ふたりの騎士の穏やかな休日

くじら

第1話

かつての雄大な姿の面影がわずかに残ってはいるものの、あの日城を包んだ炎と魔獣たちとの戦いの傷跡により、見るも無惨な姿になってしまったミグランス城。その国の誰もがさまざまな形で復興のために東奔西走しているものの、それ以外にも解決せねばならない問題は山積みだ。まだまだ完全なる復興には遠そうなその場所に、アルドはちょくちょく顔を出すようにしていた。最近の冒険の主軸はもっぱら東方とか西方大陸のほうに偏りがちではあったものの、やはりいつだってこの国のことは心配であるし、未だにこの国に目を光らせる東方の兵士たちの存在や、未だくすぶり続ける熾火のような復讐心を抱いているらしき、魔獣たちの残党の存在も気にかかる。出自はそれなりに複雑ではあるものの、今このミグレイナ大陸に暮らすひとりとして、アルドはどんな些細なことでも、もし自分になにか力になれることがあるのなら、喜んで手を貸したいと思っているからだ。


その日も、ミグランス城内はバタバタとせわしなく兵士が駆けていったり、なにやら難しそうな顔をして難しそうな話をする役人らしき者がいたりと、みんなそれなりに忙しそうな様子だった。それでもそこに、国のシンボルである城が見るも無惨な姿になってしまったことに対する悲壮感や、東方の軍勢による緩やかな支配が行われていることに対する、殺気に満ちた復讐心などは感じない。ただ前を見て、状況を今よりもっと良い方向に持っていくことだけを考える——そんな誇りと使命感に満ち溢れた表情を見ているだけでも、この国に住む人たちの強さとしなやかさを感じる。

「……うん。今日もみんな忙しそうだけど、元気そうだな」

クロノス・メナスを倒し、時の闇から帰還したアルドたちを迎えたミグレイナ大陸は「東方の侵略後」という思わぬ姿になってしまっていた。今もその問題は解決してはいないけれども、それでもミグランス王国をはじめとするミグレイナ大陸の人々はまだ明るく、希望に満ちている。どころか、虎視眈々とひそかに爪を研ぎ続け、いずれは東方側に、なるべく血が流れない方法で一泡吹かせてやろう。そして「侵略したものとされたもの」という上下関係のある状態でない、対等な立場で交渉のテーブルについてやるのだ——とさえ考えていそうなしたたかさすら感じることもある。彼らのそんな姿は、いつ終わるとも知れぬ旅路の真っ只中にいるアルドにとって、とても勇気がもらえるものだった。

忙しそうな彼らの邪魔をしないように、けれど人手が欲しそうならすぐに手伝えるように、注意深くあたりを観察しながら城内を散策する。と、アルドは兵士の詰め所から出てくるところだった見知った顔を見つけた。おおい、と手を振って、アルドはその人物の元へと駆け寄る。


「ディアドラ!」

「……アルドか」

振り返ったその顔にはわずかに疲れが見てとれる。単なる傭兵の立場から、きちんとした雇用契約を結んだのちにミグランス王に忠誠を誓う騎士となり、アナベルの副官に抜擢された後の彼女は、今までに経験したことのない類の仕事や、傭兵時代には気にすることのなかった兵士たちの人間関係などに、あれやこれやと煩わされているようだ。以前、この大きく変わってしまった立場のことについて聞いたら、その時は「姉さんの役に立てるから、悪いものじゃない」といったようなことを言っていて、嬉しそうな様子ではあったけれど、それでもやはりストレスや疲れは蓄積してしまうものらしい。どこか肩を落としたような姿から類推するに、つい先ほどまで彼女が苦手な類の仕事——おそらくは会議とか報告会といったもの——をやっつけていたところだったのだろう。

「ディアドラ、大丈夫か? なんかちょっと疲れてるみたいだけど……」

「ああ……まあ、少し。会議とかそういうものは、やはりまだ慣れなくてな……」

そう言ってディアドラは、苦々しい顔で頭をかく。アルドの想像通り、やはり彼女は兵士たちの会議に出席をしており、そしてそれはなかなかに気詰まりのするものであったようだった。

「今の私は、剣をただ乞われるがままに振っていればいい、というわけにもいかなくなってしまったからな。こういうのにも顔を出さなければいけないというのは、まだ少し抵抗がある。ミグランスの兵士たちの中にも、私が副官になったことに戸惑いを覚えたり、異を唱えたり、はたまた反発したりするような連中はまだまだ多いし……」

