とある日のこと

若子

じゃがりこ焼きチーズ味

 衝撃的な出会いだった。じゃがりこの新味、焼きチーズ味との出会いは、さして情熱的でもドラマチックでもなんでもないものであったが、口に入れた瞬間私はこのなんでもない出会いに感謝した。

 ただ肉まんを頬張りたくてコンビニに行ったんだけどなあ、と思いながら、一本を取って眺める。吐いた息が白くなるほどに寒い学校帰りに頬張る肉まんはさぞ幸せな気持ちになるだろう。最近は本当に寒くていけない。うきうきしながらも登下校に使う自転車のサドルがいやに冷たくて鬱々としていた中、近くのコンビニに入るなり私の目に飛び込んできたじゃがりこの新商品、期間限定という文言は私の気持ちを高揚させるには十分であった。一年前は高校生が居座り騒いでいたが最近めっきりその姿を見なくなったイートインスペースを横目に、家へと急ぐ。肉まんは買い忘れた。

 よく売られているチーズ味よりも深い色合いをしたそれは、口に入れなければその良さが分からない。チーズの濃厚な香りを逃さぬよう、自身の周囲に香りを留めているその姿はとても健気であったが、しかしその味は全く健気ではなかった。蛇である。一口食べれば最後、二度と離してはくれない。食べてしまえば、その味を忘れさせてはくれない。ふとした瞬間にぼんやりと、「ああ、またあの味が食べたい」と思ってしまうのだ。ダイエットの強敵である。今私の目の前には二個ほど空になってしまったじゃがりこがある。おいしいのだから仕方ない。

 どんな味なのか。私はそれを書くにあたってこれを芋だと形容するには強い抵抗感があった。これは芋ではない。じゃがいもではない。チーズだ。紛うことなき焼きチーズなのだ。実際にチーズをオーブンレンジで焼いてみたことはあるだろうか。少しばかり爆発したそのチーズを頬張っているような感覚である。バリバリと子気味良い音と共に広がるチーズの旨味。口にその細い棒を持って行くほど濃くなっていくその味に手を止めることが出来ない。少し鼻から息を吐こうものなら乳臭い香りが抜けていく。口も鼻もチーズが覆っていく。チーズに包まれている。私はそのことに妙な安心感を覚えた。安心感ではなく幸福感だろうか。なにはともあれチーズは正義である。

 期間限定、とのことだったのでいつまでこれは売っているのだろうかと調べてみれば、今年の三月中旬までということだった。まだまだ期間はある。が、買いだめをしておくべきだろうか。そう考えて首を振った。終わりがあるのだとすればそれに従うのが美しいだろう。ずるずるともう終わってしまったものを引きずることのなんと虚しいことか。……ただまあ、買いだめ目的ではなく消費目的だったらいいだろう。あわよくばレギュラー入りしてはくれないか。終わりを決めるのは生産者である。それでも、望んでしまうことだけは許してほしい。消費物に対してどのような思いを抱くかは、消費者に与えられた数少ない自由なのだから。

 ああ、食べ終わってしまった。また買いに行こうか。コンビニに行けばまた別の出会いがあるかもしれない。これだからコンビニに行くのはやめられないのだ。

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