第3話 Pure baby

今年で創立45周年の私立青海学園の中庭には古代ギリシャの円形劇場を模した白い大理石を敷き詰めて出来た広場がある。 


2075年5月の午後の晴天のもと、少年は青空に向けて高々と手を上げ天を指差しながら、


「かつて私は、マンティネイアの婦人ディオティマに次のように尋ねたことがある。『エロスとは一体何なのでしょうか?』と。それに対してディオティマはこう答えた」 


というプラトンの「饗宴」の台詞をたけるはまだ幼さの残る声ではきはきと述べた。


少年に歩み寄ったディオティマ役の少女が舞台の中央に進み出て、


「恋する者が最初に向かうべきは美しい肉体です。美しい肉体に向かったあとは、美しい魂に向かうこと。それによって肉体の美は魂の美よりも些細であることに気づくことができます」


とこちらは両手を胸の前で組んで熱っぽく語る。おお、さすがは久美子先輩、演じる事に慣れているな。と尊は思った。


「はーい、台詞ちゃんと入ってて先生安心したわ。晃くんはもっと自信を込めて話すこと」


と演技指導するのは顧問で今年28才の倫理担当教諭、佐伯莉々子さえきりりこ先生。自身も学生時代演劇をしていたので指導には熱心だ。

というより何で女優かモデルにならなかったのか?ってくらい美しい顔立ちをしているので男子生徒に一番人気なのだ。


実は尊も演劇は面倒くさいけど莉々子先生と長く居られるのなら、と入部したクチだ。


「今日はここまでにします、解散」


ぱん!と先生が手を打つと紺色の体操着で稽古していた5人の演劇部員はのろのろと円形舞台から立ち上がり、荷物を持って帰り支度をする。

 

その時、 

観客席からぱち、ぱち、ぱち。と気の無い拍手を送って「はーいダダ滑りコントお疲れ様でしたー」と皮肉たっぷりの聴き慣れた声。


「姉ちゃん!」

「タケル、お疲れ」

3つ年上の姉、茜がおかっぱの毛先をぴょこん!と跳ねさせて手を振った。


午後三時半、晃姉弟は連れ立って下校し、自宅兼店舗である「晃義肢装具店」の看板下のドアを顔と指紋の認証チェックで開けると、

 

店の奥で基盤のチェックをしている店主で兄の真砂に「ただいま兄ちゃーん」と家庭科て作った米粉ドーナツ入りのビニール袋を掲げて見せた。


「しっかーし、うら若い中学生たちがお昼からお外の広場でエロース、エロースとのたまわってていいの?わたしゃどぎまぎしたよ」 


「いやいや、饗宴で論じるところのエロースは肉体的な美から精神的な美へと入る過程って意味で決して性欲ってもんじゃないんだ」


冷たいオレンジスカッシュとドーナツをおやつに晃家の兄と姉はたちは末っ子の部活動について論じ合う。


「ついでに言うとあの時代のギリシャのエロースは少年愛、って意味だからね」


と書斎から出てきたのは三兄弟の父親でロボット工学者であるコウ博士。博士は三十年前人体の部分サイボーグ化の実用化に向けて奔走していた矢先、新幹線での爆破テロに遭い左半身を吹き飛ばされた。


不幸中の幸いで脳髄と内臓は損傷せず自身の左半身をサイボーグ化する事で研究の実用成功を証明してみせた。


博士がネットTVに出演する時は黒いカーボン製の外骨格の左半身をわざと晒してなめらかな動作で自身の作品の高性能さを宣伝する。


転んでもただでは起きないしたたかな学者である。 


そんな父親と18才で医師免許と工学博士号を取得した長男真砂を頼って先天的或いは後天的に四肢の一部を失くした患者がほぼ人体の動きに近い義肢義足を得て日常生活を送っている。


2075年とはそんな時代だった。


「尊、いまから鶏締めるから」


とおやつを食べて一息ついた茜が立ち上がっていきなり鶏の屠殺を言い付けた。


「え?なんかいい事でもあったの?」


と聞くと「明日が自分の誕生日だって事忘れたの?」

この鈍い弟め。と言いたげに茜はちらっと尊を見遣った。


ばたばた暴れる鶏の首を素早く手掴みして親指と人差し指でこきっと折る。鶏はビニール袋の中でしばらく痙攣してたがたった2、3分で動かなくなる。


尊が鶏の締め方を覚えたのは10才の時。3つ年上の姉の茜から締め方さばき方の全てを教わった。


最初は鉈で首を落としていたが鳥が暴れるわ羽毛が飛び散るわで汚い、と思ったのでまずは頸部を折って絶命させる方法に変えた。


そうすると動かなくなってから頭を落とせばいいので血抜きが楽で汚れない。


逆さに吊った二羽の鶏の血抜きを終えて羽むしりのためのお湯を沸かしている時茜は告げた。


「突然だけれどあんた、明日は童貞喪失だからね」


姉が言う童貞喪失とは任務の上で初めて人を殺す、と言う意味の隠語である。

 

