同居人
集団内で上手くやっていくには、やはり多少の妥協が必要で、Sさんが小学四年生の春、学校でこっくりさんが異様な流行を見せたときも、誰もが嫌々ながら、興味ありげな表情を顔に張り付けて参加せざるをえなかった。
「みんなよっぽど怖がりなのね」
まあちゃんが呆れ顔でぼやくと、キヨとSさんは頷く。
飛ぶような勢いで中高学年を中心に流行ったこっくりさんは、耳に入っただけでも十指に余る体調不良者を出した。学校側はやむをえず禁止令を出し、昼休みや放課後は当然のこと、業間の五分休みにも教員が目を光らせている。
「あたしも何回かやったけどね、あんなのインチキよ」まあちゃんは腕を組んで怒り気味だ。「どう考えても誰かが引っ張ってるんだから」
あなたはどう思う、と目線を寄こされ、Sさんは唸った。
「私はまだしたことがないから……。でも男子が、こっくりさんをした次の日に三人同時に休んだでしょう? 霊とか信じてないけど、呼び寄せようとすること自体が気味悪いわ」
私はやりたくない、と言おうとすると、キヨが口を挟んだ。
「禁止令が出る前にしとけば良かったなぁ。私も霊は信じてないけど、みんな楽しそうだったから。なんか盛り上がるみたいなのよねぇ」
「確かに面白いといえば面白いよ」
やっぱりそうだよね、と嬉々として返すキヨを見て、Sさんは閉口した。三人はクラスでいつも一緒にいる仲間だが、会話の主導権はまあちゃんにある。そして大人しいものの、まあちゃんと隣近所の幼馴染であるキヨが話に乗ると、Sさんはもう、従うしかないのだった。
まあちゃんは、こっくりさんをインチキだと評しているが、既に複数回参加しているのは、知らず知らず病みつきになっているからだろう。キヨの好奇が加われば、もう止められない。
「明日、紙と十円玉持ってくるから」
Sさんが気を逸らしていた僅かの間に、こっくりさん開催は決定事項になっている。
「禁止されたって、二十四時間監視されてるわけじゃないわ」まあちゃんは不敵な微笑を浮かべる。「朝、いつもより三十分早く集合ね」
手を叩いて喜ぶキヨの隣で、Sさんは「うん」と精一杯口角をあげた。
翌朝、Sさんが教室に入ると、既に二人は準備万端らしかった。
「おはよ……二人とも早いね」
Sさんが言うと、「まあね」と二人は目を見交わす。
「先生は来ないだろうけど、男子に見られたら告げ口されちゃうからね。だからSちゃんが来たらすぐ始められるように準備バッチリよ」
まあちゃんの机の横には、誰かの椅子が、Sさんの着席を待っていた。Sさんは自席にランドセルを下ろすと、マフラーや手袋、上着をゆっくりと外していき、窓の外の、既に九割がた散ってしまった桜の木を、ぼんやり眺めて時間を稼いでいた。
(今さら、やめられないのにね)
Sさんを待ち侘びた二人の顔が目に入る。笑みを作って、小走りに駆け寄った。
「さ、始めよ」
まあちゃんの声に、微かな緊張が走る。
机の中央には、図工で使っているスケッチブックであろう紙が一枚。お決まりの鳥居、はい、いいえ、ひらがな、数字が書かれた上に、くすんだ十円玉が乗っていた。
まあちゃんは銅貨を鳥居の上に置くと、二人に目配せをする。三人は銅貨の上に指を乗せた。
「こっくりさん、こっくりさん、どうぞおいでください」まあちゃんが緊張を払いのけるように殊更明瞭な声を出す。「おいでくださったら、『はい』へお進みください」
微かに指の下が振動する。Sさんは動かすまい、と固く押さえつけていたのだが、一拍のち、不可思議な引力が働いて、銅貨はするすると滑り、「はい」で止まった。
Sさんは自然、微笑んだ。恐ろしくも、得体の知れない昂揚感――。
鳥居にお戻りください、とまあちゃんが言うと、今度は何の躊躇いもなく、銅貨が動いていく。さてと、とSさんとキヨの顔を見た。
「昨日決めた通り、私、キヨ、Sちゃんの順番でいいよね。初めてだから、ちゃんと答えのある質問で、こっくりさんが本物だって試すってことで」
二人は神妙に頷く。まずは、まあちゃんの番だ。
「こっくりさん、こっくりさん。私のお父さんの仕事は何ですか」
