月とカレーが新型ウイルスによる強迫性障害に勝つときって、それ、どういう意味?
@maetaka
第1話
世界的に蔓延したウイルス騒ぎにより、外出禁止令などの制約がいきすぎたのは、苦痛でしかなかった。
「俺の名前は、ルナ。女の子、女の子と言われながらも、慣れたな。我ながら、かわいらし名前だもんな」
今の社会ではセクハラで訴えられそうな言われ方で育てられた彼も、もう、その言われ方は、気にならなくなりつつあった。
「何といっても、今は、俺の名前云々どころじゃあ、ないもんな」
社会の全関心は、ウイルス騒ぎのことばかりに、移っていた。
ルナたち兄弟は、名前からきたコンプレックスはさておき、順調に、育てられた。ルナの弟の名前は、ルウ。
素敵な名前について、親は、自分たちで付けたことも忘れたくらいに、喜んでいたものだった。
とりわけ、ルナは、喜ばれた。
「お前は、かわいかったものなあ。女の子が生まれたのかと思って、ルナちゃんと、したものだ。そのうちに、社会は変わって、キラキラした名前を付ける親も、出てくるんだろうけれどなあ」
そんな父親の予想は、当たった。
「父さんは、かわいいジャッカルのアップリケの入った服を買いにいこうかと、思っちゃったよ」
どうでも良さそうな思い出話を、したものだった。
かわいいジャッカルのアップリケとは何なのか、やや不気味だったが、それはともかくも、ルナもルウも、良く育ててもらった。
「ルナ?あなたは、月の女神様の名前をもらったのよ?素晴らしい力にも、めぐり会えるでしょうね。他の誰が笑おうとも、素晴らしい名前なのよ?誇りなさい。良い?月に代わって、誇りなさい!」
母親は、変わったことを言い続けていた。
「他の誰が笑おうと…、か。名付け親っていうのも、案外、いい加減なものだな」
そう考えると、少しだけ、さみしかったものだ。
そんな名前を巡るできごとは、その後の社会の移り変わりを思えば、何と、ほほえましかったことか。
「名付けは、俺では、完全には防げない」ルナのその言葉に、ルウが、反応した。
「完全には防げないといえば、今の生活を脅かす、ウイルスだ。嫌な、比喩だな」
その通りに、全社会、全世界は、新型ウイルスの感染で騒いでいたときだった。
「ウイルスは、マスクをつけても防げないことが多いって、いうからなあ。子どもが言うのも何だけれども、大人のオンリーワン行動と同じくらいに、防ぎようがない」
…嫌な連想ばかり、してしまっていた。
その嫌な連想とぼやきが、まさか、あのように現実化してしまうとは、思いもしないことだった。
双子と先生を巡る、愛の物語。
兄が、ルナ。
弟が、ルウ。
「ルウは、良いよな。俺は、月の女神様」
「ルナのほうが、良いよ。俺は、カレー粉なんだものな…」
兄弟共に、そう言いかけて、やめた。けんかを起こさないことが、素晴らしいところだった。2人は、良いライバルだった。
「負けないぞ」
「ああ。俺だって」
ちなみに、ルナは知らなかったのかも知れないが、ルウのほうもまた、名前のことで、ルナ以上に悩まされていたものだった。
友人らは、こう言っていたようだ。
「ルウ?お前って、やっぱり、カレー粉みたいな名前だなあ」
ルウは、カレー粉を見る度に、虚無感を覚えていった。
彼ら双子は、すくすくと、育っていった。
「兄弟の団結は、良いな。父さんは、お前たちを見て、うれしいぞ」
「母さんも、うれしい」
2人は、同じような道を歩んでいた。同じ高校に、進学していた。
「さすが、双子。死ぬまで、一緒よね」
母親には、嫌みにも似た笑いを、されてしまったものだ。
「でも、良いか」
父親は、気楽だった。
「2人の子のいく末が同じなら、何かと、楽だものなあ。弁当を作ってもたせるお前だって、そう思うだろう?」
「まあね。同じ物を量産していけば、良いんだものね」
「母さんは、ひどいことを、言うんだな」
「そうだよ」
でも良いかと、思えていた。
この、新型ウイルス騒ぎにおびえる社会に比べれば、かわいいモノだったのだ…。2人の成長は、確実に、花を咲かせていた。
「人間とは、何と、都合の良さを変化させられる生き物か。なあ、ルウ?」
「その通り!」
2人そろって、苦笑いをしていた。
高校入学後は、奇遇なことが増えた。
「ルウ?俺たちって、共通点が満載だな」「双子、だからな」
2人そろって、同じ部活動に、入部をした
のだった。
「森林管理部」
役所の一部署のような名前、だった。
その部は、ボランティア活動の集まりのようなものだった。
地元の森林を中心にまわり、落ちているゴミなどを拾う団体、だった。
部員は、30名ほどいた。
ボランティア活動にそこまで多くの人が加われたのには驚きで、社会的な充実感が、高められたものだ。
ボランティア同然の活動にこれだけ人が集まれたのにも、理由があった。
その活動の後には、友達お楽しみパーティの実行などが、組まれていたからだ。友達との間ばかりに、つながりをもてていた。部員らには、不可思議で理想的な部環境だった。就職氷河期世代という名前の、伝説の優秀組を無視し、オンリーワンでゆるゆるに育てられた新卒顧問らの心を収容する、暖かい箱のようだった。森林管理部は、無敵だった。
「僕の森林管理部は、友達お楽しみパーティっていうのを、やるんだよ?友達、友達。入部、待っているよ?」
新卒顧問が、宣伝に回った。
「ねえ、マユカ?聞いた?あの人、僕の森林管理部だって。私物に、しちゃってるし」
「面白いわねえ。あの部活に、入ってみようかしら?あの人の心の中を見て、癒してあげたいわ。なんてね」
興味本位に、部員は、増え続けた。
新卒顧問が先代の先生から受け継いだボランリィア活動は、思いがけず、上手い具合に発進しそうだった。
新卒世代の若い先生というのは、強烈だった。
「俺たちのような社会のスターが森林をきれいにしてやらなければ、生態系がやられ、まわりを取り巻く環境のすべてが、ダメになってしまうんじゃないのか?社会の中心たる俺たちが、救ってやるときなのだ!」
マッドサイエンティストのように、傲り狂っていた。
「ルウ?こういう人たちがいたからこそ、社会が傷付いているって言うことに、気付かないんだな。嫌な、感じ」
「自己分析が、できないんだよ。氷河とか何とかっていう人たちにすれば、うらやましい限りの、良い世代、さ。だっせえなあ」
「あの顧問が、もっと動いてくれれば良いんだけれどなあ」
「そう言うなよ、ルウ?あの人たちは、誰かが何かをしてくれることが当然だと錯覚して、生きてこられた世代なんだ。病的、なんだよ。そっとしておいて、やろうよ」
「どうしてこのレベルで、教育者に、なれるんだろうなあ。ルナ?」
「教員不足、だから。それだけさ」
「ふうん」
「知っているか、ルウ?」
「何を、だい?」
「新卒教員は、俺たち現役高校生よりも、レベルが低いんだぜ?まるで、赤ちゃんだ」
「やれやれ」
「新卒教員が、クラス担任にならなかっただけ、まだ、ましさ」
「そうだな」
「ルウ?新卒教員が、俺らのクラス担任や教科担任に、なってみろ」
「…考えたくはないな」
「俺ら現役高校生は、まだ、ましだ。先生よりも、レベルが高いからな。けれど、担任が新卒教員になった小学校の児童なんかは、どうなる?新卒のクラス担任に嫌らしいことをされ、その様子がS NSで拡散され、事件化されていく。けれど、先生は地方公務員だから、法の穴をすり抜けられて逮捕されずだ。最悪だ。気の毒だよなあ。小学生」
オンリーワンたる顧問の先生は、簡単に、動いてはくれなかった。
「俺は、高校の教員なんだぞ?新卒採用難だぞ?考えたり動いたりするのなんて、格好悪いよ。俺たちは、世界に1つだけの新卒世代なんだぞ?」
部活動は、痛みの連続だった。
こうして、先生を排除して高校生を動員しなければ社会は守れないという皮肉が、じんわりと、あふれ出ていた。
やるせない気分は、残された。
が、何はともあれ、森林管理部は、真面目に、活動を続けていた。
あの大事件が起こるまで、あと少しと、迫っていた。
森林管理部の真面目さは、ゴミ拾い後も、続けられた。
部の活動意思を尊重して、森林などの清掃後は、部員の皆が集まり、楽しくキャンプなどをして楽しんでいた。
部活動の持続への意欲作りに、上手く、つなげられていたものだった。
もちろん、キャンプなどをすれば、ゴミが出た。
それは、重々、承知の上だった。だから部員は皆、気を付けに、気を付けた。
「きれいにした場所を、汚すことなかれ。きれいにし続けて、使う。その見本を見せるのも、森林管理部の覚悟だ」
部は、その合い言葉を元に、順調に、活動を続けていった。
新卒世代の顧問教師は、こなかった。
「ルウ?先生は、こないな」
「ルナ?放っておけよ」
「ああいう世代も、将来、介護される」
「介護って、誰にだ?」
「今の小学生世代に、じゃないのか?」
「それは、残忍だな」
「…お前なら、月に、代わって…」
「もう、言うな」
「悪かったよ」
そこで起きたのが、あの、大事件だった。
それはもう、事件だった。
「俺、カレーが、大好きなんだよね」
部の三年生のタイマ先輩が、豪語していた。先輩は、2年生に上がった双子のうち、ルウばかりをからかった。
「おい、ルウ?」
「何ですか、先輩?」
「丁度、良い。お前に、頼みがあるんだ」
「…頼み、ですか?」
「そうだ」
タイマ先輩は、ルウが、カレー粉のルウにからんだ名前で、突っ込みどころが満載だったことを、知っていたようだ。
そのことを利用して、笑っていた。
「ルウ?今度、俺たちの森林管理部が、学校の裏山にある森林を、掃除しにいくだろう?その一帯がきれいになったら、皆で、テントを張ってキャンプをして、カレーを食べようと考えている」
「それって、先輩が、考えたんでしょう?カレーを食べたいのは、誰よりも、先輩なんでしょう?」
「俺だけじゃあ、ない。皆が、食べたがっているんだよ」
「わ…わかりましたよ。俺に、こいって、言いたいんでしょう?」
「そうだ。物わかりが、良いじゃないか。他人の話が、聞けるんだな」
「聞けますよ。新卒世代じゃあ、ないんですから」
タイマ先輩の話によれば、30人ほどいた部員全員が集まるほどの、壮大なプロジェクトなのだということだった。
先輩は、無茶振りをおこなってきた。それはそれは、異様な煽りだった。
「30人分のカレーのスペシャルなルウが、その裏山に眠っている伝説が、あったんだ」
「…ウソ、ですよね?」
「ウソじゃあ、ない」
「そんな伝説など…」
「あの、新卒幼稚顧問が言っていたから、本当だ」
「本当に、言っていたんですか?」
「ああ。言っていたとも。…僕たちこそ、伝説のカレー粉を見つけられる世代なんですう。国が、僕らの世代にあんな教育をしたから、こうなっちゃったんですう。だから、その、せめてもの罪滅ぼしに、伝説のカレーを食べさせてくれるて言うんですよう。僕たちは、何も、悪くないんですう。教員不足に、新卒一括採用ドッキューン!…って、言っていたんだぞ?」
「あの先生は、病気なんですか?」
「ああ。幸せ病だ。新卒一括採用組といって、楽しい楽しいコースを約束された身分なんだそうだ」
「美しい話、ですねえ」
「ああ、美しいぞ?誰かが何かをしてくれるのが当たり前の社会を生きられたんだ。努力して泣かされない美しさが、満載だ」
「…それは、良いものですねえ」
「良いよなあ。とにかく、ルウ?そのカレー粉をもってくるんだ」
「そんな伝説があるわけ、ないだろう」
そうは思ったが、何となく、刃向かってはいけない気がした。
仕方なく、再び、聞いていた。
「ルウ?良く、聞くんだぞ?裏山のどこかに眠るっていう、30人分のカレーを作るのに使うルウを、とってこいよ。お前が、皆を代表していくんだ。良いじゃないか、ルウなんだからな。ルウが、ルウを探す。ははは」
頭にも、きた。
が、黙って聞いてやった。
「タイマ先輩だって、大麻草のような麻薬的な響きをもっていて、からかいがいがあるはず。それなのに、こっちにだけ、からかうのか。言いがかりも、甚だしいよな」
内心は、文句で一杯だった。
「わかりましたよ」
そう言うしか、なさそうだった。
タイマ先輩には、従わなければ、ばつが悪かった。何かと、からかわれていたものだ。
「よう、ルナ?」
「ああ、タカシか」
タイマ先輩には、タカシという弟がいた。
「兄弟のつながりとは、良いものだ」
誰かのために、困ったときに助け合えるという良さを、夢見られていたものだった。
部員仲間は特徴的で、その他、名前にこだわり続けたカオルの存在がまぶしかった。
「俺って、なぜか、女性扱いされやすいんだよな。もっとも、名簿の名前だけを見て判断された場合に限るんだけれどさ。こういうのって、LG BT差別なんじゃないのか?
彼は、ルナと同じような悩みを抱えていただろう。気が合ったのか、早くから、ルナと仲良くなっていた男だった。
特徴的な部員には、また、マユカの存在があげられた。
わがままな、お嬢様タイプ。
「清掃が終わったら、部の皆で、ミニキャンプをしよう。森を、愛そう。もちろん、ゴミは、絶対に出さないこと!火を起こすために、木を、集めよう」
そう言っても、なかなか納得してもらえなかったのが、印象深かったものだ。
「うそ?火って、誰かが自動的に点けてくれるものなんじゃないの?どうして、私たちがやらなくっちゃ、ならないの?」
マユカらしい言葉が、まぶしかった。苦労のなかった新卒世代の暖かさが、どこかでしっかりと、受け継がれていたのだ。
半ばあきらめていき、部の掃除日和となる日を、待つこととした。
「今日は、良い天気だな」
「ぽかぽかの、森林管理部日和だねえ」
部の、裏山清掃日と、なった。
顧問の新卒先生を加えて、30人の部員全員が、集まった。
「おお、今日は、全員集まったのか」
「俺的先生のおこないが、良かったんだ」
「違いますよ。部員皆のおこないが、良かったからですよ」
「それは、違います。わかってねえなあ、ガキどもは。これだから、努力させられる世代は、汚いんだ。先生は、たいした力もないのに、人材不足の先生難社会で、苦労をしないオンリーワン世代として、楽に、学校に入り込んだだけです。どうだ?先生は、美しいだろう?ルナ君?」
病的、だった。
何とかしてケアしてあげなければ、ならなかった。
「ふざけないでくれよ、あの、新卒顧問。新卒で若いからっていうだけで、調子に乗っているんじゃないのか?今は、俺たち高校生のほうが、努力しなかったあの世代の人たちよりも、賢いのにな?立場を、わきまえて欲しいよな。身の程を、知れよな」
「ぐぬぬ…」
新卒顧問も、それを聞いたら、うなっただろうか。それとも、言われていた意味がわからずに、ポケーッとしていただろうか?
ルウは、気が気でなかった。
「おい、そこの、新卒教師?」
「何ですか、ルウ君?」
「この裏山のどこに、30人分ものカレー粉があるって、いうんだ?」
「30人分もの、カレー粉?」
「なあ、あるんだろう?新卒一括採用の教師、め。教えろよ」
ほんの少しだけ信じてしまっていた自身に渇を入れるように、こぶしを作っていた。
「…あれ?あれは、何だ?」
そのとき、ルウの目に、洞窟が見えた。
山裾を上がっていった木々の間に、ほら穴があったのだ。どのくらい人が入れる大きさで、どのくらい奥に広がっているのかはたしかでなかった。が、興味が出たことだけは、たしかだった。
「いってみるか…」
無意識に、吸い寄せられていた。
彼も、高校生。
そこにカレー粉があるなどとは、思っていなかった。いっても、無駄だろう。が、なぜだか、引き寄せられてしまっていた。
高校生は、元気だった。
何より、心が、生き生きとしていた。新卒世代の教師とは、大きく違った晴れやかさだった。
「もう少し、だ」
穴に、近付いた。
すると…!
そのとき、思わぬことが、起きた。ずいぶんとあんまりな結果と、なってきた。
「ゴゴゴゴゴ…」
何かが崩れ、倒れる音が、響いていた。
「何だ?穴の中で、何かが起こったか?」
興味本位に、穴の中に進もうとしていた。
思わぬことは、続いた。
「おいおい。今度は、何だ?」
振り向き山の下に目を向けると、ルナが、困ったことをしていた。
「あれ?ルナじゃないか?それに、タイマ先輩も一緒だな?一体、こそこそと、何をやっているんだ?」
足がと、震えてきた。
ルウと先輩が、柄にもなく、楽しそうにおしゃべりをしていた様子が見えてしまった。
「あの、2人。何を、やっているんだ?って、まさか…!」
足の震えが、止まらなかった。
兄ルウが、先輩に向かって、弟である自分ルナの弱みでも告げ口して伝えていたかのように、見えてしまったのだ。
「…あれ?俺は、無意識下では、ルナに、嫉妬でもしていたというのか?」
心の中で、地団駄を踏んだ。
「まさか、俺は!ルナの告げ口があって、タイマ先輩に、こんないたずらをさせられたんじゃあ、ないだろうな!」
身勝手な想像によって、ひどく、頭にきていた。
「おかしいな…。やっぱり、何も、ないじゃないか」
案の定、洞窟の中には、何も見つかりそう
になかった。
「それにしても、暑いなあ。洞窟の内部がこんなにも蒸し暑かったとは、思わなかったよなあ」
洞窟内は、その感覚通りに、異常に蒸し暑く、湿気が充満していた。
「暑いなあ」
気味の悪い環境、だった。
「何も、ない…。って言っている場合じゃあ、ないぞ。大変だ!」
タイマ先輩にからかわれたであろうことはどうでも良くなってしまうくらいに、恐るべきことが、起こりつつあった。
洞窟の奥に進むと、学校の一教室の、半分くらいの広さの空間が、広がっていたのがわかった。
そこには、人が、何人もいた。
すでに、先客がいたわけだ。そこにいた人たちは、見覚えのある顔ばかりだった。
「あ!校長先生も、いるぞ!」
先生たちは、土塁の崩れが作り上げた波によって、埋もれかけていた。
「そういうこと、か…」
洞窟の中で、地滑りが、起きたのだった。
「これで、わかった。そうか…。ゴゴゴゴゴというあの音は、ここが崩れた音、だったんだな」
妙に、納得ができてきた。
先生たちの手は、一斉に、何かに向けて伸ばされていた。
「金?金なのか?…、ち、違う!」
目の前には、オルゴールが鳴る箱があり、その中に、ルナが、不思議なカプセルを見つけた。
「何だ?錠剤みたい、だな?何かのワクチンなんじゃないのか?なんちゃってな…」
そして、その錠剤箱と共に、先生たちの手の先には、札束が転がっていた。どうやら先生たちは、それをつかもうとしたところで、土塁に押しつぶされたようだった。
「こいつは、人為的な崩れだな。悪意を、感じる。校長先生に、若い先生が狙われたのか。まずい世代を嫌う空気が、プンプンしているよな。金をばらまいてここにおびき寄せて、殺害しようとしたんだろうか?何のために?定年退職おじさん世代と、あの、若い世代たちへの、恨み。みじめなもんだなあ」
冷静に、分析していた。
「これは、いただいておこう」
ルナが、何かのワクチンと推理したカプセルを拾い上げた。
「何?…どういうことだ?」
そのとき、どこからか、異様な感覚が、襲ってきた。
「うー…。何だ?この、気持ち悪さは」
音も臭いもない何かが襲ってきて、頭が、ずっと、痛くなっていた。
「この先生たち倒れた理由って、土塁の崩落じゃあなかったんじゃないのか?」
これで考えられることは、1つしかなかった。
「まさか、ウイルスか何かに襲われて、倒れていたんじゃないのか?」
洞窟内感染を、恐れた。
「洞窟内は、閉鎖空間だ…。まさか!」
テロも、疑われた。
「この推理に、かけよう。きっと、未知のウイルスに、やられたんだ。って先生たちが倒れているところから考えれば、わりと、良いウイルスなのかも、知れないがな。心がきれいな人を元気にさせる、ウイルスとか…。それなら、先生たちが倒れていたのも、うなずけるな。って、バカなことを言うな!」
しかしながら、そんなバカなことは、言っていられなくなった。
運の悪いことは、重なるものだった。
「ルウ?どこに、いるんだ?」
「おーい!」
「ここに、いるのー?」
森林管理部の仲間が、皆、洞窟の中に入ってきてしまったのだ。
「皆。くるなー!」
そう叫んだときには、遅かった。
すでに、残りの部員が、ルウのいた場所にまで、入ってきてしまっていたのだ。ルナまでが、意気揚々と、入ってきた。
「おい、ルウ?」
「ルナか?」
「ああ。ここにいたのか、ルウ」
「くるなー!」
そう言っても、状況は、好転しなかった。
「うう…」
部員たちまで、苦しみ出した。そうして、次々に、倒れていったのだった。
「逃げろー!ここには、まだ、ウイルスが広がっているみたいなんだ!俺も、苦しいよ…。新卒教員たちの汚い心が、伝染するぞ!皆、早く、逃げるんだ!」
蒸した重圧の中、冷や汗が、止まりそうになかった。
「やっぱり、この洞窟の中に、何かが漂っているんだ。この森は、何も、問題ないはずだったのに…。だから俺たちの部も、ここが利用できたのだし…。じゃあ、何だ?ウイルス性の、何かと考えるしかない。新型のウイルスか何かなんじゃあ、ないのか?」
そんなルウの気付きが、怖かった。
ルナが、問いただした。
「おい、ルウ?どうして、新型のウイルスだって、言えるんだよ」
ルウには、答えようがなかった。
「しかしなあ…。これが、ルウの言った新型のウイルスだったとして、どうして、俺たち双子だけ、生き残れたんだ?」
それには、適応の言葉が、浮かんだ。
丁度、高校で学んだ生物学の先生が言ったことが、思い出されていた。
「そうだ、ルウ?生物の生存は、社会への適応にかかっていると、聞いた。それが、俺たちが生き残れた理由なんじゃないか?」
「何だって、ルナ?」
「なぜなのかはわからないけれど、俺たちだけ、このウイルスめいたものに適応できたっていうこと、なんだろうな」
「まるで、SFじゃないか。ルナ?」
「それくらいしか、言いようがないんだ。そうだろう、ルウ?」
「じゃあ、そういうことに、しておくよ」
言い訳のような合理化発言で、納得するしかなかった。
洞窟の奥から、入口まで、戻ってみた。
顧問の先生が、倒れていた。
「ルウ?なぜだ?この先生たちだけは、洞窟の奥にも進まない段階で、倒れてしまっているみたいだぜ?」
そう言いかけて、嫌になった。
「あ…」
ルナにも、すぐにわかったからだ。
そのルナの気付きには、ルウが、上手く説明してくれた。
「ルナ?この先生は、若い。あの、例の、新教育に浸かった、新卒世代だ。この先生が倒れた理由は、他の人とは、違うだろう」
「何だって?」
「ウイルスにやられたわけじゃあないってこと、だろうな」
「じゃあ、何で、倒れていたんだ?」
「暑さに、耐えられなかったからだ」
「何だって?」
「暑さ、だよ」
「暑さって…。ここは、暑いことは暑いだろうが、そんなに倒れるほどは、暑くないじゃないか」
その言葉を聞いて、ルウは、情けなくなった。
「ルナは、わかっていないよ」
ルウの説明は、こうだった。
「新卒世代の若い先生たちは、クーラーの冷房生活で育てられたわけで、体温調節ができなくなっただろ?」
「そうだったな。退化しちゃったんだ」
「だから、気候の変化に耐えられなくなって、倒れたのさ」
「それだけの、変化でか?」
「そうだ」
「ひどいな…。どう考えたって、今の小学生らが、気の毒だ。将来、こんな世代を介護しなくっちゃならないんだ」
「ああ。この世代の人たちが、無事に生きていたらの、話だけれどな」
嫌な予感は、増した。
「ルウ?最凶の世代だな」
「ああ。若い先生たちは、最凶の、生物だったのさ。ちょっとムンムンした洞窟の暑さにも、耐えられなくなってしまったんだ」
しかしルナには、合点が、いかなかった。
「でも、ルウ?暑ければ、汗をかくものだろう?それなのにこの先生は、汗1つ、かいていない。これは、奇妙だ」
当然の疑問、だった。
が、ルウは、当然の顔をして返した。
「汗腺が、発達していないのさ…」
ルナの顔つきが、変わってきた。
「適応以前に、成長が、できなかったんだな。それでも、新卒一括採用で、楽々就社なのか。何だか、哀れになってきたな…」
「入社された会社は、もっと、哀れさ」
2人そろって、世代間のギャップに怒りと哀れみを感じて、それでも苦労せずに生きられるという新種の現実に妬みさえ覚え、心臓をつぶされた気になっていた。
双子は、変わった。
洞窟の中に漂う新型ウイルスが襲い、2人の優しさの感情を、増幅させたのだ。
「ルウ?お前、顔が…」
「ルナだって、顔が、変だぞ?」
これで、双子は共に、物わかりの良い子へと、変わってしまったのだった。
「先生たち、ありがとう」
「社会のために、倒れてくれたんだね」
「大好きだよ。新卒の先生たち…」
「もっと倒れてくれて、良いんだよ?」
「先生たちのことが、大好きさ」
「大好きすぎて、早く、努力のできるまともな心になって欲しいよ」
2人は、確実に、優しくなっていた。先生のことが、好きで好きで、たまらなくなりはじめていた。
優しく、物わかりの良くなった双子は、まずは、その日にあったことを思い出していた。
「顧問の新卒先生、ありがとう。名前なんか、忘れちゃったけれど」
2人が顧問の先生に感謝をしたのには、大きな理由があった。顧問の先生は、洞窟内でこんなウイルス事件に遭遇するなどとは、思っていなかったはずだ。
結果的に、先生は、倒れた。
救命士の到着と見方を待つまでもなく、息をしている雰囲気は、感じられなかった。先生たちは、死んでいただろう。
双子以外の部員は、皆、命を落とすこととなった。
「ルウ?先生は、俺たちに、何を伝えたかったのかなあ。先生が、かわいそうだなあ。汗も、かけないとはな。汗をかかないで、つまりは、仕事をしないで努力もしないで生きてきた定年退職おじさんの命が、受け継がれたんだろうなあ。かわいかった」
「ルナは、優しくなったんだね」
「ルウだって、優しくなれたじゃないか。先生とは、手も触れたくないんだろうから」
「もちろんさ」
「先生は、偉大だよ。これぞ、聖職者だ」
「そうだよな」
「先生は、素晴らしかったよ」
「ゆとりをもって、眠ってくれ」
「さようなら」
「人格者、だったんだものな」
「本当に、聖職者だったんだな」
「俺たちに、愛を残してくれたのかもな」
その通りに、先生たちは、生徒たちに、大きな努力をしなくても楽勝で生きられた証、愛を伝えたかったのだろう。
どんな心が生まれていたとしても、友達以外の知らない人とは怖くてしゃべれない事実を抱え、ポケーッと覚悟しながら、倒れたのだった。
「ルナ?先生って言いうのは、本当に、素晴らしい職業だったんだな」
「俺たちが、先生の新しい友達になってあげようよ?」
「でも、何されるかわからないぞ?ははは。あの人たちは、美しい身分の方々なんだから」
「ルウは、言うなあ」
「さらば、先生」
「しかしなあ…。ルナ?」
「何?」
「さらばって…。まだ、死んだとは、限らないって」
優しくなった2人の心は、先生たちを、ずっとずっと、暖かく捉えようとしていた。
洞窟内に漂っていた空気は、やはり、双子の心を、優しくしていたのだ。新型ウイルスの力は、偉大だった。
2人は、特に、若い世代の先生が倒れてくれたことに、感謝し続けていった。
「ルウ?先生は、俺たち生徒に、もっともっと、強くなって欲しかったんだろうよ」
ルナが、ルウの主張に合わせた。
場全体の心が、温かくなっていた。
「ルウ、いいか?先生たちは、率先して、倒れてくれた。ありがたいよな。こうすることで、俺たちに、この入口も危険なんだと、わからせようとしてくれたんだよ」
「ルナ?新卒世代も、役に立つことがあったんだな」
「…学会に、論文を出そう。なんてな」
「先生たちは、優しかった。さすが、努力をしなくても、強かっただけのことはあったよ。自らが、炭鉱のカナリヤとなって、俺たちを、わざわざ、洞窟にまで案内しようとしていたんだろうな」
「炭鉱のカナリヤ、か…」
「俺たち生徒のことを、考えていたんだ」
「そうさ…。新卒の先生たちは、特に、素晴らしいんだ。金を追求して、児童生徒を単なる金づるだと思って、いやらしいことをし放題さ。守秘義務も、個人情報の保護も、知らんぷりだ。児童生徒を盗撮してネットで配信したりしてテロを起こしても、知らんぷりだ。先生は、身分上は、最凶の地方公務員だから、逮捕されないんだ。偉大だよなあ。うっとり、しちゃうよな」
「そうだよな」
「俺、先生が、大好きだよ!」
「俺もだ!」
2人は、どこまでも、先生に優しかった。倒れた先生たちが、今まで以上に、美しく見えていた。
また、ルナは、こんなことを思い出した。
「そうだ。タイマ先輩は、俺に、洞窟で30人分のカレー粉を探せなどという、無理難題を言ってきた。だがそれは、実は、愛の言葉だったのかも知れなかったんだ」
ルナは、少し遠くを、見ていた。
「タイマ先輩は、もしかしたら、この洞窟を案内させる口実作りのために、あの、新卒顧問に、上手いこと言わされていたのかも知れなかったんだ」
「ん?どういうことだ?」
「タイマ先輩は、俺たちの成長を願う先生の助言に動かされてああ言っていたに、過ぎなかったんだよ」
「そうか、先生…。好きだ」
泣けてきた。
「とにかく、ここから、逃げよう!」
「ああ。ここにいたら、先生たちのようなレベルになってしまう。犯されるぞ!」
「この洞窟内じゃあ、入り口とはいえ、換気ができていなかったからか?」
「わからん。とにかく、逃げるんだ!」
2人は、学校に向けて、走り出した。先生たちは、こう言っていたのではないか?