街の人に慕われる義肢装具屋の裏の顔、それはこの世に居てはいけない悪質な人間を金尽くで「ヒット」する依頼殺人の請負業だった。


たとえ13才の少年でも家業は手伝ってもらう。という厳然な覚悟が姉の声にはこもっていた。


翌日の夜、自室アパートで風呂上がりの女性がタオルで長い髪を拭っていた。


眉は濃いめだが色白の瓜実顔。長くて濃い睫毛に切れ長の眼をしたぞっとするくらい美しい女性である。


そんな彼女が全裸で椅子に腰掛けノートPCを開いてチェックしている画像は薬を飲まされ気絶している少年たちの姿。彼らを裸にし、彼女自身が様々なわいせつ行為をしている数百枚の画像をシャンパン片手に眺めるのが寝る前の愉しみであった。


彼女は画像に夢中になりすぎてベランダから侵入した人物にも気付かなかった。


莉々子先生。と背後から声がした。


振り向くと全身黒のジョギングスーツにアポロキャップを目深に被った見覚えのある少年。

「晃くん」

今意中の少年を彼女は決して間違えたりはしない。


「貴女がベドフィリア(小児性愛者)で自分の性の捌け口を漁るため教師になった。なんて反吐の出る話だ」


にじり寄る尊に莉々子先生は後ずさり、デスクに腰掛ける形になった。タオルが床に落ちて洗い髪を肩まで垂らした莉々子先生の肢体はまるで海から上がってきた人魚のように神々しかった。


だけれど、と尊は右袖に仕込んでいた太さ5ミリ、長さ20センチのよく研いだ針を右手に持ち直して初恋の人の眼球目掛けて振り下ろし、彼女の左眼球脇から脳まで達するよう深く針をねじ込んだ。  


その間尊は


「私は死を恐れていない。死が何であるか知らないことに加え、死は一種の幸福でもあるからだ」 


と哲学者であるが故に危険分子と見なされ死刑にされたソクラテス弁明の最後の一節を唱えていた。


数十秒か数分かは解らない。しばらく痙攣して莉々子先生の肉体の機能は停止した。


「被害者の少年たちの画像も消去したし莉々子先生は手はず通り『火葬屋』に引き渡したよ、父さん」


「ご苦労、初めてにしてはよくやったね」

とコウ博士は末っ子の頭を撫で不意に


「初めての『ヒット』に抵抗感は無かったのかい?」と尋ねると尊はいいえ、と首を振った。


「あの人が次にターゲットにしていたのが僕だと知った時直ちに消さなければと思いました。見た目は美しかったけれどあの人に心の美なんて一切無く中身はみんなヘドロだったんです」


「そんな隠れた社会の悪を始末するのが我々の務めだ」


もうここら辺で仕事の話は止めよう、とコウ博士は話を切り、


「リビングに行って気分を切り替えよう。今日はお前にとって特別な日だからね」


そう父親に促されてリビングな入った途端ぱん、ぱん!とクラッカーが鳴り色とりどりの長い紙が飛び散る。


「ハッピーバースデイ、タケル!」


紙のとんがり帽子に鼻眼鏡の扮装をした兄、真砂とネコミミを付けた姉、茜がクラッカーを放り投げて腕によりをかけて作ったチョコスポンジのアイシングケーキやら尊の好物のチキンバスケット、海老のエスニックサラダ等で埋め尽くされたテーブルの前に弟を座らせた。


14本立てた蠟燭の火を吹き消した瞬間、尊はさっきまでの鬱陶しい出来事を忘れた。


バースディパーティーでひとしきり騒いだその日の夜中、

晃家の長男真砂と長女茜が後片付けをしながら


「兄ちゃんは最初のヒットに抵抗感はあった?あたし三日間は手が震えた」


「僕もそうだった。吐き気とフラッシュバックで半年はキツかった」


「尊は何にも抵抗が無かったって言ってるよ。あの子私達と違って改造受けてない


ピュア・ベイビー(遺伝子に何の異変も無い健康な人間)


なんだけどさ、人間としての大事なものが欠けてしまってる。そんな気がする」


「そんな風に育ててしまったのは父さんと僕達だ」


真砂は肩をすくめ兄妹はそれぞれの寝室に戻った。


翌日の午後の部活で尊は堂々と台詞が言えたので代理の顧問の先生から「日が浅いのに大したもんだ」と誉められた。


休憩時間、尊は好物のオレンジスカッシュを一口飲んで5月の晴れた空を見上げ、


「まったく現実とは一番の駄作だ」


と呟いて初恋の思い出を頭の一番奥に追いやった。











 

































  


 




 

















 



 









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