時売屋~時間、いりませんか?

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時売屋~時間、いりませんか?~①母親と愛娘

繁華街のはずれにある、小さな、古びた木造の家。朽ち過ぎていて、お世辞にも、趣があるとは言えたものでない。そんな近寄りがたい建物に、今日も1人、すがるように入っていった。


 時間がないなら、




 「すみませ……………」


 時売屋の引き戸を恐る恐る開けたのは、細身の女性だ。気品があり、お召し物も高級そうだが、顔は分かりやすくやつれていた。


 私、時売屋を営んでおります、おじさんです。名前は、内緒です。ふふ、魅惑的ですか?つばの大きい帽子を被り、ひげも生やしっぱなし、いつもうつむきがちに話すので、少し、来た人には引かれますが。もちろん、年齢も不詳で。


 その女性は、私のことを見て、目を見開きました。まあ、誰でも同じ反応をされるので、慣れました。


「…………本当にあるんですね。」


「ええ、もちろん。どうぞコチラヘ。」


そう言って中に招き入れ、椅子に座らせる。中は三畳ほどで、とても狭く、取り調べのように机を挟み座ってもらう。女性は、これまたお上品にゆっくりと座る。失礼だが、年は40代くらいだろうか。痩せこけた頬には、しっかりお化粧してある。


「すみません、失礼なことを。外観は本当にやって無さそうだったし………。口コミで聞いて。すがる思いで来たんです。」


「そうですか。うちは確かにホームページなどもないですし、ここに来た人全員にインターネットにこの店をあげぬよう、喚起しておりますので。口コミで広がっているのですね。口コミはとてもありがたいですね。お客さんが増えますかねえ。」 


ほほほ。と、笑うと、お客さんも苦し紛れに笑った。


「すみません長々と。早速本題へ入りましょう。本日は、どういったご用件で?」


「あの。時間を、売ってほしいんです。」


「ええ。それは分かってますよ。ここ、時売屋なので。どういった経緯で、ここへ?」


ここに来たら、どのようなことに時間を使うのかを聞く。どんな時間の使い方でももちろん売るが、この店では聞くのがお決まり。


「当時14歳の娘が、夜中に、家を抜け出して、海で溺れて。2年間、意識が戻らないんです。植物状態で………。脳に損傷ができて。で、その治療が確立するのが30年後みたいで。」


「ほう。」


これは、重い案件だ。


「娘の30年間が寝たきりの空白の時間じゃ、もったいないじゃないですか。もっとたくさんの経験させたいじゃないですか。だって、30年後、彼女は46歳ですよ?ピアノでたくさん賞とったり、イラストが得意で、かわいい物が大好きでっ………………!」


女性の目からは涙が一粒落ちてくる。机に跳ね、そこには、心配と不安が読み取れた。


 こういうお客さんは、多い。


「もっともっと、青春を、謳歌してほしいんですっ………………!!」


「なるほど………………。」


ノートに話をメモる。もう長い間使っているノート。紙が黄ばんでいる。


「そうですか。では、お売りするのは30年の時間でよろしいですか?」


「………ええ。お願いします。」


「分かりました。うちは、1分単位でやっておりまして、1分10円で売っています。計算したところ…………………1億5768万円ですが。よろしいですか?」


「ええ。お金はいくらでも払うわ。」


「かしこまりました。現金のみ、なのですが……………」


「ええ。そう聞いたから、ちゃんと現金で持ってきたし、計算もしといたの。たぶんぴったり入っているはずよ。………このケースごとあげるわ。」


女性が机の上に自慢げに置いたのは、アタッシュケース。恐る恐る開けると、たんまりとお金が。


「確認してもらっても、結構よ。」


「………いえ、大丈夫です。」


さすがにお客さんの前では確認しない。





「では、時間を売る前に、説明をしますね。」


「ええ。」


「この時間を“空間時間”と言います。これを使っても、年は取ります。30年後は娘さんは46歳です。ですが、期間が切れたとき、もう一度30年前、つまり今の時間に戻ってきます。でも、過去に戻るわけではないので、娘さんは元気に戻ってきます。年齢も遡ります。若い娘さんが、30年の時間を取り戻せます。」


女性は、分かったわ、と大きく頷いた。その顔は、安堵を表していた。


 そして私は、全員に確認することがある。


「最後に聞きます。……………本当に、空間時間を作ってしまい、大丈夫でしょうか。」


女性は、あからさまに呆れていた。


「当たり前じゃない。これで娘が、30年間を失わずに済むのよ?後悔なんて、しないでしょう。」


「そうですか…………………。では、少々、お待ちください。」


空間時間の設定の仕方は、企業秘密。ふふふ、









 「これで空間時間が出来ましたよ。」


空間時間を作るのには、10分で十分じゅうぶん。なんてね。


「ええ。ありがとうございました。これで、娘の夢が、叶います。」


「いえ、これが仕事ですので。」


女性は礼をして、「用事があるので、失礼します。」と、時売屋を後にした。





 私は先ほど、娘のために1億円かけて30年の空間時間を買った。なんてことない。私の先祖代々、大富豪で、夫は大人気作家。なので、金には困らない。娘のためになるのなら。どれだけお金を使ってでも。娘を苦しめたくない。


「ただいま、帰りました。」


「お帰りなさいませ。奥様方。」


「娘は、恵梨香は?」


 娘の恵梨香は今、自宅療養である。その方が、いつも容態を見ていられるからだ。娘が生まれてから雇っている、専用お手伝いさんは、苦笑して答えた。


「大丈夫ですよ、奥様。お医者さんも安定していると。ぜひ、顔を見に行ってください。」


「…………ええ。」


もうすぐ5時ですが、お夕飯どうしますか、と尋ねられたので、よろしく、と答えながら螺旋階段を上り、2階の恵梨香の部屋へ。




「入るわよ。」


“はーい!”