「タイマ君?皆を洞窟に案内させ、より良い心を取り戻させるためにも、あの双子に、カレー粉を探させてください」
そんな不可思議な論理が、きわどかった。
「…無理が、あるかなあ?」
「そうだ、ルウ?そうだ。新卒先生は、こうも言った可能性が出たぞ」
ルナの推理が、はじまった。ルナのほほには、涙が伝おうとしていた。
「先生は、こう思ったんだよ。今日は、皆の将来を見据えるような意義のある森林学習に、なるだろう。皆、高校の生徒らしく、勉強をしよう。皆の頭と心が、校長先生のようにバブルまみれにならず、また、我々のようにオンリーワンに染まらないようにしよう。って、ね…。ちょっと、自虐」
ルナは、どこまでも、優しかった。
ルウも、うれしかった。
「先生。安らかに、眠って欲しいな」
「まだ、死んだとは限らないって」
洞窟に入って、先生たちは、すぐに、倒れただろう。やはり、先生たちは、こう言おうとしていたのだ。
「皆は、私たちの世代のようには、なってはならない!努力をして、生きなさい。他人に金を貢がせ、努力を奪い、僕たちは物心ついたときにはあの教育を受けていたんですうと、言う。僕たちは、悪くないんですう。被害者なんですうと言うのも、良い。いや、良くないか。みっともないな。皆は、先生たちを見て、それに気付いて欲しいんだ!だからここは、先生たちが、倒れてあげよう!」
新型ウイルスの蔓延によって、優しく、物わかりの良くなっていた2人は、未発達の先生たちに、感謝をし続けていった。
「先生、ありがとう。初恋だ」
「もしかしたら、俺も」
2人の心は、暖かかった。
「…そういえば、ルナ?」
「どうかしたのか?」
「何か、さあ。何かの、カプセル。何かのワクチンのような物を発見して、お前がもっていたじゃないか?」
「ああ」
「あれって、どこにやったんだ?」
「あれ?」
「おい、おい。行方が、わからなくなったのか?ルナは、ダメだなあ。あれって、やっぱり、何かのワクチンだったのかな?」
「おい、ルウ?その話は、やめよう」
救急隊が、到着した。
結局、救急隊がきてくれ、顧問の新卒先生ら一味は、息を、吹き返した。
「ルウ?見ろ、生きていたぞ!」
「何だ。新卒先生たち、生きていたのか」
「良かったなあ、ルウ?生きていたんだ」
「そうか。しぶとかったな、ルナ?」
「こんな先生たちが、大好きだよ」
「俺もさ」
先生たちが学校に復帰し、生徒らは、教壇が、うらめかしくてならなくなっていた。
ウイルス騒ぎが起こって、1週間近くが、経っていた。
「先生?ゴホンゴホンと、咳をしすぎよ?マスクを、してください。心配」
クラス委員長のルイコが、言った。
ルイコは美人だと評判だったので、いつか2人は、こう言ってあげたものだった。
「ルイコ委員長は、美人ですねえ」
しかし、怒られたものだ。言葉かけというのは、難しいものだったのだ。ルイコは、また、こう言った。
「先生?ゴホンゴホンと、咳をしすぎよ?マスクを、してください。心配」
すると、新卒顧問は、即座に言った。
「大丈夫ですから」
これを聞いて、クラスの生徒らは、凍り付いた。
「聞いたか?大丈夫とか何とかって、言っていたよな?」
「あの教師は、新卒?」
「らしいよ」
「まじ?」
「本当に、あのレベルなんだ」
「自分が心配してもらえたと、思い込んでいたんじゃないか?」
「私たち、新卒の先生たちのことなんか、どうでも良いのよ。まわりが困るからマスクしてって、言ったのに…」
「そういうのが、わからないんだよ」
「俺は大丈夫だって、さ」
「お前のことなんか、心配じゃないっていうのにな。俺たちは、まわりが心配だったんだよ。そういうのが、わからないんだ」
「これが、新卒なんだな…」
「これが、今の教育者なんだな」
「世界に、1つだけの人」
「美しい」
「オンリーワン」
クラスメイトには、華がありすぎだった。
「私を、忘れないでよ!」
マコトが、言った。
スーパーアイドル的なクラスメイト女性、マコト。常にウサギのぬいぐるみを持ち歩いていて、親と離れられない新卒世代の優雅な心が伝染したように、かわいらしいものだった。
「主役の私を、忘れないでよね!」
どこかの人たちを真似したかのように、怒りっぽく言ってきた。
「ほら、マコト、怒るなって!エレガントに、しておけよ」
「もう!ルウは、うるさいんだからあ。わざと、アンガーマネジメントができない、あの新卒顧問たちの真似をしてあげているんじゃないの」
「そうか、そうか」
「上手い、上手い」
ルナも、一緒になって、褒めてやるのだった。
マコトの機嫌は、すぐに、治った。
「ほーら!私は、世界で1つだけよ?」
「良く、言うよ…」
「上手い、上手い」
良い部員たち、だった。
「法的な解釈に、困難を覚えるよ」
将来は検事になるために、まずは大学の法学部に入学して勉強したいというクラスメイトも、怒りっぽく、というか、こちらは、焦りながら言ってきた。シロウという男、だった。
「法が、崩れる。あの新卒教師には、近付くな、近付くな」
午後に、全校集会が開かれた。
「先生たちは、元気に、皆を教えられるように、なりました。安心してください」
教頭先生が、言った。
校長先生の姿は、なかった。
「ルナ?安心してください、だってさ」
「ああ…。良かった。本当に、良かった。死んでなかったのか。努力をしてきた世代の邪魔をしたあの新卒先生たちが、息を吹き返したんだ。もう、安心だ。俺は、うれしくって、泣きそうだよ」
「先生、良かったね?現場に、復帰できるようになったんだね」
「良い子、良い子」
「また、学校に、やってくるのか?」
「仕方がない。また、世話してやるか…」
全校集会は、しめやかに、おこなわれた。そんなおざなりの集会よりも、帰宅後のほうが、役立ちそうだった。
「家での過ごし方に、ついて」
TV番組では、いくつかの注意点が、説明されていた。
「ウイルスに感染しないように、対策」
それは、強烈に、具体性を増していった。
「まず、日常生活に、注意してください。ウイルスは、手に付着します。行動を、振り返ってみましょう」
人間の身体から出たウイルスは、時間が経っても、しばらくは生きているという。家でも外出先でも、知らず知らずのうちに頼りがちな階段の手すりには、注意しなければならないと、説明があった。
「ドアノブもそうですが、電気を点けるために触るスイッチにも、注意が、必要なのです」
たくさんの人が触れる場所には、ウイルスが、付着した。
その場所を触れば、ウイルスが、新たに触った人に付着した。
さらに、その手で、目や鼻、口などを触れば、感染を起こしやすかったということ、だった。
その、スパイラルだ。
「自己防衛として、たくさんの人が触るんじゃないのかと思われる場所には、手を、触れないようにしてください」
専門家が、常々、そう言っていた。
感染注意報は、社会の誰もに発動される、普遍的なアラームになっていた。
「そうか。ルウ?これくらいなら、できそうだよな?」
「良し。気を付けてみよう」
日常生活は、意外と、やればできそうな規則に溢れていた
他にも、こんなことが言われていた。
「密状態は、避けてください」
密閉、密集、密接などが、注意された。
そのうち、密閉とは、換気の良くない密閉空間のこと。
密集とは、多くの人が集まる場所。
密接とは、間近で、会話や発声をする場面。
それらの場にいることを避けるべきなのだと、いう。
「換気を良くした上で、他人とは、適度な距離を保って接してください」
ルールが、専門的裏付けを待たれて増えていった。予備知識がなければ、社会生活を送るのは、難しかった。
「電車やバスに乗り、買い物などに出かけるときには、鼻からあごまでスッポリと覆えるようなマスクを着用すること。出かけた先でも、マスクを付けてください」
マスクの着用が意味をもつ理由には、大きく、2点あったようだ。
1点目は、他人からのつばなどによる飛沫感染を、防げるため。
2点目は、たとえ自分自身が感染してしまったとしても、他の人に感染させることが、少なくなるため。
2点目は、重要だ。
「マスクを、付けてください!」
喩え、他人への感染を注意したい一心で言ったとしても、平気で、こう返してくる人がいたためだ。
「私ですか?お気遣いなく。大丈夫です」まわりは、相当、へこむ。
「お前のことを心配して言ったんじゃ、な
いって…」
こういうオンリーワンな人間が生まれた社
会は、きつかった。これが、世代間の生き方の差、意識の差、教育の差というものだ。
注意点は、まだまだ、あった。
「できるだけ、自分自身の顔に、触れないほうが良い」
これは、森林管理部の部員仲間からのアドバイス、だった。
ウイルスというのは、目や鼻、口の粘膜から体内に侵入してくるものだそうだ。だからこそ、できるだけ、それらの部分に触らないよう気を付けるべきなのだ。
目とか鼻、口に触りたくなったなら、どうすれば、触れる前に、手洗いをすべき。
新生活の基本は、やはり、手洗いだった。
これらの学習を実生活で生かすには、しかし、かなり困ったことがあった。
「3つの密を、避けるべきだ」
ルナが、その言葉を、コンビニエンスストアのイートインコーナーで、実践してみた。3密が達成されていない人に向かって、優しく、アドバイスをしてあげたつもりだった。
「楽しいおしゃべりをしたいのは、わかります。ですが、この社会で、その笑い声の掛け合いは、危険ですよ?やめませんか?」
すると、とんでもない事態となった
肩を寄せ合いながら大きな声でおしゃべりをしていた母子らしい2人に、言ってみた。ルナは、心の底から、まわりの人が嫌な思いにならないよう、気を遣ってあげたつもりだった。
ソーシャル・ディスタンスと呼ばれる距離を保たせてあげようと、したのだ。
「良いことをしたと、思ったんだがなあ」
ルナは、悔しかった。
声をかけてあげた途端、お母さんらしき女性に、キレられてしまったのだ。
「はあ?キモ!ウザイ、死ね!」
若い母親だから仕方ないかとは、思えなかった。
「ソーシャル・ディスタンス?はあ?何、それ」
教育の差が、せつなすぎた。
かなり若い母親であったと見え、何も知らなかったのた。母親は、ただ単にキレた。なぜ近距離でのおしゃべりがいけないのかということまでは、聞いてこなかった。
「ルナ?考えて、生きていないんだな」
「そういう風に、育ったんだよ」
「オンリーワン…」
「なぜ、近距離でおしゃべりいけないのかと、考えようともしなかったんだな」
「母親として、本当に子どもを守りたいという気持ちが、感じられなかった。ああいう母親が、多くなったんだな」
「いろいろと、気の毒だ」
このようなときにも、世代ごとの闇が、見えてきたものだった。
「子どもが、かわいそうだ」
「違うな、ルウ?」
「何?」
「ああいうママは、子どもがかわいそうだとから、自分もかわいそうと思い込んで、オンリーワンなんだよ」
「子どもは、かわいいペット、なのか?」
「そうなのかもな」
「ちょっと、話はそれるが…。今どきは、子どもをリードでつないで散歩させている母親が、いるよな?」
「リード?あの、イヌを散歩させたりするのに使う、リードか?」
「ああ」
「まるで、ペットと同じじゃ、ないか」
「かわいい子に、かわいいペット」
「同じっていうこと、か」
社会のたくさんの姿が、見えてきた。
「ルウ?俺たちは、まだまだ、勉強していかなくっちゃならないのかも、知れない。ルウだって、まさか、この社会この状況で、ソーシャル・ディスタンスが何なのかを知らずに、声掛けされたらキレる母親がいるとは、思っていなかったんだろう?」
「そりゃあな…」
「そういう世代、なのさ」
ルナには、軽く、あしらわれた。
一定世代の人は、少しのことでも気に入らなければ、キレやすいのだという。アンガーマネジメントができないと、いうのだった。
「あの人たちは、オンリーワンで生きてきた世代。注意したルウが、甘かったんだ」
「ちぇっ」
勉強の、連続だtt。
「ウイルス騒ぎは、人間関係を壊す」
どこかでそう聞いたことが、あった。それは、本当だったようだ。
森林管理部の遭遇した事件によって広く認知されることとなったウイルス騒ぎは、日常生活を、次々に変えていった。
「新型ウイルスと共存して生きることの、大切さを、知れ。新卒に、なるな」
誰もが、そう言い出した。
そのころ2人は、鼻歌を歌いながら歩いていたマコトを、校内で見つけていた。
「ルウ?また、ウサギのぬいぐるみを持ち歩いているなあ」
「ルナ?美しい習慣、じゃないか」
「まあね」
マコトは、いつだって、クラスのスーパーアイドルだった。
「今日も、素晴らしい気分なんだな」
そうルウが言うと、マコトは、こんな意外な言葉を返してきた。
「なぜか、昨日、このぬいぐるみを無くしちゃっていたのよね。困っちゃったわあ。教室の机の引き出しにも、カバンの中にも、下駄箱にもなかったんだもの。それが、今朝、その机の引き出しから出てきたのよ!こんな奇蹟って、ある?もう、うれしくって!」
そしてマコトは、こんな不思議なことを付け加えたのだった。
「それにね!このウサギちゃん、身体が、ちょっとだけ、重くなったのよ?気のせいなのかも、知れないけれどね。成長して、私の元に帰ってきたのよ!」
マコトの心も、感動で、重くなっていたようだ。
「ふーん…。誰かに何かを埋め込まれて、重くなっていたとか。そういうことじゃ、ないの?」
ルウのからかいに、横にいたルナは、クスッとだけ笑いを添えていた。
「そんなんじゃあ、ないんだからあ!」
マコトの反抗が、なかなかに、いじらしかったものだ。
S NSニュースを立ち上げれば、家での過ごし方について、注意点が説明されていたところだた。
「良く触る場所は、消毒を、すること」
これは、以前から、言われていたことだった。
家族やアパート、マンションの住人などが良く触るところは、定期的な掃除が必要だったという。
洗い忘れになってしまったりと盲点になりやすかったのは、新聞受けや郵便ポストだということも、わかった。その場所も、意外に多くの人が触るのだ。
家の手すりなどは、ペーパータオルや除菌シートなど、使い捨ての物を使ってで良いから、きれいに拭き取るべきという。
家の中には、他にも、良く触る場所があった。
たとえば、パソコンのキーボード、イスにテーブル、エレベーターーのボタンなど。
「風呂の入り方にも、注意が必要です」
感染の疑いのある人は、家族の最後に風呂に入るべきなのだという。
「タオルの共用も、少し、危険なのです」
これは、想像外だった。
風呂に入って出れば、通常、身体を拭くためにタオルを使う。そのタオルの使い回しにも、気を付けるべきなのだという。
「ルウ?家族の間でも、できれば、使い回しには気を付けようって、さ」
「そうだったのか?」
もちろん、トイレで使う手洗い用タオルにも、注意が必要だった。
「定期的に取り替えて、使うべきです」
そのTV番組ではまた、学校での過ごし方にも、注意がされていた。
「生活の基本は、手洗いです」
もちろん、手洗いは、正しい方法でなければならなかった。
「手洗いを、軽く見てはなりません」
「おお」
「挑戦状の、ようだ」
「ああ。ウイルスからの、挑戦状だ」
念入りの手洗いということでは、ルナに、思い当たる節があった。
「そうだ、ルウ?」
「何かを、思い出したのか?」
「まあね」
「良い洗い方、か?」
「そういうこと、かな」
ルウの思い出した正しい手洗いとは、石けんを手に付ける手洗いのことだった。
手を洗う時間にも、注意だった。石けんを手に付け、15秒か20秒くらいは手を洗うべきと、説明されていた。
「さっと手をぬらすくらいの洗い方では、意味が、ありません」
「そうなのかあ」
「まさに、念入りだな」
ルナは、さらに、思い出した。
「そういえば、ハッピーバースデー・トゥー・ユーの歌を歌い終える長さだって聞いたことが、あったな」
「ルナ、サンキュー!」
もちろん手を洗った後も、適当に、終わらせないことだ。
清潔なハンカチやタオルで拭き取り、良く乾かさなければ、ならなかったようだ。もちろんそのハンカチは、他人とは、貸し借りをしてはならなかった。
「君たち?先生に、ハンカチを、使わせてくれないかい?」
クラス担任や顧問など、知っている人にそう言われたとしても、絶対に、渡してはならなかった。特に、若い世代の先生相手には、きっぱりと、断ることだった。
その日の、放課後。
森林管理部で、学校の庭掃除を、おこなった。するとあの新卒先生は、タイミング良くというべきか、何かに操られた陰謀のように、言ってきた。
「手洗いは良いけれど、ハンカチを、忘れた。ねえ、貸して?」
友達相手のようにしゃべってんじゃねえよと生徒は思ったが、そこはこらえてあげた。
「ごめん、無理」
きっぱりと、断っていた。
「頼む。先生に、貸してくれよ」
「もってこなかった先生が、悪い」
「そんなこと、言わないでおくれよう」
「新卒先生が、うつる」
「やだ」
「危機管理ができない先生たち特有の性質が、こういう分野にも飛び火していたっていうこと、だ。そういうことだから、就職氷河期世代っていう優秀な人たちが、泣いたんだろ?何だかんだ言って、努力した人たちの就職先を、奪いとっちゃったんだろう?あんたらは、尋常なレベルじゃない」
「ちぇっ…。ルウ君でも、良い。先生に、ハンカチを貸してくれないかな?」
「ダメだよ。先生っていえる立場なのか?職員室で、どんなに嫌らしいことか?」
「ち…。違うんだ。先生たちは、国の教育政策の、被害者なんだ。悪くないんだ」
「やだね。先生たちオンリーワンの人は、トイレに入って出てきたって、いつも、手を洗わないだろう?児童生徒を前にしたこういうときばかり、良い格好をするなよな。そんな手で、触るな。俺のハンカチが、汚れちゃうじゃないかよう。俺たち、先生のことが、大好きなんだ。だから、触るな」
「そうだよ、先生?」
「そんな…」
絶望していった、新卒世代の先生。
「あんたさあ…。そういう汚い手で、女子高生たちとも、もっともっと、汚いことをしていたそうじゃないか。知っているんだぜ?なあ、ルナ?」
「そう、そう」
「今どきのあんたらの世代には、あまり、関わりたくないんだよね。教育実習で各学校に派遣される大学生たちって、すごいよな。オンリーワンと学生気分が抜けないままに実習生になっちゃったから、最悪だ」
「だよね」
「俺、この前、衆議院選の投票準備のボランティアで小学校にいったときに、見ちゃったんだよね。事件は、教育実習生がトイレにいって出てきたときに起きた。その男子実習生、手を洗っていなかった。これ、マジの話だ。まわりが、迷惑」
「ああ、俺も、見たよ?」
「ルナも、か。なあ、先生?あれって、先生になるんだよな?」
「…」
「先生不足、だもんな?先生たちって、かわいいよなあ」
「…」
「どう?怒られ慣れていない世代様?」
「…くそ」
「若い世代の先生は、言葉の意味も、わからないのか?」
「これが、公務員だ。他人の金で食って暮らしていて、恥ずかしくないのかねえ?」
「黙れ!」
キレた。
アンガーマネジメントが、できないのだ。
「手を洗わないから先生失格とか、そういう話じゃあ、ないんだよ。なあ、ルウ?」
「そうそ。どうせ、先生不足で、採用されるわけだしさ」
「黙れ!」
また、キレた。
そしてルウは、余計なことを言った。
「オンリーワンは、まわりへの理解力がない。手を洗わないことによるウイルスの付着で、他の先生や児童生徒が汚くなるということが理解できていないから怖い」
「うるせえ!」
先生は、完全に、キレた。
「おお。新卒の現実だ」
「現役教師もそうだけれど、今どきの教育実習生は、怖いよな」
「まわりが、どんどん、汚れる」くなっち「オンリーワン教育の弊害、なんだな」
とりとめのない猛反発が、きた。
「うるさい!授業準備がどんなに大変なことか、お前なんかに、わからないクセに!」
「ごめんよ、先生」
「ごめん。もう、新卒教員は汚いから近寄りたくないとか、言わないからさ」
2人は、優しかった。
「えーん、えーん!先生たちは、こんなにも、がんばっているのに!小学校の先生だって、大変なんだぞ?毎日が、戦争状態だ。もしかしたら、その教育実習生は、泣きそうになりながら走る回る先生を補佐して、大学と実習先を往復していた毎日で、狂っていたのかも、知れないんだぞ?」
「それって、何のためにだ?」
「そうだよ。何でそんなに、先生を補佐しなくっちゃ、ならないんだよ」
「君たちの、ためだ…」
「何だって?」
「先生、それって?」
「小学校の先生も、中学校だって高校だって、皆、皆、君たち児童生徒のためを思いながら、走り回っていたんだよ。それが、わからなかったのかい?」
「そんな…」
「それが、先生の真実、なのか…?」
「学校の先生が、どんな気持ちで、学校で働いていたことか!すべては、児童生徒のためなんじゃ、ないか!」
「先生…好きだ」
「俺も…大好きだよ」
「児童生徒らへの愛は、教育実習生でも、変わらないんだ!」
「じゃあ、先生?」
「何だい、ルナ君?」
「ってことは…」
「ルウ君も、言ってみてくれよ!」
「じゃあ、言うけれど…。教育実習生は、大学の単位欲しさと、教員免許という、民間の一流企業の面接アピールになる武器を獲得するために実習にいっていたんじゃないってこと、なんですね?おお、素晴らしい!俺たちは、先生のこと、大好きだよ」
「俺もだ。こういうのを、恋って、いうんだろうなあ」
「君たち…」
先生の肩が、震えていた。
「すべてのいやらしい教員行為は、児童生徒を愛するが故の、演技だったんだ…」
「先生?」
「おい、泣いているのか?」
児童生徒を思い、涙を流せる先生の懐の広さを、知った。
教育は、素晴らしかった。
新型ウイルスに打ち勝つ勇気が、出ていた。
先生たちは、わざと、児童生徒に、やってはならないことを見せていたのだ。新型ウイルス予防の、専門家の説明のように…。
先生たちは、新型ウイルスの専門家らのように、あるべき社会を、考えてほしかったのだ。だから、教育実習生も、トイレから出てくるときに手を洗わなかったのだ。児童生徒に、トイレから出てくるときには手を洗うことを、わからせるためにだ。
「先生って、すごいじゃないか。これが、新卒の力ある教育ってもの、だったんだな」
「先生…本当に、好きになりそうだ」
そして先生は、今一度、言った。
「さあ、ハンカチを貸してくれないか?」
「いやだ」
「以下、同文」
学校生活でも、普段の生活でも、教訓が増えた。
増えたのは、他にもあった。ある社会的な新問題が、生まれてしまったのだった。
社会が、ぴりぴりと、震えていた。
ウイルス感染を予防するための自粛ルールが、増えたのだ。
手洗いやアルコール消毒をおこなうよう強く奨励されたのは、そんな生活改革の1つだった。
そこで、こんな問題が、起こされた。
「手洗い消毒の、強迫性障害問題」
それは、どういう問題だったか?
「外出先では、手を洗う」
「アルコール消毒も、必要」
「基本的には、まずは、手洗い」
命令されていたようになって、社会の皆が、従った。
「よし。手を、洗うか」
「ほら、洗え」
「しっかりと、洗え」
手洗い消毒は、それをした当人を含めて、誰にとっても、身を守る有効な手段になれるだろうと、わかってきていた。
だがその改革も、やりすぎには、注意すべきだった。
場合によっては、生活に、病的な支障を残したからだ。精神的な障害の1つである、いわゆる、強迫性障害というものにつながりかねないとも、騒がれたのだった。
強迫性障害とは、強迫観念と脅迫行為とが組み合わされた障害のことだ。
そのうち、強迫観念とは、ふとしたことで頭に浮かんだことで、その人に与えてしまう不安、衝動のことだ。不都合なイメージが先行し、不快感を植えつけた。
ウイルス騒ぎでいえば、たとえば、通勤通学に使うバスの中のつり革に触れたときのこと。こんな思いを抱くかも、知れなかった。
「…あ、しまった。つり革を、触ってしまった。ウイルスが感染してしまうかも、知れない。すぐに手を洗わなければ、大変なことになるんじゃないだろうか?」
または、ちょっとした外出時にも、こう思う人がいただろう。
「外出するから、戸締りを確認したまでは良い。たしかに、確認はした。が…。今、思い返せば、心配だ。確認不足で、どこかが開いているんじゃないだろうか?」
そうした負のイメージが、強迫観念というものだ。
高校の生徒もまた、その、強迫観念をもっていた。
学校で、若い世代の先生に触れてしまったときは、ひどく、心配になった。あの世代は嫌だと、念入りに、手を洗ったものだ。
これにたいして、脅迫行為とは、強迫観念の不安感や不快感を消そうとするあまりにやりすぎてしまう行為のことだ。
これは、心の疾患の1つだ。強迫観念の説明を用いたなら、このようになった。
「バスの中のつり革に触れた部分を、徹底的、念入りに、洗う」
「一旦外出しかけたのに、何度も何度も戻って、戸締りを再確認する」
代表的な症状が、汚染防止のための洗浄に関するものだといわれたようだ。
ウイルス騒ぎでは、誰だって、ウイルスによる感染を防ぎたくなったものだ。
「念入りに、手洗いをしよう!」
ここで、気を付けたいことがあった。
やりすぎは、日常生活に支障を出しかねないケースを生むということ、だった。
医者にはかかりたくないという思いから、感染防止のために、手を洗い続けたとする。その結果、水道代が月10万円を超える人が出たという。手の洗いすぎで、かえって皮膚を傷つけてしまい、医者に診てもらわなければならなくなった人も出たと、いう。
一体、何のための手洗い行動だったのか?
「医者に、かかりたくないのか?」
「医者に、診てもらいたいのか?」
自分自身で、処理できなくなっていく。
あることに、似ていただろう。
「少子化社会ということもあって、かわいいかわいい新世代の子たちに社会的な手当てを与えて、過保護に過保護を重ねた教育をしてしまったこと」
それって、何のための行動だったのか?
「それによって、新世代の子たちが、暴走レイバー。何をしても許してもらえ、何をしても守ってもらえるんだと、大錯覚。その手当てを出すよう命じられた世代が、余計に、苦しまされた。泣かされた。手当てを与えられて甘い蜜が吸えた世代は、感謝を、しなくなった。そして、なんと、泣かされた世代の就職先までとってしまった。何のため?」
そんな事件が、起こった。
かわいそうどころの話では、なかった。やりすぎは、病的だ。
日本という国は、これで、大失敗をした。
「しまった、子どもが、少ないぞ。増えすぎた高齢者世代が、支えきれなくなる。すぐに手当てを与えなければ、どうするのか。労働者人口がまかなえない事態に、なるんじゃないのか?」
「手当てだ」
「手当てを、与えろ」
「働かせろ」
「就職口を、与えよう」
気付いたときには、遅かった。
日本は、すでに、ゆるゆるとした栄養を送りすぎ、満足に働けなくなっていたのだ。
戸締まり確認のやり過ぎは、危険の手前だった。
「戸締りは、したかな?泥棒に入られたくは、ないものな。心配だなあ…。一旦、帰宅しよう。再確認だ」
感染症予防も、似ていただろう。
「手、洗った?足りないんじゃないか?」
感染予防のために手を洗いすぎて、かえって、新たな症状が生まれることがあった。結局は医者に診てもらわなければならなくなるという悪循環が、引き起こされるのだ。
医学的に、強迫観念と脅迫行為とには、負の相関性があったということだ。
強迫性障害の、悪循環…。
森林管理部の活動からはじまったウイルス騒ぎが、その悪循環の良き例に、なってしまった。
「外出時、どこかの手すりに触った。手に悪いものがついたんじゃないかと、不安」
そこで、何度も何度も手を洗うという脅迫行為に出てしまうのだ。
その結果、病気にならなかったとする。
すると今度は、新たに病的な気持ちも生まれやすかった。
「ああ、良かった。俺は、病気にならなかった。それは、手を洗ったからだ。これからも、絶対に、手を洗わなければならない」
次に手すりに触ったとき、その一連の流れが、繰り返されることになる。
繰り返しも、新たな症状だ。
確認をすること自体は、良かった。が、確認のしすぎで、次にやるべきことがおろそかになってしまう事態が、起こされた。
「本当に、部屋の鍵は、かかったのか?本当に、水道の水は、止まったのか?ガスの元栓は、閉まったのか?」
この不安で、家と外出先とを往復。
「書類に、不備は、ないだろうか?」
必要以上に、何度も、読み返した人。
読み返しすぎたことによって、新たな問題が、起こされた。その書類を読むのに時間がかかりすぎてしまい、次に読むべき書類にまでは、手が回らなくなってしまったのだ。
こうした状況を打開するには、工夫が必要だった。
忘れ物が心配であれば、チェック表を作るという方法があったはずだ。
だが、それだけでは安心できず、こう思う人が出たところが、強迫性障害の怖いところだった。
「チェック表を作って、忘れ物がないかの確認ができるようになったのは、良い。けれども、そのチェック表の項目は、正しかったのだろうか?」
そう思ってしまう人も、いたのだ。
こうした流れは、なかなか、止められなかった。
「次も手を洗わなければ、納得できない」
そこでまた、必要以上に、手を洗いたがってしまう。
強迫性障害の流れで怖いのは、本来の目的がわからなくなってしまうということ、だった。
目的はあいまいであろうとも、最低限、自分なりの脅迫行為がおこなえないと、不都合になっていたのだ。
ついに、自分自身のたくさんのことが、嫌になってしまう。
こうした、習慣としての持続が、儀式化と呼ばれるものだ。マイルールのようなものだといっても、良いのではないか。
儀式化の恐ろしいところは、習慣化してしまったことで、本人の力では、症状のコントロールができなくなる点にあったようだ。
「指差し確認」
たとえばそれは、良い行動と考えられた。
が、手順が少しでも違えば、その人の自分自身を嫌にさせるきっかけ作りになってしまうかも知れなかった。
「指差しで1つずつ確認したのに、失敗」
これが、嫌な気持ちを生む。
「そうか。完全には、覚えられていないのかも知れないなあ」
こういう人の場合、絶対に覚えられたんだという実感が出なければ、はじめからやり直してしまうことも、あった。
これは、要注意。
儀式化してしまえば、手順をきれいにこなすことが、目的に変わってしまうからだ。
強迫性障害を引き起こす理由や症状は、様々だ。手すりやつり革、家の鍵、若い世代との接触…。
このウイルス騒ぎの中、医療従事者は、良く考えて欲しいといわれた。
医療従事者にも、リスクは高まった。
ただでさえ、医療従事者は、一般人に不安視されそうな存在だった。それなのに、さらに、リスクを背負うのだという。
医療従事者は、苦労の連続だったのだ。
「ウイルス騒ぎに弱る人々を診てあげられたのは良いが、本当に元気になってもらえたのか、不安で不安で、何度も、確認をしたくなってしまう。その結果、患者のプライバシーにまで、踏み込みすぎてしまう」
そうした悩みが、出てしまうのだ。
ウイルス騒ぎにおいて、重症化のリスクが高まると指摘される高齢者、基礎疾患のある人、その近親者、医療従事者らは、酷な一方だ。命を守るためには、どうしても、完璧なまでの衛生維持が求められていく。
一日中が、脅迫だ。
そのストレスは、計り知れなかった。
「その意味でも、医療従事者は、どれだけ大変だったことか?」
ウイルス騒ぎは、突然の、出来事だった。森林管理部のみが抱える事件とは、ならなかった。
「まさか、これほどの騒ぎになるとはな」
「恐ろしいよな、ルナ?」
「だが、恐ろしいのは、ここからだ」
「だよな」
「顧問の先生は、きついだろう」
「新卒先生、か…」
「きついだろうなあ」
「生きる教育を受けたのにもかかわらず、生きる力が、なくなっちゃったんだよな?」
「らしいね」
「新卒先生も、何とかして、あげたい」
「ああ。安らかにさせて、あげたいよ」
世の新卒先生たちは、どれほど、つらかったことか。
優しくなれて、先生を愛せるように変わった2人の心配は、果てしなかった。
新卒先生たちは、定年退職おじさんの世代とはまた違った、偉大なゆるさだった。何としてでも、安らかにさせてあげなければならなかった。
もちろん新卒世代の人たちは、反発しただろう。
「そんなことは、ないよ!僕たちだって、苦労して育てられてきたんだぞ!」
が、変わった反発だった。
苦労の意味もレベルも、就職氷河期世代の人とは、格段に違ったはずだからだ。それなのに、その差が、わからなかった…。
悲しいことだった。
苦労と勤勉を重ね、次世代に奉仕を命じられ、その揚げ句に、その次世代にポストを奪われた人の気持ちがわからなくなっていたのか?
素晴らしき新卒世代は、反発心を重ねて、敏感さを増した。
「早く、手を洗わなくっちゃいけない」
「汚れちゃうよう」
「感染しちゃうよう!」
「早く、手を洗うんだ!」
「アルコール消毒も、忘れちゃダメだ!」
「皆と、同じようにするんだ!競い合わない面接練習を、思い出すんだ!」
「うん!」
「お母さんに、怒られたくないもんね!」
「手を、洗わなくっちゃ、いけない」
「その通り!」
過保護教育は、思わぬ影響を残していた。
そこで今、新卒世代が強迫観念に沈まぬようにする配慮が、求められるようになった。
「赤ちゃんや新卒世代の子の心を落ち着かせるには、どうすれば良いのか?」
結論。
「大切なのは、ルール作りだよ!」
そう、彼らに言い聞かせるのが良い、とのことらしかった。
「よろしいでしょうか?新卒世代がもっとも愛する母親たちが、優しく語りかけてあげるのが、望ましいのです!」
専門家が、声を上げた。
世の母親は、がんばった。
「良い?ウイルス騒ぎについて、何かをはじめることは、重要なことよ?対策をとりたいのは、ごもっとも。でも、何でも良いから情報を集めてしまえば良いということでもないのよ?来年は、就職するんでしょう?社会に、出るんでしょう?そのための準備としても、身に付けて欲しいことが、あるの」
「何?」
「情報の、選択能力よ」
「せんたく?洗剤で、洗うの?」
「あら、あら。その選択じゃあ、ないわ」
「違うの?」
「何が知るべき情報なのかを見極めて、生活に生かすっていうことよ?それが、今お母さんの言った、選択ってものよ?わかる?これがわからないと、就職した先の会社で、笑われちゃうわよ?」
「そうかあ」
「これができないと、ウソの情報、フェイクニュースにも、簡単に、引っかかっちゃうんですからね」
「うん」
「良いですか?来年入社したら、新人研修っていうのがあって、たくさんのことを、教えてもらえます」
「うん」
「でね?そのときには、その情報選択能力がついていると、格好が、良いの。会社の人に、褒めてもらえるようになるわね」
「うわあ」
「だから、今からでも、情報の選択ができるように、なりましょうか。会社の人が、びっくりするわよ?今年は、すごい人材が入社してきたぞ!さすがは、新卒一括採用だ。我が社も、万歳だ!ってね」
「うん。わかった!」
このときにこそ、ルール作りが、必要になるのだという。
「S NSで情報を集めるのは良いけれど…。そうね。こうしましょうか?」
「何、何?」
「ルールを、作りましょう」
「何?新人研修?」
「それは、ちょっと、早いわ。お母さんとこの家庭との、ルールよ?」
「うん」
「本当に大切だと思える情報を、1日3回までなら、見ても良いことに、しましょう」
そう言ってあげて、相手を安心させてあげることが重要なのだと、いう。こうした配慮は、教育的観点からも、重要だという。
新卒世代の生活にメリハリがつくのはもちろん、何が大切な情報であると考えられるのか考えさせられれば、総合的に、社会人としての努力を生ませることにもつながるのだ。
だから、教育的にも重要と、言えたのだ。
これはまた、赤ちゃん教育の点からも、重要になるのだという。
極めて若い子を抱える母親にも、知ってもらいたいことが、あったのだ!
「私の赤ちゃんを、守らなければ!」
そう思う母親には、絶対的に知ってもらいたいことだった。
我が子がかわいい母親の中には、赤ちゃんの服をはじめ、食器類やおもちゃにまで、消毒をする人がいた。
こんなことは、言えなかったろう。
「それって、異常だぞ!」
母親の気持ちを考えれば、なかなか、言えたことではなかったはずだ。
子どもを消毒したいという気持ちや行為自体は、非難できないのかも知れない。が、やり過ぎには、困ったものだ。
手洗いの強迫観念症に、似ていた。
赤ちゃんの使う食器に、消毒液を、何度も何度も塗ってしまう人もいたようだ。
赤ちゃんを菌から守りたいのは、理解できるか。
だがその赤ちゃんは、日々、消毒まみれの道具を使って生活する羽目になるわけだ。
「それは、ちょっと…」
何だか、いたたまれない。
やりすぎは、医学上、問題だったのだ。実際に、赤ちゃんの身体そのものに消毒液を使いたくなったと訴える母親も出たと、いう。
が、思い止まった。
誰かによる阻止が、あったのだろうか?
赤ちゃんをもつ人にたいしては、まわりの人の助言なりがあると、いろいろと、助けになるようだ。
他人の言うことが聞ける人なら、有効だった。赤ちゃんをめぐる強迫性障害には、育児不安のレベルでは解明できない難しさがあるといえてきた。
赤ちゃんへの対応は、難しかった。
新卒世代の扱いと同じように、ハードルが上がり続けた。
赤ちゃんを横に置いて、エアロビクス体操に熱中した、母親。
「休憩に、しよう」
このときに、母親は、やおら、立ち上がった。赤ちゃんを名残惜しみつつ、仕方なくゆっくりと、心を伸ばした。
エアロビクスに熱中するあまりに、激しく動く手を赤ちゃんにぶつけないようにと、別の部屋に、移ったのだ。
しかしながら、赤ちゃんを思ってからこそのこの行動によって、新しい悩みが増えたようだ。たとえ、赤ちゃんが泣いてあやしにいきたくなったとしても、すぐには、対応できなくなってしまったのだ。
「大切な我が子だからこそ、傷付けたくないのよね」
だがそれは、母親の、身勝手だ。
「大切にしたいからこそ消毒をし過ぎて、かえって、医者に診てもらわなければならなくなってしまった」
その矛盾に、似ていた。
何だか、育児の話になってきたので、戻さなければならない。
とにかく、強迫性障害と赤ちゃん育児とには厳しい関係性があり、母親には、細心の注意が要求されるといえたものだ。
「母親も、知っておこう!」
強迫性障害を考えるにあたっては、育児への考察も、必要不可欠なのだ。
「疲れる社会だな…」
誰かが言った通りに、ウイルス騒ぎは、社会的に、プレッシャーを植え付けた。
「どこかに触れば、感染してしまうのではないか?どこかに触れば触るほどに、消毒をしなければならないのではないか?」
疑心暗鬼は、広まった。
消毒をやめたくても、やめられなくなった人が出ていた。ここが、いわゆる潔癖症とは異なる特徴だった。
潔癖症であれば、1度消毒をすれば、充分だっただろう。それに、精神的に、楽になり易かった。はじめから何かに触らなければ、すべてが、完結できたのだから。
強迫症障害は、自身での完結を許さないもの。どう考えても、厄介でしかなかった。
「どうしよう?」
「こうまで、悩んだら…」
「病院にいくしか、ないな」
こうして、医療従事者の負担が、また、増えていくのだ…。
新型ウイルス社会は、医療従事者らの苦労が、どれほど、大きかったことか?まわりの苦労を感じ、感謝できる人間になりたいものだった。
医療従事者には、引きこもりの相談をした人も出たと、いわれた。憂うべき事態と、なった。引きこもりをした人がいけないなどと軽々しくは言えなかったところが、憂うべきだった。
「先生?」
「どうされましたか」
「ウイルス騒ぎで、引きこもりそうです」
「あなたが、引きこもる?」
「はい」
「どういうことなのでしょう?」
新型の悩みが、暴露された。
「先生?外出したら、何かには、触れなければなくなってしまいます」
「ええ」
「だったら、外出は、できません」
「だから…、引きこもったのですか?」
「だって、そうでしょう?外出したら、いちいち、消毒をしなければならないんです。店の入口では、アルコール消毒をさせられます。マスクをしていなければ、入店を断られる場合もあります。そんな社会的義務には、もう、ウンザリなんです」
「そういうこと、でしたか」
「マスクをしなければ入店は控えるよう言われるのには、我慢が、できます。それが社会のルールなんですから、従います」
「そうですか」
「でもね、先生?」
「はい」
「店員のほうがマスクをしていなかったりすることも、あるんです!」
これには、客も、怒っただろう。
マスクの着用を強要した側がマスクを着用していなかったのだとしたら、注意された側は、我慢ならなかった。
人間とは、おかしなものだった。
同じ店に入っていた人同士でも、ケンカは起こった。
「ちょっと、おかしいじゃないか!俺は、店員に、マスクを着用するよう注意された。それなのに、おかしいよ。俺の他にも、マスクを着用していない客が、いたじゃないか。それなのにその人たちは、何も、注意されていなかった。こんな差別って、あるか!」
感染警備隊が、組まれたほどだ。
「マスクを着用していない客を、探せ。我々警備隊が、注意をしてやれ!」
「そうだ。そうだ」
「言ってやれ!」
客同士の関係悪化の、はじまりだ。
「おい、あんた!マスクをしろよ!」
「何だと?」
「これが、新型ウイルス社会のやり方だろう?マスクを、しろ!」
「…店員でも、ないクセに」
「店員でなくても、注意すべきは、注意すべきなんだ。文句が、あるのかよ!」
「生意気だよ、あんた!」
「生意気じゃあ、ない!この店の店員が何もしないから、悪いんだ!」
「何なんだよ、お前は!」
「我々は、自粛警察だ!」
「何だって?」
強迫性障害の社会化は、このようなことを引き起こすリスクも抱えた。
「感染したくないから、外出は、控える」
引きこもりは、まさに、この考え方が強くなりすぎてしまった、新たな病気だった。外の世界が汚れて見え、自分自身の安心できる場所から、動けなくなっていくのだ。
「自分自身の触れるモノだけが、清潔なんだ。俺のいるこの部屋だけが、正しい場所なんだ。ということは、リビングにいくには、汚れた場所を通らなければならないと、いうことだ。嫌だな…。もう、動きたくない」
家の中を移動するためのスリッパを、いくつもいくつも、用意してしまう人もいた。
そのスリッパは、ネット通販で、買ったモノだ。
「なるべく、他人には、触れられたくないんだよな…。スリッパは、他の客に触れられないモノでなければならない」
この作戦で、どうなった?
