休みたい休日の過ごし方 b
◇
「『パンドラの血』っていうのは勿論そのままの意味じゃない。奴らの体を構成する禍力、それを幾つかの特殊な薬剤に溶かして精製する……まぁ、一種のドラッグだよ」
現在、咲良崎の運転する車の後部座席。
結構な速度で流れていく景色を尻目に、先ほど汐霧が疑問符を付けていた単語について説明する。
ちなみにあの後、屋敷を出た辺りで汐霧流リアル格ゲーコンボを叩き込まれた。およそ16発くらい、凄まじい勢いで。
もしかしてコイツ、僕をサンドバッグかなんかと勘違いしてないか? コンビを組むのもストレス解消のためとか……いや、さっきのは僕の自業自得なわけだけど。
それでも割と笑えないくらいには可能性のある話である。背筋が寒いぜ。
「ドラッグですか……あまりいい印象のない言葉です」
「その認識で合ってるよ。このクスリは間違ってもいいお薬なんかじゃない。というかぶっちゃけ下手な麻薬よりタチが悪いね」
「効果は?」
「幾つかある。まず身体能力の向上。摂取量や個人差にも依るけど、大体常人の2.25倍から4倍近く身体能力が上がる」
「4倍……!?」
汐霧が目を丸くする。基本無表情のコイツにしては珍しい反応。それだけ大きな驚愕を受けたのだろう。
僕だって何も知らずに聞いたら同じようになる自信がある。なにせ4倍と言ったら身体強化の魔法にも匹敵する強化率なのだから。
「そこまで上がるのは本人の適正とかにもよるけどね。で、問題なのはその後。今言った効果のせいでもある、万能感を伴う重度の精神高揚作用。凶暴性、理性に抑圧されがちな負の欲求の表面化。そして効果が切れた後の不快感による凄まじい依存性」
「……人をケダモノに変える薬、というところですか」
「そんなところ。材料が材料だから当然といえばそうだけどね。後は……そうだ、服用時の危険性だけど……」
言ったはいいが、それについての記憶があやふやで言葉に詰まってしまう。
如何せん流行ったのが一昔前の一時期だ。ぼんやりとしか覚えていない。
どうだったかなー、と必死に思い出そうとしていると、意外なことに、その答えは沈黙していた運転席から返ってきた。
「『パンドラの血』は服用者のコンディションに関わらず、服用した瞬間に5パーセントという確率で命を落とします」
「咲……知っているんですか?」
「データの統計であれば頭に入っております、お嬢様」
驕るでも誇るでもなく、咲良崎は淡々と答える。そういうことならここから先は彼女に任せるとしよう。
ミラー越しに目線で頼むと、同じく目線で了解と告げられた。ありがたやありがたや。
「統計から他の場合を並べますと……薬の効果が切れた時に発狂し廃人となる確率が15パーセント。狂う前に自分で命を絶つ確率が25パーセント。これらを運良く避けても依存性となり、再び服用する確率が40パーセントとなっております。全くの無事ということはまず有り得ないと言ってもいいでしょうね」
「……何故、そんなにも」
「大きな原因は、先ほど儚廻様も仰られていたように、材料が人体にとって最悪なものだからです。また効果が切れると身体が泥のように動かなくなる不快感に依るところも大きいと聞き及んでおります」
実際のところは身体能力が元に戻っただけだ。つまるところ、使った人間がそう言う程に強力な効果ということである。
「……ありがとう、咲。引き続き運転をお願いします」
「了解しました」
ぺこり。彼女はシートベルトを着けたまま、優雅さを失わずに一礼した。何気に凄いな、今の。
ウチのクロハもああいう類の器用さが身につけられるなら汐霧の家に弟子入りさせるのも悪くないかもしれないな。絶対嫌がられるし事情的に実現不可だから、あり得ない話だが。
下らないことを考えながらぼーっと窓の外を眺めていると、丁度鬱屈としたビル街の隙間に入ったらしい。建物に阻まれていた風景が一気に広がる。
