第七章 LOVE SONG

       一


 校門の前で柊矢の車に乗ろうとしたとき、森が出現した。


「柊矢さん」

「家に帰ったら封印の……」

「森に行ったらいけませんか?」

 なんとなく、ムーシケーに呼ばれているような気がするのだ。

「分かった」

 柊矢も何かを感じたのかすぐに了承した。

 小夜が助手席に座ったのを見るとドアを閉めて、運転席側に回り車に乗り込んだ。


 柊矢は森の端に当たるところに車を止めた。

 柊矢に助手席のドアを開けてもらって降りた途端、地球の風景が消えた。

 え?

 辺りを見回しても見えるのは森と池だけだった。

「柊矢さん? 柊矢さん!」

 どうしよう……。

 まさかこのまま戻れないって事はないよね。

 もっとも、それほど心配はしてなかった。

 沙陽が無事に戻っているし、ムーシケーが自分を危険な目に遭わせるとも思えない。

 多分すぐに戻れるだろう。

 その前に見られるだけ見ておこう。

 小夜は池の方へと向かってみた。

 池の端で水面に手を当ててみる。

 冷たくはないが、やはり凍り付いていて水の中に手は入れられない。

 手のひらを通して水の旋律が伝わってきた。

 この池はこういう旋律を奏でるんだ。

 一旦森へ戻り、南へ向かってみた。

 すぐに森は途切れ、広いところへ出た。

 少し離れたところに神殿のような建物が見えた。

 折角だからあそこまで行ってみよう。

 すぐそこだと思ったのだが、大分距離があった。

 神殿も背後に見える樹もかなり大きかったから遠近感が狂ってそれほど遠くないように見えたのだ。

 随分歩いてようやく神殿の近くまで来た。

 本で見たギリシアの神殿に似てる気がする。

 かなり大きな建物だった。

 この辺の地面、凍り付いてない。

 だが、大地は旋律を奏でていなかった。

 神殿に近付いていくと、旋律が切れ切れに聴こえてきた。

 旋律は全て凍り付いてるはずなのに……。

 神殿も凍り付いてないようだ。

 ちゃんと色が付いていた。

 四千年近く放置されていたせいかかなり汚れているようだ。

 神殿に近付くと、更にはっきり聴こえてきた。

 甘く切ない旋律が大気と共に空へと舞い上がっていく。

 見上げると、グラフェーが真上にあった。

 グラフェーとの間の大気がトンネルように開いている。

 ムーシケーの大気と、グラフェーの大気は繋がっているらしい。


 ここはムーシケーの中心だ。

 この旋律はムーシケーのムーシカだ。

 ここはムーシケーが歌う場所だから他の旋律がない。

 だから大地が旋律を奏でていなかったのだ。

 目を閉じて聴いていると、切ない感情があふれてきた。

 この想い、知ってる。

 私も柊矢さんのことを考えるとこんな気持ちになる。

 胸が痛くて涙がこぼれた。


 これ、ラブソングだ。

 ムーシケーがグラフェーに歌ってる。

 これは片想いのムーシカじゃない。

 ムーシケーとグラフェーは恋人同士だったんだ。

 ムーシケーはただひたすら、グラフェーのことを想いながら歌っていた。


 ムーシケーの気持ちが痛いほど分かる。

 柊矢さんに会いたい。


 クレーイスを強く握ると旋律が消えた。

「おい!」

 柊矢の声に目を開けると、いきなり抱きしめられた。

「と、柊矢さん!?」

 小夜が狼狽うろたえて柊矢の顔を見た。

「急に消えるな」

「すみません」

 本当に心配そうに言う柊矢に、小夜は素直に謝った。

「小夜ちゃん!」

「なんだ、小夜ちゃん、見つかったんだ」

 楸矢と椿矢の声がしたので、首だけ振り返った。

 まだ柊矢が離してくれなかったのだ。

「無事で良かった」

 柊矢が小夜の髪に顔を埋めたまま言った。

「ま、見つかったんなら良かった。森も消えたみたいだし、僕は帰るよ」

 椿矢はそう言って踵を返そうとした。

「あ、待ってください。お話ししたいことがあるんです」

「って、言ってるけど? いい加減、離してあげたら?」

 椿矢の言葉に、柊矢は渋々という感じで小夜を離した。

「今、ムーシケーに行ってたの?」

「はい」

 小夜は椿矢の問いに頷いた。

「怖い目にでも遭ったのか?」

 柊矢は小夜の顔を覗き込みながら頬を流れている涙を指ですくった。

「あ、いえ、ムーシケーが泣いてたから、つられて……」

 小夜は涙をぬぐいながら、三人にムーシケーでのことを話した。

「ムーシケー自体は起きてるって事か」

「はい」

「起きてるのにムーシコスが帰るのを拒むのは、それなりの理由があるって事だな」

「そのラブソングって、どんなムーシカだった?」

 椿矢が訊ねた。

「歌詞があったわけじゃないので、どんなと言われても……」

「片想いの曲とか、両想いの曲とか、そう言うのは分からなかった?」

 小夜は目を閉じて曲を思い返してみた。

「両想いの恋人に、自分はずっと想い続けてる、みたいな感じだったような気がします」

「グラフェーからの反応は?」

 椿矢が訊ねた。

「え?」

「グラフェーは絵画や彫刻の惑星ほしだから音楽で返ってくるって事はないだろうけど……」

