閑話【「あっ……」】

「母さん、明日から弁当いらないから」


 碧空りくはリビングに来るなり、テーブルに着いて寛いでいた母に向かってそう告げる。

 明日から音恵が作ってくれるらしいため、そう言うように頼まれたからだ。


 しかし、碧空の実母の神山碧葉かみやまあおはは、その言葉に頷きはせずに首を傾げた。


「えっ、どうして?明日からもお昼はいるはずだよね?」

「あっ……」


 至極真っ当な疑問に、碧空はたじろぐ。


 ''音恵の手作り弁当''に気を取られて、母に説明するための言い訳は頭になかった。

 即座に適当な理由を頭の中で探ろうとするが、辻褄つじつまが合う話が一つもでない。


「……?」

「えっと、えー……」


 首を傾げるばかりの碧葉の前で、碧空は混乱して目が泳ぎまくってしまう。

 だが、やはり必死に考えても適切な答えは一つも出なかった。


 こうなればいっそ、素直に“音絵が作ってくれるから”と説明すれば楽なのだろう。

 しかし、碧空にそれを実の親に向かって話す度胸は微塵みじんもない。


 想像して欲しい。思春期只中ただなかで、親に恋愛事情を知られるということを。

 具体的な理由は出せないが、恥ずかしすぎるのだ。それがただえさえ羞恥しゅうちを極度に感じてしまう碧空ならば、なおさらだろう。


 だが、その羞恥を犠牲にする以外に今の危機を脱出する方法はまだ出ない。

 もはやここまでか……と、碧空が絶望しかけたその時だった。



<ガララッ!>


「──おにぃ!海星かいせいから聞いたんだけど、音恵ねぇと付き合ったって!?」


 急にスライドドアが勢い良く開いたかと思えば、そう碧空に叫ぶ一人の少女。

 その少女は、ここ神山家の長女にして、碧空たった一人の妹……神山乃蒼のあだった。


 ……なんだか壮大に説明してしまったが、まあ言った通り碧空の妹である乃蒼である。

 翠色すいしょくがかった瞳に、栗色くりいろのショートボブが特徴の、元気で甘えん坊な女の子である。


 その乃蒼がそんなことを叫んだ瞬間、神山家リビングは静寂な空気に包まれた。

 碧空と碧葉は乃蒼の登場に目を見開き、乃蒼は碧空を見つけては彼を凝視する。


 ちなみに補足しておくが、乃蒼がいう『海星』とは七海ななみ海星のことだ。

 碧空と乃蒼の幼馴染であり、七海家長男。そして音恵のたった一人の弟である。


「……ふぅ〜ん?」

「か、母さん……?」


 乃蒼の言葉を脳内で処理した碧葉は、そんな声を漏らしながら碧空に視線を向ける。

 碧空が恐る恐ると彼女へ視線を向けると、母の口角はニンマリとつりあがっていた。


 碧空はそれで全てを察して、脳内と表情が絶望と羞恥で染ってしまう。

 今すぐにでもこの場から逃げ出そうと思い至り、出口に視線を向けた。


「──乃蒼!すぐにドアを閉めて!」

「え?あっ、了解!」


 しかし、それは唯一の逃げ道であるスライドドアを乃蒼ががっちりと閉めて、碧空の前に立ち塞がってきたことにより阻止される。

 碧空はそれを見て膝を付き、もうダメだ、とリビングの床を見つめた。


 そんな碧空の肩を、テーブルから立ち上がって近づいてきた碧葉が触れる。


「碧空、詳しく♪」


 ニマニマとしながらそう言ってくる碧葉に、碧空は諦めて涙を流したのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る