8-5 ラクスフェルド市街の西側

 ラクスフェルド市街の西側にある太陰門は国王騎士団によって封鎖されていたが、彼らは内から外に出る者に関して、ほとんど注意を払っていなかったようだ。半分ほど開いた落とし格子の周りには数人の国王騎士と兵士の姿があった。しかし立ちはだかる彼らのあいだを縫い、マンディは風のごとく市門を駆け抜けた。

 ナジムとペルを乗せた駿馬は街道に出てから西へと進む。それから分岐する脇道に逸れ、坂を下るとまもなく旧市街が見えてきた。以前、ペルがステラといっしょに通った道だったが、いまはそのときと様相が異なっている。道の両脇には旧市街から逃れてきた多くの人たちの姿がある。一様に身を寄せ合い、蹲り、すすり泣いている者もいた。さらにゆくと開けた場所にいくつも天幕が張られており、オーリア軍とみられる大勢の兵士が群れている。マンディがそこへさしかかると、槍を携えた兵士が出てきてゆく手を阻んだ。

「止まれ。どこへゆく?」

 自分に向けられた槍の穂先を見てナジムは目を細めた。

「この先だ」

「引き返せ。いまは誰も通せん」

「いいからどけ。許可は得ている」

「なんだとこいつ」

 ナジムの横柄な態度に近くの兵士たちが色めき立つ。

 しかし、当のナジムは微塵も動じなかった。彼は自分に向けられた槍を手で払うと、煩わしそうに言った。

「こっちは神聖騎士団の要請でここまで足を運んだんだ。おまえたちの親方は誰だ。そいつを呼んでこい」

「神聖騎士団の要請だと──」

 その場に集まったなかにいる、ひとりの男が前に出てきた。紫紺のマントにユエニの紋様をつけたフード。いうまでもなく神聖騎士団だ。

「ならば、きさまが黒犬か」

「話が通っているなら道を空けろ。いますぐにだ」

 とナジム。

「緋の妖星はどうした。まさかそこにいる子供がそうではあるまいな」

「もうじきくる。馬車でな」

「それはそれは、大層なご身分だ」

 皮肉を口にした神聖騎士団の男は、ナジムとペルをじろじろと観察するように見つめた。

「にしても、子連れでゾンビ退治とはな」

「気にするな。これはおれのおまけだ」

 言って、ナジムはペルの頭をぽんぽんと叩いた。神聖騎士団の男は肩をすくめる。そうしてから、オーリア軍の兵士に退くよう手振りで示した。

「こいつらはいい。通してやれ」

 だが、オーリア軍の兵士たちは目配せを交わすだけで誰も動こうとしない。そのうち、ひとりが前に歩み出て、

「おい、三ツ目が図に乗るなよ。だいたい、どうしておまえがおれたちに命令するんだ」

「兵は命令に服するのが仕事だろう。質問はなしだ、余計な詮索はしなくていい」

「ふざけるな。おれたちはパストリアス将軍の麾下だぞ。おまえに従う義理はねえ」

「なにをばかな……所詮は雑兵か」

 あきれた口調で言って、神聖騎士団の男がかぶっていたフードをおろす。

 強面が現れた。碧眼をした冷たく鋭い目つき。痩せて張り出した頬骨。唇の左端からは頬にかけて醜い傷跡が長く走っている。最初に反抗の口火を切ったオーリア軍の兵士も、その彼の顔貌にはやや気後れしたらしい。しかし、いまさらあとには引けない。一対多数という強みもあったろう。

 不穏な空気があたりに満ちる。と、そこへステラたちを乗せたフィリドールの馬車がやってきた。

 マンディの後ろに停まった箱馬車より顔を覗かせたアイシャが、道の真ん中で大勢の兵士と睨み合っている仲間を見つけた。すぐに彼女は箱から降りて、そちらへ小走りに駆け寄る。

「よせ、ネリ。いったいなにごとだ」

「つまらん縄張り意識だ。こいつらパストリアスの飼い犬なんで、主人以外に命令されるのが気にくわないとさ」

 ネリと呼ばれた神聖騎士は嘲るように言いつつ、顎を突き出して天を仰いだ。

 挑発されたオーリア兵が騒然となる。アイシャは舌打ちすると、あわてて双方のあいだに割って入った。

「いいかげんにしないか!」

 落雷のような一喝。猛然たるアイシャのそれで、兵たちの動きが止まる。

「いまがどのような状況かわかっていないのか。神聖騎士団がこの場で指揮を執ることは、パストリアス将軍もクリスピン騎士団長も承知のうえだ。あとで懲罰を受けたくなくば、すぐに持ち場へもどれ。それとも誰かの血が流れねば収まらんか?」