「ちょっと待て、絵画や彫刻の惑星ほしってどういうことだ」

 柊矢が椿矢の言葉を遮った。

「そのまんまの意味だよ。テクネーは芸術の惑星系なんだ。ムーシケーが音楽、グラフェーが絵画や彫刻、ドラマは演劇。ドラマは衛星だから生き物は住んでないと思うけど」

「じゃあ、グラフェーからも人が来てるって事か?」

「さぁ。そこまでは……」

 椿矢は知らないというように首を振った。

 二人のやりとりの間、小夜はずっとさっきのことを思い返していた。

「グラフェーは何も言ってなかったと思います」

 小夜が言った。

「ただひたすらムーシケーがグラフェーに向かって歌ってただけで……」

 ムーシケーのムーシカを思い出すだけで涙がこみ上げてくる。

 袖で涙を拭いてから、

「そういえば、ムーシケーは泣いてました」

 と言った。

「泣いてた?」

 椿矢が聞き返した。

「泣いてたって言うか、悲しんでいたというか……」

 また泣きそうになって手で目頭を押さえると、柊矢がハンカチを差し出した。

 小夜は頭を下げてそれを受け取ると涙を抑えた。

 柊矢が慰めるように小夜の頭を自分の胸に寄せた。

「恋人なのは確か?」

 椿矢が訊ねた。

「はい」

「となると、一つ分かったことがあるね」

「なんだ?」

「沙陽は小夜ちゃんの前のクレーイス・エコーだった」

「ホント?」

 楸矢が疑わしげに訊ねた。

「今回の小夜ちゃんと同じようにムーシケーに行ったのがその証拠だよ」

「だが、神殿のことは聞いたがムーシケーのムーシカのことは何も言ってなかったぞ」

「聴こえなかったからでしょ。だからムーシケーは沙陽から小夜ちゃんに乗り換えた。聴こえなかったってことはムーシケーの気持ちが分からないってことだから。ムーシケーに共感出来ない人にクレーイス・エコーは任せられないからね」

 それはあり得ると柊矢は思った。

 歌詞がなくても泣いてしまうほど感情を激しく揺さぶるような旋律を奏でてしまうくらい強く相手を想う気持ちは、ムーシコスかどうかで恋人を選ぶ沙陽には理解出来ないだろう。

 だが、沙陽の性格からして、自分が外されて小夜が選び直されたのは我慢ならなかったはずだ。

 多分、小夜が選ばれたのは柊矢と小夜の前に森が現れた時だろう。

 部屋でクレーイスを拾ったのはあの日だし、あのとき、小夜は初めて森を見たと言っていた。

 そして、沙陽が小夜の家に火を付けたのはその直後だ。

 柊矢と楸矢は椿矢の祖父が亡くなってすぐにクレーイス・エコーに選ばれたのだろう。

 椿矢の祖父が亡くなるとクレーイスも無くなったと言っていた。

 多分、椿矢の祖父の元から柊矢達の祖父の遺品に移ってきたのだろう。

 柊矢は沙陽と付き合っていた頃、クレーイスを沙陽に渡そうと思っていた。

 本来なら柊矢を通じて沙陽に渡されるはずだったのだ。

 沙陽がクレーイス・エコーのままだったら柊矢と別れたとしても、クレーイスは彼女の元へ移っていただろう。

 だが、沙陽はクレーイス・エコーから外されたので、彼女の手にクレーイスが渡らなかったのだ。

 何故、柊矢が小夜にクレーイスを渡す前に彼女がクレーイス・エコーに選ばれたことを沙陽が知ったのかは分からないが。

「どうして、ムーシケー自身は起きてるのに地上のもの達を眠らせているんでしょう」

「多分、グラフェーと関係があるんじゃないかな」

「ホントか?」

「あくまで想像だけどね」

 椿矢は肩をすくめた。

「私にもっと力があればグラフェーのことが分かったんでしょうか?」

「それはどうかな。小夜ちゃんはあくまでムーシケーのクレーイス・エコーだからね」

「まぁ、ムーシケーがその気になったら教えてくれるだろ」

 小夜や沙陽にムーシケーを見せたと言うことは、何が何でも隠そうとしているわけではないようだ。

 今はそのときを待つしかない。


       二


 小夜は夕食が終わると音楽室で、さっきから胸に沸き上がってきていたムーシカを歌っていた。

 ムーシケーのラブソングを聴いて浮かんできた曲だった。

 新しいムーシカだから他のムーシコスは大人しく聴いていた。

「参ったな」

 楸矢は小夜の歌声を聞きながら頭を抱えた。

 柊矢はさっきコーヒーカップを持って二階へと上がってしまった。

「小夜ちゃん、ストレートすぎ」

 歌詞に、恋とか愛とか好きとか言う言葉は入っていないが、これは明らかに柊矢を想うムーシカだった。

 柊矢もそれに気付いたから楸矢と顔を合わせづらくて自室へ逃げたのだろう。

「ムーシカってムーシコスの感情そのものだったんだなぁ……」

 小夜が喉を治してくれたお礼のムーシカを歌ったことがあったが、それ以外ではムーシカが創られるところに居合わせたことがなかったから、ここまではっきり感情が表れるものだとは知らなかった。

 今日、小夜がムーシケーのムーシカがラブソングだったと言ったとき、歌詞がなかったのになんでラブソングだって言い切れるんだろうと思ったが、確かにこれだけ露骨に感情が表れてれば歌詞がなくてもはっきり分かる。