ネット通販用に送られてきた段ボール箱ばかりが、家中に、たまっていった。
その段ボール箱は、清潔である自室にしか収納したくなくなった。すると、部屋に、段ボール箱の群れができた。寝るスペースが、なくなった。これは、最悪の環境だ。
日常は、強迫性障害によって、ひっ迫されていくことがあったのだ。
強迫性障害をなめては、ならなかった。
強迫性障害は、2人の通っていた高校の同級生にも見られた。
ルナとルウの2人は、異なる教室で、高校生活を送っていた。
「お互いの教室で、何があり、何が、話題だったのか?これから、どんなことが起こりそうか?」
それらを、帰宅してから、しばしば、語り合ったものだ。
そのときに、わかったことがあった。
「ああ、そういう人、いるな」
「いる、いる」
意外な事実、だった。
「このウイルス騒ぎは、すべて、嫌なんだよね。なんていうのか、不吉なんだよ」
そう言って、その不吉をぬぐい取る儀式がおこなわれていたことが、わかってきた。
それは、友人なりの、個人的儀式だった。
「これで、良し」
「何だ?何を、やっているんだ?」
「おまじない、だよ」
「おまじない?」
「ウイルス退散を願って、良い画を、描いてみたんだ」
友人は、ノートを広げた。
「何の絵なんだ?」
「まあ、見てくれよ」
2人のそれぞれの友人は、疫病の退散に効くといわれた特定の妖怪の画を描いたノートの1ページを、見せてくれたのだった。
奇妙だったのは、その画が描かれたノートの、ページの使い方だった。
「それで、どうするんだ?」
「どうするって?」
「ノートに画を描いて、それを見つめて、いろいろと思うのか?」
「まあ、ね」
「時間が経つと、そのノートに描かれたものは、死ぬわけか?」
「バカ」
「じゃあ、どうするんだ?」
「どこかに、貼るんだよ」
「貼るのか?」
友人は、自室の天井に貼ったと、言った。高校の壁に貼ろうかとも思ったらしいが、それは、できなかったそうだ。先生やクラス委員長らに、こっぴどく、怒られるからだ。
「家のあちこちに、貼ってみた」
友人は、行動的だった。
その妖怪の絵を、自宅の玄関からはじまって、風呂やトイレに至るまで、あらゆる場所に、貼っていったのだという。
妖怪の絵を頼ったまでは、構わなかったの。だが、やりすぎには、困ったものだった。
他にも、それに似た強迫性障害ではないのかと考えられる、変わった友人がいた。
「あの世代の生き方に、感染したくない」
新卒世代の先生たちによる痴漢事件の報道を見る度に、強迫観念を植え付けられたということだった。
不信感が増して、先生がどんどん汚く見えてきて、学校にこられなくなってしまった児童生徒もいたのだという。
高校だけでなく、小学校の新卒先生も、恐怖の存在だったのだ。
小学校と高校とで大きく異なるのは、教えられる側の年代だ。
高校とは異なり、小学校での新卒先生の相手は、若年齢層の子どもたちとなっていた。これが、小学校の新卒先生たちに、ゆがんだ勇気を与えていた。
「俺の相手は、ガキだ」
「力では、絶対に、俺には勝てない」
「ひひひ」
「抵抗されたら、公務執行妨害で捕まえれば、良いんだそれから、S NSで流せ」
「へへへ。ガキは、チョロいもんだな」
小学校の新卒先生たちは、次々に、悪さをしていった。子どもたちは、新卒世代の悪行に、おとなしく従ってしまった。
「良いかい、皆?先生の悪口を言ったりS NSで拡散させたりしたら、中学校入試を、邪魔するからね?将来が、台無しになるよ?それでも、良いのかい?S NS拡散をして良いのは、先生たちだけだ。ガキは、勘違いするなよ?ひひ。小学生の皆は知らないだろうけれど、就職氷河期世代っていうやつらがいてね?先生たちに金を貢がされ努力を傷付けられた揚げ句、先生たちに、将来を奪われた人たちが、いたんだ。かわいそうだねえ。へへ。ああなっちゃったら、終わり」
新卒世代の先生たちは、汚さを、増していった。
「早く、手を洗わなくっちゃ!」
「私も!」
「俺も!先生に、触っちゃった」
子どもたちは、エスカレートし続けた。こう訴えた子まで、出ていた。
「私、学校にいけなくなっちゃった。いってしまったら、お父さんたちを笑った先生たち世代に感染しちゃうかも知れないもん!」
やがて、その子は、学校にこられるようになった。
「若い先生には触れないよう、各教室の各生徒の机に、アクリル板を1枚ずつ、配布します」
ベテラン先生が、そう言いだしたのだ。
「学校の先生同士が仲良いなんて、ウソ」その子も学校側も、安堵していた。
「あ!」
「まじか!」
ルナもルウも、驚かされた。
「高校も、なのか?」
職員室に入れば、あの新卒先生の机のまわりに、しっかりと、アクリル板が設置されていたのがわかったからだ。
「ルウ?見てはならないものを、見たな」
「これが、大人の社会なんだな。ルナ?」
「みたいだな」
学校にこられるようになった子は、不条理にもだえていたと、聞いた。学校側は、その子が不登校になってしまった原因を、先生側にあったとは認めなかったのだ。
「先生が、先生をかばっていたのか?」
「先生は、地方公務員としての安定した地位を、守りたかったんだろう。汚らしい」
「言うな」
「でも、それが現実だよ。ルウ?」
「そうだな、ルナ?先生は、美しい。俺たちは、もっと、新卒世代の先生たちを、愛するべきなのかも知れないな」
「お腹を痛めて産んだ我が子を、新卒世代の先生に人質に取られた母親の気持ちも、知るべきなんだ。なあ、ルウ?」
「そうだな」
「若い先生は、美しいよ」
「世界に1つだけの、何とやらさ」
「…だからそれ、言い過ぎだろ」
「でも、さあ…」
「何?」
「話は、戻るんだけれどさあ…」
「だから、何?」
「妖怪の絵を貼るのはいいが、家のあちこちにまで貼っていくっていうのは、やり過ぎだ。感染予防っていうのは、良いだろうが」
「ああ。その、話か」
ウイルス感染を無くすため、心からの誠意でやったことであっても、疑問は残された。
「やっぱりそも、強迫障害なのか?」
「だろうなあ」
2人共に、不安になっていた。
勉強になる話し合い、だった。
「ルウ?こんなことを知っていたか?」
「何?」
意外な事実が、明らかとなった。
強迫性障害からきたであろう儀式には、いろいろな種類があり、中には、こんな友人もいたくらいだった。
友人は、ルナに、こう言っていたようだ。
「ルナ?学校にいくまでには、いくつもの横断歩道に、出くわすだろう?」
「ああ」
まさか、それが、強迫性障害に関する話題になるとは予測しておらず、ぶっきらぼうな返答に、なっていた。
「良いか、ルナ?」
友人は、自信たっぷりだった。
「ルナ?俺のような徒歩通学者は、その横断歩道が、無性に、気になるんだよな」
「横断歩道が、か?」
「そうだ」
「横断歩道って、あの、縞々ラインか?」
「もちろん」
「それで、何が気になるっていうんだ?」
「あの縞々ラインの踏み方が、さ」
「何だよ、それ」
道路には、白線が、引かれていた。それこそが、横断歩道のラインだった。
それが、友人には、儀式を考えさせるきっかけになったのだという。友人は、声高らかに、言ってきた。
「良いか、ルナ?俺は、その白線部分だけを踏んで、道路を渡ることにしている。それが俺の、マイルールだ」
「マイルール?」
「ああ。儀式といっても良いのかもな」
「儀式、ねえ…」
感心することも、笑うこともできないルールだった。強迫性障害の臭いが、してきた。
「でも、待てよ…?」
「どうしたんだ、ルナ?」
この白線踏みは、他人には迷惑になるルールだと、わかっただろう。白か黒かの、他愛ない横断歩道の色確認でも、し過ぎれば、通勤通学に時間をかけてしまったものだ。いさかいが、起こされただろう。
「こら、遅い!何を、やっていたんだ!」
「横断歩道のラインを、1つ1つ、確認して渡っていたんだ」
「何だって?」
「白線部分から外れたなら、はじめに戻って、渡り直しました。それで、もし、信号が赤になって渡れなくなってしまったら、信号が青になるのを、待つ。その繰り返しをしていたから、遅れたのかも知れません」
「ばか者!」
が、この程度なら、救いはあった。
本当に困るのは、注意散漫の前方不注意として、道路交通法的にも問題視されるようになった場合だろう。
これは、危険。
事故が、起こり得た。
「ええ?あの白線踏みって、精神的な病気の入り口だったの?」
知らない人は、多かったはずだ。
「普通、あれが病気だなんて、思わない」
「だよね」
2人も、驚きだった。
S NS空間では、エゴサーチと呼ばれる、個人の悪口書き込みがないかをチェックする行動が、問題だったろうか。
エゴサーチは、新たな確認行為の強迫症行為なのでは、なかったろうか?
強迫性障害にも、いろいろな分類がされたが、少なくとも、それが事件に発展することのないよう留意したいものだ。
すでに上げた、引きこもりのケースが出ると、考えられた。
引きこもりの問題は、発展した。
「ああ。ここから、出たくない。この場所だけが、安全なんだ」
閉じこもった場所だけが、自分自身の正しい場所なのだと、錯覚を起こさせるのだ。
このときに、事件が起こされた。
引きこもって安心できていた場所に他人が入ってくると、カッとなって、暴力を振るうケースが見られたのだ。
横断報道のケースをも超える事件化が、危惧された。
「誰にも侵されない、自分の場所」
その、心理学でいわれるパーソナル・スペースを侵された人間の怒りは、抑えがたいものがあった。
「俺の部屋に、入ってくるんじゃない!ここは、俺だけの場所だ。出ていってくれ!」
子どもにそう言われた母親は、どれほど、いただろうか?
が、悲観するばかりでも、いけなかった。
以上のような強迫性障害には、治療法があることも、知られていたのだから。
「外出先では、マスクをしないと、生きられない気になった。アルコール消毒をしないと、気持ちが、落ち着かない。どうしよう」
そう悩む人にも、対策は、あったのだ。
まず、精神科を受診することは、最善ともいえる治療法の1つだった。
他には、心療内科にいくことも、最善策として考えられただろうか。
ただし、注意。
治療は、簡単にはいかなかった。
強迫性障害は、社会的には、認知の新しい病気だ。有効な治療法が確立してからは、まだまだ、時間が経過してはいなかったのだ。専門といえるほどの医師は少ない点で、どういった対処が良いのかは、悩むところだったろう。
医療機関でおこなわれる治療には、主に、薬物療法と認知行動療法が中心になった。
そのうち、薬物療法では、主に、SSRIという薬が、用いられた。
認知行動療法では、暴露反応妨害法という方法が、中心になったようだ。
森林管理部のウイルス事件後、運良く息を吹き返した新卒世代の顧問も、強迫性障害の疑いがあったと見えた。
「じゃああの先生も、治療が、必要なんだな」
「薬物療法、か?」
「薬物は、やばいんじゃないの?」
「オンリーワンが、覚醒しちゃうよ」
「じゃあ、どうする?」
「面倒な世代、だ」
「これで治療が上手くいかなかったら、俺たちの世代のせいに、するんだろうなあ。治療が上手くいったとしても、何を、言われることか…」
「どうする?」
「面倒な、世代…」
生徒たちは、複雑な思いだった。
「ゆるゆるに生きられて、他の世代の邪魔をした上に、今度は、耐性の無さが祟って、沈没か…。でも、救ってあげなくっちゃ、ならないんだろうな。文句を言われたら、嫌だものなあ。本当に、面倒な世代だよ」
「仕方が、ない…」
「やるか…」
「また、文句を言うんだろうけれどなあ」
「面倒」
生徒らは、その新卒世代の先生を社会復帰させてあげることに、決めた。
「この先生は、どうやったら、立ち直れるようになるだろうか?」
生徒らは、考えに、考えた。
「先生を、救おうよ」
「そうだよな」
「こんな人でもいないと、先生不足が、解消されないもんな」
「そうだよな。現役高校生よりもレベルの低い若い世代だって、必要なんだ」
「その通りだよ、ルウ!」
「蟻たちの世界を、見ろ!」
「おお?どういうことなんだい、ルナ?」
「蟻たちの世界には、女王を中心として、働く蟻が2割程度だ。その他は、働かない蟻で占められるっていうじゃないか」
「ルナ…、それって…!」
「そうさ、ルウ!」
「そういうこと、か!」
「校長先生という女王を中心とする、学校教育界の、ピラミッド構造だったのさ」
「ルナ!」
「わかったかい、ルウ?」
「でも、ルナ?校長先生は、文部科学省の官僚が統治する、地方自治体の教育課にさらに飼い慣らされる、生け贄みたいなものじゃあ、なかったかなあ?」
「しっ!」
ウイルス騒ぎの影響で優しくなれた双子の目が、輝いていた。
「先生のために、治療方法を、考えてあげようよ」
「そうだな、ルナ!」
「先生のことが、大好きだもんな!」
「そうだ!」
「ああいう人間だって、必要なんだ!」
「いや、ルナ…。それは、言い過ぎ」
新卒世代の先生は、自ら考えることが、できなかった。その特徴的なまでの努力の無さは、このウイルス騒ぎをきっかけに、加速していた気がした。
生徒たちには、それが気の毒でならず、団結して、先生に手を貸してあげたかったのだった。
先生は、かわいい赤ちゃんのようだった。
優しく、説明を続けてあげた。
「先生?良いですか?」
「うん」
「強迫性障害の治療法である薬物治療というのは、メリットがあります」
「うん」
「治療を開始しやすくて、早期の回復が、見込まれる点です」
「うん」
先生は、おとなしかった。
いたいけな大人が、聞き耳を立てていた。
「先生?」
「うん」
「聞いていますか?」
「うん」
説明は、上手い具合に、続けられた。
「でも、薬物療法には、副作用や再発もあると、考えられます」
「うん」
「怖いんですよね。外出しては手を洗い、マスクをつけていなければ入店もできず、また外出しては手を洗い、またマスクを忘れれば入店ができなくなってしまう怖さ。先生にも、わかりますよね?」
「うん」
本当にわかってくれたのかどうか不安だったが、とりあえず、生徒らは、次の説明に向かうことにした。
すべては、愛すべき先生のためだった。
これからの社会は、こうした先生世代が担うのかも、知れないのだ。
残念ながら…。
「あの新卒世代には、手を触れたくないよね。何といっても、努力をしてきた世代から金をもらいながら、感謝はしないわ、それでいてポストを奪うわ…。先生世代を見たら、アルコール消毒だ!消毒して、私たちの世代も若い先生世代も、きれいにならなければ、いけない。社会のためにも、ね!」
クラス委員長の発言には、重みがあった。
生徒らはまた、認知行動療法についても、説明してあげることにした。
「先生?」
「うん」
「話を聞いてくれるのは、良い」
「うん」
「でも、先生自身の力で、考えてくれているんですか?」
「うん」
「まあ、良いか…。これが、あの、新卒一括採用の世代なんだよね。これからの社会、この人たちを、誰が介護するんだろう?」
「まあ、良い。先生?話、続けますよ?」
優しい優しい生徒たち、だった。
認知行動療法は、効果が高いといわれることを、説明してあげた。副作用もなく、効果が持続してくれるので、再発予防も、期待されるという。
それを、どう、新卒世代に教えたら、理解してもらえただろうか?
「そういえば、ルウ?」
「何だい、ルナ?」
「いけない、忘れていたよ。新卒世代の先生たちは、自分自身の力で物事を決めることが、できないんだったな?」
「ああ。そういえば、そうだったなあ」
「あの若い世代、学食で何を食べるのかも決められずに、親に連絡をとるのが普通だって、いうじゃないか」
「そうだったな。結婚相手だって決められないから、親が同伴して、食事会とかをするんだったよな」
「それ、見合いみたいだな」
「見合いっていう言葉は、知らないと思うよ?」
「今の新卒世代の先生じゃあ、その言葉なんて知らないさ」
「何で?」
「教員採用試験には関係ないから、覚えたくなかったんだよ。だから、知らない」
「でも、結局は、楽々採用だけれどな。良いよなあ、新卒世代。ほら、就職氷河期っていう人たちが、ますます、かわいそうだ」
「だよな…」
「同じ人間、なのにな」
「そうだよな。同じ、人間なのに…。うんの良い人は、良いんだ。誰かが何かをやってくれる社会で、努力をしなくても、自分中心に、わがままの横行だ」
「ほんの少しのタイミングが狂っちゃえば、取り返しのつかないことになるってこと、だな」
「取り返しの、つかないこと?」
「会社では、後継者が育たない。タイミングを逃して、優秀な人の採用を抑制したおかげで、今は、友達以外の人とはまともにしゃべれない新卒世代が、オフィスに蔓延だ。それじゃあ、仕事にならないっていうのにな。友達の中でないといられない生活のクセが、知らない人の中でこそ構成される社会に、通じると思うか?全社会が、大きな犠牲を払ったよな?」
「そう、言うなよ」
「就職氷河期世代の人は、かわいそうどころの話じゃあ、ないよ」
「ルウは、言い過ぎだ」
「若い先生たちは、良いよなあ。同僚の教員に劇辛毒物を与えても逮捕されないし、教育実習先の小学校の児童に暴行を加えてストレスを発散させていたとしても、厳重注意処分程度で済むって、いうじゃないか」
「ああ。一時的であるにせよ、殺人以外はたいてい許してもらえる地方公務員としての身分が、保証されるんだからな」
「話は、それるけれど…」
「何?」
「何で、厳重注意処分程度で、済むの?教員難社会で、先生の卵にいなくなってもらいたくは、ないからか?注意したら、S NSで復讐されるかも、知れないからか?話が、外れてきたけれどな」
「新卒世代って、すごい力を、もっていたのさ。すごすぎて、美しすぎて、ああなりたくないよな」
「うちの新卒顧問も、美しかったんだな…」
「そうさ」
「新卒の先生たちは、美しいのさ。美しいままに、天国にいってもらいたいもんだ」
「そうだな」
2人の優しい団結は、終わらなかった。
「そうだ!強迫性障害の治療は、決められない新卒先生に代わって、俺たちで、決めてあげようよ」
「ルナは、ますます、優しいんだな。新卒若い世代は、誰かが決めてくれる生活に慣れきった。それを、生かしてあげなくっちゃならん。判断能力のなさを、カバーしてあげよう。先生たちのことが、大好きだもんな。助けて、あげなくっちゃな」
「ああ。優しいさ」
「俺たち、洞窟に入って、変わったよな」「優しさが、みなぎっていたよ」
「先生たちのことが、大好きだ」
「そうだろう、ルウ?教育実習は、人気だよ。皆が、あの、新卒の学校の先生になりたいんだ」
「皆が、教員免許を、とりたいんだ」
「教員免許をもっていれば、民間一流企業への入社の、良いアピールポイントになるからね。教員免許を、もっています。学生時代は、懸命に勉強しましたって、面接官に、言えるじゃないか」
「美しいよなあ」
「教育実習は、最高さ。特に、小学校は、喜ばれるそうだ」
「何で?」
「教えやすいからだよ」
「高校だって、教えやすいじゃないんじゃないのか?」
「そんなことは、ないさ」
「そうなのか?」
ルナは、ルウに、良く、教えてあげることにした。
教育実習先が高校だと、大変なのだ。
高校生のレベルが高すぎて、今どきの教育実習生程度では、その高校生に教育をすることが、難しくなってしまうらしいのだ。
これが、小学生相手なら、別だ。
小学生を相手に教育をすれば、小学生に反論されることは、ほぼほぼ、なかった。低学力教員としてさげすまれることも少なく、実習生たちは、新卒のプライドを保てたらしいのだ。
それに、何と言っても、学校生活が楽しかった。
小学校にいけば、給食は、食べ放題。
子どもたちと、遊び放題。
社会に出れば、まわりに嫌われ続けるであろう世代であっても、小学校でなら、尊敬を受けることができたのだ!
「先生。すごーい!」
「先生は、字が、読めるんだあ!」
「おお!先生、すごいな。中学生の俺の姉ちゃんたちが勉強していることが、わかるのか。これが、大人の力強さなんだな」
小学校を教育実習先に選んだ学生は、鼻高々だった。
双子作戦により、顧問にそうした良い思い出話を聞かせ、新卒のプライドを認めてあげてから、治療法の説明を具体化させていた。に移った。上手く、いきそうだった。
「美しい先生?」
「ほひ?」
「認知行動療法の説明に、移るよ?」
「ふにゃ?」
「それで、その治療方法ですが、先生自身の力で、選択できそうですか?」
「ノーノー、ウェスポン」
「…わかりました。では、先生?再発予防の観点から考えてみて、認知行動療法をおこなってみませんか?」
「うん。お母さんは、きてくれるの?」
「きませんよ」
「んぼー!」
話は、まとまった。
新卒顧問には、認知行動療法に頼らせることに決めてあげたのだった。
他の部員らは、これを知って、喜びの声を上げた。
「やった、決まったぞ!」
「決まったって?」
「何が?」
「こいつの、治療法だよ」
「そうか、そうか」
「これで、新卒世代皆の心が、きれいになってくれるのかな?」
「…そこまでは、わからないよ」
「ヒューマニズムの、勝利だ!」
「私…うれしいわ」
中には、涙を流した部員も、出ていた。
次いで、生徒らは、医療機関にいくよう、先生に促した。先生ははじめ、それを、たいそう嫌がった。
「嫌だ、嫌だ!だ…ダメだよ。仕事中に勝手にいなくなっちゃったりしたら、職場放棄になっちゃうじゃないか!嫌だよう!」
が、その反応は、生徒らにとっては、想定の範囲内。
先生には、こう、良く言い聞かせてあげることにしたのだった。優しくなったルナが、皆を代表して、言ってくれた。
「先生、良いですか?」
「うん」
「専門家への相談は、俺たち生徒を助けるためにも、必要なんです」
「どういうことなの?」
このときルナは、考えた。
「ルナ?こう言ってみたら、どうだ?」
「…そうか。ルウ、ありがとう!」
新卒顧問への兄弟愛が、深まっていた。
ただ単に、相談にいってもらうことを強要するのは、やめた。
そうして、こう言ってみたのだった。
「先生?部員や生徒の皆が、これからも、先生と一緒にいたいんです。先生には、専門家に頼って欲しいんです!そのほうが、部員や生徒の思いも伝わりそうだからです。地方公務員としての先生の身分がどうなろうと知りませんが、少なくも、部員や生徒は、しっかりと、生きていきたいんです!…先生のようには、なりたくないんです!だから、先生?皆のためにも、専門家を頼って欲しいんです!先生のことが、好きなんですよ!」
ルウも、加わった。
「そうですよ、先生!ルナの、言う通りですよ。皆、手洗い消毒の強迫性障害には、悩んでいたことです。先生は、皆の手本ではなですか!努力しなくても新卒一括採用の、素敵な手本ですよね?皆が、先生がどうすべきなのかを、知りたいんです。先生、皆の代表として、専門医に聞いてきてくれませんか?その内容を、皆に、教えて欲しいんです!皆の手本では、ないですか!」
これには、クラス委員長も、加わった。
「先生!心配は、いりません!有休を使って途中抜けをすれば、良いんですよ」
「うーん…。有給は、ダメだよ」
「なぜです、先生?」
「途中抜けで知らない人にあったら、嫌」
「ダメじゃないんだよ、先生?」
「何で?」
「何でって…。理解力のない、先生だ」
「だって、だって…」
「何、先生?」
「だって…。ダメだよ。今どき特有の、話題。学校の先生が、自分の子どもの入学式に出席したいからって、職場の受け持ちクラスを休むっていうケースが出たじゃないか」
「ああ、あれですか」
「先生?職場の学校入学式の日、担任の先生がこないっていうケースでしょう?良く調べてみたら、その先生は、自分の子どもの通う学校の入学参観にいっちゃっていたっていうケースでしょう?」
「うん。ダメだよね?」
この言葉に、部員らは、呆れを深めた。
「この先生は、無知なのか…?」
気味が、悪くなった。
「こいつ…先生なのか?」
「どこかに、問い合わせてみるか?」
「教育委員会、とか?」
「教育委員会は、関係ないだろ」
「じゃあ、地方自治体の教育課、とか」
「…どうする?」
「今どき特有の、話題…。そう、言ったよな?新卒世代の先生って、本当に、この程度のレベルなのか?」
「信じられないな」
「あたしもー」
「マジ、まんじゅう」
教室が、湧いた。
「担任教師が自分の子の学校にいってしまって、職場の受け持ち教室に先生が現れず、児童生徒が、オロオロ。そうしたケースは、何十年も前から、あったことなんだぞ?今どき特有なんかじゃあ、ないよな?」
「こいつは、本当に、先生なのかな?教員が職場抜けをして自分の子の学校にいっちゃっても、有給の権利を行使しただけなんだから、構わないんだぞ?そんなことも、わからないレベルなのか?」
「ああ、参ったなあ…。地方公務員はもとより、国全体で、有休取得が奨励されている社会だって、いうのにな。有給を使いなさいって国が言ったのにもかかわらず、入学式であろうと、卒業式や授業参観日、謝恩会であろうと、教員が有給使って職場を休んだことで処分されたら、大変なことだろうが。国が言ったんだから、学校の先生は、職場抜けをして休んでも良いんだよ。有給を使えって言っているのは、国なんだぞ?これを理解していないから、入学式の日に自分の受け持ち教室を欠席する先生はダメだなどと、わけのわからないことを、言われちゃうんだよ。たくさんしゃべって、疲れた」
「どうだ?…先生?わかったか?」
「うん」
結束が、さらに、高められた。それでも先生は、まだ、何かを決めかねていた。
「決められない世代って、面倒だなあ」
「誰かと一緒じゃないと、決められないんだろう?入社先の会社が、面倒を見てやるしかないんだろうなあ。どうして、こういう世代を入社させて、優秀氷河期世代っていう人たちを落としちゃったんだろうなあ。社会って、先を見る能力があったのかなあ」
「これが、日本の失敗」
「だよな」
「新卒一括採用の、闇」
「だよな」
「おじさん世代が、うじゃうじゃ」
「おじさん世代が消えていなくなったら、ゆるゆるとした、オンリーワンが残った」
「そのオンリーワンは、他人に、語りかけられない。知らない人が、怖いから」
「だから、他人に教えられない」
「そして、会社業務の継承が進まない」
「日本の、大失敗」
優しくなったルウが、先生を、励ました。
「先生?有休を使えば、学校を中抜けしても、構わないんですよ。だから、専門医のところに、いってきてくれませんか?そこで聞けたことを、教えて欲しいんです」
「でも…。1人で、いけるかなあ」
「先生は、子どもの頃に、授業中でも勝手にトイレにいっても良かった世代でしょう?そのクセが抜けなくて、職場放棄をしたんですって言えば、済むじゃないの。文句を言われたら、職員室で他の教員の飲む茶に、毒物でも入れれば良いんのよ。いつも、やっていたんでしょう?大丈夫。公務員だから、逮捕までされないわよ」
「でも…」
「先生、どうしたんだ?」
「怒られちゃうよう」
「怒られる?」
「…怒られ慣れしていない世代だもん」
「先生?自分で、言うなよ」
「あーん、怒られたあ」
「ごめん、先生!泣いちゃ、ダメだ!」
「うう…」
ルウは、優しく励ました。
「先生?とにかく、授業中の中抜けのクセが抜けなかったからって言えば、良いんだ」
「うん」
「他の教員仲間にも、言い訳が立つわ?」
「うん」
「そもそも、授業中に勝手にトイレにいったりすることを許していたのは、若き日の、校長や教頭だろう?」
「うん」
「先生は、だから、注意されないのよ?校長や教頭、それから、学年主任なんかは、注意をする権利もないのよ?」
「うん」
「もしもそれで文句が出るようだったら、それこそ、学校教職員にかかる地方公務員法を盾に、警察に訴えれば、良いんだよ」
「えー。法律違反で?」
「警察も、先生たちと同じ、地方公務員。裏金渡せば、絶対に、相談に乗ってくれる」
「裏金?」
「そうだ」
「そんなのは、ダメだよう!」
「ダメじゃないって」
「ダメだよう!」
「自分自身の立場を、信じろ!先生たちの上司だって、昔は、そういうことを、バンバンやっていたらしいじゃないか」
「そうよ?私、先生のことが、好きよ?」
「先生、わかりました?」
「うん」
「先生?今どき、有休の消化は、当たり前です。国の大臣だって、育児休暇を使う時代なんですからね。社会の波に、乗ってよ!新卒一括採用の波にも、乗れたじゃないの!」
「うん。わかった」
「良し!先生、ゴー!」
長い長い口論の後で、先生は、動いてくれるようになった。
学校を抜け出して、医療機関へと、向かっていった。
「良し。あの先生が、いなくなったぜ!」
「スマホを、出せ」
「ライン、する?」
「やったね!」
「氷河といった時期を脱したから、これでも、就職が楽なんだよな?」
「その、氷河に比べれば、だけれどね」
「先生は、美しいよ」
「俺たち高校生も、な」
「お姉ちゃんが言っていたけれど、就職氷河期世代っていう人たち、言葉にできないくらいに、超絶に、かわいそうよねえ」
「だよな。先生たちのように美しくなれれば、良かったのにな」
「…けれど、あれ?」
誰かが、まずいことを、思い出した。
「認知行動療法についての説明が、足りなかったかも、知れないな」
「そうだっけ?」
そういえば、認知行動療法のデメリットについては、説明していなかったのだった。
認知行動療法のデメリットは、患者の状況によっては、開始や継続が難しい場合もあったという点だった。
「ただいま」
夕方になり、医療機関に出かけていたという新卒顧問が、戻ってきた。
「薬物療法から、はじめることになった」
「先生?良かったですね?」
「うん!」
「良く、1人でいけましたね?」
「うん。警察官に、電車の乗り方を、教えてもらった」
「地方公務員の、友情ですね」
まずは薬物療法をおこない、一旦、症状を落ち着かせてから、認知行動療法に移るべきと、言われたという。
薬物療法から、認知行動療法へ。
それが、治療への通常の流れという。
さらには、これに並行しておこなわれるのが、病気への理解を促すことが目的の、心理教育というものだった。
「それから、先生は、専門家にどんなことを聞いてきたんです?」
「うん。心理教育」
「それじゃあ、回答になっていませんよ」
「だって…」
「これでも、就職楽々なのか」
「信じられないわね」
「良いよなあ。オンリーワン世代。スーパーデリシャス、不公平。日本は、闇だ」
教室内が、湧いた。
「そのレベルで、私たちを教える、学校の先生なんですか?」
「だって、だってえ…」
「ほら、先生?泣かないの!」
要するに、心理教育とは、治療への意欲を高める説明とのこと、だった。
「先生?具体的には、どんな説明を受けてきたんですか?」
「俺たちにも、教えてください!」
「…うん。たくさんのこと」
「参ったな。会話に、ならない」
「難しい世代、だわ…」
「…就職氷河期は、落ちろ!てへペろ!」
「ダメだ。これでは、役に立たん」
「この新卒顧問は、どうする?」
「美しく、黙らせよう」
新卒顧問を軟禁し、部員らは、保健室の養護教諭を、頼ることにした。
さすが、養護教諭は、医療従事者の1人。
より良く、教えてくれたものだった。
強迫性障害の治療のための心理教育には、治療への意欲を高めることの他にも、大切な意味があったのだそうだ。
「それは、関係作りなのよ」
養護教諭は、さらりと、言ってのけた。
「患者と医者に信頼関係が生まれないと、治療の持続が、難しくなるのよね。治療へのやる気が、生まれない。心理教育は、そうならないようにしてあげる準備体操として、意味をもつ教えや体制作りのよ」
養護教諭のワタナベ先生によれば、強迫性障害の治療には、時間がかかるということ、だった。
薬物療法には、効果が早いというメリットがあった。
が、薬物療法だけでなく、認知行動療法も含めて全治療をおこなうとなれば、数ヶ月では、完了しなかった。1年を超える治療期間が、必要になるのだという。
「その長い期間を支えて乗り切れるようにするためにも、患者と医師の関係作りが、急がれるわけですか」
「そうよ?」
「なるほど…」
「お互いの関係がぎくしゃくして、言うことを聞いてくれなかったりしたなら、治療が進まないでしょう?」
「それは、そうですよね」
養護教諭を頼ったのは、正解だった。
「ワタナベ先生は、良く、知っているな」
「そうだなあ」
「ルナも、ルウも、学校養護教諭なんだから、当たり前じゃないの」
クラス委員長に、怒られた。
先生は、その説明を受けて、理解ができたのか?果てしなく、心配になってきたほどだった。
新卒顧問への治療は、辛かった。
新卒世代の人は、学生時代に、あれほど面接練習をしてきたというのに、今は、言葉が継げなくなっていたのだ。
「それも、そのはずでしょう?」
クラス委員長には、お見通しだった。
「面接練習での受け答えは、所詮、マニュアルの暗唱よ。それで学校の先生になってもも、実践では使えない。日常生活でも、どうだか疑問。ああ、新卒先生は、美しいわ。それだけの、話じゃないの?」
皆が、納得だった。
「新卒の先生たちは、情報の選択に、再構築、に伝達能力、たくさんの理解力がないから、ガキのべしゃりも、良いところなのよ」
クラス委員長は、厳しかった。
「こいつは、まずいな…。ルウ?」
「そうだなあ、ルナ?」
すると、新卒顧問は、案の定のことを言ってきた。
「あのね、あのね?専門家の人が前にいるのは、良いかも知れない。だけど、知らない人なんだよ?怖くて、しゃべれないよね。お母さんが横に付いてくれていたら、何とかなったんだけれどな…。疲れちゃった」
新卒流の心のメカニズムが、再発してしまっていた。
「面倒な世代、ねえ。これから、こういう人が、どんな日本を作るんでしょうかねえ?日本は、確実に、自殺行為をしたわねえ」
「どうする?」
「そうだよなあ」
「…私が、いくわ!」
継続した、新卒顧問と専門医の面談には、クラス委員長が、同席してくれることになった。
この同席は、意外なところで、効果を出した。医学的な助言の行き違いが、防げそうだったからだ。
「先生?何か、簡単な言葉で良いからしゃべってみてくれよ。俺たちに、医者から言われたことを、教えてくれないかな?」
「うん。わかった」
先生は、医療機関で、こんなアドバイスを受けたそうだ。
「ウイルスを心配するのはわかりますが、何度も何度も手を洗う必要は、ないのです」
先生は、このアドバイスに、困っていたそうだ。
職場では、同僚の教員らに、こう言われていたからだ。
「きちんと、手を、洗ってください。これまでのゆるゆるオンリーワン気分が抜けないのは、わかります。ですが、子どもたちの教育に、なりません。汚い」
「うん」
「学校の先生が手を洗わないなんて、子どもが見たら、どう思うでしょう?あなたに、それが、想像できますか?あなた方の世代の多くは、トイレから出てきて、手も洗わないのですね。学生のときは、それが普通であると思って、過ごしていたんでしょう?大学のトイレにいって手を洗わないで出てきて、そのまま食堂で食事をして、友達にノートを見せて、女の子と遊んでいたんでしょう?どんな遊びを、していたんだか…。今あなたは、あなたの知らない社会での人です。そんな、知らない教育現場での行動を、良く、考えてください。オンリーワン世代の弊害が、バンバン、出ています。先生の人材難社会じゃなければ、あなたは今頃、クビなのですよ?地方公務員法上クビにできないというのであれば、我々の世代が、代わりに、あなたを追放してやりたいものですよ」
職員室の先生たち皆が連携して仲が良いというのは、誤っていたようだ。
仲が良さそうでも、それは、そう見せていただけなのだ。
「今日、職員室に、入ってみたんだ。お父さん、知っている?職員室の先生って、みんなみんな、仲が、良いんだよ?」
帰宅後、親に、そう報告する子がいたる。きっと、夢を見ていたのだ
「良いですか、あなた?これが、私たちの同僚になるのか…。面倒なのよねえ。まわりのどこかに触れたなら、必ず、手を洗ってくださいね?オンリーワンの菌が、付いちゃいます。子どもの教育に、良くありません」
学校で、注意され続けた。
若い先生の頭は、混乱した。
場所ごとで、アドバイスが、違ってきたからだ。
「手は、洗わなければ、ならないのか?それとも、手を洗う必要は、ないのか?トイレから出てきて手を洗うのは当然だとしても、その他の場合、たとえば、スーパーマーケットの壁を触ったときにも、手を洗わなければならないか?」
そう言われたら、危険。
考える生活をしてこなかった新卒先生たちの頭が、がんがんしてきたからだ。
「考えたく、ない…。考えたく、ないよう…。お母さん…。誰かが自動的にやってくれる時代は、終わったの?嫌だあ、嫌だあ…。社会って、意味がわからないよ。俺は、世界で1つだけの存在なのに!」
こうした行き違いを防ぐことが、治療で目指されてもいたわけだ。
「先生?落ち着いてよ」
「うん」
「どうしてこのレベルが、私たちの先生、なのかしら?」
「ぶう」
「ほら、先生!医者が、きてくれたよ?」
「ぷっぷー」
クラス委員長の同席は、いくつもの混乱を抑えるのに、素晴らしく有効だったようだ。
「ねえ、先生?わかった?」
「うーん…」
「わかった?」
「お母さんのようじゃ、ないんだね」
「…。ごめんなさい。ねえ、どうかしら?わかってくれたのかな?良い子にしてた?」
「うん!」
何とか、安心できてきた。
これで、先生に、新卒世代特有の認知偏りがあったことが、気付かせられた。
ルナもルウも、クラス委員長に依頼され、工夫を凝らしてみた。先生が医療機関でアドバイスされたという内容を、先生にもわかるように、漫画やイラストに描き起こしてみたのだった。
こうすることで、新卒顧問の心の奥底に不安があるということを気付かせて、やり方や考え方を変えていくよう、導くことができたのだった。
「ルウ?やってみようよ」
「そうだね、ルナ」
優しい2人は、クラスの皆を代表して、優しくわかりやすく、こう伝えてみた。
「先生?不安があるんでしょう?」
「…。うーん。わかんない」
「ルウ、どうする?この先生は、何も、気が付いていないみたいだ」
「ルナ?もう少し、優しく、突っ込んでみようよ。先生が、大好きだものな」
「そうだね」
ルナの良い語りが、はじまった。
「先生?俺たちもそうなんだけれど、人間には、ほとんどの人に、不安になることがあるんだよ?」
「そうなのかい?」
新卒顧問が、食いついてきた。
「先生?俺もルウも、不安があるんだ。だから、さ。先生にも、不安があるのかも知れないんだよね。そうじゃないかい?」
「うーん」
「そんな不安も、避けてばかりいると、もっと、面倒になっちゃうかもね?」
「そうかなあ…」
「ねえ、先生?その不安も、避けてばかりじゃなくってさ…」
「うん」
「一旦、立ち向かってみたら良いのかも、知れないよ?」
「OK!立ち向かうの?」
「そうだよ、先生?」
「…?」
「あ、ごめん。先生?立ち向かうっていっても、戦えっていうことじゃあ、ないんだ」
「?」
「反応しないでやり過ごしてみるっていうこと、さ。そうしてみたら、先生の不安も、解消できていくんじゃないのかなあ?」
医学的にも、良きアドバイスになれたと、部員らは、感慨深くなれたものだ。
「先生、どう?やってみない?」
「うん」
「先生?反応しないで、やり過ごしてみようよ!」
そうしたアドバイスも、強迫性障害への良き治療法なのだと、いう。
またも、ワタナベ先生に、教えてもらったことだった。
不安の対象としてさらされるようなことにも、逃げずに直面し、脅迫的な行為をさせないようにするという治療法だったようだ。
「それを、暴露反応妨害法と、いうのよ」
「へえ」
「ワタナベ先生は、良く、知っているな」「養護教諭なんだから、当たり前よ?」
「そうだったね、委員長?」
「暴露反応妨害法。すごい、名前」
そうしたやり過ごし方法で脅迫行為が我慢できれば、不安にも慣れて、悪循環が絶ちきれる可能性が出たという。
なお、暴露反応妨害法で治療をするポイントは、段階的取り組みができるところにあった。不安の程度が低いことからはじめ、不安度の高いことにかけて段階的に取り組めるので望ましいのだと、言えてきた。
ルナとルウは、以前、医療機関での相談内容を、漫画やイラストに描き起こした。そしてそれを、新卒顧問にもわかるように、伝えてあげたものだった。
理解が早まって、良い方法だった。
さらに、他の部員らも団結して、先生に、優しくわかりやすく説明をしていた。
部員らは、また、先生のために、段階的な取り組み表を作ってあげた。
その方法が良かったのは、それが、暴露反応妨害法のやり方に叶っていたからだということだった。
「皆は、あの先生に、優しいのね?」
ワタナベ先生は、褒めてくれたものだ。
優しくしてあげなければならないのも、当然だった。クラスの生徒らは、ワタナベ先生に、顔を誇らしくした。
ルナとルウが、こう返してあげた。
「あの先生に優しくしてあげるのは、当然のことですよ。だってあの先生は、赤ちゃんのようなものなんですからね」
「いたいけな瞳が、麗しいんですよ」
「そうだよね」
「それに、あの世代に優しくしてあげないと、後で何をされるか、わからないものですからね。S NS処刑を、されてしまいます。優しく教育制度を変えてあげれば、文句を言われます。僕たちは、大人が考えた教育の、被害者なんです!僕たちは、褒められて、伸びるんです!褒めてくれないから、伸びられないんです!僕たちが上手くいかないのは、社会が、僕たちの面倒を優しく見てくれないからなんです。僕たちは、世界に1つだけの存在ですよ?ちっとも、わかってくれない。…そういうことばかり、言ってきますよね。それで注意をすれば、S NSであげられて、殺されます。それを防ぐためにも、あの世代に、優しくしなければならないんです」
「そうかもね…」
ワタナベ先生は、遠くを見つめた。
「そうじゃないですか、先生?」
ルウが、念押しをしていた。
「そうねえ。努力と苦労をさせられた世代から見れば、あの先生たちは、身勝手な赤ちゃんのようなものねえ公務執行妨害だと騒いでくる、爆弾だわ」
ここでワタナベ先生は、ニッコリと、微笑んだ。
「ルナ君に、ルウ君?新卒赤ちゃん世代の先生の世話は、頼んだわよ?しっかりとあの先生を救ってあげるための、表を、作ってあげてちょうだいね?」
「段階表、ですか?」
「ほら。暴露反応妨害法の、取り組み票のことよ。もう、できそう?」
「はい!できましたよ!」
「ああ。そう、そう」
「何ですか、ワタナベ先生?」
「俺たち、間違っていましたか?」
「そういうことじゃあ、ないのよ」
ワタナベ先生は、新しいことを教えてくれた。
「暴露反応妨害法の取り組み票には、名前があるのよ」
「そうなんですか?」
「名前、ですか?」
「不安階層表って、いうのよ?」
ワタナベ先生は、博識だった。
「ようし、やるぞ!」
「あの新卒顧問を、やるのか?」
「そういう言い方は、やめなさいよう!」
「冗談だよ、委員長」
部員ら皆が、新卒顧問の脅迫性障害の解消に、協力的になっていこうとしていた。が、そこには、注意点もあったらしい。
ワタナベ先生によれば、こうだった。
「協力的すぎるのも、危険なのよ?」
「え?そうなんですか?」
「なぜです?」
興味の幅が、広がっていた。
「バランスが、難しいのよねえ…」
部員らが協力的なのは、良かっただろう。
だが、場合によっては、まわりの皆が、巻き添えを食うのだともいう。
「皆、気を付けようぜ!あんな、苦労なしの努力なしで、他の世代を平気で裏切れた新卒オンリーワンに巻き込まれても、損だからな!」
「そうだよな」
「あの先生の治療で、私たちが疲れちゃったなら、元も子も、ないわよね」
「あの世代が、相手じゃあなあ…」
あの世代が相手だからこそ何とかしなければならなかったものの、たしかに、まわりの負担が、想像できてきたものだった。
強迫性障害の人には、少し、困ったものだった。
すでにあげた通りに、こんな友人が、いたはずだ。
これは、誰でもやりがちで、怖いことだった。何とかしなければならないとは思いつつも、あまりに当たり前のことになっていた場合は、考えるだに、疲れたものだ。
「俺は、横断歩道の白線部分だけを踏んみながら、道路を渡ることにしている!」
これもまた、ある意味、固有の強迫性障害だと考えられた。
何とかしなければならないと思えるほど、疲れていったものだ。
意外にも、こういう白線踏みの人は、他にいた。
2人の所属していた、地域の草野球チームのコーチを務める男性が、そうだった。奇遇なことに、学校の新卒顧問らと同じくらいの年齢だった。
名前を、ムナカタと、いった。
「ルウ?ムナカタコーチの世代って、ゼブラゾーンフェチなのかな?」
「さあね。ルナは、面白いことを、言うんだな」
強迫性障害の巻き添えを食らわないようにするためには、声掛けが必要だとは、わかっていた。
そこで2人は、ムナカタコーチに、改めて声掛けをしてあげようと思い立った。
が、いざ声をかけようと思うと、なかなかできなかった。
「何と言ってあげれば、良いんだろうな」
「あの世代の巻き添えを食らわないための声掛け、か…。改めて考えると、頭が痛いよなあ、ルナ?」
「ああ」
言葉の選択には、迷わされた。
何と、言ってあげるべきだったのか?
