼い時からの友人二人が同じクラス。これに彼女はほっとしていた。この綺麗な横顔を時長はじっと見ていた。
「って言うか。結月もこの学校の先生で、これから一緒なんだろう?でもさ、さっきの紹介になかったけど」
「私は庭師で先生じゃないよ」
「そうなの?俺、どんな授業するのか楽しみだったのに」
「さあもういいだろ。姉さん、帰ろう」
征志郎は姉の腕を掴んだ。人見知りの彼。本日の高校デビューは相当ハードだったと思う。まだ保護者もいる玄関で結月は一緒に歩き出した。この仲良しの姉弟は駅まで歩き出した。さすがに腕を解いた弟から結月はクラスの様子を聞き出した。
「先生はどういう人?他には必要なものはない?」
「用意は自分でするからいいよ。先生はね。片桐さんになった」
「あ、そう」
こうなると思っていたが結月は黙っていた。良かったのか悪かったのか。まあ、知り合いで助かったと思うべきだと思った。やがて二人は春風の道、信号待ちで停まっていた。背後からは二人の女子生徒の声がしてきた。彼女の母親達はどうもと会釈した。結月もこれに倣った。
「あの。すいません。柊君。同じ一組ですよね」
「僕と?」
「はい私。同じ1組の
「私は
内向的な征志郎のクラスメイト女子。楠といえば、染物の家か。椿原は油の家だった気がする。まあ知り合いは多い方が良いと結月は判断した。
「こちらこそ。ほら、征志郎」
「どうも、よろしく」
やがて青になったシグナル。一年生同士を先に歩かせた背後の結月は母親達と歩き出した。
「ところで。お二人は姉弟なんですか」
「はい。本日は親が所用のため、私が代わりなんです」
これは本当の事。結月の答えに映美の母は目を瞬かせた。
「それにしても。お若いわ。失礼ですけど、おいくつ離れていらっしゃるの?」
「そんなに若く見えますか?ふふふ」
それは真実だった。結月は三歳上の十九歳の姉。彼女がこの学校に通っていてもなんらおかしくはないのだから。だがそうなると結月の正体などあれこれうるさくなる。面倒な彼女は話題をこれからの話にすり替えた。
「それよりも。すぐにテストがあるそうですね」
「そうなんですか?うちの子、大丈夫かしら」
二人の母親が話し始めたので結月は前を歩く弟を見た。女子生徒に話しかけられてちらとこちらを見ていた。早いSOSに姉は目で叱った。
ダメよ。頑張って話して。
目で訴えると彼は仕方なく話し相手をしていた。こうして道で別れた柊姉弟は家に到着した。
「疲れた……」
「ほら、手を洗って」
研究所に勤務の父は週末しか帰ってこない。母も今はここにはいない。今夜も結月が夕食の支度をするのだった。その前に彼女は風呂を沸かし弟に入らせた。いつもの夜を過ごした。
つづく
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