そして、そんな風景の中でも一際目立つものがあった。
「……新東京スカイツリー、か」
「え?」
「いや……」
何でもないよ、とひらひらと手を振る。実際特に何かあるわけでもない。何となく口に出ただけなのだ。
――新東京スカイツリー。
東区に立つ、雲を貫きなお天へと伸びる東京コロニーの象徴にして生命線。世界でも有数の巨塔だ。
前時代の旧東京スカイツリーは電波塔だったが、こっちの用途は全く違っている。『結界装置』というのが今は一番正しい表現だろうか。
コロニーの外。そこには数多くのパンドラがひしめき合っている。
どんな人間だろうと、何の準備もなくコロニーの外に出れば1時間と生きていられない。
そんな外の脅威から身を守るため、当時の東京は建造途中だった二つ目のツリーを急遽改築しつつ急ピッチで建造。
内部に結界系統の魔法に秀でた者を集め、パンドラと禍力を弾く大規模結界を張った。
それからかなりの時間が経った今も、時折結界の弱い部分からパンドラが入り込むことこそあれど、この結界が破られたことはない。
だから人々は言うのだ。あの塔こそ東京を守る希望の塔だ、と。
それが夥しい屍を踏み潰して立つ人殺しの塔ということを知りもせず、知ろうともせず、のうのうと。
◇
件の研究所は端から見ても大忙しの様相だった。
汐霧父が話を通しておいたのだろう案内の男について歩きながら、僕と汐霧は研究所内を観察していく。
赤黒い染みの付いた床やヒビの入った壁、グチャグチャに荒れた部屋……これらが全て一人によるものなのだから空恐ろしい。
それにしても……
「……歓迎はされてないようですね」
「みたいだねぇ」
今まですれ違った研究員、その殆どからまるで敵に向けるような視線を頂戴している。
余程自分たちのテリトリーに土足で上がり込まれたのが気に入らないのだろう。
汐霧父に渡された資料曰く、この依頼は軍の上層部、その一部に金の力で極秘に出したものらしい。
そんな大きい依頼を僕らなんかに預ける辺り、軍とこの研究所の仲も推して測るべしだ。
幾らAランクを寄越しているとはいえそれも学生、ついでに僕という名の足手まとい付きだ。
多分、成功だろうと失敗だろうとどっちに転んでも構わないんだろう。
「嫌になるね、ホント」
「全くです」
「到着しました、お二方。こちらが所長室となります。話は伝わっておりますので、どうぞお入りください」
どうやら雑談しているうちに着いたらしい。ありがとうございます、と案内の男に頭を下げ、入室する。
次の瞬間、その部屋の光景に僕らは絶句した。
壁際に所狭しと置かれた、僕の身長程もあるカプセル。
我が家にあるのと同じタイプなようで、中身は同色の液体で満たされており、何かが浮かんでいるものもある。
……まさかパンドラの肉片?
だとしたら一体何の研究をしてるんだか。あまり趣味のいいものじゃなさそうだ。
「それに興味があるのかな?」
室内に響いた声に顔を上げる。
声の主はすぐに見つかった。机の向こう、背後の培養槽と同化するように、白衣を着た中性的な顔立ちの男が立っている。
男は他の研究者たちと違い、敵意を向けて来ていない。
それは単に見せていないだけとか、そういうものではなく……その顔には、同好の士を見つけた喜色を貼り付けている。
僕は、この男を知っていた。
「久しぶりだね、ハルカ。最近顔を見ないから死んだかと思っていた」
「定期報告をサボってたのはお前だろうが。というかここ、お前の研究所だったのかよ。お前の顔を直接見るくらいなら死人扱いの方がずっとマシだね」
「……お知り合い、ですか?」
汐霧の質問に、白衣の男は大仰に両手を広げ、答える。
「自己紹介しよう。ボクの名前は氷室フブキ。キミたちの敵であるパンドラ、そしてその源たる禍力を研究する者……そして、そこの男の親友だよ」
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