「ねえ、ムナカタコーチ?横断歩道の白黒に、惑わされているんですか?白線ばかり、踏むんですか?そんなことをしなくても、良いんじゃないんですか?横断歩道のどの部分を踏んで歩いても、何も、変わりませんよ」
そんな言葉で、良かったのだろうか?
「うーん…。どうしようか、ルウ?」
「難しいなあ」
面と向かって、マイルールを否定するようなことを言われてしまえば、驚いてしまうだけだろう。
関係が、悪化する。
そこで必要となるのが、新たなルール作るという、限度の設定行為だった。
買い物に用いるクレジットカードだって、限度が明確に決められているのであれば、通常の判断能力があれは、使いすぎることはないだろう。それと、似ていた。
「ムナカタコーチ?」
ルナが、話しかけた。
「何かな?」
「白線部分だけ、踏みたいんですよね?」
「ああ」
「それって、どうしてなんですか?」
「それをすると、1日の生活がスムーズにいくような気が、するからなんだよ」
「そうですか」
「それができないと、気持ちが悪いんだ。見えない何かの空気に、感染しちゃうみたいな気がして、嫌なんだよな」
「…やっぱり」
「何か、言った?」
「いえ、何でもありませんよ」
「それなら、良いけれど」
ここでルウが、こう言ってあげた。
「ムナカタコーチ?他の歩行者のことも考えてあげたら、いかがですか?他の人は、早く進んで欲しいなあと思うのかも、知れませんよ?」
「そうだなあ」
ムナカタコーチが、考え出した。
状況の変わる、良き声掛けとなっていた。
「ムナカタコーチ?それに、踏みつけてばかりだと、何だか、白線が、かわいそうじゃないですか。ははは」
「それも、そうかもな」
「そうだ。ムナカタコーチ?」
彼なりに、軽いアドバイスを、送ってみることにした。
「何だい?」
「今度からは、白線を踏むのは、3回を限度にしてみたら、いかがですか?」
「そうかなあ」
新たなルール作りは、大切だ。
これで、ムナカタコーチによる脅迫性障害の緩和が、期待された。
大切なことは、まだあった。
「脅迫行為に誘われても、断れるようになる心が生まれること」
ムナカタコーチによる強迫性障害の観念が強かったんzら、まわりは、こう誘われるかも知れなかった。
「なあ?ルナ君もルウ君も、一緒に、横断歩道の白線を、踏んでみないか?」
このときに、こう言えるようになりたいものだ。
「ムナカタコーチ?すみませんが、さすがそれは、無理ですよ」
「俺も、踏めません」
そうして、気持ちを切り替えさせるのも、良いのだという。
「それよりも、ムナカタコーチ?早く渡って、目的地に向かいましょうよ!目的地、目的地ですよ!」
この拒否のときのポイントは、白線踏みの脅迫行為に、触れないようにすることだという。こう言ってしまうと、逆効果なのだ。
「ムナカタコーチ?俺も、白線を踏みたくなります。でも、今は、白線を踏むのは、やめましょうよ。白線踏みは、またの機会にしましょう!」
問題に触れてしまうと、逆効果。
症状が、こじれやすいのだという。
「勉強に、なるなあ」
「何が、勉強になるって…」
2人とも、驚いただろう。
「横断歩道を渡るときには、白線だけを踏んで、登校するんだ!白の色には、勝負に勝つっていうイメージがある。あの白を踏まないと、なんだか、受験に勝てないようで、嫌だ。だから、踏むなければならない!」
そう言う人もいれば、こう言う人がいた。
「会社にいくときには、横断歩道の黒の部分だけを踏みつけていくんだ!黒字になる、まじないだ!絶対に黒の上をいかなければ、ならない!そうでないと、俺のやる気が、呪われそうだ!」
実は、そういう人は、ちょっとした病気だったのだ。
「あなたは、その事実を、知っていましたか?みたいな…」
「ルウは、言うねえ」
さらに興味深いのは、ストレス発散法の考え方だけでは問題が解決しないと、いうことだった。
こういうアドバイスも、与えがちだ。
「やってみれば、良いじゃないか。本人の気の済むまで、白線を踏ませてあげれば、良いんだ。白線踏みをしていると危ないと、納得させてあげれば良いんだ」
が、これでは、解決しないという。
なぜか?
納得させてあげれば良いと考えてしまうのだが、いつまでも納得できないのが、強迫性障害というものだからだ。
もう、納得にはつながらないのだから、その人のやりそうな脅迫行為には触れずに、距離を置いてあげなければならなかった。
「それでも、状況の打開は、無理だな…」
「これはもう、お手上げだよ」
そう感じてしまったなら、精神科医、精神保健センターなどの専門機関に相談にいくべきだ。
クラスメイトを交えた教室が、ざわつきだした。
「どうする?放っておく?」
「そんなこと、この世代を、できるわけがないじゃないの!」
「そうだよ。逆ギレでもされたら、どうするんだ。S NS処刑だ」
「新卒世代は、美しいんだ。校長とか、上の人に言いつけることが、あるだろう?俺の受け持ちクラスの生徒たちが、いじめるんですう…そういって泣かれでもしたら、どうするんだよ」
「そうよねえ」
「あの世代なら、やりかねないよな」
「あの先生を、専門医に、診させよう」
「そうしようか」
皆が、気を遣っていた。
このとき2人は、良いことを思いついた。
「ルウ?まずい言い方って、あるよな?」
「ああ。俺たちは、勉強できたものな」
こんな言い方をしては、ならなかった。
「先生!頼むから、早く、専門医に診てもらいにいってくれよう!」
むしろ、このような言い方のほうが、、良かったはずだ。
「先生?俺たち生徒も、他の先生も、このウイルス騒ぎで、いろいろと困っているんだよ。どうしたら、良いのかなあ?教えて、欲しいんだ。先生、大好き!」
そうして、本人に判断を任せる言い方が、望まれたようだ。
本人の判断力がたしかならの、話だが。
後は、協力的になりすぎてまわりが疲れてしまわないよう、注意すべきだった。
「新卒先生の扱いは、難しいな」
「病的に、美しい」
職場全体の、さらには社会全体の理解が、必須だった。
「僕たち新卒世代は、褒められて伸びるタイプなんです!」
そう言われても、言った人をバカにするのではなく、それを言い張れる世代を、救ってあげたいものだった。
「面倒くさいなあ…」
そう思わずに、救ってあげたいものだ。
「2人とも?理論はわかったことでしょうけれど、暴露反応妨害法の実践は、一筋縄では、いかないからね?マニュアルがあれば何とかなることでも、ないのよ?」
養護教諭のワタナベ先生は、言った。
甘く考えれば、堂々巡りなのだという。
「不安に立ち向かうのではなく、反応をしないこと」
そうはわかっていたものの、現実には、難しかったようだ。
何度もあげた通りに、こんな人がいた。
「横断歩道の白線部分だけを踏んで、道路を渡ることにしている」
ムナカタコーチも、そうだった。
そのルールが守れないと、こう、考えるらしかった。
「白線を踏めないと、負けだ」
そんな人だからこそ、白線を踏み外せば、こう、思ったことだろう。
「負けない。負けないぞ。俺は、絶対に、負けないぞ」
その人固有の、まじないだ。が、この、負けないぞのまじないがまた、問題。
負けないぞとまじないをかけるのは、暴露反応妨害法の考え方からすれば、正しくはないのだという。
ああ、厄介だ。
このとき、ムナカタコーチらは、負けてしまうかも知れないという感覚を否定する脅迫行為を、おこなっていたことになるからだ。
脅迫行為が、復活してしまった。
これでは、不安をやり過ごすどころか、むしろ、しっかりと、反応をしていることになった。
また、電車のつり革にうっかり触れてしまっても、こう考えた人がいた。
「会社に着いたら手を洗えば良いから、今は、気にしないようにしよう」
そうしてすぐに、つり革の輪をクルクルと回し、誰も触れていないであろう場所を、つかんでしまう。これでは、不安からただ逃げていただけで、その不安をやり過ごすことにも、直面することにも、なっていなかった。
「横断歩道の白線部分を踏み外してしまった負けるかも知れないという不安に向き合いつつ、白線から外れたその現実を、受け入れること」
その基本的な行動がとれてこそ、暴露反応妨害法は、意味をもつのだ。その理想の実現は、難しかったわけだが…。新たな不安を作らないよう、注意したいものだ。
では、白線を踏み外したら、考えよう。
「横断歩道の白線部分を踏み外してしまった負けるかも知れないという不安に向き合いつつ、白線から外れたその現実を、受け入れること」
この言葉で、何かにピンときた人は、どれくらいいただろうか?
誰かに、こう言われそうだ。
「新卒一括採用のコースを踏み外したら、負けてはいないと本人は思いながらも、日本社会では、負けだと言われます。なぜなら、がんばっても、報われない仕組みになっていたためです。あなたは、コースを踏み外したくはないという強迫性障害を抱えながら、生きていきたいですか?どうしたら良いと、思いますか?」
他にも、疑問。
「がんばっても、コースを踏み外せば、せっかく育てたゆるゆるな若い世代に、裏切られます。そんなゆるゆるな若い世代は、その先ずっと、嫌な目線を向けられて生きていきます。定年退職世代のおじさんも、同様に。嫌がられながら、終の棲家を見つけていくしかありません。しかし、若い頃は、新卒一括採用のコースを踏み外さず、楽しい毎日が、送れました。あなたは、以上、3つの世代のうち、どの生き方を選択したいですか?」
これが、今どき社会の、強迫性障害か。
「ああ…。休みか」
翌日は、休校となった。
「ああ…。嫌だなあ」
部員らは、不安だった。今後はどうなるのか、不明。裏山の洞窟との接触が制限されることで、状況は、落ち着けるのか?
ウイルスの拡散を防ぐためにも、高校は休校となり、草野球チームのグラウンドが、輝いて見えていた。
「あれ?」
「おお」
グラウンドに設置されていた野球ベンチの中で、ある男性が、手を動かしていた。
「ルウ?あれ、ムナカタコーチかな?」
「ああ、本当だ」
「何を、やっているんだろうな?」
「ああ」
ムナカタコーチは、野球のボールやバットを、磨いていた。
「ムナカタコーチは、真面目な人だなあ」
「どうして、テニススクールのコーチを追放されて、地域の草野球に、転向したんだろうなあ?」
「新卒じゃなかったから、外されたんだそうだ」
「何、それ?」
「いや、まあ…。そう、聞いていたけど」「新卒でなければ、ダメなのか?」
「どの社会も、そうらしいよ?」
「ふうん」
すると、ムナカタコーチは立ち上がり、ア
ルコールのようなものを手にかけて、念入りに、手を洗い出した。
「ああ…嫌だなあ。付いちゃうよう」
ぶつぶつ、言っていた。
「コーチ?何を、しているんですか?」
「おお、ルナ君じゃないか」
「コーチ?」
「ルウ君も、一緒だったか」
「それで、何を、しているんですか?」
「見ての通り、さ。手を、洗っているんだよ。ボールやグローブ、バットに、無造作に触れてしまったからね。アルコール消毒も、している。消毒に、殺菌、滅菌…」
ムナカタコーチは、こうも言った。
「他人にどう言われようが、どうしても、手を念入りに洗ってしまいたくなるんだ…」
ムナカタコーチの必死さが、伝わってきた気がした。その翌日、2人は、学校保健室にいってみた。
「ワタナベ先生?昨日、こんなことがあったんですけれど、どう思いますか?」
ムナカタコーチのことが、心配になっていた。
「そう、か。あの人も、消毒についての感覚が狂っているのかも、知れないわねえ。社会全体の人が、だけれどね。消毒や滅菌の区別って、難しいものなのかもね」」
ワタナベ先生の解説が、はじまった。
「そんなもの、ですか?」
「ふうん」
手を洗うのは、もちろん、手についてしまうであろう菌を、殺すためだ。ワタナベ先生は、その方法についての話を、してくれた。
「先生?人は、怪我したときなど、傷口を消毒します。手を洗うときにも、消毒という言葉を、使います。良い言葉ですよね?」
「ああ。俺もそう思うよ、ルナ?」
ここで、ワタナベ先生は、2人の言葉を、聞き逃さなかった。
「2人は、知っていたかな?消毒も、いろいろなのよ?医療では、たとえば、手術に用いるメスなどの器具洗浄には、消毒ではなくて、滅菌という言葉を用いるのね」
手洗いの言葉も、いろいろだ。
買い物にいって、店の入口で手を洗うよう指示されるときには、今度は、滅菌ではなくて、消毒の言葉のほうを用いるだろう。
消毒でも滅菌でも、菌を殺すことには、変わりない。それなのに、使う言葉が異なっている。消毒と滅菌は、どこが、どう違うのだろうか?
結論的には、目的が異なったという。
消毒は、病気の元となる微生物を殺すことにより、感染症が起きてしまうのを防ぐことが、目的。
これにたいして、滅菌というのは、感染症予防の点では考え方は同じだが、菌の殺し方が異なっていた。買い物にきた人の手を、その場限りでもきれいにするのとは、違った。すべての微生物を、コテンパンにやっつけ、完全に拭い去ることが、滅菌の目的だ。完全なる殺傷と、いうことだった。
「明確な違いが、あったのか」
「へえ」
手術で用いる器具に滅菌仕様をしなければならないのも、当然だった。
手術器具は、幹部に、直接触れるモノだ。
ほんのわずかであっても、微生物が付着していては、ならなかった。
だから、滅菌処置をして、完全に、完璧なまでに、微生物を除去しなければならないのだった。
消毒は、微生物を完全には除去できなかった。感染力を一時的に弱めてくれる、応急処置のようなものだ。
買い物にいき、店の入口で、何度も何度も手を洗ってしまう人がいた。消毒だけでは菌が消えないということを、知っていたから?だから、念入りなまでに、手を洗った?
それとも、ただ何となくの行為、だったのか?
いろいろと、教えてもらえた。
「店は、消毒。病院にいけば、滅菌だったけれど、意味があったわけか。同じだと、っていたよ」
「買い物にまで、滅菌は、必要ない」
「良かった。わかってくれたみたいで」
「そうかあ…。だから、店には、アルコール消毒薬が置かれていただけだったのか」
「あれは、買い物だから、消毒薬を置いていたのかあ。手術では、滅菌でなければ、ならない。きれいにするのにも、種類ややり方が、分かれていたのか。勉強だな」
「2人とも?それから、目的も、分かれていたのよ?」
「ああ。そうでしたね」
「そうだったのか」
「そうよ」
「…あ」
ルナのほうが、何かに、気付いた。
「先生?」
「何かしら、ルナ君」
ルナには、気になったことがあった。
買い物にいって、消毒のために手を洗うときには、いつも、アルコール薬を用いていたはずだったからだ。
「そういえば、いつも、アルコールだったな。消毒薬って、アルコールじゃなければいけないんですか?」
「そうそう」
ルウも、気になっていたらしかった。
ワタナベ先生は、当然のように、教えてくれた。
「そうね。消毒薬として代表的なものは、その、消毒用アルコールなのよ」
いつの間にか、手洗い教室になっていた。
ワタナベ先生が、保健室の奥から、アルコール薬をもってきてくれた。
「ああ、先生。これですよ、これ」
「そうそう。いつも見るものと、同じだ」
そう言いつつ、良く、見てみた。
「あれ?」
改めてみてみると、意外な発見ができるというもの、だった。
「そうだ、ワタナベ先生?80パーセントのエタノールが使われているって書いてありますけれど、どうして、80パーセントなんですか?100パーセントのほうが、良いんじゃないんですか?」
「あ!俺も、そう思っていました」
2人当然の、疑問だった。
ワタナベ先生は、待っていましたとばかりに、教えてくれたものだった。
「そうねえ。消毒薬に使うエタノールは、誰だって、1 00パーセントのもののほうが良いって、思うのかもね。80パーセントのエタノールが入っているっていうことは、残りの20パーセントは水だっていうこと、だもの」
「ですよねえ」
「アンビリーバブル」
「でもね…?」
ワタナベ先生は、興味深いことを、教えてくれた。
「新卒世代の子と、同じ。一見して、楽々人生に見えた人は、楽ではなかったということなのよ?」
「はあ?」
「何ですか、それ?」
「新卒世代じゃ、使えないでしょう?」
「はあ…」
「教育的、指摘だ。言い方が、すごい
「1 00パーセントは、完全で良いと、思うでしょう?でも、ね。水を含まない、100パーセントエタノールでは、微生物にたいしては、馴染みにくいのよ」
「へえ」
「そうなんですか」
100パーセントのエタノールだと、効果が下がってしまうらしかった。
消毒については、何となくだが、わかってきた。
次の、説明。滅菌にも、種類があるそうだった。
1 21度という超高温高圧の蒸気で菌を滅する方法も、あったそうだ。
「高圧蒸気滅菌、オートクレーブ。聞いたことは、あるかしら?」
「ありません」
「ないって…」
いろいろと、説明をしてもらえた。
「2人とも、どうかしら?オートクレーブをしてみる勇気は、あるかしら?」
「ありません」
「勇気があるかないかの、問題か?」
「っていうか…。学校保健室に、そんな最新医療器具が、あるかって」
「あるわよ?」
「うそだあ」
勉強が、深まった。
あの新卒顧問は、クラス委員長に連れられて、また、医療機関に向かっていた。クラス委員長の報告は、嫌なムードだった。
「困ったものよね」
ウイルス騒ぎに困りに困ったのは、学校以上に、医療機関だったようだ。
ウイルス騒ぎ後、医療機関には、1度に、想像以上に多くの人が押し寄せてきた。
それで、医療崩壊が起こりそうに見えたほど、状況は、緊迫しっ放しだったようだ。
社会的な、困りごとだった。
病院などの医療機関は、通常患者を受け入れる場所だ。
それはそうなのだが、これほどまでに、通常とは異なったウイルス患者の多くを相手にしなければならないとは、予測できていなかったことだ。
「今病院に配属をされている医師や看護師で、十分な対応が、可能なのか?」
医療現場に、危機が、押し寄せた。
医療機関の受付窓口には、咳やくしゃみからの症状を訴える人たちが、次々に、押し寄せてきた。
こういう状況になると、人の感覚は、狂わされていく。
「少しの咳くらい、我慢をすれば、良いんだ。のど飴でも舐めていれば、治るさ。病院にいく必要なんて、ない」
普段はそう思っていた人であっても、社会的な感染状況が起これば、パニックだ。
気にも止めなかった身体上の変化が、急激に、恐ろしくなってしまうのだった。感染騒ぎは、人の心を、奇妙に惑わせた。
「病院に逃げろ!何かに、殺される!」
疑心暗鬼を生み、医療機関に走った。
こういうときばかりは、頼りたくないと思っていたはずの医療機関が、我が家のような愛着のスペースに、変わっていく。
「人間とは、不思議な生き物だ。ルウ?」
「そんなこと、言っている場合じゃないぞ?ルナ?俺たちに、何か、できないのか?」
「だが、現状を知ることくらいしか、できないな」
医療機関は、過酷なレース場のように見えていた。窓口を訪れる人は、次々に、増えていった。
「感染した!」
「本当だよ。感染したんだ」
「早く、診てくれよ」
「お願い!私も、そうなのよ。今朝、咳が出たんです」
「ちょっと、あんた!咳くらい、誰にだって、出るんじゃないのか?」
「違うわ!違わないけれど、違うわ!今日の咳は、いつもと違ったんですもの」
「先生は、いるんだろう?俺も、診てほしいんだ」
「咳が、出た」
「くしゃみが、出た」
人々は、訴え続けた。
医療機関は、対応に追われて苦しんだ。
「わ、わかりました!皆さん、まずは、落ち着いてください」
「先生を、呼んでくれよ!」
「先生、いるんだろう?」
「…皆様!お待ちください!」
「感染したのよ?」
「診てくれ!薬を、出してくれよう!」
医療機関の対応は、ひっ迫を、重ねた。
「…わかりました。どうか、落ち着いてください」
泣く子どもをあやすよりも、なお、困難は極めた。
「皆様!順番に、診ます!ですから、まずは、列を作って並んで、もう少しお静かに、お待ちください!」
静かにして欲しいと訴える受付の人も、声が、高くなっていた。
病院の玄関に、定年退職世代くらいの男性が、混乱した顔をあらわにしながら、駆け込んできた。
「皆さん!落ち着いてください!」
マスクにゴーグルの防疫姿で武装した医師が、やってきた。異様なほど、意気込んでいた。その医師は、何を考えて、その服装で近付いてきたのだろうか?
列を作る人たちを、ひとまずは、安心させたかったのだろうか?
だがそれは、逆効果だった。
専門家に重装備を見せられれば、人は、余計に恐れるものだ。
「何だ、何だ?医師がそんなたいそうな恰好をするほどに、大変な感染事件だっていうのか?」
「これは、まずいぞ!」
「先生!早く、診てくれよう!」
「こうしては、いられない!」
パニックを深め、誰かに、電話連絡をはじめた人も出たようだ。
「お前も、早く、こい!工場の排ガスを吸ったときに、咳が出たって、言っていたよなあ?あれは、感染事件の前触れじゃなかったのか?お前も、早く、こい!」
こうして、人は、どんどん、増えていったようだ。
医療現場のその模様は、S NSで、多くの人に、知られるところとなった。
皆を落ち着かせたいと願う医療従事者の努力は、必ずしも、不調を訴える人には伝わらなかったようだ。
「どうぞ、こちらへ」
「先生、咳が、出た!」
「咳なら、誰だって…」
「先生!そういうんじゃ、ないんだよう!」
「とにかく、お座りください」
担当の医師につなげられても、困難は続いた。担当の医師は、問診票を片手に、オロオロとしていた。
「熱は、ありますか?」
「36度と少し、あるよ!」
念のため、これは、ふざけて記している対応例ではない。
社会的感染でパニックとなった医療現場とは、こういうものなのだ。
「息苦しさは、ありますか?」
「いつだって、苦しいよ。先生?俺の会社は、人材不足だ…。新卒世代を雇ったら、逃げられた。いつだって、苦しいんだよ!」
ふざけているわけでは、ない。
「皆さん、どうですか?この度の感染騒ぎで苦しむ誰かに、接触は、しましたか?」
医師は、質問をしては、検査や投薬が必要かを判断。波となって押し寄せる声を、即座に、収めていくのだった。
医療現場は、大慌てとなった。
患者からの問診を元に、即座、かつ冷静な判断が求められていった。
「単なる咳では、ないのか?」
「単なる、喉の痛みなのか?」
「まわりに流されて、何となく、医療機関にきたということではないのか?」
「肺の痛みを訴えるほどの深刻な患者であると考え、エクモの検査も、必要になりはしないか?必要であるのなら、そのための機材は、充実しているか?今すぐに、充分なスタッフもそろえられるのか?」
医療機関での対応状況は、緊迫過ぎた。
受付に、患者があふれていたそうだ。
「早く、診てくれ!俺のせいで感染が広がったなどといわれては、恥だ」
「私だって、恥ずかしいわよ!」
「先生?早く、診ておくれよ」
「病院にきて診てもらえなかったんじゃ、恥だ。何とか、してくれ」
日本人特有と研究される恥の文化が、こんなところにまで、あらわになっていた。
日本人はしかし、緊急状態には、スムーズに対処できるようだとも、分析された。
「日本人は、列を作って待つことに慣れた民族だったからでしょうね」
クラス委員長は、言った。
「早く、しろよ!」
「俺が、先だ!」
「お前は、どけ!」
仮に、今すぐにでも医師に診てもらわなければ死ぬと覚悟するような状況では、礼儀正しく列に並ぶことなどは、二の次になってしまうものでもあった。
ウイルス騒ぎで、人間の様々なエゴも、ちらついていた。
「我々も、静かに、並んで待ちましょう」
そう言っていたはずの人が、突然、キレてしまう。
「おい!どういうことなんだ?静かに、待っていたんだぞ?ずっと、並んでいたんだぞ?どうなっているんだ!」
医療現場は、恐れを、身に染みて抱えていた。
「一時期、採用の抑制なんかを、やっちゃったからよ」
「新卒天国は、実際には、地獄よ」
「ああ。優秀な人が、いてくれたなら…」医療従事者らは、泣かされた。
「医療従事者には、感服する」
そんな一般人の声も、ちょっとした嫌みのように、聞こえてきてしまうのだった。
こう思った一般人も、いただろうか?
「ほら、新卒社会の矛盾が起きた。新卒を雇ってばかりの社会がどうなるか、教訓になったことだろう。さあ、俺が先だ!」
こういう場にまで、世代間のギャップは、入ってきてもらいたくなかったことだろう。
「あの新卒顧問は、どう思ったことだろうなあ?ルウ?」
「ルナは、先生がどう思ったと、考えるんだ?」
「さあてね」
「…もっとも」
「もっとも、何だ?」
「もっとも、考える力が、ないか」
「ルウは、意地悪だなあ」
クラス委員長の言葉は、衝撃的だった。
医療機関にきた人の中には、ウイルス騒ぎで困窮したわけではないという、他の病気の患者もいたという。
「お待ちですね?こちらへ、どうぞ!」
やっと順番がきても、安心は、できなかった。
トリアージの段階にも、なかなか、たどり着けそうになかったようだ。
ウイルス騒ぎで医療機関を訪れたわけではない人も、増えていたのだから。
患者の分別は、苦しかった。
受付に押し寄せた人の気持ちをまとめるのは、大変な作業だったという。
状況は、ますます、混乱を深めていった。
「こちらへ、どうぞ!」
そうは言われても、誘導路を誤ってしまえば、意味がなかった。
意味がないどころか、新たな事件につながっただろう。
「わしは、足が痛いから、きたんじゃぞ!ウイルスは、関係ないんじゃ!間違った場所に案内して、わしを、バカにしたかったんじゃないのか?」
常に、トラブルになりそうになった。怒られ慣れていなかった新卒世代の医療従事者らは、心、つぶされた。
「また、怒られた。誰にも、関わりたくないよ…」
「知らない人に、怒られたあ」
「殴られた。ぶたれた」
「親父にも、ぶたれたこと、ないのに!」
クレームになるどころの問題では、なかった。
最悪のケース、院内にウイルスを拡散させることにも、つながりかねなかった。
「院内感染だけは、させるなよ!」
病院内でウイルスが広がってしまえば、病気に直面する現場の性格上、その地域での感染は、一気に広がりやすかった。
クラスターと呼ばれる集団感染が起きてしまうことが、容易に、危惧された。
ある看護師は、このように、話していたという。
「我々医療従事者が直面したのは、患者の不安がいかに多かったのかということ、でした。次世代に支えられ慣れていた人たちをケアするのは、大変でした。あの世代は、自分自身の努力が、できないのですから。それはもう、大変でした。話しかければ、聞いてくれませんでした。泣いていました。理解する力も、なかったでしょう」
「高齢者の扱いも、大変でしたよ。その人たちが不安になったのは、なんとなく、わかりました。自分たちが作り上げたと豪語する国、社会が、機能を、失っていったのですからね。助けてもらえるはずだった国に、助けてもらえないかも知れなくなりましたからね…。知らない人とは、手を取り合えないようでした。まるで、新卒。悲しく、不安におちいっていたことでしょう…。いえ、もう、絶望感しかなかったことでしょうね」
医療従事者らの声が、重なった。
「そうですね。優先して助けてもらえるだろうという高齢者の思いは、必ずしも、当たらなくなってしまいましたからね。一体、何のために国に金を貢ぎ、何のために、定年後も働かなくちゃならんのかと、そう怒る人まで出ました。半分は、議論のすり替えのような気がしたものです。高齢者は、状況を、処理できなくなっていたのでしょう。新卒世代の子たちとと、本当に、似ていました。孤立して、高齢者が絶望を深めていくのが、私にもわかりました」
こう言った看護師も、いたようだった。
「医療機関は、責任を負いすぎだと思いました。しかし、これが、社会の現実です。患者の不安や心配事を、なくしてあげたい。適切な医療に、つなげてあげたい。ですが、あれだけの人の波を、適切に分けて誘導していかなければならないなんて…。無理でした。まず、それをおこなうためのスタッフが、足りませんでした。こんなところにも、人手不足が影響するとは、意外でした。採用の抑制なんか、しちゃったからでしょう。今回のウイルス騒ぎでは、若い世代よりも、高齢世代のほうが、感染に苦しんでいたように見られます。医療機関に駆けつけてきたのは、圧倒的に、高齢世代の方でした。しかし、人手不足社会。増えすぎた高齢者を支えろといっても、私たちだけでは…。就職難社会で採用の抑制をおこないすぎたツケが、こんなところにも、回るとは…。泣きそうです」
その言葉は、医療現場に、ある気付きを与えた。
「早く、トリアージを進めるしかない!」
1度に全員をさばくのは、無理だった。
それなら、今すぐにでも処置しなければならない重症患者から優先的に治療すべきと、指摘された。今回のウイルス騒ぎでは、医療の前段階からの教訓までもが、強烈に再確認されたのだった。
「トリアージしている暇がないくらいに、忙しいがな!」
「それでも、やるんですよ!」
医療体制の叫びは、止まなかった。
重度の肺炎にも対処できたはずの専門人工呼吸器もエクモは、まだ、不足していた。
多くの患者を診られるよう、ほとんどの人工呼吸器は稼働していたのだが、存分には使えなかった。
なぜか?
ウイルス感染患者以外にも使い、修理や調整に、回されていたからだ。
これがベッドの問題なら、対処法もあっただろうに…。
「申し訳ございません。ウイルス感染の患者に、今、どうしても、使っていただきたいのです。身体の調子が悪くない方の中で、ベッドを開け、他の方に使っても良いという方がいましたら、使わせてください。お願いいたします」
そう頼み込めば、ベッドなら、他の患者に回せる可能性があった。
が、人工呼吸器までは、外せなかった。
外してしまえば、死に、直結しかねないからだった。
「人が、足らん!」
「私、泣きそうです」
「バカ!泣きたいのは、患者だ!」
「そうでした。すみません!」
医療スタッフの少なさは、異常だった。
子どもがウイルスに感染したケースも、深刻さをもった。
子どもは、容体の変化が、激しかった。
朝は身体の調子が良くなかった子が、夕方には、ケロリとしていたことも、珍しくなかった。
もちろん、その逆もあった。
子どもの容体の見方には、常に、細心の注意が払われた。
そのため、子どもを診るにあたっては、小児科の専門医師でなければ、診断が難しいこともあった。
それは、医療現場を、新たに悩ませる事態となった。
医療スタッフが足りない事情があったとはいえ、すぐさま他の診療科から応援を頼むというわけには、いかなかった。
が、子どもたちもまた、大人と同じ列に並び、正しい診断を受けられたものか?
難しい問題、だったろう。
小児科の経験を積んだ看護師でなければ、気付くに気付けないことがあったようだ。子どもの世話は、簡単ではあり得なかった。
では、小児科以外の科の看護師では、どうだったのか?
それだと、子どもの病状のちょっとした変化に気付けず、ウイルス感染につながる事態でも、見逃してしまうことが増えたという。
小児科医の悩みは、さらに出た。
小児科では、診察に親が付き添うことが、多かった。
その場合は、子どもの症状が、親に感染してしまうケースが見られたというのだ。この対処をどうするのか、小児科医の、新たな悩みになっていたという。
「子どもの診断は、専門の小児科医であったほうが良い。けれども、専門的な診断は、意外にも難しい」
このように、悩まされたようだ。
なぜ、このように悩まされる問題が出てしまうのか?それには、医療構造ならではの理由が関わっていると、考えられた。
医療現場では、役割分担ができていないところがあったようだ。
日本の医療構造だと、そうなりやすかったという。
大病院1つで抱えようとすると、きつくなるようだ。
こうすべきでは、なかったか?