 喉が治ったときのムーシカはお礼の意味で歌われたが、多分お礼のムーシカとして創られたものではなかったのだろう。

 おそらく、歌えなかった時期に出来たムーシカだったのだ。

 だから、ピアノを教えて欲しいと頼んできたのだろう。

 自分が創ったムーシカを伝えられるようになりたかったのだ。

 椿矢の祖父の伯母(大伯母)が地球人と駆け落ちしたらしいが、創ったムーシカにここまで剥き出しの感情が表れてしまうのだとしたら、

「そりゃ、地球人と逃げたくなるよなぁ」

 楸矢は、椿矢の大伯母に深く共感した。

 椿矢の家はムーシコスの家系らしいから周囲にいるのはムーシコスばかりだったはずだし、そうだとするとこういう場面に出くわすこともよくあっただろう。

 こんなことが頻繁にあったら身が持たない。

 椿矢がムーシコスの血は大分薄れてきていると言っていたらしいが、四千年という時間経過のせいだけではなく、多分、これに耐えかねて地球人を選んだ者が多かったのではないだろうか。

 いくらムーシコスが音楽に弱いとは言え、これが平気なのは相当な音楽ムーシカバカだけだろう。

 俺も絶対地球人と結婚しよう。

 楸矢はそう心に誓った。

 小夜のムーシカを聴きながら、

「明日からどんな顔して会えばいいんだろ」

 と独りごちた。


「小夜、なんかあったの?」

 教室に入るなり清美が聞いてきた。

 車から降りたときの柊矢と小夜のぎこちない様子を見ていたらしい。

「清美……、どうしよう……、私、柊矢さんのこと好きになっちゃったみたい」

「小夜、それ今更過ぎだから」

 清美が冷めた口調で言った。

「今までも好きだと思ってたの! 柊矢さんの前で好きって言っちゃったこともあったけど、それが恋だと思ってたけど、全然違った! どうしよう! どうしたらいい?」

 小夜は狼狽えた様子で言った。

「どうしようって、どうしようもないでしょ。もう告白したなら……」

「してない!」

 小夜が強く否定した。それから自信がなさそうに、

「したことになるのかな?」

 と首を傾げた。

「してなかったら柊矢さんまであんな態度取るわけないじゃん」

 清美が冷たい声で言った。

「柊矢さんの聞いてるところでム……歌、歌ったの。柊矢さんを想う歌……」

 小夜の声がだんだん小さくなっていった。

「でも、あんなにはっきり意思表示するつもりはなかったの」

 小夜が言い訳するように言った。

「楸矢さんまでまともに顔あわせてくれないし」

「二人の目の前で歌ったの?」

 清美が信じられないという顔をした。

「目の前じゃなくて、別の部屋だけど……」

「一応確認のために聞くけど、その歌って小夜のオリジナルソング?」

 小夜は頷いた。

「うわ、それ痛すぎ!」

 清美が大袈裟にった。

「そりゃ、どん引きするわ」

 ムーシコスではない清美には歌――ムーシカ――で想いを伝えてしまったというのは理解できないのだ。

 四千年も共存してきたのに、まだムーシコスと地球人の間には分かり合えない溝がある。

 そのとき、夕辺小夜が歌ったムーシカが聴こえてきた。

 嘘!

 突然真っ赤になった小夜に、

「小夜、どうしたの?」

 清美が驚いた様子で顔を覗き込んできた。

「もうダメ。死にたい」

 小夜は机に突っ伏した。


 小夜のムーシカは、素直な感情表現に好感を持たれたのか、新曲のラブソングだからなのか、日に一度は歌われるようになった。多い日は二度、三度のこともあった。

 授業中にも容赦なく聴こえてくる。

「霞乃、どうした、顔が赤いぞ」

 数学の教師が小夜を見て言った。

「な、なんでもないです」

 小夜は真っ赤な顔で俯いた。

「熱でもあるんじゃないのか?」

「だ、大丈夫です」

「ただの恋煩こいわずらいだもんね~」

 隣の席の清美が小声で呟いた。

「清美!」

 小夜が横目で睨んだ。


「小夜、はっきり聞いていい?」

 二人は校門の前で柊矢の車を待っていた。

 小夜が清美に相談したいことがあるから一緒に待って欲しいと頼んだのだ。

「何?」

「柊矢さんと何かあった?」

「何もないよ。あったらこんなに悩まないって」

 柊矢とはあれ以来ぎこちないままで、必要最低限のことしか話していなかった。

「突然真っ赤になったりするのって、Hしちゃって、それ思い出してるからじゃないの?」

「清美! ホントに怒るよ!」

 小夜が頬を朱に染めて言った。

「奥手の小夜に限ってそれはないかぁ。柊矢さんだって両手が後ろに回っちゃうしね」

「え! 清美! それどういうこと?」

 小夜は身を乗り出した。

 柊矢の友達が同じ事を言っていた。

 あのとき意味が分からなかったのだ。

「大人が未成年の子と寝ると犯罪でしょ」

 そう言う意味だったんだ!