 神聖騎士団の聖女はマントの前を開き、携える槌矛の柄に手をかけた。そうして相対する多勢のひとりひとりを睨めつける。

 沈黙。アイシャが本気なのは誰の目にもあきらかだった。異を唱える者はいなかった。兵士たちはすごすごと退き、道が空いた。

「ネリ、おまえはここに残れ」

 自身を落ち着かせるように長々と息を吐いたアイシャが、ネリへ言った。

「了解だ。へっ、かっこよかったぜ」

「茶化すな、ばか。そもそもおまえがうまくやれば、こうはならなかったんだ。もうこの先へは誰も通すなよ。ゾンビの徴候が出た負傷者は必ず殺せ。それから、わたしが帰ってこなかったときは、オーリア軍と国王騎士団でオンウェル神殿を総攻撃させろ、いいな?」

「あいよ」

 遮るものがなくなると真っ先にマンディが駆け出した。ペルはオーリア軍の非常線を通過する際、道の脇にある天幕の内に多くの人々が収容されているのを見た。あの天幕は仮設の救護所のようだ。鳥のくちばしみたいなマスクを着けた者たちが、怪我人を処置するための。

「あの……ここでいったい、なにが起こってるんですか。さっきの人、ゾンビって言ってましたけど」

 とペル。

「聞いたとおりだ。旧市街にゾンビが出たのだ。そいつは感染性を持っていてな、住民の多くが被害に遭っている。鼠算式に増えるゾンビが、もはやどのくらいいるのかはわからん。おれとステラはいまから、この事態を引き起こした悪党を始末しにゆく」

 ナジムの言葉にペルは絶句した。

「恐いか?」

「……はい」

「ここでおりてもいいんだぞ」

「いいえ、いきます」

「そうか。ならば、すきにしろ」

 旧市街をふたつに分断するような大路をマンディが疾走する。そのあとにはフィリドールの馬車もつづいていた。ゆく手の遠くにはオンウェル神殿。彼らはまもなく、神殿のすぐ手前で合流した。

 マンディから降り立ったペルとナジムは、そびえるような神殿の囲壁を見あげた。近場の空気が淀み、邪悪な気配を感じるのは気のせいではあるまい。神殿内ではカルネイロが待ち受けているはずだ。

「ペル!? ちょっとあんた、こんなとこでなにやってんのよ!」

 背後から聞こえたステラの声にペルが振り返る。すると箱馬車から降りたステラが、フィリドールたちとともに自分のほうへやってくるところだった。

「ステラさん、よかった……」

 ステラの姿を間近で見たペルは、胸のつかえが下りたように感じてほっとなった。

「よかったじゃないわよ、なんであんたがここに?」

「くる途中で拾って、おれが連れてきた」

 とナジム。

「兄貴が?」

「ステラさん、ここへきたのは、ぼくの意思です。これを見てください──」

 ペルはローブの隠しから魔術スクロールを取り出してステラに見せた。

「この魔術スクロールは、シスガムさんていう、以前ぼくによくしてくれた魔術師の人からあずかったんです。ステラさんのことを、助けてやってくれって」

 ペルが差し出す夜藍色のスクロールへ目を落とすステラ。その隣で驚きの声をあげたのはフィリドールである。彼が注目したのは、スクロールの巻紙に書かれてある銀色のルーン文字だ。

「おどろいたな、これは古代魔術のスクロールじゃないか」

 フィリドールは、ひと目でそれが古代魔術のスクロールであると見抜いた。一国の王宮魔術師ともなればルーン文字の判読など容易かろう。加えて、そのスクロールからは尋常でない魔力の滾りのようなものが感ぜられるのだった。

 現在の魔術体系からは失われてしまった古代魔術。それを封じ込めた魔術スクロールとなれば、いまでは希少な先史遺物だ。めったにないレアなマジックアイテムを前に、フィリドールは興味津々といったふうである。ところが、対してステラのほうは別段の感慨もなく、ただペルの手にあるスクロールを見つめている。

