第2話 ラプソディ・イン・ブルー
いま私がどんなクソッタレな気分であろうと見上げる空は、青い。
とっくに卒業式も終わり、もうすぐ終業式を迎える学校のグラウンドの人影はまばらで運動場のトラックでは関谷先輩がカーボンタイプの左の義足を跳ね上げてダッシュの練習をしている。
「よーしっ、フォームが段々良くなって来ている。あと0.2秒タイム縮めたらメダル狙えるぞ!」
ストップウォッチを手に陸上部コーチの真鍋先生が興奮気味に声を掛けると、
「それって何の大会のメダルですか?」
とすかさずマネージャーをやっている一年生男子からのツッコミが入る。
「え、えーっとオリンピックってったっけ…」
と今年27才の先生はもう40年も前に永久停止された世界大会の名称を口にした。
無理もない、2075年現在アスリートの最大の栄誉と言えば世界選手権のメダルの事である。
「疫病が無ければ日本は観光景気で外貨を稼ぎまくって経済復興出来たのに…と死んだじいちゃんがこぼしてたよ。さ、休憩ー!」
とホイッスルを鳴らし6人の陸上部員たちは水分補給のためにぞろぞろとベンチに入った。
その様子をグラウンド観覧席の芝生に座って眺めている毛先がぴん!と跳ねたボブヘアーの少女が居た…
私立青海学園高等部一年の
「ねえねぇ、春休みどこに出掛けに行く?」
「んー、映画?つってもケーブルテレビで見れるしテーマパーク?つっても小遣い足りないしな~」
「え~またもや学割が利く美術館と史跡めぐりですかぁ『生涯、水玉ばかり描いた画家』の作品には飽きてるんですけど」
「じゃあさ、天気が良ければ諏訪大社行かない?」
「あそこは静かでいいよね~」
と暇にまかせて思い付くままだらっだらお喋りをしていた。
足元では7日前には白い花を咲かせていたタンポポが今では綿帽子を広げ、シロツメクサの周りにモンシロチョウが舞っている。
ここ諏訪市の3月の平均気温25度。
300年前に起こった産業革命から起こり始めた地球温暖化が進み、夏期になると都市部はエアコン無しでは熱中症になる程。
そこで2035年、政府は首都を東京から長野に遷都。政治経済の中枢は長野市に移った。
…かといって仕事が在宅で出来る時代だ。長野に人口が集中した訳でもなく茜が住む諏訪市も武田信玄由来の史跡が多い地方の長閑さを保っている。
さっきから春休みのお出かけについてん~、と真剣に眉根を寄せて考えている美波がはた、と手を打ち、
「やっぱり茜んちでお泊まりで夜通し映画見よう!」
と結局いつものパターンに着地した。
んもう私の家が有料ケーブルテレビ契約してるからコイツは半世紀前に人気が頂点に達したアニメーション映画や前の戦争で滅んだ国の作った洋画などをタダで見に来るのだ。
「一回につき視聴料二百円徴収しまーす」
茜の冷徹な台詞に、美波は
「…解りました、お菓子とジュースを持参致しますから物納で」とお願い、と哀願する。その顔が必死過ぎて可笑しくってたまらない茜は「わかったよ、ではそれで手を打とう」と中学からの親友とグータッチした。
やがて午後の授業を知らせるチャイムが鳴り、二人は慌てて校舎へと走った。
五時間目は選択科目、政治経済。
担当の校倉先生はワイシャツにループタイが似合う五十半ばのダンディなおじさんで教科書を朗読する声は心地よい低音で授業を受ける生徒の半数を居眠り状態にさせる。
この時間に必要な箇所を板書した先生はさて、とおしぼりで手のチョークを拭うと「先生は2020年生まれでちょうど疫病が世界中に大流行してた頃だった」と空いた15分の間に今では軽い風邪症状の原因の一つでしかないウイルスの名を挙げ、
「世界の全ての物流が停滞し、経済は悪化し先生の親世代が一発逆転を期待していたスポーツの祭典の一つが縮小した。皆も知ってる通り世界大戦が起こる要因が全て揃っていた訳だね」
と教科書にはあまり載らない五十年前に起こった戦乱に至る社会情勢を空中の一点を見つめながらかいつまんで話した。
「…実はその十数年前からサイバー攻撃といって通信下での戦争は起こっていた」
知っている。そんなこと、父さんが話してくれた。
あれは資本主義社会と共産主義社会の価値観の戦いだったって。
「かくしてパンデミックにより世界中が狷介になった。まずは西と東の大国が経済攻撃し合い、偶発的接触で戦火を交えるようになり遂には核でいくつかの大国が滅びました」
父さんは言っていた。
結局、人間というのは両手を広げて届く範囲の安寧しか望んでいないし、それを脅かすものは誰であろうと徹底的に攻撃して追い出す性質を持っている。
つまり、生物の抗体反応と同じ働きでありヒトは生物である限り差別からは逃れられないのだ。と思い知った時代だった。って。
茜は先生の話を聞き流しながら三日前の夜、首都長野区の民家に侵入して天井に張り付き、玄関口から入ってきてふとこちらを見上げた青年を義眼のレーザーで眉間から後頭部まで貫いて『ヒット』した事を思い出した。
その二世議員は少女買春の常習者で民家自体がお偉いさん御用達の娼館になっていた。
私より年下の子供に手を掛ける奴などこの世に生きていい筈はない。
そういう自分なりの倫理を通してないとこの仕事はやってられないのだ。
茜のもう一つの顔。
それは父コウ博士から「社会の為に絶対に居てはならない人物」をヒットという隠語で社会的或いは物理的に始末する命令を遂行する裏稼業。
「お前は娼館で働かされていた少女たちを救いだしたし、議員センセイが居なくなってくれたお陰で警察も動けた。よくやった」
と仕事が成功すると必ずコウ博士は好物の親子丼を作ってくれて茜の頭を撫でてくれるのだ。
「で、依頼人ってどんな人だったの?」
と親子丼に舌鼓を打ちながら茜が聞くとコウ博士は人差し指を唇を当ててから「不本意な妊娠をした少女たちの増加に心を痛めているある産婦人科医、とだけ言っておくよ」
「ふーん、その人私たちと同じ裏の仕事をしていてなおかつ女の人じゃない?」
なぜ解った!?とコウ博士が自分の顔の右半分を動かしてぎょっとさせると、
「欲望に負けて孕ませる男が悪い、と思っている人ならたぶん女性かな、って思い付きで言ったんだけど…当たっちゃった?」
「時として女の勘はどんなスキャニング装置よりも鋭いよなあ」
と言って階段を降りて来た砂色の髪の青年は茜の8つ上の兄、
生まれつき体の色素が少ない彼は日光アレルギーな為昼夜逆転生活を送っていていて午後10時のいま起床したばかりだ。
「
「何じゃその挨拶は?」
「お早うの逆の意味だよ」
わっけわからん、と頭を掻く真砂の顔を思い浮かべながら放課後のバス停で一緒にバスを待つ美波に茜は、
「もしかして私んちにお泊まりしたいのは、真砂兄ちゃんが起きてる時間帯だからじゃない?」
と不意に尋ねると図星をつかれた美波の顔は耳たぶまで赤くなった。
この世界がどんな悲惨な目を見ても、知らないところで私がどれだけ手を汚しても…
見上げる空は、青い。
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