 小夜は更に赤くなった。

「ちょ、ちょっと、小夜! あんた、ホントに……」

 清美が小夜に詰め寄った。

「ち、違うって!」

 小夜は慌てて両手を振った。

「柊矢さんの友達が同じこと言って柊矢さんをからかったことがあったの! そのとき意味が分からなかったから……」

「それならいいけど……」

「もしかして、大人の付き合いって、そう言うこと?」

 小夜が訊ねた。

「そうだよ」

 じゃあ、ひょっとして、楸矢さんが言ってた後部座席っていうのも……。

 清美に聞いてみようかと思ったが、もしホントにそう言う意味だったりしたら、車に乗る度に顔が赤くなってしまいそうなのでやめた。

「色々ごたごたしてて忘れてたけど、もうすぐ柊矢さんの誕生日なの。プレゼント、何がいいと思う?」

「あんたあげたら? 自分にリボンかけて」

「清美! 真面目に答えてよ!」

「柊矢さんの好みなら楸矢さんに聞いた方が早いんじゃない?」

「そっか」

 そんな話をしているうちに柊矢の車が来た。


「柊兄の好み?」

 小夜は台所で夕食を作りながら、おやつを食べている楸矢に柊矢の好きなものを訊ねてみた。

「もうすぐ柊矢さんのお誕生日なんですよね? プレゼント、何がいいかと思って」

「小夜ちゃんプレゼントすれば?」

「楸矢さんまで清美と同じこと言わないでください!」

 小夜は真っ赤になって抗議した。

 友達にも同じこと言われたんだ。

 楸矢は苦笑した。

 考えることはみんな同じか。

「柊兄の好みねぇ」

 楸矢は天井を見上げた。

「分かってるつもりだったけど、最近自信ないんだよね」

 小夜ちゃんと沙陽じゃタイプ違いすぎだし。

「考えておくよ」

「お願いします。今日の夕食のリクエスト、聞きますよ」

「ホント? じゃあ、ねぇ……」

 楸矢は身を乗り出した。


 夕食の最中に小夜のムーシカラブソングが聴こえてきた。

 小夜が真っ赤になって俯く。

 柊矢は料理に目を落としたまま無言で食べていた。

「まさか、こんなに流行はやるとはねぇ」

 楸矢が他人事のように言った。


 沙陽は小夜のムーシカを忌々いまいましげに聴いていた。

 なんでみんなあんなムーシカをもてはやすのよ!

 あんな稚拙ちせつなムーシカ。

 自分のムーシカには誰一人賛同してくれないのに、小夜が歌うムーシカには参加する。

 柊矢もあんなつまらない子にいつまでもかかずらって。

 最初は珍しがってるだけだと思ってた。

 沙陽がムーシコスだとは知らなかったから、家族を除けば小夜が初めて会ったムーシコスのはずだし、音大付属高校の音楽科に通っていたから普通科の女子高生が新鮮に映ったのだと。

 だからすぐに飽きると思っていた。

 だが、あの二人はどう見ても相思相愛だ。

 あの子はともかく、柊矢まで初恋をした少年みたいな態度を取ってる。

 ひっぱたいて目を覚ましてやりたいが、どうすれば近付けるのか分からない。

 沙陽が柊矢を呼び出しても素直に来るとは思えない。

 あの子なら来るかしら……。

 榎矢の呼び出しのムーシカには引っかかったらしいけど……。


       三


 楸矢が学校から帰ってきて台所を覗くと、小夜が食器棚で何かを探していた。

「小夜ちゃん、何してるの?」

「あ、楸矢さん。お帰りなさい」

 小夜が振り返った。

「柊矢さんって、お酒を飲むときどのコップを使ってるのかなって思って」

「そのコップに口を付けて間接キスしようとか?」

「ち、違います!」

 小夜が真っ赤になった。

「もし普通のコップを使ってるなら、誕生日プレゼントにお酒用のグラスはどうかなって」

「いいかもね。柊兄が飲んでるのはウィスキーだからウィスキーグラスがいいと思うよ」

「有難うございます」

 小夜は嬉しそうに礼を言った。

「あ、それと、お二人は甘い物好きですか?」

「あ~、バレンタインも近いね」

「そ、そう言う意味じゃ……」

 小夜はまた赤くなった。

 お誕生日にバースディケーキ、作っても大丈夫か知りたかっただけなんだけど……。

「甘すぎなければ大丈夫だよ、柊兄も俺も」

「有難うございます」


「買い物? いいけど」

 翌日、学校へ着くなり清美を買い物に誘った。

「柊矢さんの誕生日プレゼント買いに行きたいの」

「いいよ」

 清美は快諾した。


「これなんかどう?」

 放課後、小夜と清美はデパートの食器売り場にいた。

 普通の雑貨屋より、デパートの方がいいものが置いてあるだろう、と清美が言ったのでここに来たのだ。

「それよりこっちの方が良くない?」

「あ、あれもいいかも」

「それ、ウィスキーグラス?」

「違うの?」

 小夜と清美は時間を忘れて品定めに熱中していた。

「でも、これ綺麗」

 小夜がグラスを手に取ったとき、スマホが鳴った。

 グラスを置いて通話に出ると、

「おい! 何してるんだ!」

「あ! 柊矢さん、すみません」

 清美が自分の腕時計を小夜に向けて時計を指差していた。それを見ると柊矢との約束の時間をとっくに過ぎていた。

「今から行きます! ちょっと待っててください」

 小夜は慌てて通話を切ると、今のグラスを手にした。

 会計をすませ、プレゼント用に包装してもらって品物を受け取ると、清美と一緒に駆け出した。


「遅くなるならなると連絡しろ! 心配するだろ!」

「すみません!」

 小夜と清美は柊矢に頭を下げた。

「もう用は済んだのか?」

「はい」

「じゃ、帰るぞ。君も送っていこうか?」

 柊矢が清美に訊ねた。

「あたしはいいです。またね、小夜」

「何を買ってたんだ?」

「あ、小物をちょっと」

 まさか、当の柊矢の誕生日プレゼントとは答えられず言葉を濁した。

「そうか」

 柊矢はそれ以上追求せずに駐車場に向かって歩き出した。


 夕食の片付けと、明日の弁当の下ごしらえを終えて部屋に戻ると、鞄の中に隠しておいたプレゼントを取り出した。

 グリーティングカード、先に買っておいて良かった。

 引き出しからカードを取り出して開いたものの、いざ書く段になると固まってしまった。

 なんて書けばいいんだろう。

 お誕生日おめでとうございます、だけじゃ素っ気ないよね。

 かといって、好きです、なんて書くわけにもいかない。

 わざわざ書くまでもなく、とっくにバレてはいるのだが。

 小夜はカードを閉じた。

 まだ今日の宿題をやっていない。カードの前でいつまでも固まっているわけにはいかない。

 勉強の息抜きに考えることにしよう。


「書けた!」

 小夜がグリーティングカードを持ち上げて、メッセージを読み返しているとき、鳥の鳴き声がした。

 え?