銅貨がすぐに動き出す。あ行とか行の間を逡巡して、「け」を指すと、そこからは流れるように「けいさつかん」と紙の上を滑り回った。
「……凄い」
感心するキヨを、Sさんは不審げに眺める。次はキヨ、とまあちゃんが言う。
「……こっくりさん、こっくりさん。私の入っているクラブは何ですか」
この質問には、一切の躊躇いがなく、「ばれえぼおる」と答えが示される。
キヨは歓喜の声をあげる。まあちゃんもしたり顔で、これが降霊術よと言わんばかりに大きく何度も頷いている。
(三人とも知ってることじゃない)
やっぱり子供だましだ、と思いながらも、Sさんは番が来たので、担任の名前を聞こうとした。しかしそこで、まあちゃんが口を挟んだ。
「誰も数字使ってないからさ、Sちゃん使ってみてよ」
Sさんは咄嗟に言われて戸惑ったが、なんとか一つ浮かんだものを言葉にしてみる。
「こっくりさん、こっくりさん。私の家族は何人ですか」
銅貨は数秒静止した後、紙のざらつきを確かめるように、緩慢に進んでいった。そうして止まった数字に、Sさんは「え」と短い声を漏らした。
――5。
Sさんの家族は四人だ。そしてそれは、他の二人もよく知っていること。
「もう――」
やめてよ、と苦笑気味に二人の顔を見た瞬間、Sさんの背筋に寒いものが走った。
二人は固く口を結んで、表情を強張らせている。
Sさんはてっきり二人に揶揄われているのだと思ったのだが、彼女たちの表情には、目の前――指の下で触れた出来事を、心底恐れる色が映っていた。
「……もう一回、しよう」
まあちゃんが言うと、Sさんは何度も小刻みに頷いた。
(そう、みんな勘違いしただけ)
Sさんの反応を見て本当の人数を思い出したに違いない――そうひとり安堵して、平静を装い、「家族は何人」と質問したが、二度目もやはり「5」を指す。
静寂の教室の中央に、異様な敵意が張り詰めた。間違った答えを示すこっくりさんに対してか、あるいは故意に間違えている誰かに対してか。
「――やっぱりインチキね」沈黙を破ってまあちゃんが溜息をついた。「さ、終わりましょ」
銅貨を鳥居に戻し、「ありがとうございました。お離れ下さい」と終わりの文句を唱える。
Sさんは早々にこっくりさんが終わったことに胸を撫で下ろしたが、その日は一日中、頭の中で(お離れ下さい)と念仏のように繰り返していた。
「うちは五人家族なの?」
晩御飯の食卓で、Sさんは誰にともなく問いかけた。
「急に何を言い出すの」隣に座っている母が不思議そうにSさんを覗き込む。「毎日家族全員でご飯を食べてるじゃない。目で見て数えてみなさいな」
「そんなの分かってるわ」
言いながらもSさんは食卓を見回す。隣に母、母の正面に父、父の横――Sさんの正面には祖父が座っている。Sさんが知っている限り、ずっとこの配置は変わっていない。
「じゃあ、家族が五人だったことは?」
「そうねえ……私がここに嫁いできたときはお
母が父に目配せをする。
「そうだな……俺が子供の頃は兄貴がいたが、
「お
Sさんは落胆した。過去に五人で暮らしていたなら、それと結び付けて解釈しようと思っていたのだが、こうも五人で留まることがなかったとは。
「……今は五人じゃないのね」
Sさんが呟くと、食卓に変な空気が流れた。
「……なんだって五人だと言うんだ」
父がSさんの目を見据える。普段寡黙な父の、時折見せるこの眼光に、Sさんは逆らえたためしがない。Sさんは目に溜まっていく涙を流すまいと堪えながら、今朝、三人でこっくりさんをしたこと、そこでうちの家族が五人と指したことを白状した。
「それは学校から駄目だと言われていたろう。まったく……また無理やり誘われたんだな」
「違うわ! 私が一回してみたかったの」
「こっくりさんなんて、あんなもの偽物だ、遊びだ」
「遊びならいいでしょ!」
「半端な気持ちでやって、家に何か持ってきたらどうするんだ」
ぴしゃりと言い放った父の言葉に、Sさんは言い返す気力を失った。
(なによ、偽物だ遊びだって言うのに、霊は信じてるなんておかしいじゃない)
それきり食卓の会話は途絶えたが、父が時折「五人……」と呟きながら母を睨んでいたのが怖かった。
