魔性

※※※BLオメガバースですご注意ください※※※



「回診にきましたー。てか、服を着てください。病衣持ってきますね」


 目の前の全裸の男は、注意されたにもかかわらず、楽しそうに目を細めた。


「まだ着ていないのがあるから、いらないよ。わざわざ身の回りの世話まで先生がしてくれるなんて、甲斐甲斐しいね。じゃあ、パンツ履かせてくれる?ゆうセンセ」


 男はベッドに腰掛け、右足を差し出した。


 なんでこんな事に……これまでの自分の行いを振り返る。


 親の経営する産科病院を継ぐため、深く考えずに産科の医師になった。行き過ぎた人権の歪みを修正するかのように、人類は思いもよらない方向へ進化し、性別に関係なく出産ができるようになった現代。しかし、元々そうなるようにできていないΩの男性の出産は、女性のそれよりもリスクが大きい。そうした出産に多数立ち会ううちに、人間らしいやさしさや恋愛感情、劣情は麻痺していった。


 そうなりながらも仕事をこなす矢先、勤務する公立病院の院内研究チームに入らないかと声をかけられた。患者やその関係者、人と話すことに疲れていたので、喜んで誘いに乗った結果がこれだ。


「下の名前で呼ぶのやめてください。それで、下着はどこにあるんですか?」


「まじで? 履かせてくれんの? あー……無いかも」


 目の前にいる、まるでサウナの中にいるような出立の男は、研究対象の零さんだ。彼自身はαだが、ヒート期のΩ同様の強烈なフェロモンを常時発生させる特異体質だ。しかもΩと違い、社会活動も並行して行うことができるため、トラブルが後を絶たない。しかし、全て同意の上でのことなので犯罪性はなく、法の裁きで閉じ込めることはできない。そのため医療の研究に協力してもらうという体で病院にいて貰っていた。


「ねぇねぇ、夕先生。パンツ買ってきてちょうだい。俺に似合うやつ」


「嫌です。なんだかんだ言って履かないでしょ? さあ、体温測りますよ」


 体温計を手渡す時、手と手が触れ合う。その途端、心拍数が上昇した。

 無駄なやり取りで、思いの外長居しすぎたようだ。目眩すらしてきて、こめかみを押さえ俯く。しっかりしなければ。


「まあいいや。先生、熱測ってよ」


 気がつくと零は立ち上がっていて、そのまま両肩を掴まれ壁に押し付けられる。驚いて顔を上げると、額と額を合わせてきた。


「熱、どう? あれ? 熱測るのおでこじゃ無いっけ? 舌かな」


 彼は俺の右肩を押す手にさらに力を込め、反対の手を顎に添えた。鼻先で吐息を感じ、無意識で口を開く。まずい。こいつ相手に呑気に会話なんかするんじゃなかった。余裕がないので、ポケットに入れておいた粉末を乱暴にぶちまける。


 目と鼻、口。全ての粘膜に鋭い痛みが走る。


「ゲホッ。うわ、痛ッ。ナニコレ先生?」


「ホルモン抑制剤だけじゃ心もとないから持ってきてよかったよ。粉わさび。ゲホっ。悪いけど自分で掃除してくれない? 熱も測って書いといて」


 わさびの効果は抜群だ。しかし、自分も相当のダメージを食らった。体温計をベッドに放り投げ、ドクターコートの襟を直す。


「急に冷たいなぁ」

 

「当たり前だよ。何してくれてんだよ」


 怒りに任せて病室を後にする。背後から「先生、またね」と呑気な声が聞こえた。


 もう来ねぇよ。と言いかけたが、担当なので来ないわけにはいかない。明日の回診が憂鬱だ。

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