第10話 悪役令嬢は失恋しました。
本を借りてから二日目。
今日は本を返す日。
待っているのが主人公だと思うとたとえ返すだけとはいえ膨大な体力とか精神力とか、とにかく色々な何かが削られそうだから返してすぐに休めるよう放課後に行くことに決めた。
昼休みの今は来たるべき決戦の時に向けて英気を養っておこうと校舎の外を歩いていると、言い争っているような声が聞こえて来た。
そういえば例のイベントもこんな感じでエグレットが校舎裏に主人公を呼び出して詰め寄っていたのよね。
『貴女、シュエット様とどういう関係ですの』
そうそう、まさにこんな感じで責めて……って、え?
『シュエット様に対して馴れ馴れしくし過ぎではありませんか?』
いやいやいや、何で、ちょっと。
聞こえて来た言葉に背中がゾッとした。
だって、これ、問題のイベント時にエグレットが言うセリフ。
何で、誰が言っているの? ていうか、イベント発生は明日でしょ!?
思わず声の聞こえてきた方へ行くとそこに居たのはやっぱり主人公。後ろ姿とはいえ間違いない。
そして向かいにいるのは……。
「誰?」
主人公より少し背が高めの金髪の女性。
パッと見た感じ上品なお嬢様というか華奢な雰囲気で、言葉だけならきついけど今にも泣きそうな顔をしているのが気になる。
そんな事を思っている間にも更に女性はイベントのセリフをそのまま続けている。
凄い、ゲームのセリフまんまなのにエグレットの時はまさに悪役! って顔だったのにこっちの女性は全然そんな感じがしない。
育ちが良いってこういう事なのかな。
って、これがゲームのイベントだっていうのならこのまま続けさせるのはまずい。
この女性が誰かは分からないけど、シュエット様に好意を抱いているのは確実。
つまり、主人公に罵詈雑言を浴びせた時に偶然戻ってきたシュエット様にそれを聞かれてしまう。
「ま、待って!」
「!?」
お、思わず飛び出してしまった……でも状況は全く分からないしこれどうしたらいいの?
「エグレット様……」
あ、私の事知っているんだ。
流石公爵令嬢、身分高くて良かったー。これなら何とか話を続けられそう。
「いきなり割り込んでごめんなさい。ですが、大きな声が聞こえたものですからつい……」
これがゲーム通りのイベントなら何があったかとか聞くと余計拗れそうな気がするから、とにかく女性を落ち着かせてシュエット様が来るまで時間を稼いでおかないと。
……来てくれるよね? 本来のイベントより一日早く発生しているけど。
「あ……申し訳ありません、お見苦しい所をお見せしまして」
「いえ、大丈夫です」
あ、これもうこのまま聞く以外ない。
ゲームと違って選択肢があるわけじゃないけど、なんかもう自然にこういう話の流れになっている。
「それより何があったのですか?」
「……何も、ありません。私がただ一人取り乱してコルセイユさんを理不尽に責め立ててしまっただけの事です……。コルセイユさんは何も悪くありませんのに……申し訳ありません」
「あ、そんな、私は気にしていませんので……」
おっと、主人公の名前はコルセイユというのね。
「優しいのですね。それに比べて私は……ただコルセイユさんがシュエット様と親しげに話し、差し入れを用意されたというだけで嫉妬に駆られ……。……こんな心の狭い婚約者などシュエット様にとっては迷惑なだけですね」
……は?
婚約者?
え、シュエット様婚約者いたの?
いや、でもゲームでは普通に攻略キャラでそんな設定も……。
あああああ!!
また! またか! あれだけ何もかもゲーム通りじゃないと学んでいたのに!
確かにこの歳で! 貴族で! 婚約者がいるのはおかしくない事だけど!
鏡を見なくても自分の顔が青ざめていくのが分かった。
顔を触ったらものすごく冷たい。
思わずコルセイユさんの方を見るとそっちも真っ青。
やっぱりシュエット様の事が好きだったのか……。
「あの、ごめんなさい! 本当にシュエット様とは違うんです! ただ、お仕事で大変そうだったので疲れた時には甘い物がいいと聞いたのでお菓子を用意しただけで、そんなつもりは全くなかったんです!」
必死な様子でいうコルセイユさんの手にはバスケット。
軽く見れば中にはいかにも手作りといった感じのカップケーキ。
あー、うん。主人公はお菓子作りが趣味だもんね。
コルセイユさんの様子を見るにそういった感情が一切ないのも分かった。
つまり、コルセイユさんは友人、もしくは先輩の心配をしてお菓子の用意をしただけ。
でもこの人からしたら見知らぬ女性が自分の婚約者の手伝いをしていて、更に手作りお菓子を渡そうとしていたのを知ったと。確かにいい気分はしないと思う。
これ、誰も悪くないんじゃない?