聞こえた気がした。


「恵梨香っ…………………!?」


ばぁんっとドアを開ける。だが、もちろん、あの頃のように明るい笑顔を向けてくれる恵梨香はいなかった。ベッドに横たわる恵梨香はちゃんといた。ぐっすり眠っている。安定した息づかい。


 ベッドの横に腰掛け、恵梨香の前髪を指でなぞる。


「恵梨香。今日ね、30年の空間時間を作ってもらったんだ。この30年の時間は、私しか覚えていないことになるんだけどね。この30年の記憶は私以外、皆なくなる…………。お母さん、頑張るから。30年、寿命が延びるんだけど。ずっと待ってるから。元気になったらさ、前みたいに、ショッピングしよっか。ほら、前に行ったティファニーのさ。何でも、買ってあげるから。」


頬に涙が伝う。大丈夫、大丈夫。もう安心、だから。30年、無心に、待ち続けよう。


























 30年後。恵梨香のような脳損傷を治す治療が確立した。その手術を、また多大な額をかけて手術を行った。その3日後、空間時間が終わり、私以外の人は、30年の記憶がなくなる。また、シワだらけだった恵梨香の手も、おばあちゃんだった私も、30年前に戻っていた。皆の解釈では、たった2年で手術ができたということになっている。そしてさらに一週間が過ぎ、恵梨香はようやく目覚めた。



 私が無心に願い、ずっと握っていた恵梨香の手が、ピクリと少し動く。


「恵梨香………………?」


31年越しに開く瞳は、少し、濁っていた。


「恵梨香!分かる?」


「おかあさん……………?病院?」


私は、32年ぶりに目を覚ました娘をかき集めるように抱く。


「そう………………!良かったわあ。本当に…………!」


恵梨香も驚いたように、私の背中に手を伸ばした。その表情は、喜んでいるのか何なのか分からないものだったが、自分が生きている、ということにぼう然としていた。


「そっか、私、夜の海で溺れて……………。死ななかったんだ……………。」


「そう。この2年間、頑張った。恵梨香、よく頑張ったね。そうだ、家にいるお父さんにも連絡しなくちゃ。」


このあともお父さんが来て、いつもは感情に乏しいのに、珍しく男泣きを見せたり、このあとの治療方針を告げられたりなんだりで忙しかった。


 だから、複雑な顔をしている娘のことなんて、ちっとも気づいていなかった。






 「では、おやすみなさい。」


看護師さんが、布団を引き上げ、優しく掛けてくれた。


「何かあったら、ナースコール、押してくださいね。」


そう言って立ち去る看護師さんの背中をいなくなるまで見つめる。



 今日、私は目覚めてしまった。両親も帰り、急に1人になると、思い出す。2年前の出来事。


 『きゃあっ!』


私はその頃、誰にも内緒にしていたが、学校でいじめられていた。あの日は、女子トイレに呼び出され、床へ突き飛ばされた。あっけなく尻もちをつくと、数人に、体を押さえつけられた。


『何すんのよっ…………!』


食ってかかろうと、身をよじるが、もちろんびくともしなかった。


『そんなことを言っていられるのも今のうちよ。今からあんたは醜態を晒すことになるわ。』


『っきゃあ!やめてっ…………………!』


そこまで思い出して、やめた。そこからは思い出したくもないし、とてもグロい、いじめだった。そう。それで、夜中、家を抜け出して自殺しようとした。


 私ったら。なんで2年もかけて、生き返ってしまったの…………?親を2年も心配させて………。


『良かったわあ。本当に…………!』


私が目覚めたことで、あんなにも喜んだ顔をした母の顔を見たら、死にたくなくなる。でも、あの日のいじめを抱えながら生きていくのは嫌……………!


 私は点滴をぶち抜き、立………てなかった。そりゃそうだ。2年、寝たきりだったんだから。


 でも、もう、立つ必要なんて、ないしね。


 本当は屋上とか、もっと高いところが良かったんだけど、しょうがない。この部屋の窓からで。這いつくばりながら窓のさんを必死に掴む。ん、十分、高さある。今度こそ、ちゃんと死ねる。


 あんまり余計なこと考えると、怖くなるし。


 んじゃ。さよなら。


 最後の力を振り絞り、頭から滑り落ちた。


 お父さん、お母さん。産んでくれて、ありがとう。自殺なんて、私は一生の馬鹿者だ。


 時間なんて、いらない。


 この2年間を、両親に返してあげて。

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