「ウイルス感染に関する悩みを抱えていた子は、A病院にいきましょう。専門に、診てもらえますよ?」
「頭やお腹が痛い子は、B病院に、いきましょう」
「それ以外に悩む子は、C病院に、いきましょう」
そうした役割分担ができたほうが、良いのではなかったか?
クラス委員長の病院視察から、多くのことが言えてきた。
日本の医療は、縦構造としては強いのだが、横のつながりが弱く、柔軟ではない欠点があった。
医療の一層の連携が急務と、わかっただろう。
いや、わかないと、困る。
わからなくて、理解する努力もなかった人は、新卒の闇に落とされるかも…?
わかろうとも、しない。オンリーワンと呼ばれる人たちの、ようだ。
病院は、そうならないよう努力していた。
世界では、どうだったのか?
他国では、ウイルス感染騒ぎへの対策についての選択肢が多かったという。
水際対策をきっちりとり、時間稼ぎをしながら、国民に耐性を植え付けようとした国。
ワクチンの開発を念頭に置いた上で、コンピュータによる感染シミュレーションを怠らなかった国。
すでに、早くから、ワクチンの購入契約を済ませた、国。
様々な対策が、とられていた。
そうした対策だが、日本では遅かったと批判あり。S NSで、専門家は、こうも言った。
「この急な感染でワクチン開発が遅れるのは仕方のないことだとしても、国民すべてに投与できる分まで備蓄できるかの目処は、立っていません。今は、ウイルス感染を防ぐ意識と努力が強い。島国であるといった日本の特性が生かされて、ウイルスの侵入を防ぐ策が、進みやすいからなのかも知れません。一時的には、ウイルスの侵入を防げることでしょう。しかし、その後、どこかの綻びが突かれて、侵入されてしまうかも知れません。侵入を防げている間に、全国民にまで、ワクチンを投与できるのか?疑問です」
このまま、無事に、ウイルス騒ぎが収束するのを、待つしかないのか?
「がんばれ、日本!」
「がんばれ、新卒!」
「あの顧問が、大好きだよな!」
「そうだとも!」
双子の結束は、強さを増していった。
医療従事者らも、その双子のように強く、がんばった。
次にとりかかっていたのが、ワクチンの開発、だったらしい。
ワクチンを投与し、感染して病気になるのを未然に防ごうと、考えたのだった。
ワクチンとは、毒素のない病原体や成分を人工的に接種し、免疫を作りあげるものだった。免疫力がつけられることで、感染や病気化を、防ぐのだ。
まず、医療従事者らがおこなったのは、感染を引き起こしたと考えられるウイルスへの遺伝子解析、だった。
そこで明らかになったのは、1つ。
「学校関係者らを襲うことに発した新型のウイルスは、H1 N1型という、A型インフルエンザに分類されるようだ」
新聞紙面、科学雑誌の臨時増刊号などが書き、すぐに、追加発行が決定された。
各製薬会社も、工夫を凝らしていった。
バイオフィリアという働き方を取り入れた会社も、あった。
オフィスを観葉植物で囲んで、オフィスの天井付近に設置したスピーカーから、森の動物たちの声を流すと、いうのだ。
デスクの足下からは、小川のせせらぎの音が、流された。
「緑に囲まれた中でおこなう業務になりますから、生産性が上がるのです。実際に、良いアイデアが出ています。それが、新商品の開発に、つながりました」
好感触の声が、上げられた。
「新卒脳に、なるな!」
「努力だ!」
「工夫だ!」
会社も、こぢんまりとした要請をかけられつつも、働き方改革を、続けていたのだった。
ただし、これには、笑えない副作用があったという。
「この植物を、入れてみましょうか」
「入れるって、どこにです?」
「このフロアの、あの辺りに、置いてみましょうか」
「どうやって、育てるのですか?」
「簡単ですよ」
「おっと、失礼。この植物も、入れてみませんか?これは、室内で育てやすい植物なんですよ?」
「そうでしたか」
「良いですねえ」
そうして植物を選んでオフィスに入れていったら、フロア内が、ミニジャングルになってしまったという話も、あったようだ。
「お前!何を、やっているんだ!」
新卒社員が、そこに、いくつものフィギュアを置き始めた。
「バカモノ!何を、やっているんだ!」
新卒世代の社員は、そう言われ、泣いた。新卒社員にとっては、同僚であっても、友達でもなければ、知り合いでもないのだった。
「知らない人に、怒られたあ…」
泣いて、帰宅していった。
帰宅途中でウイルスを拡散させないよう、祈るばかりとなった。
「我が社では、環境を再生する仕組みについて、研究しております。森を、増やしていきましょう」
大プロジェクトがおこなえる大会社は、勢いが良かった。
勢いは、加速した。ある医療チームが、このような大発表をしたのだ。
「現在確認される、ヒトに感染するウイルスには、いくつか、種類があります。そのうち、今回社会的に話題となってしまったウイルスの型が、注目と疑問視をされ続け、ついには、こんなことがわかってしまいました。何と、今回流行したウイルスは、19 18年に流行した、いわゆるスペイン風邪に由来する型なのではないかと、専門家によって、確認されてしまったのです!」
S NS経由のニュースでも、話題となった。
「仮説の域を出ませんが、スペイン風邪の発生以前に存在したウイルスが、どこかに生き残っていたのではないのかと、いわれてきています。ほんの少しの残存ウイルス、子孫となるウイルスが成長を重ねてきているのでは、ないでしょうか?」
ついには、そのニュースに反応した人々により、こう書かれるまでになっていた。
「19 18年の呪いなんじゃ、ないのか?」
斬新な見解、だった。
「19 18年に流行したウイルスが、変化したんじゃないのか?」
新たなウイルス勉強の幕が、切られた。
「19 18年?」
「変化?ウイルスは、成長をしていたのか?社会に対応するほどの変化が、できたっていうのか?」
結論。
そうした変化は、可能だった。
ウイルスは、社会に適応して生きながらえていたのだった。
ウイルスが変異し、社会の波に乗った。新卒一括採用のコースの波に乗るどころの怖さでは、なかった。
たとえば、鳥や犬、豚などを経て、ヒトに感染。
つまりは、新しい宿主に侵入し、新たな病原体を獲得したのだ。こうした寄生移動は、ホストジャンプと、よばれた。
このホストジャンプ、宿主を移動する行動自体は、ウイルスの活動として珍しくないことだと、いわれた。
人類は、長い長い地球上の歴史の中では、生命の進化の順番でいえば、最後尾のほうだった。
生命の進化の影響をより良く受けられたのは、そんな、最後尾にいた存在だった。前を見て、動く。周りを見て、動く、オンリーワンには、ならないこと。そうすることによって、進化の見直しも図れたのだった。
進化の順の最前列にいた生命が残した影響は、最後尾に、長い長い時間のうちに、与えられた。人間は、与えられ、学習ができたからこそ、生き延びられたのだった。
太古からの種の影響を、存分に受けて発展させて生きてきたのだ。
その意味では、ヒトに感染した今回の新型ウイルスは、鳥や犬、豚など多くの動物に感染したものがホストジャンプをして病原体となったのだろうと、考えられた。
森林管理部どころか社会全体を巻き込んだ新型ウイルスは、19 18年の過去から、そのホストジャンプを繰り返してきたものなのではないのかと、いうわけなのだ。
「ウイルスニュースの、基本講座」
ここで、19 18年に流行したスペイン風邪について、説明されていた。
「スペイン風邪について、知ろう」
「スペイン風邪という名前は、知っていましたか?」
「スペインで感染がはじまったからスペイン風邪と呼ばれるのでは、ありません!」
「勘違いは、ウイルス感染の元」
「世界で、スペインが特別に大打撃を受けたからスペイン風邪と呼ばれるようになったわけでも、ありません」
「スペイン風邪について、知らなければ、はじまらない!」
そうした書き出しが、気になった。
それではなぜ、スペイン風邪と呼ばれるようになったのだろうか?
まず、そのスペイン風邪が世界的に広まった当時の社会を、考えたいものだった。
19 18年当時、何が、世界的な重要事項となっていたのか?
それは、戦争についてのあれこれ、だ。
当時は、第一次世界大戦の最中だった。このとき、このような問題が、起こされた。
「どの国も、大感染に関する症状の報告をしてくれなかった」
しかしながらそれも、ある意味では、仕方がなかったことなのか?
感染が広がっていたことが知られれば、弱みを握られて、攻撃されかねない。だからこそ、どの国も、報告などできるわけがなかったのだった。
「言うわけには、いかない」
「ウイルスに感染させられているなんて知られたら、他国に、攻撃されてしまう」
「言えるわけがない」
「ウイルスの報告なんて、できるか!」
当時は、そのような世界情勢だった。ヨーロッパ諸国間の疑心暗鬼は、強かった。
「困ったぞ…。もしかしたら、隣国は、こちらの国が感染で苦しんでいるのを、知っているんじゃないだろうか?」
「あの国め…。何もしてこないのが、かえって、気味が悪いな。かといって、こちらにも、何もできない。ウイルスに感染したら、大問題だからな」
「黙っておけ…。黙っておけ…」
「あの国め…。何を、考えているんだ?」「我が国は、どう出る?このまま、黙て
いるしかないのか?」
「きっと、隣国だって、感染症に苦しめられているに、違いない」
「だから、何も、言えないんだ」
「我が国も、報告など、するものか!」
「こちらが何も言わないことで、あいつらに、プレッシャーをかけてやれ!」
「わからないな…。あの国は、本当に、苦しんでいないのか?いや、そんなことはないだろう。こちらだって、本当は、苦しんでいるんだ。この隙を突いて、攻撃してやろうか?けれどな…。本当に感染が広まっていなかったというのなら、こちらの国が、圧倒的に不利になるな」
「やっぱりあの国は、言えないだけなんじゃ、ないのか?」
様々な憶測が飛び交い、ヨーロッパ各国の空気が、冷えていった。
各国で、厳しい報道体制が、引かれた。
「これでは、ヨーロッパで感染がどうなっているのか、わからない。これは、困ったことだ」
結局は、感染の模様が、わからず仕舞いとなりそうになった。
各国の主張や思惑が、知らない人相手に怖くて近付けずに、固まっていた。相手を知るという行為に、歯止めをかけた。当時も、新卒の病気に、うろたえはじめていたのだ。
そのとき、だった!
ある国が、情報公開に名乗りを上げた。
「皆がやらないのなら、私たちが、やりましょう!」
勇敢な就職氷河期が、歯車を失いつつあった社会に、立ち上がったように!
そのある国が、スペインだった。
実は、スペインは、第一次世界大戦には参戦していなかったのだ。
「え?スペインから見れば、やや近い地方で、世界大戦が始まったのに?スペインは、世界大戦に加わっていなかったの?」
そうなのだ。スペインは、世界大戦に参戦していなかったのだ。これは、世界史の盲点だったろうか?
そのため、スペインには、何の駆け引きもなかった。
「ヨーロッパを巻き込んでいる感染症についての情報?今、どうなっているのか?知りたい?良いよ。うん。良いよ。マジで、公開しちゃうもんね。うん、マジで、OK。だって俺たちの国は、戦争していないもんね。マジで、ラマンチャ」
そう言ったかどうかは知らないが、スペインだけは、感染症の情報公開に応じてくれたのだった。
そうして情報を公開をしてくれたスペインの名を借りて、スペイン風邪の名で呼ばれるようになったのだった。
「じゃあ、スペイン風邪の風邪って、どこからきたウイルが元になていたの?」
アメリカだ。
「え?アメリカのウイルスが、ヨーロッパにまでいっちゃったわけ?」
そういうことだ。
19 18年に流行した大感染症の初期症例は、実は、アメリカで報告されていた。スペインではじまったと思っていた人も、多かったのではないだろうか?
医療従事者らは、ワクチンの開発に力を注ぎながら、新型ウイルスへの分析を、進めていった。
S NS空間で言われはじめた言葉にたいしては、はじめこそ、冷たい視線が飛ばされたものだ。
「19 18年の、呪い?って、バカなことを言うんじゃないよ。しかし…」
次第に、迷信でしかないだろうと一笑に付していた追及も、無視できる状況にはなくなってきていた。
何よりも、不気味だった。
「今回社会的に流行したウイルス騒ぎが、本当に19 18年の呪いであったとしたなら、どう、対処すれば良いというのか?」
悩みは、広がった。
「医学が呪いに完全に勝てるという保証など、どこにもない!」
「我々は、どうすれば良いというのだ?」
「科学が迷信に負けるなど、あってはならない!」
「ですから、どうすれば良いと、言うのですか?」
「あなたは、どう考えていたのですか?」
「考えることを放棄してしまえば、新卒世代ですよ?」
「とにかく、分析を、続けるんだ!」
「…わかりました」
医療従事者らの分析が、進められた。
その結果、興味深いことが、わかった。
遺伝子レベルでのウイルス変化は、想像以上のスピードを誇ると、わかってしまった。それも、複数遺伝子で変化していた。
「これは、まずいな…」
ワクチンの開発が、急務となっていた。
「これほどまでに、ウイルスと人間の共存が求められることに、なるとはな」
「ええ」
スペイン風邪のときとは、社会的不安のベクトルが、変わってきていた。
「戦争下ではないこの社会に…くそ」
「これは、新たな戦争ですよ!」
「新型ウイルスの適応スピードは、早そうだな」
「人間も、遅れをとるな!新型ウイルスに適応していくしか、ないのか?」
「そうかも、知れません。…いえ、そうするしか、道はないのだと思います」
「そうだな」
「はい」
「人間は、ウイルスに適応するしかない。それなら、ウイルスの側にもまた、人間に適応してもらえないと困ることになるがな。とんでもない、共生模様だ」
「はい」
祈りさえ、もたれはじめていた。
S NSで、誰かが、こんなことを言った。
「共存を図るために、ウイルスには、宿主となる我々人間のことを、より良く考えてもらわなければならないだろう」
正論、だった。
「攻撃的になってもらっては、困る。それで関係がこじれたら、ウイルスだって、痛い目を見るのだ」
「そうだな。ウイルスの気付き如何で、今回の騒ぎも、収められそうな気がするな。どうだろうか?」
ウイルスの性質に、賭けてみるしか、なかった。
ウイルスというものは、生きた宿主の細胞中でしか、増殖できないものだった。
そのため、宿主がいなくなってしまえば、ウイルス自体、いき場を失い、存在できなくなってしまうのだ。
「ということは、ウイルスは、理論上は、宿主を殺せない」
「ええ」
「人間を殺したら、ウイルスも、困るはずなんだ」
「自殺行為」
「そういうことよね」
「それなのに…」
「ああ。それなのに、今回の騒ぎでのウイルスは、その宿主たる人間を、殺す。何を、考えていたんだ?ウイルスは、本当に、学習して生きているのか新卒世代になっているんじゃ、ないのか?宿主を殺してはならないんだと、なぜ、わからないんだ?」
「…」
ウイルスには、何が何でも、人間を殺すことは自分自身の首を絞めることになると、気付いてもらわなければ、ならなかった。
祈るしか、なかった。
もちろん、批判は、受けた。
S NS空間でも、大勢が祈ったようだが、その行為を笑う人も、いたものだった。
「そんな祈りは、非科学的じゃね?」
中には、こう言ってきた人もいた。
「科学力を誇る医師や技術者が、祈るのか?それって、科学力を突き付けられるあんたらの職的能力を、あんたら自身で否定することになるんじゃないのか?医師は、何のために存在しているんだ。技術者も、何のために存在しているんだ。考えて、生きろよ。考えられないのは、定年退職おじさん世代か、新卒世代くらいで、充分だ」
医療従事者らは、言い返せなかった。
「医師は、何のために存在しているんだ」
その追及に言い返せる余裕は、なかった。
「新型ウイルスの変化の仕方に、祈るしかないんだ」
「はい…」
「ワクチンもできない今は、祈るしかないんだよ。医師は非力だとか何だと言われようと、今は、祈るしかないんだ」
「はい…」
「これが、現状なんだ」
「そうですね。ウイルスの死滅は、難しいでしょう。せめて…」
「せめて、何かね?」
「せめて…、ウイルスの進化に気付きの要素を与えて、宿主となる人間を殺さないように気付かせ、力を弱めてもらうしか、ありません」
「そうだな」
「でも…」
「ああ。新卒世代の生き方だったなら、ウイルスには、何の気付きも生まれないだろうな。危険だよ」
「ええ」
「人間が、殺される。まさに、あのときだよ。採用を抑制させて就職氷河期世代の子たちを殺し、気付けば、技術の伝承ができず、会社は破滅。中途採用者には、新人教育ができん。中途採用者のほうが、おじさんたちよりも、はるかに、レベルが高いのだからな。それと同じ悲劇が、起こりつつある。新卒世代にとっては、就職氷河期を生き抜いた優秀な人たちは、どうしたって、知らない人。知らない人には話しかけられない新卒世代の登場で、社会は変わった!適応だ、適応しなければならないんだ!くそう。何を言っているのか、わからなくなってきたぞ!」
「私も、混乱してきました!」
「我慢だ、我慢だ…。とはいえ、ウイルスの力が弱められたところを見計らって、人間が動き出すのも、危険か」
「はい」
「新たな感染機会が、増えてしまうだけだからな。そうならないよう、今は、感染の窓口を封鎖するしか、ないのだろうな」
「はい…」
TV番組では、政府の報道官が、医療従事者らの考えや発言を受けて、こんな声明を出した。
「今回のウイルス騒ぎでは、感染が一旦収まったと思えば、再拡大を、し続けております。ウイルスが、適応と進化を、繰り返しているのです。まさに、新型のウイルス。地域の封鎖などで1度は沈静化できたと見られても、軽く見ることができません」
視聴者の多くが、考えさせられた。
「ウイルスは、人間に、何を要求してきたのだろうか?」
「ウイルスとは、何なのか?」
まず、ウイルスと聞いて、何を、イメージしただろうか?
「ウイルス?他人に寄生して養分を奪って逃げて、またどこかに、寄生。迷惑な、ヤドカリでしょう?他人の努力窃盗と、逃走犯でしょう?あの、新卒世代の、あの先生のようなものでしょ?それか、新卒一括採用で定年退職世代の…もう、やめましょうか」
そのイメージは、しかし、ウイルスのすべてではないのだという。
地球の長い長い生命の歴史中で、一体どんな寄生先で何を学んだのか、明らかではなかったのだ。
この新型ウイルスが何を学んできたものであり、人間に何を与えようとしていたのか?それ自体が、まだまだ、人間には良くわかっていないのが現状だ。
「ウイルスって、何なのか?」
「そもそも論」
「ウイルスとは、本当に、何なのか?」
「気味が、悪すぎ」
「他人の努力を、奪い取って生きるのか。嫌な思い出が、降ってきたよ…」
多様性ありすぎるその姿に、人間は、どう立ち向かうべきなのか?たくさんの課題を、突き付けられていた。
新型ウイルス騒ぎがはじまって、時間が、経ち続けた。新型ウイルスは一向に弱まらずに、皆の心だけが、弱まりつつあった。
そのころ…。
皆が、その社会的危機の状況に慣れてきた頃だった。
「ここですな」
「ええ」
「間違い、ありません」
どこで森林管理部のできごとを知ったというのか、ダークスーツをまとった数名の医療従事者らが、2人の通っていた高校を訪れていた。
「ここで、間違いない」
森林管理部のことを知られてしまった理由は、単純なものだった。
例の新卒顧問が、S NSで暴露してしまったからだった。
「ぼ、ぼ、僕の森林管理部で、体験しちゃったこと」
新卒顧問は、そう自身のHPに書き込んで、発表をしていたのだった。
クラスの生徒皆が、怒った。
「…また、あの、バカ教員か」
「個人情報とか、どうなっていたんだ?」「こんなんじゃあ、私たちが、いけな何
かに捜査されちゃうじゃないのよう!」
「あの新卒顧顧問の頭は、どうなっているんだ?」
「何で、あんなのが、教員に採用されたんだ?」
「先生不足、だからだろう?」
「先生が足りないから、すぐに、採用されるんだよ」
「今の社会の児童生徒には、未来がないっていうのか?」
「そういう言い方は、やめなさいよう」
「そうか?おかしいなあ。高校は、まだ、先生不足になっていなかったんじゃあ、なかったか?」
「甘いわねえ」
「何で、新卒顧問が、うちの高校にきちゃったんだ?」
「何かの、陰謀だろうよ」
「そうそう」
「猛徳」
「そういうギャグは、やめろ」
「小学校は、いろいろと大変な悩みを抱えちゃう子が多くって、その意味でも、先生が足りなくて困る現状なのに」
「それで?」
「その小学生が、大人に成り切れずに、中学、高校、大学にまで、進む。親離れできずに、社会にまで出てきちゃうような、有様。新たな新卒爆弾の、誕生だ。そこで、新卒の流行を止められる先生を増やさなければならなくなったっていうのに」
「委員長は、厳しいんだな」
「政府が、そう言っていたでしょう?」
「そうだっけ?」
「でも、小学校の先生を増やせば良いだけの話なら、うちの森林管理部のああいう新卒顧問がこなくても良いんじゃ…」
「甘い、甘いわ」
「そうか?」
「甘いのか?」
「だって、あの新卒世代のメンヘラ教員が面倒見るべき小学生は、成長して、高校生になったじゃないの?政府には、その監視もしなくちゃならなくなってね…。だから…。ああ。気持ちが、悪くなってきちゃった」
「…」
「その小学生って…」
「そう。今の、私たち」
「…」
「自虐だな?」
「私ったら、何の話をしていたんだろ?本当に、気持ちが悪くなってきちゃった」
「ほら」
「結局、あの新卒顧問たちは、小学生の子を教える感覚で、高校に配属されちゃったっていうこと、なのか?」
「そういうこと、でしょう?」
「最悪」
「俺たちが、みじめだ」
「今の新卒顧問たちよりも、成長した俺たち高校生のほうが、レベルが高いっていうのにな。大人は、それをわかっていて、あいつを採用しちゃったのかな?」
「わかって、ないわよ」
「じゃあ、どうしてだよ」
「何であのレベルが、うちの高校に、配属されちゃうんだよ」
「役人は、現場を知らないだけ」
「ウイルスの話が、変な方向に行っちゃったみたいだな」
以上。
ダークスーツをまとった数名の医療従事者らは、高校の裏山を、調べ続けた。
そのころ新卒顧問は、学校で泣いていた。「あーん!皆、いなくなっちゃったよう!友達が、いないよう!怖いよう!」
ダークスーツの医療従事者らは、かつて森林管理部の入った洞窟内を、探った。
そして、高校に戻り、校医の臨時訪問と偽って生徒らに近付き、部員らに、聞いた。
新卒顧問には、聞かなかった。
「聞いても、無駄。おそらく、言葉が上手く通じないだろうからな」
部員らへの追及が、はじまった。
「皆さん?この洞窟の奥から、何らかの怪しい空気が、漂ってきたわけですよね?そのときには、ウイルスだとは、思わなかったでしょうがね…」
「え?なぜ、そこまで」
「洞窟は、わかったとしても…」
「なぜ、奥にいったと、わかったんだ?」
「こいつら…何者なんだ?」
「シッ!聞こえちゃう」
医療従事者らの圧力は、半端なかった。
「森林管理部の顧問の先生が書き込んだS NSは、役に立ちましたよ」
「あの…バカ教員」
「新卒の、変態野郎」
「危機感とか、ないのか?」
「あの世代特有の強迫性障害の気持ちが、いきすぎだ」
結局、森林管理部の部員全員が、調べられてしまったのだった。
感染騒ぎの後で、苦しみながらもようやく学校に復帰できた生徒さえもが、捜査の対象と、なっていた。
例の新卒顧問は、学校の体育館倉庫に、軟禁していた。
「ルウ、やりすぎだ」
「良いんだ。軟禁じゃなくて、介護だ」
「すごい、切り返しだな…」
医療従事者らは、こう、話し合っていた。
「やはり、海を越えた地域からの伝染、なのでしょうか?」
「そうですねえ…」
「まだ、わかりません」
「それも、そうだな」
医療従事者らの話し合いは、続いた。
この島国、日本という場所がどこかと陸続きではなかったことから、こう考えていたようだった。
「悪い空気がどこかから運ばれてきただけとは、考えにくいな。人と人を介した伝染の可能性を、疑ってみようではないか」
「そうですね」
「この感染には、必ずや、人間が関わっていることだろう…」
部員の何人かは、その考え方に、渋った。
だが、双子は、医療従事者らに同意していた。
納得せざるを得ない状況、だった。
実際に、洞窟内からきた異臭を感じていた人にとってみれば、このウイルス騒ぎは、汚れた空気や水が感染源で人間が関わっていたと考えるしか、なかったのだった。
「ルナ?新卒顧問の顔が、頭に浮かぶな」双子流に、新型ウイルスの正体を追ってやろうという気に、なっていた。
「良し、ルナ?望むところだよな!」
「皆を、救うんだ!」
「社会を、救え!」
「新卒を、安らかにさせてあげるんだ!」「あ…!」
そのとき、森林管理部の数名と医療従事者らは、新発見で目を見張った。
「まだ、続いていたのか?」
洞窟をさらに進んだところにも、人間10人ほどが入れる空間が、広がっていたのだ。
「おい、あれ!」
「何ですか?」
「おお」
「今も、使えるのでしょうか?」
医療従事者らが指差した空間の中心に、古びた井戸があったのだ。
「深そうですな…」
「古びて、いますねえ。汚れた水、なんでしょうね」
「この井戸、枯れていません!」
「それなら、今も、使えるわけか」
「穴の直径は、…狭いな」
「直径で、1メートル、ありませんね」
「スイカを冷やすのには、小さいな…」
「そういう言い方で、たとえないでくださいよ」
「すまん。私は、そういう世代だからな」
ある仮説が、出せた。
「もしかしたら、この汚れた水を通じて、感染が広められたんじゃないのか?」
医療従事者ではなく、ルナが言ったというのは、衝撃的だった。
震える推論、だった。
「あるいは…。スペインあたりに、つながっていたとか」
「いや…。ルウ、それはない」
衝撃が伝わったのか、医療従事者らにも、偉大な推論が立った。
「全世界を混乱に陥れていた新型ウイルスは、井戸の汚れた水を通じて、広められたのではないか?」
医療従事者らは、奇抜な仮説を出せた発見に、感謝をしていた。
「我々医療従事者は、水を通じて人から人へ伝染するという危険性があるのを、忘れていたようだな。これは、良い推論だな」
「そうですね」
「この可能性が、あったとは」
「もっと、調べよう。怪しいな」
医療従事者らの考えが、1つにまとまっていった。
「…あれ?待てよ?」
遠くで、ルナが、何かに気付いたようだった。医療従事者らと同じく、他の部員も、何かに気が付いた。彼らは、井戸の存在に気付いたが、人数制限で、その井戸のある空間に近付けず、やや離れた場所で待っていた。
「そういえば…。あの、新卒顧問…。トイレに入って出てくるとき、手を洗っていなかったよなあ。それで、職員室で、他の先生や生徒、不特定多数の人と、触れ合っていたっけな…。そこで、あの新卒顧問がこの井戸にきたとなれば…。まさか…」
ルウも、気が付いた。
「そうだ…そうだよ…。あの顧問は、トイレから出て手を洗わない状態で、他の高校の女子高生なんかとも、触れ合っていたんだろう?教育実習生の、ように。そして、ふらふらと、この空間を発見してやってきた。もしかしたら、何人かの教育実習生を、おとりにでもして…。やりかねないよな」
「その話は、今はやめよう」
「まさかな…」
「ええ…」
「やりかねないよな。あのダークスーツらに、調査をさせてやれ」
「利用するのか?」
が、利用されていたのは、部員たちのほうなのかも知れなかった。そう思わせるくらいに、ダークスーツらは、奇妙な存在だった。
「ここを、調べるぞ!」
「わかりました!」
「高校生らは、ここに、気付いたのだろうか?」
「さあ。それは、わかりません」
医療従事者らも、水の感染疑惑による推論に、たどり着いたようだった。
「この水を、採取しろ」
「はい」
「怪しい水だ」
「そうですね」
「何かが、見つかるだろう」
水関係の何かで、ウイルスが感染騒ぎの引き金を引いたのではないだろうかという考え方が、現実味を帯びてきた。
「まだまだ、証拠が、薄いなあ」
部員らのほうは、悩まされる一方だった。
「ルウ?あの新卒顧問が、この森林管理部に配属されてから、感染騒ぎとまではいかなくても、いくつか問題が起こったよな?」
「ああ。職員室のロッカーから、やばいものが、いくつも見つかったんだろう?」
「その話じゃ、なくって…」
「他の先生が、何人か倒れたことが、あったよなあ?」
「それだ」
「何かを、飲まされたんだ。何かの水…」
一筋縄では、いきそうになかった。
高校生の調査も、本格的に開始された。
「…え?マジ?」
不都合が、増えた。
高校に戻り、例の新卒顧問に、高校の裏山の洞窟内にあった井戸の話をしてあげたときだった。新卒顧問は、こんなことを、言ってきたのだ。
「井戸?うひい。うひい。…井戸って、何?ファミレスの、メニューか何か?」
この回答は、想定外だった。
新卒世代の人は、井戸というものを、知らなかったのだった。
「井戸というもの自体を、知らない?これが、現実か?欺瞞なんじゃ、ないのか?」
「委員長、どうする?」
「どうしたら、良いのかしら?」
「参ったなあ…」
部員たちが、ざわつきだした。
「やっぱりさあ、知らない振りをしているだけなんじゃ、ないのか?」
「俺たちを、騙そうっていうのか?」
「就職氷河期世代っていう人以外にも、今度は、受け持ち部員たちも、騙すのか?何のメリットが、あるんだよ」
「でも、本当に、知らないのかもよ?」
「この前なんか、あいつ…。急須を知らなかったって、いうじゃないか」
「急須って、あの、茶を淹れる急須?」
「ああ」
「それを、知らなかったの?」
「ペットボトル世代だから、茶を淹れる道具を見たことが、なかったんだってさ」
「あいつ、何の担当教員なんだっけ?」
「飼育係り、よ」
「まじか!」
裏山の洞窟内にあった井戸の水が今回のウイルス騒ぎを起こしたんじゃないのかと考えていた皆には、衝撃が、走った。
「あの、新卒顧問は、ウイルスを培養していたんじゃないのか?」
「やりかねないな」
「新卒世代…」
「世界に1つだけの存在、だからな…」
ここで、思わぬ転機が、訪れた。
「井戸、井戸…」
「井戸、なんだよなあ」
2人が、2限目の世界史の授業で使うプリントをもらいに職員室を訪れ、井戸のことをつぶやいたときだった。
物理学担当の先生が、こんなことを、言ってきたのだった。
「どうしたのかね、2人共?井戸、井戸って…。そうだ、井戸といえば、去年、新しい物理学の法則を見つけようと高校の裏山にあった洞窟内を散策していたときに、古びた井戸を見つけたんだ。今度、君たちにも、教えてあげるよ」
これで、状況は、一気に進んだ。
「先生?あの井戸について、何か、知っていることがあるんですね?」
「是非、教えてください!」
2人は、畳みかけた。
物理担当の先生は、優しかった。
先生は、喜んで、その井戸にまつわる話をしてくれたのだった。
その先生によれば、濾過して飲料水をとる目的に使っていたとのことだ。そしてその水で、茶を淹れようとしていたという。
「茶を、淹れるため、ですか…」
「そうだ」
「先生は、風流なんですねえ」
「そうかなあ?ははは」
「茶を、淹れる…」
「そうさ、沸騰させて、急須で、茶を淹れるわけだ。その茶を冷ませば、うちの高校の飼育している動物たちへの、良き飲み物にもなるだろう、なんちゃって」
「先生?」
「すまん、すまん。君のクラスでは、飼育していなかったのかな?」
「先生、そうじゃなくって!」
「飼育係は、嫌かい?」
「っていうか、先生?その前に、何と言いましたか?」
「え?急須のこと、かい?」
「急須!」
「急須!」
「ルウ!つながったかも知れないぞ!」
「ルナ?何だか、混乱してきた!」
物理担当のその先生によれば、井戸水は、主に、職員室の先生に出す茶として、飲料水目的に使っていたとのことだった。
物理担当の先生は、森林管理部の若い顧問のことを、良く、知っていたそうだ。まったく想像もしていなかったが、出身大学が、同じだったのだという。
物理担当の先生は、言った。
「あの先生は、井戸が何たるかを、知らなかった。急須も、知らなかった。新卒は、お気楽で良いよなあ。だから私が、大学の良き先輩として、教えてやった」
例の井戸から汲み上げてためておいた井戸水を湧かし、急須で茶を淹れるやり方を教えてあげいたのだそうだ。
「おっと。いけない。つい、しゃべってしまった。過保護になっちゃっている感じで、恥ずかしいなあ。新卒は、かわいいよな」
「ええ…」
「何となく、わかります」
「新卒世代の先生は、大変だよ。まず、努力をしない。誰かがやってくれるものだと、思っているみたいだしな。付き合いたくない…。とはいえ、大学の後輩だ。付き合わないわけにも、いくまい。ってことだ。ははは。それはそうと、理科は、何を専攻するの?物理を、選択しておくれよう。私の生徒になって、おくれよう」
「ははははは…」
「考えて、おきます」
「新卒世代は、良いよなあ?新卒一括採用の切り札が、あるものな。楽々、就職だ。あのゆるさは、言葉にも現れる。私の父は…、じゃなくって、僕のお父さんはあって、言うからな。大の大人が、人前でさ」
「え、先生?僕のお父さんは、僕のお母さん、僕のお兄ちゃんはって、今なら、誰だって言いますよ?言葉の社会は、変わったんですから」
「そうですよ、先生。なあ、ルウ?」
「そうだよな」
「いやあ、それはちょっと、違うんだよ」
「先生、違うんですか?」
「今どき、芸能人だって、言いますよ?」
「あれは、あの人たちだからだよ」
「…?」
「…うーん」
2人が困っているのを助けようとばかり、口が開かれた。
「実は、あの言い方は、社会人としては、恥ずかしいんだ。言葉の社会が変わったから良いという問題では、ない。特に、先生のこの世界では、ダメだ。先生は、公務員だ。その公務員が、人前で、僕のお父さんは、学校の先生として働いていたんですう。尊敬していますう。…なんて、言ってみなさい。聞いているほうは、どん引きだよ。そういう教員が増えたから、公務員全体へのバッシングにも、つながる。新卒は、困るよな」
「芸能人は、そう言いますけれどね」
「あの人たちは、別。社会人としては、みっともない言い方に、気付かないだけ」
そこから、たくさんのことがわかってきたような気になった。
「教職員も、新卒世代と一緒に仕事をするのも、くたびれるよ」
「生徒だって、そうですよ」
「まあ、仕方なく付き合ってあげているっていう感じです。そうだよなあ、ルナ?」
「児童生徒よりも知的レベルの低い先生って、いるんですよねえ」
「新卒は、かわいいですよねえ」
「生きる教育を受けても、生きられない」
「教育の悲しさが、出ましたね」
「そうさ、2人とも?就職氷河期世代が、かわいそうだよなあ。お腹を痛めて産んだ愛するわが子を、若い世代の教員に、預けるんだぜ?俺には、怖くてできないよ。何をされるか、わかったもんじゃない。俺の子は、少し年輩の先生に教えられている。いやあ、運が良かった。涙が、出るよ」
ウイルスによる感染騒ぎは、先生同士の心の闇が、作り上げていたのだろうか?