「いいんです、元々私とシュエット様は家同士が勝手に決めた婚約ですから。他の方に心変わりしたとしても仕方ない事です、そもそも私を好きですらないのですから」
「それは違います!」
何かもうこのまま二人で話せば問題解決しそうだったから去ろうとして、聞こえてきた言葉に思わず否定してしまった。
「え?」
「シュエット様はとても誠実な方です。家柄で相手を決めたりなんかしませんし、婚約者である貴女がいながら他の女性と懇意になったり心動かされるような人ではありません!」
終盤のイベントでもシュエット様はエグレットから家柄を盾に脅迫まがいの事をされるけど、シュエット様はそれに臆せずきっぱりエグレットを振っている。
ゲームと現実は違うとはいえ、性格に変わりがないことは分かっている。
本当はこんな事言いたくない。このまま何も言わなければこの人はシュエット様と婚約破棄しそうだし、シュエット様が好きな私からすればそっちの方がいいんだろうけど。
「シュエット様が貴女と婚約したのは……貴女の事が好きで……一緒にいたいと、そう思っているから婚約されたのです……」
でもだからといって婚約破棄とかそんなのは聞きたくないし見たくもない。
「……ミシェル」
「シュエット様……」
イベント通りにシュエット様が来てくれた。
さっきまであんなに会いたかったのに……何でだろう、今は全然嬉しくない……。
「ミシェル……確かに貴女との婚約は親が決めたものです。ですがそれとは関係なしに私はミシェルが好きだったから婚約を決めたんです。ミシェルは親が決めたから仕方なく婚約したのだと思っていましたが……」
「そんな、私の方こそ好きなのは私だけでシュエット様は仕方なく婚約を受け入れてくださったとばかり……」
「どうやら私達はお互いもっとちゃんと話すべきだったね」
「あの……シュエット様、ミシェル、様」
……本来なら二人の絆が確かにあったと感じられる素敵な光景なんだろうけど、幸せそうにお互い抱き締めている姿に耐え切れなくなった。
「あ……」
「エグレット様、コルセイユさんも。すみません」
「いえ、私達は去りますのでどうか二人でゆっくり話し合ってください」
話していて目が熱くなってきた。今ここで泣いたらミシェルさんにもシュエット様にも私の想いがバレてしまう。
せっかく上手くいきかけているのを邪魔したくない。
顔は見せられないから俯いたままなのは許してほしい。
「行きましょう、えっと、コルセイユさん」
「あ、はい……あの、失礼しました」
何とか去ることは出来たけど、その瞬間ボロボロと涙が出てきた。
我慢していた分止まる気配が全然ない。
そのせいでまだ隣にいたコルセイユさんに気づかれてしまった。
「エグレット様、もしかして……」
「コルセイユさん、この事は誰にも話さないでください……」
これはきっと罰。
私の役割は悪役令嬢。
攻略キャラと上手くいく筈がないのにシュエット様に会えた嬉しさからそれを忘れて浮かれてしまっていた。
婚約者もいるシュエット様の事はもう諦めよう。
******
翌日。
すっかり返しそびれていた本を返しに図書室へ行けば入り口にシュエット様がいた。
いや何で?
いつも通り受付にいてくれれば最低限の会話だけで済んだのに。
ミシェルさんがいないのは助かるけど、昨日の今日だから正面から会うのは正直きつい。
「昨日は大変失礼致しました。あの後ミシェルと話して、お互いの誤解も解けました。全てはエグレット様のおかげです」
「いえ……私は何もしていませんから……」
数日前までの私なら見惚れていたであろう幸せそうな笑顔が今の私には深く胸に突き刺さる。
自然と本を持つ手に力が入る。どうしても力が抜けない。
「ミシェルも貴女に感謝していました。今はいませんがこれからは図書室の手伝いもしてくれると言って……エグレット様もまた来てください。その、これからも友人として……」
「いいえ、ここには二度と来ません」
「え?」
シュエット様の事は諦めないといけない。でも今こうして会うとやっぱり好きなんだという気持ちが止められない。
こんな状態で、シュエット様からは友人としてしか見られていない状況で、ビオロ様やエイロン様、アズマのように楽しく笑ってなんて過ごせない。
それならばいっそ、いっそ嫌われてしまおう。もう顔も見たくないと思われる程嫌われてしまえば会うこともなく逆に楽になる。
「ここの図書室よりも、街の図書館の方が広くて種類もありますし」
声が上ずってきた。昨日あんなに泣いたのにまた涙が出てきた。早く言うべき事を言ってこの場を去らないと。
「設備も整っていますからわざわざこんな不便な場所に来る必要はありません。だから二度とここには来ません、行く必要がありませんから。それでは失礼します」
何で好きな人にこんな酷い事言わなくちゃいけないんだろう。
これ以上いられなくて、シュエット様の顔も返事も聞くのが怖くて急いでこの場を走り去った。
放課後に来て良かった。でないとこんな状態で授業なんて受けられない。
分かっていた事だけど。でもそれでも。
「二日連続は辛いってぇ……」
******
「……ああ、そうか……そうだったんですね……。また私は気づくのが遅かったんですね……深く傷つけてしまってすみません、エグレット……」
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