「ふうん──」

 そして、ステラが言った。

「なんだ、パパきてたんだ」

「へ? パパ?」

 ペルの声は思わず裏返った。その彼の様子をナジムが鼻で笑った。

「あいかわらずの根無し草だ。ふらふらとさ迷ってはいるが、娘のことがどうにも心配らしい」

「えっ? えっ? じゃあ、ステラさんのお父さんが、シスガムさんってことですか!?」

「シスガム? はは、いまはそう名乗ってんのね」

 とステラ。彼女はペルの手から魔術スクロールを取りあげると、軽く吟味するように眺めてからペルへと返した。

「にしても、それアスポートのスクロールよ。いったいどうしろってんだか」

「ア、アスポート? なんだ、そうだったんですか……」

 ペルは拍子抜けした。ステラの言ったアスポートとは、身近にあるものを遠くへ強制転移させる呪文のことだ。それに反して、遠くのものを手近に引き寄せる呪文にアポートというのがある。いずれにせよ、戦いに使う呪文ではない。古代魔術とはいえ、まさかシスガムからあずかったスクロールが、そんなお手軽なものだったとは。

「おい、話し込んでいる暇はないぞ。事は一刻を争う」

 言ったのはアイシャだ。ナジムが返事をして、フィリドールとともに歩き出す。するとステラは表情を硬くして、

「ペル、あんたは──」

「いえ、ぼくもいっしょにいきます」

 ペルは鋭く返した。それを聞いたステラは困り顔でため息をつく。

「はーあ、やっぱりね。あんたってば、こうなったら梃子でも動かないんだから。いいわ、ついてらっしゃい。あたしのそばから離れるんじゃないわよ」

「はいっ!」

 五人はオンウェル神殿の囲壁に穿たれたアーチ状のトンネル前で集結した。ペルを連れてゆくことに当然ながらアイシャは難色を示したが、ナジムがこいつの面倒はおれが見ると言って黙らせた。どの道、ここまできてしまってはもう後戻りできまい。皆、それぞれの理由があり、覚悟はしていた。

「これだけか?」

 フィリドールが総勢五人を見渡しそう言った。

「問題なかろう。数だけそろえても足手まといになる」

 とナジム。

「この神殿に搦手は?」

 ステラがアイシャに訊いた。するとアイシャは神殿の高い囲壁へ目をやり、

「裏口がひとつ。だが待ち受けている敵に対して有効ではあるまい」

「籠城など無意味だろうに。奴め、なにを考えている」

 そのナジムの言葉を受け、ステラは短く鼻を鳴らした。

「なんにせよ、正面からぶつかるしかないってことね」

「待て。その前に、まずは内の様子を探ろう」

 フィリドールは言うと、腰帯にさげたいくつもの小袋から触媒を選んで取り出した。木炭、鋳塊、数種の草本。両の掌でそれらを包み、彼が唱えたのは使い魔を召喚する呪文だ。触媒が熱を帯び、淡く輝き出す。まもなくフィリドールの手中に毛玉のようなものが現れた。蠢めきつつ、みるみる膨らんでゆく。それは木菟だった。頭部にピンと立った一対の羽角がある、ずんぐりとした鳥。

 フィリードルが両手を掲げると、白地に茶の黄斑がある木菟はわが意を得たりと飛び立った。大きく羽ばたいて上昇したあと、旋回してオンウェル神殿の囲壁を越える。フィリドールのほうは目を閉じて集中していた。それで使い魔と視覚を同調させ、神殿内の様子を探っているのだ。

「ふむ……ゾンビは神殿の手前、中庭にある参道の途中で一カ所にかたまっているな」

「数はどのくらいです?」

 アイシャが訊いた。

「さてな。数え切れないくらいだよ。一〇〇体近くいるかもしれん」

「くそ、そんなにいるとは」

「む? ユエニ像のところに誰かいるぞ。黒いローブ……ゾンビではないようだな」

「そいつだ!」

 アイシャが声を高くして言った直後、フィリドールが短く呻いた。どうやら使い魔を近づかせすぎた。木菟が撃ち落とされたのだ。カルネイロの放った魔弾によって。

 使い魔が失われたとき、生命的な繋がりを持つその主を反動が襲う場合がある。それを知っているステラはフィリドールへ目を向けた。

「おっさん、大丈夫?」

「お、おっさん!?」

 心外だという表情でステラを見返すフィリドール、三六歳。

「ステラ!」

 アイシャが窘めたものの、ステラのほうはきょとんとしている。

「なによ、心配して声かけただけじゃん」

 そんなやりとりを横で聞き、ナジムはにやりとなった。

「ふん。魔術主体となるが、わるくないパーティーだ。陽動してくれればカルネイロはおれが仕留める。だが誤射に気をつけろ。同士討ちはごめんだ」

 ペルはここにきて動揺を見せない顔ぶれを頼もしく思う。誰もが経験を積んだ腕利きだ。そう、自分以外は。彼はシスガムからあずかったスクロールを見つめた。いったい自分は、これでなにをすればよいのだろうと考えながら。

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