神神の微笑。流離譚-火之夜編-

八五三(はちごさん)

第零話

 美しい新緑に囲まれた湖に一人のひどく疲れた顔をした長身の男が立っていた。

 全身、ズブ濡れで。


「水泳の授業で着衣水泳、学んでおいてよかったよ」


 まさか。

 釣り堀に落ちたら異世界の湖に繋がっているとは。

 これ如何いかに。

 と、言うか。

 淡島あわしま、姉さんはいいとしても……蛭児ひるこ、兄さん……泳げないからな……いまごろ、水死体になってたりして……。

 まぁ、大丈夫か。

 ちゃんと救命胴衣フル装備して、釣り堀に行ってたし、蛭児、兄さん。

 それよりも、淡島、姉さん……はっちゃけ、て、ないよ、ね……異世界だからって……。


「く、しゅん!」


 その姿から想像できないほどに、幼さを感じさせる可愛らしい、くしゃみを一つする、長身の男。


「さ、寒い」


 と、呟きながら身震いをした。

 全身に纏わりつく衣服に視線と首を向け、上半身の服を指先でつまみ引っ張る。

 ――不快。

 

 長身の男は深呼吸をすると全身から淡い光がはっしだす。

 男の着ている衣服から水蒸気が立ち昇り始め――数分もしないうちに衣服は乾燥を終える。

 濡れたいた髪を確認するように、かき上げると――――美貌びぼうの少年。

 高身長でしっかりとした体躯が実年齢よりも大人の雰囲気を創り出し、つややかな腰まで伸びた黒い髪がより一層、美貌に拍車をかけていた。

 なによりも少年の美貌を最高に演出しているのは瞳の色。

 両眼の虹彩が地獄の業火を彷彿とされるほどに、真っ赤に染められていた。それが、この美貌の少年をより神秘的なモノにさせていた。

 ただし、顔立ちは年相応のあどけなさが、あった。

 

 美しい青碧せいへきの木々たちと美少年の立ち姿を映し出す湖、その光景は有名な絵画を想わせた。

 一陣の風が湖の水面とそれを囲む木々たちを揺らしながら、少年の髪を優しくなでる、と、同時に五感のうちの二つを刺激する。

 少年の幼い顔が一瞬、獰猛な獣の顔に。


「人の声と……血の臭い……」

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