その晩は階下で両親の言い争う声が絶えず、Sさんは寝付けなかった。
(……最近、水曜に出掛けている……)
(……映画ですよ。あなただって本当に残業……)
耳を塞いでしまえばいいのに、何かを聞き逃すまいと、微かな声を追ってしまう。
(……腹が出て来たんじゃないか……)
(……余計なお世話……)
(……Sが五人だと……)
自分の名前が出た瞬間、Sさんの心臓がぴくりと跳ねる。
(……遊びと仰った……何をこじつけて……)
(……案外子供は聡いぞ……)
Sさんは布団から勢いよく起き上がる。時計を見ると、まだ深夜という時間ではなかった。
部屋を抜け出し、音を立てないように階段を下りる。外廊下を通り抜け、離れにある祖父の居室に来た。
襖を開けたが、布団が敷いてあるだけで、祖父の姿はない。もしやと思って廊下に出、隣の仏間の襖を開けると、祖父が仏壇に向かって一心に手を合わせていた。
「お祖父ちゃん?」
Sさんに気付いて振り向いた祖父が、皺の刻まれた柔和な顔で頷く。
「ああSちゃん。今日はな、お祖母ちゃんの命日なんだよ」
「へぇ……」
「だからね、きっと顔を見せに帰ってきてくれているんだ」
祖父はそう言うと、再び仏壇に向かって手を擦り合わせる。その恍惚の表情――。
Sさんは無言で仏間を出た。
(バカみたい)
父も母も祖父も、自分の言った五人という言葉に振り回されている。そんな話を家に持ち込んだのは自分だし、一日中その数字に恐れていたのも自分だったが、こうして大人たちがあれこれとこじつけて納得しようとしているのを見ると、急にバカらしく、冷めた視点に立ち返った。
Sさんは二階の自室に戻ると、机の照明だけを点けて、ラジオの電源を入れた。周波数を合わせながら、無意識に「五人……五人……」と呟く。
(家族、一緒に生活してる人……四人が五人……五人で生活)
Sさんは苛立つ。つまみをどれだけ繊細に回しても、ノイズが走ったまま、ぴたりと合わない。
ふと背後に視線を感じた。視線という名の、首の真後ろに針を刺されたような痛み。
Sさんはラジオを消す。何度目か深呼吸をしたとき、背後から、かさり、と物音がして、弾かれたように振り返った。机の照明は、部屋の反対側――押し入れの襖戸をぼんやり浮かび上がらせている。何かが擦れたような物音は、押し入れの上――天袋の方から聞こえたように思えた。
(誰かいる)
唐突に脳内を、痩せこけた男が暗闇に這いずる姿が
(狭いけど、人が入れないことはない)
動悸が止まらなかった。腹に異常な力が加わって、身体の芯が小刻みに震え続けている。
十分は暗闇と睨み合っていただろうか。Sさんは意を決して立ち上がり、電灯の紐を引っ張った。文明の明かりに、刹那、目が眩んで、そして視界に映った異常に「やっ」と短く叫んだ。
天袋が僅かに開いている。――もう何年も開けていないはずなのに。
棒立ちになったSさんの神経は、天袋の間隙に一点集中した。
がり
(爪を立てた)
はぁぁ
(息をしてる)
ぎしり
Sさんは部屋を飛び出した。電気も点けずに階段を駆け下り、両親の寝室へ飛び込んだ。
「なんだ、そんなに階段を踏み鳴らして」
怖い夢でも見たの、と近寄る母の足元に、Sさんは縋りついた。
「誰かいる! 誰かいる!」
Sさんは真上を指さす。
「五人なの! 五人なのよ!」
それから父が二階を見に行ったが、押し入れにも天袋にも人間はおろか、人がいた痕跡は残されていなかった。しかし念のために天井裏を覗いたところ、真新しい猫の糞があったという。
その晩は両親と一緒に寝た。祖父も泣きじゃくるSさんを心配して、母屋まで寝具を持ってきて、すぐ隣の部屋で寝てくれた。
翌朝Sさんは、まあちゃんとキヨが平然としているのを見て、昨夜のことを言い出せなかった。ひとりだけ怖がっていたのが恥ずかしかったからだ。
中学に上がると、二人とは遊ばなくなった。単に部活が違うからだと思っていたが、四十年近く経った現在、成人式でも同窓会でも一度も出会わないのは、もしや二人の方が自分を避けているからではないかと疑っている。
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