言葉を濁すディアドラにアルドが心配そうな顔を向けると、彼女はその視線を振り払うようにふるふると頭を振ってみせた。

「まあ、それでもやりがいのある、いい仕事だと思っているよ。反発の声も、私が仕事ぶりを見せてはね返してやればいいだけの話だ。……だから、アルドが心配するようなことはない。大丈夫だ」

苦笑に近い笑顔を見せるディアドラに、アルドはなおも食い下がってみせた。

「でも、そうだとしてもディアドラはここのところずっと働き詰めじゃないか? たまには休まないと、いざって時に対応できなくなるぞ。そうなったら困るだろ?」

そう言って、なにかオレに手伝えることはないか? と尋ねるアルドに、ディアドラは一理あるな、と口元に手を当てた。

「……と言っても、何かあったかな……」

「別に雑用とか、バンバン振ってくれて大丈夫だぞ? ディアドラの負担を多少でも減らせるなら、どういう仕事でも。そりゃあ得意不得意はあるけど、大船に乗ったつもりでドーンとなんでも言ってくれ!」

「む……」


アルドのその言葉に、腕を組んでしばらく考え込んでから、ふとディアドラは顔を上げた。

「そうだな。あいにく私の方には、今アルドに手伝ってほしいことはないんだが、代わりに姉さんの仕事を手伝ってもらえないか?」

「姉さんって……アナベルのか?」

「ああ」

呆れたように、でも少し愛しげにため息をつきながら腰に手をやって、ディアドラは滔々と話し始める。

「傭兵の頃にも感じていたが、姉さんは少し働きすぎなんだ。ただでさえ毎日のように降ってくる仕事をこなすだけじゃ飽き足らず、暇を見つけては街を回って市民に話を聞いたり、兵士たちにも声をかけたりして、新しい問題を見つけてきたりする。そしてそれを、あまり他人に振らずに自分で解決しようとしたりしてるんだ。副官になって改めて思うが、姉さんはワーカホリックすぎる。休養が必要なのは、私よりもむしろ姉さんの方だ」

出来のいい姉を愚痴っているように見えて、その実彼女のことを自慢しているようだ。文句を言いながらも甲斐甲斐しく自分の世話を焼いてくれるフィーネのことが思い出されて、話を聞きながらアルドはニヤニヤという笑みを抑えることが出来なかった。彼女たちがいがみ合い、反目し合い、一触即発だった頃とはまるで違う関係性に、それをずっとハラハラしながら見守ってきた立場としては感慨深いものがある。

(なんだかんだ言って仲が良いんだよなあ、この二人……)

「……なんだ? アルド。私の顔に何かついているのか?」

「ああいや! アナベルの方になにか手伝うことはないか、確認すればいいんだな?」

「そうだ。今の時間なら多分玉座のところにいるはずだ」

「そうか、わかった。早速行ってくるよ!」

そう言って駆け出そうとしたアルドを、ディアドラが突如「待て、アルド!」と言って静止する。まだ何かあるのか、と不思議そうに振り返ったアルドに、ディアドラは実に言いにくそうに——ほんのりと頬を赤らめながら、言った。

「その、く……くれぐれもお願いしたいんだが……姉さんには、私から頼まれたとは言わないでおいてほしい」

「へ? なんでそんなことをわざわざ言うんだ? ディアドラが自分のことを思いやってくれたなんて知ったら、アナベルも嬉しいんじゃないのか?」

「いいから! その……なんだ。私から頼まれたと言ったら、姉さんが恐縮して逆に仕事を抱え込んでしまうかもしれないだろう? だからだ!」

「ああ……なるほど、そういうことか……」

アルドは再び口元のニヤニヤを抑えるのに苦労する。ディアドラはクールで、滅多に感情を表には出さないタイプだが、そんな彼女の耳が真っ赤に染まっていることに気がついたからだ。どうやら照れてしまっているらしい。

(……ディアドラは素直じゃないけど、ほんとうにいい妹だよな、アナベル)

ニヤニヤというアルドの笑みに気付いたのか、ディアドラはますます不機嫌そうな顔をした。——相変わらず、その耳たぶは真っ赤なままだ。

「それはそれとして、頼んだぞ! アルド!」

くるりと踵を返し、照れ隠しからかわざとらしくドスドスと足音を立てるようにして、ディアドラはその場を去る。そんな彼女の後ろ姿を見ながら、アルドは我慢し切れず笑ってしまっていた。

「ははは! まあ、任せてくれよ、ディアドラ!」

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