 気付くと外が明るかった。

 嘘!

 慌てて時計を見ると、もう朝食の支度をする時間だった。

 小夜は急いで部屋を飛び出した。


 朝食の支度しながら、グリーティングカードのメッセージを思い返していた。

 結局、徹夜して書いたのは、いつもお世話になってます、ありがとうございます、と言う無難なものだった。

 もうちょっと気の利いたことが書けたらなぁ。

 何とか朝食の支度は間に合った。

 食事を終え、後片付けをしてから部屋へ戻り、プレゼントとグリーティングカードを机の一番下の引き出しに入れると制服に着替えた。

「おい、支度は出来たか?」

 柊矢が小夜の部屋をノックした。

「あ、今行きます!」


「小夜、目の下にくまが出来てるよ」

 教室で会うなり清美が言った。

「柊矢さんの誕生日プレゼントに付けるグリーティングカードに書く言葉、考えてたら徹夜になっちゃって」

「明日だっけ? 柊矢さんの誕生日」

「うん」

「ぎりぎりだったね。間に合って良かったじゃん」

 清美の言葉に小夜は黙り込んだ。

「どうしたの?」

「どうしよう。どうやって渡したらいいと思う?」

 小夜が狼狽えたように言った。

「は? 一緒に住んでんだからいつだって渡せるでしょうが」

「でも、まだぎこちなくてちゃんと口もきけないのに、プレゼントなんて……」

「それ、分かってて買ったんでしょ」

 清美が呆れた様子で言った。

「だって、誕生日だって知ってるのに何もしないわけにはいかないし、いつもお世話になってるから」

「だったら普通に渡せばいいじゃん」

「それが出来ないから困ってるんじゃない」

 結局、解決策は見つからないまま放課後になってしまった。


 小夜はどうやってプレゼントを渡そうか迷ったまま夕食を作っていた。

 郵送……は、今からじゃ明日に間に合いそうにないし、物がグラスだから割れても困る。

 部屋の前にこっそり置いておくとか。

 そのとき、楸矢がフルートの練習を終えて台所に入ってきた。

 そうだ!