この職員室でのできごとの意味は、大きかった。
「物理も良いが、生物も、好きになっておくれよ」
物理学担当の先生のすぐ横から、声がかけられた。
「やあ、お2人さん。お久しぶりだね」
「ああ、先生」
「森林管理部の清掃のときに、手伝ってくれて、ありがとうございました」
「ははは…。生物学の教師としては、当然のことさ。生態系保存のためにも、アドバイスをしなくっちゃ、ならなかったしな」
「ありがとうございました」
「俺も、ありがとうございました」
生物学専攻のその先生は、社会の先端を、見ていた。社会を震撼させるウイルス騒ぎに関連して、ウイルスについてのちょっとした話を、してくれようとしていた。
「先生?」
「何だい、ルナ君?」
「先生、俺も、いますよ」
「ははは、そうだったねえ。ルウ君」
「それで、何かな?」
そこでルウが、先を急いだ。
「先生?このウイルス騒ぎは、いつまで、続くのでしょうか?」
聞くと、先生の目が、真剣になった。
「おお、ルウ君?アンビリーバブル、だ」
「先生、何ですか?」
「ウイルスと細菌は、違うものだぞ?」
痛い指摘に、なっていた。
「まあ、無理もない。ウイルスと細菌が別物だっていうのは、改めて勉強してみなければ、わからないことなのかも知れん」
「え?それって、どういうことですか?」
「そうですよ、先生?」
「ウイルスが何かを知らない生徒も、多いんだなあ」
何だか、困った空気が、満ちていた。
「…おっと、ごめんよ。君たちの悪口を言いたかったわけでは、ないんだ。2人とも、済まない」
ウイルスと細菌は、共に、人間の身体に入り込んで、感染症を引き起こすものだ。そんな性格の一致で、ウイルスと細菌は、同じモノなのだと、思われていたものだった。少なくとも2人は、そう思っていた。
だが先生によれば、それは、違うのだという。
まず、ウイルスと細菌とでは、構造に違いがあるとのことだ。
「ウイルスは、細菌とは違い、D NAかR NAのどちらかが、タンパク質の殻に包まれているだけの構造なんだよ」
頼んでもいない講義が、まぶしかった。
「D NA、デオキシリボ核酸というのは、聞いたことがあるだろう?」
「ええ」
「俺も、です」
「結構。じゃあ、R NAは?」
「うーん…、何だっけ、ルウ?」
「忘れた」
「ははは。リボ核酸だよ、リボ核酸」
「ああ」
「そうでしたね」
「2人とも、甘いな。わはは」
ウイルスは、細菌のように、増殖できるための酵素をもっていないのだと、いう。それなので、自分自身の力では、増殖できず。他の生物の身体を乗っ取って寄生して、身体をコピーしていくしか、なかったようだ。
いわゆる、クローンを、生み出すわけだ。
「他の何かを、乗っ取るんですよねえ。怖いことですよ」
「2人とも?まあ、そこが、大きな違いだよ」
「他人を、乗っ取るのかあ。何だかそれって、あの世代の生き方みたいですよね」
「そうだね。就職氷河期世代の優秀な子たちは、それで、食われた」
「先生?それで、食われちゃった就職氷河期っていう人たちは、新卒世代の人に、罪滅ぼしっていうわけでもないですけれど、何をしてもらえたんですか?」
「何にも、してもらえなかった」
「はあ?」
「先生?それ、本当なんですか?」
「ああ。何しても、感謝もしなくなった。誰かに何かをやってもらえるのが当たり前だとして、生活してきたんだからね」
「うわ。最悪」
そのルウの一言に、先生の顔が曇った。先生もまた、食われ傷付けられた存在だということを、知らなかったのだ。
細菌というのは、単細胞の生物だ。D NAかR NAをもち、分裂を繰り返しながら自ら生きることが、可能だった。
だから、細胞は、ウイルスとは違い、完全な生物ということだった。
「わかったかい?」
細胞は、生物。
ウイルスは、厳密には、生物とはいうことのできないもの。
その点で、大きな差があったのだ。
ウイルスは、不可解。生物とは言いがたかったものの、非生物、つまりは絶対に生物ではないとも、言えなかったらしい。どっちつかずの、ゆれ動く存在だ。
「先生?社会は今、そんな変なものに、傷付けられているわけですか?」
「俺も、傷付けられていますよ」
「そうか、そうか。2人とも、これまで以上に、気を付けることだな。ウイルスは、マスクの包囲網も、突き破って侵入してくるからね。なにせ、小さすぎるものなあ。魚だって、編み目よりも小さな身体だったら、逃げてしまう。それと、似たようなものだ」
ウイルスは、大きさにも、注意すべきだったようだ。
先生の話によれば、細菌というのは、種類にもよるだろうが、1ミリメートルの10 00分の1くらいの大きさ。それに比較してウイルスは、1ミリメートルの1 00 00分の1くらいと考えて良いと、いう。
スケールが大きすぎ、ではなく、スケールが小さすぎて、何が何だか、わからなくなってきそうだった。
結核菌やピロリ菌のような細胞だと、ウイルスの数百倍の大きさだということに、なった。
「ウイルスは、小さすぎる。だからこそ、網にも、捉えにくい。それからウイルス、病気を起こす仕組みも、厄介なんだよなあ」
ウイルスは、細胞に侵入して、その細胞を破壊してしまうと、説明された。
これには、反論があった。
「あれ?毒素のようなものを出して、細胞を殺すんじゃあ、なかったか?たしか、そうだったはずだ。なあ、ルウ?」
「だよな?」
だがそれも、勘違い。
「そう思われやすいんだが、違うんだ」
「そうでしたか?」
「あれ?そう、信じていたのになあ」
これも、勘違いされやすかったそうだ。
「2人とも?それは、ウイルスじゃなくって、細菌だ」
注意すべき点が、広がった。
「ウイルスは、他の生物の細胞にくっついて、遺伝子を送り込むんだ。情報を、勝手に受け継がせるんだ。悪質プログラマー」
「先生?ハッカーのこと、ですか?」
「違うよ。ハッカーの意味は、間違われやすいんだね」
「ハッカーって、悪い人のことじゃあ、なかったんですか?」
「違うさ。2人とも?帰ったら、ハッカーっていう言葉の意味を、調べてみなさい」
そのとき先生は、2人に答えを教えなかった。
「君たちの力で、調べてみなさい」
そうして考える機会を与えられた先生は、素敵だった。
「答えを、ください」
「マニュアルを、ください」
そう訴えてくる学生が多くなったことで、先生はやきもきし、2人に、何らかの可能性を見出してあげようと、アシストをしてあげていたのだった。
ちなみに、映画やドラマで見るような不正操作をおこなうやり手の技術者のことを十把一絡げにハッカーと呼ぶことは、決して誤用とは言えなかったものの、稚拙だった。
ハッカーとは、コンピュータ技術の関する高度なテクニックをもつ人たちの、総称にすぎなかった。
「コンピュータ関連の悪い人、イコールハッカー」
そう思われるのは、心外だったわけだ。
その中でも、今、2人が先生と話していたような、情報の破壊や不当な複製、アクセス制御の突破など、不当な利用をおこなう人のほうは、クラッカーというのだった。
「あの、悪い人のこと?それは、ハッカーじゃなくって、クラッカーだからね」
先生は、そう思っていた。
「でも、言わない。君たちで調べるんだ」
そうして生徒を動かせた人は、良い教育者というものだった。
そう言うと、こうした反論が出たものだ。
「良い先生?俺の担任教師は、すぐに、答えを教えてくれるよ?そっちのほうが、優しいじゃないか。俺たちは、何も考えなくても良いんだから」
何が優しいのか、教育現場は、試行錯誤だった。
2人の職員室経験は、素晴らしき邂逅だった。
「…それで、良いかな?送り込まれた遺伝子は、コピーを作って、勝手に増えていく。そのコピーが、新しいウイルスとなる」
「そうでしたか…」
「俺たち、忘れていました」
「ははは。君たちは、勉強不足だな」
ただし、ここでは先生は、2人の知識不足を、責めなかった。それよりも、何困った表情を、浮かべていた。このウイルス騒ぎの不気味さを、語ってくれたのだった。
「参った、ねえ…」
「何ですか、先生?」
「どうしちゃったんです?」
このウイルス騒ぎを引き起こしたウイルスの異常さが、強調された。
今回、全社会を震撼させたウイルスは、侵入した先の細胞で、成長を重ねていくようだったという。
「今回は、異常だよ。成長して、クローンを作り出しては、細胞を破壊していく。そしてまた、成長をしていく。困ったもの、だ。細胞を破壊しただけでは、終わらないんだ。しつこいんだよな、この、ウイルスは」
「友達には、なりたくありませんね」
「そうですよ。しつこい油汚れどころの話じゃあ、なさそうですね」
「そうなんだよなあ…。こんなの、上手く解説しきれないよ。ここまで解説しちゃってから言うのも、何だけれどさあ。困ったものさ。今回の、新型ウイルスは」
専門の先生が言うのだから、真実味があった。
「先生?」
「ん?」
「人間は、どうしたら、良いんですか?」
「そうですよ、先生」
生徒の困惑に、先生もまた、嫌な顔をしていた。先生は、はっきりとした意思で、こう答えてくれたものだった。
「人間は、この新型ウイルスに、どうやって向き合うべきか、か。ウイルスを消そうとしても、確たる攻撃方法は、何も無し。確実なワクチンもできていない以上は、防御も、ままならず。人間が、このウイルスに適応して生きていくしか、ないんだろうなあ」
世界規模の勉強会に、なっていた。
「2人とも?また、きなさい」
「ここに、くるんですか?」
「生物部の、勧誘ですか?」
「違う、違う」
一呼吸置いて、先生は、言った。
「ウイルスについて、もう少し、教えてあげたいからさ」
「…では、また、いつかの機会に」
「俺も、またきますよ」
最後に先生は、言った。
「2人とも?我が生物部に、はいってみないか?途中入部は、大歓迎だよ?中途でも、光るものがあるんだからね。新入生でなければいけないなんて思っていると、今の日本社会のように、しっぺ返しを食らう」
「…ほら」
「…」
「君たち、生物部に、入らないかい?」
「失礼、しました」
「以下、同文」
高校生らしいさわやかな風を残して、職員室から、出ていった。
「ルウ?ますます、気になったなあ…」
「おお、ルナ!俺もだ」
急須と水の話が、忘れられなかった。
「怪しいよな」
「ああ。怪しいな」
これで、どのような形であれ、新卒顧問の手に井戸水が渡っていたことが、決定的となってきた。
そのころ医療従事者らは、井戸水の分析に取り組み続けていた。その間、S NSのニュースは、必要以上にはやし立てていた。
「ウイルス騒ぎで人が苦しみ、死者も出ているこの状況だというのに、はやし立てるとは、怪しからん!」
誰かがそうは言っただろうが、話は、止まらなかった。
「あの辺りに住んでいる人は、感染して、倒れちゃったらしいよ?」
「感染者が、見捨てられているぞ?」
「そうじゃない。診てもらおうとしても、医療機関の混乱で、診てもらえないんだ」
「感染者が、路上に、放置されているらしいぞ?」
避難区域といった物騒な言葉までが、使われるほどになっていた。
ときに、いい加減な情報の伝達へと、変わっていった。フェイクニュースに踊らされた皆の心が、信頼を失って疲れていった。
「皆を守らなければ、なりません!」
国は、動いた。
「守らなければ、なりません!」
社会を、ぴりぴりとさせていった。
「高齢者を、助けるべきです!働き盛りの世代への支援は、後です!」
国は言ったが、これには、猛反発が出た。
「お、落ち着いてください」
政府の高官までが、会見にあたった。
想像以上の反発が、きていたようだ。
「働き盛りの人たちを助けろ、ですって?新卒一括採用コースから外れた世代に使う言い方じゃあ、ないわ?日本、死ね!」
国の体たらくを追及する意見は、尽きなかった。
「就職氷河期世代も守れず、おじさんや新卒たちを優遇しまくってバカを見たのに、国は、そこから、何を学習したんだ?」
「この期に及んでも、新卒か?緩やかに生きられた世代を、助けるのか?」
「重症患者を率先して助けるトリアージの考え方は、尊重できるだろう。だが、やり過ぎは、いかがなものか。特に一定の世代は、生きる教育というものをおこなったはずだ。生きる教育を受けた者が率先して助けられるというのは、国の施策にも、矛盾している。もっと考えて、人を生かせ」
これに、政府は反論。
「トリアージは、不公平を認めるものではありません!」
国の考え方は、奇妙だった。
結局国は、新卒世代の保護を、優先したのだ。不条理の高まりが、危惧されていった。
古い井戸水の臭いを感じられずに、感染を社会のあり方にリンクさせて考えられなくなってしまった混乱政府は、各地の学校を、一斉休校とした。
さらに、地域ごとの移動にも制限をかけ、人々の行動を、1つの場所に留めさせた。
一旦は、感染の広まりは抑えられそうに、考えられた。
が、国に指示された不可思議な人の集合体が、作られただけだった。他人の意思でまとめられたようなコミュニティが、蜃気楼のように、宙に浮かんでいた。
休校期間中、森林管理部の部員らは、こんなことを気にしていた。
「この休校の期間中、騒動の発端になってしまったかも知れない井戸水教師、あの新卒は、今、何をやっているんだろう?」
誰もが、気になっていた。
「我が高校は、がんばっています!」
全校リモート集会で、進路指導の先生が、言った。
「何で、進路指導なんだ?」
「校長とか出せば、良いじゃないか?」
「恥ずかしくて、出られないんじゃ、ないのか?」
「縦割り行政の、弊害だ」
「すごい、言い方だな…」
「でも、本当のことじゃん」
進路指導の先生が、また、言った。
「先生たちを、信頼してください!」
が、すぐに、無視をすることにした。
強迫性障害の、上手い回避法だった。
そのころ…。
ダークスーツの医療従事者らは、高校の裏山で見つけたあの井戸から得た水のサンプルを、調べ直していた。
「どうでしょうねえ…」
「特に怪しい成分は、検出されません」
「む…。そうか」
「こちらに、見せてください」
「どうぞ」
「私もまた、調べてみましょう」
本当に、怪しい点は見られなかった。
怪しいといえば、ただ、1点。
高校の先生たちの、証言だ。
夕方、高校の裏山にある洞窟近くに、見覚えのある人が、こそこそゆるゆる動いていたのが、目に止まったという。
「おい、あの人…」
「あの、若い人か?」
「何だよ、同僚かよ」
「どうだろうなあ…。この薄暗がりの中じゃあ、何とも言えないな」
「職員室に、あの先生は、いなかった」
「どこで、何をやっていたんだ?」
「あの、新卒。職員室には、いなかったんだよね?有給使って早退して、裏山にいきたくなっちゃったんじゃあ、ないのか?」
「怖いな。あの世代は、授業中に勝手にトイレにいっても、良かったんだよな?」
「そういえば、そうだったなあ」
「そのクセが、抜けないんじゃないか?」
「困ったわねえ…」
医療従事者らも、動いた。
「また、調べにいってみましょう」
再度、井戸水を調べだした。
「顕微鏡での観察を、続けよう」
「わかりました」
「あ…これ?」
医療従事者らが見つけたのは、水に含まれる、高濃度の塩化物だった。
翌日も、医療従事者らは、井戸水のサンプルを入手した。
だが今度は、塩化物は、少しも見つけられなかったという。なぜなのかは、まったく、わからなかったようだ。
S NSニュースが、拡散された。
「裏山という特殊な土壌が、注目されました。複雑な地層の性格から毒が出て、洞窟内に漂っていたという説が出てきました」
地球の地下に何らかの源があったと、いうわけだ。
他にも、説が出た。
「大気中に漂う塩素分が、洞窟内のカビと反応し、悪いものを精製してしまったのではないかという説」
洞窟内の異常なまでのかび臭さには、悪い意味があったと、いうことだ。
酵母菌による何らかの化学反応も、疑問視された。
「洞窟内の環境には、他にも、問題があった。じめじめ湿っていた空間の性格が毒素を出したという説」
まるで、エジプトのピラミッド墓地よろしく、呪いの力なのではないかとも、言われてしまっていた。
いろいろなアプローチの仕方が、あっただろう。
何はともあれ、医療従事者らの目には、井戸水の存在が、怪しく移っていた。
「やはり、あの井戸水ではないのか?」
「私も、そう思います」
「どのような経緯であろうとも、ウイルスの発生源は、あの井戸水としか、考えられません。他に、容疑者が、浮かびません」
「…そうだな」
医療従事者らは、井戸水調査に、戻った。
「この井戸のあった洞窟を訪れていた人ばかりが、このウイルス騒ぎのはじめの犠牲者となっていたこと」
「騒ぎのはじめの頃に体調不良を訴えなかった人は皆、その井戸水には関わっていなかったということ」
「あの新卒顧問とも、関わっていなかったということ」
それらをすべて総合すれば、容疑者は、固まってきていた。
「まただ。裏山に、いくべきだ」
「サンプルの採取、ですね?」
「もちろんだ」
「私も、参ります」
「私も」
「ここまで社会的に感染が起こったのは、なぜなのか。絶対に、あの井戸水に、ヒントがあるはずなのだ」
「そうですよね?調査を、しましょう。あの井戸水の関係者が怪しいことは、事実なのですから…」
医療従事者らの心は、つながった。
「皆で、やってやりましょう」
「最後まで、調査しましょう」
「経緯はどうであれ、あの井戸水が何かにつながると考えるしか、ない」
「そうだ」
「しかし…、不気味だ」
「何か、あったのですか?」
「夕方や夜にかけて、洞窟のまわりをうろうろする人影を、何度も、見かけるのです」
「また、ですか?」
「あの井戸水は、今も、使われていることになるな」
「見間違いでは、ないのですか?」
「…あるいは、そうかも知れませんね」
「そうであって欲しいものよねえ…」
「では、調査を続けるぞ」
「わかりました」
一旦は、納得し合えていた。
が、それでも医療従事者らには、腑に落ちない点がありすぎた。
「なぜ、井戸水を使えないよう、バリケードを張るなり、対策がとられなかったのか?単なる、行政の不備なのか?行政得意のたらい回し病でも、再発してしまったのか?」
医療従事者らは、行政にも詰め寄った。
「お願いします」
「わかりました」
高校の裏山にあった洞窟の入口を、鉄索網で閉じてもらった。
「これで、誰にも、使えまい」
「ええ」
「このまま、収束を願うばかりですね」
「ああ」
これで、最悪の期間は脱せられたのではないかと、皆が、安堵できていた。裏山に入っても良いが、井戸のある洞窟には決して近付かず、また、新卒顧問との接触も控えるように暮らすことが、暗黙の了解事となった。
裏山の井戸を使えないようにしたことは、好判断だった。
困ったことは、1つくらいだった。
部員らが、ウイルス騒ぎから元気になれたのまでは良かったが、新卒世代の先生たちまでもが、元気になってしまったのだ。これには、いつかに職員室で出会った物理学担当の先生が、かなり、困惑していた。
もっとも、医療従事者らによる綿密な調査も、完全に喜べたものではあり得なかった。
「それって、充分?」
「完全な調査に、なったの?」
「自己満足じゃあ、ないよね?」
S NS上では、からかいの言葉も飛んだ。
医療従事者らは、井戸水に関わって感染したとみられる人ばかりを見て、結論を出そうとしていた。
これが、少し、まずかったのか。
医療従事者らは、こう、発表をした。
「我々の調査では、これが、ウイルス騒ぎの原因であると、結論づけました」
それはまた、奇妙な言い方だった。
我々の調査では、という箇所だけから判断すれば、独りよがりだった。調査した感染対象者も、限定されていたはずだ。
「感染を受けなかった生徒や先生、その家族らまわりの人までは、調査が、及んでいなかったじゃないか!」
そう批判されても、無理はなかった。
「感染しなかった人は、絶対に、あの井戸には関わっていなかったと、いえたか?」
「そうだ。その人たちだって、感染を受けた人たちと同じように、井戸水に関わってはいなかったのか?」
「どうなんだ?」
「関わっていなかったというのなら、その証拠は、あるのか?」
数々の批判に、襲われた。
「そうだな…」
医療従事者らの悩みの種が、芽を出した。
「調査を、再開しよう」
「わかりました」
仮に、感染を受けたと訴える人もそうでない人も、ほとんどの学校関係者らが井戸水に関わっていたというのなら、どうにも、井戸水との関わりだけでウイルス騒ぎと関連させることは、できなくなっていた。
そこで再び、行政を頼らざるを得なくなっていた。
「む…!」
「ああ…」
「これは、ひどいな」
再調査の結果、井戸には、多くの欠陥が見つかった。
井戸に設置されていたはずの汚水止めなどは、どこにも、見られなかった。防臭弁としての役割が、果たせていなかったのだ。
「これでは、ダメだ」
「最悪は、逆流しそうですね」
「そういうことだ」
かえって、きれいな水の流れをせき止めてしまうような構造に、なっていたのだった。井戸が掘られた頃には設置されていたであろう汚水止めが、やがては、汚水源になってしまっていたことが、わかったのだ。
「メリットが、デメリットを、生んだな」
井戸の奥底付近から、臭いがした。
井戸には、動物の汚物も染み込んでいただろうと、考えられた。
「そうか。だからか…」
井戸のまわりの土はすべて、ドロドロになり、石は、ボロボロに崩れていた。その様子を見れば、誰もが、こう言いたくなるというものだった。
「これが、ウイルス拡散の、時限装置だ」
高校の裏山を舞台とした医療従事者らの調査は、意義あるものとなった。
感染騒ぎの伝播元をウイルスと突き止め、水源が汚染されていたために騒ぎが広まってしまったのだということを実証に追い込めたのは、偉大な業績だった。
「調査は、終了となるな」
「ええ」
「問題が、井戸にあったとは…」
「森林管理部の行動が、大きなヒントになったな」
「問題は、まだ、ありますよ」
「そうだ。あの先生にも、注意だよ…」
「あの先生によって感染が広められることはないと信じたいが、こればかりは、期待の域を出ない。それこそ、祈るしかないな」
高校に戻り、医療従事者らは、先生たちへの報告を、優先させた。
「そうですか…」
「犯人が、わかりましたか…」
「オチアイ先生?これは、犯人捜しで終えられる問題では、ありませんよ?進路指導をおこなう担当らしく、ありませんよ?」
「そうでしたな、失礼」
「…しかしまあ、安心できました」
「裏山には、近付けさせないように、しましょう」
「そうですな」
「リモート集会を、開きましょう」
「保護者にも、説明を」
「わかりました」
医療従事者らの団結は、学校関係者らの心をも、団結させた。
これで、ウイルスに打ち勝つ目途、生活を取り戻す勝算が、立ってきていた。
19 18年の呪いだったのかは、不明だ。
が、少なくも、今回の騒ぎを起こしたウイルスは、進化して出現し、さらなる進化で新型の強固さを維持し、遺伝子の組み換えによっても、人工増加を続けてきた。
これは、少しでも放っておけば、大損害の道を広げる進化だった。大損害どころか、人間を死滅させかねない破壊力だった。
「死のD NAをもった生命体、だな…」
が、恐れるだけでは、ならなかった。
希望はあった。
人間は、試されていたのか?
一高校の一部活動の体験からはじまったようなこの騒ぎが、こうも社会を震撼させるとは、難しい事件だった。
高校の裏山付近への移動制限が、強化された。
「この区域すべてに、立ち入らないこと」
医療従事者らによって、そう書かれた看板が、裏山のまわり一帯に設置されることとなった。
「これで、ウイルス騒ぎを、封じ込められるだろう」
医療従事者らは、胸を、なで下ろしはじめていた。
が、安心できたのも、束の間だった。
「…どうしよう?」
新たな悩みの声が、上がってきた。小学生を中心とした悩み、だった。
ルナやルウの通っていたその高校のまわりには、小学校が、建てられていた。その学校に通っていた子たちからの、声だった。
「私たちが、壊れちゃうよ。大人には、私たちとウイルス、どっちが大切なの?」
これには、政府一丸となって、矛盾に追い立てられる思いとなった。
ダークスーツの医療従事者らも、考えた。「これは、想定外だった。社会を守ろうと
必死になれたのは、良い。大人は、救われた
ことだろう」
「そうですね」
「しかし、参ったな」
「こうなってしまうとは、思いませんでしたね」
「ああ」
ウイルス騒ぎから子どもを守ろうとすればするほど、子どもに、ある悪影響を残してしまったのだった。
「まさか、学校の良き教育機会を傷付けてしまったとは。また、就職氷河期の悲劇が、生まれるんじゃないのか?」
「そうですね」
ダークスーツの医療従事者らは、怯えた。
今度は、ウイルス騒ぎにたいしてとられた制限がいきすぎだったのではないのかという再検証を迫られるまでに、なっていた。
家庭では、このような会話が、繰り返されていたという。
「…学校が休みになってしまって、ちょっと、残念ね」
「うん」
「どう?友達は、できた?」
「ううん」
「そう…」
「お母さん?新年度がはじまっても、学校が休みになっちゃったから、まだ誰とも、話をしていないの」
「あら、そうなの?」
「だから、友達を作りたくても、無理」
これでは、教育的新年度の顔合わせは、何もできなかった。
もちろん、友達同士との交流はなく、今どきの子にありがちなメール交換もできなく、子どもたちは、落ち込んでいった。
その政策を猛批判された政府が、動いた。政府の決断は、素晴らしかった。
就職氷河期世代の、苦労をした優秀な子たちにたいしては何もせず、彼らを社会に置き去りにしたクセに、養分をもらい大切に大切に育てられた新卒世代と、それを取り巻く子ども世代だけには、手塩にかけた暖かい面倒を、かけてあげたのだった。
「朝から夕方まで、皆でそろって学校にいかせることには、大きなリスクが付きまといます。児童生徒間の密な接触を避けるためにも、半日の分散登校で、学校生活を、再開いたします。児童生徒をいくつかのグループに分けて、行動をとってもらいたいのです。そしてそのグループを、定期的に、シャッフルしてみましょう。混ぜ合わせの分散交流の形態をとるべきだと、思われます。短時間とはなってしまうでしょうが、これで、児童生徒の皆が、顔を合わせることができるようになると考えられます。もう、あの、就職氷河期を作りたくはありませんからね。我々に、金が入ってこなくなった。政治家や公務員を、何だと思っていたんだよ。死ね、就職氷河期どもめ。新卒ちゃんたちのように、ゆるく生きてみたいよ」
現場を知らない偉い人たちの、理想的な考え方、だった。
もちろん現実は、その思い通りにはいかなかった。
学校では、まわりとできるだけ距離を保つため、教室内のすぐ隣りや前後の席には、誰も座れないようになった。
「何だか、ひとりぼっち気分…」
静かすぎる授業が、続けられた。
授業が一段落し、休み時間になっても、一苦労だった。
クラス担任の新卒先生は、言った。
「よろしいですか、皆さん?今は、おしゃべりをしないでくださいね。静かに座って、次の授業のはじまりを待ちましょう」
そのとき、児童から、声が上がった。
「先生?どうして、いけないんですか?」
マニュアル思考で育てられ、自分自身の力ではモノを考えられなくなっていた新卒先生は、それには、何も応えられなかった。
「ごめんね。決まりなのよ」
そう言うのが、やっとだった。
「先生?どうして、決まりなの?」
またしても、突っ込まれた。
「ごめんね。決まりだから、決まりなの」
新卒世代の先生答弁は、味なものだった。
児童には、納得が、いかなかった。
「先生?どうして、家からもってきた弁当を食べるときにも、1人で静かに食べていなくっちゃ、いけないんですか?」
「そうだよ、先生?」
「どうして、楽しくおしゃべりをしながら食べちゃあ、いけないんですか?」
「そ…それが、決まりだからです」
「誰が、そんな決まりを作ったんです?」
「偉い人です。先生くらい、偉い人です」
「はあ?先生と同じくらいのレベルなら、偉くなんか、ないじゃないか」
「あはは」
「言えてる、言えてる」
よせば良いのに、これには他の子も、かみついた。
「そうよ。先生。お母さんが、言っていましたよ?先生は、レベルが低いのに、先生の人材難社会だから雇ってもらえた身分なんだって。偉くも何ともない、意味わかんないチホーコームインさんなんでしょう?」
「あ…。それ、俺のお父さんも、言っていたなあ。努力をして勉強をした、氷河とか何とかっていう世代の人たちを裏切って、このポストに就いちゃったらしいじゃんか」
「…ガキめ」
「先生?何か、言ったのか?」
「ううん。何でも、ないわ?」
「しっかりしてよ。チホーコームイン」
「あははは。チホーコームイン」
先生は、クラスの子たちに、決まりだからダメです、決まりだからダメですと、言い張った。それしか、言えなかった。
「皆さん?これが、決まりなんです」
「先生?」
「…何ですか?」
「どうして、決まりなんですか?」
「決まりだから、決まりなんです」
新卒世代の先生思考は、このようなもの。モノを、考えられなくなっていたのだ。
「…おい、聞いたか?」
「ああ」
「私も、聞いちゃった」
たった2メートルほどのソーシャル・ディスタンスを開けながら、児童たちによる、大いなる携帯電話会話が、はじまった。今どきの子どもらしい、フンワカとした教室に、なっていた。
「なあ、聞こえるか?」
「うん、聞こえるよ。で、何?」
「俺も、聞こえるよ」
「あの担任、知的レベルが、やばいんじゃないのか?」
「そうよねえ」
「だよなあ」
「あ、そうだ。…盗聴されていたら、まずい。電話会話は、やめようか」
「そうだな」
「新卒世代は、盗聴とか盗撮とか、やばい取り引きとか、好きだもんな」
「そうよねー」
携帯電話でのクラス会話が、すぐに終了して、女の子が手を上げた。
「でも、先生?」
おしゃべりするなというのに、児童らは、健気だった。しっかりと、先生と、おしゃべりをしていたのだった。
「お父さんが、おしゃべりをしながら食べることにも意味があるんだよって、言っていましたよ?」
「…え?どういうことですか?」
「先生は、バカだなあ」
「わかってないんじゃないのか?」
「困ったなあ。これが、俺たちのクラスの担任のレベルなのかよ」
「マジ、キモ」
「マジ、キショ」
「お父さんたちが、かわいそう」
そう言われても良く理解できなかった新卒先生は、児童に優しく教えてあげることだけを、心がけていた。
「皆さん?弁当を食べるときも、静かにしましょうね?」
「先生?」
「何でしょうか?」
「あのう…」
「静かに、話しかけてちょうだいね」
「はい。あのう…」
「何かしら?」
「お父さんが、言っていたんですけれど」
「なあに?」
「古代ギリシアの時代だって、アカデメイアに集った哲人たちは、おしゃべりをしながら食べて、考えて、考えながら食べて、またおしゃべりをしていたんだよって、教えてくれました。その人たちは良くて、私たちは、どうして、いけないんですか?」
「アカデメイア?」
「そうです」
「困ったわねえ…」
「困るのは、こっちだよ」
「まったく、新卒っていう先生は…」
「このレベル、だ…」
「俺ら小学生が、みじめ」
「先生?アカデメイアは、学校よ?私たちのいるここだって、学校よ?それが、わからないの?先生は、何のためにここで、働いているんですかあ?」
「…」
「あ。先生、黙っちゃったぜ」
「…」
「先生たちは、考えて生きてこなかったていうけど…。それって、本当だったんだな」
「何か、言えよ。小学校の先生?」
「…」
「コームインっていう人、なんだろ?」
「…」
「また、黙っちゃったわ」
「頭の情報処理が、追いつかないんだよ」
「ねえ、先生?考えて、生きているの?」
「…」
「見ろよ。また、黙っちゃったぜ?」
「黙秘権の行使っていうやつ、かな?」
「あ。私、TV番組で見たよ?黙秘、黙秘」
「そのTV番組も、先生と同じ人たちが主人公の、…えっと、何だっけ」
「石けんドラマ?」
「ああ。たしか、そんな名前だったなあ」
「皆さん?静かに!先生、怒りますよ?」
「嫌なドラマ、だなあ。この先生と同じレベルの人が、主人公なのか…」
「チホーコームインって、いうんだよ」
「静かに!先生には、良くわかりません」
「えー?本当に?」
「良くわかんないんじゃなくって、考えて生きていないから、さっぱり、わからないんだろうな。父ちゃんたちが、涙」
「新卒先生っていう人は、素敵だよな」
「…」
「これが?」
「これが、素敵なのか?」
「ちょっと、皆、聞きなさい!」
静かにしろと言った先生本人が、騒いだ。
「良いですか、皆さん?先生たちは、古代ギリシアのような昔の人たちとは、違いました。考えたりおしゃべりをしながら食べてきたわけでは、なかったのです。だから、こんな立派な人に、なれたんですよ?」
児童が、ざわつきだした。
「立派な人、だってさ。先生が、自分で、言い出したぞ」
「ギャグなのかな?」
「だから、チホーコームインっていうんでしょう?」
「ああ、そうか」
「皆?静かに!先生たちは、国の命令で教育させられてこうなっちゃんだから、仕方がないのよ。先生は、悪くないのよ!」
「言い訳が、はじまったぜ」
「静かに!言い訳では、ありません!先生たちは、新教育の、被害者なんです!」
「ほら、言い訳」
「これが、大人なのね?」
「ああ」
「録音して、ネットで流せよ!これが、あの!僕たちは、悪くないんですう、あの教育をした国が悪いんですうって、いうやつだ」
「大人だろう?みっとも、ないよなあ」
「…で、ですから、皆さん、静かに。おしゃべりをしながら食べることは、間違っているのですよ。そういう、決まりなのです」
「出た、マニュアル思考!」
「ドキューン!」
「先生は、素敵だよな」
「スーパー、チホーコームイン」
児童同士の声の大きなおしゃべりが、はじまってしまった。先生には、もはや、止めることはできなかった。
「おい…、聞いたか?」
「うん」
「僕も」
「私も」
児童らは、こそこそと、呆れていた。
クラス担任は、おしゃべりをしながら食べることがなぜいけなかったのかの論拠を、まるで、持ちあわせていなかった。それ以上考えることは、できなかった。考えると、疲れてしまうからだった。
「…参ったな」
「何?」
「ほら、この担任のことでしょう?」
「こいつ、本当に、教員免許をもっているのかな?」
「ちげーよ」
「何?」
「教員免許を持っているから良いとかっていう問題じゃあ、ないんだよ。それで偉いとか何とか言っちゃったら、感染だ」
「だよね」
「もう…。皆、静かにしなさい!」
「あ、命令をはじめたぞ」
「何様、だよ」
「だから、スーパー、チホーコームイン」
「ああ、そうか」
「皆、お願い。国の、決まりなのよ!静かに、食べてちょうだい」
「出た!」
「人に頼んでいるように見せかけて、実は命令。ああいう言い方で、面接官を、踏みにじってきたんだろうなあ」
「素晴らしいわねえ…。憧れちゃうわあ。他人に教育できるのが、不思議よね。スーパー、チホーコームイン」
「新卒っていう世代が、特別なんだよ」
「ああいう人を、これから、誰が介護してあげるのかなあ?」
「あら。私たちじゃあ、ないの?」
「マジ、キモ」
「マジ、キショ」
「マジ、まんじゅう」
自粛生活の中、児童の学校生活は、困難を極めた。
かつては、児童同士が集まって、列を作って、登下校をしていたものだ。いわゆる、集団登校に、集団下校だ。
が、ウイルス騒ぎの後では、その登下校もできなくなっていた。登下校は1人でしなければならず、誘拐の危険性が、指摘されたほどだった。だが、それにも増して、こんな別の危険性も、指摘されはじめた。
「学校閉鎖で、児童生徒の心の発達に、悪影響が出てしまうのではないか?」
この心配は、子をもつ親には、特に注目された。
「ウイルス騒ぎで、守ってもらえる。それは、うれしい。でも、他の人と関わるのは危険だっていうことが刷り込まれた」
「知らない人と、関われなくなる」
「うちの子も、新卒ちゃんたちのようになっちゃうんじゃないのかしら?」
児童の会話が、はじまった。
「おしゃべりをしながら食事をしてはならないって、言っていたわよねえ」
「誰が?」
「先生が」
「単なる、マニュアル思考だろう?」
「新卒先生は、絶対に、信頼するな」
「そうかなあ」
「自分しか、信頼しちゃあ、ダメだよ」
心の発達を蝕むウイルスが、生まれた。
悩みは、尽きなかった。
ウイルス騒ぎから子どもを守ろうとした考え方が動いていたことまでは、良かった。だが、児童をはじめとした子どもたちの、心の発達には、意外にも、大きなダメージを与えてしまったようだ。
就学開始前後の幼い子どもにとってその時期は、発達段階という点で考えれば、人間関係の基礎を育む重要なステージだった。そのステージ上では、たくさんの触れ合いが生まれ、台本のないコミュニケーションのチャンスが、用意されいく。
このステージで、触れ合いを上手く達成できていけば、人の心は、安心感をもって、成長を重ねていけただろう。
「ああ…。私は、まわりの人に、愛されているんだな。私は、これからも、まわりの人たちを信頼して生きていけるだろう」
そう信じさせることが、できるはずなのだ。
こうした人間関係の確立は、孤立を防ぐためにも、重要だった。
それなのに、子どもたちは、かえって孤立を味わい、発達を焦らされた。
学校に集まれなくなり、現実的には、その他に、何が起こったか?
それは、居場所を失った子どもたちの増加だ。地方自治体によっては、子どものいく場所には、制限がかけられすぎた。
「子どもを、家庭に留めるため」
そういう名目では、あったのだろう。
が、家庭に戻れない子は、どうしたら、良かったのか?
家にいても孤独でしかないのなら、支障が大きすぎた。そのために、巣ごもり需要といい、在宅でできることのサービスが、注目された。
が、何の解決にも結びつけられなかった。心が経済を傷付けて、経済もまた、心を傷付けていった構造が見えていた…。
サービスが潤いながらも子どもが傷付くギャップある現実に、社会は耐えられたのか、怖くなってきていた。
今は、かつてと比較し、シングルマザーの家庭などが、多くなった。1人きりで子どもを面倒見なければならない、働きに出ていた母親らは、困った。
日中、家には、母親がいない状況だ。
それが、子どもが高校生ともなれば、問題は、感じられなかっただろう。母親が近くにいない状況でも、自活可能だったからだ。
が、これが未就学児などであれば、どうだったか?
