誰かが嘘をついている?

人生

1 これはラブコメ。




 家の階段で足を滑らせて転げ落ち、頭を打って気を失った――らしい。


 病院で目覚めた僕は、記憶を失っていた。

 記憶喪失と言われても、ピンとこない。それが何を意味するのか、理解はできる。そうした知識はあるのだが、自分の名前も何も、思い出せない。さながら今この瞬間この世に誕生したかのような――気が付いた時、僕は病院のベッドの上にいた。


 目が覚めた時そばにいたのは、科川しながわさんという女性――大学生で、僕の家で家政婦のバイトをしているらしい。転落した僕を見つけ、救急車を呼んでくれたのも彼女だそうだ。

 僕に記憶がないと分かった彼女は戸惑いながらも、


「大事にならなくて良かったです――まあ、記憶喪失というのは一大事なんですが」


 骨折しギプスで固定された僕の手に触れ、心底から安堵したようにつぶやいた。


 まるで家族のような親密さがあって、不覚にも僕はどきどきしてしまった。

 もしかして僕と彼女は、記憶を失う以前……なんて、そんな妄想をしちゃうくらいに。




                  ■




 科川さんが去ってしばらくして、病室に再び来訪者があった。


一貴かずき……ほんとーに、何も憶えてないの?」


 名飼なかい一貴……それが、僕の名前だ。それを知っているということは、彼女も僕の関係者なのだろう。記憶喪失のことも知っているらしい。


 彼女……小柄で、気の強そうな表情をした少女は、僕の顔をじいっと見つめている。片腕片脚を骨折してほとんどベッドに縛り付けられるような格好の僕を前にして、その異状な状態よりも、ただひたすらに、食い入るように僕の顔だけに視線を注いでいた。


「……わたしのこと、ほんとに忘れたの?」


「うん……。えっと、ごめん。どちらさま……?」


二美ふみだよ。わたしに告白したの……憶えてない?」


 告白? 僕が……? それじゃあ、彼女は――


「わ、わたしにその気はなかったけど……、付き合うようになって、手も繋いだし……き、キスも、したじゃない? それ、ぜんぶ忘れちゃったの……?」


「…………」


 なんと、僕には恋人がいたのか。大人のお姉さんにどぎまぎしていたものだから、てっきりそういう経験はないとばかり。


「い、一緒に暮らしてる……許嫁なんだよわたしたち!? そんな相手の顔も名前も忘れたっていうの!?」


 お、おおう……。まさか同棲までしていたとは。美人なお手伝いさんも侍らせているなんて、改めて考えると結構な生活してたんだな、記憶を失う前の僕。


「もう、知らない……!」


「あっ、ちょっ――行っちゃった……」


 僕が悪い……のだろうか。怒らせてしまったようだ。同棲しているということは、退院し、家に帰ったら顔をあわせることになるのだろう。気まずいな。




                  ■




 いくつかの検査等を終え、数日後。僕は退院し、家に帰ることになった。


 科川さんに付き添われて向かった先は、高級住宅街にある一軒家。お年寄りでもあるまいし、健全な若者が足を滑らせて転落、骨折するほどの階段があるに相応しい広々とした住宅だった。


 自宅には例の許嫁と、もう一人、小学生くらいの女の子の姿があった。


 その子の名前はみつみちゃん。どうやら、僕の妹らしい。


 両親の姿はなかった。家族写真が飾られていて、そこにはこの家のリビングを背景に、父親と思しき男性と、母親と思しき若い女性、それから僕とみつみちゃん、二美ちゃん、科川さんが映っている。

 聞けば、両親は現在、何かの懸賞で当たった旅行券で海外旅行中であるらしい。僕が事故に遭い、記憶喪失になったこともまだ伝えていないという。

 そして、二人はまだ帰ってこないらしい。


 つまり、僕はほとんど知り合ったばかりの他人も同然の三人の女の子と一つ屋根の下で暮らすことになるのである。


 ……我ながら、なんだこのラブコメ、と苦笑したくなるシチュエーションだが――



『誰も信じてはダメ』



 自室にあったスマートフォン。指紋認証で偶然ロックが解除されたそれに通知されていたメッセージにはこうあった。



『妹があなたを狙ってる』



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