「おやつある?」

「ありますよ」

 小夜は昨日の残りの鶏の唐揚げを温めて出した。

「楸矢さん、お願いがあるんですけど……」

「何? 俺に出来ることならなんでも聞くよ」

 楸矢が唐揚げを食べながら答えた。

「柊矢さんへの誕生日プレゼント、渡してもらえませんか?」

「あ~、それはダメ」

「お願いします」

 小夜は手を合わせた。

「ダ~メ。そう言うのは自分で手渡ししなきゃ」

「でも、まだまともに口もきけない状態ですし」

「だからこそ渡して普通に喋れるようになればいいんじゃないの」

 小夜は溜息をついた。

「小夜ちゃん、部屋の前に置いておくって言うのもNGだからね」

 そう言われてしまっては部屋の前に置いておくという手も使えない。

 やっぱり手渡しするしかないかぁ。

 しょうがない、明日帰ったら渡してすぐに自分の部屋に逃げよう。


 翌日、学校から帰ってきて一旦部屋へ戻ると、プレゼントとカードを持って柊矢の部屋のドアをノックした。

「どうした?」

 出てきた柊矢にプレゼントとカードを押しつけた。

「お誕生日おめでとうございます!」

 そう言うと自分の部屋に駆け込んだ。

 柊矢が礼を言う暇もなかった。


 その日の夕食は柊矢の好きな物と甘さを抑えたバースディケーキを出した。

 柊矢がプレゼントとケーキの礼を言おうとした瞬間、小夜のムーシカラブソングが流れ始めた。

 すぐに他のムーソポイオスが加わり、霧生家の食卓は気まずい沈黙に包まれた。


 楸矢が風呂から上がって台所に水を飲みに行くと、柊矢が小夜から貰ったグラスにウィスキーをついでいるところだった。

 小夜は部屋にいるようだ。

「柊兄、どうするの?」

「何が?」

「小夜ちゃんのこと。ちゃんと返事してあげなきゃ可哀相だよ」

「分かってる」

 柊矢はそう言うと、グラスを持って二階の自室へ上がっていった。


       四


「首尾は?」

 翌日、教室で待ち構えていた清美が訊ねた。

「うん、何とか渡せた」

「普通に口きけるようになった?」

 小夜は首を振った。

「なんで?」

「なんでって……」

 どちらかが口を開こうとするのを狙っているかのように小夜のムーシカラブソングが聴こえてくるのだ。とても話が出来るような状態ではない。

「じゃあ、次はバレンタインだね。バレンタインにはあたしも柊矢さんに渡すからね」

 そう宣言してから、

「小夜、手作りにする?」

 と訊ねた。

「うん、あんまり甘すぎるのは好きじゃないらしいから、甘さを控えめにしたのを作ろうかと」

「いいこと聞いた。あたしも甘くないの作ろっと」

 と言ってから、残念そうに、

「楸矢さんとも面識があれば渡すのになぁ」

 と言った。

「清美、一体何人に渡すの? 本命だけで」

「小夜、両手グーしてこっちに向けて」

 小夜に両手を握らせてから、

「十一、十二……」

 と自分の指を折って数え始めた。

「十五人だね」

「清美、それ多すぎ」

 小夜は呆れて言った。

 万が一複数の男がOKしてきたらどうする気なのだろう。

 それを訊ねてみると、

「ちゃんと優先順位つけてあるから大丈夫」

 と言う答えが返ってきた。

 そんな話をしているとき、ムーシカが聴こえてきた。

 これ、呼び出しのムーシカだ。

 でも、知らない女の人の声……。

 さすがに二度も引っかかるほどバカじゃない。

 後で柊矢さんに報告しておこう。

 しばらくすると、今度は沙陽からの呼び出しのムーシカが聴こえてきた。

 沙陽さんからって、明らかに罠だって分かってるのに、それに引っかかるほど頭が悪いと思われてるのかなぁ。

 小夜は密かに溜息をついた。


「さすがに引っかからないわね」

 沙陽が晋太郎に言った。

「そこまでマヌケじゃないだろ」

「授業中だからかもしれないじゃない。放課後もう一度やってみましょう」


 迎えに来た柊矢が車のドアを開けてくれた時、

 あ、また呼び出しのムーシカ。

「どうした?」

 不意に顔を上げた小夜に訊ねた。

「呼び出しのムーシカなんです」

「椿矢か?」

「いえ、知らない女の人です。あと、さっきは沙陽さんが……」

 柊矢は考え込んだ。

 罠なのは分かりきっている。

 側にいても守り切れないことも。

 無視するか。

 行けば何を企んでいるか分かるかもしれない。

 行くなら小夜を家に送り届けてからにしたい。

 だが、呼び出しのムーシカは呼び出されてる当人にしか聴こえない。

 この前、沙陽を追い返したときは後で後悔することになった。

 小夜が心配そうに柊矢を見上げていた。

 クレーイス・エコーとしての役目を悟る前ならクレーイスを渡すという選択肢もあった。だが今となってはそれは出来ない。

 といっても柊矢は正直渡してしまいたい。

 柊矢はムーシケーの意志を感じたことなどないし、ムーシカを歌う必要があるのだから実際のクレーイス・エコーはムーソポイオスの小夜だけで、柊矢と楸矢は補佐のようなものだろう。

 それは小夜や沙陽だけがムーシケーに行ったことからも明らかだ。

 小夜はクレーイスを柊矢の祖父の形見だと思ってるから柊矢が渡したいと言えば渡してくれるに違いない。

 しかし、それはムーシケーの意志に背くことになるから小夜は心を痛めるはずだ。

 それにクレーイスを渡してしまいたいと思うのは小夜を危険な目に遭わせたくないからで、そうでなければムーシケーの意志とは関係なく沙陽に力を貸すようなことはしたくない。