小さな子を、保育園などに、預けていたとする。
「保育園が、ウイルス騒ぎによって、休園となってしまった!どうしたら、良いの?」
これは、パニックだ。
子どもを預けるべき場所が、完全に、なくなってしまったのだ。
居場所をなくした子は、心折れた。
「学校に、いけない」
「どうする?」
「公園にでも、いこうかなあ…」
休校期間中に子どもが公園にでもいけば、こう言われてしまったらしかった。
「おい、子どもが、いるぞ?」
「どういうことなんだ?」
「外出しちゃあダメだっていう決まりに、なっていたじゃないか!」
「そこの子たち、何をやっているんだ!」
匿名の通報が、自治体や学校に入った。
自治体は、困り果てた。
公園を利用してもらうのは、心身の健康維持の点から、良いことだったはずだ。公園いきを勧めたのは、自治体。
住民も、喜んでいたはずだった。
が、否定された。
学校もまた、困り果てた。
子どもの体力低下を抑えるためにも、外出を勧め、公園利用を、率先的に認めていたからだ。それが、今になって非難されることになるとは、教育的絶望が増した。
公園内には専用テープが張られ、遊具が、使えなくなった。自治体の職員やボランティアの人が見回りをおこなうケースも、出た。
「おかしいぞ?今は、外出自粛期間中のはず、ですよね?それなのに、公園で遊んでいる子がいますよ!」
警察にも、通報が入った。
新卒警察官は、子ども相手に、職務質問をしていった。
「君、どこから、きたの?」
「あっちだよ?」
「…君!あっちでは、わからないでしょう!きちんと、言いなさい!子どもだからといっても、容赦はしないよ?大人なら、逮捕するよ?遊びで質問をしているわけでは、ないんだよ!」
余談…。
職務質問でどこからきたのかと聞かれ、あっちやこっちと答えても、問題はなかった。新卒警察官の多くは、それが、理解できていなかったらしい。
もちろん、そんなあやふやな答え方をすれば、怪しまれてしまうが…。ただ、法的には問題がなかったのだ。それが、法律というもの。残念ながら、警察学校での法律教育は、上手くいかなかったようだ。
それでも新卒世代は、警察に採用された。
人材不足社会とは、そういうことだ。
恐ろしいことだ。
地域社会で、悲しむ子が増えてきた。
「スマホゲームが、やりたい放題じゃん。外出なんか、したくないよ…」
そこで国は、専門家対策を講じさせた。依頼されたのは、小児科学会だった。
子どもは、怒った。
「俺たちは、悪くないのに!」
子どもをめぐるケースで考える限りは、学校などの教育機関では、子どもを含めた集団感染、いわゆるクラスター感染は、見られなかった。その事実に、子ども批判の目が付けられた。
「感染防止感染防止っていって学校を閉鎖してくれたわけだけれど、学校では、感染なんかしないじゃないか」
「それなのに、外出しちゃダメなのか?」
「何だよう、それ!」
社会への影響は、拡大した。
学校以外の場、遊びの世界でも、注目が集められた。
学校にいけずに、外出して遊びにもいけなくなってしまった子どもは、ひどく、落ち込んだ。学校にいかないことで得られるメリットは少なく、落ち込むデメリットだけが、残されていたのだった。
買い物の場などでは、制限の緩和が進んできたとはいえ、学校や地域では、イベントのキャンセルが相次ぎ、制限が深まった。
社会を守るはずの感染拡大対策は、大人も子どももおねーさんも、傷付け続けた。
「公園にも、いけないなんて」
「いっても、知らない人に注意される」
「外に出るのが、怖いよ」
これでは、いきすぎ制約だと社会が批判されても、当然だったろう。
子どもというのは、大人の決定には、なかなか、対応できないものだ。そんな子どもの心のメカニズムが、上手い具合に利用されたできごとでも、あった。
「子どもは、どうしてもらうのが、1番良かったのか?」
ウイルス騒ぎと社会全体の心が落ち着いたときに、議論をしてみたいものだった。
社会的教訓やダメージは、大きすぎた。
専門家は、こんなことを、言っていた。
「日本は、高校生も含めた若い世代全般にたいして、冷たすぎるんじゃないのか?教育機関の先生たち世代の多くは、ゆるゆるとのんびりした教育で育てられ、他人から養分を吸い上げて、オンリーワン貴族にも、なれたものです。就職すら、楽。それに比べて、今の児童生徒は、ゆるゆるな教育も受けられずに、厳しい生活を強いられるままだ。このウイルス騒ぎの社会の元じゃあ、未来も、見えてはこない。気の毒だ」
なぜ、そう言っていたのか?
おそらく国は、新卒教育をした誤りを、認めたくなかったためだ。
「国は、どうしても、就職氷河期を消して、新卒を優遇し、すべてをなかったことにしたかったのでしょうか?」
そう言って、専門家は焦っていた。
「また、就職氷河期世代を、作るのか?」
たとえ、長期間にわたる休講要請が終わり、学校が再開するとなるとしても、先が、見えてこなかった。
「おじさんたちや新卒に、なりたいよ…」
自粛生活は、終わりそうになかった。の後も、何らかの制限が付くであろうことは、想定済みだった。
「今の子どもたちを、守りたい」
政府はそう考えていたのかも知れなかったが、学校にいけなくなることで悲しむ子どもたちがどれほど出たのかを忘れても、ならなかった。
ケアの向けるべき先は、複雑すぎた。
「どうせ、まだまだ、勉強は、できないんだろうなあ…」
「何のために、学校に入ったんだろう…」
「学校に、いきたいなあ」
「友達も、できないよ」
「泣きたいわ」
子どもたちによる教育機関への諦めモードは、続いた。どうにもならないと、子どもたちの心に、穴が開きはじめていた。
リモートによるオンライン授業は続けられるとはいえ、対面授業とはならないということで、悩みが深まった。
「これって、何の、勉強なのだろう?」
「友達との意見交換も、できない」
「議論に、ならない」
「学問の自由が、リモート破壊」
「仮に、この社会的ピンチを乗り越えられたとしても、将来図が、描けない。就職は、できないかも知れない。昔、こういう人たちがいたって、お父さんたちが言って泣いていたけれど…。なんで、お父さんたちが泣いていたんだろう?嫌だなあ。そんな人たちに、なりたくないよ」
「ああ。勉強していない状況で、これからどうしよう?」
「そうよね。私たちの世代は、仕方がないとはいえ、勉強をしていない。事前勉強をしていない人を雇う会社なんて、ないわ」
「でも、雇ったじゃないか?」
「はあ?どういう、ことなの?」
「昔、新卒一括採用とかバブル採用とかいわれて、何もしなくても良い人たちでも、雇ってもらえちゃったって、聞いたよ?」
「うっそー?」
「マジな伝説らしい。君、知らないの?」
「何を?」
「今、社会は、そうした世代が定年間近になってきて、慌てているんだぞ?何もできない人たちを雇っちゃって、その人たちに、莫大な退職金やら何やらを払わなければならない状況に、会社は、泣いているんだよ」
「そうなの?」
「らしい」
「うっそ」
「お父さんが、新卒っていう人だって言ってた」
「あ、聞いたことあるわ!」
「これから先、会社は、また、泣くんだ」
「学習が、できないのか」
「おじさん世代は、会社でも嫌われ、定年退職しても、家庭に戻って嫌われるのよ?その悲劇を繰り返す前に、私たち高校生は、将来がなくなるのかも知れないのよ?このウイルス騒ぎは、真剣な問題なのよ?」
「そうだよ。就職氷河期世代っていう人たちみたいに、社会から追放されちゃう」
「言い過ぎだろ」
「しかし、否定もできない」
こうした、友達同士での意見交換は、オンラインでなら、充分、秘密裏で可能だった。が、見えそうで見えない友達に、怖かった。
「今、私が話しているモニターの向こうにいるこの人は、本当に、私の友達なの?」
「頭が、痛いよな…」
自我が、崩壊してきたのだった。
そうした悩みの様相は、S NS経由で、何度も報じられた。
「気の毒だよなあ、俺たち…。ああ、定年退職世代のおじさんたちに、なりたいなあ。他人から金を巻き上げ、無駄使いしても何も言われず、大借金を作って、自分たちでは処理せず、次世代の人に払わせる。うやらましい身分だよなあ。それに引き換え俺たち世代には、何の光も見えてこない」
うらやましい世代の中の、一部の心ない人に、こう言われてしまった。
気の毒でしか、なかった。
「休校くらいで、落ち込んでいるんじゃないよ。若い奴らは、これだから、困るんだ」
「その通りだ」
「我々の時代にだって、休校問題が、あった。学生運動というものがあって、大学が、閉鎖されていたじゃないか。ジタバタ、するなよなあ。若い奴らは、すぐに、落ち込むんだよな。これだから、若い奴らは…」
極めて危険なセリフ、だった。
変わる社会への対応ができないと、凶器にもなった。
学生運動が盛んだった頃、大学が閉鎖されていたというのは、事実だ。が、学校の外に出れば、稼働する町並みの中で、充分に、学生生活を楽しめた。たとえ、講義は開かれていなくても、店は、開いていた。
図書館も、開いていた。
だから、そこで勉強をすることも、できたはずなのだ。
しかし、今の社会では、それもできないのだ。何もかもが、制約を受けていた。
「勉強をしたかったなら、公園にでもいって、ベンチに座って本を広げて自主勉強をすれば、良いじゃないか」
「そうだぞ」
「工夫を、しろよな」
「頭を、使えないのか?」
「これだから、若い世代は…」
「疎開も、経験してこなかったクセに。どこでも良いから早く勉強にいって、俺たちの介護をしろよな。わははははは」
公園で勉強しろとは言うものの、外出自体が、制限されていたのだ。公園にいっていただけで、非難の目を浴びせられた。
「君!そこで、何をやっているんだ!外出は禁止だっていうことを、知らないわけじゃあ、ないんだろう?」
見回り自粛警察に、注意された。
「あー!知らない人に、注意されたよう!
「見回り隊のあの人たちだって、外出をしているじゃないかあ」
そう突っ込んでも、キレられそうだ。
S NSの逆襲に、注意だ。
今どき世代の子は、S NSで、簡単に人を殺せたものだ。
注意。
若い人にもいろいろあったが、小さな子たちは、本当に、気の毒だった。
運動して体力をつけろと大人に小言を言われて出かけた先の公園も、補導現場へと、変わっていった。
「皆が、外出要請を、守っているんじゃないか!皆がやっているんだから、守れ!」
日本人に多い同調圧力をかけられて、社会的命令であればこそ、何も言えずに従って閉じ込められているのが、現状だった。
「ウイルスから、弱者を守るべきだ!」
そう言われ、守られるのは、誰だった?
子どもたちには、あんまりな仕打ちだ。
学ぶ機会に加えて、働く機会も遊ぶ機会も、制限された世代…。
その意味で、第2の氷河期は、生まれてしまっていたのではないだろうか?
「弱者を守れというのであれば、将来をこれほどまでに制限される若い世代にも、もっともっと、手を差し延べられなければならないんじゃないのか?会社どころではなくて、国が、かたむくぞ!」
公園の夢は、どこへいった?
若い世代は、経済的危機が起これば、真っ先に、解雇だ。おじさんたちを優遇し、社会は、大いなるしっぺ返しを食らったはずだ。就職氷河期から私たちは、何を学んだというのか!
若い世代は、S NS空間で、泣き続けた
「国や政府は、不公平だ。就職氷河期世代っていう大先輩が泣いた意味が、良く、わかってきたような気がする」
そして国は、高齢者に、優しくしていくのだった。
なぜか?
高齢者は、選挙の票をもっていたからだ。
これが、政治だ。ウイルス騒ぎの社会は、たくさんの教訓を、与え続けた。
「俺たち若い世代は、実は、使い捨て。雇用の都合の良い、埋めあわせだったんだな。ポイ捨てされる労働力で、便利に、こき使われるだけだ。そして最後には、高齢者の介護のために走らされ、つぶされる」
社会不審、政治不信が、高められていた。 高齢者も良いが、20歳代以下の若い世代の人にも、もう少し、目を向けてあげたいものだった。彼らは、ウイルス騒ぎの中、我慢の連続で自粛要請に協力的に動かされても、感謝の言葉1つ、もらえなかったのだから。
言語的な問題すら、絡んできた。
「おじいちゃん、偉いね!」
「おばあちゃん、偉いね!」
そうは、聞くが…。
こういう言葉は、聞かなかったろう。
「若い子たち、偉いね!」
言語的差別でも、気の毒だった。
20歳代以下の若者世代は、抑え込まれた。まさに、かつての、氷河期世代のように…。
政府は、いつだって、新卒世代のほうが好きだった。
「新卒を、守れ!」
新卒世代が感染すれば、哀れんだ。
「これは、かわいそうだ…」
「新卒世代のまわりが、危険だ!」
「新卒世代を、隔離しても良い!」
「社会が一丸となって、新卒保護だ!」
「お母さんのように守ってあげなくちゃ、ダメだ!新卒を、何とかするんだ!」
「新卒を守って、動かすな!」
双子の心が、締め付けられた。
「新卒世代を、もっと良いに保護してあげたいものだよなあ。なあ、ルウ?」
「だよな。新卒は、俺たちの社会に留まらせるべきなのだろうか?可能性あふれる子どもたちを大切に育てられない国は、つぶれるよ。新卒に養分を与えすぎても良いけれど、その新卒たちには、やがては、介護が必要になる。社会の、時限爆弾だな。その新卒たちの面倒は、誰が見るんだろうな?俺たちは、嫌だよな?おっと、その話は止めよう」
2人の暖かい会話が、復活していた。
「ただいまー!」
森林管理部の、あの新卒顧問が、医療機関から戻ってきた。1日は、入院を余儀なくされたとのことだった。
「だから、昨日、学校にこなかったのか」
「追放されたんじゃあ、なかったのか」
「あら?撃たれて、殺されたわけでも…」
「そういうこと、言うなって。委員長?」
新卒顧問が、1人で医療機関にいけるようになったのには、理由があった。
「今は、リモートが流行っているもんね」
1人行動に、ならったのだった。
「先生、やるじゃないか!」
「1人で、できるようになったんだ!」
ウイルス騒ぎで、学校などの機関が閉鎖された影響で、そこで働く大人たちにも、居場所が限られてきていた。
学校でなくても、各会社では、リモートワークという働き方が推奨されるようになっていた。職場でやるべきことを、家に持ち帰って仕事をすることが、多くなっていた。
「会社にいかなくて良いから、気が楽」
そう言う人もいれば、こう言う人もいた。
「家に書類を持って帰っても、専用の置き場が、ない。家庭生活で必要になる新聞や雑誌、広告と混じってしまうよ。ややこしいこと、この上ない」
「家で仕事を始めれば、隣りで、俺の子が泣き始めてしまった。どうすれば、良い?」
「そうですよ。私も、困りましたよ。その子を預けるべき保育施設も、閉鎖されてしまったくらいですからな」
「家にいることで、こんなにもストレスが溜まるだなんて、思わなかったわ」
職場にいかず、家で仕事をすることは、必ずしも、のんびりできると喜ばれなかった。
それは、意外な発見だった。
森林管理部のあの新卒顧問も、困っていたようだった。
「仕事、できない。仕事、できない…」
その姿は、哀れだった。
「普段、たいして仕事していないくせに。文句を言うのが、クセになっているんだ」
まわりのそんな意見も、むなしかった。
事実、働かなくても金をガンガンもらえるという、究極の、新卒一括採用かつ定年退職世代のおじさんたちは、こんなことを言っていたものだ。
「これでは、仕事ができませんな。世間では、我々へのバッシングが、広がっていますよね?仕事をしていないのに金をもらうな、などとね。だったらお前らも、バブルまみれで楽しく生きてみろって、いうんだ。新卒一括採用もされなかった貧乏くじ世代は、黙っていろよな。ああ、困った。困った。おじさんたちは、仕事ができない。退職したいよ」
あるTV番組で、社会のおじさんへのインタビューが、おこなわれた。
以上が、その受け答えだった。
これが、運悪くも、全国中継されてしまった。
番組を観ていた人々は、怒り狂った。
こうしてウイルス騒ぎは、いくつもの社会矛盾を映し、不都合な社会のあり方を、経験させていったのだった。
例の新卒顧問が、部員たちに、電話をかけてきた。
「今、何をしているの?」
とんでもない教師、だった。
「この高校には、いき場所がないんだよ。大きな休暇でもとって、どこかに、心を休ませにいきたいよ。どうしたら、良いのかなあ?」
部員たちは、呆れた。
が、救ってあげることにした。
若い教員にも、いろいろ。
30歳代後半の先生も若かったが、こういう人は、修業次第で、希望がもてそうだったからだ。
が、その先生は、20歳代だ。
その先生は、救わなければならなかった人だ。
ウイルスの本当の姿が、わかってきた気がした。
新卒世代は、何度考えても、強かった。他人の手で面倒見てあげなければならないことは、社会的に、知られていた。面倒を見てあげないと、逆ギレを起こすのだ。
「強すぎる。優しくしないと、殺される。このウイルスの正体が、いよいよ、わかってきたぞ…」
誰もが、覚悟していた。
「ルナ?頼むよ」
「あの先生の、介護か?」
「お願い!」
ラインが、飛び交った。
「若い世代にも、いろいろだな。あの教員は、殺しちゃえば?」
「ダメだよ。生徒まで、捜査される」
「じゃあ、どうするの?」
「あの新卒顧問は、黙らせようよ」
「スタンガン、とか?」
「やめようよ」
「痛みを知らない世代には、丁度良いじゃないか」
「やめなってば」
「わかってよ」
「じゃあ、どうするんだ?」
「努力した世代が、また、何かされちゃうんじゃないの?」
「あの、新卒顧問。どうせ、困った困ったって、言っていたんだろう?」
「そうなのよ」
「自分の力では何もできないから、おれたちにやれって、命令してきただろう?」
図星、だった。
「ルウも、きっとそこに、いるんでしょう?2人で、何とかならない?私は、ちょっと…。あんなのには、関わりたくはないし」
「そうだよ。優しいお前たちなら、何とかなるんじゃないのか?」
「何とか、してくれよ?」
「ただし、殺すのは、ダメ」
「仮にも、公務員だ」
「後の処理が、まずい」
「そうそう。警察だって、バックに、付いているからね」
「警察?向こうに都合の悪いことが起これば、警察が、隠蔽でもしてくれるっていうわけ?」
「そうだけど」
「何で?」
「同じ身分、じゃないか」
「どちらも、地方公務員。友達だろ」
「ああ、そうか」
「ルナもルウも、どうする?心は、自粛していないわよねえ?」
そこまで言われて、既読スルーは、できなかった。
「…仕方がないのかなあ。顧問の病気を治さなくっちゃならないしなあ…。皆に、協力するか。なあ、ルウ?」
ルナの横で、ルウも、困っていた。
「既読スルー、KSには、できないよな。っていうか、何で、KSなのかなあ?Kは既読のKで良いとしても、スルーの頭文字は、Sじゃなくって、Tのはずなのに…。頭が、痛いなあ」
「おいおい、ルウ?」
「良く考えたら、何で、KSなんだろう?」
「ルウ?新卒介護を、手伝ってくれよ」
「KTじゃ、いけないのか?」
「なあ、ルウ?」
「ああ、わかったよ」
「本当に、わかったのか?」
「わからないよなあ」
「ああ、わからない」
「世話が、焼けるよなあ」
「新卒は、かわいいからなあ」
「自分自身の力では生きられなくなったオンリーワン世代の、怖さだ。政府は、こうなることを予期できていたのか?」
「諦めろ」
「…けれど、引っかかるよな」
「何がだ?」
「あの人たちって、生きる教育っていうのを、受けたらしいじゃないか」
「ああ」
「それなのに、ちっとも、生きられなくなっちゃったじゃないか。スマホがなければ生きられないのは、かわいそうだよ」
「だから、救おうっていうんじゃないか」
「あの教育を考えたのが、定年退職おじさん世代、だ。何だか、いろいろな意味で、かわいそうになってきちゃったよな」
「そこまで、言うなって。ルウ」
「まあ、良いか」
「ああ。良くないけれどな」
「あの先生を、助けてやるか」
「そうだよな…」
「ルナ?強迫性障害じゃあないが、また、確認したい。あの世代って…。高齢者になったら、誰が、世話してあげるんだ?」
「俺は、嫌だぞ。ルナ?」
ルナは、何も、答えなかった。
優しくなったルナとルウは、例の先生を、面倒見てあげることにした。
「どうする、ルウ?」
「そうだ!良い場所が、あったぞ!」
2人が注目したのは、定年退職世代のおじさんたちの居場所があったという、超好景気時代に栄えた、大きな箱だった。第3セクターなどと呼ばれたそれは、今でこそ使えるのではないのかと、思われた。
この着目は、良かった。
売りたくても売れず、手放したくても引き取り手のない施設が、地方に、増えていた。定年退職世代のおじさんたちと、同じような性格だ。そんなおじさんには、ぴったりの施設だった。
「先生は、あの施設にいって、感謝されるべきなんだよ。先生の存在価値が、出るだろう。なあ、ルウ?」
「ああ。そこに送ってあげれば、あの先生も、休まるんじゃないのかな?」
「そうだね」
「先生がそこに定住してくれるようになれば、ありがたい。定住先の人は嫌がるだろうが、先生を追放できたこちらには、メリット大になるだろう」
「そうだね」
「社会が、平和になる気がするよ」
「それ、言い過ぎ」
「さあ。皆が大好きなあの世代を、あそこに、送ってあげるんだ」
「ああ。送ってあげようよ」
「これは、偉大な葬送に、なるだろう」
「ルウは、言い過ぎ」
「トンボを、呼び込んでみようか」
「ルウ?季節的には良いかも知れないけれど、何で、トンボが飛んでいなければならないんだい?」
「トンボは、死者の霊も運んでくるっていうじゃないか」
「やめろって、ルウ。…そんな民俗学みたいな話、あの新卒顧問にわかるわけが、ないじゃないか?」
「それにトンボは、名前からして、良い。トンボは、秋津。秋津島のこの国には、相応しいだろう?」
「そんな話、絶対に、知らないってば」
「今の世代は、そういう話ができなくっても、教員に採用されるの?」
「そうさ、先生が足りない社会だからね」
「かわいいなあ…」
超好景気時代に栄えて、今は使い道に困ってしまった箱を再活用させてあげるのは、社会的に優しく、偉大なプロジェクトになる予感だった。
会社でバリバリ働いて栄えて、今は使い道に困ってしまった人を再活性させてあげる優しさを感じ、2人の心は、ほっこり気分。
「あの、負の財産…。絶対、生かそうよ」
「ああ」
「皆の、ために」
「社会の、ために」
「新卒には、優しくな」
「そうだね」
「優しく、追放してあげようよ」
「ルウは、どこで、そういう言い方を覚えてきたんだ?」
負の財産の、再活用。
実は、2人が着目する以前にも、その負の財産を活用しようという動きが、あった。2人の考え方も、間違ってはいなかったのだ。
「ワーケーション」
負の財産の、活用労働を、そういった。
休暇を作り、その負の財産の場を楽しませながら、テレワークをこなすというのだ。自治体によっては、無償で、施設を貸し出してくれるという。
「ワーケーション」
面白い言葉、だった。
観光地やリゾート地での休暇を楽しむバケーションを組み込んだ言葉で、リモートワークを活用して、働きながら休暇をとる過ごし方のことを指した。
在宅勤務やレンタルオフィスでのテレワークとは、区別されるそうだ。
ルウは、新卒世代を優しく見送ってあげるために、ワーケーションについて書かれた新聞記事を、見ていた。
「ワーケーションは、あの新卒顧問らにも合う新しい働き方さ。働きながら、休暇をとるんだってさ…」
「ああ。それか」
「ルナ、知っているのか?」
「今のウイルス騒ぎで、注目されているんだよ。新しい日常の1つの形として、位置づけられている働き方っていう奴、さ」
「ルナ、良く、知っていたじゃないか。俺なんか、今の社会でそういう言葉があったとも、知らなかったよ」
「ルウは、まだまだ、だなあ」
「ちぇっ」
「ワークとバケーションを合わせた、造語だろう?」
「ああ」
「実は、俺も、不勉強だった。今回のウイルス騒ぎが起こるまでは、知らなかった言葉なんだからね」
「そうか、ルナも、同じだったのか」
「まあ、そういうこと、さ」
心強く、なっていた。
ちなみに、ワーケーションは、ノートパソコンやインターネット、ブロードバンドが急速に普及した20 00年代、アメリカではじまったとされる働き方だ。
「あの先生に、合うかなあ…?」
「文句を言わなければ、良いんだがなあ。アンガーマネジメントができず、思うようにいかないと、すぐに、キレるからな。定年退職世代のおじさんたちと、同じレベル」
「ははは」
「権力をもてた美しい世代なら、こう言えるものさ」
「何?」
「ぼ、僕たちは、好きで、休暇をとりながら働くんじゃないんです!僕たちは、働き方改革の、国の被害者なんですう!って」
「うわあ、言いそう」
先生に合う働き方になることを、信じた。
問題は、教職員という公務とのダブルワークが可能なのかということ、だった。が、その心配は、無用だった。
公務員にそこまで厳格性を求めても、いけなかったのだ。
「地方公務員法の抜け道なら、たくさんあるからね」
「そういうこと、か」
「逮捕は、できない」
「だよな」
逮捕ができないのも、当たり前。
厳格に地方公務員法などを適用してしまったなら、現役の教員などは、ほぼほぼ全員、アウト。
その証拠に、児童生徒の情報を漏らさないとは言っておきながら、卒業アルバムまで作って、ターゲットの顔写真まで、乗せてしまう有様なのだ。
しかし、逮捕はできなかった。
「あーあ。また、新型ウイルスの話が、こうなってきちゃった」
「残念だね」
「残念じゃ、ないよ。学校の先生不足社会だから、構わない」
「何だよ、それ?」
社会状況を逆手にとれば、簡単なことだった。
「新卒先生は、本当に、強いんだよ」
「美しいんだな」
「新卒先生に、なろうよ。大学院にいって教育学を学ばなくても、的確な指導ができるんだ。人が人を教育するっていう厳しさが、美しく映えるんだ」
「俺も、新卒先生になりたいな」
「私も」
今の社会で考えれば、地方公務員法で新卒世代の先生を注意することはできなかった。
知らない人に注意を受ければ、へこんだ。
「あーん!法律違反で、怒られた!」
怒られ慣れていない世代を甘く見ては、ならなかった。
泣いて、現場から去っていく。
それに、注意をすれば、何を復讐されるかも、わからない社会だ。新卒くらいの先生なら、平気で、S NSに、書き込んでしまう。
「俺の勤めていた××小学校で、児童に、超絶的足蹴りを入れて骨折させたら、注意された。超、むかつく。その、児童?知らないよ。教育委員会がどうの…、対応がどうの、頸椎の損傷がどうのこうのとか言っていたけれど、関係ないね。知らない人に、注意されたぜ?俺、やめるよ。あの学校は、世界に1つだけの俺を、ちっとも、理解しちゃあいなかったんだっていうことが、わかったよ。マジ、むかつく。やめる」
こうして貴重な先生が、いなくなってしまうのだ。
これを防ぐためにも、教育現場での先生解雇はできないといわれていた。
「冗談じゃ、ないよ。俺は、先生だぞ?公務員だぞ?万引きしたら、捕まったよ。友達なんか、女子高にいって盗撮したら、捕まった。俺たち、公務員なんだぜ?信じられないよな。もう、やめる」
話はやや逸れるが、学校で卒アルが制作されるのは、先生が、児童生徒を人質にとるためだとも、いわれる。
「うへへへへ…。かわいい子どもたち、こっちに、きなさい」
そう言う先生が、いたとする。
当然、児童生徒は、拒否をする。
「先生、やめてよう!やめてえ!」
そうしたら先生は、こう言えば良いのだ。
「おっと…。先生に、抵抗するなよ?抵抗したら、卒アルの情報を、S NSで、拡散させちゃうぞ?」
「…」
「卒アルに、写真を、載せただろう?」
「…」
「卒アルから、君の情報が引き出せる」
「…うう」
「良い子だ。静かに、するんだ」
今は、社会が変わり、中学入試を受ける子も、多くなった。戸惑った、母親。
「中学入試?ごめん…。お母さんの時代、そういうのはなかったのよ。だから、アドバイスができないのよ。学校の先生に、聞いてみたら?」
子どもにそう言う、母親。ごもっともな対応なのだが、危険なこともあり。
児童が、先生に、聞いてみたとする…。
が、中には、こうした先生がいたのだ。
「ウヒヒヒヒ。先生の言うことを、良く、聞くんだね。先生のことは、好きかい?どうかな?先生は、恰好良いだろう?俺はまだ、30歳ちょい前だものな。新卒なんだぜ?イケてるだろう?すごいだろう?若いって、良いよな。就職氷河期とか何とかいう連中には、なりたくないよな。努力をしたのかも知れないが、結局は、社会にドボンだ。俺たちに、将来を、邪魔されちゃったからなあ。かわいそうになあ」
「先生?やめてよう…」
「おっと…。先生のことを嫌いだなんて、言うなよ?抵抗したら、中学入試に受からなくしてあげちゃうからね?先生に刃向かういけない児童ということで、入試を、受けさせないようにしてあげちゃうよ?うへへ」
新卒先生たちは、最凶だった。
先生たちにも、新しい働き方を、してもらいたかったものだ。
ウイルス騒ぎの中での新しい働き方、ワーケーション…。
そのメリットは、次のとおりだ。
まず、静かな環境で、仕事ができること。
町の騒々しさを離れて、通勤ラッシュも、回避。落ち着いた雰囲気の中で働くことで、やる気も、アップ。創造性や生産性が高まるのではないかと、いうことだ。
有給休暇の取得率も高められると、いわれた。
日本人労働者の有給休暇取得率は、先進諸国の中では、ダントツレベルで、最下位をいくという。
また、ワーケーションは、滞在地にもメリットを残すという。
ワーケーションで向かった地域や施設が、活性化する。人口の増加が起こり、地元の消費が潤うと期待されるようだ。仕事で誰かへの援助ができたなら、素晴らしいことだ。
もっとも、ワーケーションには、デメリットも、指摘された。一般的なテレワークと同じように、仕事と休暇の線引きや勤務時間の設定が難しいのは、難点だった。
「どこまでが、仕事なの?」
「これは、休暇?」
「俺は、どちらを優先して、やっているんだろうなあ?自分自身が、わからなくなってきちゃったよ」
「何だか、混乱」
「どうしよう?」
常に、危ぶまれただろう。
また、テレビ会議のシステムを使って仕事をする場合には、設備投資の必要性があるので困るとも、指摘された。
印鑑文化の国であり、何らかの決済には印鑑が必要となる日本では、テレワークと同じように、捺印書類の処理が、課題になった。
これにも、意見が多かった。
「捺印が、無しなのか。電子決済なら、いろいろと、楽になるなあ。良いことなんじゃ、ないのか?」
「判子を押しにいく手間が、省けるんじゃない?」
「そういえば、そうかも知れないね」
「いいね」
「判子を押すためだけに、わざわざ出社をした日々には、さようならだ」
そんな好反応の一方で、反対意見も、強かった。
「家を買うとか、婚約とか結婚とか、人生の重大事に必要なのが、捺印じゃないの?それのに、捺印不要っていうのもねえ…。何だか、どうでも良い人生にならないものか、心配。人生には、重大な決断事がある。その決断をするとき、心に必要になるのが、捺印なんじゃないの?決断文化がなくなっちゃうようで、嫌だなあ」
問題をあげれば、きりが、なかった。
長期の宿泊、遠隔地域での労働が前提となるようなワーケーションでは、経費についての問題も、出ただろう。
「交通費は、出張費として認められる?」
ウイルス騒ぎ下での苦しい経営状況では、もしかしたら、会社は、交通費を負担してくれない恐れがあっただろう。
交通費だけでも、大混乱だったろう。
「会社が、全額普及」
「個人との、折半」
会社ごとに、差が出るだろう。
こんな書面が届くことも、あったろう。
電子化社会を揶揄するように、メールで、届いたりするものだ。
「会社は全額支給を考えましたが、よくよく精査すれば、休暇が主体となった移動のように考えられ、交通費の全額支給は、できなくなりました」
ワーケーションの働き方を進めるときは、それが、出張であるのか?休暇にすぎないのか?分別できなければ、ならなくなった。
こんな事態にも、なりかねなかった。
「仕事をしに、出張にいきました。行き先は、廃業寸前の、ゆとり博物館でした。出張費を、出してください」
「ダメ」
「なぜですか?」
「ゆとり博物館、だろう?少し前作られたっていう話の、できちゃった施設じゃあ、ないか。地域に、浸透していない」
「それだと、出張費が出ないのですか?」
「そうです」
「何のための労働、ですか!」
「そんなことをいわれても、うちの会社では、対処できませんよ」
「そんな…」
「だいたい、ゆとり博物館なんていう怪しい名前の施設、ですよね?社会的に、認知されると思いますか?本当に、そんな施設が、あるのですか?きっと、まわりに嫌われている施設ですよ?」
「…」
「絶対に、地域に、浸透していませんよ。そんな、施設」
「出張費は、出ないのですか?」
「ですから、出ませんよ」
「…」
「ゆとり博物館だなんて、地域に、嫌がられているだけじゃないのですか?」
「…」
出張先が、地域に浸透していた既存の施設であれば、好都合だった。少子化による影響などで廃校になってしまった学校などを利用しても、問題はなかった。問題はないどころか、地域には、喜ばれもしただろう。
実際に、廃校となった小学校の跡地が、有効活用された。
ワークスペースとして、開設された例が、あった。
標高が10 00メートルを越えるその地は涼しく、平均気温は、都心に比較し、5度近くも低かったという。
まわりは、大自然に、覆われていた。ハイキングにももってこいの国立公園が、広がる土地だったという。
「どうぞ、どうぞ。使って、ください。ここで、働いてみてください」
その施設を使ってくれることを地域の皆が望んでいたのであれば、出張も、しやすかったはずだ。
都心で語学教室を経営する方は、その廃校ワークスペースと都心とを行き来するようになった。
新型ウイルスの問題により、都心での対面授業ができなくなってしまったからだった。そこで、講師陣を小学校跡地に集め、生徒らに、オンライン講義を施した。はじめこそしっくりとはこなかったが、次第に、慣れてきたのだろう。講師陣からは、こんな声が、上がってきた。
「やり方次第で、何とかなりそうです」
「私は、LI NEを使って、生徒たちに、授業をしています」
「インターネット関連の情報が使え、世界の語学と触れ合えるのは、良いところなのかも知れません」
「生徒らと直接触れ合いのは、残念です」
「生徒の意見も、聞きにくい」
「けれども、オンライン授業には、その不便さを覆せるような力があるのではないでしょうか?オンラインでのメリットを生かそうという意識があれば、この授業方式も、悪くはありません」
不便さも、使ってみれば、便利になれた。
「便利にするのが、講師陣の腕の見せ所」
経営者は、言った。
売り払いたくても買い手が付かず、維持費だけに悩まされる施設があったのなら、地域は、その施設を無料で貸しても良いと、考えるだろう。
タイミング如何で、施設再活性のチャンスは、大きく広げられる。
ただ注意点が、あった。
出張先の地域が、部外者を受け入れることに不慣れである場合だ、その場合は、コミュニティに不安を招きかねない。
「よそ者は、くるな!」
「そうだ、そうだ」
「あんたは、本当に、この地域の活性化に役立つ仕事をしてくれるって、いうのか?」
「本当かね?」
仕事にいったつもりの善良なビジネスマンが、排除されかねなかった。
それに、曲解的な利用の問題も、あった。
ウイルス騒ぎに余波があった場合、休暇とビジネスで利用されるべきだったその地域や施設が、感染者の疎開先に使われかねないという問題、だった。
ワーケーションは、社会に適応した柔軟性を、試された。
強者も、いた。
「ワーケーションなんて、私は、昔からやっていますよ」
そう話したのは、N PO法人の副理事長。
ワークスペースの他、自習室、会議室、ギャラリー、クッキングエリア、講習会場などを、貸し出していた。
「廃校は、職員室だけが使えるスペースとは、限りません。音楽室も、使えます。コンサートを開いて、ライブ配信をするのです」
貸し出した側は、賃料を得られた。その資金で、更なるプロジェクトが考えられた。
ワーケーションは、利用の仕方で、メリットが広げられたようだ。
副理事長は、言った。
「ワーケーションは、今や、私には、必要不可欠の働き方ですよ。自宅で働いていたとしても、効率が、良くありません。会社休業の社会で仕方がないとはいえ、家では、だらだらとした労働に、なりがちです。家族に怒られるだけで、メリットが、あまり、感じられません。それが、この専門の場でなら、どうでしょうか?家に比べて通信速度が速く、安定しています。対面ではありがちな、いくつもの予期しなかったストップも、避けられます。これは、良い」
国は、感染リスクの少ない自然環境の中で気持ち良く仕事ができる意義を捉え、国立公園、国定公園、温泉地の中にあった宿泊施設に、Wi Fi整備をする場合の補助を、国の予算に、入れた。
何事も、努力次第。
連休の出勤日にテレワークを取り入れる会社も、登場した。休暇先での連泊が可能になり、出張の前後に休暇を付けることを認めてあげれば、出張先レジャーも可能になった。
が、それも、理想論か。
現実は、厳しかった。
働くとはいえ、休暇をとることが出張費として認められなければ、金銭的に、個人の負担が増えた。
働けば働くほどに、負担を抱えたのでは、意味に欠けた。
問題は、とにかく、有給の消化だ。
何といっても、日本は、有給休暇が、満足に消化できない国だ。
有給休暇は与えられるものの、使うことが、むずかしかった。これには、日本人の精神的な問題が大きく関わると、された。
「まわりの人が都心の会社で働いている中で、自分だけが、休暇をとりつつ遠隔で人と会話したりと、甘い働き方をしてしまって良いのだろうか?」
日本人労働者は、そう、考えがちだった。
労働者の心配は、尽きなかっただろう。
日本は、こうして考えれば、リモートワークを定着させるのが難しい国だったと、言えてきた。
どうすれば、新しい社会を、乗り越えられるのか?
会社の経営者側にも、社員を管理できるのかどうか心配する声が、尽きなかった。この心配を信頼性に変えて会社のイノベーションを起こすきっかけに、なれただろうか?