 クレーイスのこと以外に沙陽が小夜を必要とする理由は思い付かない。

 何より呼び出されているのは小夜だけだ。

 のこのこ行っても小夜が危ない目に遭わされるだけだろう。

「帰ろう」

「いいんですか?」

「罠だって分かってて引っかかるのはバカみたいだからな」

 柊矢は小夜を助手席に乗せると、運転席側に回ってシートに座り、車を出した。


「やっぱり引っかからないか」

 晋太郎が柊矢の車を見ながら言った。

 小娘一人なら脅して言うとおりにさせるのも楽だと思ったのだが。

「柊矢なら来るかもしれないわ」

「呼んでどうする」

「仲間になるように説得……」

「して、失敗したんだろ。第一そいつだけ取り込んだってまだ二人残ってる」

 その言葉に沙陽は黙り込んだ。

 沙陽が欲しいのは柊矢だけだ。

 だが、他の二人が邪魔だからと言って殺せば柊矢は敵に回ってしまうだろう。

 なら他の二人も取り込むか。

 楸矢はともかく、小夜が無理なのは一度説得に失敗して分かっている。

 祖父のかたきというのを抜きにしても、小夜は何があってもムーシケーの意志には逆らわないだろう。

「榎矢が家の蔵から何か持ってくると言っていた。それを見てから今後のことは考えよう」


 椿矢は中央公園でブズーキを爪弾つまびいていた。

 榎矢が家の蔵から古文書の類をごそっと持っていったらしい。

 椿矢の家は謡祈祷うたいきとうと称して代々ムーシカでまじない師的なことをしていた。

 具体的には雨乞いとか、御祓おはらい(と称した治療)の類だ。

 今は普通のサラリーマンだが祈祷きとうの類を全くしてないわけではない。

 この現代においても科学より超常的な能力に頼りたがる人間がいるからだ。

 榎矢が古文書を持ち出したのは沙陽達との悪巧わるだくみのためだろう。

 柊矢達に忠告するか。

 この前の小夜のムーシカはもちろん聴こえた。

 沙陽があれに腹を立ててないはずがない。

 椿矢は残留派だが、沙陽達のうっとうしさを考えると小夜達にムーシケーを溶かしてもらって帰還派はみんな向こうへ追い払いたい、と言うのが正直な気持ちだ。

 追い払った後こちらへ戻ってこられないようにしてもらえれば尚いい。

 柊矢の様子からすると彼も同じ思いのようだが、ムーシケーが拒んでいるからそれも出来ない、と言うジレンマに悩んでいるようだ。

 もっとも柊矢はムーシケーに従っていると言うよりは小夜の意志を尊重しているだけのようだが。

 ムーシケーがなんで拒んでいるのか分かればねぇ。

 そんなことを考えていると、

「椿矢さん、歌いに来たの?」

 顔見知りのOLが声をかけてきた。

「うん。このところ歌ってなかったから、久々にね」

 椿矢は笑顔で答えた。

「やった! 友達呼んでくる。みんな待ってたのよ」

 OLは嬉しそうにそう言うと、同僚を呼びに行った。

 椿矢はブズーキを奏で始めた。


 あ、椿矢さんのムーシカだ。

 清美とお弁当を食べていた小夜が顔を上げた。

「小夜? どうかした?」

「別に。それで? チョコレート、もう用意した?」

「あと五個」

「清美、欲張りすぎ。いくつも配るより、脈のありそうな人に絞った方がいいんじゃないの?」

「それか歌、歌ったりとか?」

 清美が意地悪く言った。

「清美!」

 小夜が赤くなった。

「あれはそう言うんじゃないんだってば」

「じゃあ、なんだったの?」

「それは……」

 ムーシコスじゃない人に分かってもらうのは難しそうだ。

 自分が異星人だとは思ってないが、それでもこう言うとき、地球人との違いを痛感してしまう。

 地球人にも聴こえればなぁ。

 肉声は地球人にも聴こえるから、目の前で歌えば聴いてもらうことは出来るが、ムーシコスと同じような反応は示さないだろう。

「小夜はもう出来たの?」

「うん。柊矢さんと楸矢さんの分だけだから」

「楸矢さんに渡して、柊矢さん、焼き餅焼かない?」

「焼いてくれれば嬉しいけど、柊矢さんがどう思ってるか分からないし」

「柊矢さんもあんたのこと好きじゃなきゃ、あんな態度とらないって」

 清美が冷めた口調で言った。

「それならいいけど……。ちゃんと返事聞くまでは……」

「柊矢さんも歌、歌って?」

「柊矢さんは演奏……って、茶化さないでよ!」

 柊矢さんがムーシカを作ったらどんな曲になるのかな。

 素敵な曲だろうな。

 でも、きっと清美には分かってもらえないだろう。

 親友と同じ喜びを分かち合えないのだけが残念だ。


       五


 バレンタインの日、小夜が夕食を作っていると、楸矢がおやつを食べに音楽室から出てきた。

 チョコレートは朝食の時、二人に同時に渡しておいた。そうすれば恥ずかしくないかな、と思ったからだ。

 楸矢に前日の残りのおひたしを出していると、玄関のドアが開く音がした。どこかに出掛けていた柊矢が帰ってきたようだ。

「柊兄、どこに行ってたんだろ」

 おやつを食べていた楸矢が言った。

「さぁ?」

 小夜が首を傾げたとき、柊矢が白いマーガレットの花束を手にして入ってきた。

 柊矢は黙って花束を小夜に渡した。

「え?」

 訳が分からず戸惑っている間に柊矢は自分の部屋へ上がってしまった。

 小夜は楸矢を見た。

「それ、柊兄からの小夜ちゃんへのバレンタインプレゼント」

「でも、バレンタインって……」

 柊兄、ちゃんと説明してってよ。

 楸矢は溜息をついて、

「女の子がチョコレートを送る習慣って言うのは日本のお菓子会社が作ったもので、欧米では男女ともに恋人に贈り物をしあうの」

 と説明した。

「こっ……、や、やっぱり、私宛じゃないですよ!」

 小夜が真っ赤になった。

「小夜ちゃんに渡したでしょ」

 小夜は耳まで赤くなってうつむいた。

「小夜ちゃん、お鍋!」

「あ!」

 小夜は慌てて鍋の方に向き直った。

 焦げていないのを確認してから、花束を花瓶に入れて食卓に飾った。

「小夜ちゃんの部屋に飾った方がいいんじゃないの?」

「でも、本当に私宛か分からないですから」


 夕食が終わり、片付けをしているときだった。

 楸矢は小夜が翌日の弁当用に作ったきんぴらごぼうのあまりを食べていた。

「楸矢さん、それだけ食べててよく太りませんね」

 小夜が呆れたように言ったとき、沙陽のムーシカが聴こえてきた。

 これ、ラブソングだ。柊矢さんへの。

「声楽科に行ってただけはあるね。技巧ぎこうはさすがだけど、そっちに神経がいってて心が入ってないな」

 楸矢が冷静に批評した。

 テクニックにこだわりすぎててかなり人工的な印象を受ける。

 ムーシカが感情の発露で自然に出来るものだとしたら、沙陽が歌っているのはムーシコスに聴こえると言うだけでムーシカではなく(地球人の)歌だ。

 地球人には高く評価されるだろうがムーシコスの心には響かない。

 ムーシケーのムーシカは聴いてないが、小夜のムーシカを聴けばどんなものだったのかは想像が付く。

 感情よりテクニックに走った〝歌〟を作っているようではムーシケーの気持ちなど分かるわけがない。

 クレーイス・エコーから外されるわけだ……。

 小夜のムーシカと沙陽の〝歌〟を聴いて、どちらが柊矢への想いが強いかと訊ねたら、ムーシコスはみな小夜だと答えるだろう。


 そのとき、柊矢が台所に姿を見せた。

「ちょっといいか?」

 柊矢が小夜を呼んだ。

「はい」

 柊矢は小夜を音楽室に連れていった。

「小夜、お前にだ」

 え?

 小夜って……私の名前、呼んでくれた?