課題は、大きすぎた。
ワーケーションは、何を、言っていた?
それは、旅先でのテレワークにはハードルが高すぎることがあるという逆説的な証明だったのではないだろうか?
ウイルス騒ぎ下の働き方は、多くの教訓を残した。
ウイルス騒ぎの休業余波は、大きかった。
高校や保育施設の困窮は2人も知っていたが、それ以上のピンチがあったように、見えた。教育機関として困りに困っていたのが、各地の大学だった。
大学があたふたとする様子は、S NSを通じて、伝えられていた。
「こんなことが、起こっていたのか…」
「これもまた、難儀だな…」
2人の家の近くには大学がなかったこともあり、大学での学生模様については、良くわからなかった。
S NSの利用は危険だとはいったが、こういうときには、有益なものだったようだ。S NSで、誰かが、訴えた。
「ウイルス騒ぎの影響で、経済的支援を必要としている学生が、たくさんいます。彼らを、救ってあげるべきです!」
森林管理部では、あの新卒顧問が動かされた。
「先生?」
「おお、チェキ!ルナじゃないか?」
「ルウも、いますよ?」
「おお、ワンダーホルン!」
携帯電話越しの新卒顧問は、強かった。こんなにも部員が話しかけてくれるとは、思わなかったのだ。
先生仲間には嫌われ、生徒にも、避けられやすかったというのに…。
奇蹟に、違いなかった。
2人は、新卒顧問の良き話し相手になっていた。優しく、接してあげていた。
「先生、うれしいなあ。お父さんやお母さん、みたいだなあ」
涙ながらに、語ってきた。
「なあ、2人とも?S NSニュース、見た?困っている大学生を、俺たち高校にいる人たちが救ってあげなくっちゃならないって思った?ふひい。どうするの?就職氷河期が、また訪れれば、先生たちは、もっと、美しくなれるかも知れないよね。努力なんかしちゃって泣く人が、また、出るんだろうね。どうする?誰かのためになることをして、疲れちゃうのって、あり?誰かが泣くおかげで、僕たち学校の先生が、もっと、美しくなれる。どう?それでも、あいつらを、助けるの?まじで?うへへ」
ルナは、すぐに、通話を終了させた。
各地の大学が、クラウドファンディングをおこなっていたようだった。クラウドファンディングとは、インターネット経由で、不特定多数の人たちから資金の寄付を募る運動のこと、だ。
「ルウ?これは、良いな」
「ああ。皆の、助け合いだ」
社会には、ウイルス騒ぎによるダメージによって、金を出したくても出せない事情が、モヤモヤと、巣食っていた。
そこに、解決の輪が、見出されようとしていたようだ。
大学院生らが、涙ながらに、訴えていた。
「研究書が、買えません!」
「勉強が、進みません!」
「大学図書館も、地域の公共図書館も、閉館してしまったのです」
「どうしようも、ないのです」
「助けて、ください!」
訴えの輪も、広がっていた。このように訴える学生も、出てきてしまったようだ。
「社会に出るまでには、もう少し、勉強や経験が、必要です。しかし、弱りました。大学院に進学したとしても、学費を捻出できるのか、わからなくなってきたのです」
「アルバイトでの収入が、激減してしまいました。助けてください!」
「私、貯金を、切り崩しているところ…」
茫然とする学生たちの姿を見て、2人も、辛くなってきた。
「ルウ?俺たちも、今後どうなるか、わからないよな」
「ああ。先が、見えないよ」
「子どもの頃から貯めてきた貯金を下ろさないと、いけなくなる」
「老後のための蓄えだとか何とか言っている場合じゃあ、ないぞ?」
「そうだよなあ。困ってしまうなあ」
「俺たち、これから、どうなるんだ?」
「ああ…。子どもの頃から貯めてきた貯金を、下ろさないとなあ…。って、まだ子どもの俺が言うのも、どうかと思うがな」
学費もそうだが、家賃の支払いに困っていた例も、あったようだ。
「アパートの家賃を払わないと、そこから退去させられてしまう」
「どうしよう。助けて!」
さらには、こう訴える学生もいた。
「栄養のバランスがとれた食事をすること自体、難しいよ…」
それこそ、子どもの頃から貯めた貯金を切り崩していくか、もしくは、生活を切り詰めなければならない状況だった。
支援は、国全体で考えられなければならない段階にきていた。それができないと、本当に、第2の就職氷河期が訪れてしまうのだ。
ウイルス騒ぎは、社会全体にまで緊急事態を発動しなければやっていけない現実を、叩き付けた。
困窮する状況がこれ以上続くのであれば、自己破産だ。
「ルウ?俺たちも、どうなることか」
「弱ったぞ…」
「ああ」
「あの新卒顧問たちは、学生時代に、就職氷河期で苦しむ人たちを見て、どう、感じていたんだろうなあ」
「うーん…」
「世界に1つだけの俺達だけ助かれば良いって、思っていたんだろうなあ」
「不条理、かもな」
返済不要の奨学金を支給したり、授業料を減免してあげたりする措置が、とられはじめていた。感染の危険性を考え、人を密集させられなくなったことで、オンライン授業も、はじめられていた。
が、問題は、なかなか、消せず。
その授業をするためには、新たな費用が、必要になっていた。
設備費用、だ。
新たな授業形式をおこなうための設備費を用意するだけで苦労していた学生もいたわけであり、もちろんこれにも、対策が、必要だった。
クラウドファンディングによる寄付が、おこなわれた。
クラウドファンディングの弱点は、大規模な寄付ではなかったことで、求めるだけの資金が、なかなか、満たされなかったことだ。
新しい考え方は、新しい働き方同様、多くの教訓を、残していた。
各地で苦しむ学生を救うには、計5億円以上が必要だったと、いう。が、何とかして集めた寄付金をすべて足しても、用意できたのは、約3億円だったそうだ。目標には、届かず。
資金を満たせなかったことは、クラウドファンディングの弱点を、あぶり出した。だがそれは、慈善行為の不備では、なかっただろう。
「大金は無理ですけれど、少額でなら、寄付できます」
負担をなくし、迅速に支援をしてもらえるきっかけ作りになれたのは、クラウドファンディングのメリットだと、わかってきた。
国の支援は、広がった。
国の支援での問題点は、煩雑さだ。
行政上の手続きが必要になれば、時間がかかりすぎてしまうものだったからだ。そのデメリットを打ち消してくれたのが、クラウドファンディング。
「学生同士の小さな支援であっても、国の大きな支援を超えられる可能性を、もっていた。まあ、そういうことだよね。ルウ?」
「ああ」
「良い発見、だよ」
「人を助ける方法は、いろいろと、あるものなんだなあ。こう言う点も学べるとは、思わなかったよ」
「あの先生世代とは、違ったな」
「ああ。それで、良かったじゃないか」
「そうだな」
学べたことは、他にも、あった。
国から支援を受けられるとはいっても、交付金、支援金、補助金などの額は減少の一方で、大学側は、苦しみ続けていたのだ。
「これでは、大学の運営が、上手くいきません!」
大学職員も、泣き叫んでいたようだ。
しかも、困ったことに、国からの補助のほとんどは、用途や期限が決められていたということ、だった。
大学側だけが財源を用意するのには、限界がありすぎたようだ。
「クラウドファンディングの意味って、大きかったんだなあ」
「こんな社会だから、想像以上に、大きいだろうな」、
「日々、勉強だ」
「人間は、ウイルスとの共存が、日課になっているんだ」
「ああ。これが、新しい社会の姿だ」
決断が、深まった。
「ルウ?先生を、呼ぼう」
「ついに、決行なんだな」
「やろうよ」
「そうだな」
「ウイルスと戦える俺たちに、乾杯だ」
「ああ」
「新しい社会の、ために」
「飲み物は何もないが、乾杯だ」
2人は、優しすぎた。
「今こそ、あの新卒顧問を救ってやろう」
「ああ。皆が、生きられるために!」
風が、冷たかった。
「ルウ?新卒顧問を、何とかしようよ」
「そうだよな」
「治療だ」
「俺たちって、優しいよな、ルナ?」
すっかり優しくなった2人は、新卒顧問を呼び出した。危機感のなくなっていた新卒顧問は、ホイホイと、2人に着いていった。
「先生?放課後、学校の裏山にいこうよ」
「そうだよ、先生?いこうよ。俺たち部員は、いや、部員どころか生徒皆が、先生のことを好きなんだよ」
「ポケーッ…」
「ほら、先生。だらしなく、口を開けていないでさあ」
「仕方が、ないよ、ルナ?先生たちは、緊張感のない新卒一括採用コースで生きてきちゃった、ゆるゆる世代なんだ。こうなっちゃうのも、想定内にしないと、罰が当たるんじゃないか?」
「そうだね」
「どこに、連れていってくれるんだい?」
新卒顧問は、愛くるしい物になっていた。
「先生?」
「ん?何だい、ルナ君?」
「ほら、ほら。先生?」
「ルウ君まで、乗っているんだねえ」
「先生?俺たちの森林管理部がきれいにしたあの場所に、いくんだよ。それで良いんだよなあ、ルナ?」
「そうさ、ルウ」
「なぜ?」
「先生。なぜって?」
「なぜ、そこに連れてってくれるって、いうんだい?あそこはもう、充分に、きれいになったんじゃあ、ないのかい?」
良い気付き、だった。
「へえ。先生は、すごいなあ」
「友達でもない俺たちに、結構、しゃべれるじゃないか。新卒顧問は、優秀なんだな」
「生徒皆が、そんな先生のことを、愛しているんですよ?」
「…おお、やった!」
「先生?そんなに、うれしいの?」
「もちろんだよ。カムライターオ!」
「先生は、美しいんですねえ。聖職者、だものなあ」
「うん、うん」
先生の顔は、にこやかであり続けた。
「新卒は、かわいいよな。面接官や友達以外とはしゃべれないって、聞いていたのになあ。そんなことは、なかった。新卒は、いつだって、成長をしていたんだなあ」
「これも、洞窟からきたウイルスのおかげなんだろう。ルナ?」
「あのウイルスには、新卒世代の心を変える力も、あったんだ!これは、新発見になったのかも、知れないぞ!やったね、ルウ!学界に発表できるかも、知れないよ?」
「どこの、学会だよ…」
「ひひひ」
先生は、うれしそうだった。
「でも、ルナ?」
「何?」
「変わった、裏山いきだよね」
「どんな点が?」
「だって、山に、先生を捨てにいくみたいじゃあ、ないか」
「こら、こらあ。ぷん、ぷん。2人とも、先生にそんなことを言っちゃダメだぞ?」
先生は、楽しそうだった。
「うふん、うふん」
「先生?ウイルスっていう言葉は、知っていましたよね?」
「おお、ウイルス。ウイルスにも、いろいろあってさあ。良いウイルスだって、あるんだぞ?先生は、そんなウイルスなら、かかってみたいなあ。うひい」
「ルウ?無駄だよ」
「みたいだな。モノを考える力は、まだ、足りないか。ウイルスの多様性もそうだが、社会の多様性も考えてもらいたかったのに」
ウイルスも、考えようだった。
より良く利用できる可能性があると考えれば、ウイルスは、単なる悪魔ではなかったのだ。さらに考えるべきは、そのウイルスによって洗われた、先生の心の清らかさについてだったろうが…。
ウイルスによって、新卒顧問の心は、きれいになってきた気がしたものだ。
「ルウ?このウイルスは、先生の心を、洗ってくれたのかな?」
「さあ、どうだろうか」
「先生は、どこまでも強くなったよ」
「何となく、な」
若い先生たちの偉大さに、改めて、心を打たれていた。先生たちには、大いなる礼をしなければ、ならなくなった。
「おーい?いるんだろう?」
高校のオチアイ先生が、裏山にきた。
「あ、オチアイ先生!」
2人共に、オチアイ先生を手招きした。
ルウも、続いた。
「先生、こっち、こっち!」
「こっちに、きてくださいよう!」
手招きをしたルウが、微笑んだ。するとオチアイ先生が、変わった声をあげた。
「えっと…。ウオオ、こんなことをしている場合じゃあないぞ!」
謎の、熱血先生だった。
「なぜ私は、こんなところに、やってきてしまったんだ?何かの、呪いなのか?授業準備をしなくっちゃ、いかん!早く、高校に戻らなければならん!」
オチアイ先生は、学校に戻っていった。
「オチアイ先生は、何しにきたんだ?」
「さあ…?」
新卒顧問に、向き直った。
「先生?ここはどこだか、わかります?」
「ここ?もう、着いたの」
「わかりますよね?」
「…ん?どこって、裏山だよなね?」
面倒な存在が、残されていた。
「ここ、どこ?ねえ、こなのう?」
わめかれた。
仕方なく、教えてあげることにした。
「先生は、物を忘れ…、覚えていないのかも知れませんが、ここは、ウイルス騒ぎのはじまりになった場所ですよ?先生は、校長先生たちと共に、ここに駆けつけてくれたじゃあ、ないですか?」
「ああ。そんなことが、あったよな。懐かしいようで、切ない思い出だよん」
先生の言葉遣いが、はっきりしてきた。
「おい、ルウ?先生の心が、戻ってきたみたいだ」
「ああ。そうみたいだな」
「良かった」
「まったくだな」
ただ、懐かしい、切ない思いでという先生の反応には困った。
「先生、それって、どういうこと?懐かしいんですか?」
「変わった言い方、ですね」
「いやあ…。懐かしくもあり、切ない」
またしても、変わったことを、言われた。
「先生?切ないんですか?」
「そうですよ。俺たちは、感謝なのに」
「そうか?君たちは、先生に、感謝をしてくれるのかい?」
声が、生き生きと、していた。
「ウイルス騒ぎは、たくさんの姿を、見せてくれました」
「…はにゃ?」
「感謝の気持ちも、苦しみの気持ちも」
「俺達は、たくさん、勉強できました」
新卒顧問の瞳が、ゆれ動いた。
「2人共?先生は、何で感謝されるの?」
「…倒れてくれていたから、ですよ」
話を続けていた先生の背後に、もう1人のルナ、いや、ルウが、立っていた。
「おお、ルウ君じゃないか。愛が増えたのかと、思ってしまったよ。ははは。このウイルスは、幻覚も、見せるのかな?」
生暖かい風が、吹いた。
「先生、暖かく、なりましたね」
「ウイルスの気持ちが、そよいだんだ」
季節は夏の暑さを離れようとしていたというのに、風は、ウソをついていた。いつまででも、夏の香りを、そこはかとなく残していた。
「風、か。驚いてしまったじゃないか?」
「おお、先生?」
「先生は、だなあ」
場の雰囲気が、一気に、和んできた。
「先生?」
「何かな、ルナ君?」
「先生?倒れていてくれて、ありがとうございました」
それは、意外すぎる言葉だった。
「ほひ?どういう意味、だい?」
先生は、目を、丸くしていた。
「どういう意味って…。先生が、ご丁寧に声を上げて倒れてくれていたおかげで、俺たちは、危険に気付いて、逃げられたんじゃないですか。先生のおかげで、俺たちは、先生に、助けられたようなものですよ」
「そうですよ、先生?」
「…ルウ君まで」
心強い声が、加わった。
「ああ?そうだよ、そうだよ。そういうこと、だったのか?」
先生の理解が、進んできた。
「俺…。先生のことが、大好きですよ。本当に、大好きですよ」
「俺も、です。俺というか、社会の皆が、先生のことがますます好きになれたんじゃないのかと思います!」
「うひい」
先生は、本当に、うれしそうだった。
「先生…」
「待て、ルナ。俺に、言わせてくれ」
ルウが、前線に立った。
「先生は、良い身分ですよ。俺たち世代のことも、努力をした俺達の上世代のことも、バカにできるほどにね。先生は、美しく、強かった。俺個人のことも、バカにできたくらいにね。俺は、俺は、カレー粉じゃないっていうのに!」
たくましい声が、山に響いていた。
その声は、ウイルス騒ぎを出したいつかの洞窟内にも届き、こだまを返そうと、もがいていた。
「いや、それは…」
先生のそんな弁解はじめが、悲しすぎた。
弁解の声は、こんなルナの声の響きに、覆い尽くされるだけとなった。
「先生たちは、恵まれすぎました。そう、定年退職おじさんたちの、ように。おじさんたちは、素晴らしい妖精に、なりましたよ。素敵な素敵な、ファンタジー。俺たちは、そんな妖精たちが、好きで好きで、たまりません。良いなあ、新卒」
「そうだな、ルナ…。新卒は、美しいよ。大好きだ。妖精になれた大好きな先生は、放っておけないよ。俺たちは、もう、妖精を消さなければならない段階に、きてしまったようだ。自粛要請、自粛要請、俺たちだけが、損をした感じだ」
「そうだとも。新卒は、良いよな。もう、その美しさは、俺達だけのモノにはできないよ。もっと多くの人に見てもらって、分かち合えなくっちゃ、ならないんだ」
2人の決心が、かたまりはじめたのか。
「おお、世界はタピオカ!2人とも、変わったことを、言うんだねえ?」
先生は、呑気だった。
そのとき、彼らの背後に加わってきた者が出たのには、誰も、気付けなかった。
「久しぶりだな!あれを使うときが、きたんだ!」
タイマ先輩、だった。
「あ、先輩!」
「あれって、何です?」
「ワクチンだ!」
「え?」
「ワクチン、って?」
「まわりを、きれいにしたいんだ!」
「…タイマ先輩?」
「今まで、どこで何をやっていたんですか?」
一瞬の間が開いて、先輩が、制服の胸ポケットから、あるモノを取り出した。
「…それは!先輩!何をするんですか?」
先生の口が、だらしなく開きはじめた。
「緊張感が、ない!何て、新卒なんだ!」
「先輩!」
「ルナ、邪魔をするな!後輩のクセに!」
「先輩!」
「ルウも、か!カレー粉は、黙っていろ!」
「俺は、カレー粉…」
落ち込んだルウを横に、新卒顧問だけは、元気だった。
「おお、新卒一括採用だ。ピピッピー!」
新卒顧問の、最期の言葉となった。
「パーン!」
洞窟の入口で、ゆとりある軽々しい音が、鳴り響いた。
「先輩?」
タイマ先輩は、涙を流していた。
「先輩?ついに、あの世代を、やってしまったんですね!」
「先輩!」
倒れ込んだ若い先生の胸から、赤い液体が溢れてきた。
「ルウ?見ろよ。赤いんだ…」
「ああ、本当だ。本当ですよ…。この先生にも、俺たちと同じ赤いモノが、流れていたんですね」
タイマ先輩は、拳銃を握りしめながら、まだ、涙を流していた。
緊張感のないゆるゆるとした新卒顧問の顔が、白く青く、気の毒な色合いにになってきた。
「そうだ、ルウ?」
「何だよ、ルナ?」
「タイマ先輩は、あのワクチンを使ったって言っていたよな?」
「まさか…!」
一気に、たくさんのことを理解できた気になっていた。
あのワクチンの行方が、わかった!
しかしときには、1人の命が消え、代わりに、多くの命が救われようとしていたわけだ。何ともいえない、ゆるゆるとした悲壮感だった。
「この先生を、弔ってあげようか」
「そうするか」
「俺…。先生が、大好きだよ」
「俺だって…先生が、大好きだ」
「社会が、救われる」
「かもね」
「今、こうしていなくなってくれて、新卒世代が、より、愛おしくなってきたよ」
「鬼籍に入ったこの奇蹟を、忘れない」
「上手いことを、言うんだな」
優しく優しくなれていた2人は、ウイルスによる汚れを消すワクチンを埋め込まれた弾丸を食らったことで美しさを増加させられた新卒顧問の弔いをおこなおうと、躍起になっていた。
ウイルス社会は、たくさんの生き方を、変えた。
弔い社会の場さえ、大いなる変革を、要求されてきた。
まず、弔いの場に、人数制約が課されはじめた。もちろん、ウイルスによる感染を予防するための、隔離策だった。
新卒顧問を襲う原調となったウイルスは精錬されていたとしても、新型は、なにぶん、どのように変化をするのか、不明確。新卒だから良いと思っても、裏切られる気配が、むんむんだった。だから、弔いのその場では、新たな感染措置をとらなければならなかったのだ。
争議様式は、全体的に、簡素化した。
参列者数が制限されらのは言うまでもなかったろうが、式全体がオンライン配信で流されたりといった工夫も、重ねられたようだ。
「このウイルス騒ぎ後の社会は、人の送り方も、変えていくことになるだろう」
その場にいた皆が、考えはじめた。
「とりあえず、先生の葬儀だな」
「面倒だなあ」
「学校に、任せよう」
「ああ。警察には、知らせない」
「どうせ、発覚するだろうけれどな」
「ああ、友達公務員だからね」
2人は、ラッキーだった。
新卒顧問とは、同じ部活に同じクラスというつながりがあったことで、葬儀への参列を許されたのだ。
「他の先生は、出ないんですか?」
そう聞くと、こうサラッと返されたのが、印象的だった。
「あの先生とは、身分が違う。だから、出ません」
怖すぎる返答、だった。
参列者は、極めて、限定された。
オチアイ先生が、葬儀の準備に、精を出していた。
オチアイ先生は、厳しかったが、頼りになったものだ。今どきの子は、怒られれば泣いてしまい、最悪は、S NSに悪口を書き込んで先生を殺すということを知っておきながら、なぜか、あえてスパルタ教育をおこなう人で知られた先生も、このときばかりは、ずいぶんと、優しそうな顔つきになっていた。
「こちらに、座ってください」
「そこは、だめですよ」
「ソーシャル・ディスタンスを、守って」
テキパキとした声が、飛んだ。
ちなみに、厳しい教育で有名だったオチアイ先生の受け持ちクラスは、生徒たちに、こんな名前で呼ばれていたものだ。
「ハード組」
オチアイ先生には、姉がいた。
その姉は、外国から、ネット配信で参列をしたようだった。ウイルスによる感染拡大の影響で、渡航が、許されなかったためだ。
その人がどんな思いで弟を送ろうとしていたのかは、わからなかった。
少なくとも、オチアイ先生の姉からは、何の不満も出なかったようだ。
その点から考えれば、感謝の気持ちで、一杯だったのではないか?世界的に好ましくない事情があったにせよ、今どきの社会に合った精一杯の葬送のやり方で工夫して式を挙げられたことには、満足が、できていたのではなかったろうか?
オンライン配信という新しい葬式のやり方については、今後も広がるだろうという見方が、出ていた。
「どのような形であれ、個人を、満足に送り出せれば良いのだ。故人に直接触れられないような点は、さみしかった。けれどもそれが、今の社会に合わせたやり方なのだ。その新しいやり方は、今後、広がるだろう。社会の、流れなのだ。それに合わせてやれれば、良いではないか」
多くの人が、そう思っていたに、違いなかった。
ネット葬儀とは、斬新だった。
嫌がる人も、いただろう。
だがそれは、良きアイデアでもった。
葬儀では、原則、現地にきてもらいたいと考えられたものだ。故人と直接面会して語り合ったほうが、より多くの人の心が洗われるからというのが、大きな理由だ。オンライン葬儀は、その問題を解決する選択肢の1つになるとして、期待されているようだ。
読経からはじまって、出棺まで、まず、式全体の様子がカメラに撮られ、遠方の人に配信された。
「それでは、お別れです。顔を、ご覧になってみてください。様々な思いが、湧き上がってくることでしょう」
棺の中に眠る故人の顔を見届けて、最期の別れとなる。そのときには、棺の中の顔がカメラにズームアップされ、配信されていく。
「棺の中に、花を捧げたい」
そう思う参列者がいれば、ネット配信された画面にタップすれば、花を、捧げたことになった。
「一見味気なさそうだけれども、これで、良いのだ。どんな手続きをとったにせよ、故人に気持ちが届けば、良いのだ」
葬儀が簡略化されていった中で、親族、友人らが集まり、皆が楽しめるような別れの会が開かれることもあった。
故人への思い出を囲み、酒やジュースを、飲み交わす。
故人が野球好きの人であったなら、地域の野球グラウンドを借り切って、その中のどこかで集まり合い、故人に語りかけることもあったようだ。
あるいは、野球の試合をし、故人に見てもらいたいと願うこともあったという。
他にも、故人がサッカー好きであったというのなら、サッカー場。
または…。
「スポーツなら、何でも好きだ」
そんな故人にたいしては、スポーツバーに集まり、故人への思いを、様々な競技のユニフォームに寄せ書きをしたりすることも、あったという。
このスタイルは、受け入れられた。
残念ながら、かなり若くして亡くなる人も出た。
その場合、故人が、アニメ好きだったということもある。もちろんそのときは、故人の好きだったアニメに関する思い出の地を、めぐったりもする。
「これこそが、聖地巡礼と、いうものだ」
漫画やアニメに使われたような聖地巡礼の言葉も、多角的に、広がっていくのだった。
社会は、変わった。
葬儀の主たる目的は、故人に離れられてしまう参列者の苦しみや悲しみ、絶望感を、少しでもやわらげて上げる点にもあった。
変わる社会の葬儀は、その点を、達成できるのだろうか?
葬儀には、その特殊性を考えて、大きな心配事があった。
そもそも、葬儀の場は、新型ウイルス感染の重症化リスクの高い高齢者が、多く、集まるのだ。
葬儀の場は、密閉空間だ。
密閉とまではいかなくても、開放されているのかどうかと聞かれれば、返答に難しい。むしろ、密閉していると言われるのではないか。
この密状態を解消するための対策も、とられていた。
「どうか、参列者の人数を、制限させてください」
遺族にもいろいろあるだろうか、多くは、たくさんの人にきてもらうことを望んでいただろう。
それに、制限をかけるのだ。
遺族は、良い顔をしないかも知れない。
そこで、了解を取ることが、必要になる。
「人を見送るとは、どういうことなのか」
社会は、考えさせられた。
その大切なイベントを満足に送らせるためにも、社会は、様々に、大切な対策をとり続けた。
最低でも、この条件を示した。
「人数を、制限させてください」
遺族にその了解がとれたなら、今度は、参列者にも、了解を取ったものだ。
神聖なその儀式の場で、マコトが、困ったことを言い出した。
「無邪気な、アイドルだよな…」
「こういうときには、静かにしてほしいよな。ルナ?」
マコトは、ここでは喜ぶなという空気に反して、言った。
「あのね?私のぬいぐるみが、軽くなったよ?さすがは、私のウサギちゃん。きっと、ダイエットに、成功したのね?」
そのまま言わせておき、放っておくことにした。
「参列される方は、マスクを、着用してください」
この了解で、皆の関係がこじれないように祈っていた。
「故人に、失礼じゃないのか?参列者全員がマスクをする葬儀など、人を偲ぶ式には、ならない。おかしい。すべてに、失礼だ」
そう反発する人も、出るかも知れないからだ。そこで、こんな了解も、必要になるだろうか。
「参列される方は、1メートル以上距離を開けて、着席してください。焼香のときも、同じくらい距離を開けてください」
ただこれは、誰が見ても、心苦しい了解となるだろう。
「えー?そんなに、距離を開けなければならないの?私には、まだ小さな子どもがいるのです。すぐ横についてその子を見てあげなければならないのに、離れ離れにならなくては、ならないのですか?」
反発は、必至だ。
こうも、言われるだろうか。
「焼香は、火を伴うものです。大人である私が、子どもについてあげなければならないと、思います。それでも、親子が離れなければならないのでしょうか?子どもに何かあったらと、心配でなりません」
密集対策も、意外に、難しいのかも知れなかった。
「故人に最期のお別れを言いたいのは、わかります。が、体調の優れない参列者は、欠席を願います」
その了解なら、最低限、通るだろうか。
人の死を考える様式など、重要なイベントであればあるほど、継続に、難が出るものだったのだ。
葬儀は、大切な、ライフステージ儀式だ。
感染を防ぐために密を避けたりするための工夫は、大切だ。
が、だからといって、参列者を遠ざけすぎてしまう結果になっても、式として、意味が出てこない。
それでも参列者が集まりすぎれば、不都合だ。
そのバランスをどうとるのかが、課題だ。
「ただ言えることは、葬儀は、むやみにおこなう儀式ではないということ」
それは特に、ウイルス騒ぎに苦しむ今のような時期には、聞き逃せない教訓となったことだろう。
僧侶と故人が、真剣かつ厳かに向き合う場は、密の触れ合いの場だ。それでなくても、通夜では、近親者が密接に思い出を語り合うもの。
それを、いかに、調整すべきなのか。
ライフステージも、勉強の連続だ。
たしかに、密集は、危険だ。
集団感染が、危ぶまれたはずだ。
今の社会では、そんな近親者の密集に供える様式を、絶えず模索し続けるしかないのだろうか。
「墓の様子が、気になります。いきたいのはやまやまですが、ウイルス感染の危険性も考慮して、いけません。せめて、墓の様子を動画で撮って、送ってくれませんか?」
そうした声も、全国レベルで、増加したという。
なお、その要望は、かねてから、高かったものだ。
高齢者の増加などで、遠方にある墓場まではいけないという訴えが、増えたきていたためだ。
墓参りや法事、説法、故人にまつわる思い出を映像に収めた配信が開始されたのは、そのころがはじまりだった。
その後も、要望は増えた。
このウイルス騒ぎがはじまって数ヶ月が経ったころに、葬儀全体で、配信をおこなうようになったようだ。
救いだったのは、ネット配信の葬儀形態を了承した僧侶たちの理解が、思いがけずも、良かったことだ。
僧侶たちは、学生時代は、宗教学を学んでいた。
そのうち、特に若い僧侶たちには、ITを勉強していた人が多かった、とのこと。そんな彼らは、口をそろえて、こう言った。
「社会の変化に合わせて葬儀の方法を変えていくのは、当然のことでしょう。生命は、外界に合わせることで、生き延びられるのです。それは、葬儀とて、同じことです。葬儀も、新しい様式を取り入れ適応しながら生きることで、あまねく人のライフステージと、なれるのです」
こうして、葬儀のオンライン化が、進められたようだ。
葬儀のオンライン化は、波及していった。
すでに、こんな説明を入れた。
「読経からはじまって、出棺まで、まず、式全体の様子がカメラに撮られ、遠方の人に配信される」
それは、葬儀の簡素化の、一例だ。
ウイルス感染の危険性を考え、参列者も、しぼられた。
家族や親族だけを参列させる様式が、広がった。
それは、社会の流れだ。
参列者が少ないことには、質素で地味で嫌だという声も、なくはなかった。が、ともかくも、他人がとやかく分析することではないのか?
不満が出ないということは、なかった。
「故人との、最期の場ではないですか。制限をかけなくても、良かったのではないか?出席を、したかったのに…」
「ネット配信で、人の死を、悼むというのか。こんなことになるのなら、もっと、故人と語らっておくべきだった」
後悔の気持ちも、あったろう。
新しい社会様式への適応は、難しいものだったのだ。
2人は、普段は見なかったのだが、ちょっと気になってきて、現代社会の葬送をテーマにしたTV番組に、見入っていた。
「今では、葬儀も、簡略化をしてきたものです」
キャスターが、図式で説明を加えていた。
ウイルス騒動前後での、比較だ。
ウイルス騒動が起こる前、従来は、葬儀形式全体の半数以上を、一般葬が占めていたということだ。
一般葬とは、通夜に葬儀、告別式までをおこなう型式で、主な参列者は、生前に、故人と関わりのあった人全般だ。ということは、100人近くが集まる式もあったと、いうことだ。
「それも、騒動後に変わってきたことが、わかります」
キャスターが、手元に用意した用紙を、めくった。
ウイルス騒動の後は、その一般葬をする人が、葬儀をする人たち全体の半数を割ったのだという。その分、増加したのが、家族葬や1日葬を選択する人の割合だった。
家族葬というのは、一般葬と同じく、通夜に葬儀、告別式までをおこなう型のことだ。
一般葬とは、集まる人が違った。集まったのは、生前に、故人と関わりのあった人たち全般ではなかった。主な参列者は、家族や親族、近親者らだ。30人もいない、集まりだ。
1日葬とは、通夜がなく、告別式だけの様式のことだった。
通夜がなく、告別式のみの型式。
簡略化の進んだ式、だった。
主な参列者は、家族や親族。それに、友人に知人だ。友人まで含まれるとなれば、人数は、やや、多くなる。30以上の集まりと、なっただろう。
ウイルス騒動になる前と後を比較した葬送形式の説明は、続けられた。
「そうか。社会は、変わったんだなあ」
ああ。いろいろな意味で、難しい変化だ」
驚きの連続、だった。
葬送の難しさはまた、遺産相続の手続きにも出ただろう。
「やっと、終わった…」
参列者が帰り、家族らがホッとしたのも、束の間。新たな問題が、嫌らしく、突き付けられることになった。
それが、遺産相続の手続きだ。
遺言があれば、まだ、良かった。
遺言があったなら、その内容に基づいて手続きを進めれば、良いのだ。
「遺産問題は、そんなに、簡単なものじゃない」
そうは言われるが、遺言があったほうが手続きが進みやすくなるというのは、たしかだろう。
より事態を難しくさせるのは、遺言がない場合だ。
その場合は、相続人の間で遺産分割協議を進めて、決めるしかなかった。
「残された財産を、誰が、どれだけ受け継ぐべきか」
ケンカが起こらない協議を、望むのみだ。
ちなみに、遺産というものは、プラスの財産だけではない。マイナスの財産も、受け継ぐ。
一般的には、故人の財産すべてを、受け継ぐ。それが、単純承認というものだ。
が、財産を一切受け継がないという選択もできる。
いわゆる、相続放棄だ。
協議の際は、受け継ぐ予定の人たちが、同じ場に集まる必要はなかった。これは、意外だったろうか?
「遺産相続のときは、親族皆が同じ場に集まり、立会人が遺言書の封を切るのを、静かに待つ」
それは、TV番組のドラマで良く見られた光景だ。
実際には、そうしたやり方に限らなかったようだ。電話で確認をとることも、メールで確認をとることも、あったのだから。
確認をとったら、書面郵送をし、各相続人が署名する。
今後は、この遺産相続様式も、変わっていくのだろうか?
課題は、個人情報か。
遺産相続の細かな内容が、ネット配信された未来…。そんな未来では、誰が何を受け継いだのかが、わかってしまう。
社会は、今後、どうなるものか?
最後に2人は、その場にいたオチアイ先生に聞いてみた。
「先生、本当は、あの先生のことを、どう思っていたんですか?」
「あの、先生?」
「大学院も出ていなかった、新卒の…」
「ああ。教育学のなかった、あの人か」
「オチアイ先生?心の底から、素晴らしい教員仲間だと、思っていましたか?本当は、どう思っていたんですか?ハード組の先生だけに、ハードに考えていたんですか?」
聞くと、オチアイ先生は、にやっと笑いながら、無言で手を振った。
その日も、夕方…。
タイマ先輩は、ピストルのこと、ワクチンの行方について、こう供述したという。
「俺をかわいがってくれた大先輩たちが、かわいそうだったからです。俺の大先輩たちは、あの、新卒世代に、将来を横取りされたんだ。…、そして、大先輩の中には、無念に命を絶った人もいました。今回は、その、弔いでした。このピストルは、超優秀のフクロコウジおじさんから、奪った物です。フクロコウジおじさんは、警視正でした。アリヅカ警視正という人と、仲が良かった。こどものころは、どちらにも、良く遊んでもらえたものです。その恩返しとして、奪いました。懐かしい話、です…。あの、新卒世代は、消さなければならなかった。そうしなければ、大先輩たちがかわいそうでしたから…」
世代間の闇が、新型ウイルス社会の中に、冷たく、こだましていた。
「あの、通常の風に感染して汚れた先生の心を、ワクチンを使って、きれいにしたかったんです」
言葉が、慎重さを増した。
「この弾丸は、新型ウイルスのワクチンを埋め込んで作ったものです。…あの洞窟でワクチンをはじめに手にしたのは、俺でした。それが、いつの間にか盗まれたんですよね。どこかに埋め込まれてでもして、隠されたのでしょう。誰がそんなことをやったは、知りません。弟、タカシの仕業かも知れません。その後、どんな移動があったのかは知りませんが、ある人物から、そのワクチンを受け取りました。巡り巡って、俺の手に戻ってきたわけです。その人は、俺に、こう言いました」
タイマ先輩の口は、震えていた。
「こう言ってきました。…君に、これをやろう。ウイルスの、ワクチンだ。これで、病気を治せる。新卒一括病だって、治せるぞ。これは、ワクチンなんだ。あの新卒教員の心が、まともになるだろう。使え。撃ってやれ。そう、言っていたものです。まったくもって、強烈。ハードなスパルタ教育も、良いところですよ。その人物の名は…、いや。今は、黙秘、いたします…」
そんな話がされたと知らない双子は、気楽に、高校に戻っていた。
「ホッとできたら、腹が減ったな。ルナ、そう思わないか?」
「そうだな」
「何だか、カレーが、食べたくなった。良くわからないけれど、涙が、出てきたよ」
「おい…」
「カレーが、食べたくなったよ、ルウ?」
「ルナ?いくら兄弟でもさあ、そういうことは言うなよ」
新型ウイルスの教訓が、響いていた。
「あの新卒顧問は、何だったのかなあ?」
「きれいに、なってくれたのかなあ?」
「何ていう人、だったっけ?」
その後に続く言葉が、出てこなかった。新卒顧問の名前を思い出せた部員は、誰も、いなかった。
それで、充分だった。
月とカレーが新型ウイルスによる強迫性障害に勝つときって、それ、どういう意味? @maetaka @maetaka1998
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