 柊矢は小夜を自分の向かいに座らせると、沙陽のムーシカを無視してキタラを弾き始めた。

 このムーシカ……。

 自分宛のラブソングだと気付くと、小夜は真っ赤になった。

 柊矢は歌わないので歌詞はないが、所々に小夜のムーシカの旋律が使われているから、対になっている曲だとすぐに分かった。

「柊矢さん……」


 小夜が感激しているとき、楸矢は台所でテーブルに頭をぶつけていた。

「こういうことするなら先に言っといてくれれば今夜は彼女の家に泊まったのに」

 ムーシカだから彼女の家にいても聴こえてしまうが、一人で聴かされるよりは遙かにマシだ。


 柊矢は弾き終えると、

「歌詞、付けられるか?」

 と訊ねた。

「はい」

 柊矢がもう一度弾き始める。

 小夜は心の中に湧き上がってくる感情のままに歌詞を付けた。

 すぐに他のムーソポイオスがコーラスを重ねる。

 歌い終えると、柊矢と小夜の目が合った。

 お互い頬が赤く染まって視線をらした。

「もう遅い。そろそろ寝た方がいい」

「はい。お休みなさい」

 小夜は音楽室を出ようとして、

「あの、さっきの花束、私にですか?」

 と訊ねた。

「ああ」

「有難うございます」

 小夜は頭を下げると、台所へ入った。楸矢は部屋へ戻ったのか台所にはいなかった。

 小夜は花束を入れた花瓶ごと抱えると自室へ戻った。


 翌日、学校へ行くと清美がってきた。

「ちょっとマシになってたのに、またぎこちなくなってるけど、なんかあった?」

「その、柊矢さんからお返事があったって言うか……」

「なんて言われたの!」

 清美が身を乗り出した。

「あのね、前に柊矢さんは楽器をやってるって言ったでしょ……」

「まさかとは思うけどセレナーデでも弾いたとか」

「あれがセレナーデなのかどうかは分から……」

「ホントに弾いたの!?」

 清美が大声を出した。

「清美、声が大きい」

 小夜は慌てて左右を見回した。

「あんた達、痛すぎ! 柊矢さんも普段はクールな人なのにそう言うことするんだ!」

 清美が信じられないという表情で言った。

「一応聞くけど、それ、柊矢さんの……」

「……オリジナル……」

「あいたたたた……」

 清美が額を押さえた。

「そのとき、楸矢さんはどこにいたの?」

「台所だけどドアは閉まっ……あ!」

 しまった!

 あれはムーシカな上に弾いた楽器がキタラだ。音楽室のドアが閉まってても聴こえてしまっていたのだ。

「それで楸矢さん、今朝まともに顔見てくれなかったんだ」

「楸矢さんも可哀相に。とんだバカップル誕生だわ」

「バカップルって言うのやめてよ」

「だって、そうでしょうが」

 そんなこと言ったってしょうがないじゃん。

 私達、ムーシコスなんだもん。

 小夜は俯いた。

 それから上目遣いで、

「そんなに痛い?」

 と訊ねた。

「痛いなんてもんじゃないわよ」

 清美が冷たい声で答えた。

「で、その後どうしたの?」

「柊矢さんの曲に私が歌詞を……」

「歌の話はもういいから、その後よ」

「自分の部屋に帰って寝た」

「それだけ?」

「うん、興奮しちゃってなかなか寝付けなかったけど……」

「念の為に聞くけど一人で?」

「清美! 怒るよ!」

 小夜が赤くなった。

「だって、普通想いを確かめ合ったらキスくらいしない?」

「キ……!」

 小夜が真っ赤になった。

「清美!」

「あー、もうやってらんない。あたしも早く彼氏作んなきゃ。なんでバレンタインの翌日がホワイトデーじゃないんだろ」

「用意する時間がないからじゃない?」

「こうなったら一日遅れだけど次点にも配ろうっと」

「次点って、渡したの一人だけだったの?」

 確か十五人に渡すと言ってたはずだ。

「まさか、ちゃんと十五人に配ったわよ。でも、次点の十九人にも配る」

「十九人!?」

 それ次点って言わないんじゃ……。

「小夜、楸矢さん紹介してよ。楸矢さんにも配るから」

 配るって……。

『渡す』じゃなくて『配る』?

「清美、今日渡されたって義理の残りだって思われるのがオチだって」

 そんな話をしてるうちに予鈴が鳴った。


 休み時間、清美は隣の席の小夜に向き直った。

「で、楸矢さん、いつ紹介してくれるの?」

「楸矢さん、彼女いるってば」

「どんな人?」

「さあ?」

 小夜は首を傾げた。

 そう言えば名前も聞いたことがなかった。

 ただ、いるのは嘘ではない。

 何度か楸矢の部屋のドアのネームプレートがひっくり返っており、中から女性の声がしたことがあった。

「柊矢さんと同い年ってことくらいしか」

「柊矢さんっていくつ?」

「この前、二十六歳になった」

「二十六!? あんたと柊矢さんって十歳も離れてるの!? なんか犯罪臭はんざいしゅうがする」

「は、犯罪って、清美が言ったんだよ。私達はもう子供じゃないって」

「でもさぁ、しちゃったら犯罪になるよね」

「し、し……清美! そう言うこと言わないでよ!」

 小夜が真っ赤になって抗議した。

「あたしは年相応の彼氏作るんだ。しちゃっても犯罪にならない相手」

 もう好きにして……。

 小夜は溜息をついた。


 放課後、柊矢の車に乗ると訊ねてみた。

「あの、夕辺のムーシカ、楸矢さんにも聴こえて……」

「ああ、後で散々文句言われた」

 やっぱり……。

 小夜は赤